大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラムが登場! 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、3月に行ったTwitterアンケートの結果について、石井さんのコメントをお届けします。■あなたにとって「幸福」とは?第1回目の公開後、ココロニプロロさん のtwitterアカウントで「幸福」についてのアンケートをお願いしました。ご回答くださった皆様、誠にありがとうございました!『#石井ゆかりの幸福論 』連載スタート!あなたは今、幸せですか?もし「いいえ」なら、何が足りないと思いますか?RTもしくはコメントをお寄せください!#ココロニプロロ— cocoloni_PROLO (@cocoloni_portal) 2019年3月25日4000以上のお応えを頂き、半数近くが「幸せです」を選ばれたのには少し驚きました。もっとも、「幸せ」の定義は人によって大きく異なります。また、このアンケートがタイムラインに流れた時間帯や、このアンケートが目に止まる方々が私かココロニプロロのフォロワーの方が大多数であること、また、そもそも「回答するかどうか」の判断がこの手前に含まれているなど、様々なバイアスがあります。『幸せじゃない人は心理的に「押したくもない」ってなりそう@TeteGift0727さん』(※Twitterの引用は全て原文ママ)というご意見もありましたが、たしかにそういう気持ちになる方もあるだろうと思います。ゆえに、これだけでわかることはそれほどないわけなのですが、それでも「幸せ」について様々な関心があり、ご意見がある、ということは、感じられる気がしました。■お金、健康、愛が足りない!コメントの中には「お金や愛などが足りない」との声が多く見られました。確かに、生活が安定していて孤独でない、ということは、幸福の最大の条件だと思います。『幸せではない方に入れました。他人の幸せを羨むのではなく喜ぶような心の余裕がないといくら周りがあの人は幸せそうだと思っても当人は幸せだとは思えなくて。そんな心の余裕は経済的余裕や健康な体があってこそ生まれると思っています。@bisco_mItSUyoさん』お金が欲しい、愛されたい、健康になりたいという望みは決して、利己的なだけのものではないと思います。自分以外の人も幸せになってほしい、でも、それを祈れるようになるには、自分自身の生活の余裕が必要だ、という意見は、納得できます。確かに、世の中には自分のことなど構わず、他人を気遣うことができる人もいます。私自身、そういう人に出会ったことがあります。その人は余命一週間ほどだった病床でも、世話をしに来た家族を気遣って、楽しませようと、冗談を言ったりしていました。ですがその人もまた、他者からの愛の記憶に守られていたのではないかと思います。受け取ったものの大きさ、与えるものの大きさは、客観的に量れるものではありません。人が別の人からどれだけの喜びや庇護を受け取ったのかは、当人にしかわかりません。与えた側さえ、それはわからないものだろうと思います。■自分のものの考え方・思い方『40過ぎてやっとこさ「幸せはなるものじゃなくて気づくもの」って意味が分かってきたような気がします……@Shuto_Kaito_Momさん』『10年ほど前「しあわせになれない理由は私にはなにひとつないのに、自分が自分をそうしたくないんだ」と気づき、長い旅をして、「しあわせ」の定義が変わりました。しあわせって調和なんだ。四方が合っている、wholeであるということ。実は常に成就していることで、ただ認識の問題なんだなって、今は。@atohchieさん』自分だけが幸せではいけないのでは、という思いを持たれる方もいらっしゃいました。『ただ、自分が幸せでもつらい人がいる状況が目に入った時、私だけが幸せではいけないのでは、と思っているフシがどこかあります。@havingfun724さん』「幸せである」と認めることを怖れるような思いを持つ方は、結構いらっしゃるのではないかと思います。「幸せだ」と認めてしまうことが悪いことのような気がしたり、「幸せだ」と認めてしまったらもうそれ以上のものは手に入らないように感じたりする、ということもあるのかもしれません。