京都ふしみ五四市協議会は、地域が繋がる、人が繋がるイベント「ふしみ五四市」を、2024年4月7日(日)に京都府京都市の伏見港公園(芝生広場一帯)で開催します。約30店舗のキッチンカー・ハンドメイド作品・キッズ向けワークショップや、キッズダンスステージも予定しています。最新情報は公式Instagramアカウントから イベントチラシ■イベント実施背景と想い<歴史ある伏見港の跡地で開催>京都伏見にて地域が繋がる、人が繋がる新しいイベントを開催します。京都伏見といえば、伏見稲荷大社を連想する方も多いですが、開催場所は伏見の酒蔵が集まる京阪中書島にある『伏見港公園』。イベント会場となる伏見港公園は、昔、伏見城の築城から淀川舟運の基地として栄えた伏見港の跡地です。今は、地域スポーツ拠点として多くの方が利用しています。今回は、その伏見港公園にキッチンカー・ハンドメイド作品・キッズ向けワークショップが大集合します。イベントを通じて、多くの方が繋がる場を作っていきたいと考えています。<交流と体験を通じて子どもと大人が共に成長する>この度のイベントを通じて、子どもの可能性を広げていけるきっかけにしてもらいたいという思いもあり、当日は、キッズダンスステージも予定しています。誰かに観てもらうことで、子どもの自己肯定感は上がり、さらに、ステージを観た子どもが『自分もやってみたい』と思うことが、その子の可能性に繋がります。『やってみたい・楽しい・自分もできる』そんな思いをイベントで感じてもらえたらと考えます。“大人の行動を見て子どもは育つ”と言いますが、子どもの行動を見て大人が学ぶこともたくさんあります。大人も全力で楽しむことで、子どもはより笑顔になります。また、一緒にワークショップをすることは、子どもにとっては大切な時間です。そんな時間を、楽しんでほしいと願います。<イベントで新たな交流に繋げたい>現代は携帯があれば何でも買える時代で、人との交流が、昔に比べて少なくなってしまっていると感じます。だからこそ『リアル』に拘り販売店とお客様が直接やり取りすることで生まれる時間を大切にしてもらいたいと考えています。■イベント概要日時 :2024年4月7日(日) 荒天中止10:00-16:00会場 :伏見港公園(芝生広場一帯/園路)京都府京都市伏見区葭島金井戸町京阪電車/中書島駅より徒歩5分料金 :入場料無料主催 :京都ふしみ五四市協議会後援 :一般社団法人京都伏見十六会/有限会社中村ローソク/一般社団法人イベントプランニング協会/伏見宇治文化観光研究会/みやび企画/Discovery World協力 :伏見港スポーツパークパートナーズ運営事務局:一般社団法人イベントプランニング協会(小梯泰明)Discovery World(八木隼人)/桑田裕香協賛企業 :生活協同組合コープ自然派京都※内容は予告なく変更される場合があります。みんなで作る段ボール迷路子ども縁日出店情報1出店情報5 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2024年03月29日2024年1月22日、宮内庁は天皇皇后両陛下の長女である敬宮(としのみや)愛子さまが、日本赤十字社に就職されることが内定したと発表しました。愛子さまは同月現在、学習院大学文学部日本語日本文学科の4年生で、卒業後の4月1日より嘱託職員として就職されるといいます。日本赤十字社は、皇后・雅子さまが令和元年より名誉総裁を務められている認可法人で、国内外における災害救護活動をはじめ、被災地や保健衛生の環境が整っていない地域での中長期的な伝染病予防教育や医療機器の整備、飲料水供給、衛生環境改善事業などを行っています。産経ニュースによると、愛子さまは2023年10月に両陛下とともに東京都港区の日本赤十字社の本社を訪れており、関東大震災での救護活動を振り返る企画展を見学。災害時の活動について、担当者に質問される場面もあったそうです。ネット上ではこのニュースに関して、祝福する声などが多数寄せられていました。・ご就職内定、おめでとうございます!心から応援させていただきます。・ボランティアにも深い関心をお持ちのようだったみたいで。素晴らしいです!・留学されると思っていたので、意外でした。福祉への想いを感じて感動しました。・愛子さまが就職か…。時が経つのは早いですね。頑張ってください!天皇陛下は、2023年2月のお誕生日に際し愛子さまについて「いろいろな方からたくさんのことを学び、さまざまな経験を積み重ねながら視野を広げ、自らの考えを深めていってほしいと願っている」と語られていました。春から社会人として新たな一歩を踏み出される愛子さま。さらなるご活躍をされることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2024年01月23日ー京都・伏見のお酒とアテで秋の夜長に乾杯!特産品販売もー株式会社京阪流通システムズ(本社:大阪市中央区、代表取締役社長:松下靖)が運営する京阪電車・Osaka Metro天満橋駅直結の商業施設、京阪シティモールでは、5回目となる「うまいもんと伏見の酒まつりin天満橋駅・京阪シティモール」を9月30日(土)~10月10日(火)に開催いたします。これまで4回開催しご好評いただいた当イベントは、天満橋と歴史的にも縁があり、京阪沿線である伏見エリアの魅力を発信することで、双方の地域が活性化することを目的として開催してまいりました。本年は、天満橋駅 駅前広場にて伏見の日本酒とフードを楽しめる屋台が登場する他、京阪シティモール4階イベントスペースにて「伏水酒蔵堂」による日本酒や特産品の期間限定販売や、伏見港「みなとオアシス」の特別展示を行います。また10月7日(土)には、「ハイパー縁側@天満橋」を開催し、伏見酒造組合 理事長 増田德兵衞氏をゲストとしてお招きし、伏見の歴史やお酒の話についてトークセッションを行います。詳細は以下のとおりです。開催概要▶ タイトルうまいもんと伏見の酒まつりin天満橋駅・京阪シティモール▶ 期間9月30日(土)~ 10月10日(火)11日間▶ 内容①「伏水酒蔵小路」による“日本酒とうまいもんの饗宴”②伏見の日本酒と特産品販売会-「伏水酒蔵堂」POP UP SHOP-③伏見港「みなとオアシス」特別展示④「ハイパー縁側@天満橋」・音楽ライブの開催▶ その他主催:株式会社京阪流通システムズ特別協力:京阪ホールディングス株式会社/大阪水上バス株式会社協力:伏見酒造組合/一般社団法人京都伏見十六会/「川のみなとオアシス 水のまち 京都・伏見」運営・まちづくり協議会/NPO法人伏見観光協会/一般社団法人Miss SAKE/大起水産株式会社/餃子の専門店 福吉/国産ハイボール酒場 八ー堂/伏水酒蔵小路TOPICS■日本酒とうまいもんの饗宴「伏水酒蔵小路」と伏見の飲食店による“十八蔵のきき酒セット”や日本酒に合うフードを提供。また、10月1日(日)は「川の駅はちけんや」大起水産まぐろスタジアム開催の、「京まぐろの解体ショー」にて捌きたての京まぐろを使ったにぎり寿司を1日限定で販売いたします。日時:平日17:00~21:00土・日・祝11:00~21:00(Lo.20:30)場所:京阪電車 天満橋駅駅前広場▶ 京都・伏見、18蔵元の日本酒が楽しめる“十八蔵のきき酒セット”を販売。京都・伏見の酒蔵めぐり気分が味わえる「伏水酒蔵小路」定番メニューの“十八蔵のきき酒セット”がイベントの目玉として登場!グラス1杯20ccを18杯+和らぎ水付2,500円(税込)にて提供いたします。▶ 大起水産のお寿司や厳選された伏見の飲食店メニューを期間限定でお楽しみいただけます。「大起水産」のお寿司3貫と巻き寿司(10/1は京まぐろを使ったにぎり寿司)、「餃子の専門店 福吉」の餃子、「国産ハイボール酒場 八一堂」の名物八一堂コロッケ他、伏見グルメとして、鶏味噌へしこ、炭火炙り牛塩へしこ、牛タン塩焼き等、バリエーション豊富に提供いたします。ぜひこの機会に伏見の日本酒と共にお楽しみください。「餃子の専門店 福吉」の餃子福吉の焼餃子、水餃子は地元産の食材をメインにこだわりの素材を使用したニンニク不使用の餃子です。「国産ハイボール酒場 八一堂」 の名物八一堂コロッケ(土日祝のみ)牛脂(ヘット)で揚げたお肉屋さんのコロッケ。外はさくっと中はしっとりしたジャガイモの美味しさが広がります。伏見グルメ(酒粕料理など)各種■伏見の日本酒と特産品販売会 -「伏水酒蔵堂」POP UP SHOP-伏見の100銘柄以上の日本酒を販売する他、京都と伏見にゆかりのある特産品や工芸品、食品等を販売いたします。会場には自動サーバーを設置し、「伏水酒蔵堂」イチオシの銘柄や、日替わりで来店する蔵元の銘柄が楽しめる日本酒無料試飲を実施。ご購入いただいた日本酒にオリジナルラベルを貼り付けられる他(全日開催)、和蝋燭の絵師による蝋燭の絵付け実演販売も実施いたします。(9/30(土)、10/1(日)、10/7(土)、10/8(日)各日11時~18時)日時:各日10:00~21:00(最終日は20:00まで)場所:京阪シティモール4階イベントスペース<伏水酒蔵小路&伏水酒蔵堂について>「伏水酒蔵小路」は、伏見酒造組合に属する18蔵元の日本酒を常時100銘柄以上取り揃える酒蔵カウンターと、バラエティに富んだうまいもん専門店8店舗が集まる、京都・伏見の飲食施設です。そこで出会ったお酒は近隣の「伏水酒蔵堂」でお買い求めいただけます。▶ 京都の特産品販売(以下一部抜粋)1.日本酒各種京都府は全国第2位の日本酒製造量を誇ります。その京都の伏見から季節のお酒を含めた100銘柄以上をご用意いたします。2.焼酎・リキュール・ビール他京都・伏見の蔵が造る日本酒以外のお酒も多数販売いたします。焼酎、リキュール、梅酒、クラフトビールやウイスキー、蜂蜜酒というお酒も。どれも蔵のこだわりが詰まった美味しいお酒です。3.日本酒のアテ日本酒に合うアテとして、「伏水酒蔵小路」でも提供している厳選食材を特別にご用意いたしました。伏見の地元精肉店の高級ハムや、京都の老舗旅館が作る和チーズなど、ご自宅で伏見の日本酒と一緒にお楽しみください。4.特産品&伝統工芸品京都の伝統工芸品の他、清水焼の新進気鋭の作家たちによる1点物の酒器を特別に展示販売いたします。■伏見港「みなとオアシス」特別展示全国唯一の内陸河川港湾である伏見港が2021年春に「みなとオアシス(※1)」 に登録されました。伏見港は1594年に豊臣秀吉によって整備され、京都と大阪を結ぶ河川水運の要衝として大きな役割を果たしてきました。大阪側の拠点・天満橋と淀川の舟運で結ばれていた伏見港「みなとオアシス」のパネルなどを特別展示いたします。日時:各日10:00~21:00(最終日は20:00まで)場所:京阪シティモール4階イベントスペース※1「みなとオアシス」は、「みなと」を核とした地域住民の交流や観光振興を通じた地域活性化が継続的に行われる施設を国土交通省が登録する制度です。「ハイパー縁側@天満橋」・音楽ライブの開催日時:10月7日(土)13:00~20:00(「ハイパー縁側@天満橋」は15:00~16:00にて開催)場所:京阪シティモール8階レストスペース「ハイパー縁側@天満橋」は、LIVE配信およびYouTubeチャンネルにて後日アーカイブ配信も行います。・Facebook(LIVE配信あり) ・YouTubeチャンネル(アーカイブ配信あり) ▶ ご登壇者伏見酒造組合 理事長増田德兵衞氏■備考※上記内容は9月25日(月)時点のものです。※各イベントの詳細は、京阪シティモールHPをご確認ください。※「伏見の日本酒」に関して、城陽酒造は城陽市に位置し地域として伏見ではありませんが、伏見酒造組合に加盟しているため、本イベントでは城陽酒造のお酒の取り扱いもございます。※宝酒造の「白壁蔵」に関して、「白壁蔵」は兵庫県灘の蔵で造られたお酒ですが、宝酒造の本社が伏見のため、本イベントでは、宝酒造の「白壁蔵」のお酒の取り扱いもございます。※写真はイメージです。※お酒の販売・試飲は20歳以上の方に限らせていただきます。※飲酒運転は法律で禁止されています。※妊娠中や授乳期の飲酒は、胎児・乳児の発育に悪影響を与えるおそれがあります。※掲載商品が売切れの場合はご容赦ください。※価格は全て税込みです。※イベントは都合により予告なく内容が変更・中止となる場合がございます。■会社概要商号:株式会社京阪流通システムズ代 表 者 :代表取締役社長松下靖本社:〒540-0032大阪市中央区天満橋京町1-1TEL:06-6944-3087 FAX:06-6944-3047設立:2002年8月8日事業内容:ショッピングセンター等の商業施設の経営、プロパティマネジメント事業資 本 金 :100百万円URL : ■施設概要【京阪シティモール】住所:〒540-0032 大阪市中央区天満橋京町1-1TEL :06-6944-5088(代表)アクセス:京阪電車・Osaka Metro「天満橋」駅、大阪シティバス「天満橋」下車すぐ駐車場約490台/提携駐車場含(有料、お買い物での優待あり)営業面積:約32,000㎡店舗数:約100店舗URL : 230925_city-mall.pdf : 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2023年09月25日日本料理【魚三楼】焼肉【焼肉どころ鼎】フレンチ【anpeiji】フレンチ【水ノ雅KYOTOFUSHIMI】ピッツェリア【ピッツェリアナポレターナドンチッチョ】日本料理【魚三楼】京の歴史を体感できるお座敷で、季節の会席料理を堪能昔ながらの料亭の風情漂う外観に期待が膨らむ京阪本線 伏見桃山駅から徒歩1分、風情ある店構えに思わず目を奪われます。