誰にも言えない、けれど誰かに言いたい、そんな内緒の悩みやモヤモヤ、しょうもないグチからやりきれないつらさまで、穴を掘ってこっそり叫んでみたい気持ちを発散する、「感情の吹きだまり」……。そんな場所がこのコーナーです。あなたのやるせない気持ちを、安心してブチまけてみませんか?雨宮まみが聞き手をつとめます。長文の投稿歓迎いたします。(ぽぽ/20代後半/女性)こんにちは。いつも楽しみに読んでいます。私の愚痴は兄のことです。私、母、兄(父は他界)の家族で私は結婚し家を出ていますが、実家の近くに住んでいるので交流は多いほうです。兄は先天的な精神的障害があり、衣食住に関してのことはひとりでだいたいできますが、社会性に問題があるので完全にひとりで自活するのはほぼ無理です。公的な補助もなくはないのですが、いつまであるのか望み薄という中途半端な状態です。兄自身の感情の起伏もやや激しく、怒ったり悲しんだりしたときは誰かがなだめないといけません。父と母は離婚こそしませんでしたがあまり仲は良くなく、父は最後まで兄を受け入れることができなかったので(「何故普通にできないんだ?」と、病気だと言っても理解できないようでした)、私は、フルタイムで働きながら頑張っている母を支えなければと、母の愚痴を聞いたり、兄の世話を焼いたりしてきました。けれど、一度家を出て兄と離れ、自由にできる生活を知ってしまってからは、とたんに兄のことが煩わしくなるようになりました。そしてそれを相談してくる母親も重く感じるようになってきました。最近同居でも、という話が出て、余計にそれが強くなっています。そもそも、物心ついたときからずっと、最終的に兄の面倒は私が見るのかと思ってきたところがあります。家計も決して楽ではない中、父親は最初から最後まで「俺があいつを殺して俺も死ぬ」としか言わず、母は「きっとどうにかなる」と曖昧なことばかり言い、苦労もわかりますが私にはそれが死ぬほど不安で苦痛でした。その不安と苦痛が、うっすらとずっと続いていました。そのせいか、「自分以外の人はみんなうまくいっていて幸せなんだ」と思ってしまい、「私はそれに比べて……」と落ち込むことばかりです。みんな幸せなんでしょう、と決めつけるのは見下すのと同じくらい失礼なことだとわかっていても直りません。そして友人にこんな悩みを言ったところで「大変だと思う」「それに比べて私の悩みなんてね」みたいな言い方をされ、その子たちのことは大好きで悪気もないとわかってはいても、自分のほうがマシだと思われている、と感じてしまい苦しいです。「私にはわからない」と言われることもあります。誰かに聞いてほしいと思ってもそう言われるのかと思うと口に出せなくなり、口に出しても余計に孤独で死にそうになります。友人たちが順調に自分の家庭を築いているのを見ていると、不幸になればいいのにと思うこともあります。家族で助け合わないと、など言われると何も知らない癖に何を言うんだとはらわたが煮えくりかえりそうになります。誰にもわかってもらえないのが苦しいです。けれどそうしてアレルギーのように人を嫌う自分も嫌です。自分の性格がいけないのか、兄のせいにしているのか、何が原因でどうしたらいいのか自分ではもうわかりません。幸い、夫は兄のことは全く気にしませんが、その分「誰でも大変なことはあるんだから、そんなに自分だけが可哀想だなんて思うのはおかしい」というスタンスで、心からの共感や慰めは得られません。それでよかったと思うこともありますが、落ち込んでいるときはすごく苦しくもあります。誰かに思い切り褒めてほしい、慰めてほしいと思う気持ちが波のようにやってきます。自分より大変な人はたくさんいるとわかってはいても、周りはみんな幸せそうです。少なくとも、友人であれ恋人であれその親であれ、自分で関係を持つことも続けることも、別れを選ぶこともできるというだけで幸せじゃないかと思います。兄が早くいなくなればいいのにとずっと心の奥底で思っている自分からは、周りが全て眩しくて仕方ないです。それも自分がそう思い込んでいるだけなのかもしれませんが、もう抜け出し方がわからなくなってしまいました。(※投稿内容を一部、読みやすいように編集させていただきました。)この穴の底にいると、自分で経験してきたことをはるかに超えるお話を聞く機会が多く、自分に話し相手になる資格はあるんだろうかと問わずにはいられない毎日ですが、まぁそういうことは置いといて、チャイでも煮出しましょうかね。はちみつを入れた甘いやつ。「やさしい味」という言い回しがありますが、「味付けがぼんやりしてる」という悪口の言い換えでない限り、私は個人的に「やさしさ」とは「糖分」だと思っています。糖分でしかほぐれない気持ちがあるような気がして……。まぁ、いろんな匂いのする飲み物で、この世にはいろんな香りや味があるんだということをつかの間思い出してください。まず、ぽぽさんのお友達のお気持ちもわかります。人は、自分の想像力をはるかに超えた話を聞いたとき、「すごいねー」とか「えらいねー」とか、びっくりするほど凡庸な言葉しか出てこなくなります。言葉を失う、という状態です。考えなしにそういう言葉を言う人もいるかもしれませんが、安易に同情したり、深い事情を突っ込んで訊くのも失礼かな、という思いやりの結果、なんだか核心に触れないぼんやりした受け答えになってしまうことも多いのだろうなと思います。そして、ぽぽさんが抱えている問題は、おそらくそのようにして「核心に触れないまま遠ざけられる」話題の、最たるものだと思います。人は、社会的な人間としての自分の顔を持っていますから、社会的な人間として、倫理にもとることを軽々しく言わないものです。ぽぽさんのお兄様は、社会が手助けすべき人間であり、生きるべき人である。みんなそのことはわかっています。けれど、個人としてはおそらく「ぽぽさんは大変だ」ということのほうが、ずっと大きく、目の前に感想として出てきてしまう。そこを突っ込んで話すのは、自分の倫理観を明らかにしなければならないということでもありますし、考えたことのなかった領域にまで踏み込むことでもあります。ぽぽさんにとっては、ずっと考えずにはいられなかった、逃れられなかったことですが、他の人にとっては「そこまで考えたことはなかった」ことでしょう。ぽぽさんの苦しみの半分は、ここだと思います。実際にお兄様をどうするか、自分が面倒を見なくてはならないのか、という現実の苦しみは、実は半分で、その苦しさを誰にも理解してもらえない、気持ちの上で、寄り添って話を聞いてくれる人がいない、ということがあとの半分なのではないでしょうか。ぽぽさんの文章のその部分には、とても多くの行数が割かれています。ぽぽさんご自身も、お母様に対しては「それを相談してくる母親も重く感じるようになってきました」と書かれています。おそらく、ぽぽさんの中で、お友達がぽぽさんの話をなんとなく遠ざける理由は明らかなのでしょう。自分が母親の話を遠ざけるのと同じで、「重いし、関係ない立場で暮らせるならばそうしたい」という気持ちがあるのだ、とわかっているから、苛立つし、見下されているように感じたり、みんなは幸せそうでいいな、と思ったりするのではないでしょうか。そうすべきではない、という話をしても、ぽぽさんのお気持ちはどうにもならないでしょう。正直な話をします。私は父が今年病気になりました。長引いた場合、治療費が高額になる病気です。最初に考えたことは「治療代をどうするか」「いつ見舞いに行くか」「自宅治療になった場合、自分はどこまでやるべきか」ということでした。飛行機の距離とはいえ、最初に見舞いに行くまで長かったです。もっと早く行こうと思えば行けたはずでした。行かなかったんです。いろいろ、感情的ないざこざがあったこともありますし、シビアな状況だということを正確に把握していなかったということもありますが、言い訳ですよね。自分の心の中から「病気が心配だからすぐ帰省する」という選択肢が浮かんでこなかったんです。肉親だから、家族だから、愛があれば、そんなことの前に現実があり、家族というひとつの密室のような世界の中での、吐き出せない感情やわだかまりや、愛も憎しみも混じり合ってもとの材料が何だったのかすらわからなくなるようなものがあります。私に起きた出来事は、ただそれだけのことでしたけれど、それでも、誰にも責められなくても誰かに責められているような気がしましたし、父の顔を見たときは罪悪感でいっぱいになりました。父に私を責める気持ちはないとわかっていても、そうなのです。自分の中の社会的な顔、「これが正しいと思っている倫理観」に自分自身が従えない場合、引き裂かれるような思いをするのですね。ぽぽさんには、「そんなの当たり前でしょう」ということかもしれませんが、私は恥ずかしながらこの年齢で初めて強く感じました。心から、よくやってこられましたね、と言いたいです。はっきり口にする人は少ないですが、「人に迷惑をかけずに生きていくのが、普通の大人」みたいな考えがここ最近どんどん強まってきていて、本当に些細な、迷惑とも呼べない、ただの「理解」を求める人をも拒んでいる、という場面を目にすることが増えました。妊婦に席を譲るのが嫌だとか、電車で子供が泣くのが許せないとか、そう言う人たちは「自分だって疲れている」「自分のほうが大変なのに」と思っているのでしょう。実際のところ、どれだけ疲労していて、どれだけ具合が悪くて、どれだけ余裕がなくて、どれだけ大変なのかなんて、わからないし、比較のしようもないものです。本当は「頼むから今だけ、今は自分にとって非常時なのだから思いやりをもって接してほしい」と思う人に対して、周囲が手助けをできる社会であればいいのですが、今は「自分が一番大変」と感じている人が多い社会です。私がそう思う指標は、自分自身の感情です。私程度でも、「自分が一番大変」な気がして、周囲に思いやりを持てないことがあります。今って、「自分が一番大変」と、「自分は誰かよりはまだ楽だから大丈夫」の間でしか生きられない時代なのではないか、と、ときどき思います。それくらい、そういう話が多いです。例えば、フリーランスの悲惨な話はTwitterの華ですが、それは「こんな不安定な生活よりはましだ」と多くの人が思えるからではないかと思いますし、周りと自分を比べるのは下品だ、と理解していても、一度も比べずに生きていける人なんてほとんどいないでしょう。そんな中で、ぽぽさんがどのように感じて日々生活しておられるか、ということを考えると、苦しくなります。自分も、誰かと自分を比較しては、自分をかわいそうがったり、自分のほうがましだと安心したり、そのときどきで都合良く立場を変え、解釈を変えている以上、その加害者になっていると思うからです。ぽぽさん、比べる自分を許してください。打算的で身勝手な自分を許してください。社会的な倫理にも、自分の中の倫理にも背くことでも、自分の感情は今そこにあるものとして認めてください。自分が一番つらくて、かわいそうなのだと思ってしまう、その気持ちを認めてください。もっとつらい人がいるのにそう思う資格がないとか、家族に申し訳ないとか、そういうことを全部抜きにして、ただ自分が思うことをそのまま感じてください。ぽぽさんが何を感じ、何を思おうと、お兄様はお兄様の生命の限り、お兄様の人生を生きます。ぽぽさんの感情は、誰の感情とも関係なく、自分のものです。自分のものでしかないから、人は孤独です。けど、誰も、ぽぽさんの感情を、ないことにはできません。ぽぽさん自身にも、です。毎日続いてゆくこと、いつ状況が変わるかわからないことに対し、どういう気持ちでいたらいいのかを考えるのは、難しいです。でも、自分はどう思っているのか、自分の気持ちを否定せずに見てください。社会的なぽぽさんの顔を取り払った、個人としてのぽぽさんの顔を、自分で見てみてください。それがそこにあるものだ、ということを、誰も認めてくれないのなら、自分が認めて、褒めて慰めてやるしかありません。そして何かをしてください。馬鹿みたいだと思われるかもしれませんが、部屋に閉じこもって泣いてもいいし、自宅でそうするのがはばかられるならカラオケに一人で行って叫んだっていいです。「そんなことをしても、何も変わらない」と思うことを、ひとつずつやってみてください。誰もが、役に立つことをしたいし、効果のあることをしたがります。けれど、心のためにすることというのは、「これをすればこうなる」というのが、よくわからなかったりします。なんの役にも立たなそうなこと、無駄なことが、気持ちを変えてくれることがあります。自分の心に対しても、人の心に対しても、できることは「行動」しかないのです。それをする元気すらないときは、私にもよくありますが、もし少しでも身体を動かす気力があったら、何か、思いついたこと、これまで自分とは関係ないと思ってきたこと、無駄だと思ってきたようなことを、やってみてください。みなさまの愚痴を、雨宮まみが「穴の底」にてお待ちしております。長文大歓迎!恋愛相手の愚痴も、職場環境にまつわる愚痴も、誰にも言えない愚痴も、「スポーツジムのおじさんの汗がキモイ…」みたいなしょうもない愚痴も、なんでもござれ。大なり小なり吐き出して気を楽にしませんか?「どうしたらいいでしょう?」のような相談は受け付けておりません。ごめんなさい。雨宮まみ(あまみやまみ)ライター。アダルト雑誌の編集を経て、フリーライターに。女性の自意識との葛藤や生きづらさなどについて幅広く執筆。女性性とうまくつきあえなかった頃を描いた自伝的エッセイ女子をこじらせて (幻冬舎文庫)出版後、「こじらせ女子」がブームとなる。他の著書に対談集『だって、女子だもん!!』(ポット出版)、『ずっと独身でいるつもり?』(KKベストセラーズ)、『女の子よ銃を取れ』(平凡社)、『タカラヅカ・ハンドブック』(新潮社)など。「キレイになりたい!」と言えないあなたに。『女の子よ銃を取れ』他人の視線にビクビクしたくない、自分らしく堂々としていたい、かわいい、キレイと言われてみたい……そう思っていてもどうすればいいのかわからないし、「キレイ」への道が怖くてたまらない。キラキラした「キレイになりたい」本を手に取ることすら怖いと感じるくらい、「キレイ」が重荷になっている人のための、自意識や他人の視線、自分の視線を解きほぐす本です。雨宮さんより一言:何をしても、何を買ってもうまくいかない、変われないしパッとしない……。そんな悩みは、本当は多くの人が持っています。それ以前に何をすれば、何を買えばいいのかもわからない人だってたくさんいます。この間まではわかっていたのに、急にわからなくなってしまった人も。そんなときに、自分を取り戻し、新しい自分を作り上げるヒントや、気持ちの持ち方の軸のようなものがあればいいなと思って書きました。落ち込んだときのおともにしていただけると嬉しいです。試し読みはコチラ
