元フリーアナウンサーの小林麻耶(こばやし・まや)さんが、2020年5月22日に自身のブログを更新。2017年6月に乳がんで亡くなった妹・小林麻央(こばやし・まお)さんの月命日を報告し、素敵な家族写真を公開しています。小林麻央のブログ『KOKORO.』から闘病生活を振り返る姉・小林麻耶が語った想いとは小林麻耶、「愛する人を大切にしよう」と呼びかけこの日、小林麻耶さんは「こんな写真を見つけたのでブログにアップ」とつづり、自身と母、愛犬、そして小林麻央さんと写った家族写真を公開。続けて、「愛する人を大切にしよう」と読者に呼びかけています。愛する人を大切にしよう。今、自分の目の前にいて触れられて、笑いあえて会話ができることは奇跡。小林麻耶オフィシャルブログーより引用 この投稿をInstagramで見る 【小林麻耶】 MAYA KOBAYASHI(@maya712star9)がシェアした投稿 - 2020年 5月月22日午前3時18分PDT大切な人が突然、いなくなってしまう悲しみを体験した小林麻耶さんだからこそ、説得力がある言葉ですね。最後に「ありがとうを心から感じられる22日です」と語り、自身にとって妹は「今でもかけがえのない存在である」ということを改めてつづっていました。小林麻耶さんのブログを見たファンは「いい写真!」「笑顔が素敵」と親子のスリーショットを絶賛。このほか、小林麻耶さんのメッセージに共感するコメントも寄せられています。・麻耶さん姉妹とお母さまのきれいな笑顔に癒されました。・メッセージ、本当にそう思います。今のこの瞬間に感謝する気持ちを大切にします!・素敵な写真をありがとうございます。3人の心のきれいさが伝わってくるようです。今を普通に生きていられることが「奇跡である」ということを教えてくれた小林麻耶さん。一日一日を大切に過ごしていきたいですね。[文・構成/grape編集部]
2020年05月25日三代目 J SOUL BROTHERSのパフォーマーである小林直己さん。今、役者としても世界から注目を集めている。退路を断つ覚悟で必死に語学に取り組んだ3年間。11月15日から配信されているNetflixオリジナル映画『アースクエイク バード』で、ハリウッドデビューを果たした小林直己さん。劇中ではルーシー(アリシア・ヴィキャンデル)とリリー(ライリー・キーオ)という2人の外国人女性を翻弄する男・禎司を、ミステリアスに、そして大人の色気たっぷりに演じている。――この作品への出演は、どのような経緯で決まったのでしょう?小林:僕はダンスと並行して10年ほど前から芝居もやっているんですが、3年ぐらい前に、演技でしか伝えられないことがあると改めて思い、芝居に本腰を入れようと、アクティングと英語のトレーニングを始めたんです。海外でも役者の活動ができるように、その窓口になってくれるマネジメントやエージェントとも組織づくりを始めて。そんな中でこの作品と出合い、オーディションを受けました。――舞台は日本ですが、セリフはほぼ英語です。昨年のアンアンのインタビューの時に英語の勉強をされていると伺いましたが、ここまで流暢とは正直驚きました。小林:トレーニングを始める前までは、アメリカのマクドナルドで「Dr Pepper」が通じないレベルでしたから(笑)。でも、役者としての可能性を広げるために英語は必要だと思ったし、その頃30歳を過ぎたあたりだったので、「今を逃すと、もう二度とやらないだろう」という気がしていて。それに当時はグループのみんながソロ活動で忙しくしている中、僕だけ個人の仕事が本当になかったんです。自分はメンバーの隣に立っていていいのか…。そう考えた時、英語をメインにしゃべっているメンバーがその時いなかったから、習得すれば自分の武器になるかもしれない、と。でも、やるなら世界一を目指すぐらいまで突き詰めるのが、EXILE TRIBEのやり方。それを途中で投げ出したら、ここを辞めるのも同然。そんな覚悟で始めたんです。あれから3年ほど経ちましたが、この作品で10 月にロンドン映画祭に参加した時は、通訳なしで20社ぐらいのインタビューに答えました。多国籍な意見が交わる現場。それはもう刺激的な体験!――今作では語学もさることながら、禎司の揺らぎのある表情など、その演技にも引き込まれました。小林:禎司は、自分なりの価値観を持っていて、どちらかというと器用なタイプではない。脚本を読んだ時から、そんなところが僕自身とリンクすると感じていたんです。監督(ウォッシュ・ウエストモアランド)とは、撮影に入る前からLAで食事やミーティングを重ねて、禎司というキャラクターについてお互い意見を出し合い、作り上げていきました。撮影現場でもその自由度は変わらず、多国籍のクルーやキャストとアイデアを持ち寄って、一つの作品を作る作業は、それはもう刺激的でしたね。――劇中には大胆なベッドシーンもありましたが、そのあたりの躊躇はなかったのでしょうか?小林:作品にとって必要であればやるので、そこはとくに意識はしていませんでした。それより、グローバルな作品の中で裸を見せるとなった時に、尊厳としてどうなのかっていう観点で考えられたことや、その選択を自分の意思でしたこと、そしてそれが作品にとってプラスに出たらいいな、というような思考で捉えられたことは、今後の活動にいい形で影響していくのでは、と思います。――製作総指揮は、映画『ブラック・レイン』などで知られるリドリー・スコット監督ですが、直接嬉しい言葉をかけられたとか。小林:映画の撮影が終わってから一度LAでお会いして、この間のロンドン映画祭で久しぶりに再会したのですが、その時に、「君には映画にとって必要な存在感があるから、これからも絶対に続けたほうがいい」と言ってくださって。もともと彼の作品のファンでしたし、世界的な巨匠にそんな言葉をかけていただけるなんて、とても光栄で。ここからがスタートだなっていう思いが強くなりました。ここ最近の芝居の経験を、グループにも還元したい。――小林さんといえば、映画『HiGH&LOW』シリーズの不死身のアクションも圧巻でした。ハリウッドのアクション作品に挑戦したいという気持ちは…?小林:やってみたいです。マーベル映画に、『ジョン・ウィック』『ミッション:インポッシブル』も!でも、海外のマネジメントと仕事をして改めて感じるのは、一人では何もできないんだ、ということ。何をするにもチームで力を合わせることが大事。そういうところは、EXILEや三代目での経験がすごく役立っていると思います。――今、劇場では、小林さんが主演されている「海風」を含む5編の短編映画集『その瞬間、僕は泣きたくなった-CINEMA FIGHTERS project-』も公開中です。小林:「CINEMA FIGHTERS project」自体が面白い試みで、作詞家の小竹正人さんの詞に、それぞれの監督がインスパイアされてオリジナルの脚本ができるという。