たとえば、「これでおなかいっぱいです、満腹です」と言ったら、もうおかわりはもらえません。神様のような存在がいるとしたら、「まだまだ、おなかに余裕があります」と言っておきたい気がするわけです。満足することが、向上心を失わせる、と考える人もいます。あくなき努力を続けていくためには「まだまだ足りない」というハングリー精神が必要だという考え方です。こうした考え方を採る人にとっては、「幸福だ」と感じることは害悪となることもあるようです。「自分以外の誰かが幸福だからといって、その人に怒りを感じるのはばかげている、その人が私から何か奪ったわけでもないのに!」。これは、ある小説の中の一節です。この言葉はまるで正しいのですが、これを口にした人物は確かに、身近にいる人の幸福を妬んで、その人を遠ざけようとしていたのでした。この言葉は、自戒、反省の言葉であり、自嘲の言葉でもあったのです。私たちは他者の幸福を羨まずにはいられませんし、特に、自分が傷ついて苦しみや悲しみを抱え、不安に苛まれているときは、そうした思いを抱きがちです。それを知っている人々は、幸福なときでも、「自分が幸福だ」とは言わないようにします。無用の悪意から身を守るためです。「あなたは幸福ですか?」という問いの前で立ち止まり、口を閉ざしたくなるとすれば、それは「他の人々は幸福だろうか?」という問いが心の中に渦巻くからなのかもしれません。■幸福かどうかわからない。幸せになるための条件がわからない、何かが必要な気がするが、それが何かわからない、といったご意見も多かったように思います。『「いいえ」にしました。このところ「幸せ」についてずっと考えていたので思わずリプライしてしまいました。私の場合は幸せになりたいとは思っているものの自分が「どうしたら」や「何があったら」幸せを感じるかがはっきり認識できてないのが原因かなと思ってます。@love_toucanさん』『私は幸せかどうか分からない。何の不自由もなく生活できているのだから幸せなのかもしれないけど、幸せを感じる実感はなくて。分からないのでその他で。@neeze37さん』『恵まれているとは思うけれど、それがイコール幸せではない気がして。@naokosunsky1973さん』『何をしたらいいのか、何をしたいのか、歳をとるだけで先に光が見えない。@kakailuさん』幸せ自体の感じ方が時間によって変わる、というご意見もありました。『幸せだと思っていても後になってみると幸せではなかったと思う事もあるし、幸せじゃないと思っていても後になってみると幸せだった事もあり、「幸せと感じる事」には時間が経てば訂正が入ります!今の感想はあてにならないです。@horeisyouさん』幸せには常に「比較」がつきまといます。他人と自分の比較、過去と現在の比較、過去の2点間での比較などを通して「あの時は今よりは幸せだったな」「今にして思えばアレが幸せだったのかも」などと考えることも確かに、あります。「幸福」ということを、リアルタイムの感情・感覚として捉える方がいる一方で、ある種の価値判断・評価のようなものとして捉える方もいらっしゃるのだと思いました。また「自分は多分、幸福なんだろうと思う」というようなご意見もたくさんありました。これは、「感情や感覚ではよくわからないが、客観的に自分の生活を眺めると、いろいろな条件が調っているなあ」ということなのでしょう。「あたりまえだと思っていた条件を失って初めて、幸福だったのだとわかる」という言説は、ごく一般的なものです。だとすれば、私たちは「幸福」に関して、感情や感覚の上では、かなり鈍感だということなのかもしれません。少なくとも、そう自覚している方が少なくないんだな、という印象を受けました。「幸福ではない」を選んだ方のコメントの中で「お金が足りない」「仕事がない」というご意見がたくさんありました。次回、「幸福論」第2のテーマは、その「お金」についてです。>>次回もお楽しみに(5月25日更新)プロフィール石井ゆかりライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、「12星座シリーズ」(WAVE出版)は120万部のベストセラーに。Twitterのフォロワー数は30万を越える。著書多数。
