40代になっても同年代に比べたらまだまだ若い気でいる私。更年期なんて自分には無関係な話だと興味もありませんでした。しかし45歳を過ぎると体に違和感を感じるようになりました。更年期症状といえば生理に異常が起こることだと認識していたので、突然始まった起床と同時に起こる手指のこわばりが更年期症状と関係があったとは思いもしませんでした。朝起きると指が曲がって伸ばせないある朝、いつも通りにベットから起き上がって、寝室のカーテンを開けようとカーテンに手を伸ばした瞬間にピリッとした痛みを両手の指に感じました。まるで低周波治療器の電流の刺激のような感覚でした。ゆっくりと指を伸ばすと指は開くことができるのですが、ピンと伸ばすことができません。こういう症状は高齢者でよく聞くのでまさか自分が? と不安な気持ちになり、何かの病気ではないかと心配になりました。これが更年期症状?ちょうどそのころ、勤めていたパートを辞めて次の仕事を探している最中でした。子どもも手がかからなくなり、日々の家事も手際よくできるようになっていたので時間的な余裕ができていました。もしかしたら仕事もせず、ゆったりと暮らす生活が更年期症状を招いているのではと思いました。そこで更年期症状とはどういったものがあるのか検索してみることにしました。原因について調べてみると…調べてみると、手指の関節の違和感や痛みなどの症状を訴える人の9割は女性で、そのほとんどが更年期の人だそうです。産後や授乳期にも見られることがあり、いずれも女性ホルモンのエストロゲンの減少が原因になっているとのこと。指が動きにくいという症状をそのまま放置しておくと、7〜10年かけて関節の変形が起こり、60代にはそのまま関節が固まってしまうとありました。これはすぐに対策せねばと、エストロゲンと似た作用をする大豆イソフラボンの代謝産物のエクオールのサプリを購入し、毎日飲み始めました。1年以上続けて飲んでいますが、手指のこわばりは一切なくなりました。まとめ毎日の生活は同じことの繰り返しで、子どもが大きくなるとさらに日々の暮らしにメリハリがなくなり、自分自身が老けているという感覚が薄れてきました。しかし確実に体は老いていて、更年期は生理がなくなるだけでなく、他の部分でも不調が表れるということを肝に銘じておかないといけないと思いました。気付いたときにすぐできる対策をするだけで、5年後、10年後の体調も変わってくると思うので、体をいたわるよう心掛けたいと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。著者/大橋らむね小売業を中心に事務職や飲食店でパートとして勤務。体を動かすことが好きで、日々ウォーキングをおこなっている。
2024年01月11日サレ妻マユコさんのフォロワーさんが体験した、夫の不倫について描いたマンガ。夫と娘、3人暮らしの何げない平凡な日常が、ある日夫の不倫によって少しずつ崩れていく話。40歳でパート勤めのマイさんは、整体師の夫・ユウトさんと中学生の娘・アカリさんの3人で暮らしていました。家の中を漂う香りに違和感…ある日、マイさんはユウトさんより遅く自宅に帰りました。家事にだらしないユウトさんは、散らかった部屋を片づけることなく、横たわってテレビを見ています……。私が仕事から帰宅すると、玄関も廊下もぐちゃぐちゃに散らかっていました。先に帰宅していたユウトは、リビングでくつろぎながら「晩ごはんは済ませた」と言いますが、食べた後のキッチンは片付いていません。その光景を見た私は、ただただメンタルを削られるばかり。夜、アカリが眠りにつくころ。私はユウトにスキンシップを図ろうとそっと近づきますが、すぐに拒否されてしまいます……。気まずくなった私はとっさに話題を変え、自宅の香りがいつもと違うことをユウトに尋ねます。「今日PTAで香水キツイ人いたから、それかも」と、ユウトは私に背を向けながら答えます。ユウトとの冷めきった会話と何カ月もしていない夜の営みに、私は悩ましい気持ちになるのでした。--------------夫婦の一方がスキンシップを大切にしたいと考えていても、お互いの気持ちが合わなければ、すれ違うこともあるでしょう。マイさんも、相手の気持ちがわからず不安になっているようです。夫婦の溝を少しずつ埋めるために、マイさんとユウトさんがお互いの気持ちについて、話し合える機会があると良いですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/サレ妻マユコ元サレ妻。自身の体験談コミックエッセイ『娘の水泳教室で不倫してた夫を捨てるまで』電子書籍発売中。”後悔しない離婚”をインスタグラムで発信中。Instagram:@mayuko_sare
2024年01月10日半年くらい前から、蚊のように小さな虫が何匹も目の前で飛んでいるように見え始めました。ずっと見えているわけではなかったのですが、明るい場所で特に見える感じがして、だんだん虫に見えるものの数が増えていったように思えました。しかし、実際には虫は飛んでおらず、友だちに相談したら眼科に行ったほうが良いと勧められ、眼科で診てもらうことにしたのです。視界にたくさんの小さな虫が見え始めた私の視界に小さな虫が何匹も見えるようになったのは半年くらい前で、42歳のときからです。家族に聞いても虫は飛んでいないし、実際に手を伸ばしてみてもやっぱり虫はいません。けれど、視線を違うところに向けても小さな虫は追ってくるし、目をこすっても消えることはありませんでした。ただ、1日中見えているわけではなく、明るい場所にいるとよく虫が見えるのです。蛍光灯などの明るい照明の下にいるときや、朝の日差しを浴びながら車を運転するとき、他にもテレビを見ているときによく見えていました。暗い場所では虫が見えなかったので、明るい場所にいるときだけ虫が見えるのだと思いました。しばらく小さな虫が見える症状は続きましたが、特に視力が落ちた感じもなかったので、眼科へも行かずに様子を見ることに。友だちに会ったときにこの虫が見える話をすると、「それ飛蚊症(ひぶんしょう)だよ、老化現象の1つなんだよ」と言われました。老化現象と言われショックでしたが、何か病気が隠れているかもしれないから念のため眼科に行ったほうが良いと勧められ、眼科へ行くことにしました。飛蚊症の診断を受けるも治療の必要なし!眼科へ行き小さな虫が見えることを伝えると、「飛蚊症だね、年齢は43歳か」と先生。年齢を言うということは、やはり友だちが言っていたように老化現象なのだと感じました。そこで先生から受けた説明では、目にはゼリー状の硝子体という部位があり、加齢などで成分が変化して萎縮することで液状になるそうです。そうすると硝子体が濁ってその影が網膜に映り、視野の中で黒い点のように見える症状を飛蚊症というとのこと。飛蚊症は年齢から来る場合と目に病気がある場合があり、年齢から来る場合は治療の必要がないそうです。そこで、年齢から来ている症状だと思われるけれど、病気がないことを確認するため検査をすることになりました。目に空気を当てる検査や器械をのぞき込んで映っている絵を見る検査、それに視力検査もしました。後日、瞳孔を開く目薬を使用して検査をすることになり、この検査をするとその後数時間はまぶしさから車の運転は危険とのことなので、夫に送迎を頼める日に検査の予約をしました。そして予約した日になり、夫の運転で眼科へ。待合室にいると看護師さんが目薬を差しに来てくれました。瞳が大きくなるまで30分以上待って検査室に入りました。検査後、診察室に呼ばれ、先生から目の病気はないと言われてホッとしました。私の飛蚊症は年齢から来るもので治療する必要はなく、そのうち慣れてくるとのことでした。だんだん小さな虫に気付かなくなった眼科では特に治療の必要もなく、そのうち目が慣れてくると言われましたが、症状を緩和するために何かできることはないかネットで調べてみました。調べてももちろん眼科で言われたように、年齢から来る生理的なもので何もする必要はないようでした。ただ、何もする必要はないのですが、私は目を疲れさせないためにスマートフォンでマンガを読んだり、遅くまで起きていたりすることをやめ、疲れ目に効くとされるサプリメントを飲むようにしました。いつごろから飛蚊症の症状を感じなくなったのかは自分でもわからないのですが、今ではほとんど症状がありません。テレビを見ているとたまに飛蚊症の症状が現れますが、以前のように症状が続くこともなく数秒で消え、小さな虫のようなものの数も少なくなりました。眼科で言われたように目が慣れてきたのでしょう。眼科でもらってきた飛蚊症の冊子にも「慣れれば特に問題はありません」とあったので、見えているけれど気付いていないのだと思います。目を疲れさせないようにしてきたことは効果があったのかわかりませんが、これからも続けていこうと思います。まとめ老化現象でさまざまな体の不調が現れることを実感しつつ、私は飛蚊症を知らなかったので、良い経験ができたと思うようにしています。今回は治療の必要がないものでしたが、今後は年齢からどんな病気になるかわかりません。健康でいるためにも、まずはバランスの取れた食事に気を付け、規則正しい生活を送ろうと思いました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/田辺直樹先生(田辺眼科クリニック院長)日本眼科学会認定専門医。札幌医科大学医学部卒業。名鉄病院、名古屋大学、知多市民病院で眼科医員、公立学校共済組合 東海中央病院で眼科医長を務めたのち、2004年に地元愛知県名古屋市にて、田辺眼科クリニックを開院。子どもからお年寄りまで幅広い目の悩みに対するきめ細かいケアに定評がある。イラスト/きびのあやとら著者/さちこ(43歳)夫、小5の双子の男の子、小2の男の子の5人家族。まだまだ手のかかる子どもに振り回されている。仕事と家事、子育てに毎日追われ疲れ気味だが、2匹の猫に癒されながらなんとか笑顔を忘れず過ごせている。
2024年01月10日自称・元サレ妻で、現在シングルマザーのマチさんによる、ブログのフォロワーさんのエグいサレ体験談を描いたマンガ。リンさんの父親は、リンさんの親友・ハナさんの母親と不倫。ある日突然、リンさんは皆の前で「こいつの父親にうちの家庭はボロボロにされた」とハナさんに怒鳴られました。数日後、ハナさんから仲直りしたいとカラオケに誘われたリンさん。遊んでいる途中でふと気付くと、リンさん以外の女子がいなくなっていたのです。毎晩のように家の前に男たちがハナさんがトイレに出て行ってからずいぶんたったとリンさんが気付いたとき、すぐ横から「リンって他の女子に比べてスタイル良いよね」という男の声が。「いつの間に隣に!」と驚いて見ると、男子たちの雰囲気が変わっていました。「ああそうか……。ハナは本当に私のことが許せないんだ」と思ったリンさん。だからといって簡単にはヤられてたまるかと……。ハナが仕組んだと気付いたものの、だからって簡単にヤられてたまるかと思いました。とっさにビールジョッキをつかんで皆にかけ、ドアへ逃げました。するとそこに、ウーロン茶を届けに来たカラオケ店の人が。横を通り抜けて、どうにか逃げ出すことに成功したのです。しかし、後ろから「続きは学校で。皆で楽しみに待ってるよ!」という男たちの笑い声が。良いと思っていた木村くんまで加担するなんて、ショックでした。それからは、毎晩のように家の前に男たちが集まるように。心が限界に近づいてきたころ、母から「他の兄弟はちゃんとしてるのに、何でアンタは……産まなきゃよかったわ」と言われたのです。-----------------------何はともあれ、カラオケ店を無事に脱出できたのはよかったですね。同じ女性なのにここまでするハナさんは、つらい思いをしてきた中で、心の何かが壊れてしまったのかもしれません。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/マチブロガー。フォロワーのエグいサレ体験談、トラブル体験談をマンガで紹介している。貯金と節約が趣味。
