女性自身がお届けする新着記事一覧 (911/919)
その霊能力のために、楽屋では霊視を求める先輩芸人たちが行列をつくることもあるという、よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属の“霊がよく見える”ピン芸人・シークエンスはやとも(25)。『ポップな心霊論』は、彼が人生で見てきた霊たちや霊現象などを紹介していくコラム連載! 【霊に、ツッコミを入れたくなりました】 この冬遭遇した中で、印象に残っている霊の話を。 ある日、ライブの出番の前に、劇場近くのドラッグストアに飲み物を買いに行ったんです。そうしたら店内に40代くらいの女の人がいて。ずーっと風邪薬を選んでいるんですよ。 そのときは特に何も思わなかったんですが、数時間後に出番終わりで再度立ち寄ったら、まだ同じように風邪薬を選んでいて。 それで「ああ、幽霊だったのか」と気が付きました。と同時に、「いやいや、幽霊なのに風邪薬かーい!」って、コントみたい、とか思ったりして。ちょっと面白かったです。 でも、僕は霊を見慣れているからそんなふうに冷静に見てしまう部分があるんですが、よくよく考えると悲しい光景です。 風邪薬を買いに来たときに事故にあったりして自分が死んだのに気づいていないのかもしれないし、もしかしたら子どもに飲ませるための風邪薬を選んでいたのかもしれないし……。 僕は霊と会話することはできないので、どんな事情があるかは、想像するしかありません。 でも、そんなにずっと風邪薬を選んでいるって、よっぽどそこに思い入れがあるんじゃないかな。いろいろ思いを巡らしたら、ちょっと切ない気持ちになってしまいました。
2017年03月13日『女性自身』編集部制作のジャニーズ事務所公認『Kis-My-Ft2 2017.4-2018.3 CALENDAR』(光文社刊)が3月9日発売。完成品をさっそく本人たちにお届けすると、できたてホヤホヤのカレンダーを眺めながら、7人が撮影で訪れた奄美大島の思い出を語ってくれました! 千賀健永(以下・千賀)「奄美のガジュマルの木、大っきかったね。そのあと宮田がガジュマルのマネをした写真を待ち受けにしたりしてた」 宮田俊哉(以下・宮田)「“みやマル”ね。パワースポット的な効果あった?」 千賀「いまのところないかな……。もう待ち受け変えたし」 玉森裕太(以下・玉森)「僕は空き時間のサップ(ボードに立ってパドルを漕ぐマリンスポーツ)が楽しかった。一生懸命ウミガメを探してさ。宮田が遅くてね」 宮田「落ちたら怖いからさ」 玉森「超安全運転だったもんね。でもその時間がよかった」 二階堂高嗣(以下・二階堂)「海に潜れたりもしたしな〜」 藤ヶ谷太輔(以下・藤ヶ谷)「あ、俺、星を見てて、流れ星を4回くらい見た」 玉森「見たね」 ほかのメンバー「えッ!」 藤ヶ谷「速すぎて願いごとはできなかったけどね」 北山宏光(以下・北山)「撮影しながら地元の居酒屋で食事したのも印象に残った。気になるメニュー全部頼んだ気がする(笑)」 千賀「ご飯、おいしかったな。食べすぎでむくんじゃって、初日と最終日で俺の顔が違う。それも見どころ(笑)\ 玉森「あれなんだっけ?奄美の名物のやつ……」 千賀「鶏飯?」 北山「俺、それ食べてないや」 二階堂「いや、ミツ食べてたよ」 北山「え?食べてた?」 宮田「食べてたよ。俺、一口もらったもん」 玉森「休憩中の過ごし方とかも個性が出てて面白いなと思った。ベンチで寝る人、読書する人、しゃべっている人……。みんな素が出てた」 二階堂「本当に撮影してんの?ってくらいのびのびできたよね。また行きたい!」 藤ヶ谷「(付録で)100の質問に答えたのも、あの場だから素で答えられていると思う」 横尾渉「昔されたことのある質問もあるけど、いまの考えで話してるから、過去とは言ってることが変わってるよね」 北山「昔からのファンでも知らないような顔、新しいキスマイが載ってるのかな」 玉森「写真もいましか撮れない、いまの俺らの素顔だね」
2017年03月13日俳優・松田龍平(33)が3月12日、自身のインスタグラムに妻の太田莉菜(29)の写真を投稿したことがはやくも話題になっている。 松田夫妻といえば、2月に別居が発覚したばかり。太田が若手俳優と不倫関係に陥り、松田と愛娘を捨てて家を飛び出したという別居に至るまでの経緯が『女性セブン』に報じられている。一部では松田が離婚の意志を固めた、という噂もささやかれているのだが――。 「松田さんは今でも『きっと戻ってきてくれる』と信じてやまないそうです。世間では不倫の末に家を出ていった太田さんがバッシングされていますが、彼は『ちゃんと繋ぎ止められなかった自分も悪かった』と周囲に漏らしているんだとか。太田さんが不倫していたことが事実なら、彼は本当に寛容ですよね」 インスタグラムでは、彼はこんなコメントとともに愛妻の写真をアップしている。 《僕の大切な人であり、逞しい母です。#太田莉菜》 さまざまな疑惑を払拭する投稿だけに、投稿からわずか数時間で「いいね!」は2万件超。コメント欄には松田にむけた応援メッセージが殺到している。 《へんな噂なんて気にしないでくださいね!素敵です!》《この写真のチョイスからして大切さが伝わってきます》《本当に素敵な心の持ち主。いつもときめかせてもらっていますよー応援しています》《素敵な夫婦》《相思相愛、いつまでもリスペクトしあえる夫婦であってほしい》 夫婦の幸せを祈るばかり――。
2017年03月12日タレントの西川史子(45)が3月12日放送の『サンデー・ジャポン』(TBS系)に出演し、お笑いコンビ・NONSTYLEの井上裕介(37)についてコメントした。 昨年12月、井上は乗用車を運転中にタクシーに衝突し、運転手に全治2週間のけがをさせたうえで走り去ったとして書類送検となった。事故後は活動を自粛していたが、3月6日に起訴猶予処分が確定。井上は処分確定の翌日に涙を流しながら謝罪会見を行った。 井上は以前から西川史子主催の“西川会”のメンバーとして知られ、西川とは親交があった。司会の田中裕二(52)が西川に、「井上君のことは、“西川会”の後輩として可愛がっていたでしょう?」と話を振ると、西川は目を潤ませながら次のように話した。 「謹慎中も会見前も(井上から)連絡をもらって、ずっと見ていたんですけど、あれは泣きすぎかなと。ブサイクは泣いちゃいけないんですよね。汚いでしょ。それで、これからどういうふうに戻っていくのか……。あの子、本当にいい子なんですけど、馬鹿なんですよね。だから、計算ができないんですよ。かわいそうだけど、もうちょっと謹慎したほうがいいかもしれないですね」 続けて西川が「3カ月まったく家を出ていないから、視野が狭くなっている」と心配すると、井上と親交があるタレントのアンミカ(44)も「そういう部分はあると思うんですよ。(井上から届いた)LINEはすごくスッキリ。『反省をただ胸に刻んで生きていきたい』『ちゃんとみなさんに何かをお返ししたい』と言っていた」と井上を擁護した。
2017年03月12日連続テレビ小説『べっぴんさん』の23週は、「あいを継ぐもの」。すみれ(芳根京子)・紀夫(永山絢斗)夫婦と君枝(土村芳)・昭一(平岡祐太)夫婦は、さくら(井頭愛海)と健太郎(古川雄輝)の結婚を受け入れようとするが、一人息子と一人娘の結婚のため、家の継承問題でこじれてしまう。さくらと健太郎は、両親たちの考えが古いと主張するが聞いてもらえない。さらに健太郎は坂東家に婿に入っても構わないと言い出すと、「聞きたくないわ!」と言葉を遮る君枝。店を後にする。 すみれ夫婦は義兄の潔(高良健吾)とゆり(蓮佛美沙子)の家を訪ね、坂東家の存続について相談する。「僕としては、娘の代で五十八さんから引き継いだ坂東の名を終わらせるなんてことはとてもじゃないができません」と紀夫。その言葉を聞いたゆりは、坂東家の長女である自分が潔のもとに嫁いだせいで家のことをすみれに押し付けてしまったと謝る。 「何言うてるの。私は紀夫さんに出会って、幸せになることができた。よかったなあって心から思ってるのよ」とすみれ。帰宅した紀夫は、坂東の家を継がないのであれば、健太郎との結婚は白紙だとさくらに告げるのだった。 翌日、勝二(田中要次)と龍一(森永悠希)の世界料理の店ですみれ夫妻が食事をしていると、潔が訪ねてくる。さくらのことを心配する潔は、自分がゆりと結婚したときのことを話して聞かせる。潔の父・正蔵(名倉潤)も、すみれとゆりの父・五十八(生瀬勝久)も、最後は子供たちの幸せを優先してくれたと振り返り、紀夫を婿に出した経験を持つ実父・田中五郎(堀内正美)に一度会ってみたらどうだろうかと提案する。 潔のアドバイスを受けて、五郎を家に招いた紀夫。自分を坂東家に婿養子に出したときのことを聞きたいと話を切り出すと、五郎は「いくつになっても、一番嬉しいのは子供が幸せなことだからな」と言い、さらに紀夫の初恋の人がすみれだと知っていて、2人がうまくいくように祈って結婚させたと打ち明ける。 親の思いを初めて知って驚き、照れる紀夫。さくらが結婚したいと言っているが、坂東家を守るためにさくらに婿を取りたいと相談する。すると「家を継ぐというのは何なのだろうか?」と五郎。大事な息子の紀夫の名字が変わっても、今、生きている。それは、これまで命をつないでくれたご先祖様がいるから。「長い長い歴史の中、何事も形を変えていく。それでも、想いだけは、想いというのは形を変えて引き継がれていくもんじゃないのかと語るのだった。 その晩、紀夫は、棚に飾られた家族写真を見ながら五郎の言葉を思い返す。「もう坂東営業部という名前はないけど、お義父さんの信念や思いはオライオンにある。もちろん僕らの中にもとすみれに告げる紀夫。翌日、すみれたち夫婦は君枝と昭一と会い、さくらが村田家に入ることを許す。そしてさくらに、坂東家は五十八とはな(菅野美穂)の頑張りが坂東家の始まりなのだと話して聞かし「おじいさまとおばあさまの思いだけは引き継いでね」と微笑むすみれ。 すみれたちは、さくらと健太郎の結婚の報告と仲人を依頼するため、大急百貨店の大島社長(伊武雅刀)の元を訪れる。仲人を快諾した大島との会話の流れから、さくらの名前の由来をすみれと紀夫に聞く健太郎。すみれは、ゆりと自分の母の名が「はな」だったため、2人娘は花の名前を付けてもらったと説明する。