2015年11月25日誰にも言えない、けれど誰かに言いたい、そんな内緒の悩みやモヤモヤ、しょうもないグチからやりきれないつらさまで、穴を掘ってこっそり叫んでみたい気持ちを発散する、「感情の吹きだまり」……。そんな場所がこのコーナーです。あなたのやるせない気持ちを、安心してブチまけてみませんか?雨宮まみが聞き手をつとめます。長文の投稿歓迎いたします。(兼業A子/30代後半/女性)私は共働きの兼業主婦で、子どもは3歳です。私と夫(同い年)の年収は同じくらいで、家計は家のローン、頭金にいたるまでかっきり半分ですが、家事の95%は私です。掃除はカンペキですし、ごはんも作ります。アラフォーですが、ルックスもそんなには劣化していません(太りましたが。美容体重→標準体重に)。が、夫に愛されていなく、感謝もされません。むしろ亭主関白っぽく、いつもいばっています。束縛もまったくせず、平日に夫が飲みに行くのも全然許可しています。また、セックスレスで、たまに私から誘ってする感じです。そもそも、夫からの熱烈アプローチで付き合い、結婚したのに……。セックスレスなので子宝にも恵まれず、あっというまに30代後半になり、不妊治療して子どもを授かりました。不妊治療や出産のお金もすべて自分で出しました。国産車1台くらいは買える金額です。現在は、仕事、不妊治療(2人目希望)、家事&育児を担っています。不妊治療は、ハードなドーピングをしていて(自分でお尻に注射等)、さらに頻回、病院に行かなければなりません。けれど、夫の理解はまったくありませんので、治療の話はほとんどしません。会社の愚痴も言うな、と言われているので会社の話はしませんし、家事&育児については「言うのが疲れる」から自分でやっています。もしかして、浮気しているのでは?と思われるかもしれませんが、携帯等をチェックしても夫は浮気していたりはしません。世の中には、専業主婦で太っていてルックスも劣化していて、家事もそんなにがんばっていなくて家が散らかったりしていても、愛されている人がたくさんいます。実際、何人も見ました。「うちの嫁さん、怖くてさ~お小遣い3万だよ~。ごはんも作ってくれなくて~、平日飲みに行くのも禁止だよ~、休みの日は育児してるよ~、嫁さんの自由時間あげなきゃ~」とか、私から言わせたら、ヒドイ扱いを受けている旦那さんのほうが奥さん(特に美人でもない)を大切にしている気がします。給料も丸々預けていたりします。なぜなんでしょう?私はどんな努力をすればいいんでしょうか?最近、もうがんばれない自分の限界を感じています。(※投稿内容を一部、読みやすいように編集させていただきました。)すっごい丁寧に紅茶いれましょうね。ポットもカップも温めて、茶葉もきっちりはかったやつ。妊活中だとカフェインって良くないのかな?まぁでも、香りだけでも。なんの味もしないようなとき、お茶っていうのは湯気と香りが偉大な価値なんです。飲めなくても、湯気と香りでちょっと心をゆるめてくださいね。この愚痴は、こちらのコーナーが悩み相談だったら、お答えできるのは「離婚」「浮気」「話し合い」という、どれを選んでも血で血を洗うような答えしかありません。「浮気」っていうのはぜんぜん望んでらっしゃらないでしょうけど、旦那さんが兼業A子さんの心を支える役割をしてくれない以上、よそに求めるしかないのでは……という理由で入れています。けど、兼業A子さんはおそらくそのどれも望んでらっしゃらないでしょう。後半で登場する「愚痴を言いつつ献身的な旦那さんも世の中にはいるし、自分のように努力をしてなくても愛される奥さんはいる」というエピソードから察するに、「なぜ自分は正しいことをしていて、その上、自分が折れてなんとかなるところは全部折れて夫に尽くしているのに、愛されている実感が得られないのか」というのが、お悩みの本質であると思います。今の世の中では、正論というのはとにかく大事にされます。Twitterなんか見てると、正論大喜利みたいな状態ですよね。私は四年ほど前にネットウォッチしかしていないような時期がありましたが、2ちゃんねるの家庭板のまとめスレなんかを見ていると、そこが「無責任に人の悪口ばかり書く2ちゃんねる」という印象とはまったく違っていて、「正論を言っている側の人間が報われるべきだ」という、勧善懲悪の物語にあふれていて驚きました。最初は私もそういう話を読んでスッキリしていました。正しいのに報われない人がちゃんと報われる物語。でも、そういうものが人気を得るということ、そういう「正しい話」が、そうした場でなされているということは、もしかしたらそれは「現実ではそうじゃない」ことの裏返しなのではないか、とふと思ったのを覚えています。「正しさ」や「公平さ」は尊重されるべきものだと思います。けれど、愛情というのはそもそも、とても不公平で理不尽なものです。相手にはなんの非もないのに、求愛されても応えられないことなんてザラにあります。自分が尽くしても尽くしても愛されないこともです。兼業A子さんの詳細なご説明から伝わってくるのは「自分には非はない。精一杯やってる。なのに、なぜ!?」という悲鳴のようなお気持ちです。個人的には、奥さんが不妊治療をして二人の間の子供を作るのに、興味も示さない旦那さんというのは、いったいどういうものなのかよくわからないのですが、旦那さんにとって、この家庭生活は、楽しいのかな?というのも疑問に思えるのです。旦那さんにとっては、もしかして「自分は積極的に欲しいわけじゃない子供を、そんなに無理して作る必要があるの?」という感じなのでしょうか。兼業A子さんが見ている現実は「自分のように努力してなくても愛されてる奥さんがいる」であるけれど、同じように、旦那さんが見ている現実は「生活費入れるだけで他のことはなんでもやってくれて、旦那を立ててくれる奥さんもいる」というのが「普通」だと思っている可能性もあると思います。どっちが正しいか、という問題ではないですし、正しいから、これだけしているのだから、評価してくれ、自分を愛してくれ、という理屈は、残念ながら通らないのです。いや、評価だけなら私がします。間違いなく兼業A子さんはがんばっています。一人の人間が毎日、これだけできるなんてすごいことです。でも、疲れ切っている兼業A子さんが求めているものは、自分の正しさが証明されることなのでしょうか?私には、それよりも、愛情や理解を得て心が満たされることを求めているのではないか、と思えます。そして、兼業A子さんがここまでしていても、旦那さんもまた、心が満たされるような生活を送っているとは思えないのです。楽だとは思うけれど、心が通い合っていないような夫婦生活が、居心地いいんですかね……?皮肉ではなく、もしかしたらそういうのが居心地いいのかもしれません。人を人とも思わなければ、気を遣う必要なんてないですから。旦那さんにとっては、「幸せな結婚生活」なんでしょうか。生活を続けていく限り、旦那さんがなんらかのきっかけで考えを変える可能性や、兼業A子さんに心から感謝する可能性もありますが、その日を待つ間に兼業A子さんの心が壊れてしまうのが、私は心配です。また、待っていても必ず変わるとも思えないですし、「待つ」というのは結局、「他人に期待する」という賭けになってしまいます。「あなたに好かれたくてここまでがんばってきた。でも、もう無理かもしれない」と正直に言ってほしいと思いますが、そんなに心を無防備にした状態でもし、亭主関白なきつい発言をされたらと思うと、それも心配で、積極的に勧めることができません。「うちの嫁さん、怖くてさ~お小遣い3万だよ~。ごはんも作ってくれなくて~、平日飲みに行くのも禁止だよ~、休みの日は育児してるよ~、嫁さんの自由時間あげなきゃ~」というのは、愚痴の体裁ですが、のろけだと私は思います。奥さんのほうが育児をやっているという自覚があるから「自由時間あげなきゃ」という言葉が出てくるのでしょう。自分も自由時間をもらっている、とも思っているのでしょう。感謝があるから思いやりが持てるわけで、うまくいっている夫婦の話です。まず、誰よりも正しい奥さんであろうとするのをやめるのはどうでしょうか。今していることのうち、もうできないと思うことがあれば、休んだりやめたり手を抜いたりしてもいいと思います。積み上げたものを手放すようで気が進まないでしょうけど、しんどいときには有効です。自分が弱ったときにだけ、見えてくる世界があります。ずっと正しく、強い人には見えてこない世界です。それを少し、見てみてください。正直、夫婦関係については、私はうまく言うことができません。長い年月を経て、憎み合っているとばかり思っていた夫婦が案外そうでなかったり、愚痴ばかり言っていた夫婦がすごく強く結びついていたりする例も多いので、判断がとても難しいんです。年月を一緒に過ごしていく、ということには、何か愛情とかを超えた大事なものがあるのかもしれない、と感じていますが、自分では経験したことがないので、なんとも言いようがないのです。けれど、今感じていることはきっと、大事な経験になるはずです。「正しくないのに愛されている」ということを不思議に思ってらっしゃるのなら、今こそ「正しさ」や「努力」について考える機会なのだと思います。それを評価してくれる友人や家族に助けてもらうべきなのかもしれませんし、その努力が自己満足なのかどうかを考えるべきなのかもしれません。「弱さ」や「正しくなさ」についても、考えるときなのかもしれません。「弱さ」や「正しくなさ」を受け入れて、共有できる関係も、いいものではないでしょうか。ひとつの可能性として、そうしたことを少しだけ考えてみてください。「正しいから必ずしも愛されるわけではない」は、「正しくなくても、弱くても、愛される資格はある」と同義です。みなさまの愚痴を、雨宮まみが「穴の底」にてお待ちしております。長文大歓迎!恋愛相手の愚痴も、職場環境にまつわる愚痴も、誰にも言えない愚痴も、「スポーツジムのおじさんの汗がキモイ…」みたいなしょうもない愚痴も、なんでもござれ。大なり小なり吐き出して気を楽にしませんか?「どうしたらいいでしょう?」のような相談は受け付けておりません。ごめんなさい。雨宮まみ(あまみやまみ)ライター。アダルト雑誌の編集を経て、フリーライターに。女性の自意識との葛藤や生きづらさなどについて幅広く執筆。女性性とうまくつきあえなかった頃を描いた自伝的エッセイ女子をこじらせて (幻冬舎文庫)出版後、「こじらせ女子」がブームとなる。他の著書に対談集『だって、女子だもん!!』(ポット出版)、『ずっと独身でいるつもり?』(KKベストセラーズ)、『女の子よ銃を取れ』(平凡社)、『タカラヅカ・ハンドブック』(新潮社)など。「キレイになりたい!」と言えないあなたに。『女の子よ銃を取れ』他人の視線にビクビクしたくない、自分らしく堂々としていたい、かわいい、キレイと言われてみたい……そう思っていてもどうすればいいのかわからないし、「キレイ」への道が怖くてたまらない。キラキラした「キレイになりたい」本を手に取ることすら怖いと感じるくらい、「キレイ」が重荷になっている人のための、自意識や他人の視線、自分の視線を解きほぐす本です。雨宮さんより一言:何をしても、何を買ってもうまくいかない、変われないしパッとしない……。そんな悩みは、本当は多くの人が持っています。それ以前に何をすれば、何を買えばいいのかもわからない人だってたくさんいます。この間まではわかっていたのに、急にわからなくなってしまった人も。そんなときに、自分を取り戻し、新しい自分を作り上げるヒントや、気持ちの持ち方の軸のようなものがあればいいなと思って書きました。落ち込んだときのおともにしていただけると嬉しいです。試し読みはコチラ