明和元(1764)年創業の【魚三楼】は、250年の伝統と“いまを感じる”会席料理が堪能できる料亭です。すべてがゆったりとした個室で、2名から利用可能。1階はどの部屋からも美しい庭が眺められ、ゆったりくつろぐことができます。また、表の格子には鳥羽・伏見の戦い時の弾痕が保存されているなど、史跡としても要チェックです。和と洋のおいしさが見事に調和した、トリュフ香る『すっぽんの茶碗蒸し』伏見港に揚がる魚介や京野菜、酒づくりにも使われる豊かな地下水を用いた、ここでしか味わえない料理と雰囲気を提供し続けてきた【魚三楼】。九代目となるいまもその伝統はしっかり受け継ぎつつ、魚介のスープを用いたり、トリュフや鴨肉といった洋の食材を効果的に取り入れたりしながら、時代の味を表現しています。昼のみの『花籠御膳』や、少し軽めの会席『季節膳』など、女性向けメニューも人気です。魚三楼【エリア】伏見/醍醐【ジャンル】和食【ランチ平均予算】5500円【ディナー平均予算】15000円【アクセス】京阪伏見桃山駅 徒歩1分焼肉【焼肉どころ鼎】風情あふれる和の空間で、極上の焼肉とワインに酔いしれる庭園を眺めながら焼肉が堪能できる広々とした店内京阪本線 藤森駅から徒歩6分、長く続く石畳の先にある【焼肉どころ鼎】。京都で指折りの精肉卸売業者がプロデュースする、高品質・低価格の本格焼肉店です。店内は、京都の風情を醸し出す和モダンな空間。掘りごたつ式のカウンターでは、鉄板焼きの醍醐味を目の前で楽しめます。落ち着いた半個室や、庭が見渡せる広々としたテーブル席も。旅の思い出とともに、おいしい焼肉を心ゆくまで味わってください。肉好きのゲストをもうならせる、味わい豊かで柔らかな『松阪牛イチボ』店主自ら目利きして買い付けた極上の松阪牛、特選和牛のみを使用。月齢30ヶ月以上の牝牛を1頭買いし、焼肉に適した部位を最良の状態で提供しています。味わい豊かな『松阪牛イチボ』や、至福の逸品と呼ぶにふさわしい『特選ロース』など、最高品質の肉料理の数々は、こだわりのワインとの相性もバツグン。大切な人とグラスを傾けながら、肉本来の旨みを味わい尽くしてみては。焼肉どころ鼎【エリア】伏見/醍醐【ジャンル】焼肉【ランチ平均予算】-【ディナー平均予算】8000円【アクセス】藤森駅 徒歩6分フレンチ【anpeiji】食材の個性や生産者の思いを表現した、唯一無二の料理に出会えるウッド製の家具も美しく映える、シックで上質な空間近鉄京都線 竹田駅から徒歩25分、京都・伏見の郊外に佇むフランス料理店。「シフクノトキ」をコンセプトに、ゲストに寄り添ったサービスと特別な料理で、至福の時を演出するお店です。優しい光が差し込む店内は、シンプルで落ち着いた雰囲気。ウッド製の家具、フランスの一流ブランドでそろえたカトラリーや食器など、料理をより楽しむためのこだわりがあふれています。旬の食材を使用した4~7品の『アミューズ』からコース料理がスタート本場フランスで修業を積んだシェフが生み出すのは、食材の個性を活かした味わいも見た目も華麗な料理。信頼する生産者から直接仕入れた食材を、卓越した技術で個性豊かな逸品へと昇華させていきます。アルコールは、フランスワインはもちろん、酒処・伏見ならではの良質な日本酒や、黄桜酒造の日本酒酵母を使用した地ビールなども用意。ここでしか出会えない特別なマリアージュを、ぜひお楽しみください。anpeiji【エリア】伏見/醍醐【ジャンル】フレンチ【ランチ平均予算】6000円【ディナー平均予算】10000円【アクセス】竹田駅 徒歩25分フレンチ【水ノ雅KYOTOFUSHIMI】築150年の京町家で、地元・伏見の食材を使った極上の一皿を京都の“和”を象徴する優雅で気品あふれる空間京阪本線 伏見桃山駅から徒歩5分にある、和と洋が美しく調和したフランス料理店。伏見の歴史を見守り続けてきた齊藤酒造社長の元私邸、築150年の歴史を持つ京町家で、一流料理長が手がける京フレンチが堪能できます。灯篭や手水などが置かれた庭、和の設えをうまくアレンジした内装など、趣ある風情と魅力を肌で感じることができる、京都観光にふさわしい空間です。シンプルにローストした牛フィレ肉に、旬の地野菜をたっぷり添えた一皿もオススメ食材の多くは、伏見という恵まれた土地の産物を使用。【宮本ファーム】のお米や野菜、【齊藤酒造】の日本酒『英勲』、【マルトシ珈琲】の珈琲、【カネ七畠山製茶】の宇治茶・抹茶に加え、高知県宿毛の【与力水産】から獲れたて鮮魚を直送しています。伏見で育った食材と高知の鮮魚が美しいフランス料理の一皿に大変身し、食欲をそそってくれるでしょう。水ノ雅KYOTOFUSHIMI【エリア】伏見/醍醐【ジャンル】フレンチ【ランチ平均予算】4000円【ディナー平均予算】8000円【アクセス】伏見桃山駅 徒歩5分ピッツェリア【ピッツェリアナポレターナドンチッチョ】イタリアと京都の味がミックスされた、個性的なピッツァが楽しめるイタリアの伝統がちりばめられた、心躍る店内京阪本線 中書島駅から北へ徒歩10分、竜馬通り商店街に佇むピッツェリア。イタリア・ナポリで修業を積んだ料理人による、本格窯焼きピッツァが楽しめる一軒です。中に入ると、存在感ある本格窯がお迎え。内装や食器などもイタリアのハンドメイドにこだわったもので、アットホームな雰囲気に包まれます。天気のいい日には、かわいい庭に面したテラス席もオススメです。トマトソースと京都産の九条ネギが見事にマッチした『ネギナーラ』自慢のピッツァは、素材選びから現地のテイストを追求。ナポリから空輸で届くモッツァレラチーズを使った『水牛モッツァレラのマルゲリータ』は、本場ナポリを実感する逸品です。また、京都府内で育てられた野菜を使った前菜やピッツァも用意。たっぷりの九条ネギをトッピングした『ネギナーラ』など、京都らしさも楽しめるオリジナルピッツァで旅行気分を存分に味わってください。ピッツェリアナポレターナドンチッチョ【エリア】伏見/醍醐【ジャンル】パスタ・ピザ【ランチ平均予算】2000円【ディナー平均予算】4000円【アクセス】中書島駅 徒歩10分※店舗情報は取材当時の情報です。最新の情報や営業時間は店舗にご確認ください。
2023年08月23日伏見酒造組合(所在地:京都市伏見区、理事長:増田徳兵衞)と京阪ホールディングス株式会社(本社:大阪市中央区、社長:石丸昌宏)は、令和4年度 日本産酒類海外展開支援事業費補助金を活用した事業の一環として、2022年10月15日(土)より「酒蔵のまち 京都・伏見 酒粕グルメさんぽ2022」を開催します。これは、日本酒の副産物である酒粕を「京都・伏見」の冬の郷土料理として観光コンテンツ化することで、これまで日本酒に馴染みがなかった層に対しても酒粕の健康・美容への効果や、食材を無駄なく使用する京都の食文化を訴求することで、日本酒ファンの拡大や伏見エリアへの来訪・周遊につなげていくことを目的としています。あわせて、観光客の訪問エリア・訪問シーズンの分散化による地域課題の解決にも貢献します。バラエティに富んだ酒粕グルメを楽しめるデジタルスタンプラリーをはじめ、酒粕をテーマにしたトークショー、日本酒の試飲イベントを通して、伏見の清酒の新たな魅力を発見してみませんか。詳細は別紙のとおりです。「酒蔵のまち 京都・伏見 酒粕グルメさんぽ2022」パンフレット(表紙)(中面:スタンプラリーポイント)1.「酒蔵のまち 京都・伏見 酒粕グルメさんぽ2022」&デジタルスタンプラリー伏見エリアの飲食店23店舗が、伏見の酒蔵の酒粕を使った様々なメニューを期間限定で提供します。また、参加店舗に設置されたスタンプ(二次元コード)を集めるデジタルスタンプラリーも同時開催。おトクなクーポンが獲得できるほか、所定のスタンプ数を集めると伏見の清酒や酒蔵グッズ詰め合わせセットが当たる抽選に応募できます。【実施期間】2022年10月15日(土)~2023年1月15日(日)【場 所】伏見エリア一帯(最寄駅:京阪電車 中書島駅、伏見桃山駅、丹波橋駅のいずれか)【参加店舗(スタンプポイント)】23店舗【賞 品】◆15スタンプ賞(スタンプ15個以上) ※画像はイメージです。伏見酒蔵の清酒(4合ビン)6本詰め合わせ・・・・・・・ 3名様※銘柄は選べません◆10スタンプ賞(スタンプ10個以上) ※画像はイメージです。酒蔵グッズ詰め合わせセット(C・D・Eセット)・・・・・8名様CセットDセットEセット◆6スタンプ賞(スタンプ6個以上) ※画像はイメージです。酒蔵グッズ詰め合わせセット(A・Bセット)・・・・・ 8名様Aセット Bセット◆3スタンプ賞(スタンプ3個以上)伏見酒蔵の清酒(4合ビン)1本・・・・・・・・・・・18名様※銘柄は選べません2.酒粕グルメさんぽinマチナカ伏見の清酒と酒粕を知る・飲む・味わうイベント。酒粕グルメさんぽ2022の開催にあわせ、日本酒に関連する様々な立場の方々と酒蔵(酒造会社)の方によるトークショー、伏見の酒粕マルシェ(伏見の清酒および酒粕グルメの試飲・試食)を実施します。【実 施 日】2022年10月15日(土)・16日(日)【場 所】GOOD NATURE STATION(京都市下京区河原町通四条下ル2丁目稲荷町318番6)【参 加 費】無料(トークショー、マルシェとも無料)■トークショー「酒粕の新しいカタチ」:4F Hyssop(ヒソップ)奥(特設ステージ)伏見の酒造りの深い知識や気軽に食卓に酒粕を取り入れるヒントなど、様々な角度から伏見の清酒と酒粕の新しい魅力をお届けします。(各回定員30名、参加無料、事前申込制)<登壇者> ※敬称略2022年10月15日(土)11時30分~12時30分助野彰彦(株式会社菱六〔菱六もやし〕代表取締役社長)×羽場洋介(玉乃光酒造株式会社 取締役副社長)2022年10月15日(土)14時~15時滝本将博(ラ・ビオグラフィ オーナーシェフ)×羽場洋介(玉乃光酒造株式会社 取締役副社長)2022年10月16日(日)11時30分~12時30分田中悠亮(株式会社田中長奈良漬店 奈良漬バターサンド販売責任者、EC責任者)×増田徳兵衞(伏見酒造組合 理事長)2022年10月16日(日)14時~15時笹島保弘(イル・ギオットーネ オーナーシェフ)×増田徳兵衞(伏見酒造組合 理事長)各回MC:山内美和■伏見の酒粕マルシェ:1F 正面広場(MAENIWA)「酒粕グルメさんぽ」参加店舗の酒粕メニューや伏見の清酒を無料で試食・試飲できます。また、300年以上の歴史を重ねる伏見の酒蔵・増田徳兵衞商店が出店。「月の桂」などの日本酒を購入いただけます。時 間:11時~16時(試食・試飲はなくなり次第終了)〔イベントについて最新情報やトークショーの参加申込など詳細は、Kyoto Loves Sake特設ページ( )をご確認ください。〕※いずれも、主催:伏見酒造組合、協力:京阪ホールディングス株式会社※パンフレットは、京阪電車主要駅、伏見の酒蔵(酒造会社)関連施設等で配布しています以 上 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年10月05日「コロナ禍のために、このまま4年間愛子さまがキャンパスライフを謳歌することができずに卒業を迎えてしまわれるのは、おいたわしいことです……」ある学習院OBは、愛子さまの生活をこう嘆く。愛子さまは学習院大学文学部にご入学後、新入生ガイダンスに出席された以外は通学されないまま、3度目の夏休みを過ごされている。天皇ご一家は今夏のご静養も見送られ、愛子さまも御所に籠もられる日々が29カ月も続いている。「愛子さまは、“両陛下に感染させてはならない”と、侍医と相談されて、オンラインで講義を受け続けることを決断されました。夏休みは、学習院女子高等科時代からのご学友とメールやLINEでコミュニケーションを取りながら、平安期の文学作品を読まれていると聞いております」(皇室ジャーナリスト)内親王としての強すぎる責任感から、外出を自粛する生活に耐え続けられる愛子さま。両陛下も将来のことを案じられていてーー。「大学での4年間は愛子さまにとって、将来の伴侶となる男性と巡り合う出会いの場にもなるはずでした。皇族の恋愛や結婚には多くのハードルがあることを、両陛下は身をもって経験されています。雅子さまからは、“愛子にプレッシャーを与えないように見守る”というご姿勢を感じますが、一方で学生時代に出会いがあれば……と期待されているのではないでしょうか。愛子さまのご年齢を考えると、本来多くの出会いが期待される時期であるだけに、雅子さまのご心痛も少しずつ大きくなっていると拝察します」(宮内庁関係者)29カ月の“出会い封印”という涙ぐましい献身を続ける愛子さまは、12月に21歳になられる。上皇さまの妹の島津貴子さんは21歳、三笠宮崇仁さまの長女である近衞甯子さんは22歳で結婚した。いずれも、学習院大学に在学中だった。時代は変わっても、皇族の“将来の結婚相手”探しが20代から本格化する伝統は、今も息づいているというーー。「じつは、限られた人数の男女を招き、テニスやバドミントンで愛子さまに親交を深めていただこうという意見も宮内庁のなかでは挙がっているのです。