2019年04月25日こんにちは。5歳3歳の兄妹の母、グラハム子です。私の住んでいる地域は、もう寒さのピークは過ぎたかな〜という感じです。これからだんだんと春に向かっていくのでしょう。今回は最近、私が子育てで悩んだときに「この考え方は良いな、参考にしよう」と思ったエピソードを2つほど紹介します。■朝から子どもにイライラ…そんなときどうする?まず、ひとつ目。それは「子どもたちの朝の支度が遅くてイライラしちゃう」といったような内容を、ママ友とLINEしていたときの話。返ってきた返事は…こうでした。私は今まで自分のイライラの対処法として、お気に入りのコーヒーを飲むとか、趣味の柔軟体操をするとか、そういった「子どもとは関係ないのひとりの時間を作る」ことで心を落ち着けていました。これも自分にとって良い方法だと思っています。それに対して、この「鏡の前に子どもと一緒に立つ」という方法は、子どもの行動自体をストレスだと思わず、すべてを受け入れるということ。■子ども抱いた自分の姿を見て感じたことこれを実践したとき、子どもの小ささはもちろん、「こんな小さい子のしたことで、その都度イライラするなんて、自分はなんて器が小さいんだろう」と同時に自分の小ささもわかりました。とくにうちは子どもの歳が1歳半しか離れていないので、本当は上の子もまだ小さいはずなのに、お兄さん扱いしてしまう場面が多々あったことに気がつきました。この方法で1人ずつ抱っこして鏡に映ると、「下の子はこんなに小さい、でも上の子もこんなに小さい」と、2人それぞれがまだまだ幼いことを再確認できるのでありました。■「かっこ悪い」ストレートに子どもに伝わる言葉があるもう1つも、ママ友からご教示(ママ友は教えているつもりはないと思いますが…笑)いただいたものです。じつは以前、うちの子がこんなことを言ったのです。今思えば、われながら長ったるいし、意味不明な返しだったなあと思います。 何を言いたかったのかと言うと、子どもには他者と比べて優越感や劣等感を抱いたり、人や自分の価値を決めたりしないでほしいと言うことです。でもそれをどうやって子どもに伝えれば良いかわかりませんでした。そんなある日、ママ友と一緒にいたとき、こんな会話がありました。ママ友の言った「そういうこと言うの、かっこ悪い」。これはじつに的確で、子どもにもわかりやすくて、私の心にヒットしました。■「子育て論」を取捨選択するには子育てもいろいろなので、自分の心にヒットしたものだけ採用していけば良いと私は思っています。逆を言えば、どんなに影響力がある人が言った子育て論も、自分の心にヒットしなければただの世間話。世間話は「そういう考え方もあるんだな〜」くらいに、脳みその端に置いておけば良いのだと思います。本やネットからだけでなく、身近な人から教わることって、結構あるもんです。子どもが今5歳ということは、私自身も母親として5歳。まだまだ学ぶことばかり。人生って、意外とおばさんになってからの方が楽しいです。
2019年02月22日結婚してもうまくいくカップルとはどんなカップル?というのが、ネットにたくさん載っています。相手を尊敬・尊重するカップルとか、ほどよい性生活があるカップルとか、干渉しすぎない、感謝すること、思いやり、など、ちょっとネットを見ただけでもこれだけのことが確認できます。がしかし、こういうのって、ある程度の倫理観というか常識が通用する範囲において、という但し書きがついてまわることじゃないかなあ。ホントの夫婦の危機を知らない人が書いたんじゃないのかなあ。夫婦の本当の危機的状況とは?ホントの夫婦の危機って、たとえば生きている心地がしない状況だったりします。たとえば、さほど広くない家で夫婦喧嘩した時、夫も生きている心地がしなければ、妻も生きている心地がしない。夫は夫で、喧嘩の最中に自分が言ったことの正当性を信じ込みつつ、妻を泣かせてしまった罪悪感にさいなまれます。がしかし、泣いている妻をどうすることもできない。だから余計、自分に腹が立つ。かといって壁を蹴るわけにもいかない(穴が開いてしまった壁の後処理の面倒くささくらいは計算できる冷静さをまだ持っている)。妻は妻で、怒り狂う旦那に対して「怖い」なんて言って泣き続けていて、旦那が妻の肩を抱き寄せようものなら、さらに「怖い」と言って泣く。もうどうすることもできないのが、夫婦の危機ですよ。そのような時に、倫理とかある程度の常識があることを前提としたハウツーなんて通用すると思いますか?