兵庫県神戸市の街クラブ、「ロヴェスト神戸」代表である昌子力さんにインタビューしました。昌子さんは、Jリーガーであり元日本代表である昌子源選手の父親です。親としてそして指導者としての2つの視点から、サッカー少年・少女を育てる保護者として大事なこと、心得についてお聞きしました。後編では指導者として接する保護者への心構えなどとともにコーチへの助言をまじえてお話しいただきました。(取材・文:貞永晃二写真:柳瀬心佑)Jリーガー昌子源選手の父・昌子力さんに、サッカー少年の保護者としてしていたことを伺いました(柳瀬心佑)子どもたち自身が成長を実感!サッカーが上達するサッカーノート>><<前編:「指導者ではあるけれど息子にサッカーを教えたことはない」昌子源選手の 父・力さんが実践していた子どもへのかかわり方とは■親が子どもの行動をストップさせるので子どもたちも言われるまで動かない―――他のチームのコーチからお聞きするのは、最近の親が以前とは変わってきているということですが、どう感じますか?私自身も感じますし、うちの若いコーチたちも言いますね。小さいときって、やっぱりいろいろな失敗体験って大事じゃないですか。失敗するからリカバーの方法も考えつくし、サッカーだけじゃなく生活の中でそんなことを繰り返し成長していくわけです。ですが、最近の親御さんはわが子に手や口を出し過ぎだと思います。親はわが子が失敗しないように心配して、良かれと思ってやってあげているんでしょうが......。あれはダメ、これもダメ、何々しなさいと、日常の中で子どもの行動をストップさせる言葉が当たり前の会話になっていますね。特に心配なのはあまり深く考えずになんとなく口に出してしまうことが多いように感じるところです。買い物に出た街の中でも「そんなことするんだったらもう連れてこないよ!」といった交換条件を出すパターンや体裁が気になるのか無理やりある姿に当てはめて、よい子を装うような言動が親に見られることです。勿論体裁や人に迷惑かけないことは大切ですが親の体裁ではないんですよね、本質は。躾ですよね、根本に置いておかないといけないものは。だから子どもたちが冒険をしない、何か言われるまで動かない。もう全国的に今はそんな感じだと思うんですよね。そういうのをやっぱり変えていきたいですよ。みんながワーッと何かやって失敗して......、すると「誰や、ボールを投げたんは!」と、昔ならそんなカミナリ親父が怒る姿が日常でした。どうやったら許してもらえるのか?どうしたらそもそも怒られずに済むのか?いろいろ知恵を働かせたものです。サザエさんじゃないけど、あんな世界が今はもう全くないですもんね。でも昔はそれなりにちょっと駄目もとでやってみようかなって思えたんです。子どもの頃からの積み重ねで、やってみて失敗もしたけど上手くいったという成功体験があるからとにかくやってみようかという思いも湧いてくるんでしょうけど、それすらもなくなってしまったという印象です。それは何か行動を起こすたびに誰かに何か言われるような社会になったからだと思うんですよ。加えてそれは年齢の逆転現象もあると思います。大人も若者を注意しなくなりました。だから余計に考えなくなったのだと思います。■関わりすぎるな=放っておけという意味ではない親が関わり過ぎるな、というのは子どもを放っておけ、という意味じゃありません。7、8年ぐらい前に「親は手をかけすぎないで」というテーマで、ある小学校のPTA向けの講演に伺ったとき、その時女性の校長に聞かされたのですが、画板持参で校外写生大会をすると知った親がその前日に集まってみんなで公園を掃除したというんです。なので、写生をしようと公園に行くと何も落ちていない。先生としては子どもたちに落ち葉やいろんなものをそのまま見たり感じたりしてほしいのに。保護者にどうして掃除したんですかと聞くと、「うちの子が葉っぱに足を取られ滑って転んだらどうするんですか?」と逆に平気な顔で言われたそうです(笑)。びっくりしてね。そんなふうだから、気持ちが一度折れると立ち上がれない。やっぱり失敗経験がないと打たれ弱くなってしまうだろうなと感じました。■「先生はどんな答えを求めているんですか?」と聞く生徒が増えた――何が原因でそうなるんでしょうね。先日高校の先生と話をしていたら、「先生はどんな答えを求めてるんですか」とか「どんなこと言ったらいいんですか」と、そんなことを質問してくる高校生がいると。本当ですか?と聞くと、そんな生徒が増えたというんです。相手を不愉快にさせないで、相手が求めていることにちゃんとストレートで答えてあげたい、そういう気持ちから出た行為にも見えますけど、そんなのは大人になってやればいいことで、子どものときにそんなふうに考えなくてもいいのにな、と思います。どうしても正解を欲しがるんですよね。「1+1=2」みたいな。そのような、すべてにおいて正解を求める気持ちに何か拍車がかかってるような気がしますね。よく例えられる話で、外国だったら「□+□=5」という問題があれば、□に何が入るかな?と聞いたら、1と4が入ったり、2と3が入ったりいろいろあるよねというそのプロセスがすごく大事だけど、そういうことが今なされていない。ここでもまさに質問力ですよ。質問によって会話や求めていくもの、得られるものが広がっていかないんですよね。■スポーツでさえも正解を欲しがる選手が増えたそんな状態で唯一の救いがスポーツのはずなんですが、そのスポーツでさえも「YES」を欲しがる傾向があるように感じます。コーチも選手のプレーに対して否定したり、そうじゃないだろうとすぐに答えを言ってしまう。選手に「今のは何か狙いがあったの?」というワンクッションを入れて尋ねてあげるということが本当に少ない、全然足らない感じがしますね。スポーツって唯一冒険ができて。サッカーなんて特に合法的に相手を騙すことが許されているスポーツなんですよ。100m走のように号砲より早く出発したら失格になる競技ではないんですよ。自分が先に動いたり先に何かをやれば、それが自分に有利になり、先手を打てる訳ですよ。なのにそれを許さない指導者が増えてしまうとちょっと残念ですね。ライセンス講習会でも見られますし、一般的な少年サッカー現場でも習慣になっちゃってるんでしょうけど、ゲームスタートさせるとき「いくぞ、いいか?せーの」とボールを入れるんです。「『せーの』なんて声かけはしないまま、ポンとボールを出して始めさせればええねん、ぼーっとしてる方が悪いねんから」と言うと、それじゃ不公平になりますから、と返ってくるんですそれは、子どもたちに気を遣いすぎですよ。