私の夫は、もともと性欲が強くありません。1人目の出産前でも、夫婦生活は2週間に1度ほど。1週間に2度くらいしたいと思う私としては物足りなさを感じていました。当時26歳の私は、「私に魅力がないから?」と思い悩む日々でした。性生活は男性からお誘いするもの?友人夫婦の性生活の話を聞くと、「パートナーが誘ってくれるけど自分が気乗りしないことがある」とのことでした。私の数少ない性の話ができる友人4人はだいたい皆同じような答え。「パートナーから誘ってくれる」「回数は自分のしたいと思う回数より多い」とのこと。そのときの私の気持ちは、素直に「うらやましい!」でした。当時、「うちは私が誘わないと始まらないよ!」……とは言えなかったのを覚えています。なぜなら「やっぱり私に魅力が足りないのかな?」という気持ちから自信がなくなってしまいそうだったからです。夫に素直に気持ちを伝えるも夫に誘ってもらうことを待ち続けていたら、結局私が我慢できず誘ってしまうのです。そのたびに「どうしてあなたから誘ってくれないの?」と思ってしまい、また自信をなくしていました。夫に「夫婦生活を増やしたい」「あなたからも誘ってほしい」と勇気を出して伝えても、そうはなりませんでした。頭では、性欲は個人差であることは理解していましたが、私は「性生活は男性から誘ってもらうものだ」と思い込んでいた部分があったのです。たった1人の大切なパートナー。相手に変わってほしいと願うばかりでなく、まずは私の考え方を変えようと思い至りました。女性が積極的でもいい?私はまず、私からお誘いすることで自信をなくすのはやめようと決めました。「私がしたいから誘ってみる。相手の気持ちは相手しかわからない。応えてくれるかくれないかも相手次第」ということを念頭に置きました。ひとまず誘ってみる、そして夫が乗り気でなく断られてしまっても明るく「また誘うね!」と切り替えることにしたのです。また、行為中も「男性が積極的に頑張るもの、女性は受け身でいるもの」と、どこかで思っていた部分があったことにも気付きました。女性である私が積極的になってみてもいいのかもしれないと思ったのです。そして自分が心地良いなと思う方法で、行為を進めてみようと思いました。そうしてしばらく夫婦生活を送っていくと、結果として頻度が増えていることに気が付きました。2週に1度だったのが、1週間に1度の頻度になっていました。私が、私より性欲の弱い夫から誘ってもらうのを待ったり、断られて落ち込むのをやめ、前向きに考えを変えたことが大きかったと思います。まとめ頻度が少ないことで、自分の魅力を疑い自信をなくしてしまうこともあった私。ですが、少しだけ自分の考え方を変えてみると、パートナーも私も満足いく結果が得られました。求められるのももちろんすてきだと思いますが、たまには積極的な自分も見せられたらと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。文/三浦ウミマンガ/へそ著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年02月11日シングルマザーの私。飲食業ということもあり、毎日とても忙しく働いています。でも飲食業は私の天職! さらに、かわいい娘のためと思えばつらいことなどありません。しかしそんな私の天職を、バカにされてしまいます。それは娘が通う幼稚園の祖父母参観日のこと。社交的な母は、あっという間にママ友ならぬ“ババ友”を作っていました。 母と“ババ友”になってくれたモモコさんは、娘の友だちのおばあちゃんでした。とても上品な雰囲気のご婦人でしたが、ママのカズコさんはとんでもない人でーー。苦手なタイプかも…「うちのお嫁さんとも、お友だちになってね」とモモコさんから言われた私。モモコさんの義理の娘さんであるカズコさんに紹介され、挨拶をしました。 しかしカズコさんは面倒くさそうに「ママ友は自分で作るので、余計なこと言わないで」とピシャリ! 不機嫌そうにモモコさんの腕を引いていきました。正直、あまり関わりたくないタイプです。 しかし同じ幼稚園に通うママとなると、避けることもできません。数日後、娘のお迎えでカズコさんにバッタリ出会いました。 貧乏くさい?!「アナタ、この前の参観で会った人よね?」カズコさんも、どうやら私に気付いてくれたようです。この前とは違って、今日はニコニコしています。 もしかしたらモモコさんと仲が悪いのかもしれません。第一印象で決めつけて申し訳なかったなと思っていると、突然「お仕事はされているの?」と詮索するような物言いで尋ねてきました。少し警戒しつつも「飲食業をしている」と伝えると「食堂のおばちゃんね! 顔を見ればわかるわ〜貧乏くさいもの」と笑いました。 ブチギレそうになったけれど、相手にする時間も無駄です。 深く関わらないことを決め、その場から立ち去りました。 私のお店ですよ!それ以来カズコさんを避けていたものの、次にバッタリあったのはなんと私の職場でした。私の職場は一見さんお断りの高級料亭です。忙しく店内を動き回っていると「なんでアナタがここに?!」という声とともに、カズコさんが登場しました。私は会釈をして切り抜けようとしましたが、カズコさんは「ここは料理もスタッフも超一流の高級和食店よ? 食堂のパートさんは場違いだから帰ったほうがいいんじゃない?」と笑います。さすがに正体を明かすしかないかと思ったとき、従業員が「オーナー! 特別室のお客様がいらしたのでご挨拶をお願いします」と私を呼びました。 その言葉を聞いてカズコさんは「オーナー?!」と驚いています。このお店は紛れもなく私が経営する飲食店なのです。明らかになった真実「アナタ、食堂のおばちゃんじゃないの!?」カズコさんがそう言ったちょうどそのとき、モモコさんがやってきました。異様な雰囲気を察し「なにか迷惑かけてないでしょうね?」と言います。 実はモモコさんはうちのお店の常連さんです。モモコさんは私に「ごめんなさいね。お詫びはまた後日」と言って、個室に戻っていきました。その後、個室からは激しい言い合いとすすり泣く声が……。 人を見下してばかりの嫁があまりにも目に余るので、今日はしっかり話をしようと思っていたモモコさん。個室で静かに話ができるうちの店を使ってくれたのです。 いつもニコニコやさしいモモコさんにたっぷり絞られたようで、カズコさんは真っ赤な目をして部屋から出てきました。そして気まずそうに私を見て、これまでの失礼な振る舞いを詫びたのでした。 見た目や職業を理由に人を見下すなんて、失礼な人でしたね。せっかく素敵な義母に恵まれたのだから、背中を見てしっかり学んでほしいものです。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年02月10日結婚を機に仕事を辞めた私。亭主関白な夫は「専業主婦ごときが俺に指図をするな」「俺に逆らったら離婚だ」と、妊娠中の私をいたわることもありません。さらに、義母もそんな夫の味方で、一緒になって私をなじる始末。