京都で染色を行う京美染色株式会社(所在地:京都市上京区、代表取締役社長:大塚 直史)は、オリジナルブランド「亥之吉」から『inorico』シリーズを発売しました。手捺染で染めたシルクにパールトーン加工(防水・防汚加工)し、イタリアンレザーを使用したバッグとミニ財布は2柄2配色です。また、発売を記念して2022年10月22日(土)から2023年3月31日(金)の期間中ご購入いただいた方に、もれなく手捺染ハンカチをプレゼントいたします。キャンペーン詳細 同じ柄の手捺染ハンカチ[ほしのぶーけ]シルク2wayがま口バッグorシルクミニ財布を購入の方にオリジナルハンカチプレゼントキャンペーン期間 2022年10月22日(土)-2023年3月31日(金)手捺染大判ハンカチ(綿100%・非売品)は、2wayがま口バッグを購入いただくと同じ柄・色違い2枚、シルクミニ財布には同じ色柄1枚プレゼント■オリジナルブランド「亥之吉」とは亥之吉は染め屋である京美染色株式会社が提供するオリジナルブランドです。京友禅の技術と受け継がれた意匠を活かし、「染め屋だからできる、日常を楽しむ雑貨」をコンセプトにトートバッグやがま口を提供しています。豊富な色柄と発色の良い上質なプリント品質が特徴です。亥之吉は染め屋である京美染色株式会社が提供するオリジナルブランドです■手捺染 シルク2wayがま口バッグ珍しい、ひとつ玉のがま口を使った2wayがま口バッグです。手捺染は機械染めではできない味わい深い色が特徴で、職人が丁寧に染め上げた絹100%のシルク生地にパールトーン加工をし、イタリアンレザーと共にバッグにしました。パールトーン加工は撥水や防汚効果があり、シルクの風合いを損なわず、普段使いができます。大切な方の贈り物にできるよう、ギフトボックスと共にお届けいたします。手捺染 シルク2wayがま口バッグ [ほしのぶーけ]手捺染 シルク2wayがま口バッグ [ゆらりすいせん]<サイズ>口金 :開口内寸 約20cm本体 :幅 約23cm高さ :約19cm(口金を除く)マチ :約9.5cm持ち手 :口金からの高さ(内寸) 約9.5cm 持ち手全長 約27cm調節ショルダー紐:幅約 1.5cm 長さ 約120cm-108cmまで調節可<柄>ゆらりすいせん:ピンク・紺ほしのぶーけ :ピンク・オレンジ<素材>表:シルク紬(絹100%・パールトーン加工)裏:本革(イタリアンレザー)・レーヨン100%<販売場所>亥之吉オフィシャルECサイト <価格>28,600円(税込)職人のハンドプリントとパールトーン加工で撥水・防汚加工のシルク生地■手捺染 シルクミニ財布キャッシュレスの時代になっても少しのお金とカードを持ちたい方におすすめのミニ財布です。片側にカードポケット、中央に小銭を入れるポケット付き。生地の色とレザーの配色にこだわり、ファスナー紐にもレザーをあしらいました。シルクの手触りと軽さがポイント。オリジナルギフトボックス入りです。手捺染 シルクミニ財布 [ほしのぶーけ]<サイズ>幅 :約11.5cm高さ:約10cm(口金を除く)マチ:約1.7cm<柄>ゆらりすいせん:ピンク・紺ほしのぶーけ :ピンク・オレンジ<素材>表:シルク紬(絹100%・パールトーン加工)裏:本革(イタリアンレザー)・レーヨン100%<販売場所>亥之吉オフィシャルECサイト <価格>13,200円(税込)■会社概要商号 : 京美染色株式会社代表者 : 代表取締役社長 大塚 直史設立 : 昭和14年4月URL : 所在地 : 〒602-8155 京都市上京区智恵光院通丸太町下ル1筋目東入主税町949事業内容: ハンドプリント・インクジェットプリント捺染システムによるテキスタイルプリントおよび製品OEM。自社企画の雑貨ブランド「亥之吉」の製造販売。【本プレスリリースに関するお問い合わせ先】京美染色株式会社 亥之吉 事業部TEL : 075-812-0088FAX : 075-812-5041ECサイト: MAIL : ino-kichi@kyobiijt.co.jp 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年10月19日(撮影:田中克佳/取材協力:NY1PAGE) 「この仕事を続けるのは、もちろん、娘と2人、生きていくためです。