2024年01月10日私は夫と2人で暮らすアラフォーの主婦です。自宅の近くに義母が1人で住んでいるのですが、2年前にアルコール依存症になりました。それからは義母が心配で……毎日のように義母の家へ、様子を見に行っています。アルコール依存症の義母3年前に義父が他界し義母が1人暮らしをするようになってから、義母の生活はどんどん乱れていきました。大量の酒を買い込んで朝まで飲んだり、酒のつまみのような辛いものばかり食べていたり。家事もしないため、部屋の中は常に散らかっています。私が注意すると、「家に来ないでよ」と怒り、改善してくれません。家の中だけならまだしも、酔っぱらって道路に出て寝てしまうこともあります。近所の人に迷惑をかけることだけは避けたく、「何とかしないと」と思っていました。思い付いたある作戦時はたってお正月になり、義母の家に親戚一同が集まりました。義母の荒れた生活は親戚一同にも知れ渡っています。この日もお酒を飲み続ける義母に夫が注意するも、言うことを聞かず、「体を壊しても嫁が介護してくれるから」と開き直る始末。「冗談じゃない」と思った私は、帰宅した後、義母に連絡をしました。すると義母は、「私の介護は嫁のあなたがするべきでしょ?」「よっしゃ!任せてください!」「え?」私は義母に電話をかけて話を続けました。「近々おむつ替えの練習をしましょうね。そしてこれからは、介護用のレトルト食品を食べてください。きっと体にもいいはずです」と。すると義母は、「私に介護はいらないわ!」と慌てて電話を切りました。改善しようとする義母それから義母は、お酒の量を減らす努力をしているようで、以前のように問題を起こすことはなくなりました。夫が言うには、義母は私に注意されないように気を付けているとのこと。義母はあの電話の話が現実になることを、思った以上に嫌がっているようです(笑)。アルコール依存症になった義母を、「何とかしないと」とずっと悩んでいましたが、スムーズに解決できてよかったです。これからも、変わろうとしている義母をサポートしていきたいと思います。--------------義母のことをよく理解しているからこそ、思い付いた作戦でしたね。乱れた生活を、自ら変えるように導いてもらえた義母は、幸せ者ですね。著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年01月10日床に座った状態で手を伸ばしたその瞬間、今まで経験したことのない激痛が腰に! ベッドから起き上がるたびの激痛、寝返りを打つにも痛みで思うように体を動かせず、体全体が硬直状態の日が7日ほど続きました。その後、整形外科で伝えられた診断結果に驚いた体験談を紹介します。手を伸ばした瞬間、腰に激痛が走る忘れもしない、私が40歳のときの元旦。新しい年が始まり清々しい気持ちと、今年もいい年でありますようにと願うような朝でした。前日から仕込んだおせち料理や、でき立ての湯気が立ったお雑煮を家族で囲んでいるときにそれは起こりました。私の席からは手が届かない位置にあるおせち料理を取ってもらうため、家族に小皿を渡そうと少し腰を浮かし、お皿を持った手を伸ばしたその瞬間です!これまでに聞いたことはあったけれど経験したことがなかった、まさに稲妻が走るような痛みが腰に走ったのです。あまりの痛みに声も出ず、浮かした腰を元に戻すこともできないほどの激痛。息をすることも忘れ、脂汗がにじみ出てくるのがわかりました。心配する家族の声が遠くに聞こえましたが、数cm程度でも動けばさらに激痛が走るということを直感的に感じ取っていたため、まずは呼吸を整え、痛みを感じないようにゆっくり少しずつ腰を下ろすのが精一杯でした。たったこれだけの動作に3分はかかったと記憶しています。慎重に慎重を重ね、やっと腰を下ろせたのですが、それで痛みが治まるわけではありません。ついさっきまで空腹だったのに腰の痛みで一気に食欲がなくなり、お雑煮はひと口も食べることができませんでした。元日から痛みで動けない日々が続き…痛みに耐えられず、自分のベッドに移動することに…。しかし私の部屋は2階で、十数段の階段を上っていかなければなりません。立ち上がること自体が恐ろしく、床をはうようにしながら食事の席を後にしました。「この体勢で階段を上り切れるのか?」と思いながらも、とにかく自分のベッドで横になりたいという一心で、階段1段1段もはうように上っていきました。深呼吸をしながら、急な動きをしないようにゆっくりゆっくり。このときばかりは、階段の手すりのありがたみが身に染みました。そして、最後の難関は床とベッドの段差でした。こんなときはいつもより高く感じます。まずは立ち上がる体勢を整えテーブルに手をつき、足の部分だけ立ち上がりました。腰は曲がったままの前かがみの体勢なので、自分の太ももを杖代わりにするように両手を置き、痛みを感じながら手の位置を少しずつおなか側に移動しながら上半身を伸ばし、何とかベッドに横たわることができたのは食事の席を離れてから5分後くらいでした。いつもなら30秒以内で移動できる距離です。それから数日間、寝返りはおろか、横になっていること自体がつらい日が続いたのです。初めの数日は痛みで食事はできず、トイレに行くにもとても勇気がいりました。その結果、動くと痛いので、なるべく水分をとりたくないという悪循環です。数日間は、「痛い、いたたた……」という言葉しか発していませんでした。ただのぎっくり腰ではなかった病名とは?結局、会社の仕事始めにも間に合わず、長いお正月休みをいただくことに…。元日の激痛から約7日後、なんとか立ち上がり、家族に整形外科に連れて行ってもらいました。エックス線検査後、診察室で医師に告げられた病名は脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう)。背骨にある神経の通り道の脊柱管が狭くなってしまう病気です。私の場合は小学生のころから日常的に運動を続けていたことも原因の1つと言われ、「手術以外で治ることはないから、とりあえずはうまく付き合っていくしかないね」とのこと。翌日からコルセットを着けて出勤しましたが、初めて使うもので装着位置や締め具合がわからず、さらにデスクワークのため腰から背中、首が凝り固まり頭痛に悩まされる日が続きました。腰痛よりも頭痛がつらく、コルセットを外してしまう日も…。コルセットを外して歩いてみると、心も体もコルセットの支えに頼り切ってしまっていることに気が付き、痛みのある今は仕方ないけれど、将来的にこれではいけないなと感じました。2週間ほどで腰の痛みはなくなり、不安ではありましたがコルセットからも卒業することにしました。病院で診てもらったのは、この1回のみ。その後は腰に負担がかかる体勢や動きをしないように膝をうまく使うことや、ストレッチで腰周りをほぐし、冷やさないようにインナーやカイロを利用して注意しています。まとめ腰は文字通り、体の要であることを痛感した出来事でした。当時はつらい経験でしたが、自分の体のことを知ることができ、うまく付き合っていくコツがわかるようになったことは、今の私にとってはプラスなことだったと思います。今のところ40歳のときと同様の激痛は経験していませんが、2回ほど予防的にコルセットを使用しました。さらにストレッチや温めを積極的におこなうことで2回とも短期間で回復できたため、判断は間違っていなかったと思っています。今後の生活の中でも、自分の体の状態をしっかりと感じ取りながら、元気に過ごせる日を増やしていきたいと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/中村光伸先生(光伸メディカルクリニック院長)整形外科医の知見から骨の仕組み、体の動かし方を活かした骨のトレーニングを提唱する骨の専門医。骨の強化と全身の機能回復を両立する「骨たたき」を考案。若々しい体を取り戻す「リバースエイジング」の専門家としてメディアにも多数出演。著書に『医者が考案した骨粗しょう症を防ぐ1分間骨たたき』『ひざたたき世界一かんたんな健康法』(アスコム)。イラスト/マメ美著者/バニラ(44歳)独身。病気を機に自分の体を大切にしてあげることを痛感。食事内容に気を付け、運動する機会を増やすよう奮闘中!
2024年01月10日夫と夫婦喧嘩をしていたときのことです。私は呼吸がうまくできず苦しくなり、体に大きな異変を感じました。そのとき夫も私がおかしいと気付いたようです。突然起こった過呼吸私は10年前、家族で過疎化が進む山奥の田舎に引っ越しました。近くに住む年配の人たちは「考えが古いな」と感じることが多く、大変だと感じることも少なくはありませんでした。ある日、ストレスがたまっていたのか、ささいなことで夫と喧嘩をしました。口論をしていると、私はなぜか涙が止まらなくなり、過呼吸を起こしてしまいました。その後、病院へ行くと、先生から心療内科の受診を勧められました。先生から告げられたのは心療内科を受診することには少しためらいましたが、このままでは、自分に何が起きているのかわからないままになってしまうと思いました。勇気を出して病院へ行き、先生と話すと丁寧に症状を説明してくれました。先生が言うには、私はパニック障害という病気にかかってるとのこと。突然強い恐怖を感じたり、息苦しくなることがあるため、治療が必要なことがわかりました。吐き気や手足の震え、めまいや発汗を起こすこともあり、外出ができず日常生活が困難になる人もいるそうです。それを治すためには、心と体の治療をすることが必要だと言われました。発作が起こっても、軽い場合は治療の必要なく、発作が治れば問題ないそうです。しかし、発作がひどい場合は病院で点滴を受ける必要があるそうです。私は若いころからこのような発作がありましたが、軽かったためこの病気に気付けなかったのだと思います。そして、田舎に引っ越したストレスで悪化してしまったのか、ついに治療が必要な体になってしまいました。長い治療の始まりそれから私は月に1回、心療内科に通いました。私が受けたのは、毎日薬を飲む「薬物療法」と、先生と1時間お話をする「精神療法」。この2つの方法で、発作が起こらないようにするための治療をおこないました。それから10年間、この治療を続けて、発作は起きにくくなりました。まとめ良くなるまでとても時間がかかりましたが、夫が私を理解しサポートしてくれたおかげで頑張ることができました。家族との仲も改善され、今は幸せに暮らしています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。文/りくえま著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年01月10日一つ屋根の下で義母と同居しているまる子さん。嫁姑問題や介護の話をメインに自身の体験をマンガにしています。少しでも義母がラクに動けるようにと思って手配したベッドでしたが、そのせいで圧迫骨折をしたと言われてしまい、まる子さんはブラック嫁モードに突入……。もうハッキリと頼まれない限り、自分からは動かないと宣言したのでした。納戸は冷蔵庫より涼しいの…?介護福祉センターからもらった資料を何げなく眺めていると「要介護区分の変更」という一文を発見しました。これだ! と思い、早速手続きをしてみると、運良くすぐに訪問調査員が来てくれて、前回よりも悪化している状況をわかってもらえました。他人の手を借りることを嫌がる義母ですが、そんなことを言っていたら共倒れになってしまうので、いろいろなサポートも検討中です。いつものように、昼食の食器を下げにいくと、義母はお昼寝中でした。その後しばらくして呼び出しがかかり、部屋に行ってみるとかなりの暑さ……。湿布を貼る体も、汗びっしょりになっていました。突然、食事に出したゆで卵について尋ねてきた義母。そういえば、数時間前はそんなことを言っていて、お昼寝のときも毛布をかぶっていたはず。気持ちが悪いのは、体が冷えたか室温が上がり過ぎて熱中症になったか……だと思いますが。「先週買った」だけでアウトなら、同じ時期に買った食材もアウト判定で!その後、納戸に置かれていたヨーグルトを発見。え……。こ、これは……。わが家の冷蔵庫には、義母専用ゾーンが存在しています。スーパーで頼まれたものや義姉が作ってきてくれたものなど、とてもひとりで食べきれる量ではありませんが、義母が細かく出すものを指定してくるので、封が開いてばかりで片付く気配がありません。そんなある日、いつものように義母からの呼び出しで部屋に向かうと、食事に出していたゆで卵はいつのものかを聞かれました。それは義母が先週購入したものだと答えると、そのゆで卵にあたって気持ち悪くなったと言い始めたのです。賞味期限まではまだ4日あり、私も同じものを食べているので、そんなはずないと思いますが……。部屋の温度がかなり高かったので、そんな中で過ごしていたせいなのではないかと思ったものの、それ以上反論するのはやめて、悔しいので冷蔵庫の義母ゾーンの整理を決行! その後、畳んだ洗濯物を持って義母の部屋の納戸に入ると……そこにはヨーグルトがありました。納戸って冷蔵庫代わりになりましたっけ……? 気持ち悪い原因て、コレなのでは??--------------義母の「誰かのせいにしないと気が済まない」という部分がチラリと見えてしまいましたね。でも、グッと耐えて冷蔵の中身に感情をぶつけたことで、バトルは避けられた様子。義母の体調も心配になってしまうので、納戸での乳製品の保管はやめてもらいたいですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。ウーマンカレンダー/シニアカレンダー編集室著者/まる子はじめまして。まる子です。アラフィフのアナログおばさんです。ブログを始めたくて一念発起。専門用語に四苦八苦しながらもマイペースに更新中です。一つ屋根の下の同居、完全同居している義母との嫁姑問題、介護がメインのブログです。似た環境の方々がストレス溜めすぎないようにクスッと息抜きできるような文章を心がけていきたいです。