そんなつらい日々を過ごしている中で、夫の浮気が発覚したのです――。近頃は「実家に泊まる」と言って、夫はなかなか家に帰ってきません。しかし、義母によると、夫はごはんだけ食べて帰ったとのこと。もしかして……と思った私に、義母は「かわいいい彼女の家にでも行ったのかしらね」「出来損ないの嫁を持ってしまったんだもの、浮気のひとつやふたつしたくなるわよね」と不安を煽るようなことを言い出したのです――。 浮気されて当然!?結婚前から、私のことを良く思っていなかったらしい義母。おなかの子が女の子だとわかると、さらにあたりは強くなりました。 「家にいても役立たずなんだし、里帰りでもしたらどうかしら」「あら、私としたことが!ご実家のお父さんは入院中だものね、里帰りなんてできる状況じゃなかったわね~」「あなたがいなくなれば息子も堂々と浮気できるだろうに……」 母親自ら息子の浮気環境を整えようとするなんて……。この母親にして、あの息子ありだと思ってしまいました。 見つけた浮気の証拠…3時間後――。 不安になった私は、こっそり夫の書斎を調べました。すると出るわ出るわ、浮気の証拠が。浮気相手は会社の後輩のようです。 珍しく早く帰ってきた夫に、私は浮気について問いただしました。「つわりだとか言って、家事もまともにできない嫁にはうんざりなんだよ!」「俺が浮気をする羽目になったのはお前のせいだ!」と開き直る始末。 「専業主婦の分際で旦那様に生意気な態度を取るとは馬鹿な女め」「俺と離婚したらホームレス確定だぞ」「もう離婚してますけど?」「は?」 毎日のように「俺に逆らったら離婚だ」と言われていた私。時には記入済みの離婚届を投げつけられて「サインして出しておけ」と命じられたこともありました。 そこで、私は元夫の命令通り、その離婚届を役所に出してきたのです。義母からも「あなた以外のお嫁さんがほしいから離婚しろ」と常日頃から言われていましたし。 「お前は専業主婦なんだぞ!?俺がいないと生活できないだろ!」と途端に焦り出した元夫に、私は淡々と「慰謝料と財産分与で当分の生活費はなんとかなるし、その後も養育費はしっかり払ってもらいますから」と告げました。 「離婚するなんて言うなよ!俺、ちゃんと子どものこと楽しみにしているんだ」「おなかの子どものためにも離婚はよくないよ」と急にしおらしくなった元夫。しかし、今の環境で子育てする方が子どもにはよくないでしょう。 事情を知った義母は翌日――。 元夫から事情を聞いたらしい義母から、怒りの電話がかかってきました。 「あなたのわがままでうちの息子を振り回すなんて!あなたには1円たりとも払いませんからね!」とたいそうお怒りの義母。しかし、覚悟を決めた私はもう何も怖くありませんでした。 「じゃあ、お義母さんの暮らしている家、売りに出しましょうか!」 義父が亡くなったときに、「どうせ譲るから」と家の名義を元夫に変更した義母。しかし、相続手続きが面倒になった元夫は、私に名義を変更し、すべての手続きを丸投げしたのです。 「ホームレスになりたくなかったら、慰謝料と養育費をちゃんと払ってくださーい!」とだけ言って、私は電話を切りました。 その後――。 闘病生活を乗り越えて退院した父が身重の私に代わって、元夫から慰謝料と養育費をしっかり回収。まとまったお金を手に入れた私は、実家に戻って無事に出産しました。強面の父も、今ではやさしいおじいちゃんです。しばらくは両親の助けを借りながらですが、この子を立派に育てられるようがんばります! 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年02月10日私は30歳の兼業主婦です。私には、双子の妹がいます。双子と言っても二卵性双生児なので容姿はそこまで似ていません。私はこの妹に昔から悩まされていました……。幼稚園生のころ両親が事故で他界し、私たちは祖父母のもとで暮らすことになりました。祖父母は妹ばかりをかわいがり、甘やかして育てたので、妹はとても非常識な子になってしまったのです。 昔から私の服や物を横取りし、中学生のころには初めてできた彼まで奪われました。 略奪癖のある妹にこんな妹と一緒の家で暮らすのは無理だと思った私は、中学を卒業後に就職。そして20歳のころ祖母が、その数年後に祖父が亡くなり、祖父のお葬式で、久しぶりに妹と再会しました。 葬儀の席でも妹は遺産のことや、私に彼がいるかどうかなどデリカシーのない話ばかり気にしていたため、私は「もうあなたとは今後関わりたくないの。縁を切らせてもらうね」と、はっきり宣言しました。 妹は「なんて薄情なことを言うの!?」と怒っていましたが、これまで私がされたことを思い返すと当然です。私はさっさと葬儀場を後にしました。 縁を切ったはずの妹が数年後、飲み会である男性に出会い、その後結婚。一人暮らしの母が心配とのことで、義母と同居という形で新婚生活をスタートさせました。 それから半年経ったある日、私が買い物を終えて家に帰ると、なんとリビングに妹が! 話を聞いてみると、祖父の遺産を使って探偵を雇い、私の居場所や夫を突き止めたとのこと。そして「私、お姉ちゃんの旦那さんももらっちゃうね~!」と言ってきたのです。 今回ばかりは妹に感謝さすがに冗談だと思ったものの、夫は「ごめん……」とただ謝るばかり。話が聞こえているはずの義母も助けてくれません。「はい、これ。旦那さん奪っちゃってゴメンねぇ~」と慰謝料を渡された私は、自分の荷物をまとめて家から出て行くことに。 ……しかし、私は内心大喜び!!実は、最初はやさしかった義母が同居後に鬼姑へと大変身。息子が大好きな義母は、「息子に相応しい嫁にするために、徹底的にしつけてやるから!」と言って私に深夜まで家事をやらせたり、作った料理を何度も捨てられ、作り直しをさせられたり……ひどい目にあっていたのです。 超マザコンの夫は、そんな私をかばうこともせず、ただ義母の言いなり。何度も家から出て行こうとしましたが、力ずくで引き留められ、毎日こき使われていました。 妹の現在の姿はそんな夫を略奪してくれて、私は晴れて自由の身に。今回ばかりは略奪癖のある妹に感謝です。 それから数カ月後、ボロボロの服を着てやせこけた妹が買い物に行かされている姿を見かけました。妹も義母から逃げ出せずに苦労しているのでしょう。 妹や義母からの干渉を経験し、困難を乗り越えた私は、これからは自分の人生を自分の力で切り開いていくつもりです。著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年02月10日今回は、実際に募集した「義実家トラブルエピソード」を漫画にして紹介します!30万円の買い物を私のカードで?何でも買ってくれるって言ったでしょ?70歳の記念なのに!義父さん…※こちらは実際に募集したエピソードをもとに記事化しています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点のものになります。(lamire編集部)(イラスト/@浜井れんこん)
