よく「鼻からスイカが出るほど痛い」と言われる出産。でも経験するまでは、そんなこと言われてもイメージできない、痛い痛いとは言っても自分の気持ち次第でなんとかなるはずと思っていました。そんな私の絶叫陣痛体験談をお話しします。 妊娠中の私のバースプラン誰かの出産を身近で経験したこともないし、何から何まで初めての体験になる自分の出産。この体からどのように赤ちゃんが生まれてくるのか、思い浮かべてみてもあまりイメージできずにいました。 妊娠中に考えた私のバースプランには、「なるべく穏やかに出産に挑みたい」というもの。「生まれてくる赤ちゃんも大変」ということも頭にあったので、母としておなかの子に「大丈夫だよ」と語りかけるようなイメージで、落ち着いて、取り乱したりせず出産したい。そんな風に考えていました。 破水から始まった出産自分の出産が陣痛から始まるのか、破水から始まるのか、陣痛が来なくて誘発剤を使うことになるのか、こればかりは事前にはわかりません。 私の初めての出産は、妊娠40週で破水から始まりました。夫が休みの間に陣痛が来てほしいなと思い、スクワットなどいろいろ試してみたりしたのですが陣痛は来ず。諦めて「一旦考えないようにしよう」と思っていたら、明け方、寝ているときに破水が起きました。初めての経験でしたが「これは破水だ」とわかり、すぐに夫と一緒に産院へ向かいました。 破水が起こったことにより「これから出産が始まるんだ」という心構えもできたように思います。 叫ばずにはいられない!陣痛がどんどん強くなり、子宮口が7cmほど開いてきたころから「これは思いの外痛いぞ」と感じていました。陣痛の波が来るたびに今まで経験したことのない痛みがやってきます。頭では「痛い」と叫んでもどうしようもないことはわかっているのですが、叫ばずにはいられませんでした。 ただただその時々の状況についていくのに精一杯で、持参したアロマもCDも使う余裕がありません。今では笑い話ですが、「い……痛い! 痛い! ギャー!」と叫ぶことで体力を消耗し、陣痛が引いている数分間は眠ってしまう私を見て、夫はそれはそれはものすごく心配したのだそうです。 大絶叫のなか、結果的に破水から6時間で無事に赤ちゃんは生まれてきてくれました。助産師さんからは「もっとかかるかと思ったけれど、早かったね!」と言われ、お産の進みも早く安産でした。 知人から、「陣痛で待機している間、隣のLDRから“痛い!” と叫んでいる声が聞こえて、出産が怖くなった」という話を聞き、私はそうならないようにしようと出産前は思っていました。ですが、いざ自分の出産となると絶叫……。叫び声はきっと隣の部屋にも聞こえていたでしょうから、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。今思うと、私は叫ぶことで痛みから気をそらしていたのだと思います。何もそんな風に気をそらさなくてもよかったのですが……。出産は理想通りにはいかないものだな、と身をもって実感しました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト/sawawa監修/助産師REIKO著者:立田みのり一男一女の母。妊娠、出産を機に退職後、現在は自身の経験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年08月29日現在4人の子どもを持つYUKAさんが3人目を妊娠中のこと。妊娠中期から張り止めの薬を服用していましたが、妊娠32週で突然陣痛が来て出産。赤ちゃんは1,980gの低出生体重児でした。そんなYUKAさんにその後の経過と現在について聞いてみました。 3人目の子どもを妊娠32週で早産妊娠32週目の夜、なんとなく眠れずに起きていたら突然、おなかに激痛がありました。出産経験があったので直感的に「陣痛だ」とわかり、寝ていた夫を起こして車でかかりつけの産婦人科へ。 「お願い、まだ出てこないで」と願いましたが、病院に着くと同時に破水。もういつ生まれてもおかしくないということで、救急車でNICUのある大きな病院へ搬送され、陣痛が始まってから5時間後には出産となりました。 「ごめんね」と涙が止まらなくて生まれた赤ちゃんの体重は、わずか1,980g。 すぐにNICU(新生児集中治療室)に入院することになりました。 先生からはまず、低体重で生まれたために起こりうるリスクの説明がありました。妊娠32週で生まれた三女は肺の機能が未熟だったため、なんらかの後遺症が残るかもしれないと……。 それを聞いて、YUKAさんは「自分がもっと体に気を付けていれば、もっとおなかの中で育ててあげることができれば……」と涙が止まらなかったと言います。 前向きになれた看護師さんの言葉それからは毎日母乳を届けにNICUに通いました。そのたびに小さい体をチューブに繋がれて、手の甲にいくつも点滴の跡を作っているわが子を見て、「ごめんね、ごめんね」と泣いてばかり。 そんなYUKAさんが救われたのは、ある看護師さんの言葉。 「お母さん、自分を責めちゃダメよ。赤ちゃんは自分で出てくるタイミングを決めるの。だから今生まれたことにはきっと理由があるの。赤ちゃんはちゃんと大きくなっているから大丈夫よ」と声をかけてもらえて、いつまでも落ち込んでいてはいけないと少し前向きになれました。 体は小さいものの元気に成長中三女がNICUにいたのは1カ月ほど。順調に体重が増えて、退院するときには2,465gになっていました。 だけど、それからも通院は続きました。低体重で生まれた赤ちゃんは免疫力が弱く、RSウイルスによる感染症が重症化しやすいため、半年間、シナジス(RSウイルスに対する薬)の接種を受けたのです。また、生後6カ月、生後10カ月などの定期乳児健診とは別に、出産した病院に毎月通って健康診断を受けていました。 三女は心配していた肺の機能は幸い問題がなく、大きな後遺症もなく、すくすくと成長していきました。ただ、ずっと身長と体重が成長曲線のずっと下にいるので、低体重で生まれた影響があるのかもれないと幼稚園のころに検査。だけど「成長ホルモンには異常がないから心配はいらない」との診断だったので、今では小柄なことが個性なのだと考えているそうです。 そんな三女も今では小学生。「今でも体はクラスで一番小さいですが、大きな病気もせず健康そのもの。小さい体で頑張ってくれた娘、支えてくれた家族に感謝でいっぱいです」とYUKAさん。 赤ちゃんが低体重で生まれると最初は不安が多いものです。特にお母さんは自分を責めてしまうこともあるでしょう。だけど、最近は医療が進歩していて病院のサポートも充実しています。焦らずに成長を見守っていきたいですね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:高橋じゅんこ一児の男の子を育てるワーキングマザー。病気ネタやママ友ネタなど、ペンネームでリアルな体験談を執筆中。
2020年08月29日義姉と同じ年齢の子どもがいる私。会うたびに、保育士の義姉と私の子育てについて比較と評価をしてくる義父に戸惑うことに……。しかし、義父の立場を理解し、気持ちを切り替えた体験談をご紹介します。初めての子育てに不安はつきものだけど…義姉は保育士として働き始めて3年ほど。決してベテランとは言えない経歴ですが、「〇〇(義姉)は育児のプロだ!」と誇らしげな義父。一方、私は一般企業に勤めており、保育・育児経験はゼロ。 そんななか、お互い子どもが同学年ということもあり、親戚の集まりでは子どもの話をする機会が増えました。最初は気に留めていなかったものの、義父が義姉と私の子育てについて比較と評価をし始めて……会うたびに私は複雑な思いをすることが多くなりました。 子どもの前で言わないでほしい…義父の子育て比較は食事や遊び、教育などさまざまです。ある日義父が「〇〇(義姉)はチョコレートを与えていないけど、△△(私)さんは食べさせているんじゃないか~。プロはおやつを与える時期を細かく理解している!」と言ったのにはビックリ。 娘もまだ幼いのでチョコレートはまだ食べさせていないのですが、実際に私がしていないことまで憶測して言われてしまったのです。夫や私が、わが家の子育てについて義父へ伝えても、そこは記憶に残らないようです。特につらかったのは、子どもたちの前で比較と評価をされることでした……。 義父の立場になってみる義父は常に両方の家庭について把握しているわけではないので、私は気にしないように意識しました。しかし、私の気持ちはモンモンとするばかりで、義父に会うのがだんだんつらくなってきました……。これではいけないと、私自身の気持ちを整理して、義父の立場を考えてみることに。 義父は親戚と疎遠だった時期があり、交流できることがうれしいのではないか。そして、義姉の職業を誇らしく思う気持ちが強いのだと思うように。また、義父なりに私へ何かしらのアドバイスをしたいのだろう……と私自身を納得させるよう努めたのです。 義父なりに私たちを心配し、孫の存在やみんなで集まって会話できる環境に喜んでいるのだ……と気持ちを整理しました。ただ、子どもたちの前で言われるのはつらいので、やんわりとかわしていくつもりです。そして、心にかけてくれているとプラスに捉え、義父の明るく楽しい性格など好きなところに目を向けていこうと思いました! 著者:佐々木詩織自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年08月29日私は3歳の長男と1歳の長女の育児中に第3子の妊娠が判明し、うれしい反面、さまざまな不安を感じました。出産が近付くにつれ、不安やイライラが募ることがありましたが、それを吹き飛ばしてくれるようなできごとがあったんです。 第3子の妊娠長女が生後8カ月になったころ、第3子の妊娠が判明しました。「子どもは3人欲しい」という希望があったのでとてもうれしいできごとでしたが、ちょっとした心配もありました。 当時3歳直前の長男はイヤイヤ期の真っただ中で、自分を見てほしいとアピールする日々。そして長女はハイハイとつかまり立ちをマスターし、目が離せない状況だったのです。 長男、長女と妊娠生活3人目の妊娠ということもあり、ある程度気持ちに余裕を持って妊娠生活をスタートさせた私でしたが、おなかのふくらみとともに子どもたちとの関わり方に変化を感じるようになりました。 子どもの要望にうまく答えられず、ダダをこねる子どもに対して必要以上にイライラしたり、家族からの指摘に対して大きな不安を感じてしまったり。そんなことが増え、気持ちの余裕がどこかへ行ってしまうことが増えていきました。 出産までのカウントダウンと子どもたちの成長産休に入ったころ、ふと子どもたちの様子を見ていると、長男の後ろから長女がおむつを持って走ってきました。長女が私のところまで来て長男を指さし、おむつを渡してきたのです。私が「おむつを替えるの?」と聞くと、長女は首を縦に振りました。そんなささいなできごとでしたが、子どもの成長に感激し、私は涙してしまいました。 それからというもの、私は積極的に子どもたちの成長を見つけられるようになり、出産への気持ちも前向きになっていきました。 さまざまな葛藤のなかで、新しい命の誕生まであとわずかとなったとき、こうした上の子たちの成長と出会う機会が増え、そのことをとてもうれしく感じられるようになりました。出産に向けて、よりいっそう育児を楽しむ気持ちになれたできごとでした。 監修/助産師REIKO著者:簗田智花4歳の長男、2歳の長女、0歳の次男との育児ライフを楽しむ34歳の母。現在は、仕事と家事、育児に奮闘中。ドライブ、スポーツ、スポーツ観戦が趣味のアクティブママ。
