平昌五輪・フィギュアスケート男子で金メダルを獲得した羽生結弦選手が、19日放送のTOKYO FMラジオ番組『LOVE CONNECTION』(11:00~13:00)を通じて、「試合前に聴く曲」「心の支えとしている曲」を発表。2016年に上咽頭がんで亡くなった歌手・和田光司さんへの思いも語った。羽生結弦TOKYO FMでは、平昌五輪に向けて音楽でエールを送るスペシャル企画『アスリートたちのCheer up SONGS』を実施。アスリートに独自取材した「試合前に聴く曲」や「心の支えとしている」曲を、平日の生ワイド番組を中心にオンエアしている。羽生もこの企画に参加し「試合前に聴いたり心の支えとなっていた曲=Cheer up SONGS」のベスト3を発表し、コメントを寄せた。羽生が1位に選んだのは、和田さんが歌う「風 ~re-fly ver.~」。和田さんは1999年4月にTVアニメ『デジモンアドベンチャー』の主題歌「Butter-Fly」でメジャーデビューして以降、『デジモン』シリーズの主題歌、挿入歌などを数多く担当した。2003年、29歳の時に癌を患い、2度の活動休止を経て歌い続ける姿から、デビュー曲にかけて「不死蝶のアニソンシンガー」と呼ばれていた。TOKYO FMでは引き続き47選手に取材した「Cheer up SONGS」を『クロノス』(月~金6:00~8:55)、『Blue Ocean』(月~金8:55~11:00)、『LOVE CONNECTION』(月~金11:30~13:00)、『高橋みなみの「これから、何する?」』(月~木13:00~14:55)、『シンクロのシティ』(月~木15:00~16:50)、『Skyrocket Company』(月~木17:00~19:00)、『よんぱち』(金13:00~16:30)などでオンエアしていく。■羽生選手が選んだCheer up SONGSベスト3とコメント・1位「風 ~re-fly ver.~」(和田光司)「和田光司さんは(亡くなって)もういらっしゃらないんですけど、もともと僕はデジモンが好きで、デジモンの曲です。ただ翼とか風とか、向かい風の中を飛んで行くような、そんなイメージが強くある曲。和田光司さんも(天の)上から見ていただけていたらな、と思いました」・2位「夢の飼い主」(BUMP OF CHICKEN)「BUMP OF CHICKENはもともと全曲そらで歌えるくらい好きで聴いているのですが、何よりも今回は夢の舞台ということもありましたし、この曲の主人公がだんだん夢に味付けをしていってしまって…その感じがちょっと自分にもあって。ずーっと自分で『これが夢だ!』と思っていたからこそ、いつのまにか純粋な気持ちを忘れてしまってたな、ということを思い返すことができた曲です」・3位「戦いは終わらない」(阿部真央)「この曲は自分自身を鼓舞してくれる、 自分自身を代弁してくれるような曲。本当に力強い阿部真央さんの声、『自分に自信を持っていいんだよ』と思えるような曲でした」
2018年02月19日66年ぶりとなる五輪連覇を成し遂げた羽生結弦(23)。絶対王者が「伝説」となった瞬間だった。 2月16日に行われたショートプログラムでは111.68点を獲得し、首位発進。フリーでも圧巻の演技を見せつけ、206.17点を獲得。合計317.85点となり、金メダルに輝いたのだ。 昨年11月のNHK杯で公式練習中に転倒し、右足首靭帯を損傷。練習再開までには2カ月間かかり、ジャンプ練習は今年に入ってから。演技構成についても直前まで迷うなど、まさにギリギリで臨んだ大舞台だった。 しかし羽生はすべてを終えた後、こう語っている。 「本当に自分がやりきれたなと思うくらいの演技ができたことがよかったと思う」 11日にカナダ・トロントから現地入りした際も「どの選手よりも勝ちたいという気持ちが強くあると思うし、ピークまでもっていける伸びしろがたくさんある」と意気込んでいた羽生。平昌五輪で金メダルを取る。そのイメージだけは揺るがなかった。 実は羽生、その夢をすでに10代のころから見据えていたという。 16年に発売されたスポーツライター野口美惠氏の『羽生結弦 王者のメソッド 2008-2016』(文藝春秋)。13歳の少年が絶対王者に至るまでの軌跡を本人の肉声とともに描いたものだが、そのなかでシニア転向した羽生の“予言”が記されている。 《14年のソチ五輪は、とにかく出場したいです。あの空気を味わって,初の五輪だからある程度緊張もするだろうけれど、『僕は五輪で滑っているだぞ』っていう空気を味わって、すごく思い切って出来るんじゃないかな。そして、18年平昌五輪は23歳で年齢的には味も出てくるし、一番ベストの年齢。平昌五輪では金というイメージです》 快挙の陰には、どんなときでも決してぶれなかった“強い信念”があったのだ。
2018年02月17日フィギュアスケート男子代表の羽生結弦選手が17日、平昌オリンピックで金メダルを獲得。Twitterでは一部の映画ファンが、映画『バーフバリ 王の凱旋』を連想したことで話題となっている。映画『バーフバリ 王の凱旋』は、現在上映中のインド映画で、同国で歴代最高興収を達成した大ヒット作。2015年に上映された『バーフバリ 伝説誕生』と二部作となっており、21日には『王の凱旋』のブルーレイ&DVDも発売される。古代インドを舞台に、数奇な運命に導かれた伝説の戦士・バーフバリが、三代にわたり愛と復讐の物語を繰り広げる同作は日本でもSNSを中心に熱狂的に受け入れられた。映画を観た人がバーフバリ(父親&息子)のカリスマ性に感化され、「バーフバリ! バーフバリ!」としかつぶやかなくなることでもおなじみとなっている。前回のソチオリンピックで金メダルを獲得した後、怪我に悩まされていたが、平昌オリンピックで見事にそのカリスマ性を見せた羽生。16日に羽生がショートプログラムで1位に輝いたことで、Twitterでは「ソチが『伝説誕生』、平昌が『王の凱旋』」と話題になり、「バーフバリ」と検索すると「羽生」という単語がサジェストされる結果となっていた。さらに17日、フリープログラムを終えて金メダル決定となった羽生に、王の気配を感じた映画ファンたちが「羽生くんがバーフバリに見えてきた」「バーフバリのような絶対王者感」「実質バーフバリ」「フィギュア界のバーフバリ」「氷上のバーフバリ」と話題に。同作のキャッチコピーにかけて「王を称えよ!」と羽生に興奮する人が続出している。
2018年02月17日2月13日、平昌五輪フィギアスケート男子シングル日本代表の羽生結弦(23)が、本番リンクで練習をスタート。昨日の公式練習から羽生が愛用している「くまのプーさん」のティッシュケースカバーをいちごのショートケーキ型のカバーへと変更しネットを中心に話題になっている。 羽生はディズニーキャラクター「くまのプーさん」のファンで知られており、普段から練習時にはプーさんのティッシュカバーを愛用している。しかし、国際オリンピック委員会が特定のスポンサーやロゴに厳しいためプーさんカバーを控えたとみられ、代わりにいちごのショートケーキ型のカバーを持参した。前回のソチ五輪の際もプーさんは控えており、ブルーのティッシュケースを使用していた。 いつも愛用している「くまのプーさん」とは違うケースが登場し、ネットでは「ティッシュカバーがショートケーキになってる!」「どんだけ可愛いの!」「ショートケーキが似合いすぎる!」「羽生さんがケーキのティッシュカバー持っている!!」などの反応を見せている。また、プーさん好きを推すファンからは「あのケーキのティッシュケースヒックリ返すとプーさんカラーになるアイディアかな?」「まさかと思って調べてたんだけど、羽生くんのケーキの中身これじゃないかな?」などケーキケースの下にはプーさんの柄の箱ティッシュなのではないかといった憶測も広がっている。
