3歳自閉症息子の激しい癇癪、パニック、こだわりに親子で涙。小2の今なら分かるイヤイヤの原因
違う場所へ誘おうとしても、全く聞き入れず、手をひっぱって連れて行こうとしても大号泣。その場所から頑なに離れないので、とうとう夜になってしまいました。「さすがに、もう帰らないと」と思い、弟を抱っこ紐に入れた状態で、けんとも抱っこして移動。しかし途中で私の腕からけんとが抜け出し、ダッシュでお気に入りの場所へと戻ってしまうこともありました。私は体も心も疲弊してしまい、私も子どもたちも、みんなで泣きながら帰宅したこともありました。
その後、視覚優位なけんとの特性を私が理解していき、視覚支援で行動の予定を示すようになると、嘘のように切り替えができるようになりました。
感覚過敏?フォトスタジオで大号泣
Upload By ゆきみ
弟の1歳の誕生日記念にフォトスタジオへ(けんとは当時3歳)。
けんとも一緒にと思い、襟のついた、いつもと違う洋服を準備しました。
しかし、シャツを着た瞬間からずっとけんとは大号泣。いつもと違う場所。いつもと違う洋服。しかも首元まであるシャツ。今考えると、きっと感覚過敏も影響していたのだと思います。けんとは、シャツを脱ぎたそうに首元をグイグイやっていました。そして、あまりにもすごい大号泣で、記念フォトが、ほぼ泣き顔となりました。
息子のイヤイヤ期、今考えると特性だった?
「初めて体験すること」が多かった3~4歳頃のけんとは、今よりもさらに見通し不安や、こだわりが強く、感覚面が敏感だったように感じます。今となってみたら、「だからあんなに泣いてたのね」と分かることですが、当時の私は気づいてあげられませんでした。
言葉が遅く、想いを上手く伝えられず、私の言葉を理解していなかったため、けんとにとって「嫌だ」「怖い」などの表現の仕方が、癇癪やパニックとなってしまっていたのだと思います。私は本当に少しずつ特性を理解していきました。けんとも、経験や歳を重ね、少しずつ理解力を深めていくにしたがって、気がつけば、本当に大変だった時期から抜け出していた……のだと、思います。
今も昔も、その時期ならではの悩みごとは常に感じていますが、「3~4歳頃が大変だったな」と振り返って思うこの気持ち。この想いと同じように、さらなる未来のその先で、「今」のことを「あの頃は大変だったね」と、家族や友人、支えてくださる方たちと思い出しながら、話しができたらいいなと祈っています。