だって試合というのはそんなものでしょう?ゲーム中にこぼれ球が出るたびに誰かが「せーの」と言ってはくれません。不公平、理不尽なことがサッカーにはいっぱいあって......。サッカーだけでないですね、スポーツみんなですよ。場合によっては試合のあらゆる環境にそんな理不尽さを思い知らされることもある訳です。でもそれらを含めてサッカーなんだから、サッカーの競技特性を日頃の練習に取り入れないといけないんですよ。■子どもの頃から周りを見たり、考える力をつけておくことは大事最近はやれボール扱いだの、戦術だの、フォーメーションだのってそんなことばっかり先立っていますが、そんなことは後回しでもいいんじゃないか。そのために指導者の「観る」という能力がすごく問われるんじゃないかなっていうのは、大学生を指導する場合もそうですが、最近小中学生を観ていてより一層思いますね。子どもの時にやるべきは、ボールを扱うこと、神経系に刺激を与えること、と言われますが、刺激を与えるというのは何もボールを触ることだけではないんです。ボールがあろうがなかろうが周りを見るとか、自分がどうあるべきかなって、その「考える」ことそのものに意味があると思うんです。ボールを触る=神経系への刺激=少年時代に必要なことだとか、ドリブル=少年に必要なことだとか言われますが、私はキック練習だって神経系刺激の一つだと思っています。やっぱり小さいときにちゃんと(足で)捉えるフィーリングを養っておかないといけません。近年、キックが上手くない子がすごく多い気がします。高校年代になると、やっぱりキックの質の差が如実に個人差、チーム差になっていると思います。ましてや日本代表レベルなんて、速さと上手さに加えて正確性が必要ですから。■なんでもルール通りきっちりやるのではなく、時に余韻を楽しむこと現在私が代表を務めるロヴェスト神戸は先代の代表者が「ドリブルのロヴェスト」と言われたいと、ずっとドリブルを主体にやっています。私もそれを否定はしませんが、ドリブルと同じくらい他の何かを付け加えないといけないと考えています。ドリブル主体のチームあるあるで、ボールが足元に来て「さあ、サッカーが始まるぞ」みたいなことが多くて......。ですから5割以上とは言いませんが多少はボール操作力と合わせてキック、そして飛んできたボールのワンタッチコントロールにも注力すべきだと思います。例えば飛んできたボールをコントロールしてからドリブルドリルを開始するとか。ファーストタッチで最初のドリブル操作へスムーズに移行させるコントロールをしないと実践的ではない訳です。指導者も先入観や、思い込みを捨てて常に「なぜだろう、どうしてこうなるんだろう」というところを持っていないと、子どもたちに刺激を与えられいないと思うんです。課題を与えられて挑戦し、成功もするし失敗もする。うまくいったら、「ナイス、いいぞ!」ともっと褒めてあげたらいいのにとある指導者に言うと、「次の順番を待っている子のことが気になって、一人ひとりの子どもたちを観れていない」と言ってました。私としては、「いや、何秒以内に次がスタートしないといかん、というルールでもあるんか?別にいいやん、その余韻を楽しんだら」って思うのですが、コーチたちも真面目なので「こういう風にしないといけない」という思い込みがあるみたいです。最近は真面目で一生懸命である一方で、挑戦することを不安がったりする慎重な行動をする子が多いとも感じますが、実は指導者側にもそういうタイプの人が出現し始めている感じが、ライセンス講習会や様々な講演や講習会を通して感じます。選手にも指導者にも、何かトライをするとか、失敗を失敗に見せないような努力、たとえば「こういう失敗はこうしたら防げるな」という研究心をくすぐる必要があるなと感じているところです。■子どもを成長させるには、チームと親で反比例しないこといつの時代もプロならプロ、大学なら大学、高校なら高校でトップの選手たちにはいろいろと磨かれていく環境はあると思いますけど、そこを目指す小・中学生の世界はやっぱり最後は指導者の力がものをいうと思います。そして、保護者はチームの教えと反比例することをしないことをお願いしたいです。例えば、自分のことは自分でやるように伝えているのに、ウェアの準備から何から何まで沢山のことを親がやってしまったり、失敗させないよう先回りして思考力や挑戦・調整する力を奪うような行動を控えて欲しいんです。ユニフォームは自分で用意し、もし忘れたら自分が試合に出られない......。自分で責任を持つのです。そしてその子は次の機会ではきちんと準備するでしょう。■サッカー少年少女の親として何より大事なのは、子どもをプロにすることではない――以前、サッカー少年少女を育てる親として大事なのは、子どもをプロにすることじゃなく経済的、精神的に自立させることだとおっしゃっていましたね。プロになりたいならなりたいでいいと思うんだけど、プロなんていう特殊な能力の仕事をしようと思ったら、余計に自立が必要だと思うんです。サッカーに限らず、どんな仕事でも結局その積み重ねがない人は、何をやってもちょっと物足りないだろうと思うんです。スポーツがとてもクローズアップされるのですが、歌手でも俳優でも会社でも、その筋のプロ(大きな仕事のできる人)と言われる人はそれ相当の努力を重ね、他の人にない技・技量を身につけ、いつ何時でもミスなくタスクを成し遂げるのですよ。歌手・俳優さんはいつも笑顔で苦しい顔も見せずに平然と(そう見えるように)歌い上げ、演技して見せ、歌劇団の演者はステージでミスしないです。ミスがあったとしてもわからないようにカバーもできるんだと思います。サッカーのプロを目指す人たちは普通の努力と経験だけでは簡単にプロになれるものではないからこそ、プロセスが大切なんだと思います。小さい時はサッカーを大好きになり、技の習得など"続ける"力を養いたいですね。歌手で言えば幼少期から歌うことが好きだったというような。そして年齢が上がる度に持っている技の強さ速さを磨いていく。辞めずに繰り返しレッスンする歌手志望・俳優志望の女の子のように。同時に社会を生きていくことを意識していく。ですからもっと子どもにいろんな体験をさせてあげないといけません。■グラウンドは子ども自身が思考して行動する場所、親は手をかけず見守ってサッカーは頭を使って考える良いスポーツだと思います。そんな良い土台・素材になるスポーツであるサッカーをやっているのに、そこに立ち向かう子どもに失敗を含むいろんな経験をさせないようにしているのは、言えば矛盾している行動です。グラウンドの中に入ればそんなに危険なことは起きないので、そんな過保護にならないでくださいと保護者の皆さんには伝えたいですね。それでなくても自分で行動しない環境(親が準備してしまう)が多い中、子ども自身が自ら何かを考えて行動を起こせる折角の時間(サッカー・スポーツ)に親は入ってこないでください、と。スポーツの場面でも常に親があれこれやってあげるなら、わざわざサッカーを習う必要がないんじゃないかと。それなら大事に家に置いておいたら?と言いたくなります。保護者のみなさんが、サッカーを通じてわが子にどうなってほしいのか、親はどうあることが子どもの自立につながるのか、いま一度考えてお子さんの成長を見守って欲しいです。急がば回れ。子どもをサッカー選手にさせたいのであれば自主自立です。子どもたち自身が成長を実感!サッカーが上達するサッカーノート>>