2015年10月22日テレビの背面をじっくり見たことがありますか? 実は、テレビの背面には壁に掛けて使うためのネジ穴があります。このネジ穴はVESA規格という統一規格。ここでは、このネジ穴を利用してテレビの背面に収納場所を設ける方法をお伝えします。○テレビの背面には統一規格VESAのネジ穴がある昨今出回っている薄型テレビですが、モニターの背面を見ますと、多くの製品にネジ穴が4カ所あいていることがわかります。これはVESA (ベサ) 規格という、映像機器の様々な統一規格の1つで、モニターやテレビを壁にかけたりするためのネジをつけるネジ穴です。ネジ穴の間隔も、400x300、300x300、200x300、200x200 (いずれも単位はミリメートル) などとなっています。また、ネジ穴もたいていがM4やM6というネジ (ボルト) が使用できます。○テレビ裏のVESA規格のネジ穴を使った製品も多数壁掛け用金物やモニターアームはもちろんですが、このネジ穴を活用するための様々な製品 (ハードディスクや小型PC、配線をうまく隠すためのボックスなど) が登場しています。しかし、いずれも数千~数万円と値が張るのも事実です。○ネジはホームセンターで、収納場所の作成は100均グッズで!ネジはホームセンターで容易に入手できるM4やM6という安価なネジを使用しています。手持ちのテレビの型番を元にメーカーのWebサイトで調べれば、VESA規格のうちの、どのネジを使えばいいのかがわかります。また、背面に作る収納用のグッズとしては、メッシュ状になっているカゴや加工が容易なプラスチック製のコンテナが利用できます。今回はどちらも100円ショップで購入しました。○取り付けは簡単! ネジで留めるだけメッシュ状のカゴは、ネジを軽く留めたあとに、ひっかけて、固定するだけ。ネジ穴は1つだけ使ったので、この場合はドライバー1つで取り付け完了です。プラスチック製のコンテナは、4つのネジ穴のうち、上2つを使います。ここでは、ネジ穴の間隔が30cmとなっていましたので、コンテナは横幅33cmほどのものを用意し、30cmの間隔でドリルを使って穴をあけました。取り付け方法は、コンテナにあけた穴にM6のネジを通して、テレビ裏のネジ穴に固定するだけです。もともとテレビの自重を支えて壁にかけるだけの強度があるので、多少重たいものでも大丈夫なようです。リモコンや使用頻度の高いケーブルなどの収納にピッタリでした。ここではネジ穴1つ、または2つを利用する方法を紹介しましたが、VESA規格のネジ穴は4カ所用意されていることが多いので、さらに工夫する余地はあると思います。ケーブル収納に! テレビの壁掛け用ネジ穴を利用し裏側に収納場所を作る方法執筆:Ulasam手工芸、民族音楽を愛するギャラリー&ショップ店主。「モットーは創意工夫」ということで、日夜、DIYやハンドメイドの情報収集と実践に明け暮れる日々。実は調理師の資格も持ち、料理の腕前もかなりのもの。本稿の内容を実行したことによる損害や障害などのトラブルについて、執筆者および編集部は責任を負うことができません。記載内容を行う場合は、その有効性、安全性など十分に考慮いただくようお願い致します。記載内容は記事掲載日時点の法令や情報に基づいたものです。また紹介されている商品やサービスは、すでに提供が終了していることもあるほか、入手先など記事に掲載されている情報のみとなり、お問い合わせに応じることができません。記載内容を参考にしていただき、ご自身の暮らしにお役立ていただけますと幸いです。
2015年09月20日布製や木製のおもちゃは、ぬくもりがあっていいですよね。特に布製のものは、丸洗いもできて衛生的でもあります。 子どもが小さい時、男の子でも女の子でも必ず遊ぶのがボール。ボール遊びは、基本的に外でするものですが、まだ外で遊べない赤ちゃんや、室内でボール遊びがしたい時に重宝するのが、布製のボール。布製ならば、当たっても痛くないですよね。しかし、サッカーボールや野球ボール型の布製のボールは、手作りするには型紙が必要になります。でも、持ってない。そんな時は、穴あきボールなら簡単に作れます。今回ご紹介する穴あきボールは型紙が不要で、並縫いができれば作れますし、穴が開いているので、握る力の弱い赤ちゃんでも握ることができます。用途や子どもの成長に合わせてサイズを変え、小さいものから大きなものまで、幅広く作ってみるのもいいですね。型紙不要! 新生児から小学生まで遊べる布製穴あきボールの作り方<材料>正方形の布 12枚(今回は4.5cm四方)手芸綿 適量針 1本糸 適量<作り方>布を中表に合わせ、1辺(返し口)を残して並縫いします。返し口から表に返して、綿を詰めます。返し口を縫って閉じます。四角いクッションができればOKです。同じ要領で残りの布も縫って、全部で6個、クッションを作ります。クッションの角を縫い合わせていきます。この時、クッションとクッションのすき間が三角形になるように合わせます。6個を全部つなぐと、ボール状になり、完成です。 今回は、4.5cm四方の布を使って、小さいボールを作りましたが、10cmや12cmなど、布のサイズを変えると、大きめのボールも作れます。育児で忙しい方も、1日1ピースずつ作っていけば、1週間で仕上げることができます。これくらいであれば、苦にならないのではないでしょうか。縫い合わせた角に鈴をつけると、音が鳴って、もっと楽しくなります(この場合、鈴が当たると多少痛いので、遊び方に注意しましょう)。また、中央の空洞には、ガチャガチャのカプセルにカラフルな子ども用の大きなビーズを入れ、しっかりとテープで止めたものを入れておくと、音や色を楽しみながら遊ぶことができます。(Aya)
2015年09月05日誰にも言えない、けれど誰かに言いたい、そんな内緒の悩みやモヤモヤ、しょうもないグチからやりきれないつらさまで、穴を掘ってこっそり叫んでみたい気持ちを発散する、「感情の吹きだまり」……。そんな場所がこのコーナーです。あなたのやるせない気持ちを、安心してブチまけてみませんか?雨宮まみが聞き手をつとめます。長文の投稿歓迎いたします。(えん/10代/女性)私には友人がいません。過去にいたことはあるのですがいろいろあって疎遠になりました。現在浪人中なのですが、予備校には行っておらず、アルバイトもしていないので会話する他人は家族しかいません。これまではそのことを特に気にしたことはなかったのですが、今になって趣味のことを話し合える友人が欲しいと思いました。私はジャニーズが好きで、ついこの間コンサートに行きました。周囲に、楽しそうに好きなアイドルのことを話す人がたくさんいて羨ましくなったのです。どうすればいいのかと考えて、ツイッターを始めてみました。始める前は、面白い人がたくさんいるし、この人たちと話せたらいいなあなんて思っていました。しかし、そんな簡単にいくはずもなく、私が話すことはつまらないことばかりで、面白いと思う人のようにはいきません。フォローし返されることもなく、どうして興味を持たれるような面白い話ができないのかと自己嫌悪に陥りました。話をしたいのなら自分から話しかければいいと思うのですが、知らない人間に突然話しかけられたらどう感じるだろうかと考えて怖くなります。ツイッターを見てみると楽しそうに友人と話している人がたくさんいて、どうして私にはできないのか、何が足りないのか、という劣等感が溢れて気持ち悪くなってきます。ぐるぐるして、よくわからなくなってきて、私は本当に話をしたいのだろうかという疑問が浮かんできます。こんなくだらないことに頭を悩ませてまで好きなことの話を他人としたいのだろうか、と。結局、好きを共有したいというよりただの承認欲求な気がしてきて、そんな自分に嫌気がさします。友人がいない自分がとても駄目な人間に思えて苦しいです。もうやめようと思うけれど、もう少し続けたら何かあるかもと期待してしまいやめられません。そうしてまたいろいろ考えてしまいます。アルバイトやなんなりで外に出たほうがいいのではと思いつつも、経験のないことをするのは怖くてできません。言い訳ばかりしてほとんど動いていない自分にも、浪人中なのにこんなことに頭を悩ませている自分にも飽き飽きします。(※投稿内容を一部、読みやすいように編集させていただきました。)はい、若い子は麦茶でいいよね!飲み飽きてる?でも普通のジュースとかも飲み飽きてるでしょ?カルピスをコーラで割るとおいしいって知ってるかな?趣味悪いけどドリンクバーでときどきやっちゃうんですよね……。はい、カルピスコーラ、どうぞ。まず、これだけは最初に言っておきたい。えんさんが今、足を踏み入れたばかりのジャニーズファン、要するにジャニオタの沼って、面白さのレベルがハンパなく高い場所なんですよ。面白さのレベルも高けりゃ熱量とかテンションも高い。専門用語もバンバン出てくる。受験勉強に必要なぐらいの知識量をガツガツと自主的にインプットし続けている、いわばオタクのエリートのような存在、それがジャニオタです。身近にチラホラいるのでお見かけしますが、労力とか手間暇とかお金とかいったいどうなってんだ!?というレベルの人たちがバンバンいます。私はジャニーズに詳しくないので、内輪でしか通じないネタや世間一般で有名でない人の話はよくわからないですが、それでも、面白レベルの高い世界であることはビンビンに伝わってきます。正直、浪人もしてない大の大人が全力を注ぎ込んで追いかけ、学んでいるつもりもなくひたすら愛ゆえに情報を得て、上司の目を欺くソフトまでインストールしては仕事をする間も惜しんでSNSにいそしんでいる世界に、まだ10代で勉強もしなければならず、お金も時間も制約が大きいえんさんが飛び込んでゆくのは、オリンピックのトラックに間違って陸上部員が出てきちゃったぐらいの力の差があることなのです。やってる競技は同じでも、こう、レベルの差というか、走ってる姿が速すぎて見えないというか……。その差をえんさんは純粋に「面白さの差」「コミュニケーション能力の差」だと捉えて落ち込んでおられるようですが、ジャニオタの世界なんてレベルが高すぎて、もう多少の徳の積み方では歯が立たないですよ!それ普通ですからね!私なんて自分の主戦場である宝塚の世界ですら、全然ついていく自信、ないですもん……。濃度の高いファン同士の会話ってスピードがすごいんですよ。ラリーが速いし会話の基礎体力も熱量も知識量も全然違うんです。そこに飛び込んでいって、面白さで注目を浴びることができるのは、神を愛し、その神に愛された者だけなのでは……?と思います。常人ならば、会話の内容を追いかけて理解するだけで精一杯です。浪人されているえんさんに、あまりSNSのことを言うのもどうかと思いますが(SNSは時間泥棒ですからね)、せっかくツイッターを始められたのでしたら、ジャニーズ系の発言の多いアカウントを幅広くフォローしてみてはいかがでしょう。中心となっているように見える人、フォロワーが多い人は、十分ジャニーズに詳しく、面白い発言のできる人かもしれません。でも、中にはシンプルに情報を発信する人、自分の意見は最小限にとどめ、主にリツイートなどで情報を発信している人もたくさんいるはずです。「面白い」といっても、その面白さにはさまざまな種類がありますし、発言内容が面白いものでなくても的確な情報を伝えてくれる人もいれば、逆に変な噂を真に受けてしまう人もいるでしょう。たいしたことを書いているわけではないけど、なんとなく感じの良い人や、逆に読んでいて嫌な気持ちになるようなことを書く人もいると思います。世の中は「面白い人」ばかりではできていませんし、熱量の高い人ばかりでもできていません。面白い人同士の目にも止まらぬ勢いのやりとりは見ていて楽しいですが、ついていけないこともしばしばです。そして、「ついていけない」と感じる人は、自分のほかにも必ずいます。えんさんが「この面白さ、ついていけない」「仲間には入れないのかもしれない」と感じたなら、同じように感じている人が必ずいます。そして、「そんなに面白いこと言えない」人は、もっとたくさんいます。というか、それが世界の主流です。えんさんのご家族は、毎日なんか面白いこと言ってますか?そうでもないですよね(ものすごく面白いご家族だったらすみません)。でも、親しい関係だと、しょうもないことでよく笑うこともあります。えんさんがコンサートで目撃された、「楽しそうに好きなアイドルのことを話す人」と、それを受け止めている周りの人たちは、そういう関係なのでしょう。逆なんです。「面白い」から友達ができるのではなくて、友達になったからつまらないことでも面白く共有できるんです。そしたら、どっちも「特別に面白いわけではない人間」同士でも、お互いにとっては「面白い人」「話して楽しい人」になります。「面白い」人のツイッターやブログについて「あの人、本当に面白い!」と言い合う友達、という関係だってあります。いや、そんなことよりも中心人物になって、「面白い」という万人からの承認を得たいんだ、という気持ちもわかります。まぁ、ライターというのはだいたい、そういう欲求をもった人が選びがちな職業ですし、私はまさにそういう人間ですからね……。