元貴乃花親方・花田光司氏(46)と河野景子さん(54)が23年間に及ぶ結婚生活に終止符を打っていたと明らかになったのは11月26日。翌27日に出演した情報番組『スッキリ』(日本テレビ系)で花田氏が「円満で離婚する人はいないと思うんですけど」と語っているように、夫婦の亀裂は少しずつ静かに広がっていたようだ。昨年6月、山響部屋の落成祝賀会がホテルで開催された。その出席者の1人は言う。「貴乃花親方と景子夫人、それに優一くんと上のお嬢さんと家族4人で出席していました。でも貴乃花親方だけ別のテーブルに座っていたので、『あれ!?』と思ったのです。テーブルが別々というだけではなく、親方と夫人はパーティ会場ではまったく話しませんでしたし、帰りも別々のタクシーに乗って帰っていきました」『スッキリ』出演について、日本テレビの関係者は次のように語る。「元貴乃花親方の『早く(離婚の)話をしたいから』という意向があったと聞いています。番組出演は、景子さんには知らされていなかったそうです。すでに離婚が成立しているとはいえ、公の場で言及すること、子供たちにも影響を及ぼす可能性もあります。ですから有名人夫婦の場合、別れた相手に対しても“番組に出るから”ぐらいは知らせているケースも多いのですが……」実は景子さんが“知らされていなかった”のは、『スッキリ』出演ばかりではないという。景子さんの友人女性は言う。「9月25日に、花田さんは相撲協会に退職届を提出したことを会見で発表しました。しかし景子さんは、そのことをニュースで知ったそうなのです。私には、『(親方が)引退会見をすることなんて聞いていなかったので本当に驚いた』と漏らしていました。彼女は長年“貴乃花部屋の女将”として尽力してきたことを自負していましたし、プライドも持っていましたが、それを引き裂かれるような思いだったのでしょう」《「景子さんは、引退についても、会見についても、事前に知らされていなかった」と証言する関係者もいます。それは事実でしょうか?》本誌がこの件について顧問弁護士を通じて花田氏にコメントを求めると、メールで次のような回答があった。《引退については事前に知らせて理解してくれておりました》だが会見については景子さんに連絡していなかったようだ。前出の友人は続ける。「花田さんは相撲のスタイルを見ればわかるように、とても一途な性格で、一度本人が決めたことは、周囲が何を言っても絶対に曲げることはありません。景子さんにも、“近いうちに引退するつもりだから”とは伝えていたのでしょうが、具体的にいつ引退するのか、どういった形で公表するのかなどは、相談していなかったのだと思います。離婚についても同様のようです。貴乃花部屋がなくなったと同時に、景子さんの女将としての役割も消滅しました。ですから“卒婚”については彼女も同意し、離婚届にもサインをしたそうですが、いつそれを提出するのかなどは聞いていなかったようです」離婚理由の1つは、2人が考えている“女将のスタンス”の違いだった。花田氏は、週刊誌に次のように語っている。《貴ノ岩の件で大変だった時に、(景子さんが)講演活動をしたりだとか、表に出ることが多くなって。ご両親から弟子を預かっている私としては、部屋を守り抜こうと歯を食いしばっている時期に、部屋のおかみが外に出ていることについて、相当危惧していましたし…》(『週刊文春』12月6日号)いっぽう、貴乃花部屋の元後援会関係者はこう話す。「相撲部屋で生活していなかった景子さんは、よく“女将失格”と揶揄されていましたが、私はそうは思いません。彼女は彼女なりに弟子たちのことを愛していましたし、親方に対しても従順だったと思います。景子さんとしては、自分が講演会などに出演することでサポーターを増やすことができれば、と考えていたのです。彼女独自の人脈で、後援者も募るなど、努力していたと思います」11月28日に発表したコメントでは、《お互い別々の道を歩むことといたしました》ともつづっている景子さん。その2つの道が少しでも交わる日は来るのだろうか。
2018年12月04日元貴乃花親方・花田光司氏と元フジテレビアナウンサー・河野景子さんの長男で靴職人兼デザイナーの花田優一氏が、将来期待される若手クリエイター&アーティストを表彰する「第15回ベストデビュタント賞」のファッション部門に選出され28日、都内で行われた授与式に出席した。優一氏は「本職は靴でやっておりますが、日々の葛藤や喜び、幸せなこと、悲しみ、すべてを作品に残していくのが、自分の勝手に決めた義務だと思っています。なので、靴の修行、作り手としての修行以前に、人間として、人格者になれるように日々人生修行していかなきゃいけないなと思っています」と職人としての心がけを告白。「このような賞をいただき励みになります。このたびはありがとうございました」と感謝した。両親の離婚が今月26日に明らかになったばかり。フォトセッション時には、両親の離婚について報道陣から質問が飛んだが、何も語らなかった。花田氏のほか、ファッション部門にPERMINUTEデザイナーの半澤慶樹、音楽部門に音楽家の内藤稀花、空間・インテリアデザイン部門に高栄智史|建築設計/写真撮影代表の高栄智史が選出された。また、ファッション産業界の発展と各界の文化交流を目的に、政治、経済、学術、文化、芸能、スポーツなどの各分野で時代をリードする著名人に贈る「第47回ベストドレッサー賞」の授賞式も同時開催され、女優の有村架純、俳優の高橋一生らが登壇した。
2018年11月28日元・貴乃花親方の花田光司(46)との離婚が判明した河野景子(54)が11月28日、正式にコメントを発表した。各スポーツ紙によると景子さんは「23年間の結婚生活に終止符をうちましたことをご報告申し上げます」と報告し、「度重なる困難には二人三脚で乗り越えてきた自負もあります」とコメント。さらに「今後はお互い別々の道を歩むことといたしました」と明かし、「共に歩んできた元夫への尊敬の念と感謝の心は失うことなくこれからの人生を進んで参りたいと思います」と綴ったという。ネットでは、景子さんにエールが上がっている。《賢い人だし、責任感もあると思う 前向きに頑張ってほしい》《景子さんはご自身の第二の人生を頑張って欲しいです》《ご苦労様です。能力があるから、これからは1人で生きていく事には問題ないと思いますね。頑張って下さい!》スポーツニッポンが27日に明かしたところによると、花田は今回の離婚について夫婦を卒業するという意味で“卒婚”と表現しているという。卒業した2人は、まさにそれぞれの道を歩むことになる。「景子さんは元々アナウンサーですから、話術のスキルは申し分なし。結婚時から講演会に引っ張りだこでした。さらに息子・優一さん(23)のブログに登場すると、アクセス数が一気に伸びるほどの人気ぶりです。すでに獲得しようとテレビも動いていると聞きます。角界の厳しいルールから離れたことで、今後はより多くの場所で景子さんの姿を見かけることになるかもしれません」(角界関係者)
2018年11月28日元貴乃花親方の花田光司氏(46)が妻・景子さん(54)と離婚していたと、各メディアが報じた。10月25日に離婚届を提出したという。花田氏は95年に景子さんと結婚。3人の子供にも恵まれ、波乱万丈の相撲生活を互いに支え合ってきた。元横綱の日馬富士(34)の暴行騒動で、今年1月に理事を解任。3月には平年寄に降格し、6月には貴乃花一門を離脱して無所属に。9月には引退を発表するなど、怒涛の1年間だった。「引退を決めた後、景子さんはすっかり憔悴しきっていました。花田さんも『もう静かに暮らしたい』と……。部屋に地位、そして妻まで失った花田さんはこれからどうしていけばいいのでしょうか」(相撲関係者)8月には秋田市内で行われていた巡業中に倒れ、意識不明となり病院へ緊急搬送されていた花田氏。当時、本誌記者は景子さんを直撃。「病院へ行かれるのでしょうか?」との問いかけに、彼女はこう答えていた。「いいえ、私はほかに用事がありますから(病院には)行きません」11月3日には福岡県でのイベントに2人仲良く出席していたが、そのときにはすでに離婚していたことになる。Twitterでは心配の声が上がっている。《いよいよ貴乃花が心配になってきた》《この先、誰が支えてあげるの???》《部屋も失って、家族も失って精神状態は大丈夫だろうか。親身になって相談できる人が近くに必要》結婚から23年、平成の大横綱と呼ばれた花田氏が決断した「卒婚」という選択。今後、彼はいったいどこへ向かおうとしているのだろうか。
2018年11月27日「親方時代は寡黙なイメージでしたが、『仕事があれば出かけるが、仕事らしい仕事はない』『(退職騒動時は)外に記者がいるから家でずっとドラマを見ていた』とぶっちゃけトークを連発。注目している女優に石原さとみさん(31)の名前を挙げるなど、茶目っ気あふれる姿に好感度が急上昇しています。そのうえ歌声も披露するなど、高いバラエティ力を見せていました。そんな姿を見て、テレビ局からオファーが殺到しています」(テレビ局関係者)10月29日放送の『しゃべくり007』(日本テレビ系)に出演した元・貴乃花親方こと花田光司氏(46)。相撲協会を退職してから初めてのバラエティ番組出演は、15.2%を記録。驚きの高視聴率を叩き出した花田氏に、テレビ各局が秋波を送っているという。「花田氏は親方を辞めたことで、スポーツ選手からタレント扱いになりました。一般的に、タレント枠はスポーツ枠よりもギャラが高いとされています。今回の『しゃべくり』の出演料も現役時代をはるかに上回る150万円ほどだったそうです」(前出・テレビ局関係者)そんな花田氏の市場価値をさらに押し上げるのが、妻である花田景子さん(54)の存在だ。「各局はこぞって、花田さんと景子さんとの夫婦ツーショット出演を狙っています。実は今回の退職により、景子さんの人気も大きく跳ね上がりました。息子の花田優一さん(23)のブログに彼女が登場すると、アクセス数が一気に伸びるほどです。最後まで夫を信じて支え続けた姿に、感銘を受ける女性が急増しているのでしょう。そんな2人が共演するとなると、今回以上の高視聴率が期待されます。そのため、ギャラを250万~300万支払っても安いくらいです」(前出・テレビ局関係者)なかには、長らく絶縁状態と報道されている兄・花田虎上氏(47)や母・藤田紀子さん(71)との“電撃和解”を画策する局まであるという。「虎上さんと紀子さんも花田氏との関係修復に前向きな姿勢を見せています。あとは花田氏の気持ち次第ですが、実現するのはかなりハードルが高いでしょう。しかし、夫妻と蜜月な関係になれば、将来的にそうした夢プランも考えられますからね。そのため、“キー局が出せる最高水準”といわれる500万円のギャラを提示する動きもあるようです」(番組制作関係者)花田氏が相撲界を去って2カ月弱。テレビ界の“横綱”となる日はすぐそこかもしれない――。