2024年04月11日兵庫県神戸市の街クラブ、「ロヴェスト神戸」代表である昌子力さんは、Jリーガーであり元日本代表である昌子源選手の父親です。親としてそして指導者としての2つの視点から、サッカー少年・少女を育てる保護者として大事なこと、心得についてお聞きしました。前編では親の立場から幼少期の源選手のサッカーへの関わりについてお話しいただきました。(取材・文:貞永晃二写真:柳瀬心佑)Jリーガー昌子源選手の父・昌子力さんに、サッカー少年の保護者としてしていたことを伺いました(柳瀬心佑)子どもたち自身が成長を実感!サッカーが上達するサッカーノート>>■指導者ではあるが、息子のプレーを見たことはほとんどなかった―――源選手のジュニア時代のお話からお聞かせください私は基本的には自分が指導するチームがありましたから、そもそも息子の試合を見る機会があまりありませんでした。息子がチームに入ったきっかけは、たまたまフレスカ神戸というクラブが近所の幼稚園に出張指導していたんです。そのときの子どもたちが小学校に上がるときにフレスカ神戸はチームを立ち上げて活動を始めていたのです。それが息子の2歳、3歳上の年代の上手な子たちでした。息子はその先輩やお友達に誘われて入れてもらいサッカーを始めました。そのチームは近所の公園で練習していたので仕事休みの木曜日にたまに見ることはあったのですが、土日の試合においては何回か見た程度でした。息子の送り迎えも皆無でした。それでも6年生のときに関西トレセンに選ばれ、私も協会スタッフとして会場入りするので、息子を車に乗せて行ったことがあったのですがそれが初めてだったくらいです。■質問を続けていたら、その日のプレーを事細かに覚えて帰ってくるように私は息子の試合を見ていない分、親として息子の様子を知りたいという気持ちは当然ありました。ですので帰宅してきた息子に夕食のとき質問するわけです。「今日どうやった?」「どこでやったん?何時頃までやってた?」「点入れたん?」とか......。あまり矢継ぎ早にあれこれ質問したら息子も面倒くさくなるだろうから、頃合いを観ながら適度な間を作りながら質問をしていました。すると息子が質問に答えて、という繰り返しが日常になりました。やがてあの子は父親に教えてあげようと考えたのか、その日のことをとても克明に細かく覚えて帰ってくるようになったんですね。「今日はこうやった、ああやった、こんなプレーをしたよ」みたいに。でも私は「へえすごいやん」と言うだけでした。「そんなときはこうすんねん」とか「そんなんじゃアカンねん」とかも一切言わずにね。そのうち本人が試合に出なかったときでもしっかりその日あったことを覚えて帰ってくるようになりました。プロ選手になってからのプレーを観ていると息子がなにか物を俯瞰して見ているような感覚さえ感じましたが、今から思えば子どもの時にその日の試合の様子や出来事を覚えて帰るというところから、"試合をやりながら全体を観る"という能力が養われたのかもしれませんし、小さい時の質問のやりとりが影響したのかもしれないと思っています。■サッカーについて息子に質問し、話を聞いて肯定するだけだった私は息子(源選手)に対しては質問して感嘆して同調することしかしなかったですね。話を聞いてやって肯定して、って感じでした。小学校のときは仲間に喜びを求めてみんなでワチャワチャやって楽しいですが、年齢が上がってくるにつれてサッカーの内容が難しくなったり、悩みが出てきたりします。それは私たち親子も一緒で、常にプラスのやり取りばかりが続くわけではなかったです。息子は夢がかなってプロ選手になりましたが、何事でもチャンスのタイミングや場所を何となく掴める子と、ちょっとそれをポロポロ逃してしまう子がやっぱりいると思うんですよね。そういう能力を育てるレシピがあれば良いのですがそのようなものはない訳ですから、それに近いものという意味では自分で見極める力や大人に相談できる力をつける事が大事だと思います。そのためにも子どもの話を引き出す大人の質問力が大切だと思っています。■家では自主練も遊びでのサッカーもほとんどしてなかった息子は小学生時代に、自分でボールを持って近所の公園でリフティングするとか、友達とボールを蹴るとかもほとんどしてないと思います。本当に家ではサッカーをしなかったんですよ。自宅が六甲山の麓だったので、いつも麓の川へ行って、天然の滑り台みたいな岩で遊んだり、近所の家のテラスで遊んだりとかしていました。源がサッカーをしているのをほとんど見たことがないのです。小学1~2年生頃はお友達を誘って極たまにミニゲームをやったことはありますが......。サッカー以外の遊びで運動能力が養われたというのもあると思います。その後選抜に選ばれて、関西トレセンにも選ばれてと経験値やステージが上がっていく訳ですよ。協会スタッフとしてたまに試合を観たりしましたが、幼少期から勘は良かったと思います。自らボールを持ち仕掛けていくか、ボール周辺の密集近くにいるかでした。ボールの周辺にいるがためにこぼれ球を拾っては点を取るし、味方が危ない時も自分が守るし、チャンスもピンチも俺が決めるみたいなタイプでしたね。それに加えてちょっと足が速かったりしたので、そんなところを評価されたのだと思います。■「お子さんには教え込まれたでしょう?」への返答時折、私がサッカー指導者をしているものですから「お子さんにはさぞかし教えて仕込まれたでしょう?」などと言われますが、「実は全く教えていないんですよ」と言うと、次に返ってくるのは「元々の素材が違いますからね」という言葉です。