2024年02月09日私は在宅仕事をしている兼業主婦。夫の実家で義両親と義姉と同居中です。義両親はやさしいのですが、言動の厳しい義姉が悩みの種。生理痛がひどい私にも、「それくらいで寝込むなんて!」と嫌な顔を向けてくることが続いていました。同じ女性なのに…毎月、重い生理痛で苦しんでいる私。過去に倒れたこともあり、結婚・同居後も在宅ワークができないほどの痛みで数日寝込んでいます。いろいろな薬や生活習慣の改善を試しましたが、あまり効果はありません。夫や義両親は理解してくれていますが、男性の多い職場でバイトをしている義姉は生理も軽いらしく、私のことを煙たがっている様子。「生理痛くらいで休むなんて大げさ」「甘えるのもほどほどに」と、毎月嫌みや苦言が降ってくるようになりました。心苦しいながら家事を休むことが重なると、「あんたみたいな女がいるから女が社会で軽視される。生理痛くらい我慢できない? バイト仲間ならキレる」と言われる始末。同じ女性なのにまったく寄り添ってもらえません。生理は人によって痛みや症状が違うのに……と思いつつ、私は反論せずにグッとこらえたのでした。義姉が取った暴挙とは?そんなある日。今月も訪れた生理痛をこらえながら、常備している鎮痛剤を飲もうと薬箱を開いた私。すると、買っておいたはずの薬が見当たりません。あちこち探しても見つからず、おなかの痛みはどんどん悪化し、冷や汗が出てきて、ついに私は意識を失ってしまったのです……。気が付くと私は病院のベッドの上。義母が家で倒れていた私を発見し、救急車を呼んでくれたのだとか。点滴のおかげでだいぶ具合の良くなった私に、義母は深く頭を下げてスマホを見せてくれました。そこにはなんと、義姉からの鬼メッセージが! その下には、義母の返信も残っていました。「鎮痛剤捨てといたから」「体から健康にならなきゃ生理痛は治らないからね」「私が鍛え直してあげる」「嫁なら救急車で運ばれたわよ」そう、薬のありかを尋ねた義母のおかげで、義姉が鎮痛剤を捨てたということが発覚したのです。義姉のその後その後、驚いたことに義両親は義姉を家から追い出しました。というのも義姉は実際バイトばかりで、ニートなのは彼女のほうだったのです。一方の私は在宅ワークでしっかり稼ぎ、一定額を義実家に入れていただけでなく、生理のとき以外は家事も一生懸命やっていました。「娘だからといって甘やかし過ぎた。義妹への思いやりもなく、フリーターで遊び回るあの子は、一度社会に出て自立するべき」私としては義姉ともわかり合えればと思っていましたが、今は彼女のためにも別居が最善策。理解ある義両親と夫と今後も仲良く同居を続けられるよう、思いやりの心を忘れずに、できる範囲で力を尽くしてお互いに気持ちよく暮らしていければと思っています。--------------義妹の体調を気づかえない義姉。思いやりのない言葉を連発した挙句、勝手に薬を捨てるなんて言語道断です。結果的には別居となるのも仕方ないですよね。夫と義両親が協力的で本当によかったです。著者/ウーマンカレンダー編集室/トーク系読者からの体験談をお届けします。
2024年02月08日会社を経営する義兄夫妻。私たち夫婦は町工場勤めで、いつも義母や義兄夫妻から見下されていました。そんなある日、ブチギレた様子の義姉から私のもとに電話が来て――?義姉から突然「この貧乏人が!ふざけんじゃないわよ!」と電話口で怒鳴られた私。 「なんでこの社長夫人の私が子守りなんてしなきゃいけないのよ!」「今日なんてエステに出かける直前だったのに、あなたの子どもの面倒を押し付けないでよ!」とヒステリックにまくしたてられました。 少し落ち着いた義姉から事情を聞くと、義母が「膝が痛いから」などと言って子どもを義姉の家に連れてくるそうです。「うちに直接預けてなくても、お義母さんが連れてくるなら結局一緒よ!困ってると思って協力していたけど、もう限界!!」と叫ぶ義姉。 しかし、私たちは子どもを一度も姑に預けたことがないのです……。 子どもの正体「とりあえず、子どもはあんたの家の前に置いておいたから!」「あの悪ガキが外で悪さする前に早く家の中に入れなさい」と言い残して、電話を勢いよく切った義姉。 私が出先から家に戻ろうとしたところに、今度は義母から電話がかかってきました。 「いきなりごめんなさいね。子どもは私がちゃんと迎えに行ったから安心して」「この子のことは秘密にしておいて」と言われても、何がなんだかわかりません。 不審に思った私が問い詰めると、「実は……。この子は長男の隠し子なの」と衝撃の事実を打ち明けた義母。義兄はもともと子どもの母親に養育費を渡していたそうですが、その母親は「もう1人で子育ては無理」と言って育児を放り投げ、子どもを義兄に押し付けたとのこと。 そして義母は、その子どもを引き取り、義兄の奥さんである義姉に隠し子の世話をさせていたのです……。なんて残酷なことをするのでしょうか。 「元気な5歳児の面倒を見るのって、歳を取った私とお父さんにはとっても大変なのよ」と義母。呆れる私に、「この子の世話をするうちに、長男の嫁の子ども嫌いも治るかと思って!」「正式なわが家の跡取りを産んでくれれば万々歳だわ!」と、義母は信じられない発言を連発。私は思わずため息をつきました。 「このことは夫に話しておきますね。これ以上私たちを面倒ごとに巻き込まないでください」と言って、私は電話を切りました。義母は次男である夫に知られたくなかったようで、慌てふためいてわめいていていましたが、話さないわけにはいきません。 義姉に真実を告知…2週間後――。 またも義姉から「よくもまた性懲りもなく子どもを押し付けてきたわね!!」と怒りの電話が。「貧乏人は本当に図々しいんだから!」「100万もする花瓶も壊されたし、私が大事に食べていた超幻の限定チョコも食べられちゃったし!!」とヒステリックな叫び声が響き渡ります。 「あんな悪ガキいつまで私たちの高級タワマンに預けるつもり!?」「いますぐ迎えに来ないと警察に突き出すわ」「息子は私の実家にいますが」「え?」 この間の夏休みに、私の実家にしばらく帰省していた私たち一家。息子が田舎暮らしをえらく気に入ってしまい、帰りたくないと騒ぐので、しばらくの間実家に預けているのです。 「で、でも!お義母さんがあなたたち夫婦の子どもだって言ってたし!」と義姉。そこで、私は本当のことを告げることにしました。 「それはお義母さんが嘘をついていただけです」「その子どもはあなたの旦那さんの隠し子ですよ」 図々しいのはどっち?1時間後――。 義姉から連絡が行ったのでしょう。義母から「なんで全部バラしちゃったのよ!」と怒りの電話がかかってきました。 「次男にも、長男の嫁にも勝手に話すなんて!」「あんたが黙ってさえいればこんな大事にはならなかったのよ!」 東大を出て会社経営をしている長男と、そこそこの大学を出て町工場で働く次男。義母や義兄、義姉が私たちを「貧乏人」呼ばわりして見下していることにはうすうす気付いていましたが、今回のことで確信しました。 