思わないですよね。あそぼーこのような本当の危機が訪れる前に、どうにか手を打つことで、夫婦生活がうまくいくようにもっていく――一般的にはこうするはずです。では、本当の危機が訪れる前に、どうすべきなのか?ひとつは、夫婦で遊ぶことじゃないかなと思います。夫婦生活って、なにかと忙しいけど遊ぶ。夫も妻も残業があったり、残業して帰宅したら洗濯をしたり夕飯を作ったり、お風呂の掃除をしたり、なにかと忙しいのはわかっているけれど、でも夫婦で遊ぶ時間を持つこと。平日に遊べないのなら、休日にふたりで遊ぶこと。遊ぶというのは、ふたりで無目的なことを無心になってやることを言います。「**のために」という目的のない行為を心の底から楽しむことを遊びと呼びます。それは例えば、夫婦そろってお酒が好きなのであれば、近所の居酒屋にでも行って、翌日の心配抜きに心ゆくまでお酒を飲む、でもいいんです。ふたりでカラダを動かすことが好きなのであれば、翌日の筋肉痛など気にせず、汗を流すことです。人って、そんなに単純な生き物じゃないはずなんですよね相手に対して思いやりを持つとか、感謝の気持ちをちゃんと伝えるなどのことを心がけることでうまくいくのなら、それに越したことはないと思います。結婚前からそう心がけて、結婚してからもその心がけを大切に暮らすとそれでよろしい。でも人って、そんなに単純な生き物じゃないはずなんですよね。たとえば「感謝しましょう」という、いわばタテマエだけで結婚生活がうまくいくなら、日本の離婚率なんてもっと低く止まっていますって。そう思わないですか?今の時代の良くないところって、カップルにおける大切なことに、とかく「意識」を持ち込んで説教を垂れるところです。「意識すれば」感謝できるよね、「意識すれば」相手に対してつねに思いやりの気持ちを持てるよね――こういう考えのもとで夫婦円満の秘訣を述べる人が多すぎるんですよね。夫婦の危機って「意識」していても訪れるにもかかわらず。感覚優位な夫婦円満のコツだから、無意識的なこと、つまり言語化できないこと、つまり感覚優位な「夫婦円満のコツ」を知っておいたほうがいいんですよ。意識、つまり言葉にし尽せることをいくら意識しても、人の意志ってそんなに強いものじゃないから、無理な時は無理なんですよね。感覚優位な夫婦円満のコツ、それが、夫婦で遊ぶことです。そういえば、みなさん、最近、遊んでますか?無心になって遊びましたか?わたしたちは毎日忙しいから、つい「**のため」という目的を伴ったことばかりしていますよね。そういう生活を、意識優位の生活と呼びます。結婚してもうまくいくカップルとは?極端に言えば、たとえば、不妊治療のしんどさに耐えれない夫婦っていて、そういう夫婦は、意志が弱いから耐えられないわけではないんですよね。生活のすべてが妊娠の「ため」になっているから、どこかでお互いに息が詰まって、その必然として爆発してしまうんですよね。不妊治療をしていない夫婦だって、似たようなものです。生活のため、貯金のため、子どもため……すべての「**のため」は、それが行き過ぎると家庭不和の原因になります。どんなに立派な精神の持ち主であっても、人は意思の世界だけでは生きられないからです。どこかに感覚的行為(たとえば遊ぶこと)を織り交ぜてあげないと息が詰まるように、人の身体はできているのですよ。結婚してもうまくいくカップルとは、ほどよく遊んでいるカップルです。(ひとみしょう/作家)
2019年01月26日「彼氏との相性があんまりよくないのかも」「時々、一緒にいても距離を感じることがある」。このように、不安な気持ちがあって彼氏といまいちラブラブになれない人って、「これはこうすべき」みたいな「べき論」を持っているんですよね。「べき論」って、女子の方が男子に押し付けているイメージが多いかもしれない。でもじつは、男子のほうがたくさん持っているんです。たとえば「仕事が忙しいから」という理由でデートしてくれない彼氏というのは、「べき論」をたくさん持っている人です。じゃあこの「べき論」から解放されるカップルになるにはどうしたらいいのでしょうか。わかりやすく解説していきます。■■彼の「べき論」、彼女の「べき論」は自分をがんじがらめにする仕事が忙しくても、デートする時間をちゃんと作ってくれる彼氏は「べき論」なんて、ほとんど持っていません。