2020年08月28日仕事に集中していて、ついトイレに行く時間を忘れてしまう……。私にもそんな時期がありました。そんなときにトイレで出血。女性だとつい「生理かな?」と間違えてしまうこともあるかもしれません。私の場合もそうでした。 仕事が忙しくて、なかなかトイレに行けない!当時25歳だった私。そのころは仕事がとても忙しく、勤務中はなんとか隙間時間を見つけてトイレに行くような感じでした。 しかし、人数の多い職場なのにトイレは1つしかなく……。「今なら行ける!」とトイレに行っても、誰かしらが入っていて、時間がないと後回しにするしかないということもよくあって……。結局、何時間も経ってから「あ!トイレに行こうと思っていたのに、忘れてた!」ということが多々ありました。 生理終了2~3日後、「残っていた経血が出てきたのかな」そんなある朝、職場でトイレに行ったときのことです。用を足して、流そうとして、ふと便器の中を見ると、真っ赤!でも、私は生理が終わって2~3日後のことだったので、不思議とは感じず、「残っていた経血が出てきたのかな~」くらいに思い、仕事に戻りました。 しかし、これが悲劇の前兆だったのです。 どんどん増してくる痛み…。あの出血は生理じゃなかった!便器が真っ赤になってから、数時間後のことです。おなかに少し痛みを感じました。そこで、トイレに向かうと、排尿したときにも痛みが…。そして、この痛みはだんだんと強くなり、ついには黙って排尿することができないほどになってしまいました。 あまりの痛みに、私は仕事帰りに病院へ直行。診察の結果は「膀胱炎」でした。そうです、朝見たのは生理による経血ではなくて、膀胱炎による出血だったのです……。 診察後、私は病院で点滴をしてもらい、ようやく少し復活。なんとか帰宅することができました……。 生理後の出来事だったということもありますが、まさか膀胱炎の出血を生理の経血と間違えるとは……。たとえ出血時に痛みがなくても、生理以外で出血をすることは、異常事態なんだと学びました。また、これ以降はトイレを我慢しないことを心に誓い、同じようなことが同僚に起きないように「膀胱炎になるから、ちゃんとトイレには行ってね!!!!」と頻繁に声をかけるようになりました。 監修/助産師REIKO-----文/むとこさん
2020年08月28日Instagramで大人気のニシカタさん(Instagram@c_nishikata)の育児エピソードをお届けします。子どもに見つからないようにこっそりお菓子を食べたら……?! 思いがけず娘の成長を感じたお話です。 子どもはいろんなことを見て、考えている……親が思っている以上に……!それを実感させられた出来事でした。余談ですが、えみりんの「口開けてみな?」の追求が激しすぎて、口からお菓子が落ちたことあります……(笑)超スピードで回収しましたが。きっとこれからもっと知恵がつくんだろうな~!私、えみりんに対して「〇〇したら〇〇してあげるよぉ~」と言いがちなので、彼女が成長したらこの交換条件を口にしてきそうだなぁ、と思っています。ニシカタさんの最新マンガはInstagramやアメブロで更新中です。ぜひチェックしてみてくださいね。 この投稿をInstagramで見る ニシカタさん(@c_nishikata)がシェアした投稿 - 2018年 6月月12日午後2時22分PDT 著者:イラストレーター ニシカタ2018年1月、長女を出産。インスタで出産、産後、育児レポートマンガを更新し、人気に。ゲームと海外ドラマとデパ地下が好き。
2020年08月28日私は自営業のワーママです。私自身が1歳クラスからの保育園育ちだったので、「幼稚園」に対しての漠然とした憧れがありました。それもあって現在年少クラスの4歳になる長女が小規模保育園を卒業したあとの進路先を、「幼稚園型認定こども園」に決めました。しかし、思いのほか「こんなハズじゃなかった……」と感じたことをお話しします。 こども園と保育園は変わらないと勘違い恥ずかしながら私は、「認定こども園」の認識を間違えていました。認定こども園には保育園と幼稚園のいいとこ取りをしているようなイメージがあり、幼稚園の教育時間が終れば、放課後はワーママの勤務時間に合わせて保育園のように子どもを見てもらえるといった形を想定していました。大雑把にいえばその認識で合っているのですが、長女が入園した「幼稚園型認定こども園」は行事が私の想像以上に多く、長女が入園した4月の今から「ついていけるのかな……」と正直少し後悔しています。 行事は暗黙の了解で参加せざるを得ず「子育てを通して親育てをおこなう」「子どもを中心に考える」をスローガンにかかげているこども園なので、なにせ親参加の行事が多いのです。「絶対」とは言われませんが月に1~2回程度、暗黙の了解で「お誕生日会」や「保育参加」「作品展」など半強制の行事が組み込まれています。ほかのワーママも都合をつけて参加しようと頑張っているので、私も参加するしかありません。もちろん、こども園の説明会のときに簡単な説明はありましたが、4月の入園時に具体的な年間行事表をいただいたときに、正直いってその行事の多さにびっくりしてしまったのも事実です。 お友だちはお昼過ぎに帰ってしまう!?また、長女の入園したこども園は1号認定(教育時間のみ)が8割、2号認定(就労の方)が2割で、圧倒的に1号認定のお友だちが多い園です。しかし、このことが後々私たちにとって思わぬ試練を与えることに……。年少は100人くらいおり、4クラスほどに分かれているのですが、クラス編成は1号のお友だちも2号のお友だちも混在しています。そのなかで1号の子どもたちは14時に帰ってしまい、その後2号の子どもたちは「ホームクラス」といって縦割り保育で年少・年中・年長と一緒の部屋で過ごすのです。 想定外のお迎えコール「お昼過ぎに帰ってしまうお友だちがたくさんいる」。このことが長女にとってはモヤモヤする要因だったようでした。入園してから1カ月も経たないうちに「なぜ○○ちゃん(1号認定のお友だち)たちだけが早く帰るの?」「私も早くお迎えにきて!」と想定外のお迎えコールが起こったのです。その対策として、仕事をしているママとお家にいるママがいることの説明から始まり、お金の大切さをわかってもらうために、長女の服やおもちゃ、レジャー費もすべてお金がないと手に入らないということを正直に話しました。 現在、長女はしぶしぶ通ってくれていますが、私にとっては痛手でした。私自身が保育園育ちだったこともあってか、幼稚園のイメージがわきにくく、「皆と同じ制服を着て、小学校のような勉強もできる」と憧れが先行していたのだと反省。なによりも「自分の生活スタイルに合った園」を選ぶことが大切なのだと感じた出来事でした。 監修/助産師REIKO著者:白井莉緒2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年08月28日「子どもの腕を強く引っ張ってはいけない」と知ってはいたのですが、引っ張らなくても肘が亜脱臼することがあるようです。私の娘に起こったできごととその後の経過についてお伝えします。 腕を動かさない=動かすと痛い!?ガタン!という音と同時に響き渡る2歳の娘の泣き声。一瞬目を離してしまった隙に、椅子から落ちてしまったようです。いつもより強い泣き声に不安になりつつ、抱きしめて落ち着くのを待ちました。 まだうまく説明できないため、どこをどうするとどう痛いのかはわかりません。素人目には出血や腫れているところなどはなかったのですが、腕を上げられないようなので、病院へ行くことにしました。 整復してもらうと痛みは引いた医師の診察の結果は、肘内障(ちゅうないしょう)。その場で先生に整復してもらうと、だんだんと娘の動きも増え、硬かった表情もやわらかくなり、普段の姿が戻ってきました。「戻れば、瞬時に痛みはなくなるようです」と先生もおっしゃっていました。 肘内障は、骨格が発達するにつれ起きなくなってくるそうで、小学校2、3年以降はほぼ起こらないそうです。一度なると繰り返すことがあるそうで、娘はその後、手を引かれた際と就寝中に再発しました。 その後の対策翌日、保育園の先生に肘内障になったこと、どのような場面で起きたかを報告しました。もし、保育中に娘が腕を動かさないなど気になることがあったら連絡してもらえるようお願いしました。クラスメイトと遊ぶ際、特別な禁止事項はないと病院の先生から伺ったので、遊びや日常生活に変化はありませんでした。 今回のように、腕を引っ張らなくても、転倒時に手をついたり、寝返りをうった際に肘内障になることがあるようです。