2018年11月09日お笑いコンビ・おぎやはぎの矢作兼が、4日深夜に放送されたラジオ番組『木曜JUNK おぎやはぎのメガネびいき』(TBSラジオ/毎週木曜25:00~27:00)で、1日付で日本相撲協会を退職した元貴乃花親方にある提案をした。小木博明が「あんな急に辞めるなんてさ、なにやるんだろうな?」と話すと、矢作は「あんな相撲好きなんだからさ、もうプロレスじゃないけど、新団体っていうか、『新大相撲』みたいなさ」と新団体を立ち上げることを提案した。さらに矢作は「キングコングの西野(亮廣)とかに、クラウドファンディングのやり方とか聞いてさ。今、貴乃花が『新大相撲』を立ち上げるってクラウドファンディングやったら、マジで10億くらい集まるんじゃないの?」と語った。この提案に小木も、「集まると思う。貴乃花がやっている相撲も面白そう」と賛成の様子。そして矢作は「プロレスって、そもそもそうですもんね。新日本と全日本が分かれてるんだもんね。元は一緒でね。そこからこうなったんだから、相撲も長い歴史を考えると、そろそろ分かれてもいいね」とコメントしていた。
2018年10月06日■力士がモテるのは、社会的地位と経済力のおかげ?日本の力士について、中国のとあるブログでは「優秀な力士は、俳優のように国民の注目を受け、特に若者にとって憧れの存在であり、一世を風靡する人物となる」と解説しています。同ブログでは力士に共通して見られる特徴を「寿命が短く、収入が高く、奥さんが美しい」とまとめます。約1年前に書かれた記事では「美しい妻」に関して、渦中の人物である貴乃花を真っ先に紹介しています。家の事情を優先し、婚約を解消した宮沢りえさんとのエピソードが紹介されていますが、そこに彼女への同情は語られていません。「結婚は個人の感情ではなく、もともと自分が所属している親族の意向が大切」という観点から、仕方のないこと、と考えられているのかもしれません。ブログの筆者は、この婚約解消後3年で結婚した貴乃花の次の相手も宮沢りえさん同様美しい人であり、引退後、順調に減量した貴乃花は、仕事も家庭も順調な「人生の勝ち組」と評しています。また同じ文章の中では力士の収入についても触れられ、その他の競技よりも高額であると伝えます。横綱となれば月収は20万人民元(約340万)にもおよびますが、三役(横綱より下の大関・関脇・小結)以下の関取でも月8万元近く(約136万円)を手にすることができるため、こういった経済的な安定が力士の結婚を後押ししているとまとめています(※)。※ブログが書かれた当時のレートで計算しているため、現在の収入とは異なる可能性があります力士の結婚相手について、彼らの性格といった内面的な良さではなく、社会的地位や経済的基盤があるからこそ、同じく婚活市場で有利である外面的な美しさを備えた女性が彼らと結婚するのだ……とする結論には、「結婚相手は経済基盤を共にする相手であり、そのふたつが確保されていることが重要だ」という割り切った結婚観が垣間見えるようです。結婚生活において経済基盤を重視するのは当然の傾向ですが、この力士と美人との結婚について、日本独自の「専業主婦」の存在と関連づけて考察するブログもあります。日本の女性は結婚後、仕事をしなくなることが多いため、このように社会的地位があり、安定した収入のある力士は理想的な結婚相手となると説きます。このブログの筆者は巨大な身体で美しい女性と結婚する力士は、「現代版の美女と野獣のよう」とも表現しています。「このように太っていて顔が怖い力士でも、日本人女性の目にはかわいく見えているのだ」という締めの文章からは、やはり結婚には基本的には外面の良さ(それが客観的なものであれ主観的なものであれ)も備わっていてほしいという心理が見えてくるようです。いずれにせよ、中国的な基準で言えば「イケメン」ではないはずの力士が、結婚市場で地位の高い「美しい女性」を結婚相手にすることはどうしても興味関心をそそる事象のようです。日本でも中国でも、「結婚」が容易には手に入らないステイタスであるという事実がうかがえます。■Weiboでは「世渡りが上手くない」貴乃花を応援する声が多数さて、こうしてお金と家族と名声を手にして人生の成功者となった貴乃花ですが、すでに多く報道されているように9月25日、引退届を提出しています。相撲協会の改革を目指しながら、その旧態依然とした体質を打ち破ることができなかったことや、内閣府に提出した告発状に端を欲する協会からの圧力や、その後の弟子の事件などが今回貴乃花を行動に踏み切らせたと見られています。こうした日本の報道に対し、中国版TwitterのWeiboでも「貴乃花は日本の相撲界の英雄で、男の中の男!」と、その思いを支持し、引退を惜しむコメントが見られます。「相撲協会もこれで終わりか……」という書き込みもあり、貴乃花と相撲協会の関係を正確に理解しているファンが中国にもいることがうかがえます。貴乃花が一門から脱退し無所属となったときも、彼を応援し、このまま貴乃花の想いが支持されなければ、相撲業界は死んでしまうと心配する声もありました。一方で、「貴乃花は世渡りが上手くないよね」というコメントもあります。理想は正しいのだからやり方をもっと工夫すればよいのに、と感じられているようです。中国では「上に政策あれば下に対策あり」という言葉があります。ここからもわかるように、権力者は常に存在し、その要求を時にかわしながら付き合うことは、中国の世界で生き抜くためには当たり前に必要な能力なのです。ここまで人生の成功を収めてきた貴乃花ですが、今回の件は中国からも応援されていることがわかりました。彼に中国的処世術をアドバイスするファンが現れれば、また事態は違った方向に展開するかもしれません。引き続き注視していきたいと思います。画像/Shutterstock
2018年09月30日端正な顔立ちにおしゃれな出で立ち。イタリア仕込みのセンスがなんとも素敵な、靴職人の花田優一さん。その笑顔の裏には、男、そして職人として生きる覚悟がありました。まだたったの22歳、である。しかし粋にスーツを着こなすその佇まいからは、もっと年齢を重ねた男の落ち着きやオーラが漂う、靴職人の花田優一さん。職人に憧れ、靴を作る道を選んだその背景に迫ります。――いきなりで恐縮ですが、お父様が著名な横綱だった、ということもあり、ご自身はその道、あるいは他のスポーツの道を夢見たことはなかったのですか?花田:相撲に関しては、まったくないですね。以前も、そして未来も含めて、僕の中では父以上にカッコいい横綱はいないと思っていますし、また父以上には絶対なれないのはわかっていたので、相撲をやろうとは思いませんでした。でも、バスケットボールを結構真剣にやってたんですよ、小学校のときから。プロチームの下部組織にも入ってましたし。もっと本格的にバスケを極めたくて、高校のときにアメリカに留学もしてるんです。でもアメリカの高校の部活って誰でも入れるわけではなくて、トライアウトがあるんです。バスケが強い学校を選んで入学して、トライアウトを受けに行ったんですが、その会場で、「なんか僕の仕事、これじゃないな」とピンときてしまい、バスケはやめました。父も含めて、“スポーツ=仕事”という環境で育ってきたので、僕自身も当時、バスケを一生の仕事と考えていたんですけれど、なんかね、ちょっと違うのかもって。――それで帰国されたのですか?花田:いえ、そのままアメリカの高校に。うちの家系って、祖父も父も15歳で親元を離れ、社会に出ているんです。バスケをやめたのが15歳だったんですが、15歳で日本に帰り、親元で暮らしながらまた日本の高校に通うっていうのはちょっと違うのでは、と…。アメリカで、自分は何が好きなのかをいろいろ考えて、そこで思い出したのが、自分は絵を描いたり工作したりするのが好きだったということ。思い返してみれば、スポーツ系のドキュメンタリーよりも、職人の技に迫ったり、工房に潜入するといった番組のほうが好きだったんですよね。それで、自分はなにかの職人になりたい、職人として生きていきたい、と決心したんです。――その時点で、すぐご両親にはご相談されたんですか?花田:時期に関してはちょっと記憶が曖昧なんですが、父に、「大工になりたい」って言ったことがあるんです。そうしたら父が、「お前、学校の成績は何番目だ?」というので、「下から数えたほうが早いかもしれません」と答えたら、「教科書がある勉強でさえトップを取れないお前が、教科書を自分で作らなくちゃいけない職人の世界で、トップをとれるわけがない」と一蹴されまして(笑)。教科書のない相撲の世界で頂点を極めた父の言葉ですから、もっともだと打ちのめされました。なので、アメリカの高校でいい成績をとって、そのあとに職人になる修業をしようと心に決めました。――靴職人というのは、どういう流れで出てきたのでしょう?花田:はっきり言うと、別に靴は好きではなかったです(笑)。バスケをやっていたので靴といえばバッシュでしたし。革靴なんて、カッコいいと思ったことは一度もなくて。――それでなぜ靴職人の道に?!花田:なるべく多くの人が使うものを作る職人になろう、というのが、一番最初に浮かんできたんです。で、いろいろ考えて、机か靴というところまで絞り込んだ。机は、木を使って何かを作るのが好きだったので、いいなって思っていて。