2018年02月13日(写真:アフロ) 2月9日から開幕する平昌五輪。羽生結弦(23)にとって、フィギュアスケート人生の集大成となる。だが、羽生はその場に立つことができるのか……。そんな不安も囁かれている。 昨年11月のNHK杯で公式練習中に転倒し、“右足関節外側靱帯損傷”の大けがを負った羽生。平昌五輪の最終選考会でもある、昨年12月20日の全日本選手権も欠場していた。 14年のソチ五輪で金メダルを獲得したことや、昨季の世界選手権を制した実績から五輪代表には選出された。とはいえ、公の試合は3カ月ぶり。今年1月からは、氷上練習も再開したと発表されている。 そんな彼をバックアップする“神様”がいた。日本フィギュアスケート界で “ゴッドハンド”と呼ばれている「マッサージセラピスト」の青嶋正さん(54)だ。 マッサージセラピーとは、施術を通じて心と体の両面から改善していく治療法。青嶋氏はトロントで20年以上前から指圧鍼灸クリニックを営んでおり、患者ひとりひとりに合わせた施術を行う。その腕前が話題となり、彼のもとへ通う選手は多い。 「選手がケガをしないようにするだけでなく、最大のパフォーマンスを出せるコンディションにしていく。それが青嶋さんのポリシーです。選手をあらゆる面からサポートしてくれるとあって、これまでにも小塚崇彦さん(28)や織田信成さん(30)などが“神の手”のお世話になったと聞きました」(フィギュアスケート関係者) 羽生は17歳でトロントに渡って以来、青嶋さんのもとに通っているという。 「最初はストレッチの重要性を認識していなかったという羽生選手も、青嶋さんの指導によって次第に“身体のケア”をふだんから行うようになったそうです。羽生選手はソチ五輪の前も決して万全だったわけではありませんが、みごと金メダルを取ることができた。だから今回も、4年前と同じです。羽生選手は本番までにきっと体を仕上げ、周囲の不安を払拭してくれることでしょう」(前出・フィギュアスケート関係者) “ゴッドハンド”のパワーをもらいながら、決戦の地へと挑む羽生。その目はきっと“五輪2連覇”の快挙を見据えている――。
2018年01月31日(写真:アフロ) 常に高みを目指し続けてきた男子フィギュアスケート・羽生結弦選手(23)。ケガをも恐れない挑戦に、ファンは冷や冷やしながらも、いつも温かい目で見守ってきた。そんな羽生を襲ったアクシデント。11月9日、NHK杯の公式練習での右足関節外側靱帯損傷。足は予想以上に深刻な状態だが、’18年2月の平昌五輪では復活できるのか。試練を成長の糧に変えてきた彼の闘いと復活の軌跡、そしてその先にある将来のビジョンとは――。 「結弦くんが小学生のころです。スケートを続けるかどうか、家族で話し合ったことがありました」 そう話すのは、羽生の親戚の1人。当時、彼が通っていた仙台市内の「泉DOSCアイスアリーナ」が経営難のため閉鎖され、練習拠点がなくなった。仙台市内には、ほかに2つ、スケートリンクがあったが、それぞれ自宅から7キロ、20キロと離れていて、小学生が1人で通うのは難しかった。 「お父さんの秀利さんは、スケートをやめさせるつもりでした。フィギュアはお金のかかるスポーツですから、金銭的な事情もあったんでしょう。でも、お母さんの由美さんが猛反対して。『待って。もう少しやらせてあげて。パートの仕事を増やすから』と――」 当時、由美さんはスーパーの紳士服売場で、主任待遇で働いていた。そのパート時間を増やすと同時に、遠くなったリンクまでの送り迎えも始めている。そのころのことを由美さんは、地元紙にこう答えている。 《結弦は、小さいときはのんびりしていて、コーチに怒られて、泣いていたこともありました。でも(リンクの閉鎖で)練習できないつらさを味わい『自分がやらなきゃ』という自覚が出てきました》 ホームリンクの閉鎖は、羽生のスケートを人生で初めての試練だったが、彼はそれを成長の契機にした。ソチ五輪金メダル、世界選手権は2度、優勝。GP(グランプリ)ファイナル4連覇と、次々に記録を塗り替え、世界歴代最高点をも更新し続けてきた。 ’94年12月7日、羽生は宮城県仙台市で生まれた。父・秀利さんは中学校教師。住まいは、仙台市北部の県営アパートだった。4歳のとき、姉が通っていたスケート教室についていき、フィギュアスケートと出合う。羽生が通った泉DOSCは、トリノ五輪金メダルの荒川静香、世界選手権で2度の銅メダルを獲得した本田武史を輩出した名門リンクだ。 ぜんそく持ちで、体が弱かった羽生だが、スケートに関しては非凡なものがあった。世界選手権で日本人初の銅メダリストとなった佐野稔さんを育てた名コーチ・都築章一郎さんが泉DOSCに移籍してきたのは、羽生が7歳のとき。都築さんの目から見ても、羽生はスケートに関して、卓越したものがあったという。 「とにかく感性がすごかった。曲をかけたとき、おじけづかずに対応できる。子どもにはなかなかできないことなんです。非常に積極的で、自分というものを持っていました」(都築さん) 都築さんは、羽生に徹底的に基礎をたたき込む。小学校4年の10月、羽生は初出場した全日本ノービスで優勝する。フィギュア関係者の間で「仙台にマッシュルームカットの天才がいる」と、ささやかれ始めた。泉DOSCの閉鎖は、その直後のことだった。 羽生は別のリンクに通い始めたが、自宅から遠い分、練習時間が十分にとれない。都築さんが横浜に拠点を移すと、平日は仙台で練習し、週末だけ横浜まで新幹線で通い、都築さんの指導を受けるようになった。 「それ以降、中学卒業まで、横浜に通い続けた。休まずに、です。お母さんもずっと付き添っていました。お母さんは、結弦の心の支えであり、彼の考え方や精神力の根本になったと思います」(都築さん) 中学1年の3月、泉DOSCが「アイスリンク仙台」と名称を変え、営業を再開する。 ’11年3月11日。高校1年生だった羽生は、期末試験を終え、昼ごろからアイスリンク仙台で練習していた。そのさなか、東日本大震災が発生する。羽生にとって2つ目の大きな試練だった。ライフラインはすべて止まり、自宅は全壊指定。一家は、小学校の体育館に4日間、避難した。 ようやく電話がつながるようになると、由美さんは横浜の都築さんと連絡をとり、「結弦をそちらで練習させてもらえないでしょうか」とお願いした。そして3月20日、横浜へ移動した羽生は練習を再開する。 「震災直後の結弦は不安定な状態でした。震災は彼の心を傷つけた。そのなかで競技に向き合える環境をつくることが急務でした。ご両親も心配だったでしょう」(都築さん) 羽生自身もこう話している。 「生きていくだけで精いっぱい。このままスケートを諦めてしまおうと思った」 大震災で、関東圏のリンクの多くが閉鎖し、スケーターが練習場所を求めて、横浜のリンクに集まってくる。羽生の練習時間も限られていた。そんな羽生を後押しするように、地元も動いた。県と仙台市から、アイスリンク仙台に、早期の営業再開を求める要請が入ったのだ。練習ができる喜びを味わった羽生は、’12年3月、世界選手権に初出場する。総合で銅メダルに輝いた羽生は、テレビのインタビューに笑顔でこう答えている。 「被災地のために滑ろうと思っていたのですが、それは違うんだな、と。逆に、僕は、支えられている立場だったんです。応援されている立場。その応援をしっかり受け止めて、演技することがいちばんの恩返しだと気づいたんです。やっと自分のなかで、震災を乗り越えられたんだという気持ちになりました」 わずか17歳3カ月。多くの刺激を成長に変え、ソチ五輪の表彰台まで一気に駆け上がっていく……。羽生は都築さんとこんな夢を語り合っている。 「日本は、フィギュア選手にとって環境が整っているとはいえません。結弦には『将来、引退したらプロデューサー的な立場で、リンクやシステムづくりの部分でも、環境を整えてほしい』という話もしています。結弦のような人気も実力も兼ね備えた選手ならできると思うんです。そうすると彼は、『3年は待ってください、先生』と、言いました。おそらく彼には、将来のビジョンがすでにあるのでしょう」(都築さん)