そういう野心のような承認欲求や、自分でも理由のわからない欲望に突き動かされて、ときには泣くほど苦しんだり、欲しいものが得られないから、自分はダメな人間なのだと思い込んだり、そういうこともありますよね。承認欲求と友情というのは、本来別の話のはずなのですが、密接なつながりがあります。友達なのに、その友達に認められたくて必死になってしまったり、自分よりもその友達のほうがみんなに人気があれば、嫉妬したり。それ以前に「友達ができない」という悩みを乗り越えるのが難しくて、誰にも認められていないように感じたり。でも、これは、どこかの時点で経験しておいたほうがいいことのように私には思えます。あの不器用な、自分で自分が何者なのかわかっていないままぐしゃぐしゃにもがいた期間がなければ、今頃どうなっていたか。そのぐしゃぐしゃの期間の自分の無様さを思い出すのも怖いですが、あの期間がないまま今まで来てしまった自分を想像するのはもっと怖いです。嫉妬や、誰にも相手にされないのではないかという不安、友達がいない悲しさや寂しさは、それを嫌というほど経験しないと、自分がいったいどういう関係を求めているのか、どういう欲望を持っているのか、どうなれば満足できるのか、いい関係を築けるのか、見えてこないものです。見えてこない時期も、失敗が続く時期も苦しいものですが、自分がどんな欲望に突き動かされているのか気づけないほうがよっぽど怖いです。はっきり「承認欲求なのだ」「いや、友情が欲しいだけなのだ」と言えなくてもいい。でも、「何か得体の知れない欲望が自分を振り回している」ということだけ把握できていれば、格闘の末に自分が何を望んでいるのかは見えてくるはずです。そして、不思議と、等身大の自分というものが見えてくると、人付き合いはぐっと楽になります。私のような年齢になっても、友達付き合いで悩むこともあれば、新しい友達ができることもあります。無理せずに付き合える友達ができるようになるんですよね。昔からこんなだったわけではなく、学生時代はクラス替えのたびに春休みいっぱい毎晩号泣してましたから、思えば遠くへ来たものです。自分も上手な付き合い方を少しは覚えてくるし、同じくらい年齢や経験を重ねた人たちも、上手な付き合い方を知っているので、楽になるんです。失敗した落ち込みから立ち直るのも上手になります。SNS上でのことで少しだけアドバイスすると、いきなり話しかけても「誰?」状態になるので、面白いと思った発言をふぁぼっていくことから始めましょう。フォロワーが大量にいる人や、発言はするけどいちいち反応はチェックしないという人以外だったら、「この人、自分の発言を面白いと思ってくれてるんだな」と気づくと思います。その上で共有できそうな話題があれば、できるだけ丁寧かつ簡潔に話しかけるといいのではないでしょうか。返答をしなければならない疑問形は、知らない人とやりとりをしたくない人にとっては負担になるので、例えばドラマの話題なら「初めまして!◯◯さんの話題なので思わず話しかけてしまいました。こういう役らしいですね。私も◯◯さん好きなのですごく楽しみです!」程度の軽さがいいのではないかと思われます。基本的に、SNSで知らない人から話しかけられても、それは道端で知らない人から話しかけられるようなもの。無視されても「自分が悪い」んじゃなくて、「知らない人とは話したくない」人のほうが多数であると心に刻んでください。SNSに時間を割かないようにしている人も大勢いますから、そういう人にとって、会話は負担なのです。でも、SNSで自分が好きなものについて発信していると、思わぬところでつながりができたり、普段の生活では知り合わないであろう友達と知り合えることもあります。あまり考えすぎず、人間関係の練習、友達を作る教習所に行くような感覚で、ツイッターを使ってみてください。友達や、承認欲求の問題は、長い時間をかけて向き合っていかなくてはならないことが多いです。これらのことを考えるとき、自分につらくあたることが「向き合う」ことだと勘違いしがちですが、本当に大事なのは、長い長いその期間を耐えるために「楽しく息抜きをすること」です。そのことをどうか、忘れないでくださいね。みなさまの愚痴を、雨宮まみが「穴の底」にてお待ちしております。長文大歓迎!恋愛相手の愚痴も、職場環境にまつわる愚痴も、誰にも言えない愚痴も、「スポーツジムのおじさんの汗がキモイ…」みたいなしょうもない愚痴も、なんでもござれ。大なり小なり吐き出して気を楽にしませんか?「どうしたらいいでしょう?」のような相談は受け付けておりません。ごめんなさい。雨宮まみ(あまみやまみ)ライター。アダルト雑誌の編集を経て、フリーライターに。女性の自意識との葛藤や生きづらさなどについて幅広く執筆。女性性とうまくつきあえなかった頃を描いた自伝的エッセイ『女子をこじらせて』出版後、「こじらせ女子」がブームとなる。他の著書に対談集『だって、女子だもん!!』(ポット出版)、『ずっと独身でいるつもり?』(KKベストセラーズ)、『女の子よ銃を取れ』(平凡社)、『タカラヅカ・ハンドブック』(新潮社)など。「キレイになりたい!」と言えないあなたに。『女の子よ銃を取れ』他人の視線にビクビクしたくない、自分らしく堂々としていたい、かわいい、キレイと言われてみたい……そう思っていてもどうすればいいのかわからないし、「キレイ」への道が怖くてたまらない。キラキラした「キレイになりたい」本を手に取ることすら怖いと感じるくらい、「キレイ」が重荷になっている人のための、自意識や他人の視線、自分の視線を解きほぐす本です。雨宮さんより一言:何をしても、何を買ってもうまくいかない、変われないしパッとしない……。そんな悩みは、本当は多くの人が持っています。それ以前に何をすれば、何を買えばいいのかもわからない人だってたくさんいます。この間まではわかっていたのに、急にわからなくなってしまった人も。そんなときに、自分を取り戻し、新しい自分を作り上げるヒントや、気持ちの持ち方の軸のようなものがあればいいなと思って書きました。落ち込んだときのおともにしていただけると嬉しいです。試し読みはコチラ
2015年08月21日誰にも言えない、けれど誰かに言いたい、そんな内緒の悩みやモヤモヤ、しょうもないグチからやりきれないつらさまで、穴を掘ってこっそり叫んでみたい気持ちを発散する、「感情の吹きだまり」……。そんな場所がこのコーナーです。あなたのやるせない気持ちを、安心してブチまけてみませんか?雨宮まみが聞き手をつとめます。長文の投稿歓迎いたします。親しくしている友人の「インターネットの人」としてのSNSへの投稿を見ることをやめられません。それはいわゆる「裏アカウント」というよりは、むしろ彼女にとっては「表」のようです。彼女は、リアルの友人とのやりとりは別のアカウントを使用しており、私とのやりとりもそっちでしています。見つけなければよかったのに、ほんとうに偶然、インターネットの中でのもう1人の彼女を見つけ、毎日こっそりチェックしてしまいます。「インターネットの人」としての彼女は、親兄弟や友人に見つかるのが恥ずかしいような言葉遣いをしているのでもなければ、なにか際どい趣味について書いているのでもありません。日常の出来事や彼女が思っていることを投稿しています。それは私の知っている彼女の人柄が表れた短文で、普段の会話などで感じる聡明さや、センスのよさが際立っています。ただ、内容自体は彼女や周囲の人間の言動に事細かに触れているので、知り合いには見せたくないのだと思います。私も見つけたくなかったです。私が彼女に送った言葉や、共有した本や音楽について、そして私自身の内面についての指摘などが、私の見知らぬところで詩的な断片として誰かに消費されていることに、言いようのない気持ち悪さを感じます。決して悪口ではないんです。私のことを大事な友人だと思ってくれていることが、私の目に触れないように書かれた文章であっても伝わってくることがあります。でも私が、彼女にだからこそ話してきた私の女としてのこじれや恋愛の近況が、一種の詩のような、フィクションのようなきれいな短文となって、ときには私が彼女に送ったLINEの文章がまるっきりそのままで、インターネットの海に流されていること。場合によっては彼女の(私に向かっては言ってこなかった)あけすけな感想が付いていること。それらに見知らぬ人が星をつけていくこと。こうしたこと全部に「まいったなあ」と苦笑いしています。私は傷ついているのかもしれません。自分の気持ちがもうなんだかよくわかりません。このアカウントを見つけてからも、彼女のことは嫌いではないですし、顔を合わせると嬉しいし一緒にごはんも食べに行きます。これからもいろいろな話をしたいです。でもしないほうがいいのかなとも最近は思います。私のこと以外にも、共通の友人知人に対して彼女がどんな風に思っているのか、私と話しているときよりも(かなりざっくばらんな話をしているのですが)更にひとまわり本音に近い形で発露された文章を目にしてしまうと、なんだかよくわからないダメージがあります。なんだか不思議だなと思うのは、私が彼女と全くの赤の他人で、インターネットの中でのアイコンと短文が彼女について知っているすべてだったなら、きっとすごく面白かっただろうなと思うことです。知らない人の知らない日常はもうフィクションですよね。そうやって味わうのだったら最高に魅力的な文章だっただろうし、実際に私もそうやって見知らぬ人のブログやツイッターを楽しんでいます。エッセイを読むときも同じです。彼女は自分や周囲の人間の個人名は一切出していませんし、住んでいる地域もおおよそしかわからないようにしてあります。でも、私のように読む人が読めばわかってしまうような投稿ですし、読んだ人の気持ちについて想像してみることはできるはずです。そうした可能性を彼女がどこまで考えているのかはわかりません。見つからないだろうと思っているなら少し呆れてしまうし、見つかってもいい(傷つかないだろう、または、傷つけてもいい)と思っているなら正直怖いです。でも、堅苦しい言い方ですが彼女の表現の自由にケチはつけられないし、私が見なかったことにすればいいだけなんですよね。それも難しいから困ってしまいます。2015年、近未来だなあ、と思う毎日です。(みどり/20代前半/女性)(※投稿内容を一部、読みやすいように編集させていただきました。)はい、とりあえずそのスマホを伏せていただきましょうか。ほんのちょっとの間ですから、我慢してくださいね。スマホに塩水こぼしたらヤバいとよく聞きますので、ソルティードッグとか出しちゃいますよ。これでスマホを表に向ける勇気、なくなりましたよね。まず、私が懺悔しなくてはならないのですが、みどりさんのお話、すごく面白いと思ってしまいました。人は誰でも、接する相手によってある程度人格を使い分けています。友人に見せる顔、恋人に見せる顔、家族に見せる顔、仕事で見せる顔……それが全部同じだという人は珍しいでしょう。「この相手になら、ここまで踏み込んでもいい」とか、「ここまで自分をそのまま出してもいい」とか、逆に「自分の意見は隠しておかなければ」とか、そうした判断を私たちはほぼ無意識的に行っています。例えば、私は昔から「つきあっている人の友達に紹介される」という儀式が非常に苦手で、ほとんどやったことがありません(彼氏がいた時期が少ない、ということも関係していますが……)。これは「どういう人格でいればいいのかわからない」ことが大きな理由です。どういう「彼女」でいることを要求されているのかがわからないのです。そこで「いつもの、個人としての自分」でいることができないし、人前ですから「彼氏といるときの自分」でいることもできない。自分が接する相手が二種類、同時に存在することで、場も二重になってしまうのです。結局、それに慣れることができないまま、今まで来てしまいました。みどりさんのお友達にとって、インターネットはそうした「使い分けている人格」を統合して、誰のことも気にせず、はっきりものを言える場所になっているのでしょう。私は、みどりさんのお友達とほぼ同じ状況を体験したことがあります。それはFacebookです。私は最初、Facebookを「知り合いは承認しない」「友達限定公開」という、かなり珍しい自分内ルールで始めました。というのも、以前一度だけmixiに登録したとき、友人の友人とか、断るのもアレだけど知らない人だし興味ないし……という人から友達申請が来るたびに悩むのが面倒だった、という経験があったからです。また、例えば気の進まない飲み会を「忙しいから」と断ったのをすっかり忘れてひまそうな近況を書いてしまったりすると、気まずいことこの上ありません。名前を出さず、「こういうタイプの人が苦手」と書いただけで「あれってもしかして私のこと?不愉快にしたならごめん」と言われることもあり(もちろん違います)、こちらは「そんなあてこすりを書くような人間だと思われているのか」と余計なダメージを被ったりしたこともあります。メールなどで直接やりとりをしている友人、ちょくちょく会う相手とは、SNSでつながることにメリットよりデメリットのほうを強く感じます。