僕が出演している「海風」は、行定勲さんが監督で、詞の世界観から横浜が舞台になったんですが、「直己が演じるなら、ヤクザか刑事だろう」と。――その二択なんですね(笑)。小林:結果、ヤクザになりました(笑)。この作品でも撮影前に監督と食事に行って、僕が演じる蓮という男について思うところをお伝えしたり、今回あてがきもしてくださるとのことだったので、僕のバックグラウンドをお話ししたりもしました。それに僕のアイデアを脚本に反映していただくなど、“一緒に作った”感覚の強い作品ですね。――小林さんの言葉から、お芝居への充実ぶりが窺えるのですが、その経験は三代目の活動にもフィードバックされそうですか?小林:そうですね。ここ何作かを経て、アーティスト活動に対する向き合い方も、全く変わったので。僕たちの姿は、オーディションの頃から見てくださっている方もいると思いますが、それぞれに夢を持ち、成長をして、そしてまた一つに交わって。七角形が、さらに多角形になるほど三代目自体が大きくなりますし、それはとてもポジティブな変化だと思っているんです。今後、年齢を重ねていく中で、「大人として、共に歩んでいけたらいいよね」みたいな話を、最近メンバーとよくしています。こばやし・なおき1984年11月10日生まれ、千葉県出身。EXILE、三代目J SOUL BROTHERSのパフォーマー、俳優。舞台『熱海殺人事件 40years’ NEW』(‘13)、映画『たたら侍』(‘17)、『HiGH&LOW』シリーズ(’17~)などに出演。Netflix映画『アースクエイク バード』が配信中。日本のみならず、アメリカでも俳優として活動の場を広げている。ジャケット¥78,000パンツ¥38,000(共にCOMOLI/ワグ インク TEL:03・5791・1501)その他はスタイリスト私物※『anan』2019年12月11日号より。写真・加藤純平スタイリスト・渡辺康裕(W)ヘア&メイク・RYOインタビュー、文・保手濱奈美(by anan編集部)
2019年12月09日「EXILE」のAKIRAと小林直己(「EXILE/三代目J Soul Brothers from EXILE TRIBE」)が、日本の魅力を海外に発信するジャパン・ハウスとのコラボ「ショートショート フィルムフェスティバル in ハリウッド」(共催:在ロサンゼルス日本国総領事館)のアンバサダーに就任したことが分かった。本イベントは、米国アカデミー賞公認・アジア最大級の国際短編映画祭「ショートショート フィルムフェスティバル&アジア」(SSFF&ASIA)が映画祭20周年を迎えたことを記念し、現地時間の1月17日、ロサンゼルスのTLC チャイニーズシアターにて開催。現地では、「SSFF&ASIA 2018」のグランプリ作品(ジョージ・ルーカス アワード)に輝いた『カトンプールでの最後の日』や、第90回米国アカデミー賞メイクアップ&ヘアスタイリング賞受賞の辻一弘を追ったドキュメンタリー作品『The Human Face』。LDHと「SSFF&ASIA」によるコラボレーション企画『ウタモノガタリ -CINEMA FIGHTERS project-』の一篇『カナリア』。河瀬直美監督&脚本、別所哲也が主演する『嘘 -LIES-』などの上映が行われる。そして今回アンバサダーに就任した2人は、「SSFF&ASIA」代表の別所哲也や様々なセレブリティと共に、レッドカーペットやイベントを彩ることに。AKIRAさんは「この度は、LAでのショートショート フィルムフェスティバル&アジアの開催に際して、アンバサダーとして就任させていただいた事、また、映画の原点でもあるハリウッドで開催されるこの映画祭に参加させていただける事を光栄に思います」とコメント。小林さんも「ショートフィルムの魅力をお伝えできるよう尽力しつつ、また、自分も映画に携わる俳優の一人としても、日本を発信するJAPAN HOUSEの皆さんとともに、ハリウッドにおいてショートショート フィルムフェスティバル&アジアを盛り上げていけたらと思います」と話している。(cinemacafe.net)
2018年12月18日小林麻耶(39)が8月3日、自身のブログで引退を発表。麻耶といえば、先月24日に一般男性と入籍したばかりだ。同ブログ記事で「私、小林麻耶は8月3日をもって所属事務所(株)セント・フォースとの契約が終了致します」と報告。「今後は大好きなメディアの仕事を離れ、全身全霊、家族のために日々たくさん働きたいと思います」としている。また結婚や退所は突然の決定だったようで、今年11月に出版される予定の自著「しなくていいがまん」について「全く想像もしていなかったことが起きたので 今、書き直しをしている最中です」と明かしている。交際期間が半年未満というまさに電撃婚。彼女をよく知るテレビ局関係者は本誌の8月14日号で「今年の5月にはもう結婚が決まっていたそうですが、そんな素振りはまったくありませんでした」とし、驚きを表している。また入籍日である7月24日は麻耶が熱心な数秘術にちなんでいるようだ。前出の本誌で占い師のLove Me Doさんは「2+0+1+8+7+2+4=24→2+4=6」とし、「『6』という数字にはサポートする・奉仕する・尽くすという意味があります」と説明している。引退を機に“将来”のサポートに専念するというが、それはあまりに急な方向転換だったようだ。
2018年08月03日《私、小林麻耶は7月24日に入籍致しました》7月26日、公式ブログで結婚を発表した小林麻耶(39)。自身も今回の電撃婚を“ミラクル”と表現しているが、「本当に予想外だった」と話すのは麻耶をよく知るテレビ局関係者だ。「お相手が一般男性ということもあって、麻耶さんサイドは事前に情報が漏れないように細心の注意を払っていたようです。今年の5月にはもう結婚が決まっていたそうですが、そんな素振りはまったくありませんでした」市川家の知人によると、お相手は優良企業に勤める会社員ということだが、交際期間は半年未満という超スピード婚だったという。そんな2人の入籍日は7月24日。麻耶の誕生日は7月12日のため、なぜこの日を選んだのか疑問の声も上がっているのだが――。「麻耶さんが資格を取るほどにハマっている“数秘術占い”で入籍日を導き出したといいます。数秘とは自分の誕生日をもとに“運命数”を導き出し、運勢を占うものです」(前出・テレビ局関係者)2018年7月24日の運命数は、「2+0+1+8+7+2+4=24→2+4=6」。占い師のLove Me Doさんはこう解説する。「『6』という数字にはサポートする・奉仕する・尽くすという意味があります。見返りを求めない、深い愛情や絆。試練を乗り越えてお互いに成長するという意味もあるので、お2人にぴったりの結婚記念日と言えるでしょう」《たくさんの愛と光に満ち溢れた生活を送っていきたいと思っています》と、ブログにつづっていた麻耶。素敵な家庭を築いてほしい!