最後は、「迷ったら、イヤなほうへ行け」という父の教えに沿って、靴を選びました。父にその意味を聞いたことはないので、これはあくまで僕の解釈ですが、好きな道を選ぶと、スタート地点に立った時点、職人で言えば、職人になったところだと思うのですが、そこである程度夢を達成したことになってしまうのかな、と思うんです。でももし好きではないほうの道だったら、スタート以降に新たに達成目標を見出さなければいけないので、苦しいけれど、飽きはしないのではないかと思い、あえてイヤな靴という道を選びました。って、そんなカッコいいこと言ってますけど、いざ靴の修業を始めたら、ホント大変で、なんでこっち選んじゃったんだよ…って、後悔の嵐だったんですけどね(笑)。はなだ・ゆういち1995年生まれ、東京都出身。東京都内に工房を持ち、完全オーダーメイドで靴の製作をしている。昨年秋からTBSラジオにて『花田優一First Step』に出演中。著書に『夢でなく、使命で生きる。:根拠なき自信で壁を乗り越える68の言葉』(ポプラ社)など。父は元横綱の貴乃花光司さん、母はアナウンサーの河野景子さん。花田さんの作るオーダーメイドシューズは、現在1年半待ち。のサイトより。フィレンツェの展示会に参加した様子が、8月に『アナザースカイ』(日本テレビ)で放送予定。インスタグラムは@yuichihanada_shoe※『anan』2018年7月25日号より。写真・小笠原真紀ヘア&メイク・浜田あゆみ(メランジ)(by anan編集部)
2018年07月20日一時期は日本相撲協会のトップを目指していた貴乃花親方(45)の凋落が止まらない。 日本相撲協会は理事長を頂点とするピラミッド構造になっているが、貴乃花親方は今年1月からわずか3カ月足らずで理事から5階級降格し、現在は最底辺の「年寄」を務めている。それと同時に、急激に影響力も人気も減少させているのだ。 4月19日には、貴乃花一門の名称が変更されることも明かしている。3年前の’15年には貴乃花一門の後援会が発足し、大阪のホテルで激励パーティも開催された。 「発起人は高野山別格本山清浄心院の“炎の行者”こと池口恵観法主、司会を務めたのは女将の景子さん(53)でした。池口法主は、それ以降も貴乃花一門の有力な支援者でした。元横綱・日馬富士による貴ノ岩への暴行事件を機に、貴乃花親方が相撲協会理事会と対峙していたときには、親方を激励しながらも、自重を求めるメールも送っています」(相撲評論家) だが今回の“貴乃花一門”の名称変更について、電話でコメントを求めたところ、池口法主からは意外な言葉が……。 「いまは以前のように(貴乃花親方の)後援活動は行っていません。それなので(貴乃花親方に関する)発言を差し控えさせていただきたいと思います」 激励メールから5カ月で、強力な支援者からも見放されてしまっていた貴乃花親方。角界で生き残りをかけての暗中模索は続く……。
2018年04月29日3月29日16時、貴乃花部屋に1台の車が止まった。姿を見せたのは、花田景子さん(53)。ふだんは部屋の正面口に駐車しているが、この日は部屋の裏側にひっそりと駐車する。そして表に集まっていた報道陣から隠れるように、足早に勝手口から部屋のなかへと入っていった。その表情にはサングラス越しでもわかるほど、疲れの色があらわれていた――。 この直前、日本相撲協会では理事会が開かれていた。下されたのは、貴乃花親方(45)の2階級降格処分。春場所での無断欠勤と、貴公俊(20)の暴行問題への監督責任を問われての処分だった。 すでに1月4日には元横綱・日馬富士(33)の傷害事件で協会への報告を怠ったことが問題視され、「理事」から「役員待遇委員」へ2階級降格。2月の理事候補選で落選したため、さらに「委員」へと1階級降格していた。そして今回の処分で「委員」から最低位の「年寄」に。理事経験者の年寄降格は、過去に例がないことだという。 処分前日の3月28日には、臨時年寄総会に出席。親方衆からは「解雇」に相当する契約解除を求める声が。さらには「念書を書かせるべき」との厳しい声も出ていたと報じられている。そんな針のむしろのなか、貴乃花親方はひたすら「申し訳ありません」と謝罪を続けていたという。 協会の処分決定後、冒頭のように部屋へと足早に入っていった景子さん。それは満身創痍の状態で帰ってきた夫のもとへ駆けつける、妻の姿だったのだ。この日、部屋での夫婦そろっての話し合いはなかなか終わらなかった。途中スタッフらしき女性が部屋から出てきて、水を買いに走る。いつもなら、女将さんはとっくに自宅へと戻っている時間だ。 その後も、話し合いは続いた。4時間後の20時すぎ、ようやく景子さんが出てきた。女性スタッフたちに囲まれながら、裏手にある車のほうへと向かう。あたりはもうすっかり暗くなっている。記者がひと言、こう声をかけた。 ――女将さん、お疲れさまです。今日は親方とどんなお話をされたのでしょうか? だが景子さんは記者の問いかけに終始、無言。そのまま車に乗り込むと、自宅へと帰っていった――。
2018年04月04日貴ノ岩(28)への暴行事件に続き、貴公俊(20)による暴行事件でも注目を集めることとなった貴乃花親方(45)。角界の改革を訴えてきた貴乃花親方だが、パワハラ問題に揺れる女子レスリング界の重要人物とも意外な接点を持っていた。 その人物とは栄和人監督(57)が所属する至学館大学の学長で、“パワー全開”の反論会見が話題を呼んだ谷岡郁子氏(63)。相撲関係者は語る。 「谷岡氏は、貴乃花を幼少期から知っていました。谷岡氏の父・谷岡太郎氏は貴乃花の父・貴ノ花(当時は藤島親方、のちに二子山親方)と懇意で、’82年の藤島部屋創設以来、大阪場所中に宿舎の世話をするなど全面的にバックアップしていたのです」 幼少期の貴乃花について谷岡氏は「小さいころから負けん気の強い子」「(兄の)勝君とけんかしても、しつこく食らい付いて最後は勝君の方が音を上げてました」とスポーツ紙に語ったこともあった。 貴乃花が関取になると、谷岡氏本人によるサポートも。’91年の名古屋場所直前、中京女子大(現・至学館大)学長の谷岡氏は講師5人を引き連れ、藤島部屋に出前授業も行なっている。 「谷岡氏は藤島部屋に、科学的トレーニングやスポーツ医学に基づくアドバイスをしていました。貴乃花が史上最年少で三役に昇進するなど快進撃を続けている最中でしたから、当時は『大出世の陰に37才美人学長あり』といった報道もありましたね」(前出・相撲関係者) その後も谷岡氏は中京女子大の文化祭で貴乃花の母・藤田紀子さん(70)とトークショーをしたり、谷岡氏の弟の一郎氏(61)が父の後を継いで二子山部屋の大阪後援会長を務めたりと、家族ぐるみで貴乃花を応援し続けてきたが……。 「現在は、貴乃花親方との交流はないようですね。’04年、二子山部屋が先代の貴ノ花から貴乃花親方に継承されるとき、一郎氏は『元々は先代を応援するために集まった後援会』と、大阪後援会を解散してしまったのです」(前出・相撲関係者) 混迷を極める、角界の対立とレスリング界のパワハラ問題。貴乃花親方と谷岡氏が、奇しくも同時期に渦中の人物となったのは、単なる偶然だろうか——。
2018年03月22日52歳の若さでこの世を去った有賀さつきさん、貴乃花親方を陰から支える花田景子夫人、3月いっぱいで終了する『あさイチ』の有働由美子アナーー。最近、ニュースでよく耳にする“女子アナ”を取り巻く環境に、身につまされる思いを抱いた読者も多いはず。そこで、年をとるごとに共感度が増す彼女たちの今に接近。そこには、確かに“読者世代のリアル”があった。 「勢いで生きてきたんです。行き当たりばったり人生といいますか(笑)」 チャーミングな容姿に、エレガントな魅力が加わって、ますます輝く永井美奈子さん(52)。母となってから、テレビの仕事はセーブし、子育てを軸に司会業やチャリティ活動、母校・成城大学で教壇に立つなど、多忙な毎日を送っている。 永井さんのパワーの源はやはり局アナ時代に培ったもの。日本テレビ入社は’88年。時はバブル景気の真っただ中。永井さんは、週に10本もの番組に出演、CDデビューも果たすなど、超売れっ子アナとして活躍した。 「残業も何百時間で、有給もお買い上げの時代。在職中は、忙しくて記憶が飛んでいる期間でもあるんです。でも、CDデビューは『藪本(雅子)さん、米森(麻美)さんという若手をもり立てるために私が入ったのかな?』って」 そう語るように、本人には人気者だった自覚はあまりないよう。それでも、局アナだからこそ経験できることがたくさんあり、充実していた。 「ミーティングにもみっちり参加して、みんなでいい番組を作り上げるプロセスを経験できたのは、社員ならでは。どんなに忙しくとも楽しくて仕方がなかった。辞めるときも『こんないい会社をなぜ去るの?』というくらい居心地のよい会社でした」 退社後もフリーとして活躍し、仕事には恵まれていたが、転機は’01年に訪れる。「大学院で学び直したい」と研究計画書を作成していたときに出会った現在の夫と結婚、出産。さらには、慶應義塾大学大学院入学。「すべて勢いなんです」と永井さんが語るように、その1年の間に、怒濤のように、人生は景色を変えていく。そして出産後は、テレビの仕事をセーブし、子育てを優先。 「長男を出産してすぐ、報道特別番組に出たのですが、息子のことが気になって。終わると猛スピードで車を運転して家に帰ったんです。これでは大好きなテレビの仕事に対して失礼だなと思って」 しかし昨年、十数年ぶりにBSの番組でイタリアロケに。 「その間、息子が家族の食事を作ったり、よくやってくれました。息子も娘もテレビに出ている私が好きで『もっと出て』と。私に子離れしてほしいのかもしれませんね」 子育てが一段落した永井さんの目の前には、再び自らが輝く未来が広がっている。