いつもの様子との違いを読み取って、不安や疑問を感じたら病院に電話をしてみるなど、対応することが必要だと思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/(c)chicchimama監修/助産師REIKO著者:佐々木友恵2人の女児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年08月27日わが家には3人の子どもがおり、そのうち2人は吸引分娩で生まれました。生まれたわが子を改めて抱いたとき、その頭の形のイビツさに驚き、心配になったのをよく覚えています……。 微弱陣痛で吸引分娩に私は陣痛が弱く、なかなか赤ちゃんが出てこられない状況だったので、3人の子どものうち2人は吸引分娩で誕生しました。 そのときはもう考える余裕などなく、吸引だろうが何だろうがとにかく早く出してあげて!という気持ちだったのですが、産後少し落ち着いて改めてわが子を抱いてみると、頭にしっかり吸引の痕が残り、形もイビツになっていたのです。 第二子よりも第三子のほうがひどく、引っ張られた部分が真っ赤なたんこぶのようになっており、その痛々しい姿に涙が出そうになったのを今でも覚えています。 自分を責めた入院中入院中は、そんな痛々しい頭を見るたびに「私の産む力が弱いからこんなことに……」と、申し訳ない気持ちになりました。しかしそんな気持ちを察したのか、とある看護師さんが「この頭、気になっちゃうしかわいそうだなって思っちゃうけど、少しずつきれいになくなっていくから大丈夫よ。ママと赤ちゃんが一緒に頑張った証だからね」と言ってくれて、すごく安心しました。 産後ナーバスになりやすいこともわかっていたので、「今はそういう気分になっちゃうときだから仕方ない!」と、自分で気持ちを切り替えることもできました。 その後頭の形はどう変化?無事退院して家で過ごしていると、看護師さんに言われたとおり少しずつ頭の形はきれいになっていきました。そして生後1カ月経ったころには、ほとんど気にならないように。 特別何かケアすることもありませんでしたが、「あまり強く触らないように」とのことだったので、沐浴のときは気をつけていました。今は3歳と1歳になりましたが、2人ともそのまま元気に大きく育っています。 生まれたばかりのわが子の頭の様子にはびっくりし、心配にもなりましたが、その後何事もなく元気に育ってくれてよかったです。幸い頭の形もきれいになり、吸引分娩の罪悪感もなくなりました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 監修/助産師REIKO著者:ライター 岩崎未来三児(女・女・男)の母。出版社・編集プロダクションの勤務を経たのち、第一子出産を機にフリーランスに。現在は会社役員という肩書きを持ちながらも、ライター・編集者としても活動中。
2020年08月27日「あれ、生理?」「もしかして着床出血?」「生理にしては早くない?」「生理にしては茶色い?」……これって妊活している方にとっては一喜一憂の出来事ですよね。ただの生理だと思って放っていたら、取り返しのつかない事態に発展する恐れも…。そこで、私が「危なかった…」と感じた妊活中の体験を紹介します。 妊娠判定日の1週間前、茶色い出血がダラダラと…妊活歴が2年ほど経過し、ついに体外受精までステップアップしたときのことです。凍結胚移植も無事終わり、あとは妊娠判定日を待つばかりでした。 しかし、妊娠判定日の1週間前くらいから、茶色い出血がダラダラと出始めました。生理の終わりかけのような、茶色いおりものという感じ。私は毎月の生理前後にも茶色いおりものがダラダラと続く体質だったので、特に変だとは思わず、「あ、ダメだったか。生理が来たのかな」と勝手に解釈し、仕事も毎晩20時くらいまで普通に残業して働いていました。 担当医からのひと言は予想外!しかも、思わぬ危機までそして、いざ妊娠判定日になり、病院を受診しました。「きっとダメなんだろうな」と思いながら、血液検査を受け、担当医の診察へ。すると、担当医から発せられたのは「妊娠しています」というひと言でした。私は、「じゃあ、あれって生理じゃなかったの!?」と、とても驚き、そして混乱しました。 さらに驚いたのは、担当医からの「切迫流産です、今すぐ安静に過ごしてください」という通告でした。「え、流産?」思わず声が出ました。生まれて初めて妊娠できたのに、喜ぶ暇もなく、いきなり流産の危険性を指摘されてしまったのです。「切迫流産」は、まだ流産しているわけではなく、そのリスクの中にあるという状況。通常は、自宅安静もしくは入院をして出血が収まるまで様子をみます。 私は、診察後に美容院の予約を入れていたのですが、医師には「美容院も、仕事もダメ。とにかく自宅安静か入院を選ぶように」と言われました。 担当医の言葉で思い知った「妊娠って奇跡」私は当初、自宅安静を選びましたが、数日後にさらに大量出血。怖くなって入院に切り替えました。担当医からは、「妊娠判定1週間前の出血があった時点で、なぜもっと早く受診しなかったの? 毎日、仕事も残業もして動き回っている状況で、本当に流産する恐れがあったよ」と注意されました。そこで改めて怖くなり、妊娠がいかに奇跡なのかを思い知りました。 2週間の入院中は、毎日薬を飲み、診察を受けながら寝たきりで過ごし、その後は、また自宅安静。実家に帰ってお世話になり、ここでもほとんど寝たきりで過ごしました。仕事は、結局2カ月ほど休職しました。 この体験から学んだことは、不正出血があったらすぐに病院に相談してみること、そして必要があればすぐに受診したほうがいいということ。そして、決して妊娠がゴールではないということです。私と同じように毎月不正出血があるような人でも、妊活している時期には、たとえ不正出血でも、病院に相談したほうがいいのだなと思いました。 監修/助産師REIKO-----文/佐川ゆきさん
2020年08月27日長女が1歳のときに職場復帰した私。お迎え時間が遅いものの、明るく楽しそうな娘の笑顔に癒やされる日々でした。でも、もっとお迎え時間を早めようと、私は思い切って転職! 一緒に過ごす時間が増えたとき、娘が口にした言葉に私はハッとしたのです……。 お迎え時、笑顔でかけよる娘職場復帰し時短勤務で働いていたものの、通勤時間が長くお迎え時間が19時をまわることもありました。年上の園児たちのなかに小さい娘が1人混じっている状態で、遅いときは先生たちと娘ひとりだけの日も……。 最初は心苦しくも、迎えにきた私と目が合うと「ママ!」と笑顔でかけよる娘に、疲れも吹っ飛び幸せな気持ちでいっぱいに。延長保育時間は軽食を食べられるので、何を食べたの~?とおしゃべりをして帰路につく日々を繰り返していました。 時間が厳しい…。転職を決意!時短勤務の期間終了を目前にし、今後の働き方についてとても悩みました。長年勤めてきた会社でこれからも頑張りたいものの、お迎え時間が厳しく……。また、夫は残業が多く、両親は遠方に住んでいることから、子育てを親族に頼ることが難しい状態でもあったのです。 ファミリーサポートの利用を検討しましたが、ワンオペ生活に疲れを感じていたこともあり、思い切って退職を決意しました! 転職をして娘との時間を増やしたいと思ったのです。その結果、お迎え時間が17時ごろとなり、娘と過ごす時間に幸せを感じました。 娘の本当の思いを知り… 新しいライフスタイルに慣れてきたころ。ふと娘が昔のことを話し始めたのです。「ママ、エンチョー(延長保育)ね。ママ、まだかな~遅いな~って待ってたんだよ……」と。その言葉に私は固まってしまいました。そして、娘を抱き寄せ「ママを待っていてくれて、ありがとうね」と答え、胸がいっぱいに……。 当時、楽しそうに見えていた娘ですが、やはり寂しさや不安もあったのだと胸に突き刺さる思いでした。小さな娘ですが、私に気をつかって明るく接していたことに気づいたのです。 延長保育自体、悲観するものではなく、本人は楽しんでいたと思っています。利用していた私としても、遅くまで見てくれる保育園の先生方にとても感謝しています。 一方で、娘が寂しくなったことも事実。しかし、幼いながらも、いつも笑顔を向けてくれた娘のやさしさがうれしく、胸がいっぱいになりました。 イラスト/マメ美監修/助産師REIKO著者:山本加奈子2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年08月27日「横隔膜ヘルニア」という先天性疾患を抱えて生まれたお子さんを持つママの体験談をお届けする連載企画です。横隔膜ヘルニアとは、本来胸とおなかの臓器を隔てている横隔膜に生まれつき穴が開いており、その穴からおなかの中の臓器が胸の中に出てきて心臓や肺を圧迫してしまう病気。おなかの子が横隔膜ヘルニアであると診断された妊娠中から出産までのできごとやママが感じた不安、生まれたお子さんの様子やその後の治療についてご紹介していきます。 私が出産を終えて退院してからも、引き続き入院していた息子。生後1カ月を迎えたころ、いつものようにお見舞いに行くと看護師さんから「一度赤ちゃんを抱っこしてみませんか?」と提案がありました。今回は、横隔膜ヘルニアで生まれてきた息子を初めて抱っこしたときのお話です。 人工呼吸器を気管から鼻へ息子が生まれて1カ月経ち、呼吸の補助のレベルを下げることになりました。今まで口から気管に管を挿入し、人工呼吸器で呼吸を補助していたのですが、人工呼吸器で圧力をかけた空気を鼻から気道に送り込むタイプに変更するとのこと。 それまでは気管に挿入した管が抜けたり、気管を傷つけたりしないように体の動きを制限する薬で眠らされていた息子ですが、鼻に取り付けるタイプならある程度動いても大丈夫になるという説明でした。息子の意識が戻ることに喜ぶ一方で、「呼吸の補助を下げると息子は苦しいのでは?」という不安もあり、私は複雑な気持ちでした。 抱っこしてみませんか不安な気持ちをそのまま看護師さんに話すと、「確かに息子くんはまたしばらく頑張らなくちゃいけません。なので安定している今のうちに一度抱っこしてみませんか?」という意外な答えが返ってきました。 安定していると言っても、まだ人工呼吸器もついているし、点滴やドレーンなどたくさんの管に繋がれた状態の息子。