「誰よりもカンペキな妻なのに愛されない」雨宮まみの“穴の底でお待ちしています” 第28回
それを少し、見てみてください。正直、夫婦関係については、私はうまく言うことができません。長い年月を経て、憎み合っているとばかり思っていた夫婦が案外そうでなかったり、愚痴ばかり言っていた夫婦がすごく強く結びついていたりする例も多いので、判断がとても難しいんです。年月を一緒に過ごしていく、ということには、何か愛情とかを超えた大事なものがあるのかもしれない、と感じていますが、自分では経験したことがないので、なんとも言いようがないのです。
けれど、今感じていることはきっと、大事な経験になるはずです。「正しくないのに愛されている」ということを不思議に思ってらっしゃるのなら、今こそ「正しさ」や「努力」について考える機会なのだと思います。それを評価してくれる友人や家族に助けてもらうべきなのかもしれませんし、その努力が自己満足なのかどうかを考えるべきなのかもしれません。「弱さ」や「正しくなさ」についても、考えるときなのかもしれません。
「弱さ」や「正しくなさ」を受け入れて、共有できる関係も、いいものではないでしょうか。ひとつの可能性として、そうしたことを少しだけ考えてみてください。「正しいから必ずしも愛されるわけではない」