それが愛子さまにとって“運命の出会い”につながればと……」(前出・皇室ジャーナリスト)■上皇さまや陛下も…伝統的な“出会い”上皇さまと美智子さまが1959年にご成婚したきっかけとなった「テニスコートの恋」は、その当時日本中でもてはやされた。「1957年8月に軽井沢のテニスコートで、上皇さまが当時22歳だった美智子さまと出会われたことをきっかけに、お二人は親交を深められていきました。天皇陛下も、“将来のお后探し”が注目されていた1980年代後半には、たびたびご学友が女性を連れてきて、お茶会が開催されていました。また、赤坂御用地のテニスコートに旧華族に連なる家の女性が招かれて、ペアを組んでプレーされたこともあったのです」(前出・宮内庁関係者)上皇さまと美智子さまのような「コートの恋」の再現をーー。こうした構想を主導していかれるのは雅子さまなのだという。前出の宮内庁関係者は、「10月に予定されている両陛下のとちぎ国体や沖縄県での国民文化祭へのご出席も、感染者の増加状況を慎重に見極めながら判断するという段階です。テニスなどを通じて愛子さまの出会いの場を増やそうという動きも、すぐには始められない状況ですが、雅子さまも応援したいというお考えなのです」愛子さまは学習院初等科時代にはバスケ部に所属され、野球やバレーボールもたしなまれる。また冬には両陛下と静養先でスキーやスケートを楽しまれるという“スポーツ万能”ぶりは、目を見張るものがある。「両陛下の影響で、愛子さまはスポーツだけでなく、書道などの日本文化、弦楽器などへの造詣も非常に深いものをお持ちです。愛子さまに意中の方がおできになれば、そうしたご趣味のなかで交流を深められつつ、かつ家同士の交流を図っていくという、皇室の伝統的なお相手探しの形がとられるのではないでしょうか」(前出・学習院OB)眞子さんの結婚騒動で、「皇室の品格」が大きく注目を集めた。静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんはこう語る。「眞子さんのお相手の場合は、従来皇族が結婚相手としてきた方と比べて、『皇室の品格』を傷つけかねない言動が多く、国民の強い反発を招きました。皇族の結婚相手として望まれる人柄や言動のハードルを著しく下げてしまったとも言えるのではないでしょうか。愛子さまのお相手探しは、本人同士や両家の交流のなかで縁を深めて結婚するという従来の形で十分なのではないかと思います」雅子さまが主導される愛子さまのお相手探しならば、国民も安心して見守ることができるーー。
2022年08月31日昨年12月、20歳の誕生日をお迎えになり、愛子さまは成年皇族としてティアラにローブ・デコルテの正装を披露された。その愛子さまのご幼少時からの成長ぶりをもっともよく拝見できたのが、天皇皇后両陛下とごいっしょにお出かけになる夏休みの期間だった。静岡県下田市の須崎御用邸では、毎日水泳の練習をされ、ご帰京の際には健康そうに日焼けされたお顔をお見せに。栃木県の那須御用邸にご滞在中は、那須どうぶつ王国をはじめ、那須高原のレジャー施設を楽しまれた。残念ながらコロナ禍のために一昨年・昨年はご静養を取りやめておられるが、愛子さまが太陽のような笑顔を見せてくださる日が再び訪れることを国民は願っている。
2022年08月19日通われている学習院大学も夏休みに入った愛子さま。どのような日々を過ごされているのかーー。「愛子さまは平安期の文学を好まれています。『源氏物語』などの長編作品を読みこなすことをご自身の課題とされていると伺っています」(宮内庁関係者)コロナ禍だけでなく、今夏は連日の猛暑や豪雨が日本列島を襲い、国民を苦しめている。愛子さまはそうした状況に深く心を寄せられていた。「夏は各省庁からの概算要求が行われますが、宮内庁が来年度予算案に愛子さまが着用されるティアラなど装飾品の制作費を計上しないことが明らかになりました。コロナ禍で国民が苦しむなかで、両陛下のお気持ちを愛子さまが考慮されて固辞されたのです。学費が払えずに学業を断念した人や成人式にも出ることができなかった人が、愛子さまの同世代には多くいます。そんな社会情勢のなかで、制作費が3千万円以上になるティアラに税金が費やされることを望まれなかったのでしょう」(皇室ジャーナリスト)昨年12月に成人された際にも、新しいティアラの制作を辞退された愛子さま。叔母の黒田清子さんのティアラを借り受けて行事に臨まれたことが話題となった。「女性皇族が成人されると、宮中晩餐会などの行事で着用するために、ティアラやネックレスなどをオーダーメードします。眞子さんや佳子さまのティアラは、それぞれ2856万円、2793万円の制作費用がかかり、国費である宮廷費から拠出されました。“天皇の娘”である愛子さまのティアラならば、制作費は3千万円を超えると思います」(前出・皇室ジャーナリスト)制作費は国民のためにーー。そんな愛子さまのご姿勢は、天皇陛下と雅子さまの暮らしぶりから学ばれたものだろう。「御所にある家具などの調度品は一般人から見たら値段が高いと思われるものです。しかし、数十年単位で使える品質のよいものを吟味して購入され、古くなったらそのつどお手入れされていると聞いております。昔から無駄遣いをせず、質素倹約に努める両陛下のご方針は、愛子さまにも受け継がれているのです」(前出・宮内庁関係者)名古屋大学大学院准教授の河西秀哉さんはこう話す。「ティアラは公的な行事での着用以外に用途はないため、国費で制作してもよいと思います。ただ愛子さまは、生活に苦しむ国民に寄り添うという両陛下のご姿勢を常に意識されているからこそ、今回のご判断にいたったのでしょう」愛子さまに受け継がれる倹約の精神。成年皇族としてのさらなるご活躍を、国民は待ち望んでいる。
2022年08月10日便利なワークスペースを提供し多様な働き方をサポート株式会社アクセア(本社:東京都千代田区、代表取締役社長:吉田忠司、以下アクセア)は、アクセア伏見店にテレワークステーションACCEA CAFÉ(アクセアカフェ)を併設しリニューアルいたします。2022年5月16日(月)にプレオープンし、5月末のグランドオープンまでアクセアカフェの無料キャンペーンを実施します。アクセアカフェ伏見店アクセアカフェ伏見店は、好アクセスな立地のアクセア 伏見店に、リモートワーク・テレワークの拠点としてご利用いただけるテレワークステーション ACCEA CAFÉ(アクセアカフェ)を併設いたします。フリーWi-Fi、フリードリンク、全席電源完備で、Web会議に最適な個室のテレワークブースや、仕事に集中できるハイバックソファ席等をご用意いたします。従来どおりアクセアのプリントサービスも提供しておりますので、急な名刺の印刷や資料などの印刷もご注文可能です。アクセアカフェ伏見店は多様な働き方を実践するビジネスパーソンにとって、快適なワークスペースを提供いたします。※テレワークブースはグランドオープン時に導入予定ですACCEA CAFÉ(アクセアカフェ)とはアクセアカフェは空いた時間でどなたでも気軽に立ち寄れる、カフェのようなコワーキングスペースです。柔軟な働き方が求められる今、アクセアカフェはオフィス以外でも快適に働けるワークスぺースとして幅広いビジネスパーソンにご利用いただいております。• 全席電源完備• フリードリンク• 飲食物持ち込みOK• フリーWi-Fi利用時間は15分から気軽に利用できるため、スキマ時間で利用したい方にも最適です。時間を気にせず過ごしたいお客様には3時間~1dayパック、長期間ご利用希望のお客様にはお得な月額パックのご案内もございます。プリントサービスも充実しており、その場で名刺や資料、ポスターなどもお受け取り可能です。※イメージ※イメージ※イメージ※5月末導入予定アクセアカフェ公式HP : リニューアルオープンキャンペーンテレワークステーション・アクセアカフェ伏見店無料キャンペーン!プレオープンの5月16日よりアクセアカフェ伏見店の無料キャンペーンを行います。フリーWi-Fi、フリードリンク、全席電源完備の便利なワークスペースをこの機会にぜひご体感ください。※キャンペーン期間2022年5月16日(月)~5月末のグランドオープンまでアクセアカフェ関連リリースワークスペースとビジネスマッチングを提供するアプリBiz SPOT(ビズスポット)をリリース |株式会社アクセア : アクセアカフェ伏見店基本情報〒460-0003愛知県名古屋市中区錦2-18-5白川第六ビル1F●地下鉄東山線・鶴舞線「伏見駅」2番出口より徒歩2分TEL:052-265-6521FAX:052-265-6522平日8:00~22:00土日祝日10:00~19:00 株式会社アクセア会社概要商号 :株式会社アクセア代表取締役社長:吉田忠司本店所在地:東京都千代田区麹町2-4-11 麹町スクエアプラザ2F設立年月日:平成14年11月従業員数 :500名業務内容 :システム、SNSアプリ等の開発、デジタルプリント、コワーキングスペース、フィットネスなどの運営及びシェアリングサービス資本金: 2億4,059万4,200円(資本金:1億2,629万7,100円資本準備金:1億1,429万7,100円)URL: 【本件に関するお問い合わせ】株式会社アクセア担当:倉内TEL03-6261-3603FAX03-6261-3604E-mail marketing@accea.co.jp 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年05月13日4月、新年度を迎えて大学3年生になられた愛子さま。だが、いまだにキャンパスで授業を受けられたことはないーー。《愛子さま当面、オンライン授業へ両陛下への感染を心配大学に登校せず》(FNNプライムオンライン)そう報じられたのは4月7日のことだった。天皇家の側近幹部によれば「ご自身の登校が結果的に両陛下の感染につながってはいけないという強いお気持ちがある」という。天皇陛下は今年2月の誕生日会見で「愛子には、感染症が落ち着いて、いつの日かキャンパスに足を運べるようになると良いなとは思います」と語られていた。だが、3月下旬に“まん防”が解除され、多くの学生がキャンパスに足を運ぶようになった現在も、愛子さまは“登校自粛”を続けられるというのだ。皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんは、この決断に愛子さまの“内親王の矜持”を感じたと語る。「両陛下のもとでお育ちになった愛子さまは、“天皇の娘”という立場を深く自覚されています。万が一にも天皇皇后であるご両親に感染させてしまったときの“事の重大さ”を、十分すぎるほどに理解されているのです。ご自身のキャンパスでの学生生活よりも、親孝行をとったということだと思います」愛子さまは3月の会見で「両親と話をしておりますと、豊富な知識や経験に驚かされることが多々ございまして、また、両親の物事に対する考え方や、人との接し方などからは学ぶことが多くございます」とお話しになっていた。「愛子さまはご自宅で、大学での専攻に加えて、日本の伝統や歴史の勉強もなさっているのでしょう。ご家族は仲がよいと聞きますし、天皇陛下から皇室に関する歴史なども教わっているのではないでしょうか」(前出・渡邉さん)愛子さまが自粛されているのは大学への通学のみではない。学習院女子高等科時代の愛子さまの同級生も、残念そうに話す。「1月には『二十歳の会』という同窓会が開かれたのですが、会場に愛子さまはいらっしゃいませんでした。それでも、会場に用意されたスクリーンに、愛子さまは振り袖姿で登場してくださったのです。映像でのリモート参加ではありましたが、愛子さまがお出ましになったことで会場も非常に盛り上がりました」■大学時代に「新しい発見と経験を」と陛下内親王として、キャンパスライフを諦めて両陛下に尽くされる愛子さま。ただ、天皇陛下は複雑な思いを抱かれているという。「皇族にとって、大学在学中こそがもっとも自由を謳歌できる時期。“国民に寄り添う”という姿勢を大事にするためには、ほかの学生と同じように授業やサークル活動に取り組み、ときには“羽目を外す”ことも大切だと、陛下はお考えなのです」(宮内庁関係者)陛下は2月の会見でも「私自身の大学生活を振り返ってみますと、気が付けばもう40年くらいも前になりますが、大学では様々な人たちと顔を合わせて授業を受けたり、放課後の部活動で一緒に参加したり、見ず知らずの人と学生食堂で隣り合ったり、新しい発見と経験の連続であったように思います」と回想されていた。音楽部の先輩や同級生に池に投げ込まれたという話も、陛下がよく話されるエピソードだ。「学習院は、中等科と高等科は男女別学です。そのため、大学での女子学生との交流は新鮮だったと、陛下は当時の会見でお話しになっていました。愛子さまも、初等科以来ほとんど男子学生との交流はありません。将来の結婚ということを見据えても、大学時代に“出会い”があれば……と、陛下も期待されているのではないでしょうか。皇族の恋愛には非常にたくさんのハードルがあることを、陛下は身をもって経験されてきましたから……」(前出・宮内庁関係者)実は、“恋愛よりも両親の健康”と、愛子さまが感染対策を徹底される陰には、ある“苦い記憶”があるという。「’11年の11月、愛子さまはマイコプラズマ肺炎で入院されたことがあります。その直後、上皇陛下も軽度の気管支炎で入院。同じくマイコプラズマによる肺炎の可能性が高いとの診断でした。感染経路は明確にはわかりませんでしたが、このとき、愛子さまから上皇陛下に感染したのではないかという見方もあったのです。上皇陛下は幸い大事には至りませんでしたが、そういった出来事を忘れることなく、愛子さまはご自身が感染症を持ち込まないようにと決意を固められたのではないでしょうか」愛子さまは会見で「新型コロナウイルス感染症の感染拡大が一日も早く収束し、このような厳しい状況が落ち着いた先に、少しでも不安の少ない環境で、皆が有意義な学校生活を送ることのできる未来が待っていることを願っております」と、全国の学生たちに向けてメッセージを送られた。大学生活は残り2年。学習院のキャンパスに、愛子さまの笑顔が花開く日が一日も早く来ることを願いたいーー。