2018年08月02日《私、小林麻耶は7月24日に入籍致しました。お相手は4歳年下の優しい男性です》7月26日、公式ブログで結婚を発表した小林麻耶(39)。最愛の妹・小林麻央さん(享年34)の逝去から、13カ月が経つ。麻耶はこれまで、麻央さんの残した長男・勸玄くん(5)と長女・麗禾ちゃん(7)の“母親代わり”として奮闘してきた。この子たちのママは私しかいない――。そうした重圧のなかで、彼女は自ずと自分の幸せを後回しにしてきたのだという。「幼稚園の行事に参加したり、習い事などの送り迎えのためにペーパードライバー講習を受けたりと、麻耶さんは率先して子供たちの世話をしてきました。まだ自分もショックから立ち直れていないのに、『子どもたちが元気でいてくれれば私のことは二の次でいい』と、頑張り続けてきたんです。そうは言いつつも、仲の良い友人家族を見て『やっぱり結婚っていいな……』と漏らすこともあったそうです」(芸能関係者)そんな揺れる女心を抱えた彼女を支える意外な人物がいた。市川海老蔵(40)の母・希実子さん(65)だ。「多忙な海老蔵さんに代わって孫たちの面倒を見てくれている麻耶さんに、海老蔵さんの母・希実子さんはとても感謝しているんです。でも同時に頑張りすぎてしまう麻耶さんをずっと心配していました。『あなたにもちゃんと幸せを掴んでほしい』と、希実子さんは麻耶さんのためにお見合いをセッティングしてあげたそうです。具体的には昨年12月から今年2月までに、何人かの男性を紹介したと聞いています」(市川家の知人)一部報道では海老蔵と麻耶の再婚も取沙汰されてきたが、そのことも希実子さんの“婚活サポート”を後押ししたのだという。「海老蔵さんの團十郎襲名は東京五輪前の19年に予定されているそうです。そうした大事な時期に麻耶さんとの関係を面白おかしく報道されることに対して、成田屋の後援者たちは当然快く思っていませんでした。海老蔵さんも麻耶さんも“再婚説”が報じられるたびに困っていて……。それを案じた希実子さんが『これ以上麻耶ちゃんを振り回すのは良くない!』と奮起したのだと思います」(梨園関係者)希実子さんの努力の甲斐あって実った、麻耶のゴールイン。彼女を射止めた男性とはどのような人物なのだろうか。「希実子さんは麻耶さんに“とっておきの男性”を紹介していたそうです。成田屋の後援者の子息が多く、どの男性もお金持ちで将来有望な好青年だったとか。その中から最終的に麻耶さんが選んだ人なので、最高の結婚相手だったのは言うまでもありません」(前出・市川家の知人)そんな素敵な男性と手を取り合って、今後は自分自身の幸せも追い求めてほしい――。
2018年07月31日歌舞伎俳優の市川海老蔵(40)が29日、自身のブログを更新し、昨年6月に亡くなった妻・小林麻央さん(享年34)の姉であるフリーアナウンサーの小林麻耶(39)の結婚を祝福した。海老蔵は「おはようございます」と題した投稿で、「千穐楽の朝です」と書き出し、「麻耶さんの結婚は当然おめでたいし嬉しいことです」と祝福。27日に麻耶がブログで結婚を発表してから、海老蔵はその件について触れていなかったが、「あまり私から発信する事でもないかなと少し控えていました」と説明した。麻耶はブログで、「私、小林麻耶は 7月24日に入籍致しました。お相手は4歳歳下の優しい男性です」と報告。「結婚はしないと思っていた私がまさかの結婚をすることになったこのミラクルは、妹がいなくなり、あまりにも私が悲しみ続けていたので天国でみかねた妹からの最高のプレゼントだと感じています」と記し、周囲の人たちやブログ読者への感謝もつづっていた。
2018年07月29日音楽プロデューサーの小林武史らが出演するコンサート「小林武史:交響組曲『円奏の彼方(Beyond The Circle)』~based on 柴田南雄『ゆく河の流れは絶えずして』~」が、7月28日・29日に開催することが決定した。15日よりチケット先行受付もスタートしている。同コンサートは、小林の他、安藤裕子・桐嶋ノドカ・Salyu・TOKUなど個性豊かなアーティストが出演。指揮者・寺岡清高率いるオーケストラととも音楽を奏でる。また小林は、世界最大級の国際芸術祭「大地の芸術祭2018 オープニングコンサート」のために、8楽章からなる交響組曲を新たに書き下ろす。この交響組曲は、日本の音楽に偉大なる足跡を残した作曲家・柴田南雄氏の「ゆく河の流れは絶えずして」をベースにしたもの。「ゆく河の~」は鴨長明の随筆「方丈記」をもとに、日本の音楽家の回顧を試みるものとして作られたと言われている。小林は「柴田南雄さんの作品をあらためて観て、ある種の"触媒"のようなあり方を感じたんです。柴田南雄という人にはインスピレーションを表現する天才的な表現者の部分もあるのですが、日本/欧米、日本/アジアなどを世界を相対化して考えた音楽の研究者という"知"の側面があった」と評する。「ゆく河の~」については「僕らの時代はいよいよAI が登場するまでになって、でも一方では東日本大震災のように自然の前ではまだ無力であることを思い知らされたりもする。そんな"無常"という大きなベクトルのなかで鴨長明が感じたこと、それを継いで柴田南雄さんが作った交響曲」と語っていた。
2018年05月17日前回に続き、小林さんの文房具コレクションをご紹介。レトロで可憐なパッケージが素敵な空き缶は彼女のイメージにもぴったり。いただきもののお菓子の箱もつい集めてしまうと笑う。 書くことで永遠に生き続けられると気づけた。この世界を目指すきっかけは、幼少期に読んだある1冊の本だったと小林さん。 「小さい頃に、アンネ・フランクの『アンネの日記』を読んだんです。本の中で、彼女が作家かジャーナリストになりたいと書いてるんですが、10歳の私には、こんなにかっこいいお姉さんがいるんだと衝撃的で。そのときから私も作家になりたいと思っていました。〝私の望みは、死んでからもなお生き続けること〟と彼女は書いているんですが、書くことによって〝そうか! 死なないんだ〟ということが初めてわかって。作家を志すきっかけがこの1冊でした」 テンプレートを使ったドローイング風景。和紙、Gペンやインクも、小林さんの大切なパートナーだ。 