2018年03月15日52歳の若さでこの世を去った有賀さつきさん、貴乃花親方を陰から支える花田景子夫人、3月いっぱいで終了する『あさイチ』の有働由美子アナーー。最近、ニュースでよく耳にする“女子アナ”を取り巻く環境に、身につまされる思いを抱いた読者も多いはず。 そんな、年をとるごとに共感度が増す女子アナたちのなかでも、一世を風靡した「フジテレビ花の三人娘」を筆頭に、寺田理恵子さん(56)、中井美穂さん(53)、近藤サトさん(49)ら、スター女子アナたちを多数採用した元フジテレビの露木茂さん(77)。 益田由美さん(63)や山村美智子さん(61)の上司にもあたり、その活躍を後押しした、まるで女子アナブームの仕掛け人だ。そんな露木さんが、彼女たちとの思い出を交えながら、“女子アナの時代”を振り返ってくれた。 まず、女子アナブームの仕掛け人ということについて、露木さんはあの穏やかな口調で、こう否定する。 「少なくとも私は『女子アナ』という言葉を一度も使ったことはないし、ある種の蔑称だと思っているんです。ですから、仕掛人などではありませんよ。当時の社風と時代に彼女たちがマッチしただけで、私はその『邪魔をしなかっただけ』なんです(笑)」 ブームの契機となったのは’70年代末。フジテレビは分社化していた制作部門を自社に統合する、大改革を行った。 「このとき、アナウンサーも報道局から編成局へ移されました。これによって、ニュース番組のキャスターという1つの頂点しかなかった女性アナウンサーの目標に、バラエティや音楽番組など、さまざまな『場』ができた。いわば頂上が増えたことで、彼女たちの個性が輝いたのでしょう」 その草分けが、『なるほど!ザ・ワールド』のレポーターに抜擢された益田由美さん。瞬く間に番組の顔となった。 「次がひょうきんアナの山村美智子でしょう。社内では女性アナウンサーにこんなことまでやらせるのかという批判もありましたが、僕は『女性アナウンサーが、ここまでできるんですよ』と反論していましたね。番組制作も型破りな時代だったので、彼女たちにもとにかく自由にやっていこう、と話していました」 採用担当者として重視したのは一貫して「画面越しに魅力的に映るかどうか」。最終面接は男性役員のみだったため、「女性の意見も必要」と考えた露木さんは、ひそかに城ヶ崎祐子さん(63)や益田由美さんなどを別室に呼び、面接の様子をモニター中継。意見を参考にしたという徹底ぶりだ。 「そして、女性たちからも圧倒的に高評価だったのが、あの三人娘です。親しみやすい八木(亜希子・52)くん、活動的な有賀(さつき・享年52)くん。そして、おとなしい河野(景子・53)くん。三人三様、魅力的でしたね」 露木さんが女性アナウンサーに向けるまなざしは、いまも昔も娘を見つめるかのよう。 「いまでもときどき集まりますが、みんなよく頑張っているなと思います。彼女たちの今後も見守りつつ、テレビの世界で女性がもっと活躍できるようになることを、願っています」
2018年03月15日52歳の若さでこの世を去った有賀さつきさん、貴乃花親方を陰から支える花田景子夫人、3月いっぱいで終了する『あさイチ』の有働由美子アナーー。最近、ニュースでよく耳にする“女子アナ”を取り巻く環境に、身につまされる思いを抱いた読者も多いはず。そこで、年をとるごとに共感度が増す彼女たちの今に接近。そこには、確かに“読者世代のリアル”があった。 「18歳のとき母がくも膜下出血で倒れ、後遺症が残ったため車いすでの生活を余儀なくされました。親が共働きで5人家族が何とか生活していたなかで、母の医療費用がのしかかり、家計はいつも火の車。大好きな母のために私が選んだのが、女子アナでした」 女子アナブームの真っただ中だった’95年、日本テレビに入社した町亞聖さん(46)。華やかな世界に身を置きながら、母の介護という現実にも直面していた彼女のスタンスは少し変わっていた。 「入社して以来、やりたいことを聞かれると、『弱者の視点に立った取材』と答えていました。当時はバリアフリーという言葉すらない時代で、車いすの母と外出をするのも一苦労でした。こうした現実をアナウンサーなら広めることができるのではと思っていたんです」 しかし、現実はそう簡単にはいかなかった。新人のころは、バラエティ番組のアシスタントなど、“番組の華”的な仕事も多かったという。 「よく母に『歌って踊る女子アナがいるなら番組を作る女子アナがいてもいいのに』とぼやいていました。でも、外出もままならない母にしてみれば、私の仕事ぶりをテレビで見られることがうれしいようでした。私も、母が喜んでくれるならと、どんな仕事にも前向きに取り組めるようになりました」 アナウンサーと介護という、まったく異なる2つの世界を経験していた町さん。周りからは「20代なんて遊びたい盛りでしょうに」と言われることもしばしばだった。 「この時期、母と一緒に過ごすことは、私にはとても大切なことでした。もちろん、介護は大変なこともたくさんありますが、苦だと思ったことはありません。むしろ、2つの世界があったことで、私の中のスイッチのオンオフができていた部分もあります」 町さんが28歳のとき、母・広美さんは49年の生涯を終えた。ところが、この時期に訪れたショックはそれだけではなかった。翌年、報道部への異動の辞令が出たのだ。 「アナウンサー6年目に入る直前で仕事が充実していたときのこと。自ら希望を出したわけでもなく、『青天の霹靂』でした。母を失った直後の悲しみも癒えないなかで、異動直後の1年間はやる気が起きず、涙もろくなっていました。今思うと鬱っぽくなっていたのでしょう」 しかし、あるとき、報道部の先輩に言われた言葉が、町さんを初心に帰らせる。 「『町は医療のテーマをやりたいんだろ?だったら1年で100人の医師を取材してみろよ』と言われ、ハッとわれに返りました。『そうだ。ここなら新人のころから希望していた“弱者視点”での取材ができるじゃないか』と。それからは報道という仕事にも、誇りをもって取り組めるようになりました」 そして40歳のとき、「やっぱりアナウンサーがしたい。自分の声で情報を届けたい」という思いが強くなり、退社を決意した町さん。 「現在はフリーで介護や医療分野を中心に取材し、その内容を皆さんにお伝えできる場が持てています。今がいちばん充実して仕事ができているように感じています」
2018年03月15日52歳の若さでこの世を去った有賀さつきさん、貴乃花親方を陰から支える花田景子夫人、3月いっぱいで終了する『あさイチ』の有働由美子アナーー。最近、ニュースでよく耳にする“女子アナ”を取り巻く環境に、身につまされる思いを抱いた読者も多いはず。そこで、年をとるごとに共感度が増す彼女たちの今に接近。 近藤サト(49、以下=近藤)「私はアナウンサーを完全に辞めていた時期はないんです。退社して、最初の結婚生活を送っていたころも、ゆるくではあるけれど続けていました。いまは、ナレーター業は死ぬまで続けたいと思っているの」 寺田理恵子(56、以下=寺田)「サトちゃんらしい。私は再婚後14年間、専業主婦だったの。その時期には『いまできること』を考えて、好きな手芸の腕を生かして、匿名で在宅ワークをしたり」 ともにフジテレビ出身で、先輩・後輩の間柄。当時、「内定競争倍率は数千倍」といわれた難関を突破し、花形職業の座を射止めたのは、寺田さんが’84年、近藤さんが’91年のこと。 ’80〜’90年代はバラエティ番組が全盛。当時、「楽しくなければテレビじゃない」を旗印に、お茶の間の圧倒的支持を得たフジテレビで、寺田さんは元祖アイドルアナとして一躍人気者に。 近藤さんはバラエティのほかに、『FNNスーパータイム』などのニュース番組に出演。報道アナウンサーとしてのイメージが定着していく。 その後、2人はともに寿退社。寺田さんは27歳で制作会社のディレクターと結婚。しかし長女を出産後、夫の不倫疑惑が報じられ、離婚。そして、’00年にNEC元会長の御曹司である大手広告代理店勤務の男性と再婚し、次女をもうけるが、夫は’12年に急逝してしまう。 一方、近藤さんは’98年に歌舞伎俳優の故・坂東八十助さん(のちの三津五郎・’15年逝去)と結婚後、1年あまりで離婚。’03年に会社経営者と再婚し、1男をもうけている。 結婚・離婚・再婚など、2人の私生活は、常に世間の注目の対象に。女子アナだからこその試練ともいえるが、それらの体験はその後の人生に生かされているのだろうか。 寺田「私はマスコミに追いかけられて嫌な記事が出ても、たいていは『あーあ』って忘れちゃうタイプなの。女子アナって追いかけやすいと思います。芸能人のように、所属事務所がガッチリと守るというわけでもないし」 近藤「私も週刊誌の直撃取材を何度か受けて、もう驚かなくなった。友達は『ひどいこと書くね』って言うけれど、いつしか『これも仕事なんだなぁ』と思えるようになりました」 寺田「私は表に出ている人間だからしょうがないけれど、それが家族に及んだときはつらくて。主人が亡くなったとき家族葬にしたんだけれど、『誰も来ないお葬式』とか書かれたり。娘に車内づり広告を見せたくなくて、『今日は電車通学させられない!』って思ったこともあったし」 近藤「家族のことまでっていうのは、すごく困りますね。だからもう、書かれないようにしよう!(笑)波瀾万丈という意味では、私もさまざまな経験をしました。でも、読者の方だって同じなんだと思います。いま母校の大学で教えているんですが、学生さんの母親と私は同じ世代。それで、『母親の一代記をインタビューして舞台化する』という課題を出したの。原稿を読んでいると、そこには病気や介護から嫁姑の確執まで、もう10人いれば10通りの深い人生があって。『この方は私より波瀾万丈だわ』とか、泣きながら添削しているの。そういう意味で、教えていても学びがたくさん」 寺田「田丸美寿々さんと、あるパーティでお会いしたとき、『60になったら収穫の年』とおっしゃったの。その言葉がすごく心に残っていて。いまのうちに種まきをしておきたい。そのために実家で、子育てサロンや紅茶教室など、大人の学びの場を開いたり。地域に貢献することが、これからの高齢化社会で大切になってくると思うんです」 近藤「すごーい。私は職人気質なので、1つのこと、ナレーションを極めたいと思っていて。最近やっと『ナレーターの近藤サト』と認知していただけるようになったの」 寺田「サトちゃんみたいにしゃべる仕事がずーっとあるってすごいことよ」 近藤「ありがたいです。でもいいことばかりでないのも事実。女子アナは、見た目や服装も含めた自分の個性に、8割の人から『いいね』をしてもらうことが大事。1割が『いいね』じゃいけないんです。でも、没個性の女子アナはフリーになったときに埋もれちゃうんです。だから『武器になるような個性がない』と模索している方も多いの」 寺田「確かにそう。女子アナは資格じゃないので、プラスアルファを打ち出さないと生き残れない」 近藤「寺田さんもそうですが、局を離れても常に新しいチャレンジをして、アナウンサーという経験をベースに何かを打ち出したいという人が多いですよね。それは素晴らしいことだと思う」 寺田「女子アナの共通点は“行動力”かしら?パッと思いついたら、行動するのは早いかもしれない」 近藤「バイタリティあふれる男っぽい方が多いですよね」 寺田「確かに。でも、その行動力が波瀾万丈な人生を招いてしまうのかな(笑)」