義母と義兄は私たち夫婦の名前をかたり、義兄の隠し子を奥さんである義姉に預けていたのです。そんな非常識なこと、私たちを馬鹿にしていないとできるはずがありません。 「みなさんが私たち夫婦をどう見ているのかがよくわかりました、なので金輪際縁を切らせてもらいます」と言うと、「祖父母や裕福な長男夫婦に頼れなくなってもいいの!?後悔するのはあなたたちよ!」と言い出した義母。 しかし、そもそも義両親や義兄夫婦を当てにしていない私たち。「この度、夫は昇進して工場を任されることになりましたし、収入は飛躍的に上がるので経済的に心配なことはありませんよ」と告げると、義母は焦った様子。 しどろもどろになりながらどうにか絶縁を防ごうとしていましたが、「家族3人で平和に暮らしていきたいので、二度と私たちの前に現れないでください」と言って連絡を絶ちました。 さらに1週間後――。 義母からうちの経済状況を聞いた義姉から、とんでもない連絡が。 「あなたたちがこの隠し子を引き取ればいいのよ!」 実の父親にも引き取ってもらえないなんて……。 夫ともよく話し合い、「隠し子にかかるお金はすべて出す」という誓約書を書いてもらうという条件で、私たちはその子を引き取ることに決めました。 誓約書にサインしてもらった後、「これならお義兄さんの会社がいつ倒産しても安心ですね!」と告げると、義姉はびっくりした様子でした。 義姉に隠れて女遊びを続けていた義兄。あまりの女遊びの激しさから取引先を次々と失い、義兄の会社は傾きつつあるのでした。絶縁をするはずでしたが、長男夫婦がお金を払えないときは義両親たちが負担することも一筆書いてもらっています。 その後――。 私たちは約束通り隠し子を引き取りました。今は家族4人で楽しく暮らしています。最初はいろいろ大変だったけれど、実家に連れて行くと喜んで孫2人と遊んでくれる義両親の姿や子ども2人の成長を見るとうれしくなります。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年02月08日昔から嫁である私や娘を見下し、横柄な態度を取り続けている夫。そんなある日、私の父親が急死。慌てて実家に戻ろうとする私に、夫は「俺の世話はどうする」「嫁の仕事を放棄するなら離婚だぞ」と言い出したのです。仕事中の私のもとに、母から父の訃報が届きました。職場に説明すると、2週間ほど休みを取っていいとのこと。私は帰路を急ぎながら、夫に父の死と実家に帰る旨を伝えたのですがーー? 父の葬儀へ「こんないきなり実家に帰るなんて非常識だ!」「俺の飯!洗濯!掃除!まさか家のことは全部放棄するつもりか!?」と怒られたのです。父親を亡くしたばかりの私に対して、これはあんまりではないでしょうか。 「私は父のお葬式に出たいし、母と一緒にちゃんと弔ってあげたいの」といくら言っても、夫は聞く耳を持ちません。それどころか、「旦那様より亡くなった人の方が大事だと言うんだな」「俺に逆らってでも帰省するなら離婚される覚悟を決めろ!お前は誰の嫁なのか冷静に考えろ!」と言い出したのです。 私は夫の嫁である前に、父の娘です。こんな理解のない夫の嫁である必要なんてない。そう思った私は「それならもう離婚でいいです」と言って、夫との会話を打ち切りました。 今はとにかく父の葬儀に出たい。母のもとに行って支えてあげたい。そう思い、娘を連れて帰省しました。 いまさら離婚?2週間後――。 父の葬儀も無事終わり、ようやく自宅へ戻って来た私。リビングのテーブルの上には、記入済みの離婚届が置かれていました。そして夫からメッセージが。 「今更泣いて謝っても、もう遅いぞ!」「俺の言葉を無視して家事サボったから離婚なw」「もう離婚してますけど」「え?」 何かあればすぐに「離婚だ」と言って、私を脅していた夫。サイン済みの離婚届を渡されたことも一度や二度ではありません。私はそれを捨てずに取って置き、実家へ戻る前に役所に出しておいたのです。双方が離婚について同意しているのですから、問題はないでしょう。 夫は「葬式に行くななんてひどいことを言って悪かった」と謝ってきました。しかし、私がもう戻らならないときっぱり告げると、「今なら特別に戻って来ても許してやると言ってるんだ!」とまたも上から目線に。ますます私はこの家で夫と二度と住むことはないと決意を固くするだけでした。 夫がダシにしてきたものは「母親が地元に帰るなんて、娘はどうするんだ!」「かわいい娘がかわいそうだろう」と、今度は娘をダシにしてきた夫。 「娘なら、ずっと前から私とおばあちゃんと暮らしたいって言ってるけど? あなたは怒ってばっかりだから離れたいみたいよ」と私が返すと、夫は言葉も出ない様子です。そして、「待て待て待て!俺一人でどうやって生きていくというんだ!?」と大慌て。 今まで私に指示ばかりして、私にすべて家のことをやらせて生きてきた夫は、「見捨てないでくれ」「お前がいないと生きていけないんだ」と追いすがってきましたが、私は「でも私はあなたがいない方が生きていけるんです」と返しました。そして荷物をまとめて、娘を連れて実家へ向かったのです。 その後――。 弁護士さんを挟み、財産分与などの手続きを終わらせた私。今は実家で母と娘と、楽しく暮らしています。娘も以前より笑顔が増えた様子。 時々夫からは謝罪の手紙が送られてきますが、すべて無視してシュレッダーにかけて捨てるのみ。夫と離れたことで時間的にも心にもゆとりができたので、これからは娘の成長を見守りつつ、自分の好きなことにも時間を取りたいと思っています。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年02月07日高校の同級生と同時期に結婚した私。同級生は社長と結婚して港区のタワマン住みですが、私は農家に嫁いだため、勤めていた会社を辞めて田舎に移住。そんな私を見て、同級生は「めちゃくちゃ転落人生歩んでてウケる」などと馬鹿にしていたのです――。社長夫人の同級生は、連絡を取るたびに農家に嫁いだ私を馬鹿にしていました。楽しみにしていた高校の同窓会も、なんだか行きたくありません。 夫は私の同窓会に合わせて、東京で仕事の打ち合わせを組んでいました。「嫌な子一人のために、他の同級生みんなに会える機会を逃すなんてもったいない」と言われ、私は夫と共に東京へ向かうことに。 しかし、同窓会当日――。私は例の同級生にビールをかけられ、会場から追い出されたのです……。 私が何をしたっていうの?同窓会の幹事が会費を集めていた時に、私が会費を出さなかったというだけで、私を会場から追い出した同級生。幹事も私に会費を請求しなかったので、会費を免除するよう事前に私から頼んだのだろうと思い込んでいるようです。 「会費すらはらえない奴は今すぐ帰れw」「貧乏農家はビールまみれで惨めに歩いて帰りなさい!」「旦那さんとの取引中止ね」「え?」 今まで、同級生にマウントを取られてもただ受け流していた私。