自宅にあったこの『アンネの日記』が、彼女の運命を変えていくことに。 「しばらくそのことは忘れていたんですが、私が30歳を過ぎて父が80歳の誕生日を迎えた時に、その父が16〜17歳の頃につけていた日記をたまたま見つけて。それがちょうど戦時中の日記で、そこでアンネ・フランクと父が同じ年の生まれだったことに気づきました。そこで、アンネの日記と父の日記を持って旅をしてその二冊の同じ日の日記を読みながら、私自身も日記を書き記した本が『親愛なるキュリーたちへ』です。作家になりたい、何かを書きたいという私にとって、大きな転換点でしたね」 近年は、目には見えない放射能を題材にした作品も多く、膨大な知識も必要になる。一体何が、彼女の興味を駆り立てるのだろうか。 「よく社会的なことが好きと思われがちですが、なぜ自分が今を生きているのかを知りたいだけなんです。この時代のこの場所でこんな風に生きているということが、私にとってすごく不思議なことで。自分の半径5メートルくらいのことを突き詰めていくと、家族のことだったり、過去のことを考えざるを得なくなっていきます。戦争のこともですし。今につながる時間の中で何があったのかを調べる過程が続いているだけなんですよね。歴史に興味があるのではなくて、なぜ今があるのかっていうことへの疑問ですね。そういう目に見えないことを見たい、どうやったらそれを紙の上に描きつけられるんだろうといつも考えています」 小林さんの仕事デスクには、今まで手がけた作品が並んでいた。 この目に見えないものに興味が湧き始めたのは、ごく最近のことだという。どうやったら紙の上で表現できるのか、それを探りながら描くことはとても楽しいと小林さん。以前は、夜遅くまで仕事することも、土日に作業することも多かったというが、約2年前の出産を機にその生活は一変。お子さまを保育園に預けるようになってからも、今の生活のリズムを掴むまでには約1年かかったという。 「10ヶ月くらいの時から入園できたんですが、保育園の先生方のありがたさを、本当に実感しています。だいたい朝8時半〜9時くらいで保育園に連れて行き、お迎えに行く18時までが仕事の時間です。もう、すぐに時間が過ぎていってしまいます(笑)。やっぱり気持ちは焦りますね。時間の作り方も、まだわからないことがたくさんあって。いつも時間が足りないと感じていて、もっともっとやりたいという気持ちもあります。放射能の名付け親でもあるマリ・キュリーとか、子どもを2人も育てながらいったいどうやって研究を続けたんだろう、すごすぎる……とか考えたり。特に小説やマンガが佳境をむかえたときや展覧会前などは、家がカオスな状態に(笑)。そんなときは、〝でも、みんながみんなノーベル賞2度も受賞するような科学者級じゃないんだから!全部完璧じゃなくても、まあいいか〟っていう気持ちで過ごすようにしています」 優しい空気を纏っている小林さんのイメージからは、想像できない意外な一面。こんな風にときには力を抜くことも、働く女性には大切なことなのかもしれない。女性から憧れる対象である小林さんだが、ご自身の憧れる女性像とは? 「賢く、美しい女性ですね。10歳のときに出合ったアンネ・フランクがまさにそう!本がすごく好きなので、憧れる女性像も本の中の人物であったり、女性の作家さんだったり。その時々で変わっていますが、賢く美しい女性にはいつも憧れています」 自宅は本だらけという小林さん。タイトル買いをしたり、自分の好きな本をオススメしている方の推薦本をこまめにチェックしたりしているそう。そこで、彼女のオススメの本をいくつか教えてもらった。 「池田澄子さんという俳人の方で、『思ってます』という句集がおすすめです。あたりまえにある日常から、一気に過去や宇宙や魂へつながるような句に、いつも心打たれます。他にも、津島佑子さんの絶筆である小説『狩りの時代』や、ジュリー・オオツカさんの『屋根裏の仏さま』という、20世紀初頭に写真だけを見てアメリカ大陸へ渡っていった〝写真花嫁〟を題材にした小説も面白いですよ」 先頃まで、軽井沢ニューアートミュージアムで行われていた『Trinity展』では、初めてガラス作品に挑戦した。美しさに惹かれるというウランガラスで作ったドルマーク。 今描きたいのは、目に見えないこと。最後に、小林さんの今後の活動について率直に語ってもらった。 「コミックと小説、展示という表現で、目に見えない歴史のようなものを、今の私が生きているところから繋がっているように描いていけたらと思っています。特に、コミック『光の子ども』でも題材にしている放射能は、良いとか悪いと言った時点で、何か見えなくなってしまうものが大きいと思うんです。私は、そこからこぼれたものを見たいという気持ちなんですよね。 放射能って、それこそ発見された当時は夢みたいなエネルギーだったと思うし、それと同時にすごく恐ろしいものでもあって。でも、私たちは綺麗なモノに、心から惹かれていきますよね。例えば、ガラスにウランを少し混ぜると蛍光グリーンに光るんですけど、その姿がすごく綺麗なんです。当時は、電力や火力でもない光り輝く何かってすごくレアな存在で。それを見たときの感動たるや、すごいことだったんじゃないかと思っていて。自分自身もそこに惹かれちゃうなっていうのがわかるから、それを含めて描いていきたいと思っています。美しさと恐ろしさが一体化したものへ、一番興味が湧いています。 もう、勝手なミッション感ですね(笑)。描きたいっていう気持が大きすぎて、それは多分一生解決しないことだから、自分の中で見えないゴールに向かって励むという感覚です。自分が知りたい、納得できないことを解決したいという気持ち。それを誰かに観てもらえたり、読んでもらえたりして、その人にとってこういう見方もあるんだなって思っていただけたら嬉しいですね」 小林さんの原動力は、純粋に〝見えないモノを知りたい〟という気持ち。文字だけ並ぶと少し仰々しく感じるかもしれないけれど、それは私たちが日々感じている気持ちとなんら変わらないのかもしれない。クリエイターとして、そして母としてもますますパワーアップするであろう彼女の今後の活動も見逃せない。 【Profile】小林エリカ(こばやし・えりか)漫画家・作家・アーティスト。著書に、アンネ・フランクの日記と実父の日記をモチーフにした小説『親愛なるキティーたちへ』(リトルモア)、小説『彼女は鏡の中を覗きこむ』(集英社)など多数。今年の春には、第27回三島由紀夫賞候補、第151回芥川龍之介賞候補になった小説『マダム・キュリーと朝食を』(集英社)の文庫が発売に。連載も多数で、現在WEB『MilK JAPON』では「おこさま人生相談室』、雑誌『&Premium』では「文房具トラベラー』を担当中。放射能の歴史をめぐるコミック『光の子ども』は、リトルモアWEBで不定期連載。コミック本『光の子ども1,2』(リトルモア)も発売中。