2018年03月15日52歳の若さでこの世を去った有賀さつきさん、貴乃花親方を陰から支える花田景子夫人、3月いっぱいで終了する『あさイチ』の有働由美子アナーー。最近、ニュースでよく耳にする“女子アナ”を取り巻く環境に、身につまされる思いを抱いた読者も多いはず。そこで、年をとるごとに共感度が増す彼女たちの今に接近。 近藤サト(49、以下=近藤)「寺田さんはいつもたたずまいがとても素敵で、私にとってお手本のような存在です」 寺田理恵子(56、以下=寺田)「うれしい〜。フジ出身のアナウンサーはみんな先輩を立てるのよね。でも、本当は私を反面教師にしてるんじゃない?波瀾万丈すぎて(笑)」 ともにフジテレビ出身で、先輩・後輩の間柄。当時、「内定競争倍率は数千倍」といわれた難関を突破し、花形職業の座を射止めたのは、寺田さんが’84年、近藤さんが’91年のこと。 寺田「私は劣等生なのよ。たまたま大学の就職課でアナウンサー募集の張り紙を見て、『あ、3社(テレビ朝日、日本テレビ、フジテレビ)受けられるんだ』と知って、とりあえず受けてみたけれど、フジテレビはもう4人がすぐに決まって、私は追加みたいな採用だったの」 近藤「寺田さんが4人にプラスされて採用されたのだとすると、特例だったんですね」 寺田「そう。私だけ何のトレーニングもしていなくて。面接で原稿を朗読するんだけど、練習不足で。面接官だった露木茂さんに『君、自分でしゃべっていること、わかるかな?』と言われるくらいだったんですが、なぜか合格して」 近藤「知らなかったです。でも、寺田さんの個性を見ていたのでは?入社後の人気はすごかったですものね」 ’80〜’90年代はバラエティ番組が全盛。当時、「楽しくなければテレビじゃない」を旗印に、お茶の間の圧倒的支持を得たフジテレビで、寺田さんは元祖アイドルアナとして一躍人気者に。 寺田「そんな状況で入社したら、ほかの4人はすでに訓練を積んでいて続々と仕事が決まって。私だけ半年間、仕事がなかったんです。それが、山村(美智子。現在、美智)さんが新婚旅行へ行くことになって、私だけしかスケジュールが空いてなくて急きょ代役で『オレたちひょうきん族』に出演して、そのまま2代目に抜擢。私はそういう偶然やラッキーだけで来ているのかもしれません」 近藤「それは、やってきたチャンスをしっかりつかんだということですよね」 寺田「サトちゃんはアナウンサー志望だったの?」 近藤「私は大学時代、NHKでADのアルバイトをしていて、お弁当の手配から、床をはいずり回るような作業まで、いわゆる裏方をしていたの。アナウンサーになろうと思ったことはなかったんですが、日大の芸術学部だったので、『みんな試験を受けるから私も』というノリで、履歴書に3分間写真を貼って送ったんです。そうしたら入社後、人事の人に『写真がめちゃくちゃ目立っていた』って」 寺田「きれいだから、それでも受かってしまうのね」 近藤さんはバラエティのほかに、『FNNスーパータイム』などのニュース番組に出演。報道アナウンサーとしてのイメージが定着していく。 近藤「入社試験のカメラテストで、当時の社会党の故・土井たか子さんとのパネルトークがあり、『土井さんは女性の仮面をかぶった男です』と言ったら、また後から人事の人に『おまえこそ男だよ!』と言われて。入社後もそういう、心の強い女性に出会う機会が多く影響を受けましたね。あのころはほとんど休みがなかったけど、『早く帰りたい』と思ったことはなかった」 寺田「私もなかった。取材を受けることも多くて、余波でCDデビューもしちゃったけど、それもこれも『局の宣伝になれば』『おもしろければ』という風潮。私はあの時代に鍛えられたことが、その後の糧になっていると思う」 その後、2人はともに寿退社。寺田さんは27歳で制作会社のディレクターと結婚。しかし長女を出産後、夫の不倫疑惑が報じられ、離婚。そして、’00年にNEC元会長の御曹司である大手広告代理店勤務の男性と再婚し、次女をもうけるが、夫は’12年に急逝してしまう。 一方、近藤さんは’98年に歌舞伎俳優の故・坂東八十助さん(のちの三津五郎・’15年逝去)と結婚後、1年あまりで離婚。’03年に会社経営者と再婚し、1男をもうけている。 近藤「私はアナウンサーを完全に辞めていた時期はないんです。退社して、最初の結婚生活を送っていたころも、ゆるくではあるけれど続けていました。いまは、ナレーター業は死ぬまで続けたいと思っているの」 寺田「サトちゃんらしい。私は再婚後14年間、専業主婦だったの。その時期には『いまできること』を考えて、好きな手芸の腕を生かして、匿名で在宅ワークをしたり」 近藤「そんな時期が?」 寺田「そうなの。子どもの通学用のバッグを作ってサイトに出品したり。夫が急死した後は『稼がなくちゃ』と思って、普通のオフィスでも働いていたし」 近藤「うわー。何、やってたんですか?気になる」 寺田「最初は、何社か応募して。でも『なぜ寺田理恵子が?』ということや、年齢で不採用になるの。その後やっとベビーシッターの派遣会社に採用していただいて。そんな経験をしたから、私はいつも自分の体験を俯瞰して眺める癖がついているのかも」
2018年03月15日52歳の若さでこの世を去った有賀さつきさん、貴乃花親方を陰から支える花田景子夫人、3月いっぱいで終了する『あさイチ』の有働由美子アナ――。最近、ニュースでよく耳にする“女子アナ”を取り巻く環境に、身につまされる思いを抱いた読者も多いはず。そこで、年をとるごとに共感度が増す彼女たちの今に接近。そこには、確かに“読者世代のリアル”があった。 「私の人生、挫折の連続です。結局、私はプロのアナウンサーにはなれませんでしたから」 そう苦笑するのは、元日本テレビの藪本雅子さん(50)。「DORA」の一員として、女子アナブームを盛り上げた1人だ。だが、その華やかな姿とは裏腹に、彼女が直面してきた困難とは――? 「顔は売れても実力が伴わず、的はずれな発言を繰り返しては突っ込まれてばかり。皆さんにカバーしてもらってばかりで、とくに永井美奈子さんには頼ってばかりいましたね。永井さんは仕切りが本当に上手で、まさに神業。いっぽうの私はてんでダメで、自己嫌悪の連続。毎晩、浴びるようにお酒を飲んでいました」 10代のころに芸能界入りしたものの、挫折した経験がある藪本さん。いわばリベンジとしてアナウンサーになったものの、自分の才能のなさに自信を失っていたという。 「それでも『話術が未熟な分体を張るぞ!』と、水着姿で熱湯に入ったり、求められることは何でもしたんです。注目されたかったですし、アナウンサーはみんな、周囲の期待に応えたい人が多いと思うんです。でも、結局、番組内での『いじり』をかわせず、いちいち真に受けて落ち込み、ここでも周囲に迷惑をかけてしまいました。自己嫌悪の極みで外に出るのも怖くなり、お酒と精神安定剤に頼りながら、なんとか仕事をしているような状態でした」 それでも、社会から排除されるのが怖くて作り笑いを続けていたという藪本さん。自分を完全に見失っていた――。 転機は’95年。阪神・淡路大震災で現地取材を担当したことを機に、自ら企画、取材することにやりがいを見いだした。 「そんななか、ハンセン病問題に出合い、『本当の自分をわかってもらえない』という元患者さんたちの苦悩に心を打たれたのです。私はこの問題に取り組むべきだと思いました」 当時、最初の結婚もしていたが、夫にさえ本当の自分を見せられず、夫婦の関係は破綻。そこで藪本さんは「まずは自分が自立しなければ」と30歳で離婚に踏み切り、まさに「人生をやり直す覚悟」で報道局への異動を願い出た。 「アナウンサーとしての才能はありませんでしたが、記者は努力しただけ成長できる実感がありました!」 そして’01年、ハンセン病の国家賠償請求訴訟が原告勝訴で終了。達成感を胸に藪本さんは退社し、フリーに。取材を通じて知り合った防衛省職員の男性と再婚した。 「夫とは価値観の違いから、憲法や安保問題を巡っていつも衝突していますよ。それでも一緒にいようと、お互い不断の努力をしています(笑)」 人権問題を通じて、新たな人生が開けた藪本さん。現在は日本語教師としても活躍。 「在日外国人に対しては、言葉の壁による差別や就労困難が根強く存在しますので、これも、人権問題の延長ですね。やりがいもあり、英語力も不要なので、読者の皆さんにもぜひお勧めしたいです(笑)」