でも、それだけじゃないな。自分でも最近わかってきたことですが、私はDV被害者や困窮家庭の子どもを助けたいんです」 全米最大の規模を誇る警察組織、ニューヨーク市警察(以下・NYPD)。約3万6,000人の制服警官が籍を置く。ガイ京美さん(46)はその中の、ただ1人の日本女性だ。京美さんがNYPDに入ったのは約10年前のこと。半年間の警察学校と、1年間のクイーンズ区での勤務を経て、8年前から現在の23分署に所属。同署が管轄するのは、マンハッタンの北部、とくに治安の悪さで知られる地区、スパニッシュ・ハーレムだ。相棒警察官と2人、パトカーに乗ってその地区を巡回するのが京美さんの日課だ。 京美さんは’70年10月13日、愛知県に生まれた。建設関係の父親の仕事の都合で、子どものころは引っ越しばかり。 「父は、たまに酔っぱらってフラッと帰っては、大声で怒鳴り、母を殴りました。だから子どものころ、私はぐっすり眠れたことがありません。いつ父が帰ってくるかと、つねに怯えていました」(京美さん) 立ち上げた建設会社の経営に失敗、父親が大きな借金を作ると、家には連日のように借金取りから電話がかかってきた。家まで直接、押しかけてくることもあった。高校2年生のとき、依然として借金の完済が遠い父親に、知り合いがこう吹き込んでいたことを聞いた。 「娘さん、もう大人なんだから、体で稼がせたらどうだ?」 その瞬間、家出を決意した。京美さんは高校を中退。神奈川県川崎市で暮らす母方の叔父を頼った。 「当時の私はダンスが好きで。そして、歌手のマドンナや、アメリカという国にもすごく憧れていたんです。叔父の暮らす神奈川にはたくさん米軍の基地や施設がありました。基地や米軍住宅、米兵が集うクラブに出入りしているうち、軍の施設に就職できたんです」 10代後半から20代を、米軍基地内の食料品店などで働いて過ごした。給料を少しずつためながら、いつかアメリカに留学する日を夢見た。そして28歳の春、京美さんは在日米軍・キャンプ座間所属の米陸軍通信兵、ジョエル・ガイさんと知り合う。 「7つ年下でしたが、いい人に思えたんです。私はアメリカに行きたかったし、普通の家庭を持ちたかった。彼と結婚すれば、自分の夢がすべてかなうと思ったんですね」(京美さん) 2人はすぐに結婚。その年の秋にジョエルさんはアメリカ・テキサス州の基地に転勤になり、29歳になったばかりの京美さんもすぐ後を追った。地元教会の英語クラスに通いつめ、翌年には長女・イヴォンヌさんが誕生。子育てをしながら高校卒業資格を取得し、短大にも通い始めた。しかし、イヴォンヌさん誕生からほどなく、夫婦間のいさかいが絶えなくなった。夫に罵られるたび、京美さんの胸にある思いが去来した。 「小さいとき、母はいつも『おまえのために離婚しないんだ』と言っていました。そんなの罪悪感が募るだけで、うれしいわけがない。理不尽な暴力を黙って受け止める母のことは理解できなかったし、そんな母を当時は憎んですらいました」(京美さん) このままではイヴォンヌが、自分と同じように母を憎むかもしれない。娘にかつての自分と同じ思いをさせることだけは、絶対にしない。彼女はひそかに離婚を決意する。同時に、京美さんは驚きの行動に出る。娘と2人アメリカで生き抜くため、なんと陸軍に入隊を志願したのだ。 「ニューヨークのような都会と違い、片田舎のテキサスでは、私のような外国人、かつ英語に難ありの移民は、まず仕事がなかった。学歴やコネがあるならまだしも、資格もお金もない私がアメリカでまっとうに生きていくには、ほかに道がなかったんです。軍人になれば家も借りられるし、保険にも入れます。アメリカ人として身分が保証される」(京美さん) 娘を夫の両親に預け、陸軍に入隊したとき、京美さんは32歳。最初の関門、3カ月の新兵訓練(ブートキャンプ)では、17~18歳の男子に交じりしごきに耐えた。なんとかキャンプを修了し、愛娘のもとに戻れたのもつかの間。京美さんを待っていたのはさらに過酷な場所だった。イラクだ。ときは’05年。