2018年03月23日フリーアナウンサーの小林麻耶(38)が5日、自身のブログを更新。6月22日に亡くなった妹・小林麻央さん(享年34)の納骨を終えたことを報告した。麻耶は「本日、納骨を終えました」と報告。「今日は、汗ばむ陽気でしたが、時より吹く風が心地よく妹が、みんなを優しく包んでいるのかなと思えました」と、風に麻央さんを感じたという。そして、「また、今日、暗い気持ちになりそうなときクスッと笑える出来事があったり、いつでも一緒だよ、大丈夫。と、言ってくれているようでした」とつづり、「コメント、ありがとうございます。心から感謝です」と読者にも感謝した。麻央さんの夫で歌舞伎俳優の市川海老蔵もこの日、ブログで「納骨と七十五日祭滞りなく終える事が出来ました」と報告していた。
2017年09月05日フリーアナウンサーの小林麻耶が3日、自身のブログを更新。6月22日に乳がんで亡くなった妹・小林麻央さんとのエピソードを明かした。麻耶は、義弟で歌舞伎俳優の市川海老蔵と甥の勸玄くんがこの日、「七月大歌舞伎」の初日を迎えたことを報告し、「今日から27日まで、祈ります」とコメント。そして、「母の友人と旦那様から素晴らしい胡蝶蘭が届きました」と、「御祝堀越勸玄さま」と記された胡蝶蘭の写真をアップし、「樋熊夫妻の愛とともにお部屋が華やかになりました。ありがとうございます。妹もすごく喜んでいるように感じます」と感謝した。続けて、「樋熊哲也さんには妹の婚約会見の時のお着物を作っていただきました」と説明し、婚約会見時の海老蔵と麻央さんの2ショット写真をアップ。「妹の婚約会見を見に、こっそり会場に行ったことを思い出しました。『おねーちゃん、心配しすぎだよ~』幸せそうな笑顔で言っていました」と会場にいたことを明かし、「いつだって一緒にいたくて、いつだって気になる存在です」とつづった。
2017年07月04日フリーアナウンサーの小林麻耶(37)が29日、自身のブログを更新。妹の小林麻央さん(享年34)が亡くなって1週間たった今の心境を明かした。麻耶は「おはようございます!」というタイトルで更新。「たくさんのコメントありがとうございます。ブログの存在に支えられています。ありがとうございます」と感謝の気持ちを伝えた。そして、「新しい一日が始まりました。時が過ぎていく実感はないのに、確実に日は進んでいるんですよね」としみじみ。「妹はどこか遠くの病院に入院していて、今は会えない... そんな感覚になっています」と自身の心境を表現し、「私のことが心配で、そばにいてくれているのかな。ありがとう」とつづった。
2017年06月29日22日に乳がんで亡くなった小林麻央さん(享年34)の姉でフリーアナウンサーの小林麻耶(37)が27日、自身のブログを更新。妹がいない喪失感や悲しみを打ち明け、「不思議と今まで以上に妹を感じています」という感覚も明かした。麻耶は「はじまり。」というタイトルで更新し、励ましの声に感謝。「昨日で執り行わなくてはならないこと終え、今日から日常が始まっています」と報告するも、「寝ているのか、寝ていないのか、よく分からない状態の夜が続いていますが、妹がいないという喪失感で目が覚めるのは耐え難いものです」と悲しみが消えることはない。そして、「不思議と今まで以上に妹を感じていますし、そばにいるのかもと思える瞬間も数々あるのですが、もう... 目を合わせて話せないし、声も聴けないし、触れることができない。悲しいです。寂しいです。辛いです」と吐露。「一日一日悔いなく過ごせるようにしてたけれど、でも、もっともっともっと... ... という想いが出てきてしまいます」と打ち明けた。また、「子供たちは、大丈夫かな、、、。大丈夫ではないですよね。私の出来る限り、寄り添いたいと思います」と麻央さんと歌舞伎俳優・市川海老蔵の子供である麗禾ちゃんと勸玄くんを心配。海老蔵とドラマや舞台で共演した俳優の山田純大が連日家に来て子供たちと遊んでくれていることも明かし、「どれほど救われているか分かりません」と感謝した。さらに、「姪っ子甥っ子2人とも純大さんが大好きで大好きで大好きで大好きで大好きで、純大さんの話しをするだけで、顔色も声色も変わるくらいそんな純大さんが遊んでくださるので、それはそれは楽しそうで嬉しそう。大はしゃぎタイムです」と2人の様子をつづり、「純大さんという存在が現れてくれたこと、奇跡だと思います。それくらい有り難いです。人は人に救われますね。山田純大さん、本当にありがとうございます。心から感謝いたします」と感謝の言葉を重ねた。
2017年06月27日22日に乳がんで亡くなったフリーアナウンサー・小林麻央さん(享年34)の姉でフリーアナウンサーの小林麻耶(37)が26日、麻央さんが亡くなってから初めて自身のブログを更新し、現在の心境をつづった。麻耶は「たくさんのコメントありがとうございます。ゆっくり読ませて頂きます。本当にありがとうございます。ご心配していただいたのにもかかわらず、今日までブログの更新できず、申し訳ありません」と感謝とお詫びを伝えた上で、「6月22日最愛の妹が旅立ちました」とあらためて報告。「生まれた時から可愛くて可愛くて、どうしてこんなに妹が好きなんだろうと自分でも不思議に思ってしまうくらい心の底から大好きでした。世界一愛しい存在です」と麻央さんへの思いを明かした。続けて、「いつも優しくて、穏やかで、あたたかくて、自分のことより人を気遣う妹。私の絶対的な味方で、一番の理解者。