2024年01月10日アラフォーになってからというもの、妙に疲れやすくなったような気がしていました。「年のせい? それとも運動不足かな?」と思っていたある日のこと。食器を洗っている最中に、立っていられないほどのだるさを感じたのです。その理由とは……?日常生活に支障が出るほどのだるさに悩む40歳の誕生日を過ぎたころのことです。いつものように食器を洗っていると、思わずへたり込んでしまうほどのだるさを感じました。熱もないし、頭も痛くない。不思議に思いながらもしばらく横になっていると、謎のだるさは治まりました。ほっとしたのもつかの間、それから毎日のように体のだるさを感じるようになってしまったのです。洗濯物を干したり料理をしたりといった日常の家事も、休み休みでないとできません。しばらくたつと、夕方以降にだけ微熱が出るようになってきました。風邪症状はないので様子を見ていましたが、「やっぱりおかしい」と思い、近所のクリニックを受診することにしました。クリニックでは原因不明クリニックで尿検査や血液検査をしたところ、血液に炎症反応が出ていることがわかりました。抗生物質を処方されて帰宅し、2週間ほど様子を見たものの不調は続きました。同じクリニックに再度受診するものの、だるさと夕方以降に出る微熱のほかには症状がなく、先生は困り顔。さまざまな検査をしましたが、結局原因はわからないままでした。クリニックではこれ以上調べられないということで、結局、市内の総合病院を受診することに。クリニックの紹介状を持って総合病院を受診したものの、なんとそこでも「原因がよくわからない」と言われてしまいます。女性医師の機転で判明!?途方に暮れていたところ、診察してくれた女性の医師が「念のため、甲状腺の検査をしてみませんか」と提案してくれました。そこで検査をお願いすると、甲状腺の数値に異常があることがわかったのです。その後さまざまな検査と通院を経て、ついた診断は「橋本病」でした。橋本病とは30代から40代の女性に多い病気で、主な症状は疲れやすさやむくみ、無気力、寒さなどだそうです。橋本病は甲状腺ホルモンが少なくなる病気で、妊娠や出産、ストレスなどが原因で発症することもあるのだとか。私の場合は一時的に甲状腺ホルモンが過剰になり、微熱の症状が出ていたようです。これまで健康診断に一度もひっかかったことがなく、自分のことを健康だと思い込んでいたのでびっくりしました。まとめ橋本病は薬で治療できる病気なので、現在は落ち着いています。立っていられないほどの疲れを感じることはなくなりました。ただの疲れだと思っていたら、病気だったなんて驚きです。今後は体調に異変を感じたときは、後回しにせずすぐに受診しようと思いました。先生によれば、橋本病になりやすい体質は遺伝するそうです。私には娘がいるので、機会を見て検査を受けさせてみようと思います。文/海野なみ※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年01月10日40代に突入したころのことです。当時の私は2人目の子育てに追われながら仕事もしていて、万年寝不足。常にオーバーワークでした。ある朝、突然手首に痛みを感じ、続いて指の関節も腫れてきて、グーパーと開いたり閉じたりするのも痛いほどに。関節痛が膝や腰まで広がって、少しでも和らげたいとあることを始めてみたところ……。前ぶれもなく痛み出した関節初めて関節に痛みを感じたのは40代前半。朝起きたら、突然手首に痛みを感じ、「ひねったかな」と首をかしげていたら、昼ごろには症状は改善。日中子どもを抱っこしたり授乳したり、手を使うことが多かったので「使い過ぎかな」と思い気にせずにいたら、あくる日も同じ手首に痛みを感じたのです。祖母がリウマチを患っていたころ、痛い痛いと言っていたことをふと思い出し、「もしかしたら私もリウマチになってしまったのかな」と思うくらいでした。しばらく痛みが続いたため、リウマチを患っている友人に紹介してもらい、病院で診てもらったところ、「加齢に原因があるのかもしれないので、様子を見ましょう」とのことでした。加齢による関節痛は、高齢者になってからだと思い込んでいた私はびっくり。そこで関節の痛みの改善に何かできることはないかと自分なりに調べてみました。関節痛と更年期はたしかに関係しており、まず痛みのメカニズムとして、関節の表面を覆っている軟骨を構成するたんぱく質(コラーゲン)がすり減ることで、関節の痛みや腫れなどが生じるようでした。さらに、コラーゲンの合成に必要な、女性ホルモンの1つであるエストロゲンが更年期に突入すると急激に減少し、コラーゲンも減少するそうなのです。関節痛は、更年期の主な症状の1つとして挙げられる理由がやっとわかりました。関節痛が悪化。腰痛に悩まされる日々加齢と関係していることを先生に聞いてからも、手首の関節の痛みは続きました。しかし今度は、腰痛や膝痛に悩まされるように。昨年あたりからは、「よっこいしょ」と言って勢いをつけなければ立ち上がれないほど痛みを感じるようになっていき、「これはまずい」と本格的に思うようになりました。そんなとき、友人に腰痛について相談したところ、「バレエフィットネス」を紹介してくれました。これは、もともとバレリーナが練習前におこなうストレッチで、寝ながらおこなうストレッチが多く、体に痛みのある人も無理なく続けられるとのことでした。最初は体全体の緊張を緩めるようなストレッチをして、徐々にインナーマッスルを意識しつつ筋肉に働きかけ、可動域を広げていきます。ほとんどの動作をあぐらやマットの上に寝ながらおこなうため、狙った筋肉に刺激を与え、痛みのある箇所は調整しやすく、緩やかに少しずつ体を整えていくことができます。痛いところのある私には心地良く感じました。運動を続けることで腰痛や膝痛が軽減定期的にバレエフィットネスのトレーニングを続けました。3、4年前からマイペースに続けている早朝ランニングも継続していたところ、思えば腰、膝ともに痛みが和らいでいることに気付きました。洗濯物を拾い上げたりするときも、「よっこいしょ」と言うことが減っていたのです。調べてみたところ、血液の循環を良くして関節を温めることも関節痛の改善に効果がありました。カルシウムを摂取することも関節の痛みを和らげるようだったので、牛乳やチーズをとることを心がけました。また、入浴の際に湯船にゆっくりと浸かり、バレエフィットネスでもおこなう足指を1本ずつ開いたり、つま先から太ももの付け根までのマッサージをおこなうようにしていたら、膝痛に関しては膝をかばうことなく思い切り走れるところまで回復したのです。腰痛に関しては仕事柄、長時間同じ姿勢で座っていることが多いため、まだ痛みがあります。特に長時間同じ姿勢でいると、次の動作に入るとき体がガチガチに固まってなかなか動けません。そこで腰周りのこわばりについてバレエフィットネスのインストラクターに相談すると、以下のようなアドバイスをいただきました。「無理に動かすのではなく、体の緊張をほぐすためにまずは深呼吸して体に酸素を取り入れること」「少し伸びをして肩甲骨を動かしたり腰を回転させて、少しずつ動く準備をすること」「無理に立ち上がらず、痛かったら手で何かにつかまってもいい」。これらのアドバイスに従って、次の動作に入る前の「準備」と机などを支えにする「サポート」を心がけています。まとめ腰痛の原因は更年期だけではなく、さまざまな要因が重なって起きているのだと知りました。現在も、腰痛に関しては一進一退。良くなったり悪くなったりを繰り返していますが、まずはバレエフィットネスを続けることが腰痛緩和につながるかもしれないと期待しています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/粒来 拓先生(よしかた産婦人科分院綱島女性クリニック院長)日本産科婦人科学会 専門医・指導医。日本女性医学学会 女性ヘルスケア認定医・指導医。日本女性心身医学会 認定医。患者一人ひとりの症状と考え方に寄り添い、サポートしている。イラスト/サトウユカ著者/みうママ(50歳)昨年閉経を迎えた更年期ママ。泣く、怒る、時々笑う。喜怒哀楽の激しさに拍車がかかる日々。思春期の娘VS更年期の母という戦いに明け暮れている。パパと息子の男性陣は戦々恐々。地雷があちこちに埋まっているファミリー。家族は夫、1男1女の4人家族。
2024年01月10日40代熟女として日常に起こるあれこれについてマンガにしているフワリーさん。年齢を重ね、老化を感じることが増えてきたフワリーさんのマンガを紹介します。長女にヘアスプレーなどの買い出しを頼まれたフワリーさん。忘れないように、手の甲に油性ペンでメモをしておきました。そのメモのおかげで、仕事を終えた後も買い出しのことを忘れずに済んだのですが……。一体どうしてこうなった!?朝の家事を済ませていると、長女から修学旅行用のヘアスプレーなどの買い出しを頼まれたフワリーさん。忘れないように手の甲にメモをしておいたのですが、仕事が終わるころにはそのメモは薄くなっていて……。長女の修学旅行に向け荷造りしながら、不足のものは私が買っておく約束をしました。とにかく旅行まで日がないので、忘れないように手の甲に油性ペンでメモしておきました。仕事が終わるころには薄くなっていましたが、忘れずにドラッグストアに寄ってヘアスプレーとヘアオイルを購入。レジの店員さんと目が合って、ちょっと驚いていたような気もしましたが、そんなね、自意識過剰になってもね(笑)。って! ちょっといつからよ?ねぇ、いつから?頬にメモが転写されていました(恥)。これに気が付いたのは帰宅してからです!最悪だ、よく行くドラッグストアなんですよ……トホホ。普段、音痴すぎてカラオケに行かない私ですが、腹の底から悲鳴を上げました。私って、こんなに声が出るんだな(笑)。----------------忘れちゃいけないものって、手の甲にメモしますよね。それがまさか頬に転写され、店員さんをも絶句させてしまうとは!? フワリーさんに、笑いの神が降臨したのかもしれません(笑)。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/フワリー会話の中で「あれ、これ、その…」がひどくなった40代熟女。2児の母。Instagram:@fuwa_fuwa000