「こんな状態で抱っこなんてできるの?……でもこのチャンスを逃したらまた当分抱っこできないかも」と思い、初めての抱っこをさせてもらうことにしました。 初めて感じた息子の重さ看護師さん2人の補助にされるがまま息子を抱かせてもらうと、すべて身を委ねてくるその重みに胸が熱くなりました。息子は当時、胃に通したチューブから一応母乳を飲んではいましたが、肺への負担がかからないよう量は少なめで、さらに呼吸の負担が大きいこともあってほとんど体重が増えていませんでした。 しかし、私には不思議とたった2,940gの息子がとても重く感じたのです。人工呼吸器をつけながらも胸を動かし、温かい息子。「生きている赤ちゃんだ」。そんな当たり前のことを初めて感じられた瞬間でした。 息子が目を開けてくれた!最初は管を抜いたりしてしまわないか不安で緊張していた私でしたが、だんだん慣れてきて頬を触ったり、名前を呼んだり、触れ合いを楽しめる余裕が出ました。すると息子が少しだけ、目を開けてくれたのです。 目が開いた瞬間を見たことはありましたが、それまでは何かを見るというのではなく、たまたま目が開いたという感じだったのに、そのときはしっかり目が合い、しばらく息子と見つめ合っていました。 息子はこのあと鼻の人工呼吸器に替わり、1週間ほどは厳しい状況が続きましたが、「初めての抱っこ」で息子の生命力をしっかり感じられたことで、息子を信じて見守ることができました。あのときの重さ、温かさは今でも忘れられません。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:岩崎はるか2女1男の母。両実家とも遠方のためワンオペ育児中。先天異常の影響で肺が片方しかない医療ケア児を含む3人の子を育てた育児体験談のほか、大学院まで学んだ食についても執筆。
2020年08月27日妊娠して2カ月〜4カ月の間、つわりに悩まされた私。つわりは赤ちゃんの「休んでサイン」だと思っていたのですが、どうしても外せない仕事で無理をしてしまい……。今思い返しても大変だった話を紹介します。 つわりがつらいけど、仕事を休めない!妊娠して、つわりに悩まされた私。朝起きると気持ちが悪い。でも仕事に行くとおさまる。職場を出ると、猛烈な吐き気に襲われる。帰り道はいつも、同僚や実家の母に電話をしながらごまかしていました。 つわりは赤ちゃんの「休んでサイン」だと思ってはいましたが、教員の私は小学校6年生を担任していたため、どうしても外せない仕事があり、休むことができませんでした。毎日おなかの赤ちゃんに「ごめんね。あと3日でお休みだよ」などと声をかけて出勤していました。 夫がノロウイルスに感染?そんなある日、夫が体調を崩しました。おそらくノロウイルス。うつらないように気をつけながら、つわりでつらいなか看病をしました。 さらに学年末、卒業式を控えて仕事が佳境に入っていたことなどが重なって無理をしたせいか、風邪をひいてしまいました。熱が39℃まで上がり、下がったかと思うとまた上がる……という状態が1週間ほど続きました。 ひとりの体じゃないんだ熱が下がらないこと、食欲もないこと、まだ、安定期でないことなど不安で不安で、赤ちゃんに、「ごめんね。頑張ろうね」と毎日話しかけ、寝ることに徹しました。 なんとか、熱が下がり、体調が戻ったときは、体重が3kg落ちていました。次の健診で赤ちゃんの心音を確認し、元気だと知らされたときは、安心して涙が出てきました。 そしてその後、無事子どもたちを卒業させることができました。 安定期に入るまで妊娠していることを職場に伝えられず、仕事をこなすことが本当に大変でした。身近な人には、早めに伝えて配慮してもらえるとラクになるので、誰にいつ伝えるかは、とても大事だと思いました。また、具合が悪いときは、勇気を出して休むこと、周りを信じることの大切さを学びました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 監修/助産師REIKO著者:中村真夏3カ月の娘をもつ母。 現在は育休中で、毎日初めての育児を悩みながらも楽しんでいる。いつから仕事に戻るか迷い中。
2020年08月26日わが家には双子の娘がいます。3歳近くになり、赤ちゃんのころから寝る前の習慣にしておいてよかったなと思うことが3つあります。その習慣によって、子どもたちも寝る時間だと認識しやすいようで寝つきが良いです。また親としても、忙しい毎日のなかで子どもと一緒にいられる幸せを感じられる瞬間になっています。わが家で子どもが寝る前におこなっている3つの習慣をご紹介します。 パパとママで絵本を読んであげる0歳のねんねのころから、寝る前にパパとママで絵本を1冊ずつ読んであげていました。最初は親のセレクトで子どもたちもただ見ているだけでしたが、歩けるようになり本が持てるようになると好きな本を選んでくるようになりました。今では毎日お布団に入る前に本棚の前でお気に入りの本を選んで持ってきて、読んでもらうのをとても楽しみにしているようです。私に余裕のある日は3冊ずつ、遅くなった日でも1冊は読むようにしています。 電気を消したら今日の出来事とを話す赤ちゃんのころは、親がその日にあったことをおしゃべりして聞かせていました。2歳を過ぎて少しずつ話せるようになってきたら、私が「今日は何して遊んだの?」と聞いてあげると、「○○はね、きょうはふうせんしたの!」「おもちたべたの!」などと楽しかったことを教えてくれるようになりました。 やがて「ママは何して遊んだの?」などと返してくれて、会話になることも増えてきました。保育園での出来事など、私が知らない話もしてくれます。「明日は〇〇しようね」などと予定を話すと、翌日も覚えていて楽しく1日が始まることも。ゆったりと良い親子の時間が持てています。 「○○ちゃん、大好き」と言ってハグとキス最後のおやすみなさいの前に「○○ちゃん、大好きだよ」と言ってハグとキスをしています。大きくなってくるとだんだん恥ずかしくなってくるのでしょうけど、2~3歳くらいの間は「ママ大好き~」とかわいく返してくれることが多く、とても幸せな時間です。「幸せ~」とうれしそうに話すと、子どもたちも「しあわせ~」と言ってくれて、とてもかわいいです。 忙しい毎日だと、ついつい寝かしつけることだけに集中してしまいます。私も仕事が忙しい日はそうなりがちです。でも3つの習慣のおかげで、「幸せだね、楽しかったね」と子どもたちとゆっくり関わる時間が持てているなと感じています。大きくなっても一緒に寝てくれるうちは続けていきたいと思っています。 監修/助産師REIKO 著者:小川かなえ2歳の双子姉妹の母。東京郊外在住。元保育士、不妊治療を経て妊娠出産。子連れハイキングやキャンプなどアウトドアも再開。現在は親子の森のようちえんを運営し、地域や自然とともに子育てをしている。
2020年08月26日長男が2歳2カ月のときに、次男を出産。2人目の育児に対して不安や心配事はほとんどなく、かなり楽観的に構えていました。しかし、そこには大きな落とし穴が…… 。私が体験した「上の子かわいくない症候群」の恐ろしさについてご紹介します。 楽観的に考えすぎていた2人目育児何の問題もなく、ただただ癒やしでしかなかった第2子の子育て。夜間の授乳で寝不足などはありましたが、毎日幸せな気持ちでいっぱいでした。 ただ唯一問題だったことと言えば、「長男との関係」です。 その当時、2歳過ぎだった長男は、赤ちゃん返りとイヤイヤ期がちょうど重なってしまい、精神的にかなり不安定で深刻な状況でした。積極的に長男と2人の時間も持つなどして、長男の寂しさや不安を消そうと努力をしてきましたが、反抗心は日々増すばかり。長男は、私と次男に対して暴力的な態度をとるようになってしまいました。 その結果、次男を必死に守ろうとするなかで、長男を疎ましく思う感情が生まれてきてしまったのです。 長男をまったくかわいく思えない暗黒時代長男の乱暴な態度に加え、「ママはきらい!」というような言葉を浴びせられた私は、いつしか長男のことをまったくかわいいと思えなくなってしまいました。私の気をひくための態度や言葉だと頭ではわかっていましたが、私の心はどうにもならない状態になっていたのです。「あんなにかわいかった長男のことをこんな風に思ってしまう私は母親失格だ…… 」と、ただただ絶望しました。 そんなとき、ネットで調べてみると「上の子かわいくない症候群」という言葉に行き着きました。その内容は、当時の私の状態そのものだったのです。 恥を承知でSOSを出してみた「こんな風に思ってしまうことは母親失格だ。でもこのままではいけない!」 と思った私は、まずは夫に胸の内を話してみました。自分が息子に対して抱いてしまっている感情。そして、どうにか脱したいと思っていること。それらを包み隠さず打ち明けました。 「長男のことが大好きだった私がまさかそんな状態になっていたとは……」と驚いていた夫ですが、「状況が改善していけるように一緒に頑張っていこう」という言葉をかけてくれました。そのとき、溢れる涙を止めることができませんでした。 夫に相談後、公的な機関に相談をしてみた夫に気持ちを打ち明けたあと、役所に設置されていた「子ども家庭支援センター」という機関に相談することにしました。電話をかけようとしたときは緊張もしましたし、とても悩みましたが、それ以上にこの状況をどうにか変えたいという気持ちが上回っていました。そして、電話で正直にそのときの状況や自分の気持ちを話し、直接面談をする日程が決まりました。 直接面談ではカウンセラーさんや保健師さんがチームになり、親身になって私の話を聞いてくれました。相談中にはファミリーサポートの方が次男を見てくれるサービスもあり、久しぶりにひとりになって大人と話す機会を持つことができました。 そして、「2人目を出産したあとに、あなたのように上の子がかわいく思えなくなる人は結構いる。そうやって思ってしまっていることを打ち明けられるってすごいこと」というやさしい言葉に、私はとても救われました。 私だけじゃない。そうやって思えたことが、この暗黒時代を抜け出すきっかけになったのです。 相談をしたことで気持ちが落ち着き、2カ月ほどで長男に対するネガティブな感情も治っていきました。その後も定期的に面談をし、育児に関する相談に乗ってもらっています。あのとき、SOSを出していなかったら……と考えるだけでゾッとしますし、勇気を出して相談をして本当によかったです。 イラスト/ののぱ監修/助産師REIKO著者:橘りか4歳児と1歳児の母。中学校英語の教員免許を保有。日系航空会社に勤務後、公立中学校の教諭として教壇に立ち、出産を機に退職。現在は、主に育児、幼児教育、グルメ記事を執筆。幼児英語教室やママ向けのマッサージサロンを運営。