そんな存在がこの世からいなくなってしまった寂しさ、悲しさは計り知れません。正直、この現実を私は受け止めることができずにいます」とつらい胸中を吐露。「もっと一緒にいたかったもっと一緒に話したかったもっと一緒に笑い合いたかったもっと一緒に...もっと一緒に...いろんな思い出を作りたかった一緒に、生きていきたかった」と無念さをにじませつつ、「これまで妹が教えてくれた...当たり前のことなど何ひとつない日常の有り難さ命の輝き、尊さ愛に生きるということひとつひとつ噛み締めながら妹がいない現実とともに生きていきたいと思います」と前を向いた。そして、「妹は、ブログを始めたことで多くの方々と繋がらせていただき、たくさんの励まし、勇気、力をいただきました。本当に本当に本当にありがとうございました。心から感謝しています。ブログの写真を楽しそうに撮る妹の姿が私は好きでした」と麻耶。「これまで妹を応援してくだった皆様妹が力強く前向きに生きた証のブログ、これからも時々訪れていただけたら幸いです」と呼びかけ、「本当に本当にありがとうございました」と締めくくった。
2017年06月26日本日6月23日(金)、乳がんで闘病中だったフリーアナウンサーで歌舞伎役者・市川海老蔵の妻の小林麻央さんが、亡くなったことが報じられた。この度日本テレビでは、小林さん死去の一報を受け、26日(月)に緊急特番「小林麻央さん追悼番組~優しく強く生きた34年~」を放送することが分かった。昨年乳がんを公表し、闘病を続けてきた小林さん。海老蔵さんの妻として、2人の子どもの母として、そしてキャスターとして世の中の人たちに多くの勇気を与えてくれた。番組では、小林さんがその34年の生涯を通じて、何を伝えようとしてきたのか。これまでの日本テレビの取材、そして新たな取材を加えて、彼女の強さ、そして優しさを描くという。26日(月)は、スタジオから生放送。「NEWS ZERO」のメインキャスター・村尾信尚を始め、ラルフ鈴木アナウンサー、鈴江奈々アナウンサーらが出演する。「小林麻央さん追悼番組~優しく強く生きた34年~」は6月26日(月)21時~日本テレビ系29局ネットにて放送。(cinemacafe.net)
2017年06月23日23日、歌舞伎俳優、市川海老蔵(39)の妻で、フリーアナウンサーの小林麻央さん(34)が、22日夜、都内の自宅で死去したとスポーツ紙が報じた。小林麻央さんは14年10月、乳がんの告知を受けて闘病中で、21日容態が急変したという。 海老蔵はこの日朝、ブログを更新し、朝6時から普段と変わらない様子をブログで投稿。しかし、本日4度目の更新となる「2017/06/23」と題した投稿には、「人生で一番ないた日です。」とつづり「マスコミの方々もお察してください」などと呼びかけていた。現在、多くのアクセスのせいか海老蔵のブログは表示されない状態となっている。 SNSやYahoo!検索ワードには小林麻央さん、麻央ちゃんが1、2位を占め「嘘でしょ…信じられない」「若すぎる…ショックだ」「闘病生活お疲れ様でした」「「本当に本当に素敵な方でした。ご冥福をお祈りします。」など悲しみの声が広がっている。 また、海老蔵は23日午後2時30分より、公演先の東京・渋谷シアターコクーンで会見を行う予定だという。
2017年06月23日フリーアナウンサーの小林麻耶(37)が2日、ブログを更新し、「サポートに力を入れたい」と乳がん闘病中の妹でフリーアナウンサーの小林麻央(34)の在宅治療を支えていく決意をつづった。 『6月スタート!』という記事で麻耶は「6月が始まりましたね。皆様はどんな1カ月にされますか??」と読者に問いかけ、「私は、サポートに力を入れたいので自分の時間をより濃密に出来るように工夫したいと思っています」と麻央のサポートにより一層注力していく考えを明かした。 最後は、「行動力、主体性を引き出してくれそうな赤を着て、レッツゴー!」と笑顔の写真をともに明るくブログを締めた。 読者からは「麻耶さんも疲れすぎないようにコントロールしてくださいね」「無理しすぎずがんばって!」とエールが寄せられている。 妹・麻央は先月29日に退院し、点滴などの在宅治療を行っている。
2017年06月02日フリーアナウンサーの小林麻耶が31日、自身のブログを更新。29日に退院した乳がん闘病中の妹・小林麻央についてつづった。麻耶は「妹の退院を一緒に喜んでくださりさらにこれからも願ってくださること皆様のお気持ちに感謝です。ありがとうございます」と読者の応援に感謝。「こんなにもたくさんの方々から応援していただける妹はとても幸せ者です」とつづり、「本当にありがとうございます。頂戴したお力を妹にしっかりと届けます」と伝えた。麻央は29日にブログで退院を報告。「これからは在宅医療に切り替え、自宅で点滴など続けながら、在宅医療の先生、看護師さんそして何より 家族に支えてもらいながら生活していきます」と説明し、「退院前は、これから家族へかけてしまう負担が怖く、退院が近づくたび不安でしたが、やはり我が家は 最高の場所です」とつづっていた。
2017年05月31日乳がん闘病中で現在入院しているフリーアナウンサー・小林麻央が17日、ブログを更新。自身の足をマッサージしてくれている姉・小林麻耶を隠し撮りした写真を公開した。「隠し撮り」というタイトルで更新した麻央は、麻耶がマッサージしている写真をアップ。不思議な方向を見て笑っている麻耶について「ぅわわわ 何かみつけたみたい!笑ってる こわこわこわ」とツッコみ、「ここで、私が吹き出してしまい姉に 隠し撮りを気づかれる」と、カメラ目線の麻耶の写真も掲載した。そして、「この下手そうに見えるマッサージも絶妙で、信じられない程 上手なのです。浮腫(むく)んだ足が、軽くなり、爪の血色も蘇りました」とつづり、「不思議な『姉神』です。毎日 ありがとう」と感謝の思いを記した。