多少は持って生まれたものはあると思います。妻が結構運動能力高くて、ソフトボールでは日本リーグの選手でしたし、サッカーでも当時のLリーグの神戸FCレディースというチームに所属し西が丘競技場など幾多のサッカー場でもプレーしてるんです。2つの球技でトップリーグプレーヤーだったことや、さらにバスケットボールやバレーボールをやっても確かに上手いんです。そういう母親の持つ身体能力が、受け継がれているとは思っています。私の能力はほとんど受け継いでいないですが(笑)。■「サッカー辞めたい」と言われたとき、心底「辞めていいよ」と思った理由息子は中学からガンバ大阪ジュニアユースに入団したのですがそこでは宇佐美貴史らと同学年でした。当時めちゃくちゃ強い年代で周囲の期待も大きく、スタッフもかなり気合が入っていました。しかしながら体が小さかった息子は当時のコーチにかなり理不尽な扱いを受けたり、チームメンバーのいじめにもあって、中3へ上がる前にサッカーを辞めたんですよ。そのときは息子も親に気を使ったのか、ユニフォームを泥で汚して練習した振りをして帰宅したりしていました。母親が練習着の異変に気付き問うてみると、「もうサッカーはしたくない」と言いましたね。私はそれに対して「全然かまわないよ。無理してやることないし、辞めてもいいよ」と。父親の仕事がコーチだから、辞めるのは......と考えていたみたいでしたが、本当に心底もう辞めてもいいよと思いましたね。というのは、私も仕事柄プロを目指していた子がドロップアウトしてしまうのを過去たくさん見てきましたから、我が子もあんなふうになるぐらいだったら、もっと気楽に生きたらええんちゃうか、なんていう気持ちがありました。それでサッカーを一旦辞めたのですが、そんなときに私がインストラクターを務めていたB級ライセンスの受講生に米子北高の中村真吾コーチ(当時、現監督)がいて、城市徳之監督(当時)が大阪体育大学の後輩という縁もあって、米子北高の練習会に参加させてもらったんです。本人も久しぶりにボールを蹴ったこともあり、帰ってきた息子の表情は久しぶりに見る晴れやかな顔でした。数日後、本人が「俺、米子北に行くわ!」と言うてきたのでに行かせることにしました。米子北はかなり校則、躾が厳しい学校であったことや、寮生活を通して自主自立を育てられたと思います。また、ある程度ボールを扱える子がいても、攻守の切り替えの早さや連続したプレーを求めるチームスタイルで、加えてそれを徹底させていく強さのあるサッカー部でしたから、体力も根性もついて、あの子にとっては足らないものを補ってもらえてよかったみたいです。■子どものサッカーに対して何も言わなかったことが何よりの指導だったそこで何か物事が私の中でもスーッと1本に繋がった感じがしましたね。小さいときはやっぱりスキルをキチンと身につけて、15歳から17歳ぐらいで持っている技をより早く強く連続して発揮できるように持っていくのが絶対に必要だなと思いました。結局、源にはちょっとした身体能力があったかもしれないけど、あの子の実践するサッカーに対して何も言わなかったことが、何よりの指導だったんやと思っていますよ。あの子が自分で失敗をして自分でケツを拭かなあかんような環境に入ってこそ、これをやったらあかんのやな、ここまではええねんな、とかが理解できたようでした。■いつも何かに頼る環境にいると成長できないその後、鹿島アントラーズに加入してからのあの子を観て一番驚いたのは、喋れる選手になったことですね。実は中3のときに彼の持つ正義感に驚くことがありました。それを元々持っていたのか、そのときに芽生えたのかは分からないですけど、そういうことと相まって、色々な経験したからこそ自信を持って物を言えるんだろうなと。頼りないと思っていた子だったのに、インタビューでもちゃんと答えたり、自分の思いを言葉にしたりできるようになっていました。親が知らないだけで、子どもってまがりなりにも30年生きてきて色々な経験をして色々な人に出会って、ときには怒られときには褒められ、成長する度に自分の中で基準ができて行くわけですね。結局、たまたまうちの子はそういうふうになったけど、いつも何かに頼るような環境にいたら、そうはならなかったんじゃないかと思うんです。親離れ、子離れなんていう言葉で言うと簡単だけど、今は子離れできない親が多いんでしょう。最近は、子どもだけで過ごす時間があまりない感じがしますが、それはそれで親離れを遅らせる一つの要因になっているのかもしれません。■親が色々助けるのは学ぶ機会を失わせ、自立を遅らせる――何かその辺りで源選手と今どきの子というのは育ち方自体が違うかなと思います。家内も割と「子どもは子どもだ」と言っていました。子育てでは両親の仲がいいとか、子どもより父親(配偶者)を優先させることが一番重要だと。どういう意味かというと、例えば子どもの事は放っておいて夫婦でどこかへ遊びに行く。「あんたはサッカーでしょ、私たちは遊びに行くから。何時までには帰るからあんたもそれまでに帰っておいで」ぐらいでいいんですよと。我が家は割とそんな感じで子離れができていたんじゃないですかね。子どもの試合にも用事があればわざわざそれをキャンセルしてまで観に行くということはほとんどなかったですからね。親がいろいろ助けてやると、自立がやっぱり遅れる。本来経験すべきこと、失敗とか、ときには危ない目に会うとかを学ぶ機会を失わせているなと思います。それに加えてサッカー指導者も情報を与え過ぎ、準備のし過ぎだと感じます。丁寧すぎるんだと思いますね。後編では、ご自身の経験や指導者をしてきた中で実感している「保護者の心構え」についてお伝えします。子どもたち自身が成長を実感!サッカーが上達するサッカーノート>>