2022年04月14日「感染防止の観点から、普段は大学には通学せず、全科目をオンラインで受講しております」3月の記者会見でそうおっしゃっていた愛子さま。この4月に大学3年生になられた。愛子さまはこの2年間ずっと通学をお控えになっているというが、学習院大学の女子学生に話を聞くと、昨年の秋にキャンパスで愛子さまをお見かけしたことがあったという。「昨年、大学祭の開催中に、ご友人と一緒にいらっしゃる愛子さまとすれ違いました。20mくらい離れて警備の方が付いていくのも見えたので間違いないはずです。昨年の大学祭は事前に予約しないと入場できず、人数制限もあったので、感染の危険性は低かったと思います」まん延防止等重点措置が解除されて迎えた新年度。今年こそキャンパスに通学される愛子さまのお姿が見られそうだ。「結婚は、私にとってはまだ先のことのように感じられ、今まで意識したことはございません。理想のお相手については、特別これといったものはございませんが、一緒にいてお互いが笑顔になれるような関係が理想的ではないかと考えております」会見では、結婚は「まだ先」とお話しになっていた愛子さま。大学では男子学生との出会いが待っているかもしれない――。だが、政界では愛子さまの将来を左右する動きが、水面下で進んでいるという。「実は、岸田文雄首相が皇位継承問題に取り組む意欲を見せているのです。最近では『皇室典範の改正は私の代でしっかりやりたい』と周囲に話しています」(全国紙政治部記者)次世代の皇位継承者は、悠仁さまお一人しかいらっしゃらないため、皇室の存続が危ぶまれている。皇位継承者を“男系男子”に限定している皇室典範を変え、女性天皇、さらには女系天皇を認めれば皇室の危機を防げる可能性は高まるはずだが、岸田首相はそういった抜本的な改正をするつもりはないという。「昨年、岸田首相に皇位継承問題について聞いたところ、男系男子による継承に関しては『維持しなければならない。女系にすれば“別の王朝”になる』と、こだわりを見せていました。首相が“愛子天皇”実現に動くことはないでしょう。政府が設置した有識者会議が報告書に記した2案を実現させることが現実的な目標になると思います」(自民党中堅議員)有識者会議は、「女性皇族が結婚後も皇室に残る」案と、「皇族の養子縁組を可能にして、旧皇族の男系男子を皇族にする」案を提言している。1つ目の案が実現すれば、愛子さまや佳子さまは、小室圭さんと結婚して皇室を離れた眞子さんとは異なり、結婚後も皇室に残られることになる。今年1月の共同通信による世論調査でも、この案に7割以上が賛成している。■旧皇族復帰への驚くべきプランが2つ目の「旧皇族」案は、おもに自民党の保守派が推進している。たとえば自民党で「皇室問題等についての懇談会」座長を務める麻生太郎副総裁は月刊誌のインタビューで《皇籍離脱した十一宮家は伏見宮家にルーツを持ち、歴代天皇と男系で連なっている。まずは、十一宮家から未婚の男子を皇籍に復帰させることを考えるべき》と主張している(『文藝春秋』’20年1月号)。ただ、世論調査ではこの案への賛成は5割を超える程度にとどまっている。有識者会議でも、ジャーナリストの櫻井よしこ氏が《旧宮家は長い伝統の中でずっと皇族だった。皇室に縁のなかった人物が女性皇族と結婚すれば皇族となることを是とするなら、つい何十年前まで皇族の一員であった方が戻ることがなぜおかしいか》と述べるなど、賛成意見があった一方、次のような反対意見も上がった。《旧11宮家が皇籍を離脱してから70年以上が経過し、国民にとって全く遠い存在となっている》(本郷恵子・東京大学史料編纂所所長)《現在の皇族とは別に新たな皇族を作るようなことは、皇統の分裂を連想させるおそれがあり、絶対にあってはならない》(所功・京都産業大学名誉教授)《皇統に属する男系男子であれば、薄い血縁でも法律で認められれば皇族となり得ることは、天皇との血縁が濃い一定範囲の者という皇位継承の在り方と全く異なる。ひいては、国民と皇族との区別がどこにあるのかとの問題も生じかねない》(岡部喜代子・元最高裁判所判事)旧皇族の“男系男子”といっても、現在の皇室とは男系で約600年の隔たりがあり、国民にとっても親しみのない存在。皇室の形を変えてしまうのではないかと危惧する声が上がっているのだ。そういった状況下で、驚くべき“策謀”が目論まれているという。「実は、愛子さまをはじめとする女性皇族と“旧宮家男子”の結婚を実現させようという声が、少なからぬ議員から出ているのです」(皇室担当記者)安倍晋三元首相は、’17年2月の有識者会議メンバーとの会食の席で「女性皇族が『旧宮家』の男性と恋に落ちて結婚し、男子が生まれたら万々歳なんですが」と話したと報じられている。また、自民党の保守派国会議員によるグループ「日本の尊厳と国益を護る会」は次のような提言を行っている。《旧宮家の男子について、了承いただける方には皇籍に復帰いただけるよう、また現皇族の養子か女性皇族の婿養子となられることがあり得るよう、皇室典範の改正または特例法の制定を行う》旧宮家の男子と女性皇族が結婚し、“婿養子”として皇族になるという方法を「護る会」は主張しているのだ。■最優先するべきは愛子さまの「お気持ち」「70年以上も前に皇室から離れた旧皇族が、国民に馴染みのない存在だという課題は、“男系派”の議員たちも認識しています。ならば、旧皇族の男系男子が女性皇族と結婚すれば、国民も“親しみ”を感じてくれるはず――。そういった思惑があるのではないでしょうか。さらに、その夫婦の子供は男系に連なるうえに天皇家とも近い血縁となります。とりわけ国民からの人気が高い愛子さまが、旧皇族の男系男子と結婚してくだされば、“男系”での継承は盤石になるという発想なのでしょう」(前出・皇室担当記者)だが、上皇陛下も天皇陛下も、結婚のお相手はご自身の意思でお選びになった。皇室の存続のために、愛子さまを特定の人物と縁組させる“政略婚”のようなことは、両陛下も望んでいらっしゃらないだろう。静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんは、皇位継承問題をめぐる動きを危惧しているという。「戦後の皇室は、世界平和への貢献や国民への歩み寄りといった行いを大切にしてきました。“男系”という血筋ばかりを重視する考えは、現在の皇室のあり方とは相いれません。天皇を神格化していた戦前の皇室に戻そうという意図があるようにも見えます。皇室典範も法律ですから、国会で、政治の力学によって決まってしまいます。しかし、愛子さまご本人、そして天皇皇后両陛下のお気持ちをないがしろにするようでは、国民の心も離れてしまいます。結婚に関しても、愛子さまのお気持ちを最優先することが大事です」天皇陛下も昨年の誕生日会見で、愛子さまの今後について「結婚のことも含めて、いろいろ将来のことも話し合う機会というものがあるかと思います」とおっしゃっていた。政治に翻弄される愛子さまの未来。はたして“笑顔になれるような関係”の人との結婚を実現できるのか――。
2022年04月06日「一緒にいてお互いが笑顔になれるような関係が理想的ではないかと考えております」理想のパートナーについて、こうお答えになった愛子さま。3月17日、昨年12月の20歳のお誕生日から3カ月半がたっての記者会見。優しい若草色のセットアップで出席された愛子さまは、一つひとつの質問に用意されたメモをご覧にならず、丁寧にお答えになった。天皇陛下を父、雅子さまを母と呼ばれ、ご両親への感謝、一緒に過ごされる時間の大切さもお話しに。そして「両陛下や他の皇族方のお力になれますよう、私のできる限り、精一杯務めさせていただきたいと考えております」と成年皇族としてのお気持ちを示された。初めての会見とは思えない落ち着かれた対応は、日本中の国民が心打たれるものだった。そんな、愛子さまのこれまでの名ご回答を振り返ります。■「長所は、(中略)事前にこの御質問を頂いたのでじっくりと考えてみまして、強いて申し上げるなら、『どこでも寝られるところ』でしょうか」那須御用邸で「縁側にあるソファーで寝てしまい、そのまま翌朝を迎えた」とのほほ笑ましいエピソードも。■「サーフボードを浮かべて、そこに3人で座る挑戦をして、見事全員で落下した思い出など、お話しし始めると日が暮れてしまうかもしれません」両陛下との思い出について「長期休みの旅行」を挙げられ、須崎御用邸近くの海で遊ばれた体験を話された。■「母の『生まれてきてくれてありがとう』という言葉に掛けて、私も『生んでくれてありがとう』と伝えたいと思います」「両陛下にお伝えになりたい言葉」を聞かれ、雅子さまが出産の感動を語られた際のお言葉を引用なさった。3月17日の初会見では、「目を合わせつつ、自分の伝えようという気持ちを持って」という陛下のアドバイスを守り話された愛子さま。そのご成長ぶりに、日本中が感動です。
2022年04月02日2021年12月1日に20歳の誕生日を迎えられ、成年行事にも臨まれた、天皇、皇后両陛下の長女である愛子さま。成年にあたり、2022年3月17日には皇居で初めてとなる単独の記者会見を行い、報道陣を前に自身の想いを直接お伝えになりました。愛子さまは今後について、「成年皇族の自覚と責任感を持ち、一つひとつのお務めを大切に、両陛下やほかの皇族方のお力になりたい」と述べています。『自身の長所』を聞かれた愛子さまの回答が話題に会見の質疑応答で、愛子さまは「ご自身の考える長所や短所などを教えてください」という問いに回答。周囲からはお人柄について「穏やかで無邪気」といわれることが多いという、愛子さま。きっと多くの国民も、同じ印象を持っていることでしょう。続いて、ご自身の考える長所について、このように述べられました。長所は、自分ではなかなか気付きにくいところではありますけれども、えー…事前にこのご質問をいただいたので、じっくりと考えてみまして。しいて申し上げるなら、どこでも寝られるところでしょうか。なんと、愛子さまは少し笑いながら「どこでも寝られるところが長所」と回答されたのです!愛子さまによると、栃木県那須郡にある那須御用邸で、着いた晩に縁側のソファで寝てしまい、そのまま翌朝を迎えた経験もあるのだとか。これも、愛子さまが周囲の人から「穏やか」といわれることに納得するエピソードですね。いい意味で皇族らしからぬ、なんとも愛らしい回答に、ネットからはいろいろな声が上がっています。・なんとおかわいらしい回答!お茶目な一面もあるんですね。・喋り方も穏やかで、愛子さまの性格が伝わってくる。和んだ…。・ご自身の長所について真剣に考えた結果が「どこでも寝られるところ」なのが、たまらない。きっと、「穏やかで無邪気」な性格の持ち主だからこそ、愛子さまはご幼少の頃から多くの人に親しまれていたのでしょう![文・構成/grape編集部]