2018年03月15日52歳の若さでこの世を去った有賀さつきさん、貴乃花親方を陰から支える花田景子夫人、3月いっぱいで終了する『あさイチ』の有働由美子アナ――。最近、ニュースでよく耳にする“女子アナ”を取り巻く環境に、身につまされる思いを抱いた読者も多いはず。そこで、年をとるごとに共感度が増す彼女たちの今に接近。そこには、確かに“読者世代のリアル”があった。 「局アナ時代は、朝の情報番組を担当していたので、出社は朝3時、帰宅は午後10時というのがだいたいのルーティンでした。そんな生活が勤務していた10年間、ほぼずっと続いていましたね」 ’95年、日本テレビに入社した魚住りえさん(46)。その愛らしい笑顔で一躍人気アナに。しかし実際は、超過密スケジュールの過酷な生活だったと当時を振り返る。 「先輩からも『テレビの世界は、見えているほど気楽な世界じゃないよ』と言われていましたが、『私はテレビには向いていないのでは』と落ち込み反省する、そんな毎日の日々でした」 そして同僚のアナウンサーと結婚をしたことを機に’04年、フリーに転身したが、1年後に破局。 「離婚は落ち込みました。『これからどうなっちゃうんだろう』と不安にもなりましたし。でも、『このまま狭い世界にだけいてはいけない』と思って、外に出るようにしたんです」 そんなとき、人生を一変させる出会いが訪れる。 「今では私の親友なんですが、ある会でたまたま出会った女性が、顔の広い方で、私にいろいろな人を紹介してくれました。実業家、会社員、OL、自営業の方と本当に職種もさまざま。みんな、私の『アナウンサー』という肩書に関係なく接してくれるのです。話している内容も、私が聞いたことのない話ばかり。みんな、自分の価値観をしっかり持っていて、生き生きとして見えました」 自分が悩みもがいていたことが、実はとても小さな世界のなかでのことだったと気づき、衝撃を受けたという。 「この新しい出会いは、まるで『ひよこが殻を破って外の世界に出た!』かのように、私の人生を変えました。彼らと交流を続けているうちに、『私も自分にしかできないことを、今までとは違う世界で挑戦してみたい』と考えるようになったんです。そしていろいろ考えた末、『私にはやっぱりアナウンサーの経験を生かしたノウハウしかない』と。そこで、これまでに声や話し方を研究し、実践してきた蓄積や、私がこれまでにしてきた失敗例などをまとめて、『魚住式スピーチメソッド』の原型を作ったんです」 現在のご主人に出会ったのはそんなとき。優しい性格に引かれ、40歳で再婚。 「結婚後、メソッドの本も出版できましたし、スクールの仕事も順調に拡大。主人はどんなときも精神的に支えてくれています」 最良の伴侶を得た魚住さんだが、すべてが順風満帆ではないという。それは結婚後しばらくしてから始めた不妊治療。思うようにいかず、昨年、体調を崩したことで、現在はいったん休止している。 「不妊治療は本当につらいです。でも、私が確立したメソッドを私たちの子どものように考え、社会で広がるように育てていくのが使命という考え方もあるのかなと、今は主人と話しているんです」
2018年03月15日東京・代官山の自家製パンと高級輸入食材を扱っている人気店で、にこやかに大量に食料を買い込んでいるマダム風の女性が――。彼女は貴乃花部屋の女将・花田景子さん(53)だった。 本誌が彼女を目撃したのは、“貴乃花部屋の運命をかけた一戦”を目前に控えた1月30日。だが、その表情には張りつめた様子は見えなかった。 2月2日の理事候補選の結果、貴乃花一門の相撲協会に対する影響力は激減してしまった。 「貴乃花親方は1月に理事を解任されたばかりでした、常識的に考えれば、今回の選挙は出馬を控え、“一回休み”にしたほうが良かったように思えます。もっとも貴乃花親方は落選を覚悟していたようです」(相撲ライター) そんな状況のなかで、いち早く女将さん業を“一回休み”状態にしていたのが景子さんだった。実は本誌が景子さんの代官山ショッピングを目撃した1月30日の夜には、自宅でパーティが開催されていたのだ。 「貴乃花親方の長女・A子さんは現在、有名私立高校に在学中ですが、彼女は1年ほど海外に留学することにしたそうです。1月30日の夜にはA子さんの友人たちが集まって、“お別れ会”が行われました」(貴乃花親方・景子さん夫妻の知人) 理事候補選の前日、本誌は景子さんを取材した。 ――お嬢さんが留学されると伺いましたが? 「ええ、そうなんです。しばらく海外に出ることを決めまして」 ――お母さまとしても、留学のご準備は大変ですね。 「そうですね。もう数日で家を出るもので。若いうちに海外生活を経験するのは、とてもいいことだと考えています」 だが花田一家の“変化”は、長女の海外留学ばかりではなかった。なんと靴職人兼タレントとして活躍している長男・優一が、俳優への転身を考えているというのだ。 「貴ノ岩暴行騒動が世間の注目を集めていた昨年12月22日に、東京都内のホテルで山川豊さんと夏樹陽子さんがディナーショーを開きました。その司会が“渦中の人”である花田景子さんだったので驚きました。さらにサプライズだったのが、山川豊さんへの花束贈呈役として息子の花田優一さんが登場したことです」(ディナーショーに出席した女性) 景子さんは興奮を隠しきれない様子だったという。 「私、今回初めて息子と“共演”させてもらいました。このような形で、いっしょになる日が来るなんて……」 さらに会場をどよめかせるきっかけになったのは山川豊の一言だった。 「優一くんは、俳優にはならないの?」「はい!今後はぜひやらせていただきたいです!」 愛息の“俳優転身”宣言を景子さんは笑顔でうなずきながら見守っていたという。 これまで貴乃花親方と2人で相撲界の改革を目指してきた景子さん。だが2年後の親方の理事再任までは、女将業はちょっと“休業状態”で、子供たちのサポートをしていくつもりのようだ。
2018年02月08日ハワイでヨガをインストラクターに花田美恵子さんを迎え、ハワイで「プライベートヨガ」が開催されます。スタジオは、ホノルルにある「センチュリーセンター」の28階です。レベルに合わせた個別レッスンポーズ、呼吸、瞑想を軸とし、長い歴史のあるヨガですが、その種類も様々です。今回のレッスンは個人のレベルに合わせて行いますので、初心者でも安心。高層ビルの落ち着いた雰囲気の中、心身を解放してみてはいかがでしょう。開催概要ワイキキの中心部から徒歩15分の場所の位置する、「センチュリーセンター」28階の「STUDIO808 HONOLULU」にて開催されます。レッスンは完全予約制で、料金は受講人数に応じて60ドルから80ドル。タオル持参の上、動きやすい服装で臨んでください。(画像はプレスリリースより)【参考】※花田美恵子 ハワイ プライベートヨガ
2018年01月23日写真:アフロ(貴乃花親方) 1月4日に日本相撲協会が臨時評議員会を開き、貴乃花親方(45)の理事解任を決議した。貴乃花親方は役員待遇の委員に2階級降格。全会一致での承認に、貴乃花親方は「わかりました」と答えたという。 その直前の昨年12月29日、貴乃花部屋の女将・花田憲子さん(53)は神奈川県内の病院を訪れていた。この病院は、数年前に開設された総合病院で、病床数は400弱。景子さんの自宅からは車でも1時間ほどかかる。 長女を伴って病院に入る景子さんは、アイボリーのマフラーを首に巻かず両サイドに垂らしていた。まさに、夫・貴乃花親方も愛用しているスタイルだ。 「12月には連日、貴乃花親方の姿がテレビで報じられましたが、注目の1つが親方の“マフィア風”とも呼ばれている独特のファッションスタイルでした。実母・藤田紀子さんも“私が女房だったらあの服装を止めさせる”と珍しく苦言を呈しています」(相撲ライター) 実は本誌はこの数日前には長男でタレントの花田優一(22)の姿も東京都内で目撃しているが、やはり彼もマフラーを両サイドに垂らしていた。“マフラーを首に巻かない”というのは、花田家の掟なのだろうか。景子さんは、病院関係者に出迎えられると、応接室に入っていった。 忙しい年の瀬に、景子さんが自ら車を運転して、この病院を訪れた理由は何だったのだろうか?貴乃花部屋の後援会関係者は言う。 「貴ノ岩(27)の実兄が『弟は東京都内の病院に入院している』と言っていましたが、その所在地はトップシークレットでした。(景子さんが29日に訪れた)病院が貴ノ岩の入院先だったか、もしくはその病院の関係者に、入院先を紹介してもらったのだと思います」
2018年01月05日1月4日に日本相撲協会が臨時評議員会を開き、貴乃花親方(45)の理事解任を決議した。理事解任決議を全会一致で承認し、貴乃花親方は役員待遇の委員に2階級降格。協会の理事が解任されるのは、初めてのことだという。 その直前、冷たい風が吹くなか路上で待ち続ける報道陣に微笑んで見せたのは貴乃花部屋の女将・花田景子さん(53)。1月1日、東京都江東区にある貴乃花部屋では、貴乃花親方(45)や帰省せず部屋に残っていた弟子数人たちによる新年会が行われていた。昼過ぎには、景子さんが長女(17)と次女(15)を連れて部屋に現れた。さらにその後、長男でタレントの花田優一(22)も到着し、花田一家が勢揃いしたのだ。 「家族仲の良さには昔から定評があります。昨年夏には優一さんがテレビ番組で『今でも(妹たちと)口にチューします』と明かし、話題になりました。また12月18日に開催された貴乃花部屋一門の忘年会でも、優一さんが会場で率先していろいろ働いていて感心しました。親方が苦境にありますからね。景子さんがお子さんたちに“いまこそ家族一丸になってお父さんを助けましょう”と言っているのでしょう」(貴乃花部屋の後援会関係者) だが、その“絆の輪”に入れず取り残された者もいるという。昨年秋に結婚を発表したばかりの優一の妻・A子さん(23)だ。実は1日の貴乃花部屋での新年会にも、彼女が姿を現すことはなかった。 「ご実家がご実家ですからね。今の状況で、部屋に行くのは勇気がいるでしょうね」(前出・後援会関係者) A子さんの父は、元幕内力士の陣幕親方(57)。貴乃花部屋とは“敵対関係”にあるといわれている八角部屋に所属している。もともと角界の“ロミオとジュリエット”だった優一とA子さん。貴乃花親方と八角親方が率いる理事会との関係悪化は、夫婦関係にも影を落としているのだろうか。本誌は陣幕親方に今回の騒動について、取材を試みていた。 ――貴乃花親方とは最近、お話しになりましたか? 「相撲協会ではしょっちゅう顔を合わせているよ。今回の件での助言?……助言はしていないよ。親戚になったから、逆にこういう件ではあんまり連絡を取り合ったりしないよね」 ――優一さんとA子さんも、お心を痛めているのではないでしょうか? 「それは、そうですよね。本当は相撲と子供たちのことは関係ないんだけど……。娘とも連絡とりあってないけど、(夫婦で)仲良くしていると思うよ。たぶん……」 現在、花田家でA子さんの置かれている立場や苦悩を不憫に思ったのか、陣幕親方の声がだんだん小さくなっていったのが印象的だった。2月の理事選に向け、台風の目として注目されている貴乃花部屋。その渦中で、“孤立する嫁”A子さんは何を思うのか。
