0歳ですでに多動!?ベビーカーが1秒止まるだけで大泣きの地獄の日々。読み聞かせなんて想像もできなかったあのころ
ベビーカーが動いているとき以外、ひたすら泣き続けていたコト子
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私が感じていたコト子の多動の兆候の1つが、寝ているときかベビーカーで外を歩いているとき以外は、とにかくよく泣いていたことでした。
よく泣く子、というにしてはあまりに泣き方が激しく、また空腹でもなく眠いわけでもなく、赤ちゃん向けのおもちゃを与えても抱っこしても、何をしても泣き止まず...
泣き止むのは、ベビーカーが動いているときだけでした。
今思えば、当時はまだ本人の意思で動くことができなかったので、ベビーカーが一秒でも止まると「動きたい」という欲求が満たされず、激しく泣くことで気持ちを表現していたのではないかと思います。
それを証明するかのように、コト子はハイハイができるようになると、自分の力で動けなかったころと比べて激しく泣く時間が減りました。
とにかくよく動き回るので、それはそれでとても大変でしたが、何をしても泣かれてしまったり、朝から夜暗くなるまで外を歩かなければならなかったりする日々から少し状況が改善され、精神的にも体力的にも助かりました。
ただ、自分の足で立ち自分の足で歩くようになると、とにかく一瞬も目が離せず、動きも速くなるので、私は再び精神的体力的に追い詰められていきました。
歩けるようになったコト子は、まるで水を得た魚のようで...
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歩けるようになったコト子は水を得た魚のようにとにかくよく動き回り、危険な場所や高い所にも平気で行こうとすることも多々あり、私は一時間でそのような危険行動を何十回も止めなければならず、なるべく何もない人の少ない場所を選んで過ごすようになりました。
このころ、ちょうど集団療育に親子で通うようになっていた時期なので、療育園にいる間は少し気を緩めることができました。園内は危険なことや脱走に対して、さまざまな対策がなされていたからです。
一般的な公園には柵などはなく、あっても子どもだけで出て行ける隙間があったりするため、私は常にコト子の半径一メートル以内(手を伸ばせば服をつかめる距離)にいなければなりませんでしたが、療育園は少し目を離しても道路などに飛び出す心配がなく、安心して過ごせる数少ない場所でした。
「このままではいけない」焦る気持ちをおさえ、少しずつ
休日には子ども向けのイベントも、少人数で参加できそうなものであれば思い切って連れて行ったりもしましたが、そこでも一人だけウロウロしたり、イベントに参加できなかったりしました。