2017年12月30日(写真:アフロ) 連覇のかかる’18年2月の平昌五輪を前に、男子フィギュアスケート・羽生結弦選手(23)は今また、かつてないほど大きな試練に直面している。11月9日、NHK杯の公式練習で右足関節外側靱帯損傷のケガを負い、大会を欠場した。 12月14日には、日本スケート連盟を通じ、羽生自身がコメントを発表。靱帯だけでなく、腱と骨にも炎症があり、いつから練習が再開できるか決まっていない状況だという。 全日本選手権は五輪代表を決める最終選考会でもあるが、羽生は欠場しても、これまでの実績で五輪出場は確実だ。とはいえ、五輪連覇には黄信号がともってしまった。 ’08年から彼の取材を続けるスポーツライター・野口美惠さんはこう語る。 「今シーズンが始まる前の羽生選手は、表情や体つきなどから、夏の間に充実した練習をこなして、しっかり仕上げてきた自信が見えました。GPシリーズのロシア杯、NHK杯で見つけた課題を修正し、全日本選手権ではある程度、完成した演技をして、五輪本番を迎える。それが、2つ目の金メダル獲得のために綿密に計画されたスケジュールでしたが、ケガで崩壊してしまった。羽生選手にとって大きな誤算です」(野口さん) ソチ五輪金メダル、世界選手権は2度、優勝。GP(グランプリ)ファイナル4連覇と、次々に記録を塗り替え、世界歴代最高点をも更新し続けてきた羽生。彼はこれまで幾度となくケガや病気に見舞われながら、その壁が高く、試練が大きいほど、乗り越え、進化してきている。 ソチ五輪以降、男子フィギュアスケートは“新4回転時代”に突入し、年々、ハイレベルな競技になってきている。4回転ジャンプは当たり前。1つのプログラムで数種類の4回転を跳び、コンビネーションにしなければ、メダル獲得は難しい。加えて、ステップやスピンでも、GOE(出来栄え点)で加点がつく完璧な演技が求められる。 トップを走る羽生は、より高い技術と完璧な表現をストイックに追求することで、常にケガや病気、アクシデントに遭遇した。オリンピック後は毎年のように、この試練に直面することになる。 ’14年10月、GPシリーズ中国杯の試合直前の6分間練習で、中国のハン・ヤン選手と激突。ブライアン・オーサーコーチも止めるなか、頭に包帯、顎にばんそうこうという姿で演技した。ジャンプで5回も転倒し、会場から悲鳴が上がったが、最後まで滑りきり、銀メダル。 その時期、羽生が口にした言葉は印象的だ。 「たくさん乗り越える壁をつくっていただいて、こんなに楽しいことはない。自分が弱いということは、強くなれる可能性があるということ。壁を乗り越えた先にある景色はいいものだと思っています」 壁を恐れない強さを身につけた羽生は、その後のGPファイナルで4回転ジャンプを次々に決め、金メダルを獲得。続く全日本でも3連覇を果たした。ところが、その直後に、尿膜管遺残症と診断され、開腹手術を受ける。’15年3月の世界選手権は出場が危ぶまれたが、気迫の滑りで2位に入った。 野口さんは次のように話す。 「この試合の後、羽生選手は『追い込みすぎて疲れたら、調子が下がるのは当たり前。自分のさじ加減を考えるきっかけになったな。失敗しないと気付けないことはたくさんある』と、すぐに新たな課題を見つけていました。『ミスしたことは、成長への糧になる』それが、彼のプラス思考。壁を乗り越える力なんです」 そして、こう続ける。 「彼のレベルまでいけば、あえて新しいものに挑戦するより、同じジャンプ構成のまま、より演技に磨きをかけていい点数をキープすればいい。でも、彼はあくまで挑戦したい。挑戦しすぎるんです。彼には、進化するためには、苦しい時期があるのが当然という考え方があるんですね。ネイサン・チェン(アメリカ)が4回転を5種類跳んだという情報を耳にすると、楽しくてしょうがない。まだまだ、自分にはやることがあるとワクワクしてしまうんです」(野口さん) 世界選手権で2度の銅メダルを獲得、現在はフィギュアスケートの解説者を務める本田武史さんは、羽生が今回のケガをする場面に遭遇していた。 「ちょうどあの日、僕は目の前で見ていた。ジャンプで跳び上がった瞬間、合ってないぞと思いました。普通は回転をやめますが、羽生選手はそのまま行ってしまったので、転んではいけない方向に転んでしまった。全日本に出たい気持ちもわかるが、五輪で100%を出すことを考えて、足と相談してほしいと思います」(本田さん) 本田さんと羽生は、ともに仙台市内の「泉DOSCアイスアリーナ」に通った間柄。仙台時代には接点はなかったが、東日本大震災後のアイスショーで、同じリンクを滑った。 「あのころ羽生選手は東神奈川にいて、すごい数のアイスショーに出ていました。お客さんの前で、緊張感をもって滑る経験を積んで、練習時間も練習場所もない逆境を克服したんです。彼はマイナスをマイナスと考えていなかった。どうしたら、できるのか。そればかりを考えていました」(本田さん) 《逆境はプラスだ》という考え方が、彼のなかに芽生えたのは、このころだ。泉DOSCで、羽生を指導した都築章一郎さんは言う。 「アイスショーが、リハビリになったと思います。横浜のリンクで練習して、ショーで確かめる。その半年間でした。震災で、生と死について、強く感じたと思うし、それを乗り越えて、競技している。結弦は、天真爛漫に動いていた少年時代より、強い信念をもってスケートをするようになりました」(都築さん) 最後に、数々の危機を乗り越えてきた羽生を見て本田さんは思う。 「『不可能という文字はない』それは、羽生選手の生き方」
2017年12月30日(無断転載禁止)猫に対する客観的な視点と、友としての猫に対する敬愛の念が呼応した、猪熊弦一郎ならではのユニークな猫たちに逢える展覧会「猪熊弦一郎展 猫たち」が、渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムにて2018年3月20日から4月18日まで開催される。百花繚乱の昭和の画壇にあって試行錯誤を繰り返しながらも、常に独自の境地を維持し、極めて個性的な作品群を残した画家・猪熊弦一郎。彼は「いちどに1ダースの猫を飼っていた」ほどの無類の猫好きとして知られ、私生活でも作品のモチーフとしても猫は重要な存在だった。もちろん、彼の芸術は猫だけにとどまるものではない。本展は彼が愛した猫たちを描いた作品を堪能することで、猪熊弦一郎の奥深い世界に触れるきっかけとなるよう企画されており、猪熊の地元・香川県の丸亀市猪熊弦一郎現代美術館所蔵の猫を描いた油彩、水彩、素描を中心に、猫以外の主題の作品も若干加えた百数十点によって構成されている。なお、当日券より400円お得な早割チケット(一般のみ/税込900円)が、10月7日から2018年1月5日まで販売中。また、1月6日からは通常前売り券(一般/税込1,100円、大学・高校生/税込700円、中学・小学生/税込400円)と、数量限定のオリジナル缶バッジ付き前売券(一般のみ/税込1,400円)が3月19日まで販売される。【展覧会情報】「猪熊弦一郎展 猫たち」会期:2018年3月20日~4月18日会場:Bunkamura ザ・ミュージアム住所:東京都渋谷区道玄坂2-24-1 地下1階時間:10:00~18:00(毎週金曜、土曜は21:00まで)※入館は各閉館の30分前まで料金: 一般 1,300円(1,100円)大学・高校生 900円(700円)中学・小学生 600円(400円)※( )内は前売および団体料金会期中無休
2017年11月20日(写真:アフロ) 「結弦はショックを受けて泣いていた……」 帯同していたコーチはそう明かしたという。11月10日、グランプリシリーズ第4戦となるNHK杯を棄権した羽生結弦(22)。大会前日の公式練習で転倒してしまい、右足首じん帯を損傷したのだ。 今回の欠場で、12月のGPファイナル出場は絶望的。大会5連覇という前人未到の夢は消えてしまった。さらに年末の全日本選手権や、来年2月の平昌五輪出場にも影響が出かねない状況だという。 「羽生選手のケガの状態について現時点では“全治不明”とのことで、全日本への出場も心配されています。GPファイナル出場を逃した羽生選手が五輪に出場するためには、全日本で表彰台に上がらなければなりません。もしここに出場できないとなると、五輪出場に黄信号がともってしまうのです」(前出・フィギュア関係者) だがそんななか、連盟はある計画を“画策”し始めているというのだ。 「連盟から『羽生選手が全日本に出場できなくても五輪代表に決める』との声が上がっているそうです。五輪代表の選考基準では、基本的に全日本の表彰選手とGPファイナル上位2名が出場対象となります。世界ランキング上位選手や今季最高得点をあげた選手も可能性があるのですが、そうなると全日本やGPファイナルで好成績だった選手を差し置いて繰り上げ当選させることになります。こうした措置は過去にも賛否を呼んでいます。羽生選手はケガがなければ、正々堂々と代表の座を勝ち取っていたはず。連盟のプランは屈辱的でしょう」(前出・フィギュア関係者) だが、ケガのたびに何度も蘇ってきた羽生。今回も「治療に専念し、全日本に向けて頑張ります!」と出場に意欲を見せている。 「この時期に練習できなくなるのは、羽生選手にとってかなりのマイナスです。それでも彼は『五輪本番じゃなかったのが不幸中の幸い』と言って、切り替えていますよ」(別のフィギュア関係者) 羽生は逆境を乗り越え、平昌五輪にたどり着けるのか!?
