子育て情報『「気がつけばいつも孤立」いじめの標的だった10代、敬遠された20代、発達障害に気づいた30代。40代となった今は――発達障害の私の悲しみの軌跡』

2022年9月3日 14:15

「気がつけばいつも孤立」いじめの標的だった10代、敬遠された20代、発達障害に気づいた30代。40代となった今は――発達障害の私の悲しみの軌跡


心の中に常にある悲しみ

40代となった今、数は少ないですが理解者もでき、幸せに暮らしている私。それでも根底には常に、「私は絶対的なマイノリティだ」「自分が自分であるだけで周囲から排除されがちなのは事実だ」という思いがあります。

この思いは簡単な言葉で言えば悲しみです。しかし、「マジョリティとしての人生を喪(うしな)いつづける状態」に焦点をあてれば、私は長い人生にわたって喪失体験の中にあり、私はそうした喪失の「悲嘆」を感じているのだ、と言えるのかもしれません。

※悲嘆とは、グリーフケアの文脈で使われる、親密な人や慣れ親しんだ環境など、何か非常に大切な対象を喪失したときの感情的な反応のことです。多くは死別による強い悲しみの反応に使われます。

私が本当に頻繁に、最低でも週に1回は見る悪夢に、「みんなと同じように振る舞えないことへの恥」が表されていると思われるものがあります。

私は中学高校時代の制服を着ていて、複数の友達から囲まれて怒られていたり、電車に乗り遅れて遅刻したり、道に迷ったり、持ち物をなくしてしまったり、自分だけちょっと違った制服を着ていたりするのです。


制服は「皆と同じように振る舞うプレッシャー」の象徴なのでしょう。上記のような夢の中で起こることは実際には経験していないことばかりですが、いつもリアルに身に迫ってきます。


定型発達の同級生の中で浮いていた学生時代

学校の中で、私は常に浮いていました。地元の公立校に通っていた小学校時代は、常にいじめのターゲット。担任教師からも冷遇されていると感じていました。

私はクラスで一番ぐらい身体が小さく、動作はスローモーなのに座学の教科は常にトップクラスの成績。児童・教員問わず、相手が間違っていると思ったら徹底的に理屈で追い詰めました。

こうした私が、横並びが求められる公立小学校コミュニティでうまくやっていけるはずがありませんでした。


あるとき、いじめについて父に相談したところ、「お前をいじめるようなやつらは軽蔑して、お前の知識と論理で論破してやれ。学級会で『憲法違反だ』と演説すればいい」と言います。今思えばこれは不適切なアドバイスですが、幼かったうえになんでも字義どおりに解釈する傾向のある発達障害児だった私は、父のアドバイスを鵜呑みにして実行しました。「憲法違反」とか、「いつか実名で被害を公表してやる」

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