2022年03月17日「愛子さまは初めての記者会見に向けて、質問にどう答えるか、両陛下と相談しながらお考えになっているそうです。事前に原稿を用意されることになりますが、会見当日まで推敲に推敲を重ねられると思います」そう語るのは皇室担当記者。昨年12月に20歳の誕生日を迎えられた天皇皇后両陛下の長女・愛子さまは、3月17日、いよいよ記者会見に臨まれる。「記念すべき会見ですが、愛子さまが目下、気にされていることは緊迫が続くウクライナの情勢だそうです」(前出・皇室担当記者)2月24日に始まったロシアのウクライナ侵攻。終結の糸口は見えず、国外に避難したウクライナ人は250万人を超えた。世界中からの非難の声に耳を貸さず、侵攻を止めないロシア軍は、産科・小児科病院まで空爆した。天皇陛下は先月の誕生日会見で「人と人との交流が、国や地域の境界を越えて、お互いを認め合う、平和な世界につながってほしいと願っております」と述べられている。ウクライナ情勢を念頭に置いた発言とみられている。「天皇ご一家は、日に日に悪化するウクライナの惨状に心を痛めていらっしゃるそうです。愛子さまは『成年皇族として、私には何ができるか』と、日々思い悩まれているといいます」(宮内庁関係者)愛子さまの平和を希求する強い思いは、学習院女子中等科卒業にあたっての作文「世界の平和を願って」にも記されていた。修学旅行で広島市を訪れた愛子さまは《原爆ドームを目の前にした私は、突然足が動かなくなった。まるで、七十一年前の八月六日、その日その場に自分がいるように思えた》と綴られている。錆びた鉄骨とひびだらけの外壁だけが残る建物を間近で目にし、原爆の凄惨さをお感じになったという。奇しくも修学旅行の2週間後、当時のオバマ米大統領が広島を訪問したことに触れ、「共に、平和を広め、核兵器のない世界を追求する勇気を持とう」という演説も引用されている。大統領と同じように、愛子さまも資料館で願いを込めた折り鶴を手向けたという。ロシアはウクライナにあるチェルノブイリ原発、ザポリージャ原発を攻撃、占拠した。また、ロシアが核兵器を用いる可能性も取り沙汰されるが、日本でも一部の政治家が、米軍の核兵器の持ち込みを許可する「核共有論」を主張し始めた。「持たず、作らず、持ち込ませず」という「非核三原則」を見直そうというのだ。ウクライナ危機をきっかけに、核兵器廃絶に向けて協調するどころか、世界は分断されつつある。愛子さまの平和への思いについて、皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんはこう語る。「作文では、核廃絶の日まで燃やし続けようという願いが込められた『平和の灯』を取り上げ、《広島の「平和の灯」の灯が消されることを心から願っている》と結んでいらっしゃいます。愛子さまは、はっきりと核兵器廃絶を願うお気持ちを述べられているのです。皇室は政治的な発言は控えなければなりませんが、それでもなお核兵器については、唯一の被爆国として世界に発信していこうというお考えが継承されています」■世界各地の紛争に雅子さまは心痛め…雅子さまも’94年に広島市の平和記念公園、そして’96年には平和記念資料館を訪問されている。その年の誕生日会見でこう語られた。「原爆の被害の悲惨さというものを改めて目の当たりにいたしまして深い悲しみを覚え、そしてこのような惨事は、世界のどこであっても決して二度とは繰り返されてはならないものだという思いを新たにいたしました」また、雅子さまは会見で「ルワンダや旧ユーゴスラビア等の難民問題」「中東和平の行方」など、国際紛争について繰り返し言及されてきた。「雅子さまは日本のみならず世界の平和を祈り続けてこられました。愛子さまはそのお考えを受け継がれ、ご自身も国際親善に尽力し、“平和の使者”になる道を模索されているのではないでしょうか」(前出・宮内庁関係者)愛子さまは作文のなかで《平和を願わない人はいない。だから、私たちは度々「平和」「平和」と口に出して言う。しかし、世界の平和の実現は容易ではない》と、願うだけでは平和は訪れないとしたうえで、次のように綴られている。《唯一の被爆国に生まれた私たち日本人は、自分の目で見て、感じたことを世界に広く発信していく必要があると思う。「平和」は、人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくものだから》平和を人任せにしないーー。愛子さまはそう誓われたのだ。「上皇ご夫妻、そして両陛下から受け継がれた“祈り”を大切にしながらも、愛子さまは平和を築くため自ら行動し、“反戦”を伝えていこうとお考えなのではないでしょうか」(前出・宮内庁関係者)“反戦を訴える内親王”にーー。愛子さまは決意を胸に、成年皇族としての一歩を踏み出される。
2022年03月17日3月17日、初めて記者会見に臨まれる愛子さま。気品を携えたご成長ぶりは、国民の敬愛と期待を集めている。そんなプリンセスの足跡を、写真と年表で振り返るーー。【01年12月】生後7日でご退院。報道陣の前へ。【02年2月】東宮御所で雅子さまにあやされ、笑顔をお見せに。【04年12月】ダンスがお好きで、絵本を元気に暗唱される活発な3歳の女の子にご成長。【06年11月】5歳を前に一般の七五三に当たる着袴の儀へ。東宮御所ではかま姿を披露された。【07年9月】大好きな大相撲を両国国技館で観戦。力士の名前や出身地を暗記されていた。【08年3月】学習院幼稚園卒園間近に、ICカードを使いJR目白駅から信濃町駅まで電車でご帰宅。【08年10月】学習院初等科、初めての運動会。徒競走で一等賞を。【09年5月】ひと月前から飼い始めた愛犬・由莉を抱っこされて、御料牧場へ。【11年6月】登校不安を抱えられ、雅子さまが付き添われた時期も。【13年4月】4年生から管弦楽部でチェロを担当。オール学習院大合同演奏会では、天皇陛下とご共演。【14年4月】学習院女子中等科にご進学。スカーフの色は赤から青に。【16年8月】両陛下の地方ご公務に初同行。長野県で行われた『山の日』の式典にご出席。【18年10月】映画『旅猫リポート』試写会。主演の福士蒼汰と猫トークに花を咲かせられた。【19年4月】毎年恒例の「オール学習院の集い」で雅子さまとご一緒に。【19年8月】ご静養に向かうJR那須塩原駅で、多くの人とご交流を。【21年11月】皇居・三の丸尚蔵館で『更級日記』『源氏物語画帖』など歴史に残る作品を熱心にご鑑賞。【22年1月】20歳となられちょうど1カ月。22年の元日に、成年皇族としてローブデコルテに勲章の正装で新年祝賀の儀に臨まれた。年を重ねるごとに、皇族としてのご自覚を身に着けられていく愛子さま。現在は学業を優先しご公務の数を抑えられているが、成年皇族としての活躍の場が広がる日が待ち遠しい。
2022年03月16日2022年2月23日は、天皇陛下の誕生日です。62歳の誕生日を迎えられた天皇陛下は、同月21日に記者会見に応じられました。天皇陛下、二十歳の愛子さまについて「感慨深い」2021年12月、純白の『ローブ・モンタント』を身にまとい、成年行事に臨まれた、天皇、皇后両陛下の長女である愛子さま。女性皇族の正装で、お姿を見せた愛子さま凛としたたたずまいに「お美しい」「素敵!」天皇陛下は記者会見で、成年を迎えられた愛子さまについて「感慨深く思いました」と振り返られました。いつの間にか20歳という年齢を迎え、大人の仲間入りをすることになったことを感慨深く思いました。日頃から、多くの人々に助けられ、支えられているということに、愛子が感謝の気持ちを持っていることを親としても嬉しく思っています。印象深い思い出については、学校の水泳の授業で、小さい頃にはビート板を使ってプールで短い距離を泳いでいた愛子が、女子中等科時代、静岡県の沼津の海で3kmの遠泳ができるようになった時や、中学の修学旅行で広島を訪れた際に強い衝撃を受け、平和への思いを文章にまとめた時などに成長を感じ、嬉しく思ったことを覚えています。また、コロナ禍で大学生活を送る愛子さまについて「たとえどのような環境にあっても、実り多い学生生活を送ることができればと願っています」とも語られました。2021年に結婚した、小室眞子さんについて一方で、同年10月に結婚した姪の小室眞子さんについては「今後幸せな人生を歩んでいってほしいと思いますが、同時に、この間、多くの方に心配をお掛けすることになったことを心苦しく思っています」と感想を語られています。また、記者会見では、小室さんの結婚を巡る週刊誌報道やインターネット上の書き込みについても質問が上がりました。天皇陛下は、憲法が保障する自由な表現は「尊重すべきもの」とした上で、一般論と前置きし、「他者に対して意見を表明する際には、時に、その人の心や立場を傷つけることもあるということを常に心にとどめておく必要がある」と述べられています。天皇陛下のお言葉に、ネットからはさまざまな声が上がりました。・天皇陛下、お誕生日おめでとうございます。・愛子さまについて、1人の親として言及されていて、同じ親としてグッとくるものがありました。・正直、小室眞子さんの結婚について発言されたことに驚いた。親族だもの。心苦しかっただろうな。天皇陛下が記者会見で語られた、親族への想いは、多くの人の心を温かくしたようです。[文・構成/grape編集部]
2022年02月23日「連日、日本人選手の活躍が続く北京五輪ですが、愛子さまも、天皇皇后両陛下とご一緒にテレビ観戦されていると聞いています」そう語るのは宮内庁関係者。天皇ご一家は、長年ウインタースポーツに親しまれてきた。本誌は、愛子さまにスケートを指導してきた長久保初枝さんに話を聞いた。長久保さんは、2大会連続で五輪入賞を果たした日本女子スピードスケートの黎明期の第一人者だ。「愛子さまがスケートの練習を始められたのは幼稚園の年長のころだったと思います。フィギュアスケートをされていた佳子さまに憧れて『ジャンプを飛びたい』とおっしゃったこともあったそうです。私が足をケガしたため、途中から直接ご指導ができなかったのは残念でした。高3の3月に最後の練習をする予定でしたが、それもコロナ禍でできなくなってしまいました。コロナ禍が落ち着いたら、立派に成人された愛子さまとリンクでお会いしたいですね」そんな愛子さまがとくに応援されているのが、フィギュアスケートの羽生結弦選手だという。ソチ、平昌に続く五輪3連覇に挑んだ羽生は4位に終わったものの、誰も成功したことのない「4回転アクセル」に挑戦。惜しくも転倒してしまい、2分の1の回転不足と判定されたが、史上初めて4回転半として認定される歴史的なジャンプとなった。「実は8年前に、愛子さまと羽生選手にはある接点がありました。’14年7月、ソチ五輪の入賞者を招いて皇居宮殿で開催された茶会に、羽生選手も出席しました。中学生だった愛子さまは出席されなかったのですが、天皇陛下(当時は皇太子)に質問を託されていたのです」(皇室担当記者)陛下が愛子さまから預かっていた質問は「得意なジャンプはなんですか?」だったという。羽生は茶会後の取材で、このときのやり取りを明かしている。「僕はアクセルジャンプが好きなので『アクセルジャンプが好きです、得意ですということを(愛子さまに)お伝えください』と言わせていただきました」その言葉通りに、羽生はアクセルジャンプをさらに極め、4回転半にまで挑んだのだ。「コロナ禍が落ち着いてからになりますが、北京五輪終了後にも、入賞者を招いた茶会が開かれるでしょう。成年皇族となられたので、今回は愛子さまも出席されます。羽生選手との“8年越しの対面”を楽しみにされているのではないでしょうか」(前出・皇室担当記者)夢の対面へ、愛子さまの胸も高鳴るーー。
2022年02月19日「愛子さまは3月17日に初めての記者会見に臨まれます。非常にプレッシャーがかかる状況のなか、お一人で質問にお答えになります」そう語るのは皇室担当記者。「成年皇族の仲間入りをされた愛子さまには、皇室のイメージを刷新する存在として大きな期待がかかっています。注目が集まるゆえ、一言一句に神経を巡らさなければなりません」(前出・皇室担当記者)そんな“試練”を前に、愛子さまは現在、ひそかに準備を進めているという。宮内庁関係者が語る。「お父上の天皇陛下も、同じく20歳を迎えられたタイミングで初めて公式記者会見に臨まれています。それから40年以上、毎年会見を開かれていますから、ご自身の経験を愛子さまにお伝えになっているといいます。とくに記者への対応では“ユーモアを大切に”とお教えになっているそうです」陛下はお若いころから、答えるのが難しい質問に対しても柔軟に返答されていた。28歳の誕生日会見では、結婚の見通しを富士登山にたとえて「七、八合目ぐらいといったところでしょうか」「山頂は見えていても、なかなかそこにたどりつけないという感じ」と、お答えに。雅子さまとの婚約会見では、将来のお子さまの人数について質問を受けたが「コウノトリのご機嫌に任せて……というふうに申し上げておきましょう」とかわされた。お妃選びやお子さまに関しては、国民も大きな関心を持っている。陛下はそうした質問にも理解を示しつつ、ユーモアを交えて精いっぱいの回答をされてきたのだ。象徴天皇制に詳しい名古屋大学大学院准教授の河西秀哉さんはこう語る。「現在の天皇皇后両陛下は、ときにユーモアを交えながら、しかし真摯にメディアに対応することで、会見からその人柄が見えて、好意的な評価につながりました。記者会見では“敵対的”には見えないように、等身大で話すようにと、愛子内親王にアドバイスされているのではないでしょうか」3月の愛子さまの会見では、陛下ゆずりのユーモア返答術が見られるだろうか――。
2022年02月11日新年恒例の宮中行事「歌会始の儀」が、1月18日に皇居・宮殿「松の間」で行われた。愛子さまは学業優先で出席は控えられたが、初めて和歌を寄せられた。今年のお題は「窓」。皇族方は、どんな情景を、思いを詠まれたのだろうか。本誌皇室担当・近重幸哉記者が解説ーー。■雅子さま《新しき住まひとなれる吹上の窓から望む大樹のみどり》昨年9月に赤坂御用地から皇居の御所に引っ越しされた天皇ご一家。「昨秋からお住まいの御所の窓からは、上皇ご夫妻が大切にされてきた木々が望まれます。雅子さまは御所や周辺の林が、上皇ご夫妻によって美しく維持されていることに感謝し、そのお気持ちを詠まれたと感じました」(近重記者・以下同)■愛子さま《英国の学び舎に立つ時迎へ開かれそむる世界への窓》高校2年生の夏休み、ロンドン郊外のイートン校への短期留学のためイギリスへ。愛子さまはイートン校敷地内の寮で3週間お過ごしに。帰国時の笑顔に、充実ぶりが表れていた。「愛子さまは大学に通うことを控え、御所で勉学を中心とした生活をされています。こうした日々でもイートン校での思い出を大切にされ、コロナ禍の収束後には広く見聞を広めたいとの希望をお持ちなのだと思いました」■佳子さま《窓開くれば金木犀の風が入り甘き香りに心がはづむ》昨年10月、姉の眞子さんが結婚。佳子さまは眞子さんの結婚を応援されていた。「金木犀には『初恋』という花言葉があります。昨年10月、初恋を実らせ結婚した姉の眞子さんの心情を思われ、佳子さまは秋の深まりを知らせる金木犀の香りにも、喜びをお感じになったのではとの印象を受けました」歌会始の儀にグリーンのローブ・モンタントでご出席。今年は佳子さまのご婚約も注目される。