「お母さんのように、そのまたお母さんのように、美しく花咲く人生を送って欲しい。そんな想いを込めて、さくらと名付けた」と紀夫。 こうしてさくらと健太郎の結婚式を無事終え、帰宅したすみれたち。一人娘を嫁に出し、寂しく感じていると、そこにさくらと健太郎がやってくる。「私たち、今日からこっちでお世話になっていい?」とさくら。村田家に住むと職場と家が一緒で、健太郎はそれが長年嫌だったと説明する。顔を見合わせ微笑むすみれと紀夫。2人きりの生活になると思っていた矢先に娘夫妻との同居と、思わぬ展開に驚きつつも、嬉しく感じるのだった 昭和48年の春。さくらと健太郎の結婚から3年の時がたった。さくらは子どもを身ごもり、健太郎は武(中島広稀)の後を引き継いでキアリスの開発宣伝部長に昇進することに。本店を任された健太郎は、大手商社社長の古門(西岡徳馬)から「成長のスピードが重要」という助言を受け、売り上げを上げるためキアリスを大きく変えようと奔走する。「大事なのはスピード。普通の人が10年かけてやることを、自分は1年でやる。これを機に僕は、自分の力を試したいんや」とさくらに宣言するのだった。 キアリスの本店のリニューアルを健太郎に任せるすみれたち。リニューアル後の店内を見学すると、店の最前列の棚にキャラクターがプリントされたTシャツや大人の女性向けのストッキングなどディスプレイされているのを見て戸惑う。「これって、キアリスかな?」とすみれ。戸惑いを隠せないすみれたちに、健太郎は「これからのキアリスです」と自信満々に語る。 キアリスを急成長させたいと奔走する健太郎は、さくらが生まれてくる我が子を思って生み出したキアリスの新キャラクター「サミーちゃん」を利用しようと考える。さくらはライセンスビジネスのために作ったキャラクターではないと反対。話を聞いていたすみれも、焦らずもっと時間をかけるべきだと諭すが、健太郎は今の時代に合ってないと聞き入れない。「会社を大事に思う気持ちはどの社員にも負けてないと思ってる」と健太郎。 そんな折、潔は社員たちから、オライオンが契約しようと思っていた路面店を栄輔(松下優也)の会社「エイス」がことこどく契約していると聞く。栄輔が日本中にショップを展開しようと躍起になっていることを知り、言い知れぬ不安を感じる潔。東京にいる栄輔の元に向かう。 一方、突然、現れた潔に驚く栄輔。居ても立ってもいられず駆けつけたという潔の真意が理解できない。「膨らみ続けた風船は、いつかは爆発する。今のやり方を続けたら、お前は爆発するぞ」と忠告する潔。その言葉はきちんと心に留めておくと答える栄輔だったが、立ち去る潔を見つめるその表情からは笑顔が消える。 それからしばらくして、臨月を迎えたさくらは無事に女の子を出産する。孫の誕生に喜ぶすみれたち。健太郎が生まれてきた我が子につけた名は「藍」。この時期に咲く可憐な花で、藍色は、やすらぎを与えるからだと名前の由来を説明する健太郎。「周りの人に安らぎを与える優しい女の子になってほしいと思って。 健太郎による拡大が進むキアリス。店の真ん中にはサミーちゃんグッズが置かれ、創業以来の看板商品だった肌着は店の奥の棚に置かれている。ある日、すみれは偶然キアリスが変わってしまったと嘆く女性客の声を耳にする。一方、娘を出産したさくらだったが、孫を溺愛する君枝が度々家を訪ねてくるようになり、悩まされる。その不満を健太郎に相談しているうちに夫婦仲にも亀裂が生じてしまう。 そんな折、「レリビィ」にキアリスのメンバーと家族が集まり、紀夫の8ミリカメラの上映会が開かれる。藍の姿を見ながら、自分たちが子育てをしていたころを思い出すすみれたち。明美がさくらにおしめの使い方を教える様子を見ながら、すみれにあるアイデアが浮かぶ。「残せないかな?こうして知識を映像に。そしたら、もっともっとこう分かりやすく、いろんな人に伝えられるんやないかな。良子や明美も「わくわくする」と、映像版のキアリスガイドに心を躍らせるのだった。 11月になると、オイルショックによって日本の経済は大混乱に陥った。すみれや紀夫は、キアリスの経営拡大に対し、今こそ慎重姿勢をとるべきだと訴えるが、健太郎だけは、守りに入ることに反論を続ける。そこにすみれはこう切り出す。「今、必要なものは赤ちゃんのものだ」と。そして、こんな状況でも赤ちゃんを笑顔にしてあげたいし、お母さんたちの気持ちに寄り添ってあげてほしいと説く。「それがキアリスの基本やもの」と良子。経営陣の意見にすぐに同意した健太郎だったが、その口からは「需要」「供給」と経営用語しか出てこない。うつむき悲しい表情のすみれたち。 いっぽう一時は飛ぶ鳥を落とす勢いだった栄輔のエイスは、売り上げが下がり始めたことを理由に古門から見放され、資金繰りに失敗してしまう。KADOCHOを後にする栄輔に玉井(土平ドンペイ)が声をかける。「ボロボロの時代に拾ってもろて、こんな立派にしてもろて、あんたには感謝してる。そやけど、一緒に泥船に乗って沈むことはできん」と。エイスはついに破綻し、社長の栄輔も行方をくらませる。 ある日、ゆりの家を訪ねる紀夫とすみれ。そこに、憔悴した栄輔の姿を見て驚く。「ばったり大阪で会ってな」と栄輔をかくまっていたことを明かす潔。会社更生法を申請して、それをもって会社をもう一度立て直すと言う栄輔に「意味がない」と制する。「自己破産してゼロになるんや。そこから自由な発想をして一から始めるんや」と潔。身を寄せる場所を失った栄輔に、自分の家にいたらいいと言って楽しそうに笑う。「また一緒なんて、闇市のころみたい。懐かしいわ」とゆり。そんな2人を見つめ、栄輔は目を潤ませるのだった。 第24週の『べっぴんさん』は、エイスが倒産し、家も仕事も失った栄輔(松下優也)は、潔(高良健吾)とゆり(蓮佛美沙子)の家に居候の身となっていた。一方、エイス倒産のニュースを受け、キアリス・社長の紀夫(永山絢斗)は、これまでの積極的な経営から、慎重な方向に舵を切ろうとしていた。しかし、開発宣伝部の部長となった健太郎(古川雄輝)はその方針に反対。議論が進まない中で、すみれ(芳根京子)が突然、「創業の思いを次世代に引き継ぐための映画を作ろう」と提案し、キアリスの映画作りが始まることに。龍一(森永悠希)に紹介されたプロカメラマン・亀田(上地雄輔)の助けを借りて、内容や役割分担が決められていく。
2017年03月12日「仮に僕がファイナルステージに勝ち上がっていたとしても、アキラ100%さんには勝てなかったと思います。自信に満ちたオーラが出まくっていましたから。もちろん、舞台裏ではちゃんと服着てましたよ(笑)」 そう語るのは、自身も『R-1』の決勝の舞台に出場した三浦マイルド(39)。2月28日、お盆で股間を隠す、見えそうで見えない“究極の裸芸”で、ピン芸人日本一を決める『R-1 ぐらんぷり2017』を制したアキラ100%(42)。優勝後の会見でも、お盆を股間に当てながら、「(今後も)正直服は着たくないです。できればいけるところまで裸でいきたい!」と、裸芸を貫くことを宣言。賞金500万円のボードを手に、満面の笑みを浮かべていた。 今年の大会は、史上最多となる3,792人がエントリー。予選を勝ち抜き、決勝の舞台まで残った芸人はたったの9人。そこに準決勝で敗退した30人による敗者復活戦が行われ、上位3人が復活枠で決勝に加わり、計12人で15代目の栄冠を競った。 予選を勝ち抜き、決勝に進出するだけでも至難を極めるこの大会。その決勝の舞台は、全国で生放送されるだけに、舞台裏はかなりピリピリとした緊張感に包まれていたのでは−−。 今大会、最有力優勝候補として予想されていたのは、現在キャリアウーマンネタでバラエティ番組にひっぱりだこのブルゾンちえみ(26)。しかし、本番では緊張のあまりネタが飛び、ファーストステージでまさかの敗退……。三浦マイルドは、本番前のブルゾンちえみの様子をこう語る。 「彼女は、しっかり弁当を食べてはって、“腹の据わったコやな〜”と感心して見てたんです。でもきっと緊張して、少しはビビってたと思うんです。同じく女性の出場者の横澤夏子さんや石出奈々子さんは、緊張しているのが見ていてもわかったんです。でも、ブルゾンちえみさんはそういう雰囲気を表に出さない。本番直前まで、何度も何度も繰り返し練習していた姿が印象に残っています」 なにやらブルゾンちえみは、同じく出場者のゆりやんレトリィバァ(26)と並んでお弁当を食べていた様子。もしかしたら、“ぽっちゃり”体形のゆりやんと張り合っちゃってお弁当を食べすぎたことが予選敗退の原因!?
2017年03月12日「3年前、初めて『ミス・サイゴン』を見て、雷に打たれちゃったのよ。俺が長年やってきたスタイルや、ロックで表現したかったものが全部詰まってるんだから。エンジニアが歌う『アメリカン・ドリーム』には心底びっくり。完璧じゃないし愉快な面もあるエンジニアはまさに俺だよな。と思って」 そう語るのは、ロックのハードなイメージとは裏腹に、カッコつけない話が楽しいダイアモンド☆ユカイ(54)。昨年、ミュージカル『ミス・サイゴン』でエンジニアを好演。芸歴30年、オーディションを受けて得た大役だった。オーディションまで1年かけてダンスの自主練習。ビデオを何度もコマ送りで見ながら、動きを身につけた。 「舞台での踊りもお芝居もほとんど素人でしょ。おまけに何を習得するにも人の10倍の時間がかかるタイプだし」 地道な練習を積んで、晴れて帝国劇場のステージのど真ん中に立った。 初めてのミュージカルを終えるや、次の大舞台が待っていた。上演中のブロードウェイ・ミュージカル『コメディ・トゥナイト!ローマで起こったおかしな出来事《江戸版》』だ。舞台を原作のローマから江戸に移し、終始、抱腹絶倒の物語。自由を夢見る丁稚(片岡愛之助)が住む薬問屋と、澤野屋(ダイアモンド ユカイ)が営む芸者の置屋、子どもを捜して放浪中の男の留守宅で起きる出来事のドタバタ喜劇である。 「演出が宮本亜門さんなんで台本も読まずに引き受けた(笑)。時代劇の稽古だから浴衣で、って。持ってないから、亡くなった親父のを借りたんだ。帯の締め方がわかんなくてYouTubeを見ながら四苦八苦。愛之助さんが教えてくれて助かったよ。今回の収穫は着物のたたみ方と帯の締め方。燃えたぎる欲望があってサムシングがつかめれば、50を過ぎてもできないことはない」 今月、55歳の誕生日を迎え、ロックな精神で初めての喜劇に挑戦中!!