2020年08月26日特に妊娠中のトラブルもなく穏やかに妊婦生活を送っていた私でしたが、最後の1週間で突然湿疹とかゆみに襲われました。妊娠期間中で一番つらい1週間を過ごしたときの体験と、かゆみの原因についてもお話しします。 下腹部のかゆみ妊娠38週で突然下腹部がかゆくなり、「臨月だし赤ちゃんが急成長して皮膚が引っ張られてかゆいのだろう」と軽く考えて、ついついおなかを無意識にかいてしまっていました。皮膚の乾燥も考えられるかゆみの要因の1つだったので、念のため妊娠線対策のケアも強化しておこなっていましたが、改善は見られず。ふとおなかを見てみると、下腹部全体に赤い湿疹とニキビのようなブツブツができてしまっていたのです。 病院へ行き、薬を処方されるが…あまりにかゆくて夜中も起きてしまうようになり、状態も下腹部から足先まで広がってしまったので、妊婦健診の際に医師に相談することに。診断によると、妊娠が原因で起きる症状だそうです。じんましんのようなもので、赤ちゃんを異物だと認識し体が拒絶反応を起こしてかゆみや湿疹ができるとのこと。「産んだら治る」と言われました。対策としては処方されたヒルドイドをかゆみのある部位に塗ること、患部を保冷剤で冷やすことです。言われた通りに薬を塗り続けましたが、かゆみが改善されることはなく「もうかゆくて限界だから、お願い早く出てきて」と赤ちゃんに話しかける日々でした。 産んだら治る?最終的には産んだら治ることを信じるのみだったので、とくかくしんどかったです。激しいかゆみと湿疹により抱えたストレスは、想像以上に大きいものでした。臨月でトイレも近くなり夜中に何回か起きてしまうのに、それ以外にもかゆみで起きてしまい、無意識に掻いてしまっているので症状は悪化し、産前からすでに寝不足状態。おなかを冷やすことは赤ちゃんにとって良くないと思い、おなかだけは冷やすことができず我慢する日々でした。 ついに出産かゆみが出てからちょうど1週間が経った日にいよいよ陣痛が来ました。やっと赤ちゃんに会える喜びと、このかゆみがやっと終わることがとてもうれしく、早く出産を終えたいという気持ちでいっぱいでした。 しかし、陣痛中もかゆみに悩まされて、痛みとかゆみが交互に襲って来て休む間もない状態。足を温めるとお産が進みやすくなるとのことでしたが、温めるととてもかゆくなってしまうので、助産師さんに足を保冷剤で冷やしてもらいながら陣痛に耐え……。やはり温めていないのと、体力がなかったためか陣痛の間隔もなかなか縮まらず、20時間ほどかかりましたが、無事に出産を終えました。出産後はこのかゆみから解放されると信じていましたが、私の場合は出産後1週間ほどかゆみは続いたのです。 寝不足と慣れない育児、産後のホルモンバランスの関係で、精神的にも追い詰められたように感じます。産後1週間を過ぎてからは、やっと徐々にかゆみはなくなっていきました。 順調にあとは出産するだけだと心構えをしていた矢先に起きたできごと。妊娠中は出産まで何が起こるかわからないと、第1子を妊娠中に思い知らされました。そして出産後もかゆみが継続し、初産だったこともあり、かなり大変な産前産後でした。次に妊娠するときに再発しないことを願います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:渡辺ひかり1歳男児の母。結婚を機に退職。パートナーの転勤で現在は慣れない土地で子育てに奮闘中。自身の体験をもとに出産・育児などのテーマを中心に執筆中。
2020年08月26日「PMS(月経前症候群)」より精神的症状が重い「PMDD(月経前不快気分障害)」持ちのママ、なおたろーさん。イライラしたり、不安になったり、うつ症状が出たり……。そんな重いPMDDを体験したエピソードです。 こんにちは、なおたろーです。前回、PMDD症状改善のため、低用量ピルを飲み始めたところ、あらゆる面で症状が改善したところまでお話ししました。今回は、低用量ピルを飲み始めて感じた、デメリット(?)についてお話しします。 大変だけど、ホルモンが安定するのは本当にありがたいです!! 毎回支払いするときはお財布片手に「ちーん…」となりますが、でもまたあの辛い頃に戻りたいかと言われたら、絶対に嫌。1日100円もかからずにホルモンを安定させれると思ったら……本当にありがたいです。 ちなみに、病院を予約するのが苦手な仲間……いませんか?(笑) ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:イラストレーター なおたろー任天堂とニチアサが大好きな転勤族主婦、2男の母。女系家族育ちだったので男児育児にてんてこまいになっています。PMDD(月経前不快気分障害)のため、低用量ピルを服用中。PMS・PMDDへの理解が広まりますように!
2020年08月25日CMでよく見かけていたショーツタイプのナプキン。 私も気になっていたところ、ドラックストアでサンプルが配布が! 眠っている間の経血漏れが心配で、夜の眠りが浅くなったりすることがあった私が、使ってみた感想をご紹介します。しっかり熟睡できたことを、自分でも実感できた私は、それからすぐに同じ商品を買いに行き、心配な夜は、必ず使うようになりました。ショーツタイプのナプキンを使ったことによって、以前のように、寝ているときについつい気になって睡眠時間を奪われてしまうということは、なくなりました。こんなに夜の眠りが変わるなんて……! 生理の期間がすごく楽になりました! 原案/まりちゃんさん作画/ののぱ
2020年08月24日長男の育児が落ち着いてきたとき、夫婦の間で2人目はどうしようかという話になりました。長男のときは「夫婦2人の子どもが欲しい」と素直に思えたのに、2人目のときはすぐにそうとは思えませんでした。その理由と実際に2人目を産んで感じたことをお伝えします。 「次は女の子!」勝手な言い分に唖然長男が生まれたとき、近所のおばさんがお祝いを持って訪ねてきてくださいました。「元気な赤ちゃんね」と言ったあとで、「次は女の子がいいわね。女の子はいいわよ」と自分の子育ての話を始めたので、私は唖然としてしまいました。なぜなら、私を産んだ母が「男の子を産めなかった」と祖母から責められているのを何度も見てきたからです。母の代わりに男の子を産めたとまでは思っていませんが、男の子だったからそういうことを言われずにすむだろうとは思っていたのです。ですが、勝手な他人の言い分に私は2人目に対するプレッシャーを感じてしまい、素直に産みたい!とは思えなくなってしまいました。 2人目を同じようにかわいがれるのか?初めての育児で、思った通りにならない息子にイライラしてしまうこともありながら、すくすくと成長して笑顔を見せてくれるようになった息子に、私たち夫婦はもうメロメロ。 この子にきょうだいがいたら、一緒に遊べるだろうなぁとは思うものの、「遊び相手」として生まれてくる2人目のことを思うと、なんだかかわいそうになってしまい、2人目を産むということがさらにハードルが高いものとなってしまいました。 そんな葛藤の末に生まれた第2子は…!私がきょうだいと年齢が離れていることもあり、年齢の近いきょうだいがいいと思っていたので、悩みながらも2人目を計画し、すぐに妊娠しました。生まれたのは次男。女の子ではありませんでした。でも……信じられないぐらいにかわいかったです。大きく生まれた長男に比べて小さな次男は、まるでぬいぐるみを抱っこしているような重さで、その次男を抱っこしたり、ほっぺたをツンツンしたりする長男もまたかわいい……! 感覚としては別の生き物のようでした。 「案ずるより産むが易し」という言葉がありますが、産んでからも悩みは尽きません。とはいえ、私たち夫婦のところにやってきた赤ちゃんをかわいいと思えるかどうかというのはいらぬ心配でした。2人の子どもが元気に育ってくれていることを自信に変えて、堂々と男の子のママに勤しんでいきたいと思っています! 監修/助産師REIKO著者:田丸あかね現在、小学校1年生と幼稚園年中の兄弟を子育て中。性格の違う子どもたちの成長を楽しみつつ、自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年08月24日「自分は自然分娩で出産する」と信じて疑わなかった私。しかし、胎児と母体の安全を優先した結果、急きょ帝王切開で産むことになりました。出産直後は分娩の方法などまったく気にならなかったのですが、日が経つにつれじわじわと悔しさや悲しさが湧き出てきたのでした。 「もったいなかったね」の言葉出産後は休む間もなく慣れない子育てが待ち構えており、1週間の入院中は「傷あとが痛い」「母乳が出ない」「赤ちゃんが泣き止まない」ということで頭がいっぱい。分娩方法のことでくよくよしている暇はありませんでした。 最初に心に引っかかったのは、1カ月健診のときに病院の母乳外来で出会った助産師さんの「太ってないし背も高いのに、帝王切開でもったいなかったね」という言葉。きっと「分娩異常さえなければ傷あとが残らずに済んだのにね」という慰めの言葉だったのだと思うのですが、そのときからモヤモヤが始まりました。 友人の体験談がつらい「帝王切開で残念だった」という気持ちは日に日に大きくなっていきました。難産で出産した友人の話を聞くことが特につらく、「自分は出産まで72時間もかかった。さっさと帝王切開で産んでしまいたかった」という言葉を聞いたときは、まるで自分が手抜きをしたような気がして引け目を感じました。 