激化の一途をたどるイラク戦争のただなかに、11月から1年間、京美さんは兵士として、イラクで任務に就いたのだ。 イラクからテキサスに戻った京美さん。イラク戦争従軍前に離婚は成立していたが、改めて弁護士を立て、夫の実家に預けていたイヴォンヌさんと暮らす権利を勝ち取った。イラク戦争従軍までは、娘との生活の安定のため、軍で働き続けるつもりだった。しかし実際の戦地を体験し、自分には無理だとわかった。 「ネットで仕事を検索していたら、NYPDの求人を見つけて。結婚後、アメリカの市民権を得ていた私には受験資格がありましたし、ニューヨークで暮らすのは夢だった。マドンナが下積み時代にいた街ですし(笑)」(京美さん) ほかの州の現役警察官ですら尻込みするといわれるニューヨーク勤務。だが、イラクを経験した京美さんに、もはや怖いものはなかった。こうして、母娘のニューヨーク生活が始まった。その一方で、京美さんは短大の勉強も続けた。京美さんが頑張り続けられたのは、“負のスパイラル(連鎖)”を断ちたかったからだ。 「私の家族は皆、まともに学校を出ていないし、私も日本では高校中退。娘と私、2人で“負のスパイラル”から抜けるためには――こっちでは『パターンを変える』と言うんだけど――やらないわけにはいかなかったの」(京美さん) 軍隊での経験も買われたのだろう。高い倍率をくぐり抜け、京美さんはNYPDからの採用通知を受け取った。異国の地で、体ひとつで、公務員の安定した地位と収入、娘のための落ち着いた住居を得たのだ。“負のパターン”を変えたのだ。 京美さんの同僚で7年以上もパトロールのパートナーを務めたリオ・ムニョスさん(43)はこう語る。 「この街にはDVや性暴力があふれている。京美もその被害者だったけど、彼女はそれを乗り越えた。移民でシングルマザーという、タフな環境に負けずにね。強い京美の生きざまから勇気をもらっている人はたくさんいるはずだよ」(ムニョスさん) タフに生きてこられた理由を、京美さんに尋ねた。 「それは全部、娘のおかげ。イヴォンヌがいなかったら私、軍隊にも入ってなかったし、NYで警察官なんて絶対やってない(笑)。本当は私、うまく育てられるか怖かったんです。だけど、生まれてすぐ、イヴォンヌは私に向かって、にっこり笑ったんですね。その瞬間『絶対、絶対、守らなきゃ』って気持ちが、おなかの底からこみ上げてきて。その気持ちはずっと、今も変わらないですね」
2017年09月23日京都発・和漢発酵美容クリーム『和えか』自然派化粧品「ANBAN」を取り扱う株式会社京LOCOは、京都に伝わる和漢美容成分と先端的な美容成分を組み合わせた、オールインワンタイプの和漢発酵美容クリーム『和えか(わえか)』を発売した。『和えか』という製品名は、「儚げで美しい様」を表す“あえか”という言葉から名付けられており、日本の“和”の心とともに上品な極上の美しさを届けたいという思いが込められている。京都産「ゴールデンシルク」と「ナールスゲン(R)」を配合『和えか』には、京都で大切に育てられたカイコの繭「ゴールデンシルク」と、京都大学と大阪市立大学の共同開発で発見された革新的エイジングケア成分「ナールスゲン(R)」をたっぷりと配合。古来より伝わる和漢美容成分と革新的美容成分の組み合わせにより、ダメージ肌を保護して地肌から整え、年齢肌の悩みを解消してハリとツヤのある美肌へと導く。4つのステップで輝くような肌へ『和えか』のオールインワンクリームは、「潤す・ハリ・保護・ツヤ」の4つのステップにより輝く肌へと整える。まず、「コメ発酵エキス・豆乳発酵エキス」が乾燥や肌荒れで傷ついた角質層を潤し、「サクラ成分・ビルベリー葉エキス」が硬くなった肌を柔らかくしてハリを与える。さらに、美容成分「ナールスゲン(R)」が角質層を正常化してダメージ肌を保護し、「ゴールデンシルク」がダメージ肌を整えてツヤのある輝くような素肌へと導く。商品価格は3,500円(税抜)で、Webショップから購入が可能。オールインワンクリームなので、洗顔後に『和えか』を塗るだけで、手軽にしっかりとスキンケアができる商品だ。(画像はプレスリリースより)【参考】※株式会社京LOCOプレスリリース(ValuePress!)
2016年11月17日