2017年03月12日先月中旬、茨城県にある動物愛護のNPO法人「しっぽのなかま」のシェルターを訪れたのは、放送作家の藤村晃子さん(43)。今月9日に神奈川県横浜市にオープンする保護猫カフェに保護するための猫をこの日、藤村さんは引き取りに来ていた。 藤村さんが本誌に登場するのは、今回が初めてではない。本誌は昨年6月、「シリーズ人間」で藤村さんを紹介している。 ’15年8月に生まれた藤村さんの長男・夏海くんは「18トリソミー」という染色体異常による難病を抱えていた。医師から「1歳の誕生日を迎えられる可能性は10%」という非情な宣告を受けての育児だった。それでも1年前、本誌の取材を受けた藤村さんは「いまがいちばん幸せです」と笑顔で話していた。 ところが、昨年7月5日。入院中だった夏海ちゃんの容体が急変。駆けつけた藤村さんの目の前で息を引き取った。18トリソミーの子どもに比較的多いとされる突然死だった。悲しみが癒えなかった藤村さん。だが、知り合いの僧侶がかけた、「お母さんが、自分の夢に向かって懸命に生きる姿こそ、息子さんにとっていちばんの供養になるんですよ」という言葉が転機なった。前を向くことを決めた藤村さん。愛する息子の死から3カ月がたっていた。 昨年12月。保護猫カフェの開業資金の一部をインターネットのクラウドファンディングで募ったところ、多くの資金が藤村さんのもとに寄せられた。そのなかには以前から親交のある芸能人や著名人も。 「寄付してくださるだけじゃなく、なかには、ご自分のSNSでファンの方々に広く拡散してくれた方もいました。また、なっちゃん(夏海ちゃん)のことも知ったうえで『ずっと応援してました。亡くなった息子さんのためにも、必ず成功させて』って手を差し伸べてくださった方もいました」(藤村さん・以下同) こうして今月9日、「保護猫の家*ARIGATO」はオープンする。猫たちは、日本動物虐待防止協会が、個人ボランティアや動物愛護団体から譲り受けたもの。基本的にはカフェのすべての猫が、希望者へ譲渡可能だ。 「譲渡希望の方には面接をさせていただいて、そのうえで1週間ほどのトライアル期間を設けさせていただきます。ちゃんと責任を持って終生、大事に飼っていただけると判断した方に、お譲りしたいと思います」 通常、猫カフェは猫と触れ合うための空間に重点をおいているため、カフェ部分は手狭になるところも少なくない。だが、藤村さんの運営する「保護猫の家*ARIGATO」は、カフェスペースがかなり広く設計されている。 「そうなんです。ただ、猫と遊ぶためだけじゃなくて、猫のこと、動物愛護のことを学べる場所にしていきたいと思ってるんです。愛護動物虐待防止管理士の講習会も開きたいと思っています」 ゆくゆくは、藤村さんと親交があり、かつ動物愛護に関心の高い芸能人の講演会なども開きたいという。 「何よりやりたいと思っているのが、地域の小学生たちを招いての勉強会なんです」 動物虐待が、DVや凶悪犯罪の前触れになることが多いと通説になっている欧米では、幼少時から動物愛護や動物福祉を学ぶ機会がたくさんある、と藤村さん。 「でも、日本の学校では、動物虐待や殺処分について学ぶ機会は、残念ながらほぼゼロです。大人でも、動物福祉や動物愛護法を知らない人がほとんど。犬や猫の殺処分をなくし、さらには人間への暴力もなくす一助になると思います」 小さな子どもたちと接することで、夏海ちゃんを思い出してつらくなったりはしないのだろうか。 「たしかに町でベビーカーを押すママを見ると羨ましかったり、いま、なっちゃんが生きてたらって考えちゃうこともある。でも、たとえ短くても、なっちゃんと過ごした時間のなかで得たものを大事にしたかった。障害のある子に対して、社会にはまだまだ偏見を持っている人がいます。軽々しく動物を捨てる人もいます。だから、子どもたちに、小さな命、か弱い命に優しい人になってほしいと心から思っているんです。それがいつか、なっちゃんのような子に対する偏見を社会からなくすことにもつながると、私は信じているんです」
2017年03月12日’11年3月11日の東日本大震災当日に被災地で生まれた子どもたちが、4月から小学校へ通う。本誌は、憧れだったランドセルを手に入学式を待ち望む、被災地で生まれた新小学1年生を取材した。 ■星山琉菜ちゃん(’11年3月11日18時49分・福島県双葉郡生まれ) 「このランドセルのお気に入りはねえ、ハートがいっぱいなとこ。ほら、見て見て、こんなとこにもハートだよ」 真新しいピンクのランドセルで、おしゃまなポーズを決めるのは、あの日、福島第一原発からわずか2キロという病院で産声をあげた琉菜ちゃん。余震が続くなかの帝王切開手術だった。翌朝、「原発が危ない!」との急報で、迫り来る放射能物質から逃れるように母・真弓さん(36)、父・晃一さん(39)と福島市内の病院へ避難。 「バスが揺れるたびおなかの傷に激痛が。ミルクが飲めず火がついたように泣く琉菜を抱っこして長時間の移動は本当につらかった」(真弓さん) その赤ちゃんが、この春からは小学生だ。「もうあれから6年ですね〜」としみじみ当時を振り返る両親。その視線の先には元気いっぱいの愛娘。「小学校入ったらね、足し算やりたい。私、お勉強大好きだからー」(琉菜ちゃん)。■大久保真弥くん(’11年3月11日23時44分・宮城県塩釜市生まれ) 「ランドセルに入れるものはね、ふでばこ!ノート!あとはお菓子かな?」と顔をクシャッとさせて笑う真弥くんは、ヤンチャ4人兄弟の3番目。洋服はお兄ちゃんのお下がりが多いけど、ランドセルだけはピッカピカだ。6年前のあのとき、母・真貴さん(35)は定期検診へ。いつもは車で行っていたが、あの日だけは運動のために歩いていた。真貴さんが振り返る。 「地震の後、真弥の兄たちがいる海沿いの家に走っていました。でも、不通だった携帯が鳴り、夫から“高台にいろ”と。車だったら、この子もろとも津波に流されていたかもしれません」 避難所で産気づき生まれた真弥くんが小学生に!そんな真弥くんからママにプレゼント。「この前、真弥からお兄ちゃんに代筆してもらった手紙をもらいました。“津波のときに守ってくれてありがとう”と書いていたんです」(真貴さん)。 ■大町云櫻くん(’11年3月11日16時04分・宮城県仙台市生まれ) 「オレ、小学校に上がるの嫌だな。だって先生怖そうだもん」と、少し不安顔の云櫻(いっさ)くん。だけど、新しいランドセルを背負うとうれしそうに駆けだした。 「分娩室で大きな揺れがきたときは“もう産むのやめる!”と叫んでいました。あの震災では友人を亡くしたし、そのあとも、物資不足や放射能など不安だらけ。今でも雪が降ると思い出してしまいます。でも“いっくん”の笑顔に支えられてきました」と母・左嘉絵さん(40)。お肉が大好きで「お肉以外で、好きなのはステーキと焼き肉!」と……、そんなおちゃめな云櫻くんの言動が、家族を笑顔にしてくれている。自動車が大好きで、見ただけで、メーカーと車種名まで答えられる。 「いっくんは、地震の日に生まれたことを知っているようで、“オレが生まれたときに、いっぱい人が死んだんでしょう”と話していました。だから、優しくて、人の気持ちがわかる人になろうねと話しました」(左嘉絵さん) 春にはピカピカの1年生の元気な声が、被災地から聞こえてくる。
2017年03月11日「めっちゃモテてますよ!なんて、言ってみたいなあ(笑)。実際は全然です。最近は街中で、『あ、御嶽海だ』なんて言われることもありますけど、モテはしないですね。バレンタインもちょっとは期待してたんですけど……、結局チョコは6個だけ。やっぱ俺はモテないんだと、ガックリきましたね」 期待の若手として注目度急上昇中の御嶽海(24・出羽海)だが、陽気な性格とトーク力の高さでも知られている。 「気分転換はカラオケです。よく歌うのは玉置浩二さん。ちょっと古めですけどね。好みの女性は、目がぱっちりしてて鼻筋がすーっと通ってて、そういうはっきりした顔立ちですね」 場所直前、軽快なトークとは裏腹に、ハートはメラメラと燃えている。 「やっぱり気合が入りますよ、三役は。初日から横綱や大関と対戦すると思うんですが、相手も序盤はまだ探り探りくるはず。そこがカギですよね」 一月場所は二つの金星を含む11勝を挙げ、技能賞を獲得。三月場所は昨年の十一月場所以来、2度めの小結として迎える。 「金星はめっちゃ嬉しいですよ。座布団が舞うあの瞬間。テレビでしか見たことなかったのがナマですからね。それに、座布団が飛ぶのは結びの一番だけでしょ。それを2回(日馬富士戦、鶴竜戦)もやれた。なかなかない経験ですよね」 一月場所では、二日目から3日連続で横綱戦、結びの一番に登場した。平幕力士の3日連続の結びは異例であり、協会の期待の大きさの証明ともいえる。 「あれで3連敗してたら、『なんだアイツは』ってなっちゃうからね。でも、白鵬関はそんな簡単に勝たせてくれなかった。3回とも、全部立合いが違いますから。さすが大横綱です」 世代交代が進むなかでも中心的存在。ほかにもホープと期待される正代(25)、遠藤(26)、北勝富士(24)、宇良(24)、大翔丸(25)は、いずれも大学出身。現在42人いる幕内力士のうち大学出身は10人で、モンゴル出身力士(10人)に並ぶ一大勢力となっている。 「やっぱり気になる存在ですよ。学生時代から対戦してきたし、番付では自分のほうが上にいたいという気持ちは強くなりますね。世代交代といわれてますが、当然自分たちも、『次は俺たちの時代だ』という気持ちはあります。『大学出てるくせに……』と周囲から言われないように、話し方や言葉遣いを気をつけるようにはしています」 (週刊FLASH 2017年3月21日号)