手術で切ったおなかの傷口は約10cmでしたが、出産の話題で聞かれてそう答えると、「自分は会陰切開だったけどもっと切った」と言われて落ち込んだこともあります。 自分だけじゃない2人目も帝王切開で出産したこともあり、5年ほどモヤモヤした気持ちと付き合ってきました。ある日、帝王切開ママの集まりがあると知り、参加させてもらうことに。そこには私と同じように悩むママがたくさんおり、それぞれの病院での出来事や出産後の体験談などいろいろな話を聞くことができました。 「自分だけじゃないんだ」「悔しい・悲しいという気持ちを人に伝えていいんだ」と思えたことで、とても気がラクになりました。 くよくよしていたせいで、ちょっとした言葉に過敏になっていたように思います。出産は十人十色。どんな出産だって大変だし、どんな分娩方法だって胸を張っていていいんだと今では考えられるようになりました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO 著者:沢田真紀子自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年08月24日次女は「口唇口蓋裂」という先天異常で生まれてきました。娘の将来を考えて不安にかられた私を救ってくれたのは、娘自身でした。今回は、そのときの体験をお伝えしたいと思います。 口唇口蓋裂で生まれた娘わが家の長女は、33時間にもおよぶ難産の末に生まれました。一方で、次女の出産にかかった時間は8時間ほど。長女のときと比べるとだいぶラクな出産でした。 生まれてきた次女はすぐに大きな産声を上げましたが、出産に立ち会った先生たちは「あっ」と驚いた顔。「ちょっとお口が……」と言う先生たちの様子を見て、私は不安にかられました。抱っこをした娘の口にはテープが貼られていました。 娘のくちびると歯茎、上あごに隙間が産後、少し落ち着いてから、「あなたの娘さんは口唇口蓋裂です。でも、今はきれいに治りますよ」と医師に言われました。長女の出産時は命に関わる状態だったので、それに比べると不安は少なくもありましたが、どのような状態で生まれてきたのか、娘の口を何度も見て様子を確かめました。 娘のくちびると歯茎、上あごには隙間があったのですが、痛みはないようで安心しました。また、出生体重が3,300g以上だったからか、体つきはしっかりとしていました。 “娘の笑顔”が私を救ってくれた最初は不安が少なかったものの、全身麻酔をして手術を何度も受けねばならないことや歯科矯正が必要なこと、言語や耳に少なからず障害が出てくるということがわかり、娘の将来を考えた私は急に不安にかられました。 そんなときに私を救ってくれたのは、娘の笑顔でした。生まれて3日後に「にこっ」と笑顔を見せてくれたのです。最初は偶然かと思いましたが、何度もにっこり。「心配ないよ。私は大丈夫」と言ってくれているようで、私の不安は吹き飛びました。 娘は現在6歳。これまで2回の手術を無事に終え、元気に成長しています。治療はまだまだ続きますが、あのときの笑顔を思い出すたびに、娘と一緒に乗り越えていこう、そんな気持ちと勇気が湧いてきます。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:石原みどり知的障害を持つ子どもと口唇口蓋裂を持つ子どもの母。波乱万丈で大変なこともあるが、子どもたちと幸せいっぱいに生活している。経験を踏まえ、子育てに関する情報を発信中。
2020年08月23日2018年2月生まれの男の子を育児中のみーすけです。 どう考えてもそまの服を脱がせたタイミングで出てきたアシナガバチ。 まさかおばちゃんにまとわり付いてたあいつがずっと服の中に…? 怖すぎるんだが! よく刺されなかったよね。服の中入ったまんま転げ回ってたんだけど!? なんなんだ君は〜!どっからきた〜!! ってことでマジでお子様が刺されたら超絶デンジャーなので、タヒんでもらいました。 すまんな。 著者:イラストレーター 絵日記ブロガー みーすけ2018年生まれの男の子を育児中の絵日記ブロガー。日常をマンガにしてブログを更新中! ネットで子育て情報を検索するのが趣味。最近の悩みは赤ちゃんのおもちゃを買いすぎてしまうこと。
2020年08月23日こんにちは。「ババア、育児をする」のババアです。 産後、月経量が多くなり、生理痛もてツラく、悩んだ結果、新しい手を打とうかと、ミレーナを装着しました。ミレーナとの出会いからその後の経過までをお話しします。前回は、ミレーナ装着後5ヶ月目の様子についてお話ししました。 今回は、ミレーナ装着後6ヶ月の検診に行ってきた様子をご報告します。 ※ミレーナをオススメする!というわけではありません。あくまでも個人の体験談ですから、詳しいことは産婦人科にご相談!図にしてみて、どんどん生理が軽くなってきたんだな〜というのが、今回よくわかりました。もちろん、ここまでくるには「ダラダラ出血」で、地味に面倒なことも多かったのですが、それもやっぱり、先生が言った通り「過ぎてみればなんてことない」って感じです。 結論!激痛や大出血であれば忘れられない経過報告になるわけですが、ダラダラ少量出血は過ぎてしまえばなんてことないッ!!(もちろん当時はナプキン代が地味にかかったりして面倒でしたが) そして、「とにかく汚れないのがありがたい」ということ。これはもう人それぞれだと思いますが、下着や服を汚さないように上手にできる人もいれば、私のように気をつけていても汚してしまった…という経験が多い人もいるでしょう。 そして、血で汚れた服や下着を洗う時の情けなさと言ったら!! お気に入りだった下着が血で汚れてしまい、どれだけ洗ってもきれいにならず、泣く泣く捨てたことも覚えています。 私は生理が重いのをなんとかしたくてミレーナを装着したわけですが、こうして半年経ってみて、「こんなに産婦人科に定期的に通ったのも初めてだなあ…」と思いました。それは思わぬ効果というか、そのおかげでこれまで以上に産婦人科に行くことへのハードルが下がり、気軽に相談できるようになったのです。 乳がん検診も授乳中でできていなかったのが気がかりだったのですが、ミレーナの通院がなければわざわざ予約しなかったかも(自治体からの助成は40歳からだったりして、こうして個人的に予約しないとなかなか機会がないもので…。職場の検診などでも、30代の乳がん検診は有料オプションですしね〜)。 先生も最初こそ「2人目産まなきゃ!!」なんて強烈(?)キャラでしたが、割となんでも相談しやすい雰囲気の方です。そもそもミレーナを扱っている病院はそう多くないし、話しやすい先生に当たったことはラッキーだったのもしれません。 生理のことや婦人科系の病気のこと、気軽に話せるかかりつけ医というのは本当に大切なんだなと思った次第ですッ!! 私は30代でようやくここまでたどり着きましたが、正直、こんなに生理が重いのは正常じゃないって子どもの頃に教えて欲しかったです。いや、教えて欲しかったというか、私が相談すべきだった。そして、相談できる場所があるべきだった。というのが正しいでしょうか? 私は娘にとって、相談しやすい母親でありたいなぁと思ったのでした。そんなミレーナ6ヶ月後でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:イラストレーター ババア3歳児を育てているババア。一応、管理栄養士である。ブログ「ババア、育児をする」では、ミレーナ体験のほか、管理栄養士としての食事のアレコレや育児のオススメ情報、くだらない日記なども公開中。
2020年08月23日「横隔膜ヘルニア」という先天性疾患を抱えて生まれたお子さんを持つママの体験談をお届けする連載企画です。横隔膜ヘルニアとは、本来胸とおなかの臓器を隔てている横隔膜に生まれつき穴が開いており、その穴からおなかの中の臓器が胸の中に出てきて心臓や肺を圧迫してしまう病気。おなかの子が横隔膜ヘルニアであると診断された妊娠中から出産までのできごとやママが感じた不安、生まれたお子さんの様子やその後の治療についてご紹介していきます。 横隔膜ヘルニアであることがわかったおなかの子は、肺の発達が不十分で、生まれてすぐに人工呼吸器が必要でした。このため、私も子も眠らせた状態で帝王切開をおこなうことになりました。3人目の子にして初めての帝王切開で、全身麻酔の負担も大きかったうえ、息子の容態急変で休もうに休めません。今回は私が人生で一番つらかった、産後1週間のお話です。 痛みと共に息子のもとへ帝王切開のあと目を覚ますと、これまでの出産にはなかった激しい痛みと猛烈な寒気が襲ってきました。術後、体温は34℃台まで下がっていたそうで、電気毛布にくるまれていました。 少し目を覚ましては眠るというもうろうとした数時間を過ごし、やっとのことで起き上がれるようになった翌朝、看護師さんがばたばたとやってきました。「息子さんの容態が急変しました。たぶん、このまま手術になります。今からNICUに行きましょう」。 生かされている息子私が戸惑っていると、看護師さんが数人現れ、あっという間に点滴とベッドごとNICUに連れて行かれました。息子はNICU内の手術室におり、たくさんの管につながれて人工呼吸器の音に合わせて体が膨らんだりすぼんだりを繰り返しています。 生きているというよりは生かされているといった感じで、何かしなければ死んでしまうというのが素人目にもわかりました。泣いてしまうとおしまいな気がして、夫の手をぎゅっと握って我慢し、震える声で「頑張れ」と繰り返していました。 つらかった息子のお見舞い息子にはその後、横隔膜の穴を閉じる手術と人工肺の装着手術が同時におこなわれました。手術は無事成功しましたが、首に太い管をつけられ、ぴくりとも動かない息子は、やはり「生かされている」という感じのままです。 入院中、1日2〜3回はNICUにお見舞いに行っていましたが、何も変化はなく、お見舞いのたび痛々しい息子を見るのがつらかったほどです。それでも「何かしてやらなくちゃ」という義務感だけで、痛む体を引きずりながらNICUと授乳室を行ったり来たりしていました。 人工肺離脱後、初めて感じた息子の生それから2日ほど経ち、また息子の容態が悪くなってきました。人工肺のフィルターが許容量を超えてしまい、「人工肺離脱、状態が悪ければ付け替え」という手術をおこなうことになり、息子はギリギリのところで人工肺を離脱したのです。 5時間にも及ぶ手術後、人工呼吸器を挿入された息子は少し苦しそうではありましたが、今度は自分の力で必死に胸を動かしているように見えました。「生きてる!」これまで我慢していた涙が一気に溢れました。 産後の入院中は自分の体も痛むなかで息子の手術が2度もおこなわれ、非常につらかったです。ただ、息子の命に関わる処置はすべてこの入院中におこなわれたため、私の退院後は比較的穏やかに過ごすことができました。息子は母親がいつでも駆け付けられるうちに頑張ってくれていたのかもしれないなと、今になって思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:岩崎はるか2女1男の母。両実家とも遠方のためワンオペ育児中。先天異常の影響で肺が片方しかない医療ケア児を含む3人の子を育てた育児体験談のほか、大学院まで学んだ食についても執筆。