2022年01月29日1月18日に開催された歌会始の儀。天皇皇后両陛下の長女・愛子さまは《英国の学び舎に立つ時迎へ開かれそむる世界への窓》と、高校2年生の夏にイギリスのサマースクールに参加された思い出を詠まれた。愛子さまの初めてのお歌が披露された歌会始の儀で、ある方のお歌も注目を集めていた。《成人を姫宮むかへ通学にかよふ車窓の姿まぶしむ》なんと三笠宮家の寛仁親王妃信子さまが、愛子さまの成年を祝うお歌を詠まれたのだ。宮内庁が公表した解説文には、信子さまの愛子さまへの思いが熱烈に記されていた。《寛仁親王妃信子殿下には、愛子内親王殿下を、ご幼少時より深い敬意と愛情を持って見守ってこられました。昨年、愛子内親王殿下におかれましてはご成年を迎えられ、寛仁親王妃信子殿下のお喜びは誠に大きいものであります。ご立派に成長された愛子内親王殿下には、これまでにも増して、より一層学問に邁進されておられます。ご通学のため、お車にてお住まいの御所を颯爽と御発になる際の、お髪も綺麗に整われて健やかな愛子内親王殿下のご様子を車窓越しにご覧になった寛仁親王妃信子殿下のご心境をお詠みになったお歌です》宮内庁関係者は驚きを隠さない。「そもそも歌会始の儀で皇族方が、天皇家の長子とはいえ他家のお子さまを題材にお歌を詠まれるのは、かなり異例のことです。また、これまで信子さまは、天皇家と深い交流はなかったはずです。その信子さまが、愛子さまへのあふれ出る思いをお歌にこめられたということは、愛子さまにそれだけ大きな期待を寄せられているということでしょう」実は20年前、愛子さまご誕生時にも皇族方からお祝いの歌が贈られたことがあった。故・高松宮妃喜久子さまが『婦人公論』(’02年1月22日号)への寄稿で、《御生誕の日、胸に湧く思いを三首の歌に託しました》と綴られている。そのうちの一首は次のようなお歌だった。《あれましし内親王すこやかに育ちませ待ちに待ちたる今日のよろこび》お歌で愛子さまのご誕生を祝福された喜久子さまは、さらにこう綴られていた。《女性の皇族が第百二十七代の天皇さまとして御即位遊ばす場合のあり得ること、それを考えておくのは、長い日本の歴史に鑑みて決して不自然なことではないと存じます》喜久子さまは、“愛子天皇待望論”を語っていらしたのだ。「信子さまの熱烈な敬愛の念をこめたお歌は、20年前の喜久子さまの思いにも通じます」(皇室担当記者)■皇位継承問題は“政争の具”になってしまうのか一方で、愛子さまの人生に関わる皇位継承問題には、暗雲が立ち込めている。自民党内にもこの問題に関する懇談会が設置され麻生太郎副総裁が座長に就いたのだが……。「麻生氏は一貫して“男系男子”に固執しています。自民党としては、女性・女系天皇には触れないという方向で意見の集約を図るのでしょう。もう一つ、麻生氏が座長になった背景には、岸田首相の“大宏池会構想”があるといわれています。岸田首相は自民党最古参の派閥である宏池会の会長を務めていますが、麻生派も宏池会から分離独立した派閥。首相には、この機にもう一度“大宏池会”として団結し、安倍元首相が率いる清和会に対抗しようという狙いがあるのです。権力強化のために皇室の問題が利用されているという印象があります」(政治部記者)皇位継承問題は皇室のあり方、そして愛子さまの将来に関わる問題にもかかわらず“政争の具”になっているのだ。「皇室はただでさえ、眞子さんと小室さんの結婚問題で大きく揺れました。しかも政権与党は皇室の危機に真剣に向き合おうとしておらず、この状況を憂慮する声も少なくありません。そんななかで成年を迎えられた愛子さまを、全力でお支えしなければーー。皇室の中で、そういった機運が高まっているのです」(前出・宮内庁関係者)以前から、天皇陛下や雅子さまと関係が近かったのが、高円宮妃久子さまだ。「高円宮ご夫妻は、陛下と雅子さまのキューピッド役でもありました。’02年11月に高円宮憲仁親王が亡くなられてからも、久子さまは雅子さまが関心を持たれていた児童福祉問題に関する本を贈られるなど、親交を持たれていらっしゃいます。最近でも、’20年2月に「世界らん展」を両陛下と久子さまは一緒にご覧になっていますが、笑顔で歓談されていたのが印象的でした。国際派でさまざまなスポーツの振興にも取り組まれる久子さまのご活動は、愛子さまのご関心と重なります。久子さまは、いずれは愛子さまともご公務の席でご一緒することを楽しみにされているといいます」(前出・皇室担当記者)愛子さまへの声援は、皇室と関係の深い旧皇族や旧華族の人々からも聞こえてくるという。旧華族の女性はこう語る。「天皇陛下への尊敬の念は私の周りの人たちからも強く感じられます。そのご長女である愛子さまに天皇になっていただきたいという声もあるのです。けれども、いま心配なのは秋篠宮家の評判です。眞子さんの結婚の件だけでなく、秋篠宮家の職員は辞めていく人が多いという話も聞きます。秋篠宮家にまつわる問題で皇室にマイナスイメージがついてしまったいま、愛子さまに新たな“皇室の顔”になっていただきたいという声は、日に日に大きくなっているのです」力強い後押しを受けて、愛子さまは令和皇室の中で、ますます存在感を増していかれるだろうーー。
2022年01月26日《英国の学び舎に立つ時迎へ開かれそむる世界への窓》1月18日に皇居・宮殿で開催された歌会始の儀。愛子さまは学業を優先されて出席なさらなかったが、初めてお歌を披露された。高校2年生の夏休みに、イギリスのサマースクールに参加されたときの情景を詠まれたのだ。歌人の梅内美華子さんは「読む者の心にすっと届く和歌に感動を覚えました」と語る。「イギリスの学校での日々がいよいよ始まるという期待感が、清冽な言葉の響きと調べをもってうたわれています。まだお若いのに和歌の形式をご自分のものにしていらっしゃいます。愛子さまは古典文学をご専攻と伺いましたが、『学び舎』『開かれそむる』という和語、古語が用いられていて、言葉選びに品のよさ、センスが表れています」天皇陛下は、昨年に引き続き新型コロナの感染拡大の収束を願うお気持ちを詠まれた。《世界との往き来難かる世はつづき窓開く日を偏に願ふ》コロナ禍という、まさに現在進行形で世界の人々を苦しめる問題をテーマにされたお歌だが、梅内さんは、このお歌も伝統を踏まえたものだと語る。「天皇は古来、国土安寧、民の幸福を願い歌に詠んできました。そうした伝統を意識された和歌だと思いました。愛子さまは、未知のものに出合い、新しい交流が生まれ、ご自分の世界が広がっていくことを『窓』が開き始めるとうたってらっしゃいます。窓を比喩として詠まれているのは天皇陛下のお歌と共通していて、スケールの大きさと知性を感じました」これまでも、中学1年生のときに執筆された「看護師の愛子」の短編小説や、中学校の卒業作文「世界の平和を願って」などで、類まれなる文才をみせられていた愛子さま。初めて披露されたにもかかわわらず、和歌でもその才能をいかんなく発揮されたのだ。
2022年01月26日1月18日、新春恒例の宮中行事「歌会始の儀」が皇居宮殿・松の間で行われた。今年のお題は「窓」。成年皇族となられたばかりの愛子さまは、大学の期末試験中で出席は控えられたが、次の和歌を寄せられた。「英国の学び舎に立つ時迎へ開かれそむる世界への窓」愛子さまは学習院女子高等科2年生だった’18年の夏休みに、約3週間の英国短期留学をされた。愛子さまは留学当時に感じられた思いを、“初和歌”で表現されたようだ。「愛子さまはロンドンにあるイートン校のサマースクールに参加し、寮生活を送りながら英会話やイギリス文化を学ばれました。これは愛子さまにとって初めての留学経験となりました。約600年の歴史を持つイートン校の立派な建物を前に、愛子さまは『今、ここから世界が開かれようとしている』と期待に胸を膨らませていらっしゃいました」(宮内庁関係者)英国から帰国後、宮内庁を通じて「すべてが新鮮で、とても楽しく充実した滞在になりました」と感想を述べられていた愛子さま。留学に意欲的なのは、父である天皇陛下の影響もおありなのだろう。陛下は42年前の’80年2月、成年式を前に開いた宮内庁記者会で次のようにお考えを述べられていた。「海外へ出るってことは、これは非常に重要なことだと考えていますから、できるだけ機会があれば出たいと思ってます」その後、’83年から2年間にわたって英国留学をされた陛下は、出発前の会見で「広く世界に学ぶことに大きな意義を見出しています」と述べられていた。続けて「ヨーロッパという離れたところから日本を見つめてみたいと思っています」と、視野を広げる意欲も示されていた。新型コロナウィルスの影響で、大学のキャンパスにさえ足を運ぶこともできない日々を過ごされている愛子さま。海外で学べる機会が再び訪れることを、両陛下も願われていることだろう。
2022年01月20日伏見酒造組合と京阪ホールディングス株式会社は、国税庁の令和3年度日本産酒類海外展開支援事業費補助金を活用した事業「食材を大切に『始末する』京都の食文化と伏見の酒蔵ツーリズム」の一環として、クリエイティブユニットgrafとも協働し、台湾の人々に向けた京都・伏見の日本酒の認知向上を図るプロジェクトを昨年5月より推進しています。コロナ以前から訪日者数が多い台湾の若者に向けて「酒蔵のまち伏見」「日本酒」を広めていくため、台湾実践大学のプロダクトデザイナー Sally Linさんが指導する学生チームが酒器をデザイン。伏見の酒蔵と台湾をオンラインで繋いだリサーチツアーを実施するなど日本の学生との意見交換を行いながら、伏見や日本酒への理解を深めました。1月19日(水)からは、今回のプロジェクトの成果発表として作品などを日本・台湾の両国で展示します。台湾の学生がイメージした「伏見の日本酒」にあう酒器を是非ご覧ください。[公開審査会について]酒器の公開審査会を2021年12月15日に開催。会場と台湾をオンラインでつなぎ、学生自身によるプレゼンテーションや質疑応答が行われ、メディア関係者10数社が参加し、各社による取材が行われました。伏見酒造組合、京阪ホールディングス株式会社からの代表者と、grafのクリエイティブディレクター、プロダクトデザイナーが審査し、グランプリ作品1点と伏見酒造組合特別賞1点を決定。それぞれの受賞作品、受賞者は以下のとおりです。●グランプリ對影杯 Reflect/劉宇涵 Liu Yu本人コメント/今回のコラボレーションで伏見についてより詳しく知る事ができ、どうやったら酒器を使って日本酒と人との繋がりを深める事ができるのかを考えました。このような機会を提供してくださりありがとうございました。●伏見酒造組合特別賞補竹 Repair Bamboo Charcoal/陳昱晴 Chen, Yu-Ching本人コメント/竹炭と錫を使って酒器を作るのは、今まで自分でも思いつかなかった方法です。この酒器のデザインに携わったことを光栄に思います。伏見を調べることにより別の観点からデザインする事ができました。[作品展示について]今回のプロジェクトの作品展示を日本、台湾の両国で行います。入賞作品の他、台湾の学生チームの成果とリサーチのプロセスを含めた酒器の公開展示会を開催します。酒器だけでなく、各蔵のお酒も展示し、「酒蔵のまち伏見」のことについてもより一層理解を深めることができる展示になっております。日本、台湾の両学生とも「伏見とは?」というところからリサーチを重ねており、両学生の観点の違いや対話などもパネルにて展示いたします。本展示が伏見へ訪れるきっかけとなれば幸いです。<日本会期>日程:2022年1月19日(水)~2月27日(日)10:00~19:00 ※入場無料場所:GOOD NATURE STATION 4F GALLARY(京都市下京区河原町通四条下ル2丁目稲荷町318番6)<台湾会期>日程:2022年1月19日(水)~26日(水)10:00~19:00 ※入場無料場所:宏匯瑞光(No. 335號, Ruiguang Rd, Neihu District, Taipei City, 114)[プロジェクトプロセスについて]STEP1:デザインリサーチ来日することのできない台湾チームの代わりに、京都芸術大学の学生有志とgraf が、京都・伏見の歴史や地域性、そもそも日本酒とは?というところから、酒造りに重要な水や周辺環境など様々な角度からリサーチしました。また、 伏見の各酒蔵に対して酒造りの思いなどについての直接取材やアンケート調査を実施。伏見の地域性や酒造りに欠かすことのできないものなど、独自の視点でのご意見をいただき、普段知ることのできない造り手側の意見は酒器制作の貴重な資料になりました。STEP2:オンラインツアー台湾の学生と直接コミュニケーションを行うために、伏見の酒蔵と台湾をオンラインで繋ぎ、リサーチツアーを実施しました。ツアーの中で日本と台湾の学生が直接意見交換をすることで、伏見や日本酒についての理解も深まり、それぞれの着眼点の違いにも気づくことが出来て良い刺激になりました。STEP3:酒器制作リサーチ内容を元に、学生がスタディを繰り返し酒器を構想しました。実際に酒器を作成する台湾チームと、日本チーム(graf)でなんども対話を重ねブラッシュアップを行いました。