その結果、知り合いがほとんどいないFacebookで、私はなんのしがらみもなく言いたいことを毎日、「そのペースで書けるんだったら、一ヶ月で一冊ぐらい本出せるんじゃないの?」ぐらいの勢いで書きまくりました。だんだん、ライターとしての私個人よりも、その書いている内容に興味を持ってくれる人も増え、私のpostはさらに加速。もう「いいね!」を押してもらうためなら何でもするぐらいの勢いです。多分、みどりさんのお友達は今、この段階にいるのではないでしょうか。その後、私のFacebook熱はどうなったかというと、Facebookを通じて知り合う人なども増え、また本を出版したりと本業での文章を読まれる機会も増え、「普段の自分の人格」「ライターとしての自分の人格」「Facebook上の人格」を使い分けることが難しくなり、今は落ち着いています。という言い方をすると、なんだか高尚な感じがしますが、ものすごく簡単に言うと「実像を知られているから、盛れなくなった」ということです。「本業=Facebook」の人ではいられなくなった、というか……。また、結局知り合いがそこそこ増えてしまったり、知り合いでなくとも憧れていた人、ネット上で好きだった人などが友達の中に加わって増えていくと、全方位に対してリテラシーのあることを書くのが難しくなります。100人以上の人に対し、その人の思想や趣味嗜好、政治信条などを思いやることは不可能に等しいからです。聖徳太子は一度に八人だか十人だかの話を同時に聞いたと風の噂で聞きましたが、一度に大勢の人に向かって当たり障りのない話をするのすら、そこそこ難しいです。そこで全員に向けて話をするなら、聞く人たちが「知らない相手」だと仮定して話をするほうがずっと楽です。おそらく、お友達は「見つからないだろう」と高をくくっている部分もあるのでしょうが、それ以上に「知人相手ではなく、知らない相手に対して話すことの気楽さ」の中毒になっているのだと思います。そして、見つかったとしても、実際に会っている関係のほうがネット上での交流よりもずっと重いのだから、修復可能だという思いがあるのではないでしょうか。ネット上に書いていることのほうが本音に見えるケースはままあります。きついことを書いているほうが本音に見える場合も多いです。けれど、必ずしもそうだとは言えないのが人の不思議なところです。例えば、短いスパンでは腹を立てていても、長いスパンではむかついた相手と縁を切りたいとまでは思っていない、ということはよくありますよね。意見が合わないことがいくつかあっても、関係を続けたいと思っていることもあります。一見、瞬間的に爆発した怒りや、合わないと感じた瞬間のほうが「本音」に見えますが、「合わないところがあっても、友達でいたい」のほうが、本音だったりすることもあるわけです。みどりさんのお友達の場合、おそらく「読まれる快感」が今は非常に強いでしょうから、無意識のうちに読者を意識して、事実よりも過激に書いている部分もあると思います。「文章として面白いかどうか」「注目を浴びる文章かどうか」のほうを優先させてしまっている状態でしょうね。本音もなくはないかもしれませんが、100%本音だと受け取るのも違うと思います。それを見てしまったみどりさんの気まずさも相当でしょうが、まぁ、見られていることをお友達が知ったら……。私だったら瞬時にログを全消ししますね。それでも恥ずかしさに耐えられず、フローリングをかきむしりながら「穴があったら入りたい!」と思うことでしょう。私も、職業としても、個人としても、みどりさんのお友達と似たようなことをしています。エッセイに友達の発言を書いたり、SNSにも……。なので、このことに対して、お友達を非難できる立場ではありません。リテラシーの面から見ても、みどりさんのお友達はちょっと問題があると感じますが、それなら私にも問題があることになります。ずっと重く、大きな問題があります。なので、そこについてはなんとも言い難いものがあります。が、現実的にみどりさんの気まずさと「読む人が読めばバレバレの場所にプライバシーを晒される危機感」を解消しつつ、友人関係は続けたいという思いを解決する策を考えるとすると、お友達がご覧になっているSNS上に、このサイトへのリンクを貼るのがいちばん簡単で効果的なのではないかと思います。あてつけなのでは?と思われないように必ず「自分も知らないうちにやっちゃってることがあるかも。気をつけなくちゃ」ぐらいのコメントを添えてくださいね。それでログ全消しが行われなかったら、その後の彼女のネット活動とみどりさんのお気持ちの推移をまたぜひ報告してください。みなさまの愚痴を、雨宮まみが「穴の底」にてお待ちしております。長文大歓迎!恋愛相手の愚痴も、職場環境にまつわる愚痴も、誰にも言えない愚痴も、「スポーツジムのおじさんの汗がキモイ…」みたいなしょうもない愚痴も、なんでもござれ。大なり小なり吐き出して気を楽にしませんか?「どうしたらいいでしょう?」のような相談は受け付けておりません。ごめんなさい。雨宮まみ(あまみやまみ)ライター。アダルト雑誌の編集を経て、フリーライターに。女性の自意識との葛藤や生きづらさなどについて幅広く執筆。女性性とうまくつきあえなかった頃を描いた自伝的エッセイ『女子をこじらせて』出版後、「こじらせ女子」がブームとなる。他の著書に対談集『だって、女子だもん!!』(ポット出版)、『ずっと独身でいるつもり?』(KKベストセラーズ)、『女の子よ銃を取れ』(平凡社)、『タカラヅカ・ハンドブック』(新潮社)など。「キレイになりたい!」と言えないあなたに。『女の子よ銃を取れ』他人の視線にビクビクしたくない、自分らしく堂々としていたい、かわいい、キレイと言われてみたい……そう思っていてもどうすればいいのかわからないし、「キレイ」への道が怖くてたまらない。キラキラした「キレイになりたい」本を手に取ることすら怖いと感じるくらい、「キレイ」が重荷になっている人のための、自意識や他人の視線、自分の視線を解きほぐす本です。雨宮さんより一言:何をしても、何を買ってもうまくいかない、変われないしパッとしない……。そんな悩みは、本当は多くの人が持っています。それ以前に何をすれば、何を買えばいいのかもわからない人だってたくさんいます。この間まではわかっていたのに、急にわからなくなってしまった人も。そんなときに、自分を取り戻し、新しい自分を作り上げるヒントや、気持ちの持ち方の軸のようなものがあればいいなと思って書きました。落ち込んだときのおともにしていただけると嬉しいです。試し読みはコチラ
2015年07月17日誰にも言えない、けれど誰かに言いたい、そんな内緒の悩みやモヤモヤ、しょうもないグチからやりきれないつらさまで、穴を掘ってこっそり叫んでみたい気持ちを発散する、「感情の吹きだまり」……。そんな場所がこのコーナーです。あなたのやるせない気持ちを、安心してブチまけてみませんか?雨宮まみが聞き手をつとめます。長文の投稿歓迎いたします。(サミー/30代後半/女性)私は「ずっと独身でいい」と周りに言い続けていたこじらせ女子の一人でした。あえてそんな主張を人にしなければならないくらい、実は周囲の目が気になって仕方なかったんだと思います。そんな中、30代後半になって、10年以上ぶりに運良く人生で二人目の彼氏ができました。内心舞いあがっていただろう非モテ女の私は、その勢いで、交際1年程で妊娠が発覚して出来婚(本当は私もわざとの不注意の結果です)しました。年齢的にも恋愛、妊娠ともに次は無いという頭の隅の計算と、なによりこの私に子供まで出来たことに感動し、「彼の子ならば」と結婚を考え、幸せな未来があると信じました。そして二人だけの結婚生活はほとんど無いまま無事子供が生まれ、その直後のてんやわんやの頃は楽しかったです。普通の幸せのようなものが手に入ったんだと勘違いしていました。しかし、どんどん寒々とした現実が姿を現しました。最初から感じてはいたものの、自分の家族含め夫の両親、親戚側からの私に対する白い目。元々の知り合いだとか長く交際してきた訳でもなく、付き合ってすぐ30代後半という年齢で出来婚、というのは印象が良くないのは当然ですが、私の地位はまるで無いかのような扱いです。また、仲良くなれたと思っていた年下ママ友に陰で馬鹿にされていた事も知りました。でもここまでなら仕方がないと思えた気がします。問題は肝心のパートナーである夫。最初は子供という存在に慣れないのだと思っていましたが、違いました。自分の子供にびっくりするほど興味が無い。そして私にも甘い愛情どころか関心も無くなったようです。せめて、昔ながらの男性感覚で育児不参加なのだと思いたかったのですが、私や子供がひどい高熱を出しても、ただ面倒くさそうで、体の心配すらしないのです。譲歩して「~だけはして欲しい」といったようにお願いしても、一時変わるだけで意識の変化はほぼ無く、暖簾に腕押し。まるで、彼にとって私は出来の悪い家政婦であるかのような反応をされました。そんな中、夫がこっそりやっていたSNSを見てしまったのが決定打でした。そこには、子供ができた事への義務的な責任感と年齢的に年貢の納め時、と「諦めて」結婚したというような内容の言葉があり、ショックで茫然としながらも全てを納得しました。本気で愛しているわけでも無い女の子供に、深い愛情が無いのは当然だったんだと。一方で、私にとってはお腹を痛めて産んだ子供は宝物です。私が夫の分も愛せばいいんだと、その愛しさは揺るぎないです。ただ、そんな私を試すかのように、子供は乳児の頃から他の子の何倍も手が掛かる子で個性が強いです。知り合いやネットで繋がる人達のお子さんとは明らかに程度が異なり、異常な癇癪、絶叫、不眠、体の弱さ、多動性、まるで融通が効かないこだわり。これはこの子の個性だから包んであげなければと思ってやっていますが、全て一人で対応していたので、夜泣きが続いた数ヶ月はノイローゼ気味になり、手を上げてしまいそうな程でした。こんなに頑張っているのに、父親や義両親、私より早く3人の子供を育てている妹からは、「子供に甘過ぎる」、「言いなりになるから我儘な自己中の子になっている」、「しつけがなってない」、「家庭が作れていないから発達障害みたいな子供になるんだ」とダメ出し。ダメ出しはするのに世話をしてくれる事はなく、こんなに大変なのに、子供の為にも2人目を作れと催促。保育所の先生からも厄介者扱いされているのを感じます。悔しく悲しく、私の自尊心はボロボロになっていきました。そうして40歳手前でなお自意識過剰で見栄っぱりな私は、承認欲求が高まり、パートで仕事をするように。公に認めてくれる場所を求めざるを得なかったんだと思います。仕事をしている自分が好き!の本性は「存在を認められたい、褒められたい」。その結果、仕事中は満たされるものの、身内からは新たに非難されるように。「子供に十分なしつけもできていないのに預けるなんて」、「節約で生活できるはずなのに独身感覚の無駄使いが治らない」、「人の親になった自覚が足りない」……。「子供は生き甲斐」「私が守る」「将来が楽しみ」。ほんの社交辞令で可愛いと言われた事、ちょっとした成長、細かい事まで子供の良さをアピールするようにSNSに書き連ねます。身内に可愛がられない分も褒めてもらいたくて、自分好みの服を着せて写真をupして……。しかし結局、拭えはしないのです。何故自分だけ?夫も親もいるのに傍に味方がいないの?私は、この子は、身内に愛されないの?よそとは比べない、と強がっていても、体調によって絶望しそうになります。周りには妻としてごく普通に大事に思われている奥さんや、父親と遊び、愛情をもって叱ってもらえる子供がたくさんいます。楽しそうなお出掛けの様子、お祖父ちゃんお祖母ちゃんにあれこれ買ってもらって季節の行事をする様子……。本当は、和やかで普通に愛情のある子連れ家族が心底妬ましいです。また結婚して子供がいても、こんな状態のためか、今なおモテておしゃれな生活をして彼氏に愛されている独身女性も、本まで出されて人気者になられ、こじらせだったことが分からないぐらいきれいな雨宮さんも当然羨ましいです。他のお母さん方なら軽い愚痴で済むであろう、自由時間が無い事や外で子供が邪険に扱われた出来事も、社会が敵のように思え、悲劇の主人公ぶって非難する気持ちが止まりません。心に余裕なんてないからです。親になっても大人になれません。非モテの私が舞い上がってスピード出来婚なんかしたのが間違い。こんな男を夫に選んでしまったのも、自分に見る目が無かったから。そもそも親に十分に愛されて育ち、自分に自信があったら、もっと冷静に相手を見られたはずだ。と、こんなみじめな事は認めたくなくて、今まで言葉にできませんでした。見栄っぱりの私は近い知り合いであるほど、「子供がこんなに可愛くて幸せ、パート仕事もできてやりがいがあって嬉しい」といった話しかできません。こんな、いても意味の無い夫なら別れよう、という決断もこの先きっとできません。父親の無い子供にしたら可哀想、それ以上に私だけで幸せにする自信が無い、というだけではなく、愛されていないと知った今も、「結婚している、夫がいる」という地位を手離したくないんだと思います。