2024年03月14日この秋、島根県雲南市の大東ふれあい運動場陸上競技場にて「昌子源カップ」という少年サッカー大会が開催されました。この大会は、島根県雲南市で活動する大東ジュニアフットボールクラブ(以下、大東JFC)が主催している大会で、クラブの代表を務める横山武志さんとガンバ大阪(※開催当時)の昌子源選手の父親で、長年サッカー指導にかかわってきた昌子力さんが島根県出身で旧知の仲ということもあり、地域の子どもたちのためになる大会にしたいと4年前から「昌子源」選手の名を冠して開催しています。子どもたちが主体の大会でどんな光景が見られたかをお届けします。子どもの主体性を育てたいと思っているチームや保護者の皆さんは参考にしてみてください。昌子源カップ出場チーム全員で記念撮影(写真提供:大東JFC)サカイク公式LINEアカウントで子どもを伸ばす親の心得をお届け!■ベンチに監督、コーチが入らない大会には大東JFCのほか島根県内や近隣の鳥取県、広島県などから全8チームが参加。4チームずつのリーグ戦ののち、上位決定戦が行われるレギュレーションで行われました。大東JFCの横山代表は、以前よりサカイクの理念に共感してくれており、チームでの指導においても子どもたちの人間性を高めることを重視しています。今年6月にはサカイクのイベント「池上カップ」も開催するなど、子どもを成長させることのみならず、保護者、指導者も学ぶ機会も作っています。4回目となる今年の昌子源カップでは、池上カップのフォーマットを踏襲し、指導者が選手と同じベンチに入らず、対戦相手の指導者とともに本部ベンチで声を出さず見守る方法を採用。この大会では指導者たちは選手と離れ、本部ベンチで昌子力さんと一緒に試合を見ていた(写真提供:大東JFC)そのようなやり方は初めてという指導者も多かったですが、「あの選手上手ですね」「普段どんな指導しているんですか」など指導者同士で交流をしていました本部ベンチで監督たちと言葉を交わしながら試合を見ていた昌子力さんも、「こういう形式の試合は初めて体験したけど、大人がいなければいないで子どもたちも何とかするものだし、良いね」と評価していました。指導者の中には、「子どもたちとの距離感が分かった」と口にした方もいたそうで、離れてみることでの気づきもあったようです。サッカー少年の親が知っておくべき「サカイク10か条」とは■時間管理や作戦決めも自分たちで行うベンチからはポジティブな応援の声がたくさん聞かれた(写真提供:大東JFC)選手たちの方も、ベンチに大人がいないことで、普段とは勝手が違います。いつもは監督やコーチがメンバーを決めて送り出していたチームも、この大会では自分たちでしなければならないのです。いくつかの学年が混在しているチームもありましたが、多くの場合は上級生が主体的に声をかけ、自分たちでメンバーや戦い方を決めたり、試合の残り時間なども管理するなど話し合いをしながら試合に臨んでいました。監督やコーチは反対側のベンチで声を出さず見守っているだけなので、ピッチの中のチームメイトへの声掛けも選手たちが積極的に行います。外から見たプレーのアドバイスだけでなく、「いいよ、いいよ!」「ここから1点取り返そう」「まだまだいけるよ」など、ポジティブな声掛けが響き渡っていました。試合の後は、両チームが対面してお互いのチームの良かったことを伝えあう時間も設けられました。そこでもやはり、「〇〇の時のプレーが良かったと思います」「応援が積極的でよかったです」など、相手チームの良さを積極的に発言する姿が見られました。大会終了後は表彰式が行われ、順位の表彰のほかにポジティブな応援したチームを選出したサカイク賞が贈られました。チーム表彰だけでなく個人の優秀選手も選出。昌子力さんが選出した各チームの優秀選手が発表では、副賞としてガンバ大阪(※開催当時)の昌子源選手のグッズが贈られ、子どもたちは憧れの選手のサイン入りグッズに目を輝かせていました。■大人が離れることで、子どもは自分で動くきっかけをつかむ練習でも試合でも、大人が先導して行動を促すことが多いと思いますが、それではいつまでたっても自分たちで考えて動く力が身につかないものです。困っているときやアドバイスを求められたらサポートするのは当然として、少しづつでも子どもたち自身で話し合って動く機会を作ることで、思考し行動する経験を積み重ねることができるもの。大人がかかわりすぎないことで、子どもたちは自分で動き出す。参加チームの皆さんもそれを感じた1日になったようでした。みなさんのチームでも参考にしてみてください。サッカー少年の親が知っておくべき「サカイク10か条」とは
2022年12月26日3月28日の会見で、今年いっぱいでの芸能界引退を発表した森昌子(60)。4月4日に埼玉県・深谷市民文化会館で行われた還暦コンサートに密着した。爆笑コントあり、魂の熱唱ありの濃密な2時間。あらためて引退への思いを聞いた――。「自分の本音が言えたのですっきりしました。引退は決めたけれど、それを黙っていたことでずっと悶々としていましたから。引退会見を境に、目の前がぱあっと晴れやかになりました(笑)」この日、コンサート終盤で引退について話し始めると、客席から「やめないで!」の声が。「私なりに考え抜いた結論です。どうか私のわがままを許してください」。森がそう言うと、会場から大きな拍手が沸き起こった。「引退を決めたわけですから、1ステージを真剣に、1曲1曲に魂を入れて歌っています。それを12月まで続ける。それが私ができる、ファンの皆さまへのせめてもの恩返しだと思っているので」昨年10月から始まった「還暦コンサート」は12月まであと76カ所(4月12日現在)。全国津々浦々を回り、1日2公演を毎週3~4回行っている。合間にはテレビ出演などもあり、まさに多忙な日々の真っただ中だ。「ファンも高齢化していて『昌子ちゃんが近くまで来てくれたから、今日は見に来られたよ』と言われるとうれしい。大都市以外も周りたいとスタッフに話したらこんな数になっちゃった(笑)。だから忙しさでいったら、デビュー当時と同じかな」花の中三トリオのころと同じ慌ただしさという芸能生活ラストイヤー。「最後まで頑張りたいです」。そう語る笑顔は、決意表明のように見えた。13でデビューし27歳で結婚のため引退。20年のブランクを経て復帰。そこから13年の月日を重ね、先の引退会見。あらためてリタイア後の夢を聞いた。「まだわからないですねぇ。ただ、会見でも言いましたけど、絵を見るのが好きなので、美術館巡りをしてみたいです。いつも仕事で飛行機や新幹線に乗せられて、あっち行ったりこっち行ったりを繰り返しているので、ゆっくりと鈍行に乗って、各駅停車で降りて、いろんな景色や絵を見たり。そういうふうに過ごすのもいいのかなと思います」よく考えた末の引退発表だ。「1人の歌手がいなくなるだけで、こんなにみなさんに声を掛けていただけて、恵まれた歌手人生だったと本当に思いますね」