2017年03月11日’11年3月11日。東日本大震災を境に、東北の人々の生活は大きく変わった。厚生労働省の調査によれば、’15年9月の時点で、ひとり親になった18歳未満の子ども(震災遺児)は1,538人。そして両親ともに失った子ども(震災孤児)は244人。あしなが育英会東北事務所の富樫康生さんはこう語る。 「“親族里親”というのですが、震災で両親を失った児童のほとんどが祖父母や親のきょうだいに引き取られました。環境の変化に戸惑う子どもたちもいます。祖父母が引き取った場合、年々高齢になる保護者が、思春期を迎える子どもをどう育てていくかということも課題になっています」 仙台市で生まれ育ち、岩手県陸前高田市の祖父母宅に引き取られた熊谷海音さん(13)も、大きな環境の変化にさらされた。小学1年生で被災し、両親と姉の家族全員を失ったのだ。しかし海音さんは歌が上手で、小学生時代は復興支援イベントで独唱するなど大活躍。 その姿はテレビ番組でも取り上げられ、「涙を見せない」「弱音を吐かない」「元気で明るい」と、評判だった。それでも祖母の熊谷隆子さん(76)には心配がある。 「海音はいまでも1人では2階の自分の部屋へ行けないんです。1人でいると津波を思い出して怖くなるって……。だからいつも居間で、私と2人で寝るんです」(隆子さん) 昨年、祖父の廉さんが75歳で他界。海音さんは、隆子さんと2人暮らしになった。 「おじいちゃんが亡くなったときはショックだったみたいです。ただ同じころに、作文コンクールで入選して、ハワイに行くことになって……」(隆子さん) 震災で大切な人を失った18歳以下の子どもたちが対象のコンテストで、海音さんは《(仙台の)友達とずっと仲良しでいられるように》と、書いた。いつもは涙を見せない海音さんだが、長期休みのたびに会いに行く仙台の友達と別れて、帰るときだけは必ず泣いてしまう。 《「またすぐ会えるから」とメールがくるたびドキッとする。もう会えなくなってしまわないかと、不安になるから》 まだ13歳なのに大切な人との別れを何度も経験した海音さん。明るい笑顔の根っこに消えない悲しみの種がある。昨年3月、2泊3日のハワイ旅行で海音さんは、新しい目標をつかんで帰ってきた。《高校で留学する》。自分でそう書いた目標の紙を、居間の壁に貼っている。 海音さんは、記者の目をしっかりと見て、「オーストリアに行って、歌の勉強をしたいの」と、夢を語ってくれた。 海音さんと同じ陸前高田市立第一中学校に通う及川佳紀くん(15)、晴翔くん(13)は、震災直後から本誌が見守ってきた兄弟だ。白砂青松の名勝「高田松原」で知られた陸前高田市も大津波で大きな被害を受けた。黒い壁となって襲いかかった津波は、自宅にいた兄弟の両親をのみ込んだ。 母方の祖父母に引き取られた及川兄弟は仮設住宅で暮らしていたが、今回、現地を訪ねてみると、昨年7月から入居が始まった県営災害公営住宅に引っ越したことがわかった。 持病が悪化し、避難直後から入院していた祖父は、2年前に亡くなっていた。いまでは祖母・村上五百子さん(74)と兄弟の3人暮らし。仏壇にほほ笑む両親の遺影が飾られていた。大切な行事がある日の朝は、佳紀くんも晴翔くんも、両親に手を合わせてから出かけるそうだ。県立高校の入学試験を間近に控えた佳紀くんは高校受験真っただ中。 「私の前では、兄弟げんかもしないんですよね。おなかがすいたら、兄弟で食事を作って食べていることも。特に佳紀はなんでも作れる。シチューや唐揚げはおいしいですよ。私が教えたわけではないんですけど」(五百子さん) 給食のない日も、「ばあちゃん。休んでていいぞ。俺が作るよ」と、自分でお弁当を作って、中学校のサッカー部の練習や試合に行く。勉強の合間に飲み物を取りにきた佳紀くんに1つだけ質問した。 「将来の夢ですか?自動車関係の仕事につくことです。車の免許を早く取りたいです」(佳紀くん) 車があれば祖母の買い物も楽になる。そんなことを考えていそうな表情だった。
2017年03月11日日差しがさんさんと降りそそぐ宮下家のリビングルームに一歩入ると、何枚もの女性の写真が出迎えてくれた。写真のところどころに傷がある。変色している箇所もある。どれも東日本大震災の津波に流されたものだった。記者の脳裏に、6年前の光景がよみがえった。 「あっ、お母さんの写真があったぁ。これもお母さんだ!」 「これ、私のアルバム!ほら、お母さんがいる!」 それは大震災から4週間後のこと。宮城県名取市立閖上小学校の体育館には、がれき撤去の際に掘り起こされた流出品が集められていた。被災者たちが黙々と、思い出の品を探すなか、当時12歳だった宮下奈々さんと9歳の奈月さん姉妹が小さな声を上げていたのだ。写真についた泥を小さな手で拭い、写っていた母の顔をそっとなでる。ぬれてヨレヨレになったアルバムも破れないよう丁寧にめくっていた。姉妹の母・久実さん(享年38)は、いつも笑顔だった。 あのとき見つけた家族写真が、いまもリビングのあちらこちらに飾られている。仏壇の遺影のなかから、家族が集まるこたつを囲むローボードの上から、久実さんは変わらず優しくほほ笑んでいた。 長女の奈々さんは18歳になった。ふっくらした頬はツヤツヤで、笑うときは大きな口を開けて白い歯を見せる。相手を和ませる笑顔が素敵な少女だ。 「いまは宮城県農業高校の3年生です。4月から仙台医健専門学校に新設される『こども保育科』の一期生です」(奈々さん・以下同) ハキハキと話す奈々さんの成長ぶりがまぶしい。12歳のころは、一緒に暮らす祖母・ヨシ子さん(73)の顔色をうかがうように、取材に答えていたというのに。 「ずっと保育士になる夢は持っていました。私、一度決めたら“揺らがない人”なんで」 そんな孫娘をヨシ子さんも頼もしそうに見つめていた。’11年3月11日。この日を境に、東北の人々の生活は大きく変わった。厚生労働省の調査によれば、’15年9月の時点で、ひとり親になった18歳未満の子ども(震災遺児)は1,538人。そして両親ともに失った子ども(震災孤児)は244人。 奈々さんは3人きょうだいで、兄の直人さん(20)は東京の専門学校2年生。一人暮らしをしながら、ゲームクリエーターになるために勉強している。中学3年生の妹の奈月さんは4月から、仙台の高校で「クリエイティブ声優コース」に通って、声優を目指す。シングルマザーだった母を亡くした宮下家の子どもたちも、それぞれの春を迎えようとしていた。 6年たっても、いまだ久実さんは見つかっていない。閖上小学校では毎年、卒業する子どもに宛てて、親から手紙を送ることになっていた。あの年、卒業を控えた奈々さんのために、久実さんも手紙を書いていたという。 「『家事とか、どんなことでもいろいろこなせる素敵な人になってください』って、お母さんが書いてくれたんです。それが、いちばんの宝物かな」 奈々さんの専門学校は3年制。3年後、彼女はどんな保育士になるのだろう。 「私の幼稚園のときの先生みたいに明るくて、優しい先生になりたいな。保護者にも信頼されたいな」 夢は大きく広がっていく。未来へと−−。
2017年03月11日最近、女性芸人がなんだか変わってきている。筆者はテレビを見ながら、そんなことを感じるのです。 たとえばバブル芸でブレイクした平野ノラさん(38)は「実は美人!」「化粧次第では可愛い」なんてもてはやされるように。先日もテレビで公開プロポーズを受け、話題になっていました。もちろん彼女が悪いなんて言いません。むしろ彼女をはじめとする最近ブレイクした若手女性芸人を見ていると、一昔前に言われていた“女性芸人のタブー”をさらりと超えているように思うのです。 ■一昔前にあった「女性芸人のタブー」とは 女性芸人が売れるために必要なこと。それは一昔前であれば「ブスかデブかモテない」のどれか1つを持ち合わせていることだったのではないでしょうか。容姿が優れた女性芸人は、それだけで売れるのが難しいとまでいわれていた気がします。女を捨てていたかは別として、多くの女性芸人がこの要素をキャラクターの1つとして活動していたのは皆さんも感じることでしょう。 そんな女性芸人にいわれていたタブーとは「結婚したら面白くなくなる」というもの。実際に女性芸人が結婚すると、なぜかテレビで見なくなるなんて現象が発生していました。しかし最近の若手女性芸人を見ると、どうも空気が変わったなと思うのです。 先ほどご相談した平野ノラさんはわかりやすい例ですが、横澤夏子さん(26)も以前より婚活をしていることを公言。現在おつきあいしている“ダイキ君”なる恋人の存在もほのめかし、結婚も前向きに考えている様子です。 また今年に入ってブレイクしたブルゾンちえみさん(26)は女性芸人が打ち出す「モテない感」を一切取り入れていません。アメリカのキャリアウーマンさながらのいでたちで恋愛論を説く芸が人気を博しているのです。先日の「R-1ぐらんぷり」では悔し涙を流すシーンが放送され、「なんだかいい女に見えてきた」なんて評判を集めるほどです。 そしてこれって、よくよく考えると一昔前では考えられないタイプの女性芸人たちではないかなと思うんです。 ■そもそも“女を捨てる芸”はもう時代遅れ 一昔前は「女を全面に打ち出すと笑えない」といわれ、いかに体を張れるかが試されていた女性芸人たちの芸風。しかしテレビを見れば今や女性に限らず、男性芸人にしても体を張る機会が減っているのかもしれません。 もちろん現在も『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)など、芸人がバンバン体を張っていくタイプの番組もあります。しかしバラエティ番組の多くはトークやクイズが中心のものとなり、体を張ることより“いかに面白いコメントを出せるか”が芸人にとって大事になってきています。 それを世の中的には「テレビが面白くなくなった」というのかもしれません。しかしこういったテレビ番組のトレンドの中で、女性芸人の需要もまた変わってきているのかもしれません。 ■女芸人はいくらでも展開可能な職種へ 彼女たちは今後どのようなキャリアを歩むのか。それを考える上で注目したいのは、ここ数年で女性芸人のキャリアの幅がかなり広くなっているということ。 たとえば芸人ではなくタレント的な立ち位置でMCやコメンテーターとして活躍する女性芸人がいたり(例:松嶋尚美さん)、SNSを活動の中心としてブログタレントとして活動する人がいたり(例:くわばたりえさん)、地元で芸人活動を行う人がいるなど(例:山田花子さん)、活動のパターンはさまざまです。 一時期に求められていた女芸人としての過激さのようなものは必要なく、子育てと芸人活動は両立できる。彼女たちの活動をみれば、皆さんもそう思うのではないでしょうか。 男女平等がうたわれ、テレビ番組のあり方が時代とともに変わっていく。そしてウケる女芸人のモデルも変わっていった。その結果として女性芸人の生き方に多様性がうまれ、現在ブレイクする若手女性芸人にもその流れが浸透してきているのかもしれません。 女だから男だからとくくるのは好きではありませんが、芸という部分ではどうしても性差が関係してしまうもの。彼女たちが今後どのような芸人になり、そしてどのような女性芸人が誕生していくのか。それは時代の色を多少なりとも受けているのかもしれません。