2024年01月09日私はふとした仕草や言葉の端々から人がついたうそを感じ取っています。これはなかなか人に説明はできないのですが、揺るぎない確信として自分自身の中に存在しています。これがHSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)の特性の1つだと知ったのは最近のこと。それまでは風変わりで面倒な人間だと、自分自身を嫌っていました。これは自分の存在意義を自ら否定していたことに気付いた人生最大の発見でした。私は風変わりで面倒くさい人間だもともと自己肯定感の低い私は、高圧的だった元夫からの「お前は使えない」などの言葉の攻撃もあり、かなり自己肯定感の低い生活をしていたと思います。何をしていても、失敗が起きたら私のせい。自分はダメな人間だから、ここにいてはいけない。周りの皆さんのご迷惑になる……そんなことばかり考えて過ごしていました。元夫の言う通り、「使えない私は会社のご迷惑になるから」と何度も退職を申し出ました。その度に上司は「今のままで十分だから」と言ってくださるのに、「私がかわいそうだから、本当のことが言えないんだ……」と思い、悩んでいました。非常に感受性が強く敏感な気質を生まれ持った人ある日フラッと立ち寄った本屋で、正面に並ぶ本の「面倒くさい自分にさよなら」と書いてある帯が目に止まりました。その本を手に取り、目次をさらっと読んでみると、なんと自分のことが書かれているではありませんか。自己肯定感が低いこと、うそを見抜けること、必要以上に物事を深く考えること。どれも自分と一致していたことに驚き、思わずその本を購入してしまいました。じっくり本を読んでみると、そこには人口の5人に1人が当てはまるHSPについての特徴やHSPが生きづらい理由、向き合い方が書いてありました。読み進めていくうちに、なんでもっと早くこの本に出合えなかったんだろうと後悔にも似た感覚に襲われました。それほど、自分に当てはまっていたのです。私自身を見つめ直して、心の声に耳を傾ける大切さ自分がHSPなんだと自覚した今、面倒だと感じていた思考や言動には「こんな理由があったんだ」と理解できることが増えてきました。理解できると今度は対処の方法も見つけやすくなりました。また、人とは違う自分を自覚したことで、「これが私の個性だから」と自分自身に許しを与えることができるようになりました。周りから「頑張り過ぎ」と言われ続けていたのも、HSPの気質から来ているようで、これまでの人生を全速力で駆け抜けてきたことにも気付きました。今は「もう少しのんびり生きよう」そう思えるようになりました。まとめ人生の折り返し地点の今、たまたま出合った本のおかげで、私が人生と向き合う大きなきっかけになりました。今でも必要以上に深く考えたり、物事の失敗や間違いに悩むことはありますし、それが治らないことなのも理解しています。ただ、今までと違うのは、途中で「あ、私今考え過ぎてるな……」と気付けるようになったことです。そこから気分転換をしたり、違うことを考えたりという方向転換ができるようになりました。もっと早くにHSPのことを知っていたら……そう考えたらキリがないのですが、ここがベストタイミングだったんだと今は思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。イラスト/sawawa著者/日向 くらげ一昨年に離婚。飲食業界の会社に勤めて28年。趣味は旅行と温泉巡り。
2024年01月09日男の子を育てながら在宅でマンガを描いている神谷もちさんが、友人の体験をもとに夫婦のすれ違いを描いたマンガ。キリコさんの不機嫌の原因が「靴下裏返し」と言われて驚いた夫・てつおさん。「そんなくだらないことで不機嫌だったの……?」と聞き返し、「靴下くらいで家庭不和を起こすなよ。更年期かなんか始まってんじゃないの」とまで言ったのです。時代はなかなか変わらないてつおさんとのやりとりを友人たちに愚痴ったキリコさん。「靴下くらいじゃないんだよ! なんで何回言ってもわかんないの? 不機嫌にさせているのは誰だよ!」とまた怒りが込み上げてきました。「うちも麦茶を1cm残されるよ」「トイレットペーパーを残り半巻きで残されたりね」と女友だちと大いに盛り上がったのでした。友だちの1人は「自分がやらかしている自覚がないのよ」と……。友だちの1人が「自分がやらかしている自覚がないのよ。むかつくけど、私がやらないと家ぐちゃぐちゃじゃん。そうこうしているうちにそれが当たり前になるんだよ」と言いました。「私たちがやって当たり前だから直さないのよ。注意するほうだって嫌じゃん。逆ギレされたりするしさ」とも……。「共働きなのに、まだまだ女の負担が大きいよ。時代はなかなか変わらないね」という友人の言葉に、私ももう1人の友だちもうなづくばかり。本当に男ってずるいよね……。-----------------------「共働きなのに、まだまだ女の負担が大きい」という言葉には、多くの女性がうなづいたのではないでしょうか。少しずつ変わってきているのはわかっていますが、実際の生活はなかなか変わりませんよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/神谷もち2019年、男の子を出産したアラフォーママ。現在育児をしながら在宅でイラストやマンガを描く仕事をしている。
2024年01月09日私はフリーランスとして働く45歳の兼業主婦です。結婚して20年弱になる夫と有名私立に通う自慢の娘と、マンションの最上階で平和な日々を過ごしていましたが……。3カ月前にシングルマザーだった義姉が蒸発し、身寄りのないその娘(めいっ子)を夫が引き取ったことで、私たちの日常が破綻したのです。裏表の激しいめいっ子夫が引き取っためいのホナミは、娘と同じ年。本人の希望で娘と同じ私立中学に編入しました。それまで疎遠だったとはいえ、いとこ同士仲良くしてほしいと思っていたのですが……。残念ながらそれは無理でした。なぜなら彼女、人前では目に涙をためて不遇なめいを演じつつ、裏では私や娘を悪者にすべく事実無根のウソを夫に吹き込んでいるのです。夫も、ふた言目には「ホナミはつらい思いをしているんだから、望み通りにしてやれ!」と甘やかし、彼女には何でも買い与えて、挙句の果てに実娘のほうを邪険にするようになったのです。「ホナミホナミって……、少しは娘も大事にしてよ」と私がたしなめても、「あの子には親がいないんだ。唯一の叔父である俺が味方をして何が悪い!」と聞く耳を持ちません。そんな私たちを見てほくそ笑むホナミ。夫にバレないよう私と娘をあざ笑い、その後はお得意の泣き落としです。生来ドライな娘が「茶番には付き合えない」とスルーしていたのが唯一の救いでした。しかし、そんなある日……。娘よりめいを取る夫→それなら出ていく!私が帰宅すると、「なんでホナミを疑う!」という夫の怒声が聞こえてきました。見れば娘が、「だから、私の机から人知れずスマホを持ち出して、階段から落とすことが可能だったのは誰って聞いているだけ」と冷静に話しています。「私じゃない……え~ん」と、夫の後ろで泣きつくホナミ。しかし、入り口にいた私からは彼女がウソ泣きをしているのが丸見えでした。夫は、娘の話もろくに聞かずに言い放ちました。「俺は人を疑うような娘に育てた覚えはない! ホナミのほうが素直でいい子だ、お前みたいな口答えばかりの娘はいらん」これにはさすがに私も娘もぼう然。「あっそう、それなら出ていく」と荷物をまとめ始めました。ホナミはすかさず、「オバサンたちが出ていきたいんだからいいじゃない! これからは私がオジサンのかわいい娘になってあげる!」と宣言。「そりゃあいい」とデレつく夫に、私はこの数カ月で用意していた離婚届をつきつけました。「財産分与や養育費に関しては、弁護士を通しましょう」夫は一瞬驚いていましたが、ホナミの手前、「おう、そうだな。せいせいする」と豪語していました。数週間後、2人がやって来て…しばらくの間、実家に居候することにした私と娘。あろうことかめいにデレデレし、父親として娘を大事にしない非常識な夫とは早く離婚したかったのですが……。数週間が過ぎたころ、彼がどうしても話したいとホナミを連れてやって来たのです。正直、顔を見るのも嫌だったのですが、財産分与や養育費についてなかなか承諾しない彼にしびれを切らしていたので、会うことにしました。どことなくすさんだ様子の2人。私が夫に「早く離婚の条件をのんでくれません?」と言うと、彼はおずおずと「あの、俺たち……やり直せないか?」と言ってきたのです。さらにホナミも、妙にしおらしく「オバサンがいないと家の中が寂しくて……」と私の顔色を伺っています。そのとき、娘が2人に言いました。「ようやくママのありがたさを実感して謝りに来たのね?」家事と家計を支えていたのは「私、知っている。お母さんが、お父さんの倍以上稼いで家計を支えていたこと。家事もバッチリだったお母さんがいなくなって、生活基盤が崩壊し、経済的にも困っているんでしょ」そう、ホナミにばかりあれこれ買い与えていた原資も、すべて私のお給料だったのです。ズバリ真実を突いた娘に夫はたじろいでいましたが、「だけど、やっぱり家族は一緒に住むべきだと思わないか?」と懇願。しかし娘は、冷たい視線を送って断言しました。「思わない。家族としての思いやりや責任感のない人は、私の父親じゃない。泣きマネで叔父をたぶらかすようなめいと2人で仲良く一緒に暮らせば?」そんな娘を見て、私もスッキリしたのです。「この子の言う通り。それから、あのマンションは結婚前に私が買ったものだから、離婚後にはあなたが住む権利もないわ」その後の私たち私はその後、諸条件をのんだ夫と無事に離婚。娘と一緒に実家から元のマンションに戻りました。その娘は、多感な時期にいろいろあったものの第一志望の高校に入学。晴れて高校生になりました。ホナミはといえば、元夫と一緒に引っ越しせざるを得なかったため、公立校に転校。その後は音沙汰がなく、現在どうしているのかわかりません。今では、フリーランスで働く私のために娘が料理や掃除も手伝ってくれるように。おかげで私はバリバリ仕事にまい進しています。母娘2人になりましたが、お互いを思いやって助け合い、これからも平穏な生活ができそうです。--------------不幸な生い立ちを逆手に、叔父に甘えて娘の座を奪おうというめい……。しかし、冷静沈着で理知的な娘のほうが、情けない父親に見切りをつけたようですね。実際、母親がしっかりしていたから成立していた家庭だったのでしょう。子どもはしっかり見抜いているものですね。著者/ウーマンカレンダー編集室/スカッと読者からの体験談をお届けします。