2017年11月19日フィギュアスケート選手の羽生結弦が、7日より公開されるロッテ「ガーナミルクチョコレート」のPR動画に出演し、エプロン姿でホットチョコレートづくりに挑戦している。女優の土屋太鳳、松井愛莉、広瀬すずが出演する「ガーナミルクチョコレート」の新CM「この冬ガーナで何をする?」編が全国で7日より公開されるのにあわせ、羽生選手を起用した広告ビジュアルも屋外広告や店頭POP等で全国に順次展開。羽生選手が寒い冬にぴったりな“ホットチョコレート”をおすすめするという内容になっている。そして、実際にホットチョコレートづくりに挑戦。チョコレートを割り、電子レンジで加熱するなど、手際よく調理を行い、さらに、マシュマロ、ホワイトチョコレート、ハニージンジャーなど試行錯誤しながらこだわりのトッピングを施し、羽生選手によるオリジナルホットチョコレートを提案した。その様子が、7日より「ガーナミルクチョコレート」の公式サイト、ホットチョコレート特設ページにて公開される。広告ビジュアルの撮影では、冬らしい真っ赤なセーターで登場した羽生選手。撮影は夏の暑い日に行われ、スタッフが撮影の合間に仰いでいた扇子を見つけると、扇子を手に取り「実はこんな特技があって・・・日本舞踊が踊れるんです!」とその場で日本舞踊を披露。「通っていた小学校の伝統で、生徒全員で踊るんです」と意外な特技を告白し、その姿にスタッフも「羽生選手・・・多才だなぁ」と驚いていたという。ホットチョコレートづくりでは、1分30秒電子レンジで温める工程で、「(1分30秒で)何が出来るかな・・・(演技の)後半のジャンプ全部できるかな?後半のエレメンツ全部かな?(笑)」と常にフィギュアスケートのことを考えていた羽生選手。出来上がったホットチョコレートを一口飲むと「おいしい!すごく“ほっと”しますね・・ホットチョコなだけに(笑)。」と語り、現場は和やかな空気に包まれたという。そして、「甘さの中に生姜の辛みも効いていて、いいアクセントになっています。ぜひお試しください」と呼びかけた。
2017年11月07日「磨き上げた4回転ジャンプと表現力、そして挑み続ける姿勢など、“羽生結弦は今シーズンも高得点を出すように仕上げてきた”というイメージをジャッジ(審判)に発信できたことが大きな収穫です」 そう語るのは元フィギュアスケート選手の中野友加里さん。来年2月に行われる平昌オリンピックで、66年ぶりの快挙となる五輪2連覇を狙う羽生結弦(22)。今シーズンの初戦「オータム・クラシック」(カナダ・9月21日~)では、ショートプログラムで世界歴代最高点をたたき出すも、フリーではジャンプの失敗が響き2位に。「ユヅ君、大丈夫?」とファンをヤキモキさせた。 「オータム・クラシックは順位や点数よりも、実戦調査とともに、昨シーズンからどれだけ成長したかをジャッジの頭にすり込ませる大切な機会。フィギュアは人が採点する競技。とくに五輪イヤーでは、本番の舞台で最高の演技をするのはもちろんですが、その前から、ジャッジに“強さ”を印象づけておくことも重要。今回のミスもたいした問題ではありません。逆に、オフシーズンに十分滑り込んできたこと、まだまだ期待値があることをジャッジは感じ取ったはずです」(中野さん・以下同) ユヅ君のさらなる“進化”で、2つ目の金メダルが近づいたとみていい? 「ライバルの成長もあり、激しい争いが予想されますが、羽生選手が表彰台の頂点にもっとも近いことは言うまでもありません。注目はGPシリーズを勝ち抜いた者だけで競うGPファイナル。優勝者となれば、五輪の金メダルへの歩みを進めたといえるでしょう」
2017年10月16日平昌冬季五輪まであと半年となった8月9日。カナダ・トロントで羽生結弦(22)の今季フリープログラムが発表された。 それは2シーズン前と同じ『SEIMEI』。再演プログラムで平昌五輪に挑むという決定にフィギュア関係者からは驚きの声が上がっていたが、この日の公開練習で関係者を注目させるものがもう1つあった。 「手袋が、いつも使っている黒の無地のものではありませんでした。黒地にゴールドで、氷と水の妖精のイラストが描かれたものに変えられていたのです。『アイスリンク仙台』のキャラクターショップで売られている、定価799円のアクリル製の保温用手袋でした」(フィギュア関係者) 羽生は4歳のときから、母に連れられてこのリンクを利用してきた。そのため彼は、これまで折に触れてリンクや地元への寄付を続けてきたのだ。総額は3千万円以上にのぼるという。『アイスリンク仙台』の関係者はこう語る。 「ここの送迎用バス2台は、羽生選手が寄付してくださった『蒼い炎』の印税で購入することができました。このリンクには顔見知りの子どももいますから、シーズンオフになると様子を見に、顔を出してくれていますよ」 新シーズン最初の公開練習に大切なリンクの手袋をつけて臨んだ羽生。故郷へ特別な思いを抱いている彼にとって、その手袋には大きな意味があった。 「故障明けの大会や優勝が懸かった演技の午前練習など、これまでも羽生選手は重要な節目にこの手袋をよく着けていました。今回のプログラム決定に際して、彼の心は大きく揺れました。そんな自分を奮い立たせるために、そして『僕はいつでも故郷・仙台のことを忘れない!』というメッセージを込めて、手袋をつけたのかもしれませんね」 自分を支え、育ててくれた故郷の人たちに、今度は自分が五輪連覇で恩返しを――。羽生はそんな思いを799円の黒手袋に込めていたのだ。
2017年08月24日歌舞伎俳優の市川海老蔵(39)が26日、自身のブログを更新し、「しっかりしろ!海老蔵!」と自身を奮い立たせた。妻でフリーアナウンサーの小林麻央さん(享年34)が乳がん闘病の末、22日に亡くなり、23日に会見を開いて涙ながら報告した海老蔵。その後もブログを更新し続け、「かなしささみしさがより現実的になっていく朝です」「やはり耐えられないかなしさが…」などと悲しみを吐露し、「今日からパパ ママもやります」と麻央さんの分も役割を果たす決意も記している。そして、この日はブログでは、さまざまな麻央さんの写真を掲載。結婚式での2ショットや、長男の勸玄くんに食事を食べさせている写真、海老蔵と麻央さんが2人の子供を抱っこしている家族写真、海老蔵の父・十二代目市川團十郎も写った一門での集合写真などを振り返り、最後に「しっかりしろ!海老蔵!と奮い立たせます」とつづった。
2017年06月26日『写真・AFLO』 「ショートプログラム(SP)に苦手意識が……」と語ったのは、羽生結弦(22)。4月20日の世界国別対抗戦でのことだ。フリープログラム(FP)では1位を獲得したた、SPではミスを連発。世界選手権でもFPで223点超えを記録したが、SP時点では5位発進だった。 そんな異変のなか、彼はある“変革”を進めていた。ひそかにパートナーを変更していたのだ。これまではSPがジェフリー・バトル氏(34)、FPはシェイリーン・ボーン氏(41)が振り付けを担当してきた。特にボーン氏が今年の世界選手権で手掛けたFP『Hope & Legacy』は、前述のとおり世界最高得点を叩き出した。だがフィギュア関係者が明かす。 「羽生選手はこのチームを解散し、新たな振付師たちと金メダルを狙うそうです。SPはバトル氏が続投ですが、FPはデビット・ウィルソン氏(50)の起用が決定的だといいます」 そんな突然の解散劇に、関係者からも疑問の声が上がっているという。だがパートナー変更は、羽生にとっても“苦渋の決断”だったようだ。 「実は、ボーン氏は振付師としてのキャリアがまだまだ浅いんです。彼女は必死に勉強して面白いプログラムを提案してくれるし、一緒にリンクへ上がって演技指導もしてくれます。しかし五輪ではそうした意欲的なプログラムよりも、重厚感のある王道モノが好まれる傾向にあるのです」(前出・フィギュア関係者) その点、ウィルソン氏は前回のソチ五輪でも羽生選手のFPを担当。『ロミオとジュリエット』を手掛け、金メダルに導いた人物だ。 「彼は振付師として最高ランクと評価されており、勝つための方法を熟知している。羽生選手はかなり悩んだ末、『平昌五輪でさらなる究極演技を見せつけるため、もう一度“最強タッグ”を組まなければならない!』と決断したそうです」(前出・フィギュア関係者) ソチ以来4年ぶりにカリスマ振付師と夢の再現を目指すことになった羽生。実は、彼はソチ五輪の前にも“コーチ変更”という苦渋の決断を下している。 「幼いころから教えてくれた阿部奈々美氏(47)と別れ、ブライアン・オーサー氏(55)に指導を仰いだのです。たしかに現状を変えることは、リスクでもあります。しかし羽生選手は『現状に甘んじていてはダメだ!』という思いがある。そんな彼だから、トラウマがある今こそ攻めの姿勢を貫いているのでしょう」(別のフィギュア関係者)