仕事もプライベートも一所懸命やるべき、という考えくらいは持っているはずだけど、「男たるもの、つねに仕事を優先すべき」とか「仕事に集中しないといけない時は彼女と会うべきではない」とか、そういうカタい考えは持っていないんですよね。だから忙しい仕事の合間にちょこっと時間を見つけて、器用にデートできるんです。女子の中にだって、たとえば「男とはこうあるべき」とか「仕事と恋愛の両立のためにこうすべき」というような考え方をしている人っているでしょ?とくにマジメな人に多いのが「強い女ってこういうイメージだから、わたしはこうすべきだと思う」みたいな、女性の強さとか自立などを基準に、自分の振る舞い方を決定する女子。彼女にそんなことをされたら、彼がどれほど嘆き哀しむことか!■■「べき論」の対極にある「うまく説明できない気持ち」が大切「べき論」の対極にある考え方って、たとえば「今日は天気がいいから、お弁当を持って公園に行こうかな」です。つまり、生きていることとか、恋することって、「理由はないけど、なんかこういうことをしてみたい」という「理由のない気持ち」に集約されるんですよね。すべてのことを意識的にやるとか、やることすべてに言葉で説明できる理由が必要とか、そういうカタい世界にとらわれないものが、生きることであり、恋すること。この考え方は、ものすごく極端化すると、「今日はなぜか海を見たい気分だから仕事を休むわ」ということに繋がる話だし、そういう人が増えると世の中が無茶苦茶になるから、おそらく多くの人が「べき論」を自分に言い聞かせつつ暮らしているはずなんです。今日は海を見たいけど定時に会社に行くべき、とか、今日は彼とベッドの中でいちゃいちゃしたいけど午後から家族の用事があるから実家に帰るべき、とか、みんな「べき論」のもとで暮らしているはずなんですよね。■■「べき論」から離れることが、ラブラブをキープする秘訣でも、ときには思いっきり「べき論」から離れて、彼とふたりでやりたいことをやらないと、ラブラブな状態をキープできないんです。なぜなら恋愛って100%自由な生き物だから。100%自由なものを「べき論」を押さえつけようと思っても、それは無理です。自由なものは自由のもとに還してあげないと!男女平等だと言ったところで、今の時代はまだまだ男のおじさんたちが上のほうを牛耳っているから、必然的に若い男子たちがそういうおじさん的な思考を押し付けられがち。だからどうしても彼は「上司の評価を気にすれば、彼女とのデートをドタキャンしてでも仕事をするべきだ」と考えてしまって、彼女が哀しい思いをすることになります。もっと時代が進化して、ホントに男女が平等になれば、男子だって女子のように、時間の使い方が上手になるのかもしれないけど、今はまだ男子はおじさん的な思考の影響をモロに受けざるを得ない状況です。■■まずは彼女が「べき論」から卒業し、事実を受け止めてみてだから、彼のことはさておき、まずは彼女が「べき論」から卒業してみるといいです。「これはこうすべきだ」と固定化して考えるのではなくて、いろんな考え方をありのままに受け止めてあげるといいです。彼が「仕事が忙しくてデートできない」と言えば、「仕事が忙しいことを理由にデートを断る男子もいるんだ」と、少々客観的に思って、彼の言葉を受け止めてあげる。反対に、彼が急にデートしようと言ってきたら、急にデートに誘う男子もいるんだ、と、少々客観的に思って受け止めてあげる。こういうのって、彼の意見にただ振り回されているように見えるかもしれないけど、でもそうじゃないんですよね。自分の「べき論」なんか捨てて、相手の変化に適当に(=ちょうどいい感じで)付き合ってあげることこそが、ホントは誰にとっても心地いいはずなんですよ。彼氏との関係に限らず、私たちを取り巻く環境も、わたしたち自身も絶えず変化しているのだから。さまざまな変化に、ちょうどいい感じで付き合っていける人は、昔から「心が豊かな人」とか、「器の大きな人」と言われています。言うまでもなく、心が豊かな人とは「よく生きる」人であり、その必然として、いい恋をする人のことです。(ひとみしょう/作家)『今夜はちょっと、恋の話をしよう』(ハウコレ編集部)