スケッチ段階、モックアップ制作時点など、お互いの意見を交換し、完成に向けて制作しました。オンラインではありましたが、それぞれの立場で意見交換を行い、完成を目指しました。STEP4:審査会京都の審査会会場と台湾とをオンラインでつなぎ、公開審査会を行いました。当日は台湾学生によるオンラインプレゼンテーションが行われ、それぞれの酒器のコンセプトや想いなどをプレゼンしました。 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年01月18日日本全国で120万人の新成人が、大人としての門出を祝った1月10日。昨年12月、一足先に皇族として成年の祝賀行事を執り行われた天皇皇后両陛下の長女・愛子さまも、旧友たちと顔を合わせたのだが――。学習院関係者が残念そうに話す。「この日、都内のホテルで学習院女子高等科の卒業生による『二十歳の会』が催されました。2年前の卒業時の謝恩会もコロナ禍で中止になっており、彼女たちは再会を楽しみにしていました。愛子さまも、当初は出席される方向で調整されていたようです。しかし年明けから、オミクロン株の大流行で新型コロナの感染者数は再び急増。愛子さまが会場にお出ましになることはかないませんでした」それでも卒業生の8割ほどは会場に来ていたが、愛子さまはビデオ通話アプリのZoomで参加。会場のスクリーンにはZoomでの参加者の顔が映し出されたという。「画面に登場された愛子さまは純白に金の模様が入った振り袖をお召しになっていました。髪も着物に合わせてセットされていたのです。愛子さまのお姿が映し出されると、会場中が一瞬、息をのみ、そして歓声が上がりました。会場の出席者は色鮮やかな振り袖姿が目立ちましたが、それとは対照的な愛子さまの雰囲気に『まるで巫女さんみたいだね』といった声も聞こえました」(前出・学習院関係者)残念ながら愛子さまがお話しになる場面はなかったというが、在学時から人気者だった愛子さまは、いまも同級生から慕われていることがよくわかる。この同窓会でのエピソードに、宮内庁関係者は驚いた様子で語る。「愛子さまはこれまで、公の場で着物をお召しになったことはないはずです。会場にお越しになれないにもかかわらず和装で登場されたということで、愛子さまが旧友たちを大切にされるお気持ちが伝わってきます」これまで、「着袴の儀」でお召しになった童形服や、新年の挨拶に着用される「御地赤」をお召しになったことはあったが、そういった儀式の際の特別な着物を除けば、愛子さまにとって今回が“初”の着物姿といえそうだ。「会の催し物としては、有志による歌や演奏がありました。また中止となった謝恩会で流れるはずだったビデオも放映されたのです。このビデオは生徒が作ったもので、生徒全員が登場しているといいます。会場はたいへん盛り上がり、涙を流す出席者もいました」(前出・学習院関係者)高校卒業に際して、愛子さまは《多くの素晴らしい友人たちに恵まれて、とても楽しく充実した学校生活を送ることができました》とコメントを発表されていた。画面越しではあったが、旧友との再会を喜ばれたことだろう。
2022年01月18日12月1日に20歳の誕生日を迎えられ、成年皇族となられた愛子さま。誕生日に公開されたお写真のグレンチェックのジャケットをお召しになった姿が、「大人っぽくなられた」と注目を集めた。「愛子さまはウェーブとナチュラルの間ぐらいの、スイート甘辛ミックスタイプの骨格の方。大きめのチェック柄がとてもよくお似合いになっていますね」このように愛子さまの骨格を分析するのは、パーソナルカラーや骨格タイプの診断を行う株式会社カラークチュールの高橋利予先生(高ははしごだか)。「大人っぽい雰囲気になられましたが、骨格から分析すると基本的には可愛らしいファッションがお似合い。ですからお誕生日のときのジャケットは、ダブルのジャケットで大正解。逆に、シングルのジャケットは苦手かもしれません」天皇陛下は、愛子さまと同じソフトタイプ。雅子さまは骨格ストレートのクールタイプだという。「愛子さまはグレンチェックのジャケットにフレアスカートを合わせられていますが、クールタイプの雅子さまだったら、タイトスカートやパンツを合わせるでしょう」天皇陛下譲りの骨格の愛子さま。ただ、雅子さま譲りのクール要素もお持ちだという。「可愛らしいなかにも少し“辛口”が入るとベスト。お顔立ちも日本的な美人さんなので、フリフリというよりは、シックさを意識した、“甘辛ミックス”が洗練スタイルにお約束です」【監修】
2021年12月29日12月1日に20歳の誕生日を迎えられ、成年皇族となられた愛子さま。誕生日に公開されたお写真では、ナチュラルメークを施され、美しく成長された姿が注目を集めた。「愛子さまは目の下から唇までの“感情ゾーン”が大きいです。一般的に“感情ゾーン”が大きい人は、“他者から認められること”を重視する傾向があります。褒められれば褒められるほど伸びていくという特徴があるので、周囲から『綺麗』『お美しい』と言われることでさらに輝いた女性になっていかれるでしょう」愛子さまの美しさの理由をこのように分析したのは、日本で唯一、相貌心理学の教授資格を持つ佐藤ブゾン貴子先生。11月29日には『あなたの顔には99%の理由がある』、12月23日には『ビジネスは顔が9割』と、2冊続けて新刊が発売された。相貌心理学とは、顔の輪郭やパーツ、肉付きなどからパーソナリティーを分析するものだ。「肉付きは他者に対する寛容性を表しますが、唇やまぶた、涙袋もふっくらとされている愛子さまは、おおらかな性格の持ち主。いっぽうで、目元は切れ長で涼やかな印象。これは繊細さを表すので、愛子さまは“おおらかさ”と“細やかさ”を併せ持つ女性と言えます」歯列矯正をされて整った歯並びが注目されていた愛子さま。歯列矯正は顔相に影響があるのだろうか。「歯列矯正の直後には顎の周りにちょっとした変化が出ることはありますが、表情筋の動きによって肉付きは再形成されます。顔立ちには内面が出てくるので、歯列矯正によって分析結果が大きく変わるということはありません」また、愛子さまの優しげな目元は、カメラでいうと“フォーカス機能”と同じような働きをするという。「まぶたはふっくらと柔らかな印象。さらに目頭の切れ込みもキリッと入ってらっしゃる。これらの特徴は、“目の前の出来事で何が重要なのか”を見極める能力に、非常に長けてらっしゃるということです。さまざまな判断力が試されるリーダー向きと言えるでしょう」世間では、愛子さまが天皇になることを望む“女帝待望論”が聞かれるが、もし実現すれば、きっと立派に務められることだろう。
2021年12月28日12月1日に成年を迎えられた愛子さま。《本当にお綺麗》《まさしく皇族の品格と美しさ》と、SNS上には絶賛の声があふれ「愛子さまを天皇に」と期待する識者も少なくはない。だが、“天皇の娘”としてお生まれになった愛子さまも、一人の少女であったことに変わりはない。皇室、そして日本を背負うというご覚悟は、いったいどのように芽生えたのか。苦難を乗り越えた20年を追うと、そこにはどんなときも支え合う家族の姿があった――。愛子さまが2歳の誕生日を迎えられた直後の‘03年12月、雅子さまは帯状疱疹を発症されて入院。療養生活に入られ、翌年には適応障害と診断された。雅子さまの適応障害は、すぐには回復せず、大半のご公務は陛下が単独で出席される状況が続いていた。ご公務への欠席が続くと、雅子さまへの風当たりはますます強くなっていく。「適応障害の療養のためには、ストレスの原因となっている環境から離れ、楽しめること、自信を持って取り組めることを増やしていくことが大切だといわれています。そこで乗馬や国連大学での聴講といった活動を始めたり、ご友人と食事をしたりされたのですが、こういった“私的外出”が批判の的とされてしまったのです」(皇室担当記者)そんな中、愛子さまにも異変が起こる。学校に登校することができなくなってしまったのだ。’10年3月、初等科2年生のころだった。教室を走り回ったり、大声を上げたり、物を投げたりするといった乱暴なことをする児童がいて、愛子さまは強い不安を感じられたという。腹痛といった身体的な不調もあった。雅子さまは、学校に不安を抱く愛子さまの登下校に付き添うことを決められた。初めは授業を受けるのは1時限だけ、昼食は別室で雅子さまと一緒に、というような不規則な形ではあったが、雅子さまのサポートのおかげで愛子さまはだんだんと登校の頻度や、学校にいられる時間も増えていった。「その一方で、一緒に登校される雅子さまと愛子さまは“母子密着”などと評され、批判的に報じられることが増えていきました。とくに波紋を呼んだのが’11年9月、2泊3日の山梨県・山中湖村での校外学習への付き添いでした」(前出・皇室担当記者)このとき雅子さまは児童のバスとは別車両で追いかけ、ハイキングにも30分ほど遅れて同じコースを付いていかれた。同じ場所にいることで、愛子さまが少しでも安心して過ごせるようにという思いからだった。だが、この行動に批判の声はさらに大きくなる。校外学習を終えた数日後に開かれた東宮大夫の会見では、宮内庁担当記者たちから「付き添いの形があまりにも異常」「極めつけの茶番」などと、厳しい苦言が発せられたという。■愛子さまを守る“唯一の方法”だった雅子さまはこの年の誕生日のご感想で、愛子さまへの付き添いについて自ら説明されている。《昨年から、皇太子殿下とご相談をしながら、どうすれば愛子が安心して学校に通うことができるようになるか、そのために、親として何をしてあげられるのか、日々考え、力を尽くしてまいりました。学校とも相談を重ねてまいりましたが、愛子の学校への付き添いは、与えられた状況の中で唯一取れる可能性として続けてきたものでした》雅子さまはご自身の行動が愛子さまを守る“唯一”の方法であったと、きっぱり主張されたのだ。そして山中湖での校外学習についても《お友達の皆さんととても楽しく参加できたことが、学校生活に戻っていく上での大きな自信と励みになったように感じております》と、その意義を強調された。精神科医で立教大学教授の香山リカさんは、雅子さまのサポートは不可欠だったと語る。「とにかく何があっても両陛下が、親として娘を絶対に守るということを身をもって示されたことで、愛子さまは『何があっても私は大丈夫』という安心感を得ることができたのではないでしょうか。それが、愛子さまが自信を取り戻すことにもつながったのではないかと思います」雅子さまの、まさに身を挺したサポートが実を結び、愛子さまはお一人での登校ができる日も増えていった。《天皇皇后両陛下には、これまで愛情深く大切に育ててくださり、どのようなときも一番近くで支えてくださいました》成年にあたってのご感想に、ご両親への感謝を綴られた愛子さま。そして《一つ一つのお務めに真摯に向き合い、できる限り両陛下をお助けしていきたいと考えております》と、成年皇族としての決意を表明された。両陛下の愛に応えるように、これからは愛子さまが両陛下を支えていかれることだろう。
2021年12月25日純白のローブ・デコルテをお召しになった愛子さまが、皇居・宮殿の車寄せにお出ましになると、一斉にカメラのシャッターが切られ、フラッシュがたかれた。一歩一歩、慎重な足取りではあったが、視線を一身に浴びてもその表情は晴れやかだった。頭上のティアラよりも、愛子さまの笑顔は輝いていた──。12月1日、天皇皇后両陛下の長女・愛子さまは20歳の誕生日を迎えられた。そして、5日の祝賀行事では陛下から勲章を授与され、成年皇族の一員となられたのだ。《天皇皇后両陛下には、これまで愛情深く大切に育ててくださり、どのようなときも一番近くで支えてくださいました》成年にあたってのご感想に、ご両親への感謝を綴られた愛子さま。そして《一つ一つのお務めに真摯に向き合い、できる限り両陛下をお助けしていきたいと考えております》と、成年皇族としての決意を表明された。長引くコロナ禍で、皇族方は外出を控えられている。愛子さまも、昨年4月に入学された学習院大学のキャンパスに、いまだ一度しか足を運んでいない。愛子さまも皇族である前に“一人の大学生”として、友人たちとのキャンパスライフを心待ちにされていたはずだが、皇族の中で誰よりも慎重に、外出自粛を続けられている。そんな状況にあって、愛子さまは国民に向けて《全ての方に、平穏で彩り豊かな暮らしが一日も早く訪れることを願うとともに、また以前のように皆様とお会いし、お話しできるようになる日を楽しみにしております》とメッセージを送られたのだ。近現代の皇室に詳しい静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんは「愛子さまはすでに、国民に寄り添う姿勢をお持ちになっている」と語る。「成年のご感想もご立派でしたし、新調すれば数千万円かかるティアラも、コロナ禍の国民生活に配慮して叔母の黒田清子さんから借りられました。国民が困難な状況にあるときこそ心を寄せるという皇室の役割を、愛子さまはしっかりと理解されているのだと思います」12月9日に58歳の誕生日を迎えられた雅子さまも、母としての万感の思いを綴られている。《あの幼かった愛子がもう成年かと思いますと、信じられないような気持ちもいたします。皆様には、これまで愛子の成長を温かく見守っていただき、心から感謝しております》だが、お生まれになってから成人されるまでの20年間、愛子さまに届いた国民の言葉は、はたして「温かい声」ばかりだっただろうか。