くらし情報『「これまでを総括している感じがある」湯浅政明監督が語る映画『犬王』』

「これまでを総括している感じがある」湯浅政明監督が語る映画『犬王』

それは大変意義があると思えましたし、つくる意味を感じた」と語る。

平家の没した後、何かの呪いによって盲目になってしまった琵琶法師の友魚と、見よう見まねで能を学んで自由に舞う犬王は、それぞれが自分の表現で物語や過去を語る。ふたりは当時の“伝統芸能”からは外れてしまうが自分だけの表現を求めて行動する。

「野木さん(本作の脚本を手がけた野木亜紀子)が”いまはもう歴史に残っていないけど、この時代にこういう若者がいた、ということを見てもらえる映画にしましょう”と話して、それはいいなと思って、原作ではバラバラの短編集の様なエピソード達をひとつの流れにまとめていきました。

歴史に名前が残らないというのは普通のことで、大抵の人は歴史に名前が残ることもない。それに世阿弥にしても自分の表現や文化を後世に残そうという意識もなかったと思うんです。彼らは自分の座が他に負けないように活動して、結果としてそれを残してゆく人が続いたため名前が残った。逆に言うと、それしか残っていない。


犬王も友魚もさほど歴史に名を残さなかった存在なわけですけど、ふたりは人気を博し、お互い分かり合った存在であったわけです。ラストシーンから推察するに、おそらく彼らが生きる時代に、つまり同時代に想いを分かち合える人がいたというか、認め合える人がいたということ。

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