同窓会の会費も事前に幹事に渡していました。会場を去ってもなお、勝手な思い込みでおとしめてくる同級生に堪忍袋の緒が切れた私は、ついに自分の正体を明かすことにしたのです。 「『××産業の社長の奥さんを怒らせてしまった』と旦那さんに電話してみたら、あなたがしでかしたことの重大さがわかるんじゃない?」と同級生に告げた私。 「来月は大口注文を入れたいって相談されてたけど、もちろんお断りしておくから」「旦那さんにはもう二度と野菜が届かなくなるから早急に代わりを探すように伝えてくださいな」と言うと、慌てふためきはじめた同級生。 「××産業って、私でも知ってる……夫の会社の大事な取引先じゃない!」 彼女の夫は飲食チェーンを多数手がける社長さんです。うちから野菜を卸していたのですが、肥料の高騰による値上げに理解がなく、ちょうど夫と取引中止を考えていたところでした。 「地方の田舎農家に嫁いで、テキトーに野菜作ってるだけの負け組じゃないの!?」とこの期に及んで私をおとしめる発言をする彼女。 「うちは農家として野菜も作ってるけど、会社で卸売もしているの」「引退された義両親から会社を継いで、夫は社長だし、私は社長夫人だからあなたと立場は変わらないよ」と告げて、私はメッセージを切り上げました。 その後すぐ、私は夫と合流。ビールまみれの私を見て、夫は大変驚いていたものの、事情を聞いて私以上に怒ってくれました。私が勝手に取引中止を宣言したことについても、笑って許してくれました。 大慌ての同級生翌日――。 例の同級生が半泣きで電話をかけてきました。どうやらうちの代わりの取引先が見つからない様子。 しかし、「昨日のことも全部謝るからもう許してよ!!」となぜか命令口調の同級生。まぁ、謝られても許すつもりはないのですが……。 せっかくの同窓会でビールをかけられて、あんなに屈辱的な思いをさせられたのです。しかも、あの同窓会の会場を手配したのも私。会場使用料が先払いだったので、私が立て替えておいたのです。だからこそ、幹事は私に会費を請求しなかったのでした。 そんな昨日の事情を知ってもなお、「いいからうちの夫の会社と契約し直してよ!」「所詮農家なんてそんなに稼げないでしょ!年商数十億の大口契約を失ってもいいのかしら」と同級生。 「うちはがんばっても2億が限界かな」と返すと、「え……野菜だけでそんなに稼げるの……!?」とうちの年商に驚いた様子でした。 続けて「でも、うちのような会社に契約を切られただけで大慌てなんて……年商の大きさってそんなに威張れるものじゃないんだね」と言うと、さすがの同級生も言い返せないようでした。 「社長夫人が社長の足を引っ張るなんて、本末転倒」「私が旦那さんの立場なら、そんな妻いらないと思っちゃうな」と言って、私は電話を切りました。最後まで同級生は電話口で何かをわめいていましたが、もう知ったことではありません。 その後――。 例の同級生は旦那さんからしこたま怒られたそう。他の同級生から聞いたところによると、「損害分は働いて返せ!」と言われて旦那さんの経営するレストランでパートとして働いているようです。それまでは豪遊生活をしていたらしいのですが、今は家事とパートで疲弊する日々のよう。 私は夫とともにおいしい野菜作りを続けています。お互い支え合いながら、義両親から受け継いだこの会社をますます盛り立てていこうと思っています。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年02月05日ミルク(MILK)の2023年冬コレクションを紹介。いつでも“ドラマティックな私”感じるドレスウェア今シーズンのミルクは、いつでも“ドラマティックな私”を感じられるような、パーティーシーンにもぴったりのアイテムが勢揃い。それをよく表すのが、「デコレーションレース」シリーズのワンピースだ。デコレーションケーキのホイップクリームをイメージしたレースに、チェリーとローズを散りばめたロマンティックなプリントは、お茶会などのパーティーにもぴったり。やや長めの袖から垂れるリボンもポイントだ。ふわっと軽やかなコートパーティー仕様のドレスの上から羽織れるような、1着でも主役級の輝きを放つアウター類も登場。中でもAラインシルエットのツイードコートは、全面に薄めの綿が入っており、ふわっと軽やかでありながら、温かく身体を包み込んでくれる。このほかにも、上品なミディアム丈のファーコートなどが展開される。アンバランスなスカートどこか怪しげな雰囲気を醸し出しつつも、ミルクらしいガーリーさを混在させたアイテムが散見されたのも今季の特徴。ミニとミディのアンバランスな丈がポイントのスカートがその好例だ。同シリーズの両胸にフリルを大胆に配したショートジャケットや、チョーカーを身につけているかのような襟が目を惹くブラウスと合わせれば、全身黒ずくめのミステリアスなコーディネートが完成する。
2024年02月05日私は27歳で実家は洋服の縫製工場で働いています。実は今日、私の結婚式なのです。父と母、そして姉に見守られ控室で花嫁衣装を身にまとい改めてお披露目をしていました。私の実家は、小さな縫製工場を経営しています。父が代表を務め、私も母とともに工場で働いています。ここ数年の不景気のせいで工場の存続すら危ぶまれていたとき、長年の取引先で地元の有名洋服店の社長が資金援助してくれることになりました。 早すぎる展開にあ然実は私の結婚は、資金援助してくれた社長の跡取り息子との政略結婚なのです。夫の第一印象は、表情が硬く挨拶をしてもにこりともしません。しかし、社長夫妻は私のことが相当お気に入りの様子で資金援助のこともあるので縁談を拒否できない雰囲気に……。その場で婚約成立とはならなかったものの、結婚を前提にお付き合いすることになりました。そして、なんと交際開始からわずか10日後、私は婚約指輪を受け取りました。大喜びの社長に対し、あまりの急展開に不安げな様子の私の父と母。こうして「政略結婚」が決まり結婚式当日を迎えたというわけです。 冷酷な夫からのひと言結婚式当日、ファッションデザイナーとして活躍する姉が政略結婚と聞き心配して駆けつけてくれました。そして「自分の気持ちに蓋をして、全てが丸く収まる道を選んだのね」とひと言。私は自分で決めた事だから後悔はないと伝えます。そして式の時間となったそのとき、夫が「今後、君とご両親の面倒は見るが干渉はしないで欲しい。互いの利害関係が一致した結婚であることを忘れないこと」と釘を刺すのです。私はこの瞬間、冷めた気持ちでやることをこなしているだけに。こうして、式の翌日から私と夫の愛のない夫婦生活が始まったのです。 夫の本心が明らかに私たちは義父が購入してくれた家に住み、私は実家の工場勤務を継続、兼業主婦として生活することに。そこで夫の意外な一面を知ることになったのです。結婚を機に2代目社長になった夫は忙しいにもかかわらず、積極的に家事をしてくれるのです。私が感謝の気持ちを伝えようとするといつも最後まで聞かずに逃げてしまう夫。