2019年04月22日今年いっぱいで芸能界から引退すると発表した歌手の森昌子(60)が28日、都内で引退会見を行い、「年内を持ちまして引退させていただくことになりました」とあらためて報告。引退を決意した理由やファンへの思いを語った。森は、1986年に歌手・森進一との結婚のため引退し、2006年に復帰。2度目の引退となり、「本来このような会見は非常に恥ずかしいのですが、3度目はございませんので、どうぞよろしくお願いします」と冒頭であいさつした。引退の理由は「昨年10月に還暦を迎えて60歳になるんだと、これからの自分の残された人生はあとどれくらいあるのかなと、真剣に考えるようになりました。私は幼少期から今まで自分の時間を使った時が少なくて、思い出もそんなに多くありません。芸能活動以外に時間をかけてこれからの自分の人生を大いに楽しんでいけるよう、大変勝手でわがままとはわかっているんですが、このように決断をしました」と告白。発表のタイミングについては「記者の方から『これからの目標は?』『50周年は?』と聞かれるたびに口ごもってしまって、本当の気持ちを伝えられない、とても申し訳ない気持ちになってしまい、このままでは無理だなと判断しました」と説明した。引退に関して悩んだか聞かれると、「なかったですね。60歳になったら何か新しいことが待っているんじゃないかなと、ふと考えてしまったんです」と返答。仕事への不満も「何もない」と言い、「逆に最近はいろんなところで番組にも出させてもらったり、コンサートにもたくさんの方に来ていただいて、『楽しかったよ』、『面白かったよ』って言っていただけているので、まったく仕事での不満はないです」と話した。そんな中での引退にファンへの心苦しさがあるのではと聞かれると、「昨日も座っていた方が『辞めないで』というのを持っていて、ごめんなさい、私のわがままで申し訳ないです」と謝り、「でも何か自分でやりきった感というか、歌い手として、本当に自分のやりたいことをやれてこられたことにはとても感謝しています」と自身の思いを述べた。歌手人生で大切にしてきたことを聞かれた場面でも「ファンのみなさまですね。一度辞めて20年間の時を経て戻ってきたのに温かく笑顔で迎えてくださったみなさまには、本当に心から感謝の気持ちでいっぱいです」とファンへの感謝の気持ちを表現。前回の引退時と比較して「今回の方が非常に申し訳ない気持ちでいっぱいです。一度目の引退のときは、ご報告という形での引退でしたので」とより申し訳ない気持ちだと打ち明けるも、「第2、第3の青春を取り戻していきたいと思っています」と前を向いた。年内最後の活動は、「12月中旬」を予定しているとのこと。NHK紅白歌合戦への出演の可能性を聞かれると「全くないです。私はテレビをゆっくりと拝見させていただきたいと思います」と否定し、「もしオファーがあったら?」と言われても、「ないと思います」と答えた。引退後については「正直まだ何も考えられなくて、残された日々をとにかく充実させるように、ファンのみなさまに私の気持ちが届けられるようにということしか考えられないですね。でも、映画とか美術鑑賞もそうですが、お料理も興味があるので、もうちょっと上手に作れるようになったらと思います」と話し、また、1日限りの復活の可能性を聞かれると「ないです」ときっぱり否定した。そして、ファンに向けて「本当に長い間応援をしていただき、ありがとうございました。森昌子は、みなさまのおかげでとても恵まれた歌手生活でした。これから残された時間、みなさまへの感謝を胸に抱き、精一杯皆様の心に残るいい歌をお届けすべく、全身全霊で歌ってまいります。どうか最後のその日がくるまでお付き合いいただきますようよろしくお願い致します」とメッセージを送った。
2019年03月28日森昌子(60)が年内いっぱいで芸能界を引退すると、一部スポーツ紙が報じた。記事によると森は46年間世話になっていた恩人が昨年夏にがんで死去したことから人生について考え直すように。自身も09年に子宮頸がんを克服するなど、闘病生活を経験。心身ともに休養する必要性を感じていたという。05年に森進一(71)と離婚後、シングルマザーとして3人の息子を育てるために芸能界復帰。長男は人気ロックバンドONE OK ROCKのボーカル・Taka(30)。息子たちが独り立ちしたこともあり、自分自身のための時間を持ちたいとも考えるようになったという。「昨年10月から今年12月まで全国100カ所以上を回る還暦ツアーを開催中。小学2年生のキャラ・まーちゃんも演じるなど、お客さんを喜ばせる演出が話題となっています。そうしたツアーでの完全燃焼の背景には、これまで支えてくれたファンへの恩返しの思いもあったのでしょう」(音楽業界関係者)森といえば、72年に「せんせい」でデビューし、73年には「中学三年生」がヒット。同じ中学3年生だった桜田淳子(60)や80年に引退した山口百恵さん(60)とともに「花の中三トリオ」として人気を博し、昭和の音楽史に名を残した。「おおみそかで引退となることから、06年まで15回出場したNHK紅白で引退の花道が用意される可能性もあるでしょう。出場すれば目玉歌手となるのは確実。元夫や、いまだに紅白に出場していない長男との豪華共演に期待の声が上がっています」(芸能記者)新元号で最初の紅白だけに、大いなる盛り上がりに期待したい。
2019年03月25日久本雅美が生誕60年を記念した舞台『マチャミの婚前披露宴還暦すぎてもヨロちくび~!』を全国5都市で上演する。大阪市内で開かれた会見で久本は「60歳なんてあっという間。想像よりは元気やな」と、7月に還暦を迎える心境を吐露。「『60歳でもこんなことやるんかい』と楽しんでいただけるよう、今回も暴れます!」と気合い十分に語った。「マチャミの婚前披露宴 還暦すぎてもヨロちくび~!」チケット情報そもそも過去に3人の占い師から、60代で「結婚」「ラブ運上昇」「モテ期到来!」と3連チャンで太鼓判を押されたことが、今回の企画への後押しになったと明かす。「いくら胡散臭くても別々の場所で3人の占い師から『60歳から恋愛運が良い』って言われたら、当たるでしょ」。期待に胸膨らませながらも今作は「予行演習」であることを宣言。当日は新郎不在の壮大な“妄想披露宴”をド派手に執り行う。会場ごとに松尾貴史、青木隆治、柴田理恵ら多彩な顔ぶれが司会、主賓、友人として出席。観客も列席者という設定だ。「松崎しげるさんに『愛のメモリー』を歌っていただき、劇団の梅垣義明はナジャ・グランディーバさんというドラァグクイーンとタッグを組んで見せてくれます。他にも豪華メンバーによるあらゆる祝辞、あらゆるパフォーマンスをご覧いただくのがコンセプト。私自身も思いを込めてパフォーマンスさせていただきます」。公演チラシは、海辺をバックに純白のウエディングドレス姿の久本が微笑むデザイン。これまで「唯一縁がなかった雑誌」という結婚情報誌の表紙をイメージした。