2024年01月09日普段から生理中の体調不良に悩まされ、市販の痛み止めと漢方薬が手放せない私。しかしながら、今回の体調不良はそれだけが原因ではない予感がしたのです。風邪や感染症でもなさそうだけど、もしかしてこれが早めの更年期障害というものなのかも、と私を悩ませていたまさかの原因とは……?久しぶりの夫婦旅行!栄養ドリンクで乗り切る私元々体力に自信がない私。30代に入ってからその傾向は顕著に表れるようになりました。代表的なことといえば、頭痛と眠気です。泊りがけの旅行となると、移動でただ座っているだけだというのに、目的地にたどり着くころには疲れがたまって頭痛が起こり、旅を楽しめなくなってしまいます。そのため、朝から晩まで一日中活動する場合、遊ぶときでも必ず栄養ドリンクをカバンに忍ばせるようにしていました。ある日、子どもを祖父母に預け、結婚記念日のお祝いを兼ねて久しぶりに1泊2日の夫婦旅行へ。旅程はほとんどが車移動。運転は夫がするため、私はいつものように助手席に座り、夫との会話や見慣れない景色を楽しんでいました。しかし、慣れない土地での観光は気疲れしてしまうようで、予想通りお昼過ぎには頭痛が……。私は用意していた栄養ドリンクと痛み止めを飲み、なんとか旅を楽しみました。翌日、15時過ぎには帰宅。荷解きをしたらたまった家事をこなし、22時には旅の思い出とともに、倒れ込むように眠りについたのです。続く微熱と頭痛…生理期間の症状にしては重いかもちょうど帰宅した直後のタイミングで生理が始まった私。旅先ではないとはいえ、すぐれない体調で過ごすこととなりました。生理期間の症状や重さは人によって違いますが、私の場合は頭痛と腹痛がひどく、生理初日から3日目までは、特に体のだるさや風邪の初期症状のような、くしゃみ・鼻水・鼻詰まりに悩まされます。出血量も3日間に集中しているため、生理中は鉄分を補給するサプリメントと、生理諸症状を和らげる漢方薬が手放せません。今回もいつもと同じようにサプリや漢方薬を飲んでいるはずなのに、ピーク期間を過ぎても微熱が治まらず、さらに頭痛はいつもよりもひどく感じて仕事も手につかないほど。あまりに普段と症状が違い過ぎるため、ふと私の頭に「これはもしかして更年期障害の症状が出始めたのでは? 」という疑念がよぎりました。実は母も30代半ばから更年期障害の症状が表れ始め、のぼせや動悸、頭痛などの症状に悩まされたと聞いたばかりだったのです。いつもの対症療法ではコントロールできない体調に不安が募った私は、つい夫へ「私、いつもと体調不良の症状が違い過ぎる……。もしかしたら母のように早めの更年期障害が来たのかもしれない」と漏らしたのでした。夫が指摘したまさかの可能性!その言葉を、ゲームをしながら聞いていた夫。あまりに深刻そうに話す私の表情に、少し言いにくそうに口を開きました。「それ、黙ってたけど老化だと思うよ。更年期障害とかじゃなくて、旅行の疲れがたまっているところに生理が来たから、いつもより体調不良が重くなって続いているんだよ。ものは試しでいいから、栄養ドリンクを飲んで体力回復に努めてみなよ」夫からのまさかの指摘に衝撃が走りました。夫は私のことを普段からよく観察しているため、体調に関して気持ち悪いほど的確に当てるのです。機嫌が悪くなるタイミングや、体調がすぐれず夕食の支度ができないと言いだす時期から生理日を予測したり、私自身は普通の風邪と思った体調不良も、寒けを感じる態度がいつもと違うことに素早く気付いてインフルエンザだと推察したり……。そのため、夫の判断には絶対的な信頼を寄せているのです。私よりも私の体を理解しているような夫が言うのであれば、と栄養ドリンクを飲み、いつもより早めに就寝することに。……すると、翌朝から今までの体調不良はなんだったのかというほどに、体はスッキリ、頭痛もしなくなったのです。夫の予想通り、私が悩まされていた症状は早めにきた更年期障害ではなく、体力不足と老化による回復力の低下で、旅行の疲れが抜けずに体調不良に陥っていただけなのでした。まとめ夫は医者ではないので、体調に関する評価が必ずしもすべて当たるわけではありません。そうはいっても、いつも一番近くでしっかり私のことを見てくれている夫であったからこそ、体調不良の原因も本人より信頼性の高い判断を下せます。そんな夫に感謝の気持ちを感じるとともに、私も家族の体調をしっかり観察しておかなくては、と思いました。併せて、自分の体力低下をきちんと受け止め、旅行を計画する際には回復期間もしっかりと取ることを教訓としたいと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。イラスト/おみき著者/山本 さつきパパが大好きな息子と毎日格闘しているママライターです。たくさんの情報をわかりやすく伝えるべく、日々スキルを磨いています。
2024年01月09日私の子どもが通う保育園で胃腸炎が流行り、わが子も感染してしまいました。看病しているうちに自分にもうつり、下の子にもうつり……体調が悪い中での子どもの看病は本当につらいものでした。ようやく体調も回復して日常生活に戻ったのつかの間、今度はまた上の子が咳(せき)をし始めて……。いつもの風邪だと思っていたら上の子どもの咳症状が出たとき、新型コロナウイルスやインフルエンザなどを疑い、早めに病院に行きましたが、結果はただの風邪。ほっとしたのですが、下の子にも風邪はうつり、あっという間に家族全員風邪症状が出始めました。咳が出始めたころは、またいつもの風邪だと思い、特に気にしていなかったのですが、子どもたちの症状は良くなってきても私だけ咳が止まらず、徐々に「おかしいなぁ」と思い始めました。自宅に常備していた咳の症状に効く漢方薬を飲み続けても、咳は止まらず悪化する一方です。咳症状が悪化し、嗚咽まで子どもの病院通いが落ち着きだしたころ、私の咳症状が悪化し、ひどいときは嗚咽(おえつ)するほどになり、胸に痛みが出始めました。さすがにこれはおかしいと思い、病院に行ったところ、気管支ぜんそく(慢性的に炎症を起こした気管が刺激などで細くなり、呼吸困難や咳といった症状が起こる病気)と診断されたのです。ただの軽い風邪だと思っていたのが、まさかの気管支ぜんそくという病気で驚きました。気管支ぜんそくは幼いころに患ったことがある程度だったので、いまさらかかってしまうとは思ってもいませんでした。私のように克服したと思っていた人でも、体力が低下していたりすると再び症状が出てしまうこともあるようです。自分の体力を過信したらダメ!思い返せば、前回の胃腸炎に続き、下の子の夜泣きなど、いろいろなことが重なっている時期だったので、ちゃんと眠れていない日々が続いていました。そんな体力が低下している中での風邪は、私の弱った体にとって、とどめの一撃くらい重い一発だったのです。家事や育児など体調が悪くてもやらなければならないことが山積みで、自分のことは後回しにしてしまいがちでしたが、体の異変を感じたときは早めに受診する大切さを改めて感じました。まとめ病院ではぜんそく用の吸入薬と風邪薬を処方してもらい、無事回復しました。ただ、また発作が起こってしまっては大変なので、ぜんそくの治療は続けることに。他にも気管支ぜんそくの原因になるダニなどを吸い込まないよう、こまめな掃除や換気など、日ごろからの発作対策に気を配っています。結果的には、日常の対策など気をつかわなければならないことが増えてしまいましたが、日ごろの発作対策は身の回りの環境を整えるだけでなく、気持ちの面でもすっきりとした気分で毎日を過ごすことができるようになりました。文/YUKI※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年01月09日仕事が忙しかったころのこと、尿意はあるのに尿が出にくいと感じていました。「大丈夫だろう」と思っていたら血尿が出てしまい……急いで病院へ行くことになりました。残尿感が気になるも放置前兆は受診する1週間くらい前からありました。尿意はあるのに思うように尿が出ず、何度もトイレに行く日が続いていたのです。そのときは仕事がとても忙しく、トイレに行く回数を減らすために水分をあまりとらないようにしていました。そして、仕事が忙しくてトイレに行くことすら忘れてしまうことも。そのため、「大したことないだろう」と思ってしまったのです。血尿が出て病院へそんな毎日を過ごしていると、ある日、血尿が出ました。これはただ事ではないと感じ、仕事を早めに切り上げて病院へ。その日は三連休の中日だったため休日診療所へ行ったのですが、症状を話したところ「すぐに総合病院へ行ってください」とのこと。急いで総合病院へ向かいました。検査の結果は総合病院で検査をしたところ「膀胱炎(ぼうこうえん:膀胱の中で細菌が繁殖し、膀胱の粘膜に炎症を起こす病気)であることはたしかだけど、腎盂腎炎(じんうじんえん:腎盂やその周辺の組織が細菌によって炎症を起こす病気)までは進んでいない」とのことでした。薬を処方してもらい、その後、尿は正常に戻りました。しかし、一度、膀胱炎になると繰り返す人が多いため、今後の生活を見直すよう医師からアドバイスがありました。膀胱炎を予防するためには、水分を十分にとることが重要だそうです。膀胱炎が腎盂腎炎に移行すると、入院での治療が必要だとも言われました。あのとき、「病院が休みだから」という理由で、もし受診を先延ばしにしていたら……もっとひどい状態になっていたかもしれません。まとめ仕事が忙しいと、自分の体に負担がかかっていることを忘れてしまいます。しかし、体を壊してしまったら、その後の仕事に支障を来すことにもなりかねません。どんなに忙しくても水分の摂取や栄養のバランスを考えた食事をとるなど、基本的なことはしっかり実行していこうと思った出来事でした。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/窪田徹矢先生(くぼたクリニック松戸五香院長)獨協医科大学医学部卒業。千葉医療センター、成田赤十字病院で研修を積み、国保松戸市立病院泌尿器科に勤務。その後千葉西総合病院泌尿器科にて医長、部長を歴任。2017年、くぼたクリニック松戸五香を開業。日本泌尿器科学会専門医・指導医。専門医である泌尿器科および皮膚のトラブル、生活習慣病を含めた内科まで幅広く診察。メディア出演も多数あり、医者YouTuberとしての情報発信もおこなっている。文/azatohkoイラスト/サトウユカ著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年01月09日半年前、小鼻の周りのざらつきに気が付きました。そのうち、ざらつきがなくなると思い、こまめに洗顔するほかは放置。すると1週間後、小鼻の周りに吹き出物が。それをいじっていると白い膿が出てしまいました。鼻をよく見ると、毛穴が黒っぽく、何かが詰まっているよう。そこで毛穴パックを試してみたら、びっくりするほどの角栓が! それをきっかけに小鼻の周りのケアを始めて改善するまでの体験談です。小鼻の周りの吹き出物が気になるように私は肌がきれいなほうだったので、特別なスキンケアはなし。洗顔料を使って顔を洗い、化粧水や乳液を付ける程度で良いコンディションを保てていました。しかし、44歳のとき、小鼻の周りがざらついていることが気になるように。指で触ってみると、薄皮がぽろぽろと剥がれてしまいます。暖かくなる時期だったため、多く出た皮脂をきれいに洗顔できなくて吹き出物ができたのかなと気楽に考えました。そこでベタつきが気になったら洗顔するように心掛け、特別なことは何もせずに放置。すると1週間後、小鼻の周りに白い吹き出物が現れ、白く膨れ上がってしまいました。なんだか気持ち悪いな……と思い、指で触ってみると白い膿が! 小鼻の周りをよく見ると、それ以外にも小さな吹き出物があり、なんとも汚らしい状態。さらに鼻には黒いポツポツがあり「私の鼻ってこんなに汚かったっけ?」とかなりショックを受けました。 毛穴パックを使ったら角栓がごっそり!これまでスキンケアをするとき、顔全体が潤えば良いかなという程度の気持ちでした。小鼻の周りのような細かいパーツを気にしたこともなく……。鼻のあたりをじっくり観察してみると、毛穴が詰まっているような印象を持ちました。そこで私は、薄皮が剥がれたり吹き出物ができたりするのは、毛穴詰まりが原因であると推測。なんらかの毛穴ケアをする必要があると考えました。その時点では、どのようなスキンケアが良いのかわからなかったので、ひとまずドラッグストアに直行。スキンケア関連のコーナーを見渡し、シートタイプの毛穴パックを買ってみました。私はこれまで毛穴パックの経験はなし。説明書を見ながら鼻にシートを張り付け、3分後に剥がしてみると角栓がごっそり。それが理由かわかりませんが、小鼻の周りのざらつきや黒いポツポツはある程度解消されました。小鼻の周りのケアを続行中後日、スキンケアの方法を考えるために、毛穴に関する情報をネットで調べてみました。シートタイプの毛穴パックは角栓をすっきり取り去れるメリットがあるものの、肌が必要とする水分や油分を一緒に除去してしまうとのこと。また、シートタイプを使い過ぎると毛穴が緩くなり、皮脂や汚れが詰まりやすくなるそうです。そのため、私はシートタイプの毛穴パックは使わず、他の方法でスキンケアをすることにしました。また、特に大切なのは正しい洗顔方法を実践することだそうです。そこでそのサイトを参考に、手を清潔にする、洗顔料をしっかり泡立てる、泡を転がすように洗う、ぬるま湯でゆすぐ、タオルで水分を吸い取る、そして洗顔後は化粧水をしっかり塗る、これらのケアを毎日実践しました。忙しい日が続くと洗顔が大雑把になり、顔を水でさっと洗うだけになっていたと改めて反省。特別なことはせず、基本をしっかり押さえて洗顔することを心掛けています。まとめ小鼻の周りの吹き出物に気が付いてから半年。現在も、洗顔料をしっかりと泡立てて丁寧に顔を洗うようにしています。夏になると、ついつい洗顔を水で済ませがちですが、面倒だと思ってもできるだけぬるま湯を用意しています。その効果かどうかはわかりませんが、以前のように吹き出物が出る、薄皮が剥がれることはほとんどありません。毛穴の詰まりや黒ずみは、以前と比べると改善されました。今回の経験は、洗顔という基本的なスキンケアの大切さを改めて考える機会となりました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic 医師)美容外科、美容皮膚科、予防医学(栄養療法)、アンチエイジング専門医。Zetith Beauty Clinic 、東京美容外科沖縄院にて勤務。トライアスロン日本代表の経歴を持ち、⾃分がアスリートであることも⽣かしつつ、美と健康のスペシャリストとして「中からと外からの美と健康」を信念に、外から(美容医療)だけでなく、中から(分子栄養学、予防医学)の美と健康の権威として多くの文化人、芸能人、アスリートからの信頼も厚い。著書に、「中田敦彦のYouTube大学」でも紹介された「アスリート医師が教える最強のアンチエイジング」(文藝春秋社)がある。著者/ひこすけ(45歳)仕事で海外と日本を行ったり来たりしているため生活が乱れがち。