2017年04月29日(写真:アフロ) 世界選手権で大逆転優勝を果たした羽生結弦(22)。ショートプログラムではジャンプに失敗し5位発進。だがフリーで史上初の223点超えを記録し、絶対王者復活となった。 「今回の『世界選手権』は平昌五輪を考える上でも重要な大会でした」と語るのは、あるフィギュア関係者だ。 「今回のメインジャッジの中には、来年の平昌五輪も担当すると言われている人物が複数名いたのです。ブライアン・オーサーコーチ(55)は『ここで良い演技ができれば、審判にいい印象を持ってもらえる。そうなれば必ず五輪本番でもポイントに影響が出てくるはずだ!』と羽生選手に奮起を促していたそうです」(前出・フィギュア関係者) 羽生は今大会前にプログラム変更を直訴。予定していなかったジャンプを入れたいと申し出るなど、並々ならぬ熱意で臨んでいたという。背景には彼自身が「真・四回転時代」と呼ぶほどの、男子フィギュアスケート界の“ジャンプ偏重の流れ”があったようだ。 「羽生選手は『今度の世界選手権は、絶対に4回転ジャンプの競演になる!』と意気込んでいました。しかしオーサーコーチは『ジャンプばかりにとらわれてはいけない。リスクを追いすぎず、足元をしっかり見ろ。私たちのゴールは来年の平昌五輪なんだ!』といさめたといいます」(前出・フィギュア関係者) そうして足元をしっかりと固めた結果、復活を遂げた羽生。それは “五輪の深謀”がもたらした“奇跡”だった。さらに羽生にとって気になるフィギュア界の動きもあるという。 「国際スケート連盟はこうした“ジャンプ偏重の流れ”に歯止めをかけようとしています。スケートの技術や技のつなぎ、振り付けといったものへの配点を大きくしようとしているのです。現時点だと改正は五輪後だと言われています。ただし審判たちの意識の変化は、五輪でも影響を及ぼすのではないかと囁かれています」(別のフィギュア関係者) こうした「真・四回転時代の先」を、羽生はすでに見据え始めていた。 「オーサーコーチは『彼の心はもう来シーズンのプログラム作りへ向いている』と漏らしていたそうです。羽生選手はジャンプだけでなく、スケート技術も群を抜いて高い。しっかり準備すれば“五輪連覇”も不可能ではないでしょう」(前出・別のフィギュア関係者) 試練を乗り越え、再び返り咲いた羽生。その目線は、五輪という大舞台を捉えている――。
2017年04月04日3月29日からフィンランドで行われる世界選手権。羽生結弦(22)は2月、平昌五輪のリハーサルともいわれた四大陸選手権に出場。そこで5歳年下のネイサン・チェン(17)に後塵を拝しただけに、今大会ではリベンジ魂に火がついているという。そんな彼の燃える闘志を支えているものが2つあった。前出のフィギュア関係者がこう明かす。 「2月14日、四大陸選手権の公式練習後に羽生選手は他の選手たちと帰りのバスに乗り込もうとしていました。そのとき彼は『ちょっと待って!』と言うやリュックからスマホを取り出し、会場となる江陵アイスアリーナの写真を撮り始めたそうです。奇しくも敗北の象徴となってしまったそのスマホ写真を、彼はいつも見られる状態にして持ち歩いています。そして辛いときに眺めることで『もう負けない』と自らを奮い立たせているそうです」 それだけ思いが強いのは、この江陵アイスアリーナが平昌五輪の会場でもあるから。そして“屈辱の現場写真”とともに、羽生の心を奮い立たせているのがもうひとつあるという。 「四大陸選手権の表彰式後、羽生選手のもとにネイサン・チェンのコーチであるラファエル・アルトゥニアン氏が寄って来てきたそうです。彼は因縁のライバルのコーチであり、そして羽生選手のコーチであるブライアン・オーサー氏と犬猿の仲。そんなアルトゥニアン氏が『君のジャンプは本当に美しい!』と言って握手を求めたのです。そして『サインをしてくれ!』と言ってサインペンを差し出してきたそうです」(別のフィギュア関係者) ライバル陣営から思いがけずかけられた言葉もまた、羽生の魂に火をつけることになったようだ。 「アルトゥニアン氏はジャンプを教えるスペシャリストのような存在。そんな彼がわざわざ敵のもとを訪れ、ジャンプを絶賛した。そのことに羽生選手は『自分がやってきたことは間違っていなかった』と確信したといいます。羽生選手が四大陸選手権に出場したのは『五輪本番を見据えてリンクの状態を確認したい』という理由からで、コンディションは万全ではありませんでした。しかし世界選手権では違います。彼は『今度は絶対勝つ。ネイサンに負けない』と自信をうかがわせるような発言もしているそうですから、再び絶対王者としての姿をみせてくれるのではないでしょうか」(前出・別のフィギュア関係者) 屈辱の現場写真と敵コーチからの言葉――。その2つを胸にしのばせ、羽生は静かな闘志を燃やし続けている。
2017年03月24日『写真・AFLO』 2月14日から韓国ではじまった四大陸選手権。“平昌五輪への前哨戦”とも言われているが、日本スケート連盟は羽生結弦(22)の出場に消極的だったという。 「連盟は今大会に急いで出場させるのでなく、3月の世界選手権での復帰を考えていました。しかし、彼自身がこの大会への出場を強く希望したそうです。というのも今回の四大陸選手権が開催される『江陵アイスアリーナ』は、来年開催される平昌五輪の本会場でもあります。羽生選手は『五輪のリンクがどんなものか、今のうちに確かめておきたい』と主張したのです」(フィギュア関係者) 早くも来年の“平昌五輪モード”へと突入している羽生。そんな彼がいま直面しているのが、“異例の午前試合”という問題だ。 「昨年11月に平昌五輪の大会組織委員会が発表した競技日程案では、フィギュアの試合時間が“午前開催”になっています。あくまで日程案なのでこれから変更される可能性もありますが、今のままだと男子ショートプログラムは来年2月16日の午前10時、フリーは17日の午前10時に行われる見通しです」(スポーツ紙記者) 通常、フィギュアスケートの試合は夜に行われることがほとんどだ。 「これまで羽生選手は、20時から21時ごろにピークの状態を持ってくるという調整をしてきました。しかし午前10時に試合が行われるとなると、そのサイクルを10時間早めなければなりません。つまり夜中に起きて練習しなければ間に合わないのです」 そんななか、羽生自身もすでに調整に動き始めているという。 「彼はもともと『朝が弱いんですよ』と周囲に漏らしているらしく、午前試合はいわば“天敵”。そのため週に2回ほど午前4時から練習し始めるなどの調整を開始したそうです。ただそうなると、起床時間は午前3時やもっと早くなることも。これには、さすがの彼も弱音を漏らしているといいます」(フィギュア関係者) 実際、カナダ・トロントにある練習場では羽生のこんな弱々しい姿が目撃されていた。 「知り合いの小学生が『今朝、リンクでユヅに会えたんだ』と教えてくれました。どうやら彼は夜中のうちから練習していたらしく、『眠い、眠い』とつぶやいていたそうです」(別のフィギュア関係者) 羽生の前に現れた“意外な天敵”。五輪連覇に向けて、過酷な調整は続く――。
2017年02月17日ロッテ「ガーナミルクチョコレート」のCMに出演中の羽生結弦選手が、今年は手づくりチョコレートに初挑戦。普段、ほとんど料理をしないという羽生選手は、「“テンパ”ってます!かなり…」と、チョコレートのデコレーションなどに欠かせない“テンパリング作業”に苦戦しながらも、最後は大満足の特製チョコレートケーキを完成させた。バレンタインに合わせ、自ら手づくりチョコレートに挑戦した羽生選手。テンパリングとは、一度溶かしたチョコレートを再び固める際に必要な作業のこと。テンパリングをしないと、うまく固まらなかったり、つやがなく、口どけの悪いチョコになってしまうという。最初はロッテ中央研究所の吉田さんに教えてもらいながらの作業となったが、みるみるうちに上達。テンパリング作業が終わると、チョコプレートにメッセージを入れて特製チョコレートケーキが完成!記念に一口試食した羽生選手は「美味しい!」と大満足の結果となった。この日、羽生選手は真っ赤なエプロン姿で登場。笑顔で「宜しくお願いします!」と挨拶した後、吉田さんによるテンパリングに関する説明に真剣な表情で耳を傾け、「へぇ~知らなかった!」とテンパリング作業について興味津々に。いよいよ羽生選手がテンパリング作業に挑戦する段になると、吉田さんの動きを思い出しながら「こんな感じで大丈夫ですか…?」と、ゆっくりと丁寧に作業をする羽生選手。「本当に初めてですか?上手です!」と驚いた表情をする吉田さんに、「いえいえそんな…料理自体、ほとんどやらないので」と終始、謙虚気味の羽生選手。テーブルの右端から左端までテンパリング作業を終えた羽生選手は、「ふーっ」と長めにひと息。「どんどん上達していますよ!」と吉田さんが褒めると、「いえ、本当に“テンパ”ってます!かなり…(笑)」と少し不安げ。再びテンパリングしやすいように吉田さんがチョコレートを整える作業をする最中、羽生選手はまたもや真剣な表情になり、角度を変えて四方から吉田さんの動きを徹底観察。時折、吉田さんの横で作業の真似をしてみるなど、入念にリハーサルを行った。そして、改めてテンパリング作業に羽生選手が挑戦してみると、動きのスピードが格段に上がり、吉田さんと遜色ないほどスムーズに。その上達ぶりに「やはりアスリートの方だからか、見て学ぶ姿勢がすごく伝わってきました。私も(その姿勢を)学ばさせていただきました!」と吉田さんも脱帽するほど。照れた様子の羽生選手は、「素晴らしいお手本が近くにあるときは、学びのタイミングです。いろいろな角度から、必死に見てました(笑)テンパリング、もっと極めたいですね!」と、本業のフィギュアスケートと変わらない一生懸命な姿勢を見せた。その後もテンパリング作業を十分に行った羽生選手は、一度そのチョコレートを試食してみることに。ひと口食べて「すごくなめらか! うわーすごい美味しい。風味が広がる!」と感動した様子。「テンパリングするとこんなに違うんですね!」と実感しながらも、またひと口チョコレートを頬張っていた。テンパリングを終えると、羽生選手はチョコプレートにメッセージを入れる作業にも挑戦。筆入れならぬチョコ入れを始めると、迷わず一気に記した言葉は、「全力」。ガーナミルクチョコレートで作成したホールケーキの上に、本人の顔がデザインされたチョコプレート、そして「全力」入りチョコプレートを羽生選手が載せて、ついに完成となった。「もったいないから、食べたくない(笑)!でも、いただきます!…うん、美味しい!口触りがとってもなめらかで、ガーナミルクチョコレートの香りもしっかりしていて、すごく美味しいです!」と大満足な様子。初挑戦したテンパリングを「最後のほうでは褒めていただき(笑)、すごい楽しかったです」とふり返り、「挑戦することは、もちろん不安も緊張もありますし、僕も今回(不安や緊張は)ありました。でも挑戦することによって楽しさも生まれるし、達成したときのときめきって特別なもの」と、充実感にあふれた感想を寄せた。(text:cinemacafe.net)