つくづく情けなく馬鹿みたいですが、どうせ離婚しても他の男性に愛される事もないだろうと思うと「一見まともに見られる既婚女性」にしがみつくしかない気がしてしまうのです。堂々と生きていく自信が無いのです。愛しい子供はいるのに、虚しさ、みじめさは消えず、赤ん坊のように癇癪を起こし泣きたくなります。(※投稿内容を一部、読みやすいように編集させていただきました。)ずいぶんお疲れの様子ですね。人の目を気にしていたら絶対頼めないような、花火が刺さったカクテルでも出しましょうか。はい、やけどしないように気をつけて……。サミーさんの文章には、大きな矛盾がいくつかあります。「独身生活を満喫している人たち(私、雨宮を含む)が羨ましい」と言いながら、「結婚している、夫がいるという地位を手放したくない」とうところなどはその典型です。おそらく、「独身生活を満喫している人が羨ましく思える」というのは、サミーさんの本心でしょう。でも、外部からそういう人たちがどう見られているか、自分自身がどう見られているかを考えると、「結婚している、夫がいる」という地位のほうが、「高く」見られることを知っているから手放せない、ということなのではないでしょうか。「一見まともに見られる既婚女性」という言葉は、それを象徴していますよね。独身女性を羨む気持ちがありながら、独身女性がどんなにまともに見られないか、サミーさんはよく知っているはずです。サミーさんの苦しみを分解していくと、「社会的にどういう視線を向けられるか」というところにたどり着くものと、「今、自分自身がつらいと感じていること」の二つに分けられると思います。例えば、サミーさんを責めてくるご両親や妹さんの論拠は「社会的な視線」でしかありません。たまたま自分は複数の子供に恵まれ、サミーさんのお子さんのように手がかからなかったから、「一般論」に寄って立って、その立場からサミーさんを攻撃する。「子供にも自分にも興味のない夫」や、「身内に子供が愛されていない」「仕事で自己実現をして、楽しい部分もあるけれど、虚しさやみじめさは消えない」というのは、サミーさん自身の実感によるものでしょう。面白いのは、サミーさんがご自分のことをネガティブに書かれているのとは逆に、非常にポジティブに行動を起こされていることです。非モテでも愛が欲しいと思えば、彼氏を作って結婚をして出産をし、大変な育児をしながらも「承認されたい」と思えば働きに出ていらっしゃる。どれも、自分を肯定するための行動ですし、まっすぐな努力をされてきたのだなと感じます。人目を気にせず生きろ、と言うのは簡単ですが、私には言えません。人と関わる限り、人の視線はついてきます。人の視線でがんじがらめになっては「こんなに苦しい思いをするくらいなら、人の視線なんかもう気にするものか」と誓うことを繰り返して、私は生きています。サミーさんのように、誰かと自分を比べ、誰かのほうが自分より上だとか、下だとか、結婚してるとかしてないとか、子供がいるとかいないとか、愛されているとかいないとかで「自分とは立場の違う人間」だと思うことは、誰にでもよくあることでしょう。でも、誰かより自分が上だと感じたことで「幸せ」だと思えたことはありますか?「立場が同じ人間」だからといって、わかりあえたことはありますか?はっきり言いますが、サミーさんのご両親、妹さん、みなさん家族でも、まったくサミーさんのことを理解されてないですよね。育児も仕事もして偉いね、ってどうして誰も言わないのか、不思議でなりません。ご両親も妹さんも、自分の生き方とは違うサミーさんの生き方を許容できないのだとしか思えません。「同じ母親」でありながら、わかってくれてない。旦那さんも、味方になるどころか、どんなにサミーさんが苦労されているか、知りもしないわけですよね。身近にいる人にこれだけ冷たい視線を向けられて、自分のことを肯定できる人がいたら、精神が強靭すぎてちょっとおかしいくらいですよ。その一方で、サミーさんはすごく恵まれているとも言えます。フルタイムで仕事をしなくてもやっていけるわけですし、不妊でもなく子宝に恵まれています。サミーさんの状況を「羨ましい」と言う人も当然いるでしょう。「既婚女性という立場でいなければ、堂々と生きていく自信がない」。あの……ケンカを売られているわけではないですよね?「雨宮さんは本も出されているし人気者だからいいじゃないですか」って言うんですか?結婚もできていないのに、堂々と生きていると?誰からも叩かれず、非難されず、憐れまれず、つらい思いもせずに生きているように見えますか?「仕事はできてるかもしれないけど、独身でこの年齢で、子供も産めるかわからないかわいそうな人」「ご両親に孫の顔も見せないなんて親不孝」と、言われたことがないと思いますか?そして、そういう比較の果てに、何がありますか?人は、上下とか立場の違いとかで分断されやすいものです。でもその分断は、仕方なく起きるものであるべきで、こちらから起こすものではないと私は思っています。サミーさんがこのコーナーに愚痴を送ってくれたのは、なぜでしょうね。私のように、結婚していなければ子供もいない人間には「わからない」と思っていたら、送ってくれなかったでしょう。サミーさん自身は、分断を望んでない。自分が幸せになるための行動もできる。すごくポジティブでいい人じゃないですか。自信の持てなさを解決するのは難しいですが、せめて自分が「幸せになるために行動してきた」ことに自信を持つことはできませんか。そして、自信を失わせるだけで何も手伝ってくれないご両親や妹さんと、少し距離を置くことはできないのでしょうか。私には、サミーさんはもともと、向上心もあり、自分の自信のなさを克服するために行動する力も、努力する力も、勇気も全部持っているのに、周りの人がサミーさんの自信のなさにつけこんで、見下しているようにしか見えないのです。「自信がない」ということ自体は責められるようなことではありませんが、自信のなさは、びっくりするほど嫌な人を呼び寄せるものなんですよね。つけこんで見下してやろうとする人、いいように使ってやろうとする人……。そして、自信のない人は「そんな人と関わった自分の見る目のなさが悪いんだ」と思う。違いますよ、人の自信を奪うようなことを言う人が悪いんですよ。生まれつき自信がなくてみじめだったんじゃなくて、自信を持とうとしているサミーさんの心を折る人たちが身近にいたんですよ。人の目を気にするな、とは言えなくても、自信を折るようなことを言ってくる人は、たいてい、サミーさんよりも上の立場にいたい人です。マウンティングというやつです。これまで努力してきたこと、がんばってきたこと、今も精一杯やっていること、そのことを、誰も認めてくれなくても自分では認めて、馬鹿にしてくるような人とは距離を置いてください。例えば、お子さんと二人の時間で、誰に見られていなくても幸せだと感じる瞬間もありますよね。そういうことを大事にしてください。惨めさから自分を救ってくれるのは、誰かの上に立つことでも、誰かより優位な立場にいることでもありません。自分の尊厳を自分で守ることでしか、救われることはないんです。自分を惨めにさせるような人とは手を切って、尊重してくれる人、対等に扱ってくれる人と接してみてください。自分を非難してくる人に、認められようとしないでください。それは無駄なことです。私は、仕事からして普通の基準から外れていますし、みんなに「幸せそうな人だ」と思ってもらうことを、諦めざるを得ないところがありました。「周囲から認められる幸せの形」を自分が得ることは難しかった。それを持たなかったから、失うことを恐れずにできたこともあったと思います。世の中には、望んでも持てないものもありますし、望んでなくても持たされているものもあります。サミーさんは、何を「持ちたい」のか、そのことをもう一度考えて、それを邪魔する人の声には、耳を貸さないでください。人の思う幸せの形から多少外れても、幸せだと感じる瞬間があれば、それが惨めさから自分を救ってくれます。サミーさんは、駄目な人でもなければ、何か大きな間違いをしたわけでもありません。そのことだけは知っておいてください。みなさまの愚痴を、雨宮まみが「穴の底」にてお待ちしております。長文大歓迎!恋愛相手の愚痴も、職場環境にまつわる愚痴も、誰にも言えない愚痴も、「スポーツジムのおじさんの汗がキモイ…」みたいなしょうもない愚痴も、なんでもござれ。大なり小なり吐き出して気を楽にしませんか?「どうしたらいいでしょう?」のような相談は受け付けておりません。ごめんなさい。愚痴投稿はこちらから雨宮まみ(あまみやまみ)ライター。アダルト雑誌の編集を経て、フリーライターに。女性の自意識との葛藤や生きづらさなどについて幅広く執筆。女性性とうまくつきあえなかった頃を描いた自伝的エッセイ『女子をこじらせて』出版後、「こじらせ女子」がブームとなる。他の著書に対談集『だって、女子だもん!!』(ポット出版)、『ずっと独身でいるつもり?』(KKベストセラーズ)、『女の子よ銃を取れ』(平凡社)、『タカラヅカ・ハンドブック』(新潮社)など。「キレイになりたい!」と言えないあなたに。『女の子よ銃を取れ』他人の視線にビクビクしたくない、自分らしく堂々としていたい、かわいい、キレイと言われてみたい……そう思っていてもどうすればいいのかわからないし、「キレイ」への道が怖くてたまらない。キラキラした「キレイになりたい」本を手に取ることすら怖いと感じるくらい、「キレイ」が重荷になっている人のための、自意識や他人の視線、自分の視線を解きほぐす本です。雨宮さんより一言:何をしても、何を買ってもうまくいかない、変われないしパッとしない……。そんな悩みは、本当は多くの人が持っています。それ以前に何をすれば、何を買えばいいのかもわからない人だってたくさんいます。この間まではわかっていたのに、急にわからなくなってしまった人も。そんなときに、自分を取り戻し、新しい自分を作り上げるヒントや、気持ちの持ち方の軸のようなものがあればいいなと思って書きました。落ち込んだときのおともにしていただけると嬉しいです。試し読みはコチラ
2015年06月18日○私の地元の"最強"絶景吉見百穴(埼玉県比企郡)(c)Flickr/puffyjet○"最強"絶景ってこんなところ丘陵や台地の斜面を掘削して作られた吉見百穴は、古墳時代の末期に造られ、大正12年(1923)には国の史跡に指定されている。現在確認できる横穴の数は219基で、一部の穴には緑色に発光する「ヒカリゴケ」が自生している。戦時中には、地下軍需工場として活用されていたという歴史もある。アクセスは、JR高崎線 鴻巣駅から東武バス東松山駅行きで約25分。○推薦者はかく語る「異国感たっぷりで圧倒される。ただ、元軍需工場ということもあり、重さを感じずにはいられない」(34歳男性/機械・精密機器/技術職)
2015年06月14日静岡県の体感型動物園「iZoo(イズー)」はこのほど、公式Facebookにて、「ケヅメリクガメ」の産卵の様子を公開した。○ケヅメリクガメが、穴も掘らずに産卵「ケヅメリクガメ(Geochelone sulcata)」は、砂漠の周辺やサバンナに生息する爬虫綱カメ目リクガメ科リクガメ属に分類されるカメ。後肢と尾の間に蹴爪状の突起があり、和名や英名「(spurred=拍車のある、蹴爪のある)」の由来になっている。尾の先端は小型鱗で覆われている。今回は穴も掘らずに産卵してしまい、途中で産卵が止まった。飼育スタッフが産卵場に連れて行ったところ、軟らかい土を掘り始め、さらに産卵を行う様子だったという。同園の所在地は、静岡県賀茂郡河津町浜406-2。
2015年04月12日一番年齢が出るところは、実は「手」です。どんなに若作りしていても、手を見ると年齢が出てしまいます。手の美容ケアは、睡眠中にしっかりとしておくことが大切です。今回は、「手」のケアについてご紹介します。手で年齢がわかる?見られている部分美魔女ブームとも言われているように、近年では実年齢より若く見えて、綺麗な方が多いですよね。しかし、1つだけどうしても年齢が出てしまう部分があります。それが手です。手のしわを見ると、実年齢がわかるという方もいます。そのくらい手はごまかせないのです。しかし、手のケアを率先して行っている人は少ないのが現状です。どうしても後回しになってしまうのでしょう。時間をかけずに、しっかりとケアしていく方法を紹介します。睡眠中に手の美容ケアを!株式会社ハーバー研究所から、睡眠中に美容ケアできる手袋が発売されました。つけて寝るだけで、手が保湿され潤いのある手を作り出すことができます。手袋をつけるだけだったら、毎日続けられそうですよね。つけたままスマホも操作できるようになっており、睡眠時だけでなく日頃から使ってもよさそうな商品です。このように、睡眠時間をつかって美容対策をしてみてはいかがでしょうか?特に冬は手が荒れる時期ですので、睡眠時以外もハンドクリームなどでこまめにケアしていきましょう。手荒れを気にしすぎ?手洗いもしっかりしよう手荒れを気にしすぎてしまったり、冷水に手を入れたくないという理由から手荒いが雑になってはいませんか?薬用せっけん「ミューズ」で有名なレキットベンキーザー・ジャパン株式会社がアンケートをとったところ、8割以上の主婦は十分な手洗いができていないことがわかりました。8割以上の主婦が10秒以内の手洗いで済ませていることがわかりました。10秒以内では十分にばい菌が落とせていません。細菌やウイルスの付着を防ぐためにも、しっかりと30秒以上時間をかけて手洗いしましょう。水洗いではなく、ハンドソープを使ってください。その後は、ハンドクリームでケアも忘れずに!Photo by Geoffroi Baijot