2024年01月09日マンガ「デブス女の修羅場」最終話。婚活サイトで出会った夫と交際0日で結婚を決めたアラフォー女子、ぷよ子さんのマンガを紹介します。ぷよ子さんは妊娠9週目で稽留(けいりゅう)流産となり、悲しみのどん底で摘出手術を受けました。他の赤ちゃんを見て大号泣する日々の中、ブログで多くの読者に励まされ、夫とも悲しみを共有。自宅に設けた供養場所で泣き笑いの供養を終え、虹のかかった空の下で少女と手をつなぐ夢を見て、「もう大丈夫」と感じられました。しかし職場復帰の朝、ぷよ子さんは大出血! 病院へ急行すると、「緊急手術が必要で、最悪の可能性もある」と言われ驚がくします。夫に「大好き。出会ってくれてありがとう」と書き残してから数時間後、処置は無事終了したのですが、麻酔下で変な幻覚を見たのです。あのまま出血していたら…幻覚の中の黒いモヤは、こわい顔の男性の形になってぷよ子さんに接近。「近付いてこないで!」と両手を握りしめていると、今度は白いモヤが少女の形になり、黒いモヤを追い払ってくれたのです。ぷよ子さんが心の中で「あなたのことが大好き!」と叫ぶと、少女は笑顔に。それを見てほっとしたぷよ子さんは、その後は温かい気持ちで眠ることができたのです。麻酔から覚めて、改めて説明を受けた私は真っ青になりました。「胎盤遺残(たいばんいざん)」と言って、大出血を引き起こす危険もあった、冗談抜きで本当に危ない状況だったのです。駆け付けた夫に泣きつき、抱き締めてもらってようやく落ち着いた私。彼にとっても大きなショックだったようで、「生きていて本当によかった……」と涙ぐんでいます。そして言いました。「あなたと2人で生きていく覚悟をした。もう妊娠しなくていいから、いなくならないで」と……。実は私は、子どもがいなければ夫に捨てられてしまうのでは? とずっと不安だったのです。夫は本当に「私」を愛してくれていた……。私は初めてそれを素直に信じられ、大号泣したのでした。--------------子宮の収縮不良により、子宮内に残っていた物の自然排泄がスムーズにいかない場合もあるようです。赤ちゃんだけでなく最愛の妻を失ったかもしれない状況に、夫の心もボロボロだったぷよ子さん。子どもがいなくても「2人で生きよう」と言った彼。それだけぷよ子さんのことを深く愛し、心配していたのですね。流産は癒えることのない悲しい経験ですが、ここまで寄り添ってくれる相手と出会えたのは何にも代えがたい幸運なのでは。どうかこれからも、ぷよ子さん夫婦が支え合って生きていけますように。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/ぷよ子低収入ブラックバイトで労働しているアラフォーのデブス女。最近妊娠し、不慣れな状況に戸惑いを隠せない。仕事の悩み、高齢妊娠の悩み、夫婦の気持ちを赤裸々に描いたブログを更新中。Instagram:@puyozip
2024年01月09日42歳のときに生理不順で産婦人科を受診したところ、医師から生理が終わるまでまだ早いからということで、ホルモン補充療法をすすめられました。ホルモン補充治療を受けることは、考えていなかったのでとても驚きました。私が初めて受けたホルモン補充療法について紹介します。ホルモン補充療法を受けるまで毎月、決まった周期で来ていた生理が、来る月があったりなかったりに……。そして、月経量も多くなり心配になりました。42歳という年齢もあり、更年期の影響かもしれないと思ったのです。ちょうど健康診断で婦人科を受診した際に、「近いうちに検査をしたほうがいい」と告げられ、健診前から気にしていたことでしたので、数日後に予約を取りました。一時期通っていた別の産婦人科は予約を取るのが大変でしたが、ここはスムーズに予約が取れ、通院しやすい印象を持ちました。そして、初診時に問診で生理や出産に関わることを記入し、診察となりました。とりあえず血液検査をして数日後に結果が出るのを待つことに。そしてその結果は、女性ホルモンが少なくなり始めているため、「早期閉経」になってしまうとのことでした。将来のためにも生理があったほうが良い年齢だからということで、ホルモン補充療法について教わりました。ホルモン補充療法の中でもパッチをおなかに貼るタイプのものをすすめられ、「どうしますか」と聞かれました。なるべく治療をしたほうが良いけれど、がん罹患リスクにもわずかだけど影響があるとのことで、定期的にがん検診を受けることが必須とも言われました。その言葉に少し戸惑いもありましたが、がん罹患率はそれほど高くないとのことなので、治療を受けることにしたのです。ちなみに、医師からは乳がんや子宮がんなどの特定のがん罹患リスクが上がるという説明はありませんでした。毎月通院しなければならず、また定期的にがん検診を受けることが必須。ですがやはり、通いやすい点が治療を受けることに前向きとなった理由でもありました。パッチ式ホルモン補充療法は効果があった検査の結果を聞きに行った日に、早速ホルモン補充療法の薬を処方されました。「メノエイドコンビパッチ」という貼り薬で、卵胞ホルモンと黄体ホルモンを合わせたものでした。更年期障害の症状を改善する薬ですが、早期閉経として処方されました。下腹部辺りに丸いパッチを貼り3日おきに貼り替えます。1回に10枚分を処方されるので、月に1回受診して薬をもらいに行くといった感じです。貼る場所を毎回変えれば肌への負担も少ないので、無理なく治療ができます。生理不順で生理が遅れていたのですが、貼り始めて1〜2週間後に生理が来ました。ただ、薬を使って生理を来させているからか、どうしてもその効果が強くあるように感じています。私の場合は生理前に強烈な眠気がありました。治療を始めて間もなくは体も慣れていないので、薬の影響を受けやすいようですが、徐々に慣れてくると初めて処方されたときに医師から説明があったことを思い出し、生理前の昼間に眠たいと感じたときは、無理して家事や仕事をするのではなく、30分でも休めるように調整することにしました。そうすることで罪悪感も減り、結果として家事や仕事もはかどるようになりました。なかなか通院できず起きた体調の変化最初に薬を処方されて3カ月ほどは通院したのですが、4カ月目以降からコロナ禍で少し通院を控えていました。半年ほどさぼっていたら、生理がまた不順となり、さらには精神的にも不安定になってきました。「これではまずい」と思い、急いで婦人科を予約して受診。そして、精神的に不安定となることがあると伝えると、「薬を貼ってなかったからかな?」「貼るとまた落ち着くと思うよ。あと、運動してね」と言われました。薬の効果は大きく、生理はもちろん精神的にも良い影響があったことに、自分でも驚いています。勝手にやめてはいけないと反省し、しっかりと治療を続けようと思いました。まとめホルモン補充療法は、おなかにパッチを貼るだけのとても簡単な方法ですが、きちんと生理不順を改善できたので、しばらく続けようと思っています。また、さぼっていたときに精神的な面にも影響がありましたが、再び貼り始めてからはそれも改善してきたので、こちらの効果もこれからも期待しています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。イラスト/サトウユカ著者/Y.N.(44歳)大学生の子どもが2人。自宅で過ごすことが多くなり、パン作りやお菓子作りに励む。季節感を取り入れた生活が好きで、フルーツシロップ作りもしている。
2024年01月08日40代熟女として日常に起こるあれこれについてマンガにしているフワリーさん。年齢を重ね、老化を感じることが増えてきたフワリーさんのマンガを紹介します。長女に、ハガキを出して欲しいと頼んだフワリーさん。長女は駅に「ぽ、ポストなんてないよ!」と焦ったように返事をし、どうも話がかみ合いません。なぜ長女が焦っていたのか、後日判明したんですが……。娘に突拍子もないことを言いだしたと思われ電車通学をしている長女に、ハガキを出して欲しいと頼んだフワリーさん。ですが、長女は駅に「ポストなんてない」と言い張ります。しまいには、「あのポストは使えないよ」と。そんなはずはないと思うフワリーさんですが、後日、長女のとんでもない誤解が判明し……。電車通学をしている高校生の長女フワチョーに、ハガキを出して欲しいと頼みました。長女は、一瞬考えてからまず「ぽ、ポストなんてないよ!」と焦ったように言うんです。え? うそ~! 駅前にポストはあったよ?おかしいなーと思いながら「あるよ、ポスト」と言うと「……おかん、あのね、あのポストは使えないよ」と。「え? 使えない?」「あのポストにハガキを出す気? 無理無理! 届かないよ」「そんなはずないでしょ」とまぁ、なんだかかみ合わない。それはなぜか……。娘は、白ポスト(有害図書やDVDを回収するためのもの)投入と勘違いしていたそうです(笑)。毎朝使っている駅なのに、通常のポストの存在にまったく気付いてなかったという。どんだけ~?長女は長女で「おかん、正気か? またおかしなこと言っている」と思ったようです。このかみ合わないことにどうやって気付いたかというと、私が駅まで迎えに行ったときに「ポストあるじゃん!」と言ったことからです。長女はちょっと天然気味なのであります。しかし、私、何げに厳しいことを言われた気がするんですが(苦笑)。----------------通常のポストの存在にはまったく気付いていなかったフワリーさんの長女。しかも、母の暴走を止めたとまで思っていたとは、なんともかわいい誤解でしたね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/フワリー会話の中で「あれ、これ、その…」がひどくなった40代熟女。2児の母。Instagram:@fuwa_fuwa000
2024年01月08日男の子を育てながら在宅でマンガを描いている神谷もちさんが、友人の体験をもとに夫婦のすれ違いを描いたマンガ。キリコさんに不機嫌の理由を聞かくも「別に」との返答に「面倒くさい……」とつぶやいたてつおさん。その言葉が引っかかったキリコさんは、ついに「なんでわかんないの? あんた何回言っても、靴下裏返しじゃん!」と言ったのです。てつおさんは……。不機嫌にさせているのは誰!?キリコさんに「靴下裏返し」と言われ、驚いたてつおさん。「そんなくだらないことで不機嫌だったの……?」と聞き返しました。キリコさんが「なんでお願いしているのに聞いてくれないの!?」と言っても、「靴下くらいで家庭不和を起こすな」と相手にせず、「更年期かなんか始まってんじゃないの」とまで言ったのです。怒ったキリコさんは……。てつおとのやりとりを思い出し、「靴下くらいじゃないんだよ!」とまた怒りが込み上げてきました。「いや〜わかる」「うちもだよ」と共感してくれる友人たち。思わず「なんで何回言ってもわかんないの? 不機嫌にさせているのは誰だよ!」と叫んでしまいました。「うちも麦茶を1cm残されるよ」「トイレットペーパーとか、残り半巻きで残されたりね」と友人たち。「お米を炊飯器にちょびっとだけ残されたてカッピカピ! 本当にふざけんな!」と3人で盛り上がったのでした。-----------------------愚痴を言い合える友だちがいると救われますよね。皆でワイワイ愚痴を言い合うだけで、すっきりストレス発散になります。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。★関連記事:著者/神谷もち2019年、男の子を出産したアラフォーママ。現在育児をしながら在宅でイラストやマンガを描く仕事をしている。