2017年02月14日フィギュアスケート選手の羽生結弦が14日、ロッテ「ガーナミルクチョコレート 手づくりバレンタイン企画」に参加した。羽生は真っ赤なエプロンで登場し、一度溶かしたチョコレートを再び固める際に必要な"テンパリング"作業に挑戦。説明を聞いて不安げになりながらも、丁寧に作業を進める。テンパリング作業を終えた羽生は、「ふーっ」と一息。「どんどん上達していますよ」とほめられると、「いえ、本当にテンパってます! かなり……」と"テンパリング"にかけつつ苦笑した。その後も持ち前の集中力と身体能力で作業を続けた羽生は、自分でテンパリングしたチョコレートを試食すると「すごくなめらか! うわーすごい美味しい……風味が広がる!」と感動した様子を見せた。また、チョコプレートに「全力」というメッセージを書き、羽生の顔がデザインされたチョコプレートとともにホールケーキの上にのせると、特製チョコレートケーキが完成。「もったいないから食べたくない!」と言いながらも、満足そうに試食していた。バレンタインデーにちなみ、チョコ作りを体験した羽生。「一部の工程をさせていただきましたが、(実際は)もっと大量のチョコレートを使って皆さん作られるのかなと思うと、すごく良い香りがするんだろうなと」と、笑顔で想像を膨らませた。また、「挑戦することは、もちろん不安も緊張もありますし、僕も今回(不安や緊張は)ありました」とチョコ作りを振り返り、「挑戦することによって楽しさも生まれるし、達成した時のときめきって特別なもの」と、アスリートとして挑戦の大切さを説いた。
2017年02月14日俳優・佐々木蔵之介が、第二次大戦直後のドイツで疾病対策に力を尽くし、若くしてこの世を去った医師・肥沼信次の軌跡を辿る「ドイツが愛した日本人~佐々木蔵之介が巡る、ある医師の物語~」が2月5日(日)放送となる。第二次世界大戦前夜の1937年、アインシュタインに憧れ放射線医学の研究者を志しドイツへ渡り、29歳で名門・フンボルト大学への留学を果たした肥沼氏。ナチスドイツの独裁が進むドイツで懸命に学んだ肥沼氏は、功績を認められアジア人初の教授資格を得るところまでになるが、第二次世界大戦の戦況が悪化して“アジア人初の教授資格獲得”という栄誉も戦争の混乱の中に消える。大使館から帰国指示が出るなかでドイツに残った肥沼氏は、ベルリンを離れドイツ北東部、ポーランドとの国境に近い古都・ヴリーツェンへ。当時のヴリーツェンではチフスが猛威を振るっており、十分な薬もないなかで肥沼はチフスに苦しむ人々の治療にあたり続けた。そんな肥沼氏のドイツでの軌跡を追うため、佐々木さんはドイツの首都・ベルリンに降り立つ。佐々木さんはブランデンブルク門や東西ドイツ分断の象徴だったベルリンの壁を巡り、第二次世界大戦の爪痕と東西ドイツの統一前後の変化を知る。そして肥沼氏が留学した頃のドイツを知るため、当時の面影を残す大聖堂や世界遺産の博物館島へも赴く。さらにナチスによるユダヤ人迫害の歴史を知るためホロコースト記念碑や、ザクセンハウゼン強制収容所などを経て肥沼氏がチフスから人々を救うため尽力したヴリーツェンへ。中世から栄えたこの街で佐々木さんが見つけた肥沼氏の足跡と、ヴリーツェンの人々の肥沼氏への感謝を知る。ヴリーツェンの学校を尋ねた佐々木さんは肥沼氏に祖父の命を救って貰ったという少年、ルイスに出会う。ルイスの祖父は5歳のときに肥沼氏にチフスを治してもらったのだ。ヴリーツェン市長をはじめ肥沼氏を知る人々との出会いのなかで献身的だった彼の人柄や医師としての姿などが浮かび上がってくる。長らく日本に伝わることがなかった肥沼氏の功績。没後43年目にしてその偉業が伝えられることになったきっかけとは?激動の時代のなか、日本から遠く離れたドイツの人々の命を救い続けた日本人医師・肥沼信次の生き様を伝え、現代を生きる日本人に勇気と誇りと感動を届ける。佐々木さんは現在、横山裕とダブル主演を果たした映画『破門 ふたりのヤクビョーガミ』が公開中。本作は黒川博行の第151回直木賞受賞作「破門」を原作に、『毎日かあさん』『マエストロ!』の小林聖太郎監督が映像化。イケイケやくざを佐々木さんが、口だけは達者なぐーたらビンボーのカタギを横山さんが演じ、北川景子、橋爪功、國村隼、濱田崇裕(ジャニーズWEST)、橋本マナミ、木下ほうか、キムラ緑子、矢本悠馬らバラエティに富んだ俳優陣が集結した。また今年は『破門 ふたりのヤクビョーガミ』を皮切りに、神木隆之介主演の『3月のライオン』、リリー・フランキー主演の『美しい星』、『花戦さ』では前田利家役での出演と、立て続けに話題作への出演が決定している。「ドイツが愛した日本人~佐々木蔵之介が巡る、ある医師の物語~」は2月5日(日)15時~日本テレビ系で放送。(笠緒)
2017年02月05日フィギュアスケートの羽生結弦選手(22)が、来年1月1日から全国で放送される日本赤十字社の「平成29年はたちの献血キャンペーン」の新テレビCMに、人生初のアニメーションとなって登場することが21日、明らかになった。新たに成人を迎える"はたち"の若者を中心として広く国民各層に献血に対する理解と協力を求めることを目的としている「はたちの献血キャンペーン」。キャンペーンキャラクターには、先日のグランプリファイナルで男女シングルを通じて史上初の4連覇を達成、全日本選手権も4連覇している羽生選手が、3年連続で就任した。新CMでは、羽生選手をアニメーション化。輸血を必要とする子どもとふれあいながら、同世代を中心に献血への協力と参加を呼びかける。今回、人生初の体験でもあるアニメーション化に、羽生結弦選手は「まさかアニメ化される時が来るなんて思ってもいなかったので、感動しました!!」と興奮気味。「でも実際に見てみると・・・ちょっと照れくさいですね(笑)」とも話した。また、今年のキャンペーンのメッセージ「とどけ、いのちへ。」にちなんで、今年中にだれに何を届けたいか聞かれると、「僕自身、みなさんの応援に支えられています。いつも応援してくれているみなさんには、僕の演技で勇気を届けたいと思っています」とコメント。同キャンペーンキャラクターに初めて任命された2年前、20歳だった当時から大人になった点については、「自分自身満足のいく結果が出なくても、次の日まで引きずらず、前に一歩を踏み出す精神的な強さがついてきたかなと思います」と話し、「ぜひ2017年の羽生結弦にも期待してください!」と呼びかけている。
2016年12月22日プロフィギュアスケーターの織田信成が28日、フィギュアスケートの羽生結弦選手らと話題の"恋ダンス"を踊っている動画を自身のツイッターで公開し、反響を呼んでいる。新垣結衣が主演を務めるTBS系ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』のエンディングで、キャスト陣が披露している"恋ダンス"。放送開始から話題となり、振り付けを完コピした動画がネット上で多数投稿されるブームとなっている。織田は「恋ダンス踊ってみた。#逃げ恥」というコメントを添えて、羽生選手らと"恋ダンス"を踊っている動画をアップ。織田と羽生選手は、しっかりと振りを覚え、ノリノリで踊っている。この動画に、「可愛すぎます」「最高です」と感激の声が続々。「羽生くんの完コピ具合ヤバくないですか」「羽生君 上手」「羽生君の恋ダンスのクオリティがやばい」「ゆづ君が一番キレキレですね」「羽生くん完璧や…!さすがです!」「結弦くん、かわゆい。もう萌死にました」と、キレのあるダンスを披露している羽生に対するコメントが多く寄せられている。
2016年11月28日フィギュアスケート選手の羽生結弦の出演するロッテガム「キシリトール」新CMが放送されることが28日、わかった。新CM「ブレイクタイムの後は」編29日より全国でオンエアされる。同CMは中世ヨーロッパを舞台にティーブレイクをしている貴婦人たちに、羽生が「ホワイト!」と叫び、ターンを披露。「さぁ、笑って!」とキシリトールホワイトを差し出すという展開になる。撮影現場で、羽生は「(カメラの)希望の近さがあれば、合わせてターンとステップしますね!」とプロならではの頼もしい姿を見せる。そして、宣言通り、監督のリクエストに合わせて1回転、2回転、3回転と自由自在に決めた。本番ではスタッフも見惚れるほどのターンを決めたが、本人から「ごめんなさい、もうちょっと笑ってターンしたい。真剣にやっちゃった(笑)」とNGの申し出が。CMイメージに対して、真剣に向き合う姿が見られた。順調に撮影を進めていた羽生だが、撮影の最後、音声録音には苦戦した様子だった。「ホワイト!」という掛け声をマイクに向かって発声するが、なかなかOKが出ずに、何度も挑戦することとなった。羽生は「本当、4回転の方が簡単だから!」と悔しがり、スタジオからは笑い声があがっていた。また、撮影の合間にカメラやセットを興味深げに見ていた羽生。「機会系全般好きですね!」と語り、「見慣れない機械やヘッドホンを見るとすごい楽しいです」と笑顔に。「音声さんのヘッドホンがすごい気になるので、あとで調べてみようかなと(笑)。イヤホンライフ、ヘッドホンライフは今すごい充実してます!」と、機械に強い様子を見せた。