2020年08月23日ちょっとやんちゃな息子さんが、妹を好きすぎるあまり泣かせてしまうことがあったそうです。息子さんの気持ちをわかっていながら、ついつい怒りすぎてしまったパパ。そのたびに反省したというパパの体験談について紹介しています。 最近、3番目の子どもとなる女の子が生まれたわが家。4歳と2歳のお兄ちゃんに囲まれながら、すくすく成長しています。2歳のお兄ちゃんは妹の面倒をたくさん見てくれますが、2歳ということもあってか、行き過ぎた行動をしてついつい怒ってしまうことも。今回はその体験談について話をしたいと思います。 暴れん坊な次男わが家の2歳の次男はかなりの暴れん坊です。長男が2歳のころは、2歳児ながら考えてもう少し慎重に行動していたような気がします。しかし、次男の場合はまったく違いました。 魔の2歳児と言われることだけあって、後先考えずに突っ込んでしまうタイプ。いつも走りすぎて壁にぶつかったり、目を離すとすぐにどこかに消えてしまったり、何か気に食わないことがあると出先でも足をバタバタさせて叫んでしまいます。 妹が大好きな次男暴れん坊な次男ですが、とにかく妹のことは大好き。もちろん長男と遊ぶこともたくさんあるのですが、家にいるときは常に妹の近くにいて、「大丈夫?」「一緒に遊ぶ?」「寒くない?」などと声をかけてくれています。 その他にも、泣いているとすぐに妹のもとへ行ってくれたり、寝るときも必ず隣で手をつないでくれたり、保育園から帰ったら真っ先に妹のところに行ったり。2歳児なりに“お兄ちゃん”をしてくれています。 妹に頭をよくぶつけてしまう今まで2歳といったら自分の好きなことばかりを考えているイメージでしたが、次男はお兄ちゃんとして面倒を見ようとしているのだと思います。 しかし妹のことが大好きなあまり、距離が近くなりすぎて頭をぶつけ、妹を泣かせてしまうことも。妹が泣いているときは、より勢いが増して妹のもとへ一直線に突進。 あまりの勢いで頭をぶつけたりするので、ついつい怒り過ぎてしまい……。怒ったあとに次男が「妹が泣いてた」と悲しそうな顔をしているので、「必要以上に怒ってしまった……次男に申し訳ない」という気持ちになりました。 次男は暴れん坊だけど、妹が大好きで、2歳児なりにお兄ちゃんをしてくれようとしているのだと感じます。私に怒られたあとの悲しそうな表情を見て、妹のことが大好きだからこそ行動にするその気持ちも、大切にしてあげたいと思いました。これからは注意すると同時に褒めてあげるつもりです。 イラスト/マメ美監修/助産師REIKO著者:西川しょた普段は看護師として勤務する3歳と1歳、2男の父。育児に関する体験談を中心に記事を執筆している。
2020年08月23日「横隔膜ヘルニア」という先天性疾患を抱えて生まれたお子さんを持つママの体験談をお届けする連載企画です。横隔膜ヘルニアとは、本来胸とおなかの臓器を隔てている横隔膜に生まれつき穴が開いており、その穴からおなかの中の臓器が胸の中に出てきて心臓や肺を圧迫してしまう病気。 おなかの子が横隔膜ヘルニアであると診断された妊娠中から出産までのできごとやママが感じた不安、生まれたお子さんの様子やその後の治療についてご紹介していきます。 3人目を妊娠中、おなかの子が横隔膜ヘルニアと診断され、こども病院に転院することになった私。産後の処置をスムーズにおこなうため、普通の妊婦健診と併せてさまざまな検査がおこなわれました。これらの検査は妊婦健診の助成券が使えず、思いのほか痛い出費となりました。 胎児の状態を見るため、母体ごとMRIこども病院に転院してすぐ、おなかの子の横隔膜ヘルニアの程度(横隔膜に空いた穴からどれくらいの臓器が胸に脱出しているか)を確認するため、MRIの検査を受けることになりました。 もちろん、胎児だけ検査というわけにはいかないので、私ごとMRIに入り、検査を受けることになります。胎動が止まったタイミングでしか撮れないということで、検査はおよそ1時間にも及びました。 血液検査やエコーもやり直しそれまでも何度かこども病院でもエコーは受けていましたが、改めておなかの子に心臓の合併症がないか見るため、MRIのあとに念入りなエコーがおこなわれました。また、おなかの子は眠らせた状態で帝王切開での出産ということに決まったため、前の病院ですでにおこなっていた私の血液検査なども再度おこなうことに……。 待ち時間もかなり長く、検査自体も長時間に渡り、すべての検査を終えた私はぐったりしながら会計に向かいました。 検査で疲れ果てた私に衝撃の会計会計窓口に呼ばれほっとしたのもつかの間、その金額を見て絶句しました。普段、妊婦健診は高くても数千円なのに、今回の領収書には数万円の金額が記されていました。 先ほどのMRI、エコー、血液検査はいずれも胎児のためのものですが、この段階での検査自体は母体である成人女性の私におこなわれたもの。さらに、妊婦健診の内容とも外れることから、助成券を使うこともできず、3割負担の金額を支払わなければならなかったのです。 胎児の病気は意外とお金がかかる私の住む自治体では、新生児の医療費はかからないようになっていますが、妊婦に関しては胎児の状態がどうであろうと妊婦健診の助成券のみです。転院時の紹介状や、片道1時間以上かかるこども病院への交通費ももちろん出ません。 わが家の場合、上の子2人を預けて妊婦健診に向かうこともあったので、その一時保育料なども含めると、妊娠中はかなりのお金がかかりました。 子どもの医療費は自治体の補助があるという認識だった私にとって、胎児の病気による医療費は盲点でした。先天性疾患の子を持つと、産後も入院時の被服費(衣類持ち込み不可の病棟で用いるおむつなどの費用)やお見舞いの交通費など、さまざまな出費があります。出産による出費以外は医療費控除や高額療養費などを使えるほどではない金額でしたが、それでも毎月数万円の負担は地味にきついものがあったので、妊娠時から何かしら補助があると助かるなと思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:岩崎はるか2女1男の母。両実家とも遠方のためワンオペ育児中。先天異常の影響で肺が片方しかない医療ケア児を含む3人の子を育てた育児体験談のほか、大学院まで学んだ食についても執筆。
2020年08月22日若いころ、出産の痛みは「鼻からスイカを出すくらい痛い」という例えを聞いて、出産とは赤ちゃんが出てくる“その瞬間”の痛みがすごいのだと思っていました。妊娠してから、その前の陣痛が相当痛いらしいということを知りましたが、実際に出産を経験してみると、ほかにも意外な痛みがあったのです。 陣痛は叫び声が出るほどの痛みだった!私の初産は陣痛促進剤を使っての出産となりました。陣痛促進剤の点滴が始まってしばらくすると、だんだんと生理痛のような痛みが襲ってきました。 もともと、それほど生理痛がきついほうではなかったので、徐々に強まってくる痛みに「あーこれはしんどいかも」と思っていましたが、まだまだ序の口。少しずつ少しずつ強まっていく痛みに耐えること6時間。終盤は思わず叫び声が出るほどの痛みでした。 「やっと陣痛の痛みから解放された!」初産にしては6時間というのは短かったようですが、自分としてはこれほどの長時間、これほどの痛みに耐え続けた経験はありませんでした。「生まれる瞬間は感動するだろうな~」なんて呑気に思っていましたが、なんといっても「やっと陣痛の痛みから解放された!」という喜びが一番強かったように思います。 わが子が生まれる瞬間、鼻からスイカを出すくらい痛かったかというと、正直なところよく覚えていません! とにかくいきむだけで精一杯でした。 傷を縫う痛みが意外と痛かった!無事に出産を終えると、カンガルーケアでわが子を抱かせてもらい、やっとじわじわと「自分の子に会えた」という感動が湧いてきました。そんなとき、出産という大仕事を終え、解放感に浸っている私の耳に聞こえてきたのは、「(会陰の)裂けたところを縫いますね」という医師の声でした。 「ふーん、縫うのか」くらいに思っていると、これが意外と痛い! 陣痛の鈍い痛みとは違う、パチン!と弾かれるような痛みに思わず「痛い!」と声をあげてしまい、「ごめんね、すぐ終わるからね」と先生も苦笑いをしていました。 会陰の傷を縫う痛みが陣痛よりも痛かったというわけではないのですが、「もう痛いことは全部終わった!」と思い込んでいたところの意外な痛み。なんだかとても印象に残っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト/imasaku監修/助産師REIKO著者:奥田美紀二児の母。IT企業にてSE・プログラマーとしてシステム開発やWEBサイト運用等をおこなう。夫の転勤や子育てのために退職し、現在は妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年08月22日私は不妊治療を約6年おこない、ようやく子どもを授かることができた40代のパパです。不妊治療にここまで時間がかかるとは想像していませんでしたが、結果的に妻も高齢出産になってしまいました。