2024年01月08日私は30代前半で結婚し、長男の出産を機に専業主婦となりました。独身のころはおしゃれが好きで、給料のほとんどをメイクやファッションのために使っていたのですが、結婚・出産するとそんなわけにもいきません。専業主婦になったことで、人と会う機会も減りどんどん見た目の「オバさん化」が加速。そんな私が「脱オバ」できたきっかけとは……。だらしない体形や見た目…オバ化が止まらない独身時代、洋服の販売員として働いていた私は、メイクやファッションなどに給料のほとんどを使うほど、おしゃれが大好きでした。そんな私を、当時彼氏だった夫も「センスいいよね。かわいい」とよく褒めてくれたものです。交際は順調に進み結婚・出産を経験。販売員としての復帰を考えましたが、土日が休みである夫に合わせて、そのまま退職し専業主婦になりました。初めての育児は想像以上にハードで、専業主婦といえど家事と育児を両立するのは大変。自分のことは後回しになることは当たり前です。家庭優先で、友人とランチする機会も減っていく一方。バタバタな毎日を送る中で、自分の容姿に対して興味や執着がなくなっていくことにも気が付いていました。髪の毛はボサボサのままひとつにくくり、毛玉だらけの部屋着にすっぴんが私のいつものスタイル。出産からの体形が戻らないこと、人に会う機会も少ないことも相まって、どんどん「オバさん化」が進んでいったのです。そんなだらしない私を夫もあまりよく思っていないようで「もう少し痩せたほうがいいんじゃない? 」「運動したら? 」と。夜の生活もだんだん減っていき、女として見られていないことを痛感していました。どうにかしなければ……と思いながらも、なかなか自分を変えられないまま時間だけが過ぎていったのです。友人にしてもらったネイルに感動そんなある日、友人が家に遊びに来たときのことです。早くに結婚・出産した彼女は、30代後半にして子どもはすでに独立。これからは自分の好きなことをしたいと、ネイルの勉強を始めていました。そして晴れてネイルストとなった今「初めての仕事のモデルになってほしい」と私に言うのです。大切な友人のお願いを断る理由はありません。後日友人が働くサロンへ行きました。久々のキラキラしたおしゃれな空間に、少し恥ずかしいような気持ちになりましたが、ドキドキワクワクで期待に胸が膨らむ私……。友人とおしゃべりしながらの時間は楽しく、あっという間に過ぎて行きました。完成した爪に目を向けると、水仕事でボロボロだったのがウソかのように、ぷっくりツヤ感がありきれいに仕上っているのです。私のわがままばかりを理想に近づけてくれた友人には感謝しかありません。「自分の手じゃないみたい!」と言うと「自分からいつも見える手元がきれいになると、気分が上がるでしょ」と友人がひと言。よくよく話を聞くと、どんどん引きこもりになる私を気にして、今回誘ってくれたとのことでした。ダイエットやスキンケアなどの自分磨きを始動!友人の協力のおかげで、おしゃれに対する気持ちを少し思い出せた私は、だらしない自分を変えようと決心したのです。まずは出産でたるんでしまった体形を戻すためのダイエットを開始。好きなだけ食べていたおやつを制限したり、食事を和食中心に変えてみたり……SNSを参考に宅トレにも励みました。どんどん体形が変わってくると、おしゃれにも積極的になれます。ネットや雑誌を見ながら、流行のメイクやファッションを追求。今まで見て見ぬふりをしてきたシワやシミなどを改善するスキンケアにも力を入れました。変化が目に見えるとうれしいもので、あれほど後回しにしていたおしゃれに対しての気持ちを取り戻せていました。そんな変化に一番に気付いてくれたのは夫です。「最近、ダイエットを頑張っているけどすごく痩せたね」「きれいになった」と褒めてくれました。夫婦のスキンシップも増え、夫から夜の生活に誘われることも多くなりました。夫に求められることで、心なしか肌ツヤもアップ!どんどん上がる私の女子力に、友人も驚きを隠せない様子です。きっかけを作ってくれた友人には感謝してもしきれません。夫に女として再認識されたこともうれしいですが、「脱オバ」できたことで気持ちも性格も明るくなれると再認識できました。これから老いていく一方ですが、年を取っても女! おしゃれやメイクを諦めないで楽しんでいこうと思います。まとめ結婚・出産を機におしゃれとは無縁の生活を送っていましたが、友人のひと言をきっかけにおしゃれをする楽しさを思い出せました。手元の印象が変わるだけで、こんなにも気持ちが変わることが認識できたと同時に、いくつになっても変われることを証明できたように思います。まだまだアラフォー。自分磨きをしながら、心も体も美しい母、妻でいられるようこれからも努力していきたいです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。イラスト/おみき著者/大村まこ(37歳)3人の子どもを持つママライターです。わかりやすい! 楽しいと思ってもらえうような記事を書けるように日々頑張っています。
2024年01月08日私には、気になるにおいがあります。それは、独特な香りを発するある柔軟剤。出先でよく遭遇するこの香りの柔軟剤を、間違って選ばないようにしたいのですが……。どうしても苦手な香り香りは個々の好みの問題かと思うのですが、私にとっては思わず「臭っ!」と感じるにおいなのです。なぜそれが柔軟剤と思ったのかというと、出先でそのにおいに遭遇することが多々あるからです。世間的には支持されている?私にとって「うっ、またあのにおいだ……」と思う機会が多く、これだけ遭遇するにおいなのだから、世間的には支持されていて多くの方が使っているのだと思ったのです。しかし、私はどうにも苦手なにおいです。表現が難しいのですが、動物的というか、くすんだ植物のにおいというか、とにかく独特な香りなのです。まとめ万人受けするような柔軟剤の香りでも、私にとっては死活問題なので、その香りがどこのメーカーの商品なのか知りたいと思っています。しかし、どうやってリサーチしたらいいのかわかりません。次に柔軟剤を購入する際には、香りテスターなどを利用して知らずに苦手なにおいの商品を選んでしまわないように気を付けなくては……と思っています。(60代/女性)※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。ウーマンカレンダー/シニアカレンダー編集室著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年01月08日好ききらいが多いだけでなく、食へのこだわりも強い私の夫。そのため、いつもと違う調味料などを使うとすぐに勘付いてしまい文句を言う始末。私は、夫のこだわりに反することによって夫婦仲が悪くなってしまうのが嫌だったので、結婚して13年間ずっと夫のこだわりに合わせた料理を作るように心がけていました。しかし、ある日の夫の発言で私のストレスに限界が来てしまったのです。好ききらいが多い夫夫と結婚して14年目の私。夫と結婚する前に義母から、「うちの子は好ききらいが多いから苦労かけるかもしれないわ」とは聞いていましたが、「好ききらいなんて誰でもあるものだし大丈夫でしょ」と軽い気持ちで考えていました。しかし、結婚前に夫のきらいな食べ物すべてを聞いてびっくり。なんと夫のきらいな食べ物は、10種類以上もあったのです。しかもそれは、私の好きな食べ物ばかり……。それでも「私の料理を嫌な思いをしてまで食べてほしくない」と思い、結婚後は夫の好みに合わせた料理を作っていました。それからわが家は2人の子宝に恵まれ4人家族に。私は、「夫の好ききらいが子どもにまで遺伝したら面倒なことになるな……」と内心不安でいっぱいでした。しかし、その心配をよそに好ききらいなく何でも子どもたちは食べてくれるので、その点では安心しています。好ききらいだけでなく、食へのこだわりも強く…結婚当初は食事の味付けは味の濃さや使用している調味料などを義母に聞きながら、主人が食べ慣れた味付けのものを出すように心がけていました。子どもが幼いころは、仕事の時間を調整しており時間に余裕があったため、柔軟に対応することができていました。その後、子どもが大きくなり手がかからなくなってきたので、仕事の時間を増やすことに。それにより、毎日の仕事と育児に精いっぱいで味付けが適当になってしまうことも。さらに、残業で帰る時間が遅くなることもあったため、簡単にできて子どもたちが喜ぶカレーを作る頻度が増えていきました。カレーを作るときは、義母から「うちはずっとこのカレールーよ」と聞いていたのと、主人から「俺、このカレーじゃないと食べられないからね」と聞いていたため、そのカレールーをずっと使用していました。ある日、子どもたちが「夜はカレーが食べたい!」と言ったのでカレールーを買いに行くことに。いつものカレールーを見つけて手を伸ばしたとき、近くにあった安売りのカレールーが目につきました。「このカレールーにすれば、子どものお菓子代ぐらいのお金が浮くな。主人はこのカレーしか食べられないって言ってたけど、どれも味はあんまり変わらないでしょ!」と思い、この日は初めていつもと違うカレールーを購入。帰宅し、カレーを作っていると「いいにおい! 早く食べたーい」と子どもたちは大喜びです。食にこだわる夫に対して限界が…そして主人が帰宅し、夕食の時間に。夕食は、もちろん子どもがリクエストしたカレー。みんなで「いただきます」と元気に言った後、子どもたちは「おいしい!」と言いながら黙々とカレーを食べていました。すると、カレーを見ながら「なんか今日のカレーいつもと色が違うんじゃない?」と主人に言われ、ドキッとした私。いつもと違うものを使用した後ろめたさからか、とっさに「疲れているからそんなふうに見えるんじゃない?」と言ってしまいました。不思議そうな表情をしながらカレーをひと口食べる主人。すると主人は、「これいつもと違うやつ使ったでしょ?」と言うのです。私は「ごめん。安かったからいつもと違うの使っちゃった」と正直に言うと、「いつものじゃないと食べないって言ったじゃん! 安いって言っても微々たる金額でしょ」と言う夫。自分本位な主人の言葉にカチンときた私は、「こうやって食べられるだけでもありがたいと思わないわけ? 私だって仕事して疲れて帰ってきて、一生懸命作ってんだよ」と声を荒げてしまいました。「いやいや、それとこれとは関係ないでしょ!」と言い返してくる主人。さらに私は主人に言い返そうとしましたが、その場にいた子どもたちの不安そうな表情を見て我に返ったのです。「ごめんね。大きな声出して」と子どもたちに謝りながら抱き締めました。主人は、結局カレーには一切手をつけず、不機嫌そうにその場を去るのでした。お互いの気持ちが落ち着いてから2人で話をすると、自分をだまそうとしたのが許せなかったとのこと。全然そんなつもりはなかったのですが、「疲れてるんじゃない?」という私のとっさのひと言でそう感じてしまったようです。そして、「食べ慣れた味をそう簡単には変えられない」と主人は言いました。まとめ私は軽い気持ちでカレールーを変えてしまいましたが、主人にとっては食べ慣れた味を食べるということはとても大切なことだったようです。夫の考えをすべて受け入れたわけではありませんが、「誰だってゆずれないことはある」という主人の意見には納得しました。今後も続くであろう長い夫婦生活。衝突してしまったときこそ落ち着いてお互いの気持ちを伝え合い、歩み寄っていけたらと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。イラスト/おんたま著者/akaringo元気いっぱいの兄妹に翻弄(ほんろう)されつつも子育てを楽しむママライターです。何事も全力で! をモットーに日々過ごしています。