2018年12月26日ライターの鯰美紀(なまずみき)です。夫の転勤に伴い、2018年8月からニューヨークで活動しています。先日、ニューヨークで、米国公認ライフコーチのブロディー愛子さんの「子育てと個性」のワークショップに参加しました。子どもの個性を大事にしたい。そう思うママは多いと思いますが、実際に「個性を伸ばす子育てをしている」と実感できている人は少ないのではないでしょうか。愛子さんは、「日本は個性を伸ばしにくい国」だと言います。愛子さんに、子どもの個性を伸ばすために必要な3つのことを聞きました。1.ママ自身が個性を取り戻そう「まずはママ自身が、自分の個性を取り戻し、自分を愛すること」と愛子さん。日本人は、世間の枠からはみ出ることを許されず、持って生まれた個性をそぎ落としながら育っていることが多いそうです。愛子さんに寄せられる相談でも、アメリカ人は「私はこれがしたいのに、実現できない」と訴える人が多いのに対して、日本人は「自分が何をしたいのかわからない」ということが多いといいます。そういう人が親になったとき、子どもの個性をどう伸ばせばいいのか、戸惑ってしまうそうです。「個性的な子育てを考える前に、ぜひ、自分自身と向き合い、自分の個性を取り戻してください。自分のことを一番よく知っているのは、誰でもない、あなた自身です」と愛子さん。子どもの個性を育てる第一歩は、親自身が、「自分とは何者であり、何が好きで、どんな子育てをしたいのかを」を明確にする必要があるということですね。2.自分の子育てに自信をもち、貫く勇気を持とう愛子さんは、日本の親が「みんなの迷惑になってはいけない」「子どもが人と違うと困る」というプレッシャーを感じながら子育てをしていることが気になるそうです。例えば、日本では、学校から親が呼び出され、子どもの行動に対して注意を受けることがあります。そんな時、とりあえず先生に謝り、「家でよく言い聞かせます」と言うのが一般的ではないでしょうか。これについて、愛子さんは「自分が言いたいことではなく、相手が聞きたいことを言ってしまう日本人らしいですね。でもね、それは自分の気持ちにウソをつくということですよ。学校や先生の方針に同意できなければ、『うちはこういう子育てをしています』『うちの子は大丈夫です』と言えるぐらいの強さを持ってほしいですね。だって、お子さんのことを一番理解して、信じてあげられるのは、親でしょう?」と言います。続けて、「子どもにおねだりされるままに、みんながゲームを持っているからとゲームを買ったりしていたら、お金がかかるばかりで、子どもの個性は伸びません。人と同じことをしていたら、人以上にはなれません」とも。「世間は勝手なことを言いますが、子どもの人生に責任をとってくれるわけではありません。個性を伸ばす子育てをしたいなら、『誰が何と言おうと、自分は子どもを信じ、自分流で子育てをする』と言い切る勇気と強さを持ってください」。3.子どもが歩く道を信じ、挑戦と失敗を見守ろう子どもが生まれると、つい、子どもの習い事、学校、職業から、老後の自分との関わり方まで、勝手な妄想でシナリオを作成してしまいがち。子どもがそのシナリオから外れると「失敗した」「裏切られた」と考えてしまいます。これについて、愛子さんは、「子どもを親の所有物だと思うのは大間違い」とバッサリ。「子育てに関して、親は愛情と恐れを持って、小さな選択を繰り返していきますが、恐れが強くなると、子どもの個性は伸びません。私たちは、転ぶ痛さを知っているので、ついつい、子どもが転ぶ前に手を出したり、道を示したりしがちですが、やり直しがきく若いうちに、やりたいことをやらせ、たくさん転ばせることで、子どもは学ぶのです。特に10代の反抗期は、親の価値観から卒業し、自分の生き方を模索するとき。親は戸惑ってしまいますが、信じてもらえている子は、“本当に悪いこと”はできませんから、安心して、思い切り反抗させてあげてください」。最後に愛子さんから、日本のママにメッセージをいただきました。「日本でも終身雇用制の社会は終わり、幸せの形も多様になりました。人生という広い海の中で、自分をわかっていないと、方向を見失い、溺れてしまうかもしれません。自分の個性をわかっている人は、どこの海にいても、自分が幸せだと感じる沖に泳ぎつくことができます。親ができることは、子どもの個性に応じたサバイバル能力を身につけてあげることではないでしょうか。世間に惑わされることなく、子どもを信じて、強い心で子育てをしてください」。愛子さんのお話を聞いて、親が自分自身を信じ、子どもを信じることで、子ども自身も、自分を信じて、人生を力強く歩いていけるのだと、改めて感じました。ブロディー愛子さん<文:フリーランス記者鯰美紀>