2015年01月16日猫といえば、お手手をきちんとたたんで座る「香箱座り」が有名です。きれいに胸元にしまわれたお手手、そして丸みを帯びた猫の背中が「香木やお香を入れておくための箱に似ている」ことから、このように呼ばれるようになりました。では、なぜ猫はこんな座り方をするのでしょうか。猫の気持ちを教えます。■猫特有の座り方猫はネコ科の動物で、ライオンやトラと同じ科に属しています。体の大きさに違いはありますが、「狩りをする動物である」という点など、共通点もありますよね。しかしこの香箱座りをみせてくれるのは、猫だけなのです。「前足はどうなっているの?」と思ってしまうこの姿は、猫独特のものなのですね。■リラックス香箱座りでは、猫は前足を胸元に収納しています。これは、「自分に危機が訪れたときにも、とっさに戦闘態勢に入れない」ということを意味します。狩りをする猫が、自分に危機が訪れるかもしれない状況の中で、このようなしぐさを見せることはありません。香箱座りを見せてくれたら、それは猫が心からリラックスしている証拠だと言えるでしょう。もしも家に迎えて間もない猫が、こんなしぐさを見せてくれるようになったら…家にも飼い主にも慣れてくれたと考えて良さそうですね。■香箱座りできない猫もいる香箱座りはリラックスの証拠。それをしない場合、「わが家の猫は、こんな座り方をしてくれない。もしかしてリラックスできていないの?」と気になる方もいるかもしれません。しかし心配することはありません。そもそも香箱座りが苦手な猫もいるのです。中でも、身体が大きめの猫は足を内側に折り曲げることが難しく、香箱座りを見せることはまずありません。その代わりに、前足を前に伸ばすような座り方でリラックスしていることが多いです。またどんな猫でも子猫の時期には、いろいろなものが気になり、好奇心旺盛に動き回りたいものです。まったりと落ち着いて過ごす…なんて行動はまだまだ難しいようで、香箱座りを見せてくれる子はほとんどいません。成長するにしたがって見せてくれることもあるので、諦めずに観察を続けてみてください。香箱座りは、猫がリラックスしている証拠です。自分の前で猫がこんな姿を見せてくれたら、いとしさがさらにアップしそうですね。(画像提供元:うだま)
2014年11月29日ハンドメイド、手作り作品の通販・販売サイトminne(ミンネ)では、クリエイターが作った「鼻の穴はしおき」を販売している。○2通りの使い方ができる同サイトは、ハンドメイド作家がユニークでオリジナリティある手作り作品を販売する通販サイト。「鼻の穴はしおき」は、陶芸作家のNIKKORIEさんが手がけた。人の鼻の形をモチーフにしたインパクトあるデザインの箸置きで、全体に釉薬をかけずに肌色に仕上げた。箸の先を入れる穴の中は白色となっている。好みに合わせて、2WAYの使い方ができる。一つは、鼻の穴の中に箸の先を入れる使い方で、もう一つは鼻の頭の上に箸を置く使い方。ペーパーウェイトとして使ったり、インテリアとして飾っておくこともできる。ひとつひとつ手作りで仕上げるため、形や色は写真とは微妙に異なるとのこと。作家のNIKKORIEさんは、「世界に一つだけの運命のハナに出会えますように」という願いを込めて製作している。箱に入れ、無料でラッピングをして発送する。サイズは約縦6㎝×横4㎝×高さ3.5㎝。価格は1,500円(税込)。
2014年11月29日プロの猫飼いさんにとっては常識なのかもしれないが、まだ猫飼い初心者の筆者は最近発見したことがある。それは、猫の鼻の穴がハートの形をしているということ。我が家にいる2匹の猫のうち、上の子がその形に該当していた。早速近寄って鼻の穴を見せていただきたいと思う。こちらが我が家の兄猫。3歳の男の子で、昼間はよく廊下で日向ぼっこをしている。こちらの可愛いピンクの鼻。下から見ると鼻の穴が見えるのだが、少し失礼して見せていただこうと思う。少しアゴをクイッと上に持ち上げる。親指で喉を撫でてあげていたので、ゴロゴロと音を立てて喜んでくれた。さて、カメラを近づけてみてみると……。見ていただきたい!! ご覧の通り、見事なハートだ。色もピンクで実にマッチしている。この子と暮らし始めて2年以上が経過するが、恥ずかしながら鼻の穴に注目したことがなかった。発見した時の感動は実に大きいものだった。正面から見ても、(少し形は崩れるが)ハートが二つ鼻についているように見える。猫と一緒に暮らしている猫飼いのみなさん、まだチェックしていないというようであれば、是非とも見ていただきたいと強く思う。○鼻の穴が丸い形をしている場合も、当然ある猫ならば全員がハートの鼻なのかと思ったが……。実はそうではないらしい。こちらは我が家にいるもう一人の猫。同じく3歳の男の子だ。こちらの猫の鼻の穴を見ていただきたい。カメラを寄せて見てみると……。!!! こちらはハートではなく、カマボコのような半月の形の鼻の穴だ。猫は本当に個体差の激しい生き物だが、どうやらその特徴は鼻の穴の形にもあらわれるらしい。ハートの形であれ、半月の形であれ……。いずれにせよ、どんな形でも愛猫の鼻の穴は可愛いものである。ハートや半月以外にも、とても楽しい形があるかもしれない。是非ともチェックしてみてはいかがだろうか。<作者プロフィール<うだま猫好きの人妻アラサー。猫の漫画や日常の漫画をよく書く。猫ブログ「ツンギレ猫の日常-Number40」は毎朝7時30分に更新している。ツイッターでは常に猫への愛を叫び続けている。下ネタツイートは最近控えるようにしている。
2014年11月11日コクヨグループのコクヨS&Tは10月22日、針なしステープラー「ハリナックス」シリーズから、穴をあけずに紙をとじる「ハリナックス プレス」(税込1,188円)を発売した。同商品は、これまでの針を使わずに紙をとじるという機能に「穴もあかない」という新たな特徴を加えたもの。金属歯で紙に凹凸をつけて強い力で圧着する「プレスロック式」を採用し、穴を開けずにコピー用紙5枚程度をしっかりととじることができる。とじ部は重ねた場合にもかさばらず、平らに擦るだけで簡単に外すことができるとのこと。同商品の発売にあたり10月22日、新商品発表会が行われた。タレントの鈴木奈々さんが同商品で製作された"紙ドレス"を着て登場し、「すごい強力です! 家計簿をつける時に使ってみたいです」とPRした。
2014年10月24日ものをつまめるようになる生後10ヶ月くらいから、容器にものを入れたり、出したりを楽しめるようになりますよね。それを楽しみはじめたら、穴落としにもチャレンジしてみるといいですよ。穴落としをすると、手指が器用になるとともに、集中力もつくと言われています。この穴落とし、とっても簡単に作れるので、ご紹介しますね。■用意するもの・密閉容器(少し深めのみそ、砂糖用などがオススメです)・ペットボトルのふた 10個程度・カッターナイフ・ビニールテープ■作り方1.ペットボトルのふたを2個組み合わせて、ビニールテープではります。これで、落とす道具の完成です。2.密閉容器のふたにカッターナイフで、ペットボトルが入る大きさの穴を開けます。これで、できあがりです。とっても、簡単ですよね。マスキングテープ、シールなどでデコしても、かわいいです。ペットボトルのふたの穴落としが、上手になったら、ぜひ、ほかのものの穴落としにもチャレンジしてみましょう。指先の器用さアップにつながります。■落とすもの1) ストローおうちにあるストローを適当な長さにカットします。穴も、ストローサイズの細さにしてください。穴が小さくなるので、少し難しくなります。2) カードおうちにある要らない会員カードなどを使います。穴は、細長い穴にしましょう。カードは、画用紙、シールを使って手作りしてもいいですね。この際、ラミネートすると、より長持ちします。3) チェーンリングチェーンリングを繋げたものを準備します。短いもの、長いものなど、いくつも作りましょう。穴は、ペットボトルのサイズのもので、OKです。これを穴に入れるときのポイントは、チェーンリングの端をもって、穴と手の距離を長くした状態で入れることです。これは、難しいのですが、とても集中力がつきます。手作りのおもちゃで遊べるお子さんって、幸せですよね。そのおもちゃ、ぜひ、写真などに残して、お子さんが大きくなったときに見せてあげてください。こどもたちが、ママから愛されていたんだ、という実感として、その後の成長の支えになることでしょう。
2014年07月16日金欠の人は冬至に早稲田へ!金銭ご利益・穴八幡神社の「一陽来復」お札金欠にあえいでいる人にぜひオススメしたいのが、早稲田にある穴八幡神社の「一陽来復(いちょうらいふく)」のお札。江戸時代から続く伝統のお札で、「金銭融通」のご利益があると昔から多くの人が列をなして求めるもの。さて、そのお札とは?●早稲田の街の一角に現れた長蛇の列の秘密年末が近づくと、早稲田の街の一角には長蛇の列が出現。ラーメンか?タイ焼きか?いえ、違います。金運上昇のご利益があるというお札を授けていただこうと、早朝からたくさんの人が神社の拝殿前に列をなすのです。そのお札とは、穴八幡神社の“一陽来復お札”。「金銭融通のご利益がある」と言われているものです。「一陽来復」には、「陰が極まって陽に転じること」すなわち、「凶事が去って吉事がめぐってくること」という意味があります。また「冬至」という意味合いもあります。1年の内で「陰の極まる日」といえば「冬至」。すなわち、この日を境に陽に転じていく、ということですね。この言葉通り、この一陽来復お札の頒布は、冬至の日から始まります。この日から節分までの約2ヵ月間のみ、授けていただけるお札なのです。●冬至と大晦日、節分と貼るチャンスは年に3回この一陽来復のお札、実はちょっとしたルールがあります。それは貼る日にちと時間、向きが決まっていること。貼れる日にちは年3回のみ、冬至か大晦日、節分の夜。深夜24時ぴったりに、天井近くの壁にその年の恵方に向けて貼るのです。すると、その年1年間はお金に困ることはないのだそう。「毎年欠かさず貼っているからお金に困ったことがない」という人の話をよく聞きます。そういえば、私もかつて毎年貼っているときは、お金に困ったことがなかったかも…(遠い目)。そもそもこのお札の頒布が始まったのは、さかのぼること230年前。江戸の末期に除災招福の御祈祷を修して信徒に授けたのが始まりだとか。その後、一般庶民にも広がり金銭融通のご利益があるとして、江戸庶民が列をなして求めにきたそうです。●お隣の放生寺でも「一陽来福」お守りが!さて、穴八幡神社のお隣には、放生寺というお寺がありますが、この放生寺でも一陽来福(いちょうらいふく)のお札が頒布されています。「福」の字が違いますが、見かけも貼り方もご利益もまったく同じです。実はもともとこの2社、同じ敷地内にあったそう。明治時代に行われた神仏分離によって別々の寺社として扱われるようになり、今に至るとか。どちらが先で、どちらが本家ということはないようです。頒布が始まる冬至の日には、早朝から多くの人が並ぶ穴八幡神社。夜には出店も出て賑やかです。ご利益があるかないかは置いておいて、年末の風物詩を味わうために12月22日は早稲田界隈に出かけてみてはいかがでしょう?<文:ライフアップコーチ あべけいこ>