2024年01月08日マンガ「デブス女の修羅場」155話。婚活サイトで出会った夫と交際0日で結婚を決めたアラフォー女子、ぷよ子さんのマンガを紹介します。ぷよ子さんは妊娠9週目で稽留流産(けいりゅうりゅうざん)となり、悲しみのどん底で摘出手術を受けました。他の赤ちゃんを見て大号泣していた日々の中、ブログで多くの読者に励まされ、夫とも悲しみを共有。自宅に設けた供養場所で自分たちだけの泣き笑いの供養を終えて数日後には、虹のかかった空の下で少女と手をつなぐ夢を見て、「もう大丈夫」と感じられました。しかし、職場復帰の朝に、ぷよ子さんは突然大出血! 病院へ急行すると、「緊急手術が必要で、最悪の可能性もある」と言われて驚がくします。混乱する頭で夫に書き残す言葉を考えていました。怖いモヤが来たけれど…ぷよ子さんが書き残したのは、「大好き。出会ってくれてありがとう」という夫への感謝と愛情の言葉でした。ブログの読者様にも報告とお礼を書いて、いよいよ手術台へ。数時間後、処置は無事に終了しましたが、麻酔がかかった体で変な幻覚を見たのです……。私が見たのは、麻酔が見せた幻覚だったのでしょう。黒いモヤが怖い顔の男性の形になって、側に近付いてきたのです。「お願い、近付いてこないで!」と両手を握りしめていると、今度は白いモヤがきれいな顔をした少女の形になり、黒いモヤを追い払ってくれたのです。その子は何かを伝えようとしていましたが、言葉がわからずに断念。しかし私は心の中で、「あなたのことが大好き!」と叫びました。笑顔になった少女を見て私もほっとし、その後は温かい気持ちで眠ることができました。--------------麻酔下での幻覚とはいえ、接近してくる黒いモヤは怖いですね……。助けてくれたかわいらしい少女は、もしかしたら守りたかったわが子だったのかもしれません。細かい意思疎通はできなかったそうですが、「大好き!」の気持ちを届けられてよかったですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/ぷよ子低収入ブラックバイトで労働しているアラフォーのデブス女。最近妊娠し、不慣れな状況に戸惑いを隠せない。仕事の悩み、高齢妊娠の悩み、夫婦の気持ちを赤裸々に描いたブログを更新中。Instagram:@puyozip
2024年01月08日30代後半になったころ、明らかに生理の経血とは違う少量の出血を起こすことが度々ありました。病院へ行くことが怖くて、この症状についてネットで調べていたら、余計に不安を募らせてしまいました。リサーチして募った不安婦人科に行ったほうがいいと思いつつも、「もし悪い病気だったら」と思うと、怖くて行けませんでした。不正出血について検索してみると、可能性がありそうなのは、子宮頸がんや子宮体がん。調べるうちに、「もう取り返しのつかないぐらい進行してたらどうしよう」と悪い想像が膨らんで、ひとりで不安を抱え込んでしまいました。検査の結果はネットで調べていても不正出血がなくなるはずもなく、仕方なく婦人科へ行くことにしました。エコーで子宮や卵巣の状態を診てもらうと……先生から「びらん」であることを告げられました。聞き慣れない言葉に、私はポカンとしてしまいました。「びらん」とは、子宮頚部の内側を覆っている子宮頚管粘膜が外に向かって広がってできる「子宮腟部びらん」。「子宮の入り口のあたりにポリープができていて出血している」とのこと。これが私の不正出血の正体だったのです。ポリープを切除先生からは「何の心配もいらない良性のできもの」だと聞き、安堵(あんど)したのですが……すぐにそのポリープを切除すると言われ、再び恐怖に震えました。腟内に器具を入れて、麻酔もせずに腫瘍を切ると言うのです。どのぐらい痛いのか想像できず、内診台でガチガチに緊張しながら「怖い!」と悲鳴を上げました。先生から「大丈夫だから、力を抜いてね」と言われると、あっという間に終わりました。あんなに怖がってしまい、恥ずかしかったです。まとめいつまでも病院へ行かず、ネットで調べていた自分を反省しました。もし子宮がんだったら、ちゅうちょしていた時間の分だけ病気が悪化していたかもしれません。今後は気になることがあったら勇気を出して、早めに病院へ行こうと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。文/雪田みゆ子著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年01月08日若いときにおしゃれのために毎日履いていたヒールのせいで、気が付けば典型的な外反母趾(足の親指「母趾」が人差し指のほうに「くの字」に曲がる病気)になってしまった私の足。ポコンと親指の下の骨が出っぱっているけれど、少し幅広の靴を選ぶようにして対処していました。でも、44歳になったころから痛みが。ひょんなことから知った外反母趾外来の存在と、痛みを取りたくて通った結果についてお話しします。ある日痛みに耐え切れなくなった…若いころ、おしゃれに見せたくて高さ5cm以上あるヒールを日常的に履いていたのがいけなかったんだなと、半分諦めていた外反母趾。別に人前で靴を脱ぐことはあまりないからと大して気にしていなかったのですが、出産後、運動をあまりしなくなったころから徐々に足の親指の下の骨の出っぱりが目立ち始め、最近になって親指の付け根の周辺に痛みが出始めました。いつか治るだろうと放置していたら、どんどんひどくなって膝や脚の付け根まで痛みが響くように。整体マッサージに行っても痛みは緩和されないため、数カ月悩まされていました。初めて知った!外反母趾外来そんなとき美容院で何げなく手に取った女性誌で外反母趾について特集していました。そこに書いてあったのは人間の体重を支える足の裏にはさまざまなストレスがかかっていて、外反母趾や魚の目をかばって歩いていると足裏のバランスが崩れ、思わぬところに痛みが走ることがあるということ。まさにそこに書かれていたのは私の症状そのものでした。足裏のバランスを整える治療をしない限り、痛みはひくどころかひどくなるとの記事を読み、すぐに掲載されていた外反母趾外来に問い合わせてみることにしました。そもそも外反母趾外来というものがあるなんて、私はそのとき初めて知ったのですが、首都圏を中心に何カ所かあって、近年足の悩みを抱えて受診する大人の女性が増えているそうなのです。ちなみに私はたまたま職場の近くにあった治療院を受診しました。ついに痛みの原因が明らかに!外反母趾外来では足だけ診せればいいのかと思いきや、体全体のバランスに始まり、歩き方や立ったときの頭の位置などを細かくチェック。普段の生活スタイルやどんな靴を履いているかなど生活習慣についての質問もされました。その後の先生の話によると、私の痛みは足の裏をじょうずに使えていないのが原因とのことで、その蓄積によって痛み出したのだとか。靴を変えることがきっかけになる人もいるけれど、多くは長年の悪習慣が積み重なった結果、コップの水があふれるようにある日痛みにつながるということでした。原因がわかったところで、体全体のゆがみを取るストレッチのあと、足裏をじょうずに使うためにかかとから着地させる歩き方を習いました。とても違和感がありましたが、これこそが本来の歩き方であり、きちんと足裏を使うことで足裏の筋肉が鍛えられ、体のバランスを取る土台ができるのだと教わりました。さらに足の指の間を全部開けるように伸ばしてから丸めるという動きを、1日の終わりに10セットほど必ずおこなって足裏の筋肉を鍛えてくださいという指示を受けました。この治療を週に1度、2カ月受けたところ、最初の1週間でほぼ痛みは消え、2カ月目には足の甲が分厚くしっかりした見た目に。ぽっこり出ていた骨も筋肉をつけることで目立たなくなりました。まとめ外反母趾外来を受診することで、外反母趾の痛みがなくなっただけでなく、足裏を鍛えるという習慣を手にした私。今では足裏をしっかり使って歩く意識を持つことで、結果的に歩く姿勢も良くなった気がします。外反母趾はもう治らないと諦めずにきちんと専門医に見てもらったことで、心地良い生活を再び手に入れることができました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/粒来 拓先生(よしかた産婦人科分院綱島女性クリニック院長)日本産科婦人科学会 専門医・指導医。日本女性医学学会 女性ヘルスケア認定医・指導医。日本女性心身医学会 認定医。患者一人ひとりの症状と考え方に寄り添い、サポートしている。著者/春山サチコ(44歳)小学2年生と年長の男児がいる銀行内勤ママ。ちょっと遅めの出産だったので、周りより高齢。年齢を隠して若作りを心がけているけれど肉体年齢はごまかせないのか、とにかく体の凝りがひどい。
2024年01月08日30代半ばで離婚して実家に出戻りした、40代独身マンガ家の大日野カルコさん。「くそ地味な日常」をマンガにされています。友だちにすすめられ、以前から気になっていた髪のメッシュ。ついにメッシュデビューをしてみたら……。コーディネートがラクに!メッシュデビューをしたカルコさん。理由はおしゃれの1つ、ではなくて……。髪にメッシュを入れるのが気になっていたんですが、今一歩踏み込めませんでした。でも、服装をちょこっとハンサム寄りにマイナーチェンジしたことで勢いがつき、思い切ってメッシュを入れてみました。思った以上に気分が良くてビックリ!素朴顔はちょこっとメッシュ入れたところで全然いかつくならないし、髪に「差し色」があるので服はベーシックな色でも地味になり過ぎず、前よりもコーディネートがラクになりました♪地味~にあか抜けた感じ(笑)。根本に白髪が出てきても、メッシュのおかげでそこまで目立たない!?普段の美容院+数千円で気分的にかなりラクちんになるので、私はやってよかったなぁと思いますよ。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/大日野 カルコ(44歳)くそ地味系マンガ家。著書にエッセイ漫画『39歳、私いつまでこのまんま?~アラフォーからのマインドリセット』。Instagram「40代独女くそじみLIFE」日々更新。→@karukoohino
2024年01月07日2022年に息子さんが成人式を迎えたちょこさん。成人の日、母として思ったことをマンガにつづっています。ちょこさんが涙が止まらなくなった理由は……、そして、この日しみじみ感じたことは……。親がもらった権利とは大学生の息子が、2022年成人式を迎えました。男子ということで晴れ着を用意するわけでもなく、手持ちのスーツを着せるだけ。前日まで実感はまるでありませんでした。当日、スーツを着た息子が「成人式で昔の友だちと会えるのが楽しみ過ぎる。今日が楽しみ過ぎる」と言ったのを聞いて、私も息子の笑顔がうれし過ぎる……と感じたのです。「会場まで写真、撮りに来る?」「ううん、こんなおばさんが行くより友だちで撮影したほうが楽しいでしょ」と言っていた私でしたが……。息子は「今から近くの公園で式に出る友だちと待ち合わせだけど、そこでは写真撮れるけど?」と聞いてくれたのです。私もスマホを片手に公園に向かうと……いつものように自然に私の前で笑顔で並んでくれる息子と友人たちがいました。何枚か撮影して自宅に戻り、写真の中の自然な笑顔の彼らを見ていたら、今までことあるごとに彼らの写真を撮り続けてきた、さまざまな場面が思い出されて涙が止まらなくなりました。私は、手際も悪いし家事も苦手だし、料理を作るのだって遅いし、素晴らしい母親でもなんでもありません。そんな私が息子の成人に思うこと……。親というのは実は、子どもというひとりの人間の人生の一番最初から、ずっと近くで見ていられる権利をもらったということなのではないかと、今しみじみ感じています。著者/ちょこ(50歳)とうとう50歳になってしまった大学生と小学生2人の母。夫含め5人で暮らしている。ライターをやりつつ、ゆるいマンガをインスタに上げている。
2024年01月07日