2018年01月05日大相撲の元横綱・日馬富士(33)による傷害事件で、日本相撲協会は12月28日、東京・両国国技館で臨時理事会を開いた。協会理事の貴乃花親方(45)が報告を怠り、危機管理委員会の調査を拒み続けたとして、協会は貴乃花親方の理事解任を最高議決機関の評議員会に提案することを決めた。 報道の過熱に拍車がかかったが、前東京都知事の舛添要一氏(69)は同日、自身のTwitterを更新。貴乃花親方に対する処分についてのニュースが終日報道されている状況に苦言を呈した。 舛添氏は28日17時38分に《今日は一日中、テレビは各局とも貴乃花処分など相撲の話題ばかり。この国は平和なのか、「パンとサーカス」にしか興味がないのか。外も寒いが、心の中に冷気が走る》とツイート。100を超える「いいね!」がついている一方、「見なければいい」「今日に限らず連日報道されてきたぞ」などのリプライが殺到している。 舛添氏のTwitterは15万5千人を超えるフォロワーを抱えている。都知事時代を振り返るツイートや、「豊洲しか念頭にないらしい」と小池都知事を批判するツイートも見受けられ、その都度賛否のリプライが寄せられている。
2017年12月28日(写真:アフロ) 10月に起きた平幕力士・貴ノ岩(27)への暴行事件。加害者の横綱・日馬富士(33)は11月29日に引退を発表したが、騒動は収束するどころか日本相撲協会と貴乃花親方(45)のバトルへと発展してきた。貴乃花親方は貴ノ岩が暴行されたことを受け、警察に被害届を提出。いっぽう相撲協会には連絡せず、危機管理委員会の調査協力を拒否してきた。 そんななか女将である花田景子さん(53)は全国で講演を行ってきた。11月11日には茨城県を、11月14日には北海道を訪問。夫が沈黙を守るなか粛々と講演を続けてきた。だが、それも限界だった。11月23日に愛媛県で、彼女は「連日の報道は本筋とズレているような気がします」と告白したのだ。また彼女は、ひそかに本音を漏らしていた。騒動後に行われた後援者の集まりでのこと。景子さんは支援者を前に、こんな本音を口にしたのだ。 「一部マスコミが『貴乃花親方はおかしい』と報じていることに、景子さんはひどく腹を立てていました。彼女は『親方は角界のために身を捨てる覚悟で臨んでいます。自分の立場や保身などを考えての行動では絶対にありません』と言っていました。穏やかな口調ながら、強い意思を感じました」(後援会関係者) 彼女はこれまで報じられていない“封印された真実”も明かし始めたという。 「景子さんは『貴乃花親方は警察の捜査にゆだね、いっさい語っていません。それには理由があるんです。日馬富士関の個人的な暴行事件として幕引きが図られようとしていますが、本当はそれだけではない』と明かしたのです。実は白鵬関を中心とするモンゴル力士と貴ノ岩関の間で、もっと根深いやり取りがあったそうです。景子さんは『そもそも日馬富士関は来年での引退を検討していたそうです』と言っていました。だから彼が責任を一身に負うことで、周囲への影響を食い止めようとしたとも……」(前出・後援会関係者) 景子さんから飛び出した衝撃発言。それは事件がまだ終わっていないことを意味していた。 「親方は角界の浄化に繋がればと思って行動している。でも協会に言ったとしても、すべては隠ぺいされてしまうから――それが、“沈黙の真意”だそうです。景子さんの発言は真実が言えない“親方の無念”を代弁しているかのようでした」(前出・後援会関係者) 連日、講演会で全国を飛び回る景子さん。それだけ地元を留守にすることも増えるため、批判にもさらされることになる。だが、近所の住人はこう語っている。 「土俵開きのとき、景子さんがちゃんこ鍋を振る舞ってくれたんです。『300食用意したけど、全然足りなかった。まさかこれだけ来てくれるとは思いませんでした』と笑っていました。普段は地方を回ったりしているので、見ることは多くないかもしれません。でも時間があれば部屋にも来ていますよ。気取った感じもないし、とても気さくな方なんですよ」
2017年12月12日引退した元横綱日馬富士(33)の暴行問題を受け、日本相撲協会の理事会では貴乃花巡業部長(45)が同問題に対応することを理由に担当から外れることとなった。また、暴行を受けた貴乃花親方の弟子である平幕貴ノ岩(27)も冬巡業を休場、一部では現役復帰困難とも言われている。 モンゴル力士会、相撲協会、貴乃花部屋という“三つ巴”の戦いの様相を呈している今回の騒動だが、過去に貴乃花親方がブログに綴っていた“弟子への思い”が「これぞ親方のあるべき姿」と絶賛され、話題を呼んでいる。’13年5月12日、貴乃花部屋のホームページ上で「わが弟子たちへ」というタイトルがついた投稿にはこうある。(一部抜粋) 「神様を敵に回しても親方はなにも怖くないさ。ただ、君たちが怪我をするのだけがすごく怖い。神様は居るようでいないものだよ。居るとしたら、君たちの守護神は親方さ。君たちのためなら、例え世界中の神様を敵に回したとしても、なにも臆することはない。もしも神様が君たちの命を奪いにくるのであれば、親方が奪い返す。親方は相撲しか知らない。相撲は詳しい、負け方も勝ち方も心得ている。しかし君たちには勝たせることしか教えない。命懸けで勝たせる。」 師匠として弟子を常に思い続けるこの投稿は、スクリーンショットとともにSNS上で多くのアカウントにシェアされ、「誰よりも相撲と真摯に向き合っている」「熱い親方だ」と絶賛の声を集めている。
2017年12月04日「実は、結婚したんです。自分の恋愛なんて誰も注目しないだろうと思っていたら、さまざまなところで質問されるので……」 元横綱・貴乃花親方(45)の長男で靴職人の花田優一(22)が10月30日、自身の冠番組『花田優一 First Step』(TBSラジオ)で結婚を発表した。気になるお相手は、1歳年上の一般女性・A子さん(23)。 「彼女は大学時代、ミスコンに選出されたこともある美女。ご両親から厳しく育てられたようで、その礼儀正しさは周囲の友達が驚くほどでした。優一さんとは同じ学校の先輩後輩で、4年前に出会って交際を始めました。今春、A子さんの大学卒業を機に結婚の運びになったそうです」(A子さんの知人) 若い2人の幸せな結婚は、何一つ曇りのないものに見えるのだが――。本人も、「相手は一般人なので」と語るのみ。なぜここまで“箝口令”を敷いていたのか。 「その理由は、結婚相手であるA子さんの父親が元幕内力士の陣幕親方(57)だからではないかと言われています。しかも、陣幕親方は貴乃花親方のライバルである高砂一門の八角部屋に所属しています。昨年3月の理事長選では、貴乃花親方が八角親方(54)に敗れました」(前出・角界関係者) 貴乃花親方にとってA子さんは“宿敵の娘”。つまり2人は、現代の角界によみがえった『ロミオとジュリエット』だったのだ。この“ロミジュリ婚”に、貴乃花親方は猛反対かと思いきや――。 「それはないと思いますよ。そもそも優一くんは相撲界とはまったく違う世界で生きていますから関係ありません。立派な靴職人として独り立ちしている優一くんのことを、親方は一人前の大人として尊重しています。結婚についても、『素敵なお嬢さんと結婚してくれてよかった』と心底喜ばれていると聞いています」(前出・後援会関係者) さらに、貴乃花親方が2人の結婚を認めた背景には“あるトラウマ”も深く関係しているという。 「振り返ってみれば、親方自身が結婚で辛い経験をしていますから。92年、宮沢りえさん(44)との婚約を大々的に発表したものの、記者会見後わずか2カ月で破局。スピード破局の理由はいまだに明らかになっていませんが、双方の母親が原因だったと言われています。りえママは芸能界を引退させたくなくて結婚に反対し、親方の母親である藤田紀子さん(70)は、そんな母親と結婚後も同居したいと主張したりえさんに苦言を呈したという当時の報道もありました」(前出・後援会関係者) 結ばれない恋を経験した貴乃花親方には、我が子に自分の二の舞を踏んでほしくないという思いがあったのだろう。 いっぽうの“ジュリエット側”は――。A子さんの父親である陣幕親方に話を聞こうと、本誌は千葉県にある自宅に向かった。11月上旬の朝10過ぎ、閑静な住宅街に佇む一軒家から自転車にまたがった大柄な男性が出てきた。陣幕親方本人だ。記者が「お嬢さんのご結婚、おめでとうございます!」と声をかけると、自転車を停めて取材に応じてくれた。 ――親方から見て、優一さんはどんな方ですか? 「とっても素直で明るい、良い青年ですよ。彼は、だれにでも気遣いができますし」 嬉しそうに優一をベタ褒めする、陣幕親方。 ――では、違う一門だからといって、結婚に反対されたなんてことはない? 「あはは、全くありませんよ。むしろ、最初から応援していたくらいですから」 ――家族ぐるみのお付き合いもある? 「ええ、結婚式の時はもちろん、もう何度もお会いしていますよ」 実際に会ってみて、親方同士の“確執”がなかったのかどうかも改めて聞いた。 「私たちは、それとこれ(相撲とプライベート)とはまったく別個に考えてますんで。貴乃花親方とは、普通の話をしてますよ。たまに相撲の話になることもあるけどね(笑)」 “角界での遺恨”自体は否定しなかったものの、貴乃花親方とは良い関係が築けているようだ。最後に、男の子の孫ができたら力士を継がせたいか聞いてみると、「それだけは生まれてみなくちゃわかんないね(笑)」そう笑顔で答え、記者に会釈すると去って行った――。 対立していた両家は息子と娘の愛によって劇的に和解する。そして新しい時代が幕を開ける――それが角界版『ロミオとジュリエット』!?