2018年11月08日こんにちは。コソダテフルな毎日のちゅいママです。第一子の時が、いちばん大変で一生懸命だった3人の子どもがいる私に対して、皆さまよくおっしゃってくださるんです。「ちゅいママに比べたら、私の大変さなんてまだまだ。」というお言葉。いえいえ。そんな風に思う必要全くないんですよ。むしろ第一子時代が一番大変だったっていうママ多いんです。「赤ちゃんの頃が一番楽よ。動き出したら大変よ~。」って口をそろえたように先輩達から言われるもんで、「そうか。今の私はまだ甘いのか。これごときで甘えてたらいけない。」って思ってたけれど、過ぎて見れば、私は赤ちゃんの頃が一番大変だった。今の私も、第一子時代の頃のあの一生懸命な気持ちを忘れてはいけないなって思うんです。だからこそ、第一子のお母さんの悩みや苦労を先輩風吹かせてあしらってはいけないなって。ちゅいママが、転勤した土地で出会ったママかつて私も新米ママだったころの話。転勤した土地でママ友など一人もいない状況でスタートした子育て。一人で家にいるのもよくないと思い、毎日予定を決めてはせっせと公園や支援センターに通い、そこでいろいろなママ達とチラホラおしゃべりする機会があったのだけれど、なぜか、第二子以上いるママ達には気後れして近づきにくかった。2人目で子育ても慣れてるだろうし、私のようなペーペーと話しても面白くないだろうなって気が引けた。そんなこと言われたわけじゃないのに一人で勝手にそう思ってた。というのもそう思い始めたきっかけがあったんだよね。第二子以上いるママに近づきずらかった理由は…ちゅんたんが赤ちゃんの頃、お尻が弱くて、真っ赤なオムツかぶれを起こしていた時期があったのよね。真っ赤に荒れたお尻がかわいそうで、私はなんとかしてよくなるように、うんちをするたびに(一日に何回も)一連の動作を繰り返していた。今から思えばわざわざたらいにお湯を張ってお尻を洗わなくても霧吹きでシュッシュッとすれば流れ落ちるのに、とも思うけれど。当時の私はそんな術がある事も知らず、毎回かなりの労力を要してケアをしていた。先輩ママの言葉が、一生懸命子育てし、子どもと向き合っていたからこそ傷ついたと、この話をどこかでチラっとした時に、とある子育ての先輩はこう言った。うん。私を励まそうと思って言ってくれたんだと思う。元気づけようと思って言ってくれたんだと思う。だけど、新米ママの私にとっては、その励ましの言葉が傷ついたんだよね……。先輩からしたら「たかがオムツかぶれ」かもしれないけれど、私からしたら「大変なこと」だし、一連の動作(洗う・保護・乾かす)すらも試行錯誤を重ねてようやく見つけたんだけどなぁ…。子育ての先輩に対して、私「ごとき」の悩み事を相談する事にすっかり気が引けてしまうようになったのはこの出来事以降。ちゅんたんが頭を打ったとき、関係のない子育ての大先輩に言われたことその後、ちゅんたんがハイハイやおすわりをして動き始めた頃、後ろにひっくり返った拍子に、固い角でゴツン! と後頭部をぶつけてしまったこともあった。初めて、わが子が強く頭を打った事に私はとても心配になった。いや、今から思えば全然大した事ないんだけどさ……。ゆいたんなんて、どんだけ高いところから落ちたんかって話なんだけどさ。第一子っていうのはこっちも分かんないからとにかく心配になるんだよね。「この泣き方なら大丈夫かな……。うん…きっと大丈夫だろう…。いや…どうかな…病院行った方がいいかな…」って、ぐるぐるぐるぐる頭の中で選択中の時に、これまた子育ての大先輩、なおかつ全然関係のない人に、「そのぐらい何ともないよ。たいしたことないない。」と言われた時のイラッと感。笑なんでだろう!! 先輩からの励ましって時に傷つく~。(いや、そうかもしれないけど、まずは一緒に心配してくれよ!! って思ったわ。)子育ては、すべて自分が責任を負っているからこそ判断できることもあるその後、私自身も2人目、3人目と産み、それなりの経験値から、ベッドからゴトッ!って落ちようが、椅子から転げ落ちようが、たんこぶができようが、その時の泣き方や様子からどうするべきか判断をつけれるようになった。