不思議に思い話を聞くと「やって当然。当り前のことしただけだろって思うのが普通じゃないのかな…」と寂しそうに言うのです。そう、彼は仕事のこと、家のこと全てを1人で背負おうとしていたのです。そして結婚式当日に言った「面倒は見るが干渉はしないで欲しい」という発言も「私の人生を奪ったと思い、1人で何とかしなければと思いわざと言ってしまった」と判明。私は「何でも1人で背負おうとしないで。これからは2人で支え合っていきましょう」と伝えます。あの発言の意味を理解した私は、本当の意味でひかれあうようになり愛情が日増しに強まっていきました。 愛のない生活を覚悟したはずが一転!その後、ファッションデザイナーとして脚光を浴びていた姉が新ブランドを立ち上げることに。実家の縫製工場で製造、夫が社長を務める洋服店で販売することになったのです。私の大切な2つの会社は相乗効果で業績が大幅アップしていったのです。そして、嬉しいことは続くもので、私は妊娠! 先日、待望の長男を無事に出産することができました。 義父は夫と結婚したこと、孫を見せてくれたことに感謝してもしきれないと大泣き! 私は「夫と引き合わせてくれたお2人と私の両親には、本当に感謝しています」と伝えました。続けて夫も「出会わせてくれてありがとう」と言うのです。 私たちの言葉を聞いた両親と義両親は大号泣! 始まりは政略結婚だったけれど、今では幸せな夫婦になれたことに感謝しています。これからも、このかけがえのない家族とともに、幸せに過ごしていきたいと思います。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年02月04日娘は生後6カ月ごろから人見知りが激しくなり、私と夫、顔の知れた身内以外はかなり警戒するほどでした。家に友だちが遊びに来たときも、私と少しでも離れると不機嫌に怒りだすのです。友だちと遊ぶこと自体は楽しいようですが、このままでは娘が苦労すると考えた私は、人見知り克服のためにある行動を起こします。 成長しても落ち着かない人見知り 2歳を過ぎても人見知りが激しい娘。これでは娘本人が苦労すると思い、私は幼稚園入園までに克服しようと思い立ちました。友だちと遊ぶ機会を増やしたり、人が多そうな公園を選んだり、できることからスタート。娘の機嫌が良い日には支援センターの野外活動にも参加しましたが、ずっと抱っこから降りずに見ているだけ。何も参加できずに帰宅したり、泣いて途中帰宅したりすることもあり、何度も行くのを辞めようかと思いました。 そんなとき、支援センターの先生が「ママが周りの子やお母さんたちと仲良くしていると、娘ちゃんも安心するかも」とアドバイスが。納得した私は、近くにいるママや子どもに積極的に話しかけるように。すると、回数を重ねるごとに娘は少しずつ私から離れて遊べるようになったのです。 それから3歳になり、週2回のプレ幼稚園へ通うことにしました。 初めは泣いて登園拒否をしましたが、それも数回だけ。そのうち、自ら「幼稚園に行きたい!」と言うようになったのです。いざ幼稚園に入園してからは、面談で「自分からクラスのお友だちを誘っています」と1年前には思いもしなかったことを伝えられ、とてもうれしい気持ちになりました。娘自身を無理やり変えようとせず、まずは自分から変わることが大切だと気づいた出来事です。 作画/yacco著者:大山えり
2024年02月04日小さなときから体格のよかった私。深夜の仕事をしているせいか、生理周期も不順でした。芸能人の子宮がんや子宮筋腫などのニュースが続き、心配した私の母に受診をすすめられ、婦人科へ。診察の結果は、思いもよらないものでした。驚きの診察結果婦人科の病気がないか診てもらうために受診した婦人科でしたが、診察後、先生が言った言葉は「産科に行ってね」というものでした。 先生の言葉を聞いてびっくり! 妊娠していたのです。産科での診察の結果、推定妊娠37週ということでした。そのころは冬。日頃から除雪をこなしていたので、もっと安静にしているべきだったと、今となっては恐ろしく思います。 検査と手続きへ産科の先生は、「妊娠に気がつかないことも、ごく稀にあるからね。これからできること早急に済ませようね」と親身になってくださって、出産に向けていろいろなことを教えていただきました。 まず、必要な血液検査や血圧などの検査。今まで受けられなかった健診の足りない分は補えませんでしたが、2日おきくらいの頻度で病院に行きました。並行して彼との婚姻届けの提出や、職場の育休申請もおこないました。 そして、無事に出産そして、無事に出産。出産一時給付金の申請をしたのですが、赤ちゃんが生まれたのが休日と祝日にかぶってしまったため、かなりの金額がかかってしまいました。それでも周りの方々の支えがあって、検査も役所での手続きも職場の手続きも、しっかりとこなすことができました。 本当であれば、赤ちゃんの成長を感じながら日々を過ごし、出産を迎えたかったと感じますが、無事に生まれてきてくれて本当によかった。私が無事に赤ちゃんを産むことができたのは、赤ちゃんが頑張ってくれたからだと思っています。 私と同じように、ごく稀に長く妊娠に気づかなかったという方もいると思います。日ごろから自分の体に関心を持つことも大切だと思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/imasaku監修/助産師 松田玲子著者:浦松あや1児の母。学校事務や保育士を経験したのち、産休を機に退職。現在はパート。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。趣味は編み物。
2024年02月04日私は34歳の兼業主婦です。夫と幸せな毎日を送っています。今でこそ幸せな日々を満喫している私ですが、10年前にはドン底の生活を送っていたのです……。遡ること10年前。私は、同居している義実家のキッチンでその日作った煮物を探していました。すると義母が「あのマズい煮物なら捨てといたわよ」とニヤニヤしながら言うのです。義母が私の料理を捨てるのは、これが初めてではありません。ちょっとでも嫌いな食材が入っていたりすると、鍋ごと捨ててしまうのです……。 夫の言葉を信じただけなのに 結婚をするとき、夫が母子家庭だったから自分がいなくなると義母が寂しがるからと同居を打診してきました。「万が一、母さんが嫁いびりするようなことがあっても、俺は絶対に味方だから」と言う言葉を信じ同居を始めました。しかし、実際はまったく守ってくれず見てみぬふり。私は同居のストレスで健康を害していくようになりました。ある日、つまらぬことで義母といさかいになった私はついに倒れてしまったのです。意識が朦朧としていた私は、それでも残った力をふり絞って義母に助けを求めました。しかし義母は「このまま放置しておけば、嫁に先立たれ可哀想な息子を支えるけなげな母になれる。生命保険も入るし一石二鳥ね!」と言い放ち、その場を立ち去ってしまいました。 義母と訣別!