2017年03月10日「環境省は信じられません!『除染が終わりました』という通知が届いたので戻ってみたら、線量計の警報音がピーピー鳴ります。そんなところに孫を連れて帰れません」(上田ミチさん・仮名/67歳・都内に避難中)「自宅の寝室は、毎時0.5マイクロシーベルトあります。ここで寝ていたら年間2ミリシーベルトの被ばくです。夫は原発事故のせいでうつ病と認知症を発症し、『浪江に帰りたい』と言いながら避難先で亡くなりました。彼とふたりで必死に建てた家だから月に一度は自宅を掃除しに帰っていますが、いくら安全だからと言われても年間1ミリシーベルト(※)になるまでは戻れません」(門馬昌子さん/74歳・都内に避難中) 除染をしてもまた線量が上がってくる 2月初旬、東京都内で開かれた浪江町民を対象とする避難指示解除に関する住民懇談会の場で、こうした悲痛な叫びが響き渡った。懇談会場の前方には、環境省や内閣府の官僚たちがズラリと並んでいたが、住民が懸命に話している間にも、うすら笑いを浮かべる者もいた。別の日に同じく都内で開かれた富岡町民に対する懇談会でも、神奈川県に避難中の佐藤信行さん(65)は、官僚らに、こう疑問を投げかけた。 「除染しても時間が経つとまた線量が上がっています。そんな場所で、どうして生活できるのですか?」 しかし、環境省の担当者は、「現地を見てみないとわからないので、個別に対応します」と木で鼻をくくったような返答に終始。住民からは、ためいきまじりの失笑がもれた。浪江町と富岡町は、福島第一原発から20キロ圏内に位置。両町合わせて2万人近い町民が、今も日本各地に避難中だ。福島第一原発事故から6年。政府は「年間被ばく量が20ミリシーベルトを下回った(※)」として一部の帰還困難区域を除き、浪江町、飯舘村、川俣町山木屋地区の避難指示を3月末に、富岡町は4月1日に解除すると決定した。 除染費用を2.5億から4億に引き上げた それでも、冒頭のように解除に反対する住民は少なくない。復興庁の住民意向調査でも、「避難指示が解除されたらすぐに、あるいはいずれ戻りたい」と回答したのは浪江町で17・5%、富岡町で16%。理由は、病院やスーパーなど、生活のためのインフラが整っていないこともあるが、「除染しても、安心して暮らせるほど線量が下がらない」ことも大きな要因だ。除染に詳しく、原発事故後は各地の汚染状況を測定し続けている「特定避難勧奨地域の会」の小澤洋一氏は、環境省のデタラメ除染についてこう語る。 「環境省の除染基準にそもそも問題があります。長期的に年間1ミリシーベルト(毎時0.23マイクロシーベルト)を除染の長期目標にしていますが、時期をはっきり区切っていないので、その目標にはまだ程遠い場所が多い。それどころか、ところどころにもっと高いホットスポットが点在します」 それなのに政府は昨年末、除染にこれまでかかった費用の試算を、2.5兆円から4兆円に引き上げた。これから始まる帰還困難区域の除染には、さらに税金300億円が投入される。それにもかかわらず線量がさがっていないなら大問題だ。本誌取材班は2月末、小澤氏とともに浪江町と富岡町を訪れ、除染の実態を検証した。 線量計も持たないで作業をする業者も 本誌取材班が最初に訪れたのは、富岡町の佐藤さん宅。佐藤さん宅は“夜ノ森の桜”で有名な桜並木の近くにあり、4月1日に避難指示が解除される“居住制限区域”に指定されている。しかし、道一本隔てると、避難解除のメドも立っていない“帰還困難区域”。今でも境界の道路には、「立ち入り禁止」のバリケードが建てられている。 「帰還困難区域と線量も変わらないのに、なぜうちは、早々に避難指示が解除されるんでしょうか」 佐藤さんが以前、富岡町役場に質問したところ、こんな答えが返ってきたという。 「当初、あなたの住所は“帰宅困難区域”に該当していたが、富岡町としては有名な桜通りを少しでも残したいので、あなたのエリアを“居住制限区域”にしました。それに富岡町は、線量・汚染の基準を超える場所が点在していて、それを全部“帰宅困難区域”にしたら、冨岡町は復興が困難になってしまう」 佐藤さんは「除染したって住める環境ではないのに」と憤る。佐藤さん宅の庭を測定すると、地表から1メートル高で平均毎時0.5~1マイクロシーベルト。毎時約0.6マイクロシーベルト以上という“放射線管理区域”に相当する値だ。 「放射線管理区域では、18歳以下の就労は禁止。成人でも10時間以上の滞在は禁止。飲食も禁止、と法令で定められているんです」(前出・小澤氏) 立ち入りを制限される線量が見られたが、さらに測定を続けると家の裏手の物置付近では、地表面で毎時3.23マイクロシーベルト、門のコンクリートブロック周辺では、毎時1マイクロシーベルトなどホットスポットが放置されていることがわかった。 「除染の下請け業者によっては線量計も持たずに作業をしているところもあります。彼らは下がろうが下がるまいがお構いなしなんです」 効果を確認しないまま作業を終えることもあるというずさんさ。結果、高線量の汚染が放置されている。さらに取材班が、佐藤さん宅の庭の測定を続けていると、小澤さんが異変を発見した。 →中編へ続く 取材・文/和田秀子(※)1ミリシーベルトICRP(国際放射線防護委員会)が勧告している平常時の一般人の年間追加被ばく線量限度は1ミリシーベルト。原発事故などがあった際の“緊急時”は、20ミリから100ミリの間で設定するよう勧告を出している。政府は、これに基づいて避難指示解除の目安を、年間20ミリシーベルトを下回った地域と設定している。ただし、原発事故から6年たったいまも“緊急時”かどうか政府はあいまいにしている。
2017年03月10日「年間被ばく線量が※20ミリシーベルトを下回った」として、今年3月末に政府が避難指示を解除する福島県双葉郡浪江町。政府はこれまで、除染に4兆円注ぎ込んでいるが、いくら除染をしても「安心して住める」環境ではないことが本誌の取材で明らかになった。浪江町から東京都に避難中の門馬昌子さん(74)に現状を聞いた。 「夫は、ほとんど病気もしたことがない元気な人でした。60歳で定年退職して、それからは大好きな囲碁をしたり。区の会計係を引き受けたり……。原発事故さえなければ、あんなに早死にしなくてすんだはず」 そう話すのは、福島県双葉郡浪江町から東京都内に避難中の門馬昌子さん(74)。門馬さんの自宅がある浪江町は、原発から20キロ圏内に位置。現在は、「避難指示解除準備区域」となっているが、原発事故直後は高濃度の放射性物質が降り注いだ場所のひとつだ。 「事故直後に、夫とふたりで娘が住む東京に避難しました。けど、ほっとしたのも束の間。夫は避難して1年くらいしてうつ病になって。そのうえ認知症も発症してしまって……」 門馬さんの介護のかいもなく、夫の洋さんは避難してから3年後に、風邪から肺炎をこじらせ帰らぬ人となってしまった。70歳だった。門馬さん夫妻は、共に高校の教師だった。夫の洋さんは数学を、昌子さんは英語を教えていた。若いころから、ともに地域で脱原発活動も続けてきたという。 「毎月、東電との交渉に参加してね。夫はチェルノブイリ原発事故のあと、現地に視察にも行ったんですよ。だから、よけい悔しかったんだと思います。原発事故を止められなかったことと、原発事故によって、みずからも故郷を奪われてしまったことが……」 門馬さんは、そういって悔しさをにじませる。本誌取材班は2月下旬、そんな門馬さんとともに、最新の放射線量を測定するために浪江町の自宅を訪れた。自宅2階の書斎には、きれいに整理された亡き夫の机や本棚が。 「去年の秋に測ったときより、少しは下がったかな……」 門馬さんは、そう言いながら、みずから測定器を持ち、室内の放射線量を確かめていく。 「室内は除染してくれないから、自分で業者に依頼して、壁紙の張り替えなど、すべて張り替えてもらったんです」 その成果が出ているのか。2階の寝室や居間では、1メートル高で毎時0.23マイクロシーベルト前後と、環境省が「長期的に目指す」としている年間1ミリシーベルトの値に近づきつつあった。しかし、線量計を天井に近づけると、毎時0.3マイクロシーベルトに上昇。除染の際、屋根を高圧洗浄機で洗うのだが、それだけでは、屋根に付着した放射性物質がとれないのだ。除染されていない近隣の山から、ふたたび放射性微粒子が飛んできて屋根に付着すれば、今後また室内の放射線量が高くなることも考えられる。門馬さんの庭に目を向けると、端のほうに一本だけ残った柿の木があった。 「除染で全部木が切られちゃったけど、この木は残してもらったの。娘が生まれたときに記念に植えた木だから、どうしても切れなくて。毎年、秋になると立派な実をつけるけど、事故後は食べていません。柿は放射性物質を取り込みやすいから」 そう言って門馬さんは、しみじみと柿の木を見上げた。柿の木が植わっているすぐそばの地面には、春の訪れを告げるふきのとうが、いくつも顔を出している。 「かわいらしいでしょ。これ、おいしいのよね。でも、このあたりの山菜は、もう食べられない」 柿と同じく、山菜も放射性物質を取り込みやすいのだ。別稿のように、この庭土を測ってみたところ、覆土された0~5センチの土からは、覆土基準である400ベクレル/kgの8倍にあたる3385ベクレル/kgの放射性セシウムが。さらに5~10センチの深さの土を採取して測定すると、国が厳重に保管せねばならない“指定廃棄物”に該当する基準8000ベクレル/ kgを越える8400ベクレル/ kgの放射性セシウムが検出された。 「“指定廃棄物レベル”の土が残ってるんですか!やっぱり、この庭に植わっている柿の実も、ふきのとうも食べられませんね。ここでは暮らせません。ご近所の人も戻ってこないし、私ひとりだけ戻ったら、夫のようにうつになってしまう」 門馬さんは、ひとりで暮らす東京のマンションのベランダに小さな菜園をつくり、ふきのとうを植えている。 「私たちは、自然豊かで人情の厚い浪江町を、好きで出たのではないんです。東京電力と国が起こした事故によって、追い出されて今の状態があるんです」 しかし、避難指示解除から1年後の来春には、東京電力が支払っている精神的賠償金(ひとり月10万円)も打ち切られる。 「そうなったら、私ひとりの年金だけで、いつまで東京の家賃が支払えるか……」 今年の3月末で、政府が避難指示を出さなかった地域から避難している、いわゆる“自主避難者”への住宅支援が打ち切られる。元の自宅には戻れず、次の住居が決まっていない避難者も多い。「自主避難者の方たちは、いま大変な思いをしているでしょ。避難指示が解除されたら、私たちも“自主避難者”です。避難指示が解除されたのに、『いつまで避難してるの?』っていう白い目で見られてしまう。除染したって、まだ戻れる状況じゃないんだから、せめて住宅補償は継続してほしい」と不安を隠せない。 一度失われた豊かな暮らしは、除染で取り戻せるわけではないのだ。 取材・文/和田秀子