愛子さまが笑顔を失いかけたときは何度もあった。母と娘の20年は苦難の連続だった──。■「生まれてきてくれてありがとう」と涙を「初めて私の胸元に連れてこられる生まれたての子供の姿を見て、本当に生まれてきてくれてありがとうという気持ちで一杯になりました……。今でも、その光景は、はっきりと目に焼き付いております」ご懐妊からご出産までを振り返りながら、雅子さまは時折言葉をつまらせ、涙ぐまれた。’01年12月に愛子さまがお生まれになって4カ月後、ご夫妻そろっての会見でのことだった。このとき天皇陛下(当時・皇太子)は「敬宮愛子」という名前に込められた思いをこう語られていた。「愛子には一人の皇族として立派に育って欲しいですし、名前のように、人を愛して人からも愛され、人を敬い人からも敬われるような人に育って欲しいです」ご夫妻が二人でお考えになったというお名前は、中国の古典「孟子」が出典。お印は「ゴヨウツツジ」で、純白の花のように、純真な心を持って育ってほしいという願いが込められていた。ご成婚から実に8年。雅子さまは不妊治療にも取り組まれ、一度は稽留流産も経験されて、ようやく授かった第1子だった。愛子さまには「世の中を広く知って育ってほしい」とお考えになり、お忍びで都内の公園に愛子さまを連れて行かれることもあった。笑顔があふれるご一家は、幸せそのものに見えた。だが’03年12月、40歳の誕生日を前にして雅子さまは突然、帯状疱疹で宮内庁病院に入院される。「愛子さまご誕生後も、皇太子妃として“お世継ぎを産まなければならない”という重圧が非常に大きかったのだと思います。当時の湯浅利夫宮内庁長官は、会見でも『やはりもう一人は欲しい』『多くの国民もそう考えているのではないか』などと、第2子への期待を率直に述べていました。数年がかりでようやく第1子を授かったばかりなのに、男子を産むまで皇太子妃としての役割を果たしたとは認められない─―。そんな虚無感が、雅子さまの心を蝕んでいたのではないでしょうか」(皇室担当記者)翌年6月には、雅子さまが「適応障害」と診断されたことが公表される。精神的に追い詰められた雅子さまにとって、大きな支えとなったのは愛子さまの存在だった。だが、このころ愛子さまに“言葉をお話しにならないのでは”“笑わないのはおかしい”といった噂が立つようになった。インターネット上で広まった噂を海外メディアが報じると、日本の雑誌にも書きたてられるようになった。■陛下がミルクを作ろうと台所へ…雅子さまは’04年の3月下旬から約1カ月間、東宮御所を離れ、愛子さまとご一緒に軽井沢に滞在される。ご実家・小和田家の別荘で転地療養されたのだ。小和田家のお手伝いさんだった皆川薫さんはこう振り返る。「当時、愛子さまについていろいろな噂があったことは私も知っていました。しかし、軽井沢で過ごされていたときの愛子さまのご様子は、普通のお子さんと変わらず、元気にお歌を歌ったり、お庭で遊んだりされていたと伺っていました。ですので、小和田家の方も、どうしてそんな噂が立つのかわからないといった感じでした」皆川さんには、幼少期の愛子さまについてとても印象に残っている出来事があるという。「小和田家へお里帰りされた、’03年9月のことです。ご一家の滞在中、皇太子さまが愛子さまのミルクを作ろうと台所に向かわれたのです。結局、別の方が代わりに作ったのですが、皇太子さまはふだんから愛子さまの子育てに携わっておられることがわかりました。愛子さまは、オムツを替えてもらったことを喜ぶように、おしりを自分の手でトントンとたたいていらっしゃったお姿が印象的でした。初対面の私にも人見知りをなさらず、はつらつとしたお子さまだと思ったことを覚えています。たしかに物心がついたころから、少し恥ずかしがりな一面が出ていらしたかもしれません。ただ、駅頭などでは大勢の人が集まって愛子さまのお名前を呼び、手を振ります。そういった場面で表情がこわばってしまうのは、幼少期には自然なことではないでしょうか」皇太子ご夫妻に“男子のお世継ぎ”を期待する声があった一方で、当時の小泉政権は「女性・女系天皇容認」を本格的に検討し始めていた。“愛子さまが天皇になられる”という道が模索されていたのだ。だが、有識者会議の報告書こそできあがったものの、国会での議論が始まることはなかった。紀子さまが第3子を懐妊され、そして悠仁さまがお生まれになったのだ。小泉氏のあとに首相となったのは安倍晋三氏だった。安倍氏は女性・女系天皇に関する議論をすべて白紙に戻してしまった。だが、悠仁さまのご誕生で皇室の存続の危機が解消されたわけではなく、愛子さまの運命はその後も、政治に翻弄され続けていく。
2021年12月25日半年ほど前、宮内庁はある写真を公開した。それは愛子さまがお住まいで育てられた蚕の写真だった。なんと愛子さまは学習院初等科3年生のころに授業で蚕を育てて以来、毎年、卵から孵化させ、何世代にもわたって飼育を続けられているのだという。「宮内庁担当記者でさえ、愛子さまが10年以上も前から蚕を飼育されていたとは誰も知らず、驚きの声が上がりました」(皇室担当記者)養蚕は、明治以降の皇后が代々受け継いできた皇室の伝統であり、雅子さまも美智子さまから引き継いで、皇居の紅葉山御養蚕所に通われている。蚕業技術研究所の代田丈志さんによれば、蚕の保護には手間と知識が必要だという。「卵から育てる場合には、適切な時期に孵化させる必要があり、温度管理がたいへん重要になります。孵化してからもこまめに掃除をして衛生的な飼育環境を整えたり、5月の給桑の時期には毎日様子を見て1日に1回をやったりといった手間が不可欠です」登校不安が報じられて以降の愛子さまは、精神的な不安定さばかりがクローズアップされてしまった印象が強い。だが、実はこのころから皇室の伝統に関心を抱き“皇族としての自覚”を深めていらしたのだ。課外活動にも取り組まれるようになり、4年生のころには管弦楽部へ入部。5年生からはバスケットボール部での活動も始められた。’13年の演奏会では、ビオラを演奏される天皇陛下ともオーケストラで共演を果たされた。このとき指揮をした学習院OB管弦楽団の音楽監督・福田一雄さんは「オーケストラでともに練習するお友達ができたことが、愛子さまが抱えられていた問題の解決に結びついたのでしょう」と語る。女子中等科に進学されると、’16年には神武天皇山陵を参拝され、両陛下と一緒にご公務として「山の日」制定記念式典にも出席された。雅子さまもこの年、誕生日のご感想で《皇族としての自覚と役割を学びつつあるようにも感じます》と記されていた。その“自覚”が感じられる、一つの作文がある。女子中等科卒業にあたって記念文集に寄せられた「世界の平和を願って」と題された、広島への修学旅行での経験を綴られた文章だ。《何気なく見た青い空。しかし、空が青いのは当たり前ではない。毎日不自由なく生活ができること、争いごとなく安心して暮らせることも、当たり前だと思ってはいけない》広島で原爆ドームや平和記念資料館を見学された愛子さま。そこで、原爆被害の甚大さ、悲惨さに衝撃を受け、怒りと悲しみを覚えたという。《日常の生活の一つひとつ、他の人からの親切一つひとつに感謝し、他の人を思いやるところから「平和」は始まるのではないだろうか。そして、唯一の被爆国に生まれた私たち日本人は、自分の目で見て、感じたことを世界に広く発信していく必要があると思う。「平和」は人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくものだから》両陛下は愛子さまに「感謝と思いやりを大切に」と、言い聞かせてこられた。その“感謝と思いやり”は、この作文のキーワードにもなっている。「愛子さまは、その言葉が皇族としての心がけにとどまらず、平和の礎でもあると、ご自身の思索の中で気がつかれたのです」(宮内庁関係者)■「家族から社会を知る」両陛下の子育てにあった信念令和への御代替わりが近づくにつれ、雅子さまの体調は適応障害の療養を続けるなかで上向いていった。そして皇后となられてから、通訳なしで海外の要人や王族をもてなされるお姿に、国内外から注目が集まった。ただ、完全に復調されたわけではなく、十二単などの装束で長時間にわたる儀式に臨まれるのは大きな負担であったはずだ。「実は、愛子さまは早朝と深夜、儀式に向かわれる両陛下をお見送りされていたそうです。雅子さまにとって、何よりも心強かったでしょう」(前出・宮内庁関係者)成長された愛子さまが、今度は皇后となられた雅子さまをお支えになったのだ。雅子さまは、ご公務にお出ましになれない時期に愛子さまの付き添い登校をされたことで“国民よりも家族優先”などと批判されたこともあった。なぜ、雅子さまはそれほどまで一心に愛子さまを守り抜かれたのか─―。そこには、天皇陛下の揺るぎないお考えがあった。「私は、家族というものは社会の最小の単位であると思います。家族を理解することによって社会を知るということ、これはとても大切なことではないかと思います」陛下は、愛子さまのご誕生に際しての会見で、家族の大切さをこう述べられていた。愛子さまに、皇族として国民を愛することができる人になってもらいたい─―。そのためにはまず、家族から“愛し、愛されること”を知る必要があると、天皇陛下と雅子さまはお考えになったのだ。《様々な方と出会い、関わることを通じて、人と人とが互いに手を取り合い、交流の輪が広がっていく素晴らしさを学び、全ての経験が、今、私の財産となっています》そう成年のご感想に綴られた愛子さま。この20年は愛子さまにとって、楽しい経験ばかりではなく、つらく、悲しい経験も少なくはなかったはずだ。それでも「私の財産」と受け入れ、国民に優しいまなざしを向けられるようになった陰には、天皇陛下、そして雅子さまが注ぎ続けた、大きな大きな愛情があったのだ。コロナ禍に見舞われ、先の見えない不安な時代。愛情深く優しいプリンセスのはつらつとした姿が、日本を、世界を明るく照らす─―。
2021年12月25日「“スーパー大学生”という人がいるなら、愛子さまはそうなのではないかと思います」こう語るのは、愛子さまの学習院大学の同級生。弊誌『女性自身』12月28日号に掲載された記事「教授を驚愕させた愛子さまの○神質問」内の証言だ。同記事では、愛子さまの“秀逸な課題レポート”と“鋭すぎる質問”に教授が驚き、授業で参考例として取り上げたことを報じている。「内容は論理的で、新しい視点も盛り込まれていますし、素晴らしいとしか言いようがありません。レポートを拝見する限り、関連する学術書などもお読みになっているようです」(前出・同級生)実は、弊誌はそんな愛子さまの“レポート作成力”の原点ともいうべき“短編小説”を2015年に独占キャッチしていた。’14年、中学1年生のときに愛子さまが学内で執筆されたもので、翌年に学習院女子中等科、高等科の生徒に配布された『生徒作品集』(平成26年度版)の中に収められていた。当時の記事では、学習院関係者が「筆力はもちろん、深い想像力と小さな命に対する慈しみがある。何より読後に感じたのは、愛子さまの鋭い感性が、文学少女だった美智子さま譲りのものだろうということです」と絶賛している。さらに、立教大学教授で精神科医の香山リカさんもこう分析していた。「この物語には真っ白なカモメが最初に出てきますが、白い鳥は清純で理想的なものへの憧れ。思春期の少女の自立心の表れです。(中略)また、傷ついた動物たちに喜んでもらうというのは、愛子さまが常に立場の弱い者、小さき者へお心を寄せているということ。自分の思いを伝えられない。主張できない人々の力になりたいと――」絶賛された小説執筆から7年、「スーパープリンセス」へと成長された愛子さまの活躍からますます目が離せない。■愛子さまが書かれた物語全文私は看護師の愛子。最近ようやくこの診療所にも患者さんが多く訪れるようになり、今日の診療も外が暗くなるまでかかった。先生も先に帰り、私は片付けと戸締りを任されて、一人で奥の待合室と手前の受付とを行き来していた。午後八時頃だろうか。私は待合室のソファーでつい居眠りをしてしまった。翌朝眩しい太陽の光で目が覚め、私は飛び起きた。急いで片付けを済ませて家に帰ろうと扉をガラッと開けると、思わず落っこちそうになった。目の前には真っ青な海が果てしなく広がっていたのだ。診療所は、一晩でどの位流されたのだろうか?いや、町が大きな海へと姿を変えてしまったのかもしれない。助けを呼ぼうとしたが、電話もつながらない。私は途方に暮れてしまった。あくる朝、私は誰かが扉をたたく音で目を覚ました。扉の外には片足を怪我した真っ白なカモメが一羽、今にも潮に流されてしまいそうになって浮かんでいた。私はカモメを一生懸命に手当てした。その甲斐あってか、カモメは翌日元気に、真っ青な大空へ真っ白な羽を一杯に広げて飛び立っていったのであった。それから怪我をした海の生き物たちが、次々と愛子の診療所へやって来るようになった。私は獣医の資格は持っていないながらも、やって来た動物たちに精一杯の看護をし、時には魚の骨がひっかかって苦しんでいるペンギンを助けてやったりもした。愛子の名は海中に知れ渡り、私は海の生き物たちの生きる活力となっていったのである。そう。愛子の診療所は、正に海の上の診療所となったのだ。今日も愛子はどんどんやって来る患者を精一杯看病し、沢山の勇気と希望を与えていることだろう。
2021年12月17日