目をさますと病院で、泣きながら私を見守る母と夫の姿がありました。夫が「帰宅したら倒れていてびっくりしたよ。母さんが出かけていて留守だったから発見が遅くなってしまった」と言います。私は、倒れたとき義母がいたこと、放置されたことを夫に伝えました。夫が義母を問い詰めるとあっさり認めたのです。すぐに同居解消となり、私と夫は別のマンションに住むことが決定しました。しばらく入院生活を送り、やっと退院することに。夫は退院書類とある1枚の紙にサインをし手続き完了。私は自宅へ戻る前に義実家に立ち寄り、絶縁宣言をするのでした。 まさかの展開が…そして、それから本当に10年近く、今日に至るまで義母とは関わらずに生活をしてきました。夫はたまに姑に電話をかけたり、休日にパチンコに行くと嘘をついて義実家に通ってたようですが知らんふりをしていました。しかし、事態は急展開を迎えたのです。 義母が転んで骨折をしてしまい、後遺症が残るらしく面倒を私に見て欲しいと夫からお願いされたのです。私は絶対に無理だと言うと「俺を好きならできるでしょ?」と言うのです。呆れた私は冷たくあしらうと夫が激怒。お前は嫁だから義実家に尽くすのが当然。この10年は好きにさせてやったけど、そろそろちゃんと嫁の義務を果たしてもらうと言い義実家へ向かうのでした。 約束を忘れ好き放題してきた夫の末路翌日になり義実家から帰宅した夫に、義母と関わることはできないときっぱりと告げます。しかし、夫は聞く耳を持たず、私に引っ越しの準備をしろと言うのです。仕方なく私は夫に1枚の紙を突きつけました。それは10年前、倒れた私を放置した義母を警察に突き出さない代わりにと書いた誓約書でした。誓約書の内容は、「義母とは絶縁し連絡を取らないこと。違反した場合は500万円を支払い、離婚を求める場合は異議を申し立てをしないというもの。そこにはしっかりと夫の自筆署名もあります。誓約書のことをすっかり忘れていた夫は、義母と連絡をしたり会ったりと知らず知らずのうちに契約違反をしていたことに。私は泣きついてくる夫を無視し、マンションから追い出しました。 その後、約束を破った夫は何も抵抗できずに違約金の500万円を支払い無事に離婚成立。私はというと、実家に戻り母と生活をしています。もし、母が要介護になったときは一生懸命介護しようと思っています。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年02月03日今回は、物語をもとにしたクイズを紹介します!クイズの解答を考えてみてくださいね。【LINE】私を社長と知らず、奴隷のように使う義母主人公の元に同居する義母から連絡がありました。「支払いはちゃんとしてくれた!?」と尋ねてきたのですが…。主人公には何のことだか理解できず、詳細をうかがいます。すると玄関に置いてあった義母宛のクレジットカードの請求書の話をし…。主人公が気がつくよう、わざと置きっぱなしにしたのだと説明。しかし、義母宛の郵便は今までも中を確認することはなく…。その旨を伝えると義母は「私の計らいを踏みにじるなんて…」と主人公を咎めました。義母がお金の振込みを要求出典:Youtube「Lineドラマ」義母は続けて「10万円入金しておいて!」と要求。金額に驚いた主人公は「何に使ったんですか!?」と義母を問い詰めます。問題さあ、ここで問題です。10万円を何に使ったでしょう?ヒント義母は好き放題お金を使っていました。みなさんは答えがわかりましたか?正解は…出典:Youtube「Lineドラマ」正解は「高級寿司とエステ」でした。義母からお金の使い道を聞いて「はぁぁ!?」と愕然とする主人公。一緒に高級寿司を食べたはずの夫からは何も聞かされていませんでした。その後主人公は支払いを拒否すると…。義母は「家事もせず何の役にも立たない嫁のくせに…!」と激怒するのでした。※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点でのものになります。※こちらのお話は体験談をもとに作成しています。(lamire編集部)
2024年02月02日長男が1歳3カ月のころ、わが家は私の実家から電車で3時間ほどの場所に住んでいました。あるとき、私と長男の2人で電車に乗って帰省しなければならない用事ができました。長時間電車に乗るにあたって、私は長男が騒がないように配慮をしたつもりだったのですが、乗車中に長男は騒ぎだしたのです。そのとき、あるサラリーマンから言われたひと言でとても悲しい思いをした出来事です。電車で実家へ帰省わが家は車を所有していなかったので、実家へ帰省するには3時間かけて在来線と特急電車を乗り継がなければなりませんでした。長男と私は20分ぐらいの短い時間であれば普段から電車に乗っていました。 しかし、3時間という長時間、電車に乗った経験はありません。まだ言葉を話せず、そこら中歩き回り、じっとしていることができない宇宙人のような長男を連れて私ひとりで電車に乗ることができるのか、不安がつのりました。 電車に長時間乗るための対策長男が電車内で騒がないように、退屈させないための対策を考えました。まずは音の出ないおもちゃや本を持っていくこと。その中でも友人がすすめてくれたのがシールブックです。できるだけ時間を稼ぐためにシールブックは新しく購入して、電車に乗ったときに初めて見せたほうが良いと教えてもらいました。 あとはお菓子を与えることと、昼寝で過ごすことです。長男は電車が好きで、短い乗車であれば外の景色を見たり踏み切りを見たりして過ごせていたので、私はこれだけ準備をすれば乗り切れるはずだと思いました。 時間が経つにつれてグズりだす長男帰省当日、まずは通勤電車に1時間乗りました。早朝のため電車は満員でしたが、長男は抱っこひもの中で大人しくしてくれました。朝早かったためか抱っこひもの中で寝てしまったようです。 次は特急電車に乗り、私は長男を飽きさせないように持参したおもちゃや本などで遊んで相手をしました。しかし、1時間ほど過ぎると長男がグズりだしたのです。私は抱っこをしてデッキに出たり別の車両に移動したりして、なんとか長男の気を紛らわそうとしました。 サラリーマンが私に放ったひと言さらに時間が経つと、長男はいよいよ泣いて騒ぎ出す事態に。何をしても泣き止む様子はなく、私はとても焦りました。そのころ電車は実家のある県に入っていたので、私は停車駅で降りてしまおうかとも思いましたが、車で1時間かかる場所だったので降りるのをためらいました。 そしてある駅に着いたとき、サラリーマンの男性が降り際に私に向かって「迷惑だよ」と言い放ち、そのまま降りて行ったのです。私は謝ることも何か言うこともできず、長男を抱っこしたままただ呆然と立ち尽くすしかありませんでした。 他人から面と向かって「迷惑」と言われたことは本当にショックで、私はしばらく立ち直れませんでした。この経験から、長時間の電車移動は長男にはまだ無理だと思い、長距離の移動にはレンタカーを使い、電車の利用を避けるようにしました。もし自分と同じような立場の人を見かけたら、その人の助けになるような声かけをしたいと思っています。 著者:小林 睦9歳と6歳の息子、4歳の娘の母。わんぱくな3兄妹の育児体験を元に記事を執筆中。