2017年03月10日基準値越えの覆土を使用!? 「除染がすんだ場所は、地表1メートル高より、地表面のほうが、線量が低くなる傾向にあるんですが、ここは地表面のほうが高い。周辺に残っている高線量汚染地帯から、新たに汚染物質が飛んできて汚染されたか、覆土用の土自体が汚染されていた可能性もあります。いずれにしてもずさんな除染があった証拠です」 覆土用に使われた土の汚染具合を調べるために本誌取材班は、佐藤さん宅の庭3カ所から、表土5センチ部分の覆土された土を採取。土壌中に含まれている放射性物質の量を調べたところ、すべての土から覆土基準(400Bq/kg)の倍を超える1100~1700ベクレル/kgもの放射性セシウムが検出された。 「除染した後にこれだけ覆土用の土から高い汚染が確認されたとなると、やはり汚染されている土が覆土されている可能性が高いですね。しかし、土壌の問題は覆土の問題だけではなく、環境省の除染のやり方にも問題があるんです」(小澤さん) 指定廃棄物8000ベクレル/kgを越える土が庭に 小澤さんは環境省が除染の際、「表土5センチの剥ぎ取り」を推奨しているがそれが間違いだという。 「事故後すぐは問題ないのですが、時間がたつにつれて放射性物質が地中深く沈んでいきます。だから、上の5センチだけを剥ぎとっても意味がありません」 冒頭で「安全だと言われても、戻れません」と訴えていた浪江町の門馬さん宅の花壇で、0~5センチの覆土を測ってみると、覆土基準の8倍にあたる3385ベクレル/kgの数値が検出された。さらに5~10センチの深さの土を採取して測定すると、国が厳重に保管せねばならない“指定廃棄物”に該当する基準8000ベクレル/ kgを越える8400ベクレル/ kgの放射性セシウムが検出されたのだ。事故後、飯舘村などで除染実験を続けている京都精華大学名誉教授の山田国廣氏もこう語る。 「一律で表土5センチ剥げばいいという環境省のやり方は乱暴。1センチずつ確かめながら土を剥ぐべき。手間はかかるが、費用は変わらない」 また小澤氏も汚染土のある土地で暮らす危険性を、こう指摘する。 「もし、ここで暮らせば、庭に花や野菜を植えたりすることもあるでしょう。少し掘っただけで、指定廃棄物なみの汚染土が出てくるようでは、安心して庭いじりもできません。汚染された土ぼこりを吸い込んだり、根っ子から放射性物質を吸い上げた野菜を食べたりする可能性もあります」 今回、明らかになったずさんな除染で、特に問題視された土の扱い。覆土についてきちんと測定しているか、産地は把握しているか、5センチまでの剥ぎ取りで問題ないかなどを環境省に聞くと、以下のような回答が。 「5センチ剥ぎ取りついては除染前後で線量を測りながら効果を確認しています。モニタリング結果では、除染の効果は保たれています。覆土については、搬入する前に測定しています」 しかし土の産地については「環境省では把握していない」とのことだった。そこで、土をどこから持ってきているのか、福島県内で除染に関わる採石業者に聞いてみた。 「ほとんど福島県内から運んできているはずです。富岡や浪江で使う覆土だったら、遠くても南相馬あたりの山が多いのでは」 汚染されている場所の近場から採取しているのなら、採ってきた土が汚染されている可能性はないのか。 「山の表面ではなく、中心部の汚染されてない土を切り出しています。最初だけ土のサンプルを測定し、基準値以下であるという証明書を付けて出荷しているので汚染の可能性はありません」(採石業者) 環境省も除染の採石業者も覆土の汚染についてはきちんと精査していると主張する。しかし、基準から大きくかけ離れた汚染の数値が検出されている以上、見直すべきところは見直すべきではないか。前出の山田氏は、こう指摘する。 「除染の覆土用に山から持ってくる土は、目が粗いものが多いので、雨などが降ると地中に放射性物質が浸透しやすい。ですから、中心部からとっても覆土は汚染されていた可能性があります」 除染が終わっていないのに報告書を送りつける 環境省のデタラメぶりは、除染の方法だけではない。浪江町の上田ミチさんと夫の隆さん(67)夫妻の自宅の除染が終了したと言われたのは昨年4月。隆さんは、「せめて自分のうちの除染状況くらい知りたいから、除染するときは連絡してほしい」と、事前に環境省に伝えていたが、「結局、連絡もないまま除染が終わっていた」という。その後、隆さんは避難先から頻繁に自宅に戻り、放射線量を測定すると、ピーピーと線量計の警報音が鳴る場所が。 「除染したはずなのに、玄関横の洗い場コンクリート表面で、毎時3マイクロシーベルトを超えていました」(隆さん) 隆さんが環境省に「まだ高いところがある」と連絡を入れると、「下がるまでやります」との回答があった。 「自宅に戻るたび線量を測っていたけど、一向に下がってないから、やりなおしてないんだなと思って待ってたんだ。そしたら昨年の10月末に、『除染は終わりました』って、“除染結果報告書”が届いてね。下がるまでやります、って言ってたのに……」 記者が上田さん宅を測定に訪れた際、玄関横の洗い場のコンクリート部分に線量計を近づけると、地表面で依然、毎時2.5マイクロシーベルトを計測。門付近の側溝周辺などでも、同様に高い数値の場所が見つかった。 高汚染地域は、町中にも 除染の効果が得られていないのは宅地だけではない。常磐線の浪江駅前でも、地表1メートル高で、毎時2マイクロシーベルトを超える場所が点在していた。また、近くに汚染がれき等の焼却施設がある富岡町の復興拠点周辺でも、アパートの玄関前の地表面で、毎時5マイクロシーベルト超え。こうした場所に住民を戻して、健康被害が生じた場合は、誰が、どう責任をとるのか。住民懇談会で中心になって説明を担った原子力災害現地対策本部、住民支援チーム本部長の後藤収氏に、懇談会終了後に尋ねてみた。するとこんな言葉が――。 「健康被害は起きないと思いますよ。もし起きたら、そのときに考えます」 今回の測定結果を聞いた住民はこう語る。 「やはり、孫を連れては戻れません。自宅は解体することにしました」(上田さん)「基準の8倍なんて。やはりここには住めません。でも、避難指示が解除されたら賠償は打ち切られる。避難先の家賃をどうやって払い続けたらいいのか」(門馬さん)「安全だというなら、国は明確な根拠を示し、万が一のことがあった場合の補償を確立してほしい」(佐藤さん) 除染に希望を持っていた住民は多かったはずだが、ずさんな除染の顛末は、住民に失望だけを与えている。 →後編へ続く 取材・文/和田秀子
2017年03月10日写真はMANSION GLOBALのスクリーンショットです ドナルド・トランプが大統領に就任してから約2カ月。ホワイトハウスに居を構えるまで、大統領一家がメインの住居としていたニューヨークのトランプ・タワーは、過剰なまでに厳戒な警備が敷かれたり、反トランプ派のデモ隊が集まったりと益々注目を浴びている。そんなトランプ・タワーのアパートメントの一室に、トランプ大統領誕生後、初めての空き室が出た。 階数は不明だが、写真では窓の外に建物が写り込んでいるため、それほど高層階ではないようだ。間取りは1LDKで、気になるお値段は219万ドル(約2億5200万円)だ。不動産情報サイト「MANSION GLOBAL」によると、売り主はジュリア・コーガンという女性。ウクライナのオデッサに本社を置く海運大手カールバイ・グループの共同創業者ボリス・コーガンの家族とみられる。 カールバイは、主にロシアの武器や軍装備を世界各国に運搬している。一般貨物やロケットも扱っており、顧客には、米海軍やNASAも含まれるという。ボリス・コーガンはロシア国営の産業コーンソーシアムが出資する「RT Logistika」という企業の取締役も務めており、彼の同僚にはロシアの軍当局者の大物が名を連ねている。中には、プーチン大統領の側近も含まれているという。 ちなみに、ジュリア・コーガンが2012年にこの部屋を購入したときの価格は195万ドル(2億2500万円)だったそうだ。
2017年03月10日乳がん闘病中のフリーアナウンサー・小林麻央(34)が10日、自身のブログを更新。「生きかえりスイッチが入ります」とバナナジュースを飲んだことを明かした。 『ゆったり』というタイトルで投稿された記事で、「こんにちは。バナナジュースが飲みたくなり、豆乳と少し蜂蜜を入れて、ほんのり甘く、生きかえりスイッチが入ります」とコップを口元にあてた自撮りをアップ。 つづけて「あたたかい晴れ。昨日まで色々したので、今日は1日、ゆったり生きます。皆さんはどんな1日でしょうか」と読者に問いかけた。 ふんわりしたボブスタイルだった麻央に、読者からは「ヘアスタイル変えました?」「柔らかい雰囲気で似合ってる」「元気そうでよかったです」とコメントが寄せられている。
2017年03月10日歌手で俳優の星野源(36)が10日放送の日本テレビ系『スッキリ!!』にVTR出演し、初めて交際した女性と別れる際に言われた衝撃的なエピソードを語った。 星野は「20歳くらいのときに、初めてしっかりと付き合った方がいたんです」と過去の恋愛を告白。1年半くらい交際したそうだが、「お互いにそういう感じもなくなり、熱が下がってきた」と別れを決意したという。 星野が別れ話を切り出すと、相手の女性は「別れたくない」と号泣し、「私、先週○○さんとキスしたけど、まだ源くんのことが好きだよ!」と衝撃の発言をしたという。 星野は「え、それで引き留められると思ったの?めちゃくちゃ浮気してるじゃん!」と驚いたと苦笑い。最後はしっかり星野から「別れましょう」と言って交際を終えたと語った。
2017年03月10日「新聞記者と食事をした3月1日夜、家に戻ったら亡くなったという連絡がありました」 そう語るのは、ムッシュかまやつさん(享年78)の所属事務所ケイダッッシュの川村龍夫会長。 昨年9月に肝臓がんを告白。闘病生活を送ってきたかまやつさん。昨年10月末に退院すると通院での治療を続けていたが、身を寄せたのは自宅ではなく、いとこの森山良子(69)宅。理由を川村会長はこう説明した。 「かまやつさんの奥さんもがんを患い、入院生活を送っていたんです。それで昔から気の合う、森山さんが声をかけてくれた。彼女もいまは独り身で、『ウチは広いし、家に戻って不自由な生活をするくらいなら、あなた、ウチへいらっしゃい』とね」 最後までギターを手放さなかったかまやつさんは、森山家でも“ライブ”さながらに歌い、快適に過ごしたようだ。 「ボクは金には縁がない。女性にも縁がない。残るは食事で、これだけは手放せない」 と公言してきたかまやつさん。行きつけは東京・港区のイタリアンレストランだった。 「“ボクはここの看板ボーイ”と自称するほど、玄関横の“指定席”に居続けでした。芸能界では“ムッシュに会いたければ、あの店へ行け”と言われていたくらい」 食事面でも森山には面倒をかけずに世話になっていたようだ。
2017年03月10日「ホストクラブに興味はあるけど、行く勇気はない」という女性たち向けに、東京観光の老舗・はとバスが「今宵の貴方はシンデレラ」なる女性限定のホストクラブ体験ツアーを開催していると聞き、本誌読者2人が参加してみた! 17時過ぎに東京駅のはとバス乗り場を出発し、「ホテルグランドパレス」でビュッフェスタイルの夕飯を。食事を終えてバスへ戻る途中、ロビーでホストたちがお出迎え。 「どうぞこちらへ」と誘われるままバスに乗り込むと、女性たちのざわめきの中、ホストらが自己紹介を始める。水嶋ヒロ似のイケメン・水嶋恋くんの笑顔に早くもドキッ。秋田の農家出身という素朴な蒼紫くんにキュン。 たどり着いたのは、新宿・歌舞伎町のホストクラブ「RMG TOKYO」。暗めの照明にアップテンポな音楽が鳴り響いている。席に着くと、2人のホストが両脇につく。乾杯して、休みの日の過ごし方など何げない会話で和気あいあい。ホストってもっと気取っていると思ったけど、意外と気さくで話しやすい! やがてシャンパンが室内中央に運ばれ、その周りにホスト全員が総立ちに。シャンパンコールの始まりだ。シャンパンコールとは、シャンパンを注文した女性に向けホストがパフォーマンスを行うもので、はとバスのツアーでは、もれなく見ることができる。 「ぽぽぽっぽ〜〜〜」というはとバスオリジナルコールにのって、約20人のホストが踊りだす姿にしばしあっけに取られるも、スマホで撮影を始める読者2人。約1時間のホストクラブ体験に、「こんなに若い男のコと話したら、女性ホルモン出てお肌の調子がよくなりそう」とご満悦だ。 くれぐれもハマりすぎないようご注意を!