2016年10月28日俳優の佐々木蔵之介が、19日(19:00~20:54)に放送されるフジテレビ系バラエティ番組『ネプリーグSP』(レギュラーは毎週月曜19:00~19:57)に出演し、神戸大学出身の学力を見せる。今回「インテリ俳優チーム」として登場する佐々木は、映画『超高速!参勤交代 リターンズ』のヒット祈願を掲げて参戦。江戸時代にちなんだ問題に「超高速で書きました」と映画のタイトルに絡めて余裕のコメントを披露する。しかし、10個以上解答がある常識問題を制限時間内に答える最終ステージでは「この雰囲気が苦手」と緊張の表情。そんな中、東大チームの藤本淳史は「5人で力を合わせて頑張りましょう!」と気合を見せる。インテリ俳優チームには、佐々木のほか、宅間孝行、中村鶴松、宮﨑香蓮が参戦。東大チームは、藤本のほか、井坂聡、高田万由子、林修。医者・弁護士チームとして、おおたわ史絵、竹森現紗、平野大輔、森田豊が出演する。
2016年09月17日コメディ時代劇の続編『超高速!参勤交代 リターンズ』の初日舞台あいさつが9月10日、都内で行われ、主演の佐々木蔵之介をはじめ、深田恭子、伊原剛志、寺脇康文、知念侑李(Hey! Say! JUMP)、柄本時生、陣内孝則、西村雅彦、本木克英監督が登壇した。舞台あいさつ その他の写真前作『超高速!参勤交代』で無事に江戸への“参勤”を果たした藩主・内藤政醇率いる湯長谷藩の一行は、再び幕府の陰謀に巻き込まれ、今度は磐城国(現在の福島県いわき市)への超高速“交代”を強いられる。主人公の政醇を演じる佐々木は「まさかの続編でした。誰もが『次がある』なんて思っていませんでしたが、多くの皆さんに応援していただき、(続編の)初日を迎えることができました」と感謝の意。「もう続編はないと思いますけどね。もう走れない(笑)」と参勤交代“完遂”に達成感をにじませた。それでも「もしパート3があれば、どの役を演じたか」と問われると、佐々木は「前作も今度も無理難題を言われる立場だったので、陣内さんが演じる“言う側”の信祝さんもいいですね」と不敵な笑み。「深田恭子さんになって、佐々木蔵之介に愛してもらいたい」(伊原)、「僕も佐々木さんと熱い抱擁を交わしながら、愛を語らいたい」(西村)と共演陣からラブコールが飛び出すと、「1度はトライする」とまさかのモテ期到来に、まんざらでもない表情だった。また、前作から続投する知念は「伊原さんが演じた忍者がいいですね。体は動くので、アクロバティックに演じたいです」と現役アイドルの本領発揮といえる回答で、会場を盛り上げていた。『超高速!参勤交代 リターンズ』公開中取材・文・写真:内田 涼
2016年09月10日ロッテのミルクチョコレート「ガーナ」のCMキャラクターを務める土屋太鳳、松井愛莉、広瀬すず、そして男子フィギュアスケートの羽生結弦が8月29日(月)に開催されたイベントに登場し、真っ赤な衣装に身を包んで“ときめき”をテーマにトークを繰り広げた。羽生選手は、チョコレートのデザインの扉の向こうから真っ赤な衣装で華麗なターンを決めながら登場!これには土屋さん、松井さん、広瀬さんも一瞬で魅了されたよう…。松井さんは「ポーズも決まってますけど、笑顔も素敵でした!」とうっとり。少しずつ夏の暑さが和らぎ、秋の気配が近づいてくるが羽生選手は「僕たちスケーターにとっては、涼しいチョコの季節の到来イコールシーズンが始まるんだなという気持ち」とシーズン開幕を前にワクワクした表情を見せる。この日は、それぞれ名字ではなく下の名前で呼び合うことがルールとして課されたが、大人気の若手女優3人から「結弦くん」と呼びかけられ、羽生選手は表情まで衣装と同じく真っ赤に!「緊張します(苦笑)。『ときめきました』と言わなきゃいけないんでしょうけど…普段(『結弦くん』と呼ばれることが)ないですので…全然、顔が見れなかったです(笑)」と大テレだった。トークでは、今後挑戦したいこと、新たに始めたいことを尋ねたが、土屋さんは、映画でトランペットと出会い、肺活量が増えたと明かし、それを生かして「素潜りに挑戦したいです」と表明。これまで「陸の上でのスポーツはやってきたけど、海のスポーツはやったことがなかったので」と語ったが、羽生選手はこの発言にすぐさま反応し「ぜひ、スケートも!氷のスポーツも挑戦してみてください!」と笑顔で土屋さんをスケートの世界に勧誘していた。ちなみに土屋さんは、別の作品ではオリンピックに出場するスキーの選手の役に挑んだそうで役作りについて「結弦くんの演技での表情や目線を参考にさせてもらいました!」と明かす。また、広瀬さんは、プライベートで筋トレに励んでいることを報告!ここでも羽生選手は「筋肉」と聞いてアスリートの血が騒ぐようですぐに反応したが、ほっそりとした広瀬さんを見やり「この体のどこに筋肉が…?」と驚いたよう。広瀬さんは「お腹に意外とつき始めてます!『目指せ6パック』なんですけど、若干、気持ち悪いんじゃないかと、家族会議が開かれまして…(笑)」と明かし、笑いを誘っていた。羽生選手は「それはそれでかっこいいです!ぜひ6つに割れているところを見てみたいです」と広瀬さんにエールを送っていた。ちなみに、羽生選手自身は「ときめき」を感じるものとして、常に持参している大量のイヤホンの写真を公開。写真には8本もの種類の異なるイヤホンが写っていたが本人曰く「まだ2本くらい、本気を出していない」状態だとか。「無線で飛ばせるものもあったり、音質もそれぞれ違ってて、聞きたい音楽によってハマれるイヤホンがあるとときめきます!自分と音だけの世界に浸れるんです(笑)」と意外な素顔を見せて、会場をわかせた。改めて、シーズン開幕を変えに「これから、みなさんを元気にできるようないい演技を見せていけたら。ショートプログラムもフリーも、気持ちよく、そして気持ちを込めて滑ることができるプログラムになってますので、楽しみにしていてください!」と力強く意気込みを語っていた。(text:cinemacafe.net)
2016年08月29日1902年香川県高松市に生まれた画家・猪熊弦一郎。作品を通じて猪熊弦一郎とはどんな人物だったのかを知るために、猪熊の故郷香川にある「丸亀市猪熊弦一郎美術館(通称 MIMOCA、以下MIMOCA)」を訪ねた。MIMOCAを訪ねるまで、頭の中には一つの疑問があった。猪熊弦一郎のことを調べる程、その多彩な絵画様式に驚かされ、そしてまた「どれが本当の猪熊さんなのか」という疑問が沸き上がってきたのだ。もちろん、どの作品もその絵筆を持った猪熊作品に違いないのだが、時にその作品からはアンリマティスを色濃く感じ、時に作品からはピカソの面影を感じる。また、具象と抽象を行き来し、自在に色彩やフォルムを操っているようにさえ見える。さあ、猪熊はどのような生涯をアーティストとして歩んだのか、6月30日まで開催中の展示「猪熊弦一郎展「私の履歴書」前編ーー絵には勇気がいる」を同館学芸員の古野華奈子さんとともに巡りながらお届けしよう。1/2はこちらから。■幼少期から晩年まで、約2万点の猪熊作品の収蔵約2万点もの猪熊作品を所蔵するMIMOCA。猪熊が幼少期に書いた絵から、東京美術大学(現 東京藝術大学)在学時の作品も含めて、日本、フランス、ニューヨーク、ハワイなどで創作された晩年までの作品を収蔵している。それに加えて、猪熊が蒐集していた雑多なものたちも保管されており、その時々の企画に合わせてセレクトされ、彼の絵画作品と共に展示されている。MIMOCAは、まさに猪熊の生涯に渡る創作活動の軌跡を知ることが出来る場だ。■私の履歴書ーー絵には勇気がいる5月にMIMOCAを訪れた時は、1979年に日本経済新聞の連載「私の履歴書」のために猪熊が半生を綴った原稿を元に構成された企画展「猪熊弦一郎展「私の履歴書」:前編ーー絵には勇気がいる」と、猪熊が晩年描いた「顔シリーズ」が展示されていた。学芸員の古野さんと共にこの二つの展示を歩きながら彼の作品を通して猪熊と向き合ってみたい。■絵の上手な少年が画家・猪熊弦一郎になるまで「私の履歴書」を元に猪熊の半生を知る企画展は、猪熊が絵画に目覚めた幼少期の作品からスタートする。その後、現東京藝術大学に進んだ猪熊は、後に画家として活躍する同級生、小磯良平、荻須高徳、中西利雄、岡田謙三、山口長男らの洗練を受ける。同級生たちと切磋琢磨し、自分らしい作品とはと猪熊が試行錯誤を繰り返したことは、次々と作風の変わる作品からも感じ取れる。「どんな絵画表現が出来るのだろうか」と言う問いに対するその時々の猪熊の答えが作品になっているかのようだ。《題名不明》1919年《画室》1932年■マティスからの一言ーー「お前の絵はうますぎる」学生時代よりパリに行くことを熱望していた猪熊は、1938年妻・文子と共に憧れの地を踏む。そこで猪熊はマティスに絵を見てもらう機会を得るのだが、そこでマティスに「お前の絵はうますぎる」と言われる。このことを猪熊は、著書『私の履歴書』にこう記している。ーー結局、うまく描くということは人によく見てもらいたいと思うために描くことに通じている。(中略)思ったことを素直な、虚飾のない姿でカンバスにぶっつけることこそ一番大切だ。