2013年11月18日恥ずかしさのあまり身を隠したい時、「穴があったら入りたい」と言いますが、さて、英語圏ではそんな時、どこに隠れたいと思うのでしょうか?答えは「ラグの下」。「恥ずかしくて穴があったら入りたいくらいだった」は「I was so ashamed that I wanted to crawl under the rug(carpet).」と言えます。「I wish the ground would (open and) swallow me.」という言い方もあるようですが、地面にのみこんでほしいとは、想像するとちょっと怖いかも。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2013年02月17日「九州の有明海沿岸には、『若者の尻の穴』を食べる食文化がある」。このように切り出せば、たちまちネット掲示板などは話題になるかもしれない。しかし残念(?)ながら、現地で実際に食されているのは人間のそれではなく、干潟に生息するイソギンチャクである。標準和名・イシワケイソギンチャク。有明海沿岸での方言名は「ワケノシンノス」。この「ワケノシンノス」を標準語に訳せば、「若い者の尻の穴」になるから恐ろしい。地元で古くから食材として愛されてきたワケノシンノスは、現在では水産物専門店で全国にネット販売されている。今回購入した商品は、送料込みで1kg4,200円。多少高価ではあるが、試食してみることにした。注文から数日後、ワケノシンノスが届く。漬けられた海水の中で灰褐色の肢体をだらしなく伸ばし、触手をフワフワ漂わせる姿はおよそ食欲をそそられるものではない。極端な魚介類嫌いが高じてか、水棲生物をモチーフにあらゆる邪神を創造したアメリカの怪奇作家の気持ちがよくわかるというものだ。そんなワケノシンノスをザルにあければ一瞬で丸く縮こまる。この状態で塩揉みしてヌメリを洗い流し、いよいよ調理に取りかかる。まずは現地でのスタンダードメニューである「味噌汁」と「煮付け」。創作メニューとして、縦に切り開いてタレに漬け、小麦粉をはたきつけた「和風ムニエル」。そして「酒蒸し」。「ワケノシンノス尽くし」の食膳を整え、ある程度覚悟しながら口に運ぶ。しかし、これが意外においしい。かたい外皮に歯を当てればカリッと快い感触のうちに噛み切られ、濃厚な旨味が口中に広がる。アサリの内臓か牡蠣にも似た、海中の栄養素を込めた芳醇な滋味に、食前の覚悟で胃に湧き上がっていた酸っぱいものは速やかに癒された。調理のポイントは、「加熱しすぎない」ことだろう。煮過ぎればクタクタになり、外皮の歯ごたえが失われる。また、薄味に調味することがおいしさを引き出すコツと思われる。名前と外見で損している典型例のワケノシンノス。命名者の感性が心から悔やまれる。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年05月30日友だちや恋人、家族、同僚…誰かしら傍にいたとしても、なぜか寂しさに襲われるときがある。そんな心にぽっかりと空いた穴ぼこを埋められるモノは人それぞれで、映画『レンタネコ』に登場する人々の場合は“猫”の存在がその穴を埋めてくれる──。「♪レンタ~ネコ、ネコ、ネコ。寂しいヒトに、猫、貸します」と呼びかけながら、穴ぼこの空いた人と猫との出会いを手伝うヒロイン・サヨコを演じた市川実日子。30代を迎え、大人の女性に近づきつつある市川さんの心の中にも確かに寂しさはあった。市川さん、その寂しさとどう向き合っているんですか?30代を迎えて変わった“穴ぼこ”の受け止めかた「以前は、かわいい文房具や素敵な洋服を買ったり、友だちと会ったりして穴ぼこを埋めようとしたこともありました。今でも無意識にそうしているかもしれないけれど、埋めるために何かをしても埋まらないときもあるんですよね。それに気づいてからは、敢えて何かをしたりしないように。ああ、穴ぼこ空いているな…って、空いていることを受け止めて知っておくことも大切だと思うんです。だから今はほうっておきます(笑)。そんなふうに思えるようになったのは、20代を経て30代を迎え、年齢を重ねたからなのかもしれないですね。共演した田中圭さんとも“穴ぼこ”の話をしてたんですけど、(20代の)田中さんは『えーっ!僕はすぐに埋めます!』って言っていましたから(笑)」。自分自身の気持ちを素直に受け止められる年齢であることも、荻上直子監督がサヨコ役に市川さんを選んだ理由のひとつなのだろう。監督は「市川さんが持っている少年っぽさを出せる最後のタイミングだったんじゃないかと思っています」と、今の市川さんの魅力をスクリーンに映し出している。荻上監督といえば、デビュー作の『バーバー吉野』を始め、『かもめ食堂』、『めがね』、『トイレット』と、新作ごとに様々な形で人とのつながりを描いてきた監督だ。『めがね』に続いてのタッグを組む市川さんは、荻上監督の“らしさ”について「ファンタジーとリアルが入り混じっている世界を創り出す監督」と表現する。「寂しい人にネコを貸すという、ありそうでなさそうな物語は、見方によっては不思議な話とも思えるけれど、気づくと自分と重ね合わせたり、(その世界観を)自分の中で探していたりするんですよね」。中でもファンタジーとリアルを強く感じたのは、サヨコが川辺で立ち尽くすとあるシーン。「あれ…みんな何処に行っちゃったんだろうって感じるあのシーンには、いろいろな意味があると思うんです。具体的な言葉にはしていないけれど、あの感覚、なんか分かるんです。(周りに人がいるのに)突然、ひとりになってしまう感覚ってありますよね?普段、感じていても言葉にしていない、でも確かに感じ続けていることが、あのシーンに描かれていて。うん、ファンタジックなのにリアルなんですよ」。「猫との距離がぐっと近くなった」撮影現場リアルなキャラクターとしてサヨコの前に現れるのは、夫と愛猫に先立たれた老婦人、単身赴任中の中年男、自分の存在意義に疑問を感じている受付嬢。寂しさゆえの穴ぼこを抱えた彼らに「寂しいまま、なんて絶対にいけません」と、サヨコは猫を貸す。祖母の遺した一軒家に17匹の猫と住み、見ず知らずの人の寂しさを埋めることを仕事にしている彼女を、市川さんは「傍から見ると、ひとりでも楽しく生きてそうに見えるんですけど、彼女自身は自分は孤独だって感じていると思うんですよね…」と代弁する 。“今年こそは、結婚するぞ”と習字で目標を書いては壁に貼っているのも、孤独から脱したいという願望の現れなのかもしれない。市川さんも、意外にも結婚願望の強いサヨコに共感。「ひとり暮らしを始めた頃は楽しかったと思うんですよね。すべての時間を自分のために自由に使えるという醍醐味もあるし。でも、寂しさって突然にやってくるもので…たまーに寂しくなるんですよね」と、哀愁をふくんだ笑みを浮かべる。そんなサヨコの寂しさをからかうように、何かとちょっかいを出してくる謎の隣人を、ラジオDJとしておなじみの小林克也が、まさかの女装で演じているのも面白い。「本番で笑わないようにするのが大変でした(笑)。普段のしゃべり方はとても男らしい方なので、なおさら可笑しいんです。サヨコとの絡みも面白いし、何よりもあんなに正直に話してくれる隣人っていいですよね(笑)」と語るように、小林さんの演じる隣人のセリフは笑いと共に心にしっかりと突き刺さる“何か”を持っている。また、17匹の猫たちからは猫と暮らす良さ、動物が与えてくれる癒しを感じるはず。もともと犬派だった市川さんも「猫との距離がぐっと近くなった」と、猫に囲まれた現場をふり返る表情はなんとも和やかだ。「同居人」のような猫の存在「サヨコは、猫~!っていうように極端にかわいがるタイプではないので、ほどよい距離感を保ちつつ、猫は猫、サヨコはサヨコっていう感じで現場に臨んでいました。人でも猫でもすべてを同じ目線で見ることのできるキャラクターなんです。だから、17匹も猫がいても違和感がないというか…。撮影に入る前に監督が、猫に何か強要するということはせず、でも猫待ちということもせず、猫に自然なままでいてもらうスタイルで行きますと話していて、本当にそういう撮り方でしたね」。たしかに、サヨコと暮らす猫たちはペットというよりも同居人のような存在。荻上監督自身が長年猫を飼っているということもあり、彼女がつねに感じていた「猫に癒されたり、猫から与えられたものが多かったので、この映画はそのお裾分けという気分もあります」というメッセージも込められている。撮影を終えた今、市川さんもしっかりとそのお裾分けを受け取り「猫と暮らしたくなりました」と、猫との暮らしに惚れ惚れ。敢えて穴ぼこは埋めないようにしているという彼女の穴ぼこを『レンタネコ』の猫たちがごく自然に埋めたように、この映画を観た人の穴ぼこも、猫と人間、愛しいキャラクターたちがきっと埋めてくれるはず──。(photo:Yoshio Kumagai/text:Rie Shintani)■関連作品:レンタネコ 2012年5月12日より銀座テアトルシネマ、テアトル新宿ほかにて全国公開© 2012 レンタネコ製作委員会■関連記事:田中圭、初めての荻上直子作品の現場は「ボーっとしてた」『かもめ食堂』荻上直子監督の最新作『レンタネコ』、ベルリン映画祭出品決定荻上直子監督最新作!ハートフルムービー『レンタネコ』試写会に15組30名様ご招待
2012年05月09日全国から老若男女が集まりただ一心不乱に穴を掘るイベント――それが千葉県・成田ゆめ牧場が主催する「全国穴掘り大会」です。1~6人までのチーム制でひたすら穴を掘り、最も深い穴を掘ったチームには賞金10万円を進呈する気合の入りよう。口コミやネットでジワジワと広まり、なんと今年で12年目を迎えます。ただ穴を掘るだけのイベントが12年も……なかなかに感慨深いものがあります。聞けば、大会で掘った穴は、一週間後には牧場スタッフがせっせと埋めるのだそう。ではなぜわざわざ穴を掘るの?すぐ埋めるのに?イベントの実態を確かめるべく、現地で体験してきました。ちなみに、今年は259チームが参加し、ほとんどが6人でチームを組んでるとのこと。単純計算で、約1500人が穴掘りのためだけに成田市までやってくる……すごい話です。成田ゆめ牧場に着くと、周囲にはヘルメット、はしご、業務用スコップにロープ、とえらく本気の装備でスタンバイするオジサンたち。彼らのジャージや作業着の背面には"○○工業"、"○○水道"とプロアピールが。"牧場でただ穴を掘るだけのイベント"など、どう考えてもノンビリ優雅なファミリーイベントのはずなのに、この汗臭さは一体どういうこと?そして、紙によく分からない計算式を書いて打ち合わせをするチーム、イベントスタートから終了までのペース配分を打ち合わせるチーム。ところどころで円陣を組む様子まで見受けられました。彼らの何がそんなに穴掘りに駆り立てるのでしょうか。チームのひとつに声を掛けてみると、「んあ?取材?試合開始してからは寄ってこないでよ!」とうるさそうにあしらわれてしまいました。どうやら愛知県から毎年はるばる参加しにきてるそうで、今年こそはとこの試合に賭けているのだとか。ほかにも、今年は北は長野県、南は愛媛県までと地方からの猛者も多数。参加者のおおまかな比率は、工事関係者等のプロが35%、プロ以外の若い男性が30%、家族連れが25%、若い女性が10%といったところ。ただ、たったひとりの孤独なチームで、しかもショートパンツにタイツのような普段着の20代女性は筆者以外に見当たりませんでした。おのれの穴掘りへの情熱の足りなさを猛省し、孤独をかみしめてるうちに、試合開始のカウントダウンが始まりました。試合スタート!その一言で全チームがすさまじい勢いで掘り始めました。「うぉぉぉぉー!!」と猛り声まで聞こえてきます。「ああ、これは穴の深さでは勝てない」と軟弱な筆者は早々に気迫負け。大きさがダメなら、形で勝負です。穴を審査するのは、主催の成田ゆめ牧場のスタッフ。ならば、「御社のこと、大好きです」と言わんばかりに媚(こび)を売った穴を掘ればいいのです。そこで、筆者は「ゆめ牧場」と地面を掘る、いえ、彫ることに決めました。ところが。……掘れない。思った以上に地面は固く、やっとの思いでスコップをさしこめても、雑草の根っこが邪魔をし、数cm掘ることすらままなりません。「ゆめ牧場」と堂々たる媚び穴を掘るなど夢のまた夢。ゆめの「ゆ」の字すらまともに掘れたものではありませんでした。開始3分もたたずして試合放棄した筆者。対して、いい顔して泥だらけになっているほかのチーム。結局、「ただ地面の固さにイライラしただけ」という思い出のみが残り、試合終了の合図が鳴り響きました。穴ひとつまともに掘れないなんて……と肩を落としながらほかのチームの穴を見てまわると、ほとんどが深さ1m前後の穴を掘る中、富士山を模した穴や、字や絵を描いた穴など、もはや穴の範疇に収まりきらない力作もありました。全259個の穴の計測・審査が終わるのを、牧場で牛と戯れたり、牛を食べたりして待つこと数時間。ようやく結果発表が始まりました。芸術的な穴との評価で「ユーモア賞」に輝いたのはこの穴。穴の深さこそ35cmと優勝には遠く及ばなかったとは言え、穴にハマった人やHELP!の文字を添えることで、穴の浅さをごまかすことに成功している見事な作品です。そして、優勝はなんと3m39cmもの深い穴を掘ったチーム。当然ながら、優勝チームを始め、上位に名を連ねる面々は、ほとんどが土木工事関係のプロでした。ちなみに、優勝賞金は、50円玉を並べて「十万」と描かれた10万円。優勝チームは、これをそのまま渡され、家に持ち帰ります。あれだけの固い地面を3m39cmも掘れるなら、何のことはないでしょうけれども。主催の成田ゆめ牧場・鈴木卓さんは、「穴掘りはれっきとしたスポーツ。世界で一番力の入る脱力系スポーツイベントですよ」と笑います。もともとは、冬場の牧場の集客のために、インパクトがあり、わかりやすく、大人からこどもまで誰でも参加できるイベントとして企画された当イベント。むやみに力任せで掘っても優勝は難しく、緻密な作戦とチームワーク、知力がとても問われるのだそう。たとえ筆者のように非力で根性なしでも、他チームの穴作品や、穴を掘る人々を眺めているだけで非日常感を味わえる上、無心に穴を掘り進める人々の熱気に包まれるのは、異様な中毒性すらあります。日本でおそらくここでしか味わえないその中毒性こそが、12年もこの謎の大会が愛され続けているゆえんなのかもしれません……。(朝井麻由美+プレスラボ)(撮影:天谷窓大)成田ゆめ牧場「全国穴掘り大会」は、毎年冬にココで開催されます。
2012年03月23日