2017年03月10日Instagramを中心に話題沸騰中のイラストレーター・横峰沙弥香さん。2015年に産まれた愛息「まめちゃん」の爆笑成長記録を、ほっこりするイラストとともに本誌で連載! 先週は私、出張でNYへ行ってまいりました。息子と私はほとんど離れたことがなく、基本的に打ち合わせなどの現場には息子同伴。(昨年のパリ出張ですら息子を同行させたほどです)。 そんな私たちがいきなり5日間も離れて過ごすなんてハードルの高すぎるミッション。息子のことはもちろん心配だったのですが、まず自分のメンタルが持つかどうかが非常に不安でした。 案の定NYに到着する前に限界がきてしまいましたが。 とはいえ、2年ぶりのわが身ひとつでの移動は驚くほど身軽。 まず荷物が少ない。 そのため取り出したいもの――例えば財布やらカメラやらーがすぐに見つかる。いくつもサブバッグを持つ必要がないため両手が空いている。突然抱っこしてくれと騒ぎ、その要求が通らないと知るや寝転び泣き叫ぶ10kgオーバーの息子が隣にいない手……。 私がこんな楽をしていいのだろうかと、意味もなく困惑してしまうほどです。 日ごろ外出時に気に入ったものが目に入っても、荷物の多さや財布を取り出す手間、息子の機嫌などが気になってしまい必要以上の買い物をすることができなかった私。その身軽さにすっかりテンションが上がってしまいました。 仕事の合間の自由時間は、入ることなど叶わないと思っていた「おしゃれな雑貨屋さん」で「自分のペースでのんびりと商品を物色」。さらには「荷物の量を気にすることなく思う存分」お買い物を楽しむことができました。 全て息子のおもちゃですが……。 こうして私が予想外のリフレッシュ効果に喜んでいた間、5日間のママ不在はまめにも変化をもたらしていました。私がいなくても一人で眠れるようになっており、自分の意思をしっかりと言葉で表現できるようになっていたのです。 なによりも初めて離れて過ごしたことで、再会してからの家族の時間がよりありがたく幸せなものに思えるようになったのはラッキーな追加効果でした。 少し離れて過ごす時間も私たちには必要なんだなどと、倦怠期のカップルのようなことを言いながら今回は終わります。 ところで。 全然関係ないのですが、ホテル近辺を散策していて驚いた光景をひとつ。 何度か見かけたこのシーン。 そういえば外でトイレを探すのには少し苦労したので、これがNYスタイルなんでしょうか……大胆(多分違う)!
2017年03月10日「20歳になったので少しだけ飲ませていただきます!」 NHK朝の連続テレビドラマ『べっぴんさん』の打ち上げの乾杯の挨拶で、元気にこう話したのは、主役の芳根京子(20)。 芳根はくしくも、打ち上げ当日の2月28日に20歳の誕生日を迎えたのだ。 打ち上げが行われたのは、大阪市内の一流ホテルの宴会場。400人が入る大広間だ。 隣の宴会場では、ある女子高の謝恩会が開かれていた。めざとい女子高生たちが、隣の会場に次々と入っていく有名人たちに黄色い声をあげる一幕も――。 ドラマで使ったマフラーなどの洋裁の小道具は、実際に芳根自身が手作りしたもの。 「芳根さんは使い終わると、それを毎回スタッフにプレゼントして喜ばれていました」(前出・スタッフ) この夜にも、そのスタッフが“手編みマフラー”を巻いて来ていたようだ。 「会場内でそれに気付いた芳根さんは『あっ、使ってくれてるんだ!』とすごく喜んでいました」(前出・スタッフ) 1次会は、芳根と夫役の永山絢斗(28)の一本締めで、夜10時にお開き。 「高良健吾さん(29)がかなりハイテンションで、『絢斗くん!パーッと車乗ってさ、二次会行こ!』と永山さんを手招きし、ロビーへ階段を駆け降りて行きました。その途中、5歳ぐらいの子役の男の子が『こうらさん、今までありがとうございました!』と声をかけたんです。すると、その子に駆け寄ってぎゅっと抱きしめて、『またな!』と兄貴っぽく去って行きました。かっこよかったですよ」(前出・スタッフ) 結局、出演者も交えて、有志で朝5時まで宴は続いたという――。
2017年03月10日「自営業には退職金がない」と嘆く人もいるが、諦めてはいけない。実はあまり知られていない「小規模企業共済」で、自営業者でも退職金は作れるという。そのメリットを経済ジャーナリストの荻原博子さんが解説してくれた。 【1】目的 「確定拠出年金(以下・確定拠出)と国民年金基金(以下・基金)は『年金づくり』が目的ですが、小規模企業共済(以下・共済)は『退職金代わり』が目的です」 【2】所得控除 「3つとも、掛け金全額が所得控除の対象ですが、控除の上限が決まっています。確定拠出と基金は同じ年金目的なので、合わせて月6万8,000円まで。共済は単独で月7万円まで控除されます」 【3】節税効果 「節税効果はどれも同じで、税率と掛け金で決まります。たとえば所得税率10%の方の掛け金が月5万円の場合、所得税、住民税合わせて年約12万円の節税になります」 【4】受け取る時期 「“体が資本”といわれる自営業は、いつまで働けるのか、不安な方も多いでしょう。確定拠出は原則60歳から、基金は65歳からの受け取りですが、共済は年齢と関係ありません。廃業や、事業を引き継いだときに、何歳からでも受け取ることができます」 【5】掛け金の払い込み 「逆に、自営業の強みは“生涯現役”でいられることです。掛け金は、確定拠出は60歳まで、基金は最長で65歳までと制限がありますが、共済は働いている間、何歳まででも掛け続けられます。また、定年退職後にシニア起業した方も、共済は利用できます」 【6】利回り 「確定拠出は、自分で選んだ運用の成績で利回りが決まり、ハイリターンも望めますが、元本割れの危険性もあります。基金の予定利率は1.5%ですが、死ぬまで受け取る終身年金は、何歳まで生きるかによって受取り総額が変わります。長生きするほどお得ですが、早く亡くなると元が取れない可能性もあります。共済は、掛け金の払い込みを終了した時点で、受取り総額が確定します。予定利率は1%で、途中解約しない限り、払い込んだ総額を下回ることはありません」 【7】契約者が亡くなった場合 「確定拠出と共済は、遺族が残金を受け取れます。特に共済では、終身働いて掛け金を払い続け、遺産として残すことを希望する方もいます。基金は、保証期間内に契約者が死亡した場合、遺族に一時金が支払われます。しかし、保証期間のないタイプでは、遺族一時金は1万円のみです」 【8】事業資金に困ったら 「共済は貸付制度があり、また途中解約して事業資金に回すことができます。しかし、確定拠出と基金は、契約者死亡など以外の理由で受給年齢前の払い出しはできません」 比較してみると、年齢に関係なく早く受け取ることも、死ぬまで掛け続けることも可能な共済が、自営業には使い勝手がよさそう。備えを万全に、元気に働いて、楽しい老後を迎えたい。
2017年03月10日ドラマ『嫌われる勇気』(フジテレビ系)で主演を務めている香里奈(33)。 第8話までの平均視聴率は6.7%と低調。さらに、ドラマのテーマになっている“アドラー心理学”の学会からドラマの内容に抗議文が送られてくるなど、ネガティブな話題が続いているが――。 「現場の雰囲気は、決して悪くありません。それも、香里奈さんが率先して現場を盛り上げているから」 じつは、気さくでサバサバした性格な彼女。共演者だけでなく、ADにまで分け隔てなく声をかけているという。 「主演女優ともなると、現場おそろいのスタッフTシャツなどは着ないのが普通。ウチの現場でも番組名入りの特製ジャンパーがあるんですが、香里奈さんはスタッフに交じって率先して着てくれる。ああいうのを見るとやっぱり“彼女のために頑張ろう”って気になりますよね。現場への差し入れも、スタッフのニーズに合った、気のきいたものを持ってきてくれます。高麗人参エキスの入った“精力ドリンク”を大量に差し入れてくれたり、バレンタインデーには、一輪花をモチーフにしたハンカチを全員にプレゼントしてくれました」(前出・フジテレビ関係者) 他者から嫌われることを恐れるな。そんなドラマ「嫌われる勇気」の撮影現場を支えていたのは、香里奈に対するスタッフや共演者たちからの“嫌われない人気”だった――。
2017年03月10日「やればやるほど、悩みます」今キャンプ、実戦初登板を果たした直後の松坂大輔(36)のコメントだ。初回は三者凡退に抑えるも、続く回は3四球と大荒れ。四球で崩れるのは、ここ最近のパターンだが、いちばん心配したのはその表情だ。明らかに暗い。 これまでは結果がともわなくても、けっして弱気な言動を見せなかった。ただ、この2年の貢献はゼロに等しい。居ても立っても居られず、ソフトバンクがキャンプを張る宮崎へと飛んだ。 2月26日、松坂はランニング中心のメニューをこなし、笑顔さえ見える。暗い表情は思い過ごしだったのか。だが、練習後に2人だけで話すと、悩みは根深いものだと確信した。 ――ここ2年間、ほとんど投げてない不本意なシーズンが続いていますが? 「ご心配かけました(苦笑)。う~ん、高校時代の友人からも『どうしたんだ?』と聞かれたけど、答えられなかった。投げられない原因はわかっているけど、対処法が見つからない」 ――原因はなんだと? 「2011年6月に右肘、2015年8月に右肩と2度手術した。その痛みが昨年まで続き、騙し騙し投げていたんです」 ――酷評されているフォームは、そのためですか? 「そうなんです。痛みが最小限ですむ投げ方を追求したら、このフォームになってしまった。だから、好きでやっている投げ方ではないんです」 ――上下動が激しいから、コントロールが定まらない。たとえば、上原浩治投手のような、動きが少ないフォームを試してみては? 「それは考えましたし、実際、試してもみたんです。でも、理屈ではわかっているんだけどできなかった。染みついたものはなかなか戻せないんです」 ――西武時代のフォームに戻しては? 「そうですね。先ほども言ったけど、染みついたものがあるから、戻すに戻せないんです。もどかしいですよ」 全盛期の自分に戻れないことは、自分がいちばんわかっている。もはや悔しさを通り越し、諦めの境地に達しているのではないか。松坂とは20年近いつき合いになるが、今年ダメなら引退――。そう、覚悟すらしているように思えてならない。 写真&文・ジジ (週刊FLASH 2017年3月21日号)