「憧れの『ゼクシィ』風です。メイク中は金髪のカール姿が『あれ、戸川昌子さんかな?私シャンソン歌手になってない!?』と心配でしたが、キレイに仕上げていただき満足しております(笑)」。実は50歳の時も、大阪では同様の記念舞台を上演している。「その時は、お客さんにも『60歳でほんまに結婚して赤いウエディングドレス姿で報告するから、みんなも披露宴に来てや~』と宣言してたのに、まさかのパート2。再び皆さんに祝っていただき、これからの人生の糧にしたい」と久本。それゆえ、観客巻き込み型のステージを楽しんでほしいとも。「50歳のときに母親が亡くなって、その時は何年か後に歌手のBOROさんに舞台で『大阪で生まれた女』を歌っていただき、天国の母に捧げたんですけど…。披露宴ですから、両親への感謝の気持ちも込めて、今回も何かできればいいなと。笑かしながらもグッと来て、ハッピーオーラ全開です!まずは地元大阪から一生に一度の披露宴を3公演もかましていくので、独身、カップル、ご家族連れの方まで元気になっていただければ。観に来た友人、親族も泣きながら楽しんでくれると思います(笑)」。公演は、9月22日(土)・23日(日)大阪・森ノ宮ピロティホール、9月29日(土)東京国際フォーラムホールC、11月3日(土・祝)・4日(日)京都劇場にて上演。地方公演あり。チケットは全国一斉6月30日(土)10:00より発売。一般発売に先駆け、6月29日(金)18:00まで大阪・京都公演の先行先着プリセール実施中。取材・文:石橋法子
2018年06月29日歌手の森昌子が、16日にスタートするテレビ朝日系新バラエティ番組『帰れマンデー・見っけ隊!!』(毎週月曜19:00~ ※初回3時間SP)の初回放送に出演し、お笑いコンビ・サンドウィッチマンと今話題の父娘芸人・完熟フレッシュと神奈川・丹沢湖を旅する。「秘境路線バスに乗って飲食店を見つける旅」と題した今回の旅は、サイコロを振って出た目の数だけバス停を進み、そこで歩いて飲食店を見つけるまで次のバスに乗ることはできないというルール。そんな中、森は完熟フレッシュの娘・レイラと意気投合する。レイラと同じ年の頃に芸能界デビューをしたという森は、当時を思い出しながら「なんでお父さんとデビューしようと思ったの?」「ずっとお父さんとやっていこうと思ってるの?」と質問攻めに。さらには「お父さんとじゃなくて、私とコンビ組まない?」と誘う場面もあった。これに対して父の池田57CRAZYは「奥さんだけでなく、子どもにも逃げられたら僕はどうしたら…」と、ぼう然とする。レイラは森について「とても優しくて面白い方でした。もちろんお名前は知っていましたが、キャラとかまではわからなかったし、バラエティのイメージもあまりなかったけど、めちゃくちゃボケるんです。途中からは、手をつないでもらって、うれしかったな」と楽しんだ様子。しかし父については「今日のパパはあんまり言葉を発していなかったので、積極性が足りなかったかな」と手厳しかった。
2018年04月11日歌手の森昌子(58)が18日放送の「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」(TBS系・金曜21時~)に出演し、自身の怖すぎる教育論を語った。 森の長男は、人気ロックバンド「ONEOKROCK」のボーカルTaka(29)。ワンオクファンの注目も集まるなか、森は「自分の一生をかけた仕事は子育て」と告白。「痛みを覚えさせるためにわざと怪我をさせる」「目上の人を敬う子にするため兄弟間でも敬語を使わせる」「18歳になったら問答無用で一人暮らしをさせる」など独自の教育法を披露した。 この“鬼母”っぷりに、元夫・森進一(69)にも「ちょっとやりすぎなんじゃないの」と言われたこともあったという。特にスタジオを驚かせたのが、反抗期だったTakaに対して「包丁を出して応戦し『お前を殺して、母さんも死ぬ』と言った」というエピソード。「今最近映画でも見ないよ!」と、司会の中居正広(45)も思わず突っ込んでいた。 そんな森だが、実は『女性自身』17年2月21日号でもこの“包丁エピソード”を明かした上で独自の教育を行う理由について語っていた。 《子育てにはいろいろな考え、やり方があると思いますけど、私は、それくらいの覚悟がないと本当の意味での子育てはできないし、『子を思う親の気持ち』は伝わらないのではないかと思います。息子たちは3人3様の人生を歩んでいて、顔を合わせるのはお正月ぐらい。あとは携帯やメールでの交流ですけれど、いくつになっても私の子どもですから。いまでも息子たちに何か起きた場合は、親である私の責任だと思っていますし、『母親』というのはそれくらい強い覚悟で子どもに接していかないといけないと思うんです》 一見やりすぎではと思われる鬼母教育。しかしその裏には、しっかりと子を想う母の愛情があった。
2017年08月19日『音楽喜劇「のど自慢」~上を向いて歩こう~』の公開ゲネプロが29日に東京・東京国際フォーラム ホールCで行われ、森昌子、河合郁人(A.B.C-Z)、監修・演出の井筒和幸が取材に応じた。同作は1999年に公開された映画『のど自慢』をベースに音楽喜劇として舞台化。売れない演歌歌手・赤城麗子(森)とそのマネージャー・須谷保(河合)が人気歌番組「のど自慢」に出るために奮闘する。32年ぶりの舞台に、「緊張が拭えない」という森が「みなさんが親切に介護してくださるから……」と恐縮すると、河合は「エスコートです、エスコート!」と慌てて訂正した。森の役名の”レイコ”が「母親と同じ名前」だという河合は、「『麗子さん』っていうたびに母親の顔が出てきたんですけど、だんだんうちのレイコ(母)を超えましたね」と頷く。さらに河合が「(森が)甘えてくるシーン、本当に申し訳ないんですけど、ものすごくかわいいんですよ」と心境を吐露すると、森は驚いた様子で「ちょっと待ってください! ドキドキしちゃった!」と少女のように恥じらい、井筒も「かわいいんだよなあ」と納得。河合は「あの瞬間すっごいかわいくて、キュンキュンしてて。キュンポイントです」と明かした。一方森も、河合について「頼りになるマネージャーなんですよ」と絶賛。「暗転して真っ暗になると、さっと肩を抱いてすっと連れて行ってくれて、どきっとしちゃいますね」と照れたように語ると、河合はすかさず「ここ、使ってください!」と訴える。森と相思相愛の様子に、河合も「こっちの麗子さんとうちのレイコさん(母)が同時に頼ってきたら、こっちの麗子さんをとります」と宣言した。また、舞台で「越冬つばめ」を披露する森に、河合は「歌ってすごいなと思いました」としみじみ。河合が「稽古場でも毎回本気で歌っていただくんですけど、歌を聞いただけで涙が出る、体にしみる。自分たちの曲で一切ないんですよ」と自虐すると、周囲から一斉につっこまれていた。東京公演は東京国際フォーラム ホールCにて6月29日~7月4日、神戸公演は新神戸オリエンタル劇場にて7月22日~24日、名古屋公演は中日劇場にて8月12日~18日。