そのため、無事に出産ができるのだろうかという新たな問題が発生し、出生前診断をおこなった体験談です。時間のかかった不妊治療不妊治療開始時に、病院で高齢出産に対しての説明を受けました。説明を受けたときの私たちの年齢は、私は30半ば、妻が30代前半だったので、私たちにはあまり必要のないことだという認識しかありませんでした。 ただ、私たちの不妊治療は想像以上にお金と時間がかかってしまい、ようやく妊娠できたのは不妊治療を開始してから約6年が経過したころ。私たちにとって待望の妊娠だったのですが、そのとき初めて高齢出産に対するリスクを認識しました。 妊娠がゴールという錯覚不妊治療の期間が私たちの予想より長かったため、私は次第に妊娠することが目標になっていました。妊娠前に高齢出産の知識を得て不妊治療をおこなっていれば、治療期間を短く設けていたかもしれません。ただ、原因不明の続発性不妊症(※1)だったため、「いつか妊娠するのでは」という思いでずるずると長い治療期間になってしまいました。 しかし、出生前診断をおこなう期間は限られていたので、いつまでも決断を先送りすることはできませんでした。 出生前診断するか否か、決断する難しさ最近よくさまざまなメディアでも目にする「命の選別」という言葉が私たちを悩ませ、簡単に決断できませんでした。 ただ、もし赤ちゃんが障害を持って生まれた場合、高齢出産である私たちは将来に不安を抱えたまま過ごすことになると予測できます。検査費用もNIPT(新型出生前診断)の場合、約20万円とわが家にとっては高額だったため、不妊治療を長年おこなっていた私たちには相当な負担額でした。 そして待望の妊娠にも関わらず、診断の結果次第で子どもを諦めなければならない状況になることにも、気持ちの落とし所が見つかりませんでした。 前向きになるための診断最後は、「不安な状態で出産を迎えるより、どのような診断結果であれ受け止め、産み育てたい」という思いで、診断を受けることに決めました。 検査から約2週間で結果が出る予定でしたが、その間も「この検査は受けてよかったのか?」という自問自答を繰り返していました。2週間後、診断の結果は「陰性(異常なし)」。どのような結果であれ産むつもりでいたので、出産に向けての悩みがようやく解消されたような気持ちになりました。 順風満帆ではありませんでしたが、悩みのない状態で出産を迎えられたのは、長い間夫婦で不妊治療に向き合い、コミュニケーションを取り続けた結果だと思っています。世間の風潮に惑わされるとこなく、家族全員が納得するように悩みを共有し、診断をおこなうか否かを決めることが大切なのではないかと、私は感じました。 (※1)続発性不妊症:1人目は自然妊娠できたのに、2人目がなかなかできない不妊症のこと。 ※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。※出生前診断は、すべての先天性疾患を調べられるわけではありません。NIPT(新型出生前診断)で調べることができるのは、赤ちゃんの先天性疾患の一部であるダウン症候群(21トリソミー)、エドワーズ症候群(18トリソミー)、パトー症候群(13トリソミー) です。また、出生前診断の結果が陰性であっても、必ずしも赤ちゃんに病気や障害がないとは言い切れず、出生後に判明する病気も少なくありません。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:ライター 吉田直樹二児の父。原因不明の続発性不妊症のため、夫婦揃って不妊治療を数年おこない授かる。グラフィック・Webデザイン事務所を経て、現在グラフィックデザイン・Webデザインのフリーランスとして活動中。
2020年08月22日子どもが元気で生まれてくることは当たり前ではない。そうわかっていながらも、どこかで他人事に思っていました。これは第二子を出産したときの話ですが、私たち家族が息子に障害があるかもしれないと言われ、前を向いて歩き始めるまでのエピソードです。 妊娠から出産まで妊娠中はつわりがあったものの、妊婦健診でも特に異常と言われることなく出産当日を迎えました。出産予定日より1週間遅れ、陣痛誘発剤を使って出産する予定になっていたその夜に陣痛がきました。10時間ほどかかって自然分娩で3,536gの元気な男の子を出産。 生まれてきた赤ちゃんはしっかりと泣き声をあげていたのでほっとしていると、先生が「この子は体の左右の色が違うね」と気になることを言いました。でもこのときは、ただのあざだと思ってそこまで気にしていませんでした。 新生児健診で不安がつのる生後3日目に小児科医による新生児健診がおこなわれ、息子は最後でした。周りの赤ちゃんが特に問題もなく終わっていくなか、息子の番に。すごく深刻な顔をした先生は、「体の色が違うということは、血管に異常がある可能性があるということ。そうなると脳や神経にも何かしら異常があるかもしれないので、検査が必要です」と。 自分の心拍数が上がるのがわかりました。先生がいなくなったあともその場から動けず、あふれ出る涙。なんで元気な体で産んであげられなかったのか自分を責め、どうしてわが子なのか、受け止めきれませんでした。 事実を受け止め、前に進めるようになるまで緊急を要する病気ではないこと、また里帰り出産だったこともあり、検査は1カ月後に現在住んでいる家の近くの病院を受診することになりました。それまでの1カ月間、病名もわからずただただ不安な毎日。自分を責めたり、息子の将来を悲観したり、とにかく毎日息子を見ては泣いていました。そんな私を変えてくれたのは夫のひと言。「どんなに健康な人だって、いつ病気になるかわからない。〇〇くんは、たまたま生まれたときからそれが目に見えているだけだ。他の人と何もかわらない。彼は元気なのが当たり前じゃないのを教えてくれているんだよ」。そう言われて、元気なことが正しいことのように思っていた自分に気付きました。 検査の結果、幸い心臓や内臓に何も異常がなく、経過観察となりました。病名もこの段階では、はっきりとした診断をもらえませんでしたが、その後、「大理石紋様先天性毛細血管拡張(だいりせきもんようせんてんせいもうさいけっかんかくちょう)」と診断。検査までの1カ間、息子に申し訳なく将来が不安で泣いて過ごしていた私ですが、気持ちを切り替えどんなことがあっても息子を守り、一生支えていくと心に誓い、泣くことをやめました。そして、目の前に生きていてくれることがどんなに尊くありがたいことかを強く感じるようになりました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:天川みほし5歳女児と2歳男児の母。前職は公務員として子育て支援の仕事をしていたが、夫の転勤に伴い退職。故郷を離れ、初めての土地で子育てに奮闘中。
2020年08月22日赤ちゃんが生まれると、「泣き声がお隣さんに聞こえないだろうか」「夜中に起こしてしまったらどうしよう」など、気になるもの。ご近所へあいさつをしたほうがいいのか悩みますよね。 そもそもあいさつは必要?「赤ちゃんが生まれます」のあいさつをするメリットは、お互いにどんな人が住んでいるのかがわかることだと思います。入れ替わりの早い都会の賃貸マンションなどでは、隣近所の顔も名前も知らないというケースは少なくありません。 ずっと静かに暮らしていたのに、ある日突然、赤ちゃんの泣き声が響いてきたら、「どこのお宅だろう?」と気になる人もいるかもしれません。だけど人の気持ちというのは不思議なもので、顔見知りになっている家から聞こえてくると「◯◯ちゃんが泣いているのね」と気にならないことがあります。 あいさつをしておくことで相手の印象がよくなり、大きなトラブルに発展しにくいというメリットはあると思います。 いつ、どうやってあいさつをする?あいさつをするとなったら出産前にするか、出産後にするか。これはどちらでもいいと思います。出産してしばらくは育児に追われて、あいさつ回りをする余裕がないかもしれないので、出産前に済ませておいたほうがラクでしょう。 あいさつするときは手ぶらでもかまいませんが、ちょっとした手土産を持参すると、より話しやすくはなります。相手が気を使わないように500〜1,000円程度の日用品やお菓子などで十分です。 ご近所さんと生活の時間帯が違ったり、あまり顔を合わせる機会がない場合は、ポストに「ご迷惑をおかけします」とメッセージを入れてもOK。どんな人が住んでいるのか知らなくてあいさつに伺うのが不安な方は、まずは大家さんや管理会社に相談してみてもいいかもしれません。 私もあいさつに行きました!わが家は出産したとき賃貸マンション暮らしだったので、赤ちゃんの泣き声が近所迷惑にならないか不安がありました。当時はご近所さんとの交流はまったくなかったのですが、生まれる前に、両隣と上下階の家に「もうすぐ赤ちゃんが生まれますので、騒がしくてご迷惑をおかけするかもしれません」と、1,000円くらいのお菓子を持ってごあいさつに伺いました。 両隣は小学生の子どもがいるご家族だったため、「騒がしいのはお互い様なので、お気になさらず」とのこと。出産後はしばらくして外で顔を合わせたときに「泣き声がうるさくないですか?」と聞いてみたら、「全然大丈夫ですよ」と言ってもらえてひと安心。 それからは顔を合わせると「大きくなりましたね」など、会話を交わすようになり、良好な関係を築くことができました。あいさつをしていなければ、赤ちゃんが泣くたびに近所迷惑かも?とビクビクしていたかもしれません。お互いの顔を知っているということが私にとっても安心感につながりました。 ご近所と円満な関係を築くために、あいさつは大事な役割を果たしてくれます。お隣さんにあいさつに行ったら、偶然にも出産予定日の近い妊婦さんで、家族ぐるみで仲良くなったというエピソードも聞いたことがあります。ご近所付き合いが広がるきっかけにもなるかもしれませんね。 イラスト/imasaku監修/助産師REIKO著者:高橋じゅんこ一児の男の子を育てるワーキングマザー。病気ネタやママ友ネタなど、ペンネームでリアルな体験談を執筆中。
2020年08月22日