「絵がうますぎる」という先生の言葉はそんな意味だ。(中略)この言葉は私の一生を通じて、すべてのことに最も大きな教訓となっているーー■自分らしい表現を追求して猪熊と親交が深かった画家の一人に藤田嗣治がいる。藤田と猪熊は第二次世界大戦中、フランスの片田舎へ共に疎開したり、日本への引き上げ船に乗るようにと藤田が猪熊を諭したりと、まさに寝食を共にしながら過ごした友人でもあった。同企画展では、藤田独特の乳白色の地塗りのテクニックを猪熊なりに真似たような作品『レゼシーの人形のような子供』(1939)も展示されている。また、日本への最後の引き上げ船に乗る直前まで、戦火の中描き続けた作品『マドモアゼルM』(1940)。この作品はパリでの最後の作品となり、猪熊の具象作品の代表作と言われている。《マドモアゼルM》1940年3年という短いパリ滞在期間においても、猪熊の作品は次々とその様相を変えてゆく。濃密な3年間、自分らしい表現とは何かを追求する猪熊の姿を、この展示を通じて知ることができた。猪熊は制作活動を通じ、「自分の表現とは何か」「美しさとは何か」を、生涯問い続けていたのだろう。アーティスト猪熊弦一郎の生涯は、創作を通じた発見の連続だったのかもしれない。ーー私は画家になって本当に良かったと思う。(中略)毎日を喜びと感謝を持ちつつ制作を続け、ますます子供の心のように清く生き生きとそして明るく、何事によらず未知の世界に大きな驚きと興味を持ち続けて、いままでにない何かを作り上げたい念願で一杯である。ーー『私の履歴書』猪熊弦一郎著より抜粋MIMOCAでは、勇気を持って絵と向き合うことを選んだアーティスト・猪熊弦一郎の軌跡に触れることができる。瀬戸内を訪ねるのなら、ぜひ訪れたい場所の一つだ。【展覧会情報】企画展「金氏徹平のメルカトル・メンブレン」会期:7月17日から11月6日常設展「猪熊弦一郎展ニューヨークでの制作ーデザイン・壁」会期:7月17日から11月6日特別展示「ホンマタカシ《三越包装紙》」会期:7月17日から11月6日【美術館情報】丸亀市猪熊弦一郎現代美術館住所:香川県丸亀市浜町80-1(JR丸亀駅前)開館時間:10時から18時まで(入館は17時30分まで)休館日:年末(12月25日から30日)※臨時休館の場合あり
2016年06月28日瀬戸内を訪ねるにあたり、気になるアーティストがいた。1902年香川県高松市に生まれた画家・猪熊弦一郎。スキャパレリーピンクの小石が遊ぶように書かれた三越の包装紙「華ひらく」のデザインや、JR上野駅の中央改札の上に架かる壁画「自由」も広く知られる彼の作品だ。きっと誰もが、一度は猪熊の作品を目にしたことがあるだろう。今回FASHION HEADLINEでは作品を通じて猪熊弦一郎とはどんな人物だったのか知るために、彼の故郷・香川県にある「丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(通称 MIMOCA、以下MIMOCA)」を訪ねた。■駅前に現代美術館を作った理由MIMOCAは、猪熊弦一郎の生前に完成した美術館だ。故に、美術館の設立を猪熊に提案した丸亀市の熱意と、猪熊本人の思いが込められた館になっている。美術館があるのは、高松駅からJR予讃線で約40分のところにあるJR丸亀駅から、徒歩1分のところ。まさに駅前美術館だ。1902年香川県高松市に生まれ、幼少期の一時期を香川県丸亀市で過ごした猪熊弦一郎。MIMOCAの設立は、丸亀市から猪熊へ「猪熊弦一郎の記念館を作りたい」という提案からはじまったという。しかし、猪熊は「私個人の記念館ではなく、世界の現代美術と触れ合える美術館にしましょう」と逆提案したのだと同館の学芸員、古野華奈子さんが教えてくれた。現代美術館にしたいと猪熊が願ったのは、自身の作品だけでなく現代の優れたアーティストや現代美術を紹介することで、何度も足を運びたくなる場所にしたいという願いから。そして、それが西洋の教会のように「訪れるとすっきりリフレッシュできるような「心の病院」のような存在でありたい」と生前猪熊は語っている。■MIMOCAの建築はMoMAも手がける建築家・谷口吉生駅からMIMOCAに向かうと、大きく広げたキャンパスのような猪熊による壁画「創造の広場」の脇に小さなドアがある。このトンネルの中に入って行くような感覚を覚えるエントランスを抜けると高さ14mにも及ぶ自然光が差し込む吹き抜けが私たちを迎えてくれる。「猪熊は小さな頃からいいもの、いい空間を体験して欲しいと願っていました」と古野さん。その願いから、今でも高校生までは無料で入館することが可能だ。猪熊は才能を見出すことにも長けていた人物。丹下健三の名建築の一つである香川県庁も、歴史を紐解けば当時の香川県知事から猪熊が県庁建築にあたり相談を受けた折に、丹下の名前を挙げたのがきっかけだという。MIMOCAの建築にあたっては、後にニューヨークのニューヨーク近代美術館(MoMA)の建築をデザインコンペで勝ち取る建築家、谷口吉生が猪熊によて選ばれた。谷口の設計による展示室の一つからは、その上部に設けられた横長の窓から丸亀の空を覗くことができる。美術館を訪れた人は、その日の空模様を感じながら作品と向き合うことができるだろう。また、展示室からカフェへと渡るガラス張りの渡り廊下からは駅前の光景を眺めることができる。「街の人々に訪れてもらえる場所に」という熱意はMIMOCAにもう一つのエントランスがあることからもよく分かる。前述の入り口の横に、建物に入らずとも上へ昇ることが可能な大階段がある。その先にあるのは、瀬戸内の海を思わせるような青の絨毯が印象的なカフェレスト MIMOCAや、猪熊の蔵書等を公開する美術図書室などの共有スペースだ。街に開かれた場所でありたいという思いが、至るところから感じられる仕掛けだ。後編は、MIMOCAの収蔵作品を通じて知る、アーティスト猪熊弦一郎が生涯求め続けた"美"について
2016年06月28日プロフィギュアスケーターの織田信成が23日、自身のブログを更新し、練習を再開をしたソチ五輪金メダリストの羽生結弦選手からのメッセージを伝えた。織田は、長野県で行われる「ファンタジーオンアイス」に向けて出発したと報告。「今年のファンタジーはゆづが出る事が出来ず寂しいですが今日のあさチャンでもふれた練習復帰の嬉しいニュース!!」と、左足リスフラン関節靱帯(じんたい)損傷で療養していた羽生選手の復帰を喜び、「彼の才能と努力をもってすれば氷の感覚もジャンプもすぐに戻ってくると思うので不安や焦る気持ちもあると思いますがゆっくり無理しないように1日1日を過ごしてほしいなぁと思います」とエールを送った。また、昨年の静岡での同公演で羽生選手と撮った2ショット写真を掲載し、「この写真載せても良い?ってさっき連絡したら良いですよ~!って言葉と後面白いやり取りを二人でしてて元気そうで僕も嬉しくなりました!」と羽生選手とのやりとりを明かした織田。「本人から『病んでないですよ。笑 というのを伝えといて下さい。』という事なのでここに書いときます笑」と羽生選手からのメッセージも伝え、「また元気な姿が氷の上で見られますように」という言葉で締めくくった。
2016年06月24日羽生結弦が“お殿様”役で出演していることでも話題の時代劇『殿、利息でござる!』の公開を前に5月4日(水・祝)、羽生さんの先輩で、織田信長の末裔として“氷上のお殿様”を自任するプロフィギュアスケーターの織田信成が「ひと言モノ申す!」とトークショーに出席した。『アヒルと鴨のコインロッカー』、『ゴールデンスランバー』などのヒット作で知られる中村義洋監督最新作で『武士の家計簿』も映画化された作家・磯田道史氏の著書を映画化。重税で夜逃げが相次ぎ破産寸前の宿場町で、藩に大金を貸し付け、その利息で宿場を救うための千両(3億円)を巻き上げようとする人々の奮闘をコミカルに描き出す。織田さんは“殿”らしく着物姿で登場し「自分で言うのもなんですが、似合ってると思います」とご満悦。映画についても「感動しました!みんなで考えて、節約に励んだり、苦労や努力があって困難を乗り越えていく。親子愛や人間ドラマもあります」と本作の魅力を語る。だが、ソチ五輪金メダリストで、織田さんにとってはフィギュア界の後輩である羽生選手が仙台藩主・伊達重村役で出演していることに関しては「モノ申したい!」と鼻息荒く語る。織田さんは、織田信長の末裔として知られ、自身のブログも「氷上のお殿様」としているだけに「フィギュア界ではお殿様は僕じゃないのか?なんで僕にオファーが来なかったのか…?殿と呼ばれて愛されてきた自負があるのに悔しい!」とやるせない思いを吐露する。ニュースで羽生さんのお殿様役での出演を知ったそうで「なぜひと言、言ってくれなかったのか?なんで黙ってとのやったの!?」と傷ついた様子。「羽生くんは“白馬の王子様”プリンスならいいけど、殿はダメでしょ!キャラの住み分けしようよ!」と訴え、会場は大きな笑いに包まれた。だが、作品を見て羽生選手のお殿様ぶりに衝撃を受けたようで「メチャクチャかっこよかった!」と絶賛。羽生選手にすぐに連絡を取ったことも明かしたが「そこで『先輩の殿も笑顔が素敵ですよ』と言われ、後輩に気を遣わせてしまい、自信を失くしました。このまま自分は殿をやってていいのかと…」と苦笑い。それでも「続編があれば次は!」と銀幕での“殿”デビューをあきらめていないようだった。『殿、利息でござる!』は5月14日(土)より公開。(text:cinemacafe.net)
2016年05月04日