2017年03月10日2010年、アカデミー賞授賞式のレッドカーペットでのガボレイ・シディベRichard Harbaugh / (C)A.M.P.A.S. 『プレシャス』(2009)でアカデミー主演女優賞にノミネートされ、現在は人気ドラマシリーズ『Empire~成功の代償』で好演しているガボレイ・シディベ(33)。150kgの巨体を生かした役柄を得意としていたが、このほど上梓した回顧録の中で、昨年減量手術を受けていたことを明かした。 「自分自身に怒りを覚えることがあった。自分の体への怒り。この体は悲劇だと思うこともあった」──2型糖尿病を患っているシディベは、健康のために手術を受けることを決めたという。 「担当医に、胃を半分切除したと聞かされた。これによって、食欲と食べる量を制限できる。脳のメカニズムが変わって、もっと健康的に食べたいと思えるようになった。これまでの食べ物との付き合い方が変わった」 ガボレイ・シディベのInstagramよりInstagram/@gabby3shabby また彼女はメンタル面にも問題があり、抑うつ、不安障害、過食症と闘う日々だった。しかし、胃切除によって食生活に劇的な変化が起こったことで、精神状態も徐々に安定していったと述懐する。 栄養士やパーソナルトレーナーの指導の下、現在までに27kgの減量に成功しているシディベは、PEOPLE誌上で最新の姿を披露。2010年のアカデミー賞授賞式の頃と比べると別人のようだ。
2017年03月09日女性の心をつかむバスツアーが増えている。女性限定バスツアーは、ランチもただおいしいだけでなく、オシャレで写真映えするレストランだったり、スイーツのお土産がついたりと、より女性好みのコースになっているのが特徴だ。 でも、女性だけのバスツアーって一般のバスツアーとどう違うの?どんな雰囲気なの?そんな疑問に答えるため、今回、読者のさとうかよこさん(46)と柾木奈緒美さん(47)の2人に女性限定バスツアーを体験してもらった。 参加するツアーは、クラブツーリズムが主催する「『THE軽井沢ビール』工場見学&美肌の湯!星野リゾート『トンボの湯』・ハルニレテラス」。軽井沢は、ホテル・旅館運営で知られる星野リゾートの発祥の地だ。そこで星野リゾートが運営する温泉を楽しむのが、今回のツアーのメインとなる。 朝7時過ぎ、集合場所の新宿都庁地下の大駐車場に集まり、添乗員さんのチェックを受けたら、バスに乗車。自宅を出発したのは早朝だったにもかかわらず、「軽井沢は10年ぶり。すっごく楽しみです!」と、弾んだ声で話すさとうさん。柾木さんもデジカメ持参で準備バッチリ。 定刻どおり7時半に出発し、バスは一路関越道へ。途中、サービスエリアでの休憩を挟み、軽井沢到着前に立ち寄ったのは、群馬県にある「こんにゃくパーク」。こんにゃく製品の製造過程が見られる工場見学や、こんにゃく料理の無料バイキングなどが楽しめる。小腹を満たしたところで再びバスに乗り込み、1時間ほどで今回のツアーのメインである「軽井沢星野エリア」に到着。 「やっぱり、まずは温泉よね」と2人が向かったのは「星野温泉トンボの湯」。源泉掛け流しのお湯には、ふわふわと湯の花が舞っている。露天風呂で軽井沢の風を感じ、小川のせせらぎを聞きながら、「極楽〜」と2人ともため息。 お湯につかってすべすべ肌になったら、星野エリア内の「ハルニレテラス」で、ランチタイム。ツアーに昼食はついていないので、食事は各自自由にとることになる。レストランやカフェ、オシャレな雑貨店などの集まるハルニレテラスは、ぶらぶらとお店をのぞくだけで楽しい。女性同士だからこそ、心置きなく盛り上がれる。 昼食後、バスに戻ったら次のスポットへ。30分ほどで到着だが、おなかいっぱいになって眠気に襲われた2人は、出発して間もなく、うとうと。最後の立ち寄りスポット、「軽井沢ブルワリー軽井沢工場」は「信州ブランドアワード個別ブランド部門賞」を受賞した、信州を代表するクラフトビールの製造工場だ。 工場内では、スタッフの案内で、ビールのもととなる麦汁の仕込みから、発酵、容器詰めまでの工程を見学できる。その全工程にかかる期間は、1カ月以上。そのため、夏のシーズンに向け、5月ごろから工場はフル稼働になるのだとか。 コースの最後に待っているのは、お待ちかねの生ビールの試飲。この日、試飲会場に用意されたビールは、定番商品の香り高い「白ビール」、深い味わいの「赤ビール」に、喉越し爽やかな季節限定「桜花爛漫プレミアム」の3種類。 早起きして、こんにゃくパークに温泉、ランチ、ビール工場見学とアクティブに観光した日の最後に飲むビールは、やっぱり最高においしい!工場の新鮮ビールとあって、その味も別格だ。ツアー参加者には、全員にお土産用ビール1本が配られるのもうれしい。売店で家族用にお土産のビールセットも購入して、バスに乗車。 新宿まで約2時間半の帰り道、熟睡の2人。男性の目を気にせずぐっすり眠れるのも、女性限定ツアーのメリットかも。
2017年03月09日西内まりや(23)の主演ドラマ『突然ですが、明日結婚します』(フジテレビ系)が“月9”史上最低視聴率を更新している。初回視聴率8.5%でスタートし、第2話で6%台に。そして2月27日放送の第6話では、5.0%にまで落ち込んでしまったのだ。 くしくも放送開始時刻だった27日午後9時、本誌は都内のマンション前で行われたロケを目撃していた。気温5度の寒空のなか、西内はマンション前の通りを共演者たちと肩をすぼめて歩くシーンに臨んでいた。監督は何度もテイクを繰り返していたが、彼女はイヤな顔ひとつせずOKが出るまで何度も真摯に取り組み続けていた。 「西内さんはアメリカに留学するつもりでスケジュールを空けていたんです。そこに月9オファーが飛び込んで来たことで、留学先延ばしを決意したのです。西内さんが快く主演を引き受けてくれたことで制作サイドの士気も上がったそうですが……」(芸能関係者) にもかかわらず、蓋を開けてみると視聴率は初回から超低空飛行。当初は彼女もTwitterで“視聴率は気にしない”と主張していたが、ブログは1月を最後に更新されていない。そんな西内はいま、こんな“傷心計画”を立てているのだという。 「西内さんはドラマで延期になったアメリカ留学を諦めていません。撮影が終わったらすぐ“海外逃避”できるよう、今から準備をしているそうです」(前出・芸能関係者) 冒頭の極寒ロケのなか、マンションの住民と思しき10代の女性数人が立ち止まった。ここでドラマの撮影をしていることに気づいたらしく、興奮気味に声を掛け合っている。 「ちょっとあれ、『タラレバ娘』の撮影じゃない!?」「えー、やばくない?見に行こうよ」 初回から2桁視聴率と好調な、吉高由里子(28)の主演ドラマ『東京タラレバ娘』(日本テレビ系)と勘違いしているようだ。だがしばらくして『突然ですが~』の撮影だと気づくと「なんだ、全然違うじゃん!」と言い残し去っていった。 そんな“残念すぎる現場”にもかかわらず、この日は午後11過ぎまで熱演を続けていた西内。せめて晴れやかに渡米できるよう、視聴率が上向いてくれるといいのだが――。
2017年03月09日「日本で作られているお米は、正式に品種登録されているもので800種類以上。実際に作られているものに限っても、400種類を超えるほど多岐にわたっているんです」 そう話すのは、お米のスペシャリスト・“5ツ星お米マイスター”の澁谷梨絵さん。これまで食べてきたお米は300種類以上。炊飯実験を繰り返し、お米の味を最大限引き出す方法を研究してきた。 「お米の質は、品種改良や精米技術で恐るべき進化を遂げています。それにお米も繊細になってきているので、炊き方や保存方法も、“昔の常識は今の非常識”になっています」 ここ数年、毎年のように大手メーカーから、スチームや圧力機能などを搭載した高級炊飯器がどんどん発売されている。しかしそんな今だからこそ、「炊飯器を買い換える前に知ってほしい」と澁谷さんがお米の新常識を教えてくれた。 【1】保存は冷蔵庫の野菜室で! お米の保管場所は“暗くて、通気性がよく、涼しいところ”が一般的だが……。 「温暖化の影響で、室温はひと昔前と比べて5度以上高くなっています。22度以上の環境では虫がわきやすく、これまでのような常温保存は難しくなっています。家の中で湿度も温度も安定しているのは、ずばり冷蔵庫。野菜室に入れるのが正解です」 【2】「新米は水を少なめ」はNG おいしいご飯を炊くには、お米と水の分量の正確さが大前提。計量するとき、炊飯器の目盛りではダメだという。 「上から見た目盛りと、実際の分量との間に大さじ1杯分の誤差が出てしまうんです。水加減を指や腕を使って、目分量で量るのもNGです。お米を量るときのように、計量用のカップを使いましょう」 お米の状態や時期によって水の量を調整する必要はない、と澁谷さんは続ける。 「お米の水分量は新米も古米も15%程度と決められて出荷されています。新米だからといって、水分量はほとんど変わりません。『新米は水分量が多いから、水の量を気持ち少なめで炊くといい』と言っていたのは昔の話です」 【3】お米はとがずに“洗う” おいしく炊くには、しっかりとお米をといで、米ぬかを洗い流すのが大事だと教わった人も多いはず。 「力を込めてといではいけません。水の中で米を泳がせるように“洗う”だけ。3〜4回水を替えて繰り返し、さっと流すだけで大丈夫。精米技術が発達したことで、最近のお米に米ぬかはほとんど残っていません。お米同士をすり合わせてといでしまうと、昔よりもお米が繊細になっている分、お米が割れたり、大切な栄養分を取り除いてしまいます」 【4】炊きあがったら炊飯器の電源オフ! 炊飯器についている保温機能。ホカホカの状態が続く便利機能……だと思ったら大間違い、と澁谷さんは指摘。 「ピッと炊き上がりの合図が鳴ったら、フタを開ける前に一度電源を切るか、取り消しボタンを押してください。保温機能に移行してしまうと、湯気が保温に使われてしまい、蒸らし効果が少なくなってしまうんです。保温機能を使わないことでおいしい湯気がご飯に戻り、芯からふっくらと立ち上がります」 保温をするなら、15分蒸らした後にしよう。 【5】冷凍する場合は、冷まさずアツアツのまま 余ったご飯は、ラップに包んで冷凍保存している人も多いだろう。 「お米を炊くと、生米状態のベータ状態から、もちもちのアルファ状態になります。ただ、炊いたご飯でも時間がたつとベータ状態に戻ろうとして、味がどんどん劣化します。おいしさを保つには、アルファ状態のまま保存する必要があるんです」 それには、炊き上がってすぐにラップで包んだ後、さらにアルミホイルで包むこと。アルミホイルの遮熱性で、まわりの食材を傷めず、瞬間冷凍が可能に。空気に触れることもないので、冷凍後は1年ももつという。 朝、昼、晩ご飯……どの食事でも食卓に並ぶお米。どうせ食べるなら、おいしく炊きたいものだ。
2017年03月09日