2017年05月18日乳がん闘病中のフリーアナウンサー・小林麻央が13日、自身のブログを更新し、姉の小林麻耶とのエピソードを明かした。麻央は「いろいろ」というタイトルで更新。「数日、豆乳ココアを飲むのが至福の時です。氷抜きで注文をして、一日かけて、ちょこちょこ飲みます」と、ベッドで豆乳ココアを飲んでいる写真を掲載した。そして、「姉のマッサージが 上手すぎて驚いています。いつの間に こんなに心地よいマッサージができるようになったのでしょうか」と麻耶にマッサージしてもらっている写真を公開。「しかも、ずっとマッサージし続けてくれるのです。いつの間にか眠ってしまって、は!と目が覚めても、まだ、なで続けてくれているのです」と記した。続けて、「昨夜は、できることが少なくなっていく自分が怖くなってしまい、『こんなふうに色々手伝ってもらわないといけなくて、家に帰ったら帰ったでみんなが大変になっちゃうね。』と言ったら『いいんだよー。まおちゃんは生きててくれるだけで いいんだよ。ただ いてくれればいいの。なーんにも できなくて いいんだよ。』と言ってくれました」と麻耶とのやりとりを明かし、「でも、私は母親だから、、、と思うと、急に胸が締め付けられます」と複雑な心境を打ち明けた。さらに、「娘が描いた絵」と長女の麗禾ちゃんが描いた家族の絵も公開し、「右が私だそうです。真ん中は、娘自身だそうです。小さい子が かんげん。なぜかスカートの 左 パパ」と説明。「『ママは優しくて光ってるから、頭の上に 光の玉をのせてるの。』と言っていたそうです。娘が私を思ったとき 一番に苦しくみえていないことが私の心の救いです」とつづり、「本当に まわりのみんなみんなのおかげです」と感謝の言葉で締めくくった。
2017年05月14日フリーアナウンサーの小林麻耶が24日、自身のブログを更新し、22日に再入院した乳がん闘病中の妹・小林麻央が輸血を受けたことについて、感謝の思いをつづった。麻耶は「妹のブログに書かれていましたが妹が、一昨日、昨日と輸血を受けました」と報告。「輸血の袋には名前が書いていないので、どなたのかは分かりませんが、献血していただいた方、本当に本当にありがとうございました」と感謝した。麻耶は長年、献血推進プロジェクト「LOVE in Action」の活動をしており、「献血をしてくださる方がいらっしゃるからこそ、輸血ができ、命が救われます。これからも、なお一層、感謝の気持ちを深く持ち、しっかりと活動をさせていただきたいと決意しました」とあらためて決意。「ありがとうございました」と締めくくった。麻央もこの日、ブログを更新し、「一昨日、昨日と輸血、点滴をして頂き、また、痛みどめの量を増やし、息苦しさが軽減しました」と報告し、「輸血をさせて頂けることに、感謝です。どこかにいる方にもこうして助けて頂いています」と感謝の思いを記していた。
2017年04月25日乳がん闘病中のフリーアナウンサー・小林麻央(34)が22日にブログを更新し、再入院したことを報告した。 麻央は「入院」というタイトルで、「具合悪ほど家族と離れたくない気持ちが増して家で回復させたかったのですが、今は、自分の力では難しいので、医療の恩恵を受けて、元気になりたいと思います。」と、夫の市川海老蔵(39)をはじめ長男の勘玄くん、長女の麗禾ちゃんと離ればなれになることに悔しさを滲ませた。 麻央は19日に、「ここずっと一日中横になっている毎日でした。息苦しさと変な発汗と痛みと。10日前まで普通に歩けたのに、10歩歩くのもやっとになってしまうのだから」と体調が優れなかったことをブログで告白していた。 このブログに読者は「頑張れ!」と応援するコメントが殺到、Twitterには「神様、麻央ちゃんを助けてください」と回復を祈るつぶやきが多く寄せられている。 また、海老蔵は公演「古典への誘い」を全国で開催しており、15日の鹿児島を皮切りに16日に宮崎、17日に大分、19日に長崎、21日~23日まで福岡と九州各地を回っている。21日のブログでは「家族にあいたい…あいたい。」と心境を打ち明けていた。
2017年04月22日乳がん闘病中のフリーアナウンサー・小林麻央(34)が13日、ブログを更新し、自身の病気について赤裸々に心境を吐露した。 『浪漫飛行』と題した記事で、「癌だって、ステージ1の時点で診断される人もいれば、気づいた時にはステージ4の人もいる。順調に治る人もいれば余命宣告から奇跡みたいに治る人もいて、そうでない人もいる」と書き出した麻央。 「良い方をみてもきりがないし、悪い方をみてもきりがない」としながらも、「良い方をみてしまうとき、私は、なぜここまでにならなければならなかったのかな、と思うことがありました」とこれまでの切実な心境を告白。 ステージ4を公表している麻央は「もちろん自分自身の過ち積み重ねなどあるにせよ何故、順調に治っていく道ではなかったのだろう」とつらく思いつめたこともあったという。 しかし、「いつからか、私はここまでになる必要があったんだと思うようになりましたと自身の病状を受け入れるようになり、「そう思えるときの穏やかさは魂が納得しているのだと感じます」と現在の心境を綴った。 そして「魂って自分が思っているよりずっとずっと自分にロマンをもっているのでしょう」と分析し、「しんどくて寝ているときは小さい小さい世界に閉じ込められているみたいに感じますが、実は逆で、魂は壮大な浪漫飛行中なのでしょうね」とブログを締めた。 読者からは「麻央ちゃんは強いですね」「いくつもの試練を乗り越えていてすごい」「説得力がある」と感激のコメントが寄せられている。
2017年04月13日乳がん闘病中の小林麻央が3日、自身のブログを更新。姉の小林麻耶が同日放送された『バイキング』(フジテレビ系)にVTR出演し、11カ月ぶりに仕事に復帰したことについて言及。また、家族で桜を鑑賞したことも報告した。「ありがとうございます。」というタイトルで更新した麻央は、「今日は、姉が11ヶ月ぶりにバイキングさんでテレビ出演させて頂きました」と報告し、「スタッフの皆様、出演者の皆様、そして、優しいお言葉を下さった坂上忍さんに妹の私も感謝でいっぱいです」と、番組で麻耶と対談した坂上忍に感謝した。そして、「坂上さんが人生なかなか止まれないなにがきっかけでも 止まれたのはよいことだと思うと 姉に言って下さっていました」と坂上の言葉に触れて、「私も、病気にならなければずっとそのレールで走っていたのかなと思うと、そのレールでは全く見えなかっただろう世界を今感じていることに感謝しました」と思いを告白。「そして、どのレールにいても苦しさは絶対あるのが生きてるってことなのかなと思います」と記した。また、「去年の桜は、ひとりで見ましたが、今年は、今日家族と一緒に見られました」と家族と桜を鑑賞したことを明かし、「あったかくて幸せで、桜もポカポカして見えました」とコメント。「でも去年は ひとりで寂しかったけれど、人生で一番美しい 心が震える桜でした。そんなふうに桜を見たことがなかったんです」と昨年を振り返った。最後は「そんなことを思い出して、やっぱり人生 どんなときも素晴らしいんだなと感じた今日でした」と締めくくった。