(打っても泣かないとか、打ったあとに吐いたりしないかを気を付けて見てました。すぐにギャッ! と泣いてそのうち泣き止むようなら家で様子を見て、いつもと泣き方が違うな? と思ったら病院に連れていきました。(いつもと泣き方が違う&泣き止まないってことで、ほーちゃんを病院に連れていったらやっぱり骨折してた事もありました。))でも、これは私の子どもで、私がすべて責任を負ってるからこそ、できる事でもあるんだよね。他人に「そんなに心配しなくてもいいわよ」って言われると傷つくし、逆に「もっと心配しなさいよ」って言われても傷つく。ちゅいママが、新米ママと話すときに気をつけていることだから私は、新米ママとお話しする機会がある時には、不要な先輩目線は封印しています。ママのやり方を否定しない。将来もっと大変になるんだから、って怯えさせない。そんなのたいしたことないって軽くあしらわない。求められてないアドバイスは時に人を傷つけるから。だって、あの頃の私は、「先」ではなく「今」を共感して欲しかったんだもん。
2017年02月09日健康のためにも、子どものためにも、夫には禁煙して欲しい。自分がたばこを吸わない人ほど、そう強く思うのではないでしょうか。しかし、「たばこをやめて!」と訴えたところで、簡単には禁煙してくれませんよね。どうすれば夫を禁煙させることができるか、私の体験をもとに、使えるテクニックをご紹介しましょう。■禁煙外来はハードルが高い!?確実に禁煙できる手段として、禁煙補助薬や禁煙外来の存在が注目されています。たしかに効果はあると思うのですが、本人が行動しないと意味がないので意外とハードルが高いです。夫に通うようにすすめても、「仕事が忙しい」と逃げられてしまいました。また、病院や薬は「最終手段」というイメージがあるようで、これをすすめたものの意地になって拒否されました。本人に禁煙の意志が芽生えるまでは提案しないほうがいいのかもしれません。■まずは節煙から!私はたばこを吸わないので、結婚前からたばこをできるだけやめてほしいとお願いしていました。しかし、すぐにはやめられないのが難しいところ。そこで、たばこの本数やタールの量を少しずつ減らすように提案、いわゆる「節煙」ですね。夫はタール量の多いたばこを吸っていたので、少しずつ軽いものに変えてもらいました。完全に断つわけではないので取り組みやすかったといいます。これだけでは続かないので、「ごほうび作戦」も実行。本数が減ったら欲しがっていたフィギュアを買ってもいい、おこづかいアップも考えるといった感じですすめていくと、自分から節煙に励むようになりました。 ■自分にも課題を与える本人も納得して節煙をしていたのですが、続けていくうちに「どうして自分だけ我慢しなきゃいけないんだ!」と、夫の不満が募るように。そこで、私もダイエット宣言をして、甘いものを断ちました。何かと理由をつけて「自分へのごほうび」を与えていた私にとって、これはとてもつらかったです。でも、自分のためにもなるし、大変な思いをしているのは自分だけという思いをさせないことで、夫のやる気が復活したように感じます。■ゲーム感覚を取り入れるさらに「先に目標を達成できたほうが相手に好きなことを要求できる」という条件をつけました。これがゲーム感覚で楽しめたようで、あれだけたばこをやめる意志がなかった夫が、あっという間に禁煙に成功したのです。夫が欲しがっていたアニメDVDを全巻買わされたのは痛かったけれど、彼の健康のためになるなら安いもの。いまでは、自ら全席禁煙の店を選ぶようになるほど、完全にたばこを断つことができました。こうしてみると、意外とあっさり禁煙に成功したように見えますが、ここまで3年近くの月日がかかっています。子どもができてからでは遅いので、できるだけ早く取り組みたいところです。でも、子どもが生まれてから夫を禁煙させた友人もいます。本人も子どものためにやめたいと思っていたようですが、思うように禁煙できず、自らおこづかいの減額を申し出たのだとか。強制的にたばこと決別できる環境をつくることも、ときには必要かもしれませんね。4月に入り、銘柄によってはたばこが値上がりしました。健康面だけを訴えても効果がない場合は、家計を助けるという目的もつけ加えるといいかもしれません。
2016年04月13日