コミュ力重視! 若者の“承認欲求”の強さが格差社会に関係しているワケ
一般的な庶民の子たちは増々もって「コミュ力」を磨き“マシな部類の正社員サラリーマン”になるしかない。
中学・高校の思春期の学校生活においては、コミュ力を磨いてスクールカーストの上位に行くしかない。
筆者のこのような見方は少々乱暴だろうかと思いきや、都内でメンタルクリニックを開院するT先生がお墨付きをくださいました。
●近年の若者の承認欲求の強さは格差社会の副産物である
T先生に、近年の若者の承認欲求の強さは格差社会の副産物であるといえる理由について話を伺いました。
『斎藤環先生は著書の中で、若者に特有な「自分が何者であるか」という“実存の不安”を解消してくれたものは1970年代までは思想や宗教だった。
その後は若者をアイデンティティ・クライシスから救うツールは心理学に取って代わり、今はそれが「その人のキャラ付けに基づいたコミュ力によって評価される承認の度合い」であるという主旨の指摘をされています。
その分析は実に鋭いものですが、斎藤先生の場合はややもするとそういった“強すぎる承認欲求”“コミュ力偏重主義”の悪い面にスポットを当てすぎの面もあると思います。
今のわが国では、富裕層の家に生まれさえすれば、その子どもは大抵のものを手にすることができます。
運動能力も外国語を話す力も医学部に合格する学力も楽器を演奏する能力もコンピュータのプログラミングをする能力も、お金に糸目をつけずに習わせてさえもらえるなら誰だって身につきますし、それによって収入の高い職業に就くことも容易になります。
一方、一般的な庶民の子どもたちはというと、そのような“お金が要る特技や能力”はなかなか身につきません。では、庶民の子がちょっと上に行くにはどうしたらいいか。
コミュ力で“いい会社”に就職するか、笑いを取る力で“お笑い芸人”から“タレント”や“文化人”を目指すか 。そういった方法が近道と言えるでしょう。
つまり、近年の若者の承認欲求の強さは格差社会の副産物だと言うことができるのです』
いかがでしょうか。日ごろから中高生や大学生の心の相談に応じている町の精神科医は、若い人たちの承認欲求の強さやコミュ力志向の“良い面”にもしっかりと向き合っているように思えます。
●寡黙でもしっかりと認められる人たちがいる
おしまいに。
筆者には世間から「社会起業家」と呼ばれているような若い知人が何人かいます。