パニック、自傷のほうがずっとつらい…自閉症息子のこだわりに応じ続けた日々。24歳の今は
現在は
・水曜日は生魚を食べる
・日曜日に家でバリカンで頭を刈る
・週末は一人で趣味である(商業施設などの)トイレ巡りをする
挙げたらきりがないくらい諸々ありますが、今はこれらが崩されても、例えば水曜日に生魚を出さなくても、バリカンで頭を刈る時間がなくなっても、パニックは起こさなくなりました。
「今日は刺身はないよ」「今日はバリカンをする時間はないよ」「今度の日曜日は法事だよ、だからトイレ巡りの外出はできないよ」と伝えれば納得します。
本人もこだわりの緩め方を人生で学んできたせいでしょうか。
こだわりボックス
ASD(自閉スペクトラム症)のある子どもは「こだわりボックス」を持っているように思います。
こだわりボックスが満タンでないと不安になるので、こだわりを取り上げられてしまうと、空いた部分を満タンにするために別のこだわりを作る、そんな風に感じます。無理矢理取りあげることもなく自然とこだわりがおさまったのだとしても、また新たなこだわりが出現するので余計そう感じます。
つまりこだわりボックスを満タンにすべく新たなこだわりが出てくるので、こだわりを辞めさせてもいたちごっこ、あきらめたほうがいい場合もあると私は思っています。人に大迷惑をかけないこだわりだったら許容してもよいのではないでしょうか。
「世の中には自分のこだわりが通じないこともあるんだ」と学んでいくために
ただし、日常生活を送っていると、どうしても通すことのできないこだわりがあります。
例えば、ピンクの服しか着ないというこだわりがあるとします。本人だけならまだしも次第に家族にもそれを強要するようになりました。けれども家族全員、毎日ピンクの服を着るわけには行きません。
走行している車のナンバープレートを触るこだわり。
ベビーカーに乗っている赤ちゃんの鼻を触るこだわり。
そんなこだわりは認められませんし、止めさせるしかありません。
そうしているうちに「世の中には自分のこだわりが通じないこともあるんだ」と本人なりに学んでいくのだと思います。
ということは、応じられるこだわりはできるだけ応じてやる、そうすれば本人も「受け入れてもらえるものもあるんだから、そうではないものは我慢するしかない、仕方がない」と折り合いを付けられるように成長するのではないでしょうか。そんな風に私は思います。
執筆/立石美津子
(監修:鈴木先生より)