2017年04月04日乳がん闘病中のフリーアナウンサー・小林麻央が1日、自身のブログを更新。仕事再開を発表した姉・小林麻耶と、両親の言葉を明かした。麻央は「姉が、少しずつ仕事に復帰させて頂くことが決まりました」と報告し、「これまで応援して下さった皆様本当にありがとうございます」と感謝。「姉が倒れた日ぶるぶる震えながら『まおちゃん ごめん。助けられなくて まおちゃんごめん。でも もう大丈夫。私が救うから。』と叫んでいたことを思い出します」と、昨年5月に麻耶が体調を崩して倒れた日のエピソードを明かした。そして、「私にとって大切な大切な姉です。悲しませたくないのです、本当は」と姉への思いを打ち明け、「明るい姉は小さいときからいつも私を助けてくれましたが、どんな状態でも変わりなく、私の支えでした」と感謝。「だから 家族って何ができる とか 何をしてくれるではなく、ただその存在が大事なのだと思います」とつづった。また、「私が 治療に背を向けたとき母も叫びました。『死ぬ順番を守りなさい。お母さんが死んだとき、まおに口紅をぬってほしい!』と。私を産んでくれた 母の言葉です」と母親の叫びを明かし、「父には『人間誰しも最後は天命を待つのみだけれど、それまでは不屈の希望であきらめないこと』と言われています。父らしい言葉です」と父親の言葉も紹介。「ひとつひとつ 家族の思いが 心に残っています」と締めくくった。
2017年04月02日乳がん闘病中のフリーアナウンサー・小林麻央が3日、自身のブログを更新し、久しぶりに痛みで眠れなかったことを打ち明けた。麻央は「深呼吸」というエントリーで、「すぅー はぁー の深呼吸。久しぶりに、痛みで眠れず、レスキューを使い、焦りました」と告白。「放射線治療で痛みが緩和したあとだけに違う場所が痛み出すと、不安が倍増」と吐露した。そして、「経験の分だけ対処もできるけれど経験の分だけ怖さがわかるのも不安」と続け、「こうして心は作られていくのだなと感じます」と分析。「だからこそ起こってもいないことに不安にならない は私のテーマです」とつづった。
2017年03月03日乳がん闘病中のフリーアナウンサー・小林麻央が20日、自身のブログを更新し、"トキメキ"を持つ大切さをつづった。麻央は「トキメキ」というタイトルで更新し、「芦田淳先生のニットを着て、気分を高めてみた日。おー 私にも女子な心が眠っていたようです笑普段つけないイヤリングもつけてみました」と報告。そして、「病気に対する薬の話より、美容に対するサプリメントの話の方が、女性の患者さんの目が輝いて興味深々なことがよくあると、ある先生から聞きました」と明かし、「命がかかっていることより!??と驚きましたが、何であれトキメキをもてる人は強いなーと感じます。だって目を輝かせられるんだもの」とつづった。さらに、「目は時々でも良いので輝かせたいものです」と記し、「ということで、トキメキ!」と、写真加工アプリを使って少女漫画風の輝いている大きな目にアレンジした写真もアップした。
2017年02月20日乳がん闘病中のフリーアナウンサー・小林麻央が16日、自身のブログを更新し、姉の小林麻耶とともに幼稚園へ子供のお迎えに行ったことを報告した。麻央は「今日は、あたたかくて早く春を感じたいなと待ち遠しくなりました」と書き出し、「クリニックに行き、姉と幼稚園へお迎えに行き、順調な1日に感謝」とこの日の出来事を報告した上で感謝の気持ちを記した。そして、「お腹も鳴ったりするようになり笑食欲あり」と告白。「あたたかくなる季節に合わせて身体が回復する期待をふくらませます。今日の午後の陽を浴びて、不調より、良いことに目を向けるという気分になりました」とつづった。さらに、「身体は踏ん張っているので。気分は振り子のように振れて気まぐれでもありますが身体はそれでも中心で踏ん張って、えらい!」と自分の身体をほめる麻央。「明日もいい日になりますように皆様も、、、」と締めくくった。
2017年02月17日乳がん闘病中のフリーアナウンサー・小林麻央が8日、自身のブログを更新。姉の小林麻耶との2ショット写真を公開した。麻央は「帰りに」というタイトルで更新。麻耶との笑顔の2ショット写真をアップし、「病院帰りに、水分補給休憩」と報告した。そして、「姉が一緒でひとりより元気が湧きます」と続け、「姉は、私のいろいろの源。生まれたときから一番長く知ってる人間だもの」といつも支えてくれている麻耶に感謝。さらに、ジュースの写真を添えて「キノコジュースは帰ってからの、、、抗酸化作用免疫アップ!」と期待を込めた。
2017年02月08日乳がん闘病中のフリーアナウンサー・小林麻央が29日、自身のブログを更新し、退院したことを報告した。麻央は「退院!」というタイトルで更新し、「いつも、いいね!やコメント、リブログ本当にありがとうございます」と感謝。「癒しの写真や動画を撮って下さったり、同じように酵素風呂体験してみて下さったり、情報、励まし、祈り、共感、、、本当にありがとうございます」とつづった。そして、「今日、退院してまいりました!!」と報告。「今回の入院は底まで行って、考え、弱気になりました。暗くなりました」と入院生活での苦悩も打ち明け、「ブログを書くことで奮い立っていました。いつも、KOKORO.を見て下さり、本当に、ありがとうございます」と続けた。さらに、自宅に帰って子供たちからのプレゼントに囲まれている笑顔の写真もアップ。「ピンクの冠は、れいかから、絵は、かんげんからのプレゼントです」と説明している。
2017年01月29日