2017年06月29日『音楽喜劇「のど自慢」~上を向いて歩こう~』の制作発表が19日に都内で行われ、森昌子、河合郁人(A.B.C-Z)、湖月わたる、上原多香子、寺西拓人(ジャニーズJr.)、小川菜摘、前田吟、監修・演出の井筒和幸、司会の生島ヒロシが登場した。同作は1999年に公開された映画『のど自慢』をベースに音楽喜劇として舞台化。売れない演歌歌手・赤城麗子とそのマネージャー・須谷保(河合)が人気歌番組「のど自慢」に出るために奮闘する。32年ぶりの舞台という森は「平静を装ってるけど、緊張している」と明かし、「皆さんに助けていただきながら、楽しい舞台にしていただけたらなと思っています」と語った。グループを離れ単独での舞台出演は初という河合は「歌も、もしかしたら歌うのかなという感じなんですけど、うまいんだけど歌手としてはそこまでうまくないみたいな役だったので」と説明し、「僕もグループの中で、歌はうまいんだけど、そこまでインパクトがあるわけではない」と笑わせた。また初の会見となった寺西について、生島は「記者会見前にストレッチをしていた」と明かす。寺西は「森昌子さんの舞台に出るんだよと言ったら、おばあちゃんがとても喜んでくれて。一生懸命頑張らなければ」「僕も大学を卒業したばかりで歳も近いので、自分に近いものを演じられたらいいなと思います」と意気込んだ。寺西の母親役の小川は「いや、こんな綺麗な顔の息子がいたらね。うちは夫(浜田雅功)のDNAが強いから」と嘆いていた。出演者陣がのど自慢に出るなら? という質問には、河合が「僕ジャニーズが大好きなので。あ、僕ジャニーズなんですよ」と、SMAPの「夜空ノムコウ」を選曲。マイクのハウリングに邪魔され「キーンってなっちゃった!」と恥ずかしがりながらも「Bメロをアレンジしすぎた木村拓哉さんの歌い方」を披露した。また、寺西は「小学校の時にバンドを組んでいて、その時はスピッツさんをやっていた」と、「チェリー」をピックアップ。河合から「歌ってごらん、すっげー恥ずかしいから」と促され、「愛してるのひ……」まで歌ったところで耐えきれずに「すいません」と謝っていた。さらに湖月が振り付きで松田聖子「夏の扉」を歌うなど、カラオケのようにヒートアップ。最後には森昌子が「デビュー当時のひばりさんの『悲しき口笛』」とモノマネを披露し、盛り上がりを見せた。会見終了後の囲み取材では、森がポスター撮影時のエピソードを披露。「(河合と)ツーショットの時『僕がお守りします』って。もうなんて素敵な言葉を言ってくれたんだろうと思って。息子と同じような年頃なのにドキドキしちゃって、すごい頼らせてもらおうと」と河合を見つめた。河合が「マネージャー役なので、タレントを守る」と言うと、森は「それだけ!?」と驚いたが、河合は改めて「ちゃんと森さんを守ろうと思って言いました」ときっぱり。森は「久々の男性からの告白だった」と喜んでいた。東京公演は東京国際フォーラム ホールCにて6月29日~7月4日、神戸公演は新神戸オリエンタル劇場にて7月22日~24日、名古屋公演は中日劇場にて8月12日~18日。
2017年05月19日お笑い芸人・明石家さんまがMCを務める関西テレビ・フジテレビ系トーク番組『さんまのまんま』は、レギュラー放送最後のゲストに、さんまと旧知の仲である歌手・森昌子を迎える。関西テレビは24日(13:56~14:25)、フジテレビは25日(13:00~13:30)に放送される。昔からの知り合いとあって、さんまが「うるさいオバちゃんですね」と言うと、森が「オジちゃんにオバちゃんって言われたくない(笑)」と切り返す。さんまは今でも森のデビュー曲「せんせい」を口ずさんでしまうといい、「今でも僕らが歌えるってすごいですよ。森さんの曲は全部歌えます」と絶賛するが、森が「中学三年生」をリクエストすると、さんまの記憶があいまいなことが判明する。現在は独身の森は「さんまさんのような友達がいたら楽しいだろうな」「家に遊びに来てほしい」と誘うものの、さんまが手料理をおねだりすると、「料理は、さんまさんが作ってください!」と拒否。さんまは「家に行ったら友達だけじゃ終わりませんよ」と、森の自宅での出来事を妄想し始め、呆れられてしまう。また、長男でロックバンド・ONE OK ROCKのボーカルTAKAの話題にもなり、森は「なるべく芸能に行かないようにしていたのに、中学の終わりくらいに急に『歌いたい!』と言い出して…」と、当初は芸能界入りに反対していたことを告白。しかし、その後は「親だから言いにくいんですけど、歌も英語も上手いんです」と、自慢をし始める。この放送で、31年半続いてきたレギュラーが終了。以降は年数回ペースのスペシャル番組として放送されることになっており、10月7日(21:00~22:52)の特番では、ゲストに古舘伊知郎、吉田沙保里、土性沙羅、栄和人らを迎える。
2016年09月17日歌手の森昌子が、あす30日(19:00~21:48)に放送されるテレビ朝日系特番『甦る歌謡曲! 昭和スターお宝映像発掘SP』で、子役時代の美空ひばりのモノマネを披露する。この番組は、和を彩った懐かしの名曲を貴重映像で振り返るほか、昭和歌謡に詳しいプレゼンターたちが知られざるエピソードを語り尽くしていくという人気シリーズで、司会は高橋英樹・真麻親子が担当。この中で、かつて歌手がモノマネを競い合っていた同局系の番組『象印スターものまね大合戦』(1967~77年)の映像を紹介し、当時アイドルながら"モノマネ女王"として活躍していた森が、エピソードを披露する。そして、デビュー当時から美空にかわいがってもらっていたという森が、今は自身のコンサートでしか披露していないという、美空の"再現モノマネ"をテレビで初公開。初期の名曲「悲しき口笛」(1949年)をタキシード姿、「東京キッド」(1950年)をベレー帽姿で熱唱し、プレゼンターの徳光和夫は「全然昌子ちゃんの声じゃないよ! ひばりさんの声だ!」と絶賛する。
2016年06月29日