2017年11月08日元横綱の貴乃花親方・花田景子夫妻の長男である花田優一さんが、10日(19:56~22:54)に放送される日本テレビ系バラエティ特番『明石家さんまの転職DE天職 3時間スペシャル』で、テレビ初出演を果たす。優一さんは15歳で親元を離れ、単身アメリカに留学。そこで学生生活を送るうちに、「世界で愛される"靴"を自らの手で作りたい」と思うようになり、18歳からイタリア・フィレンツェで、靴職人の修行に3年間励んだという。こうして1年前に帰国してから、現在は都内で靴職人として活躍。採寸、デザイン、皮の仕入れ、縫製まで全て1人でこなす完全オーダーメイドの靴を、約2週間かけて丁寧に作り上げ、価格は15万円程度だそうだ。そんな優一さんに、さんまは"スタジオで動き回るようの靴"をオーダーする。父親譲りの端正な顔立ちでスタジオに登場した優一さん。司会の明石家さんまに「好青年やな~」と絶賛され、「相撲取りになろうとは1回も思わなかったの?」と聞かれるが、優一さんは「全く思わなかった」と回答し、現在21歳ながら「父も早かったので、早く結婚したいです」と願望を明かす。すると、さんまは「お母さんに言っといてや! 昔は、俺のファンって言ってたんや!」と主張。それを聞いた優一さんは、さんまの言う通り、花田景子が家で「さんまさんのファンだった」と話していることを伝える。この日の放送では、20人の転職者の実態を調査。ほかにも、渡部建(アンジャッシュ)、岡崎体育、川田裕美、長濱ねる(欅坂46)、平手友梨奈(欅坂46)、長谷川穂積、ヒロミ、蓬莱大介、湯山玲子が出演する。
2016年10月06日毎週、好評放送中の「踊る!さんま御殿!!」。7月28日(火)は「親子SP」として、藤田紀子と長男の花田虎上を始め、「クマムシ」の“何もしてないほう”の佐藤親子、「ロッチ」中岡親子や、元「テラハ」メンバーの今井華親子ら、賑やかな面々が登場していることが分かった。「親子SP」と題された今回は、何かとお騒がせの藤田紀子&花田虎上が揃って登場。「私の自由にさせてほしい」VS「じゃあ、一緒に来るんじゃねーよ!」と、司会の明石家さんまの前で言い合いとなり、スタジオで一触即発の親子ケンカに発展しそうに!また、「あったかいんだから~」で大人気の「クマムシ」から、歌わないほう・佐藤大樹の母が初登場。「何もしないほうの母です」と挨拶すると、「彼女にも相方にもヒモ」「遅刻はするし、ライブもサボる」など、相方の“歌ってるほう”長谷川俊輔と共に息子にダメ出しを連発。さらに前回、さんまさんから「クッションまもる」名付けられた中岡創一の父も登場。今回もさんまさんからネタふりされ、思わず中岡さんが「俺のお父さんにそこまでふらないで!」と悲鳴をあげる一幕も。「TM NETWORK」の木根尚登は、娘の早織さんが恥ずかしすぎるエピソードを暴露すると、「俺は聞いてないぞ!」と激怒したり、女優の広田レオナは「こうやってナンパするんだよ!」と息子の雅裕さんにナンパを伝授したことを明かされるなど、仰天エピソードや爆笑満載の回となっている。「踊る!さんま御殿!! 親子SP」は7月28日(火)19:56より日本テレビ系にて放送。(text:cinemacafe.net)
2015年07月28日森永製菓は26日、「貴乃花の相撲教室! 」を貴乃花部屋(東京都中野区)で開催した。同社が行っている「エンゼルのつばさプロジェクト」の一環として行われたもの。当日は抽選で選ばれた25組50名の親子が参加し、子供たちは第65代横綱の貴乃花光司さん(貴乃花親方)の見守る中、部屋の力士らから特別稽古をつけてもらった。○子供たちの未来のために「エンゼルのつばさプロジェクト」は、日本の子供たちの未来を応援する取り組みで、2012年より実施している森永製菓のCSR活動(企業の社会的責任を果たす活動)のひとつ。人と人のきずなを大切にしたい時代に、子供たちの未来がもっと可能性あふれるものになるよう支援する活動を行っている。今回は「豪華コーチ陣と夢を見つける1日体験イベント」として、仲間とともに汗を流し、夢にぶつかっていくことの大切さを子供たちにわかりやすく知ってもらうことを目的としている。当日は貴乃花部屋の力士らがコーチとなり、実際に力士らが稽古をしている土俵の上で子供たちが相撲の「いろは」を学んでいった。女将(おかみ)の花田景子さんは「今日も朝5時からいつものように稽古をしていましたが、少し早く切り上げて皆さんをお招きする準備をしていました。はだしになって稽古をして、ケガのないように相撲を楽しんでいただければと思います」と子供たちを歓迎した。○相撲の動きをもとにした準備体操で「土俵入り」まずは準備体操からスタート。貴乃花部屋の力士・貴翔馬関らによって行われたのは、相撲の動きをベースにした「相撲体操」だ。相撲の型や四股などを取り入れており、大きく手を広げて目の前でパチンと拍手を打ち、足を高く上げて四股を踏むさまは、まるで土俵入りそのもの。「小さな力士」たちも懸命に足を上げ、見事な"土俵入り"を見せた。相撲体操は簡単そうに見える姿勢であっても、「かかとをしっかり地面につける」「つま先を真上にのばす」など、相撲として正しい姿勢を取ることによって筋肉がしっかり伸びる。少々つらい姿勢でも、子供たちは無邪気な笑顔を見せながら、力士の動きをしっかりとまねしていた。○勝っても負けても、まず礼儀続いて、力士を相手にした実際の取り組みが行われた。まずは相撲は真剣勝負だが、神様の前で行う神事でもあることを子供たちに説明。取り組みの前には「よろしくお願いします」、取り組み後には勝ち負けに関係なく「ありがとうございました」と礼を尽くすことを教えた。貴乃花親方が見守る中、子供たちは10倍近い体重差があるであろう力士にも果敢にぶつかっていく。力士に持ち上げられたり、グルグルと振り回されたりしつつも、最後にきちんとあいさつをするなど、しっかりと"相撲の心"を学び取っていたようだ。取り組みには子供たちだけでなく、お父さんも飛び入り参加。子供たちには白星を譲っても大人には譲れないのか、力士らは子供たちと同様に大人の体をもひょいと抱え上げ、土俵の外へと追いやった。その様子を見ていた子供たちの顔は笑顔でいっぱいだった。取り組み後は、通常の稽古後に毎回行われる力士同士のぶつかり稽古を見学。それまでとはうって変わった真剣な表情で、「バシン」と大きな音を立ててぶつかり合う力士らの迫力に、子供たちは目を丸くしていた。「(力士が)強かった」「楽しかった」と感想を述べ、相撲教室を堪能した様子だった。○貴乃花親方「土の感触を確かめてほしかった」貴乃花親方は「『将来、この中の誰かが相撲取りになってほしい』というよりも、子供たちがはだしで土の感触を確かめて、体を動かすことを楽しんでもらえたら」。土の上で素足で闘う相撲ならではの良さに、子供たちが満足していることを願っていた。また、「子供たちを見ていて、自分の子供時代を思い出して懐かしい気持ちになった」と、自らの幼少時代も思い出したという。イベント後には、貴乃花部屋特製のちゃんこ鍋を参加者全員で楽しんだ。力士を"体験"でき、特製ちゃんこ鍋もつつけた一日は、子供たちにとって忘れがたいものになったであろう。
2014年04月28日本格的にママタレとして活動を開始第66代横綱若乃花の元夫人として知られる、花田美恵子が本格的にタレント活動を行っていくとして、転身を宣言した。すでに昨年秋には芸能事務所「パールダッシュ」と契約し、各種民放番組への出演を重ねてきている。離婚から約5年、表舞台で注目されることはなくなっていた彼女だが、今後はタレント活動をアクティブにこなしながら、モデルとしての活動も再開させたり、執筆活動を行ったりしていく予定という。変わらぬ可憐な美しさでびっくり!4人の子供をもつ母親で、離婚から約5年、43歳となった彼女だが、久々に表舞台でみせたその姿は、年齢からは想像もできないほど、変わらぬ可憐な美しさをキープしており、トレンドで激戦市場となっている“ママタレ”“美魔女”としても、十分活躍が期待される。離婚後、彼女はハワイへ子供らと移住し、約4年が過ぎているという。現在はハワイと日本を行き来しながら、仕事を続けている状態で、シングルマザーとして美しく輝く姿が支持のもととなっているようだ。公式ブログも好評で、読者を拡大させている。新しいことにチャレンジしていくのが好きという彼女。子供の親権も持ち、家事・育児に、仕事にと精力的に臨んでいる。今後の日本での本格的なタレント活動、モデル活動などが注目される。元の記事を読む
2013年02月11日