2024年02月02日初めて生理がきたのが小学校4年生のころでした。そのときはまだ生理というものの存在を知らず、血の付いた下着を見た私はパニックに! そこで私は家族に手紙を書いたのですが……。 当時はまだ学校で生理について教えてもらっておらず、生理に関する知識がまったくありませんでした。 今は昔よりも授業できちんと生理について教えてもらえているようなので、自分が子どものころにも今のようにきちんと教えてもらえる環境があったらよかったなと思うことがあります。初潮は早くくる子もいると思いますので、早めに知識を得ることも必要なのではないかなと思いました。 原案/さいももさん監修/助産師 松田玲子作画/ののぱムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター ののぱ
2024年02月02日私には兄が2人います。父と母にとって私は末っ子長女。甘えたがりではありましたが引っ込み思案なところがあり、私はいつも兄2人のうしろに隠れていることが多かったように思います。そんな私を育てることに、母は苦労をしたのかなと、今でも感じるのは私が初潮を迎えたときのことで……。 初めての出血初潮を迎えたときのことは今でも鮮明に覚えています。小学5年生の秋ごろの金曜日、学校から帰ってきて家にいたときのことです。数日前からおなかの下のほうがキリキリし、腰に鈍い痛みがありました。 そして尿意を感じてトイレに行ったら……下着にちょっぴり茶褐色の血液が! 私の想像では経血は真っ赤だと思っていたので、このときは「初潮」だとは気づかず、おしりの拭き残しだと思っていました。 これが初潮? でも母に言えない…しかし、おしりを拭いても次にトイレに行くと、またちょっぴり茶褐色のシミがついています。私自身も「(これが初潮っていうものなのかも?)」とは思っていたものの、半信半疑のままトイレットペーパーで応急手当をすることが続きました。 そして、引っ込み思案だった私は、このことを母に言い出せずにいたのです。当時は小学校での発達教育も1回しかなく、母からも生理についてのことなどを教えてもらっていませんでした。そのため、生理のしっかりとした知識もなく、不安でいっぱいで……。 今思うと、家のトイレで母の生理用品を目にすることもありませんでした。母が父や兄たちを気にしての行動だったのかもしれません。 初潮を知った母の対応は…下着に茶褐色のシミが何度もついてしまったものの、わずかだったので意外とトイレットペーパーでしのぐことができました。そして、母が私の初潮に気づいたのは日曜日の朝のこと。 きっと洗濯物で気づいたのでしょう。ただ、母から何の前触れもなく「ほら、これを買ってきたから」とかわいいハート柄の生理用ショーツとナプキンを渡されただけ。それ以上、母から生理について何か教えてもらうということはありませんでした。もしかしたら、引っ込み思案である私を気づかっての行動だったのかもしれませんし、母もどう生理について教えたらいいのかわからなかったのかもしれません。 その日の夕ごはんには、お赤飯が用意されていました。 引っ込み思案の私が「初潮がきた」と言えなかったのが最大の原因です……が! 母も前もって生理についての心構えなどを話してくれていたら、ナプキンやショーツの準備も前もってできていたならよかったのになと、大人になった今、思います。私に娘が生まれたら、そのときは私と同じ思いをしないように、娘に寄り添ってあげようと心に決めています。 著者/新常 理勢作画/まっふ監修/助産師 松田玲子 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者・イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター 漫画家 まっふ
2024年02月01日外出先のトイレで下着にあるものが付着しているのを発見した私。「何か大きな病気なのかも……」と不安になっていたところ? トイレでビックリ中学1年生のころ。休日に、母と仲良しの友だち親子と一緒に買い物に出かけた私。ショッピングを満喫して帰ろうとしたとき、私はお手洗いに行くことにしました。 トイレに入りズボンと下着を脱いだ瞬間、まさかの光景が。なんと下着に血がべっとりとついていたのです! 何が起きたのかわからずフリーズした私。とりあえず、トイレットペーパーで下着についた血を拭き取ってみたのですが、染み付いておりきれいにならず……。 まさか…病気?私は「何か大きな病気にかかったのでは?」と不安な気持ちになってしまいました。というのも当時、テレビで隠れた病気のサインを紹介する番組があり、ガンなど大きな病気のサインとして吐血や下血などの「出血」が絡んでいたことを思い出したからです。まさか自分が……と私は大ショック。 きっとこの出血を家族に打ち明けたら悲しむに違いないと思い、誰にも相談する気になれなかった私。また血が出てきたら怖いからとトイレットペーパーをぐるぐる巻きにして下着に挟み、母たちの元へ戻り帰宅しました。 たまらず母に相談しかし、帰宅後トイレで下着を確認するとさらに出血が。「このまま出血が止まらなかったら……」と不安が大きくなった私は、母と2人で話せるタイミングを見計らい打ち明けることにしました。すると、母はクスッと笑い、「それ生理が始まったんじゃないかな?」と言いました。 大きな病気かもと思っていた私は、ハッと目が覚め、そういえば小学生のころに「生理」って授業で習ったなと思い出しました。そして一気に不安だった気持ちが解け、「これが生理なのか~」とすごく安心しました。 初めての生理は、自分が想像していたよりもしっかり血が出ていて病気かもと不安になった私。学校の保健の授業でしか習っていなかったこともあり、初潮を実際に迎えたときに適切に対応するのは難しかったです。今は1人の娘がいる母親になったので、大きくなったら生理について詳しく教えてあげたいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者/杉野 ひまわり作画/加藤 みちか監修/助産師 松田玲子 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者・イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター 加藤みちか
2024年01月31日夫はまるで大きな子ども。時間も体調もすべて、妻である私に管理を任せてきます。私も仕事をしているので、夫のことばかり構ってはいられないのですが……。朝、何度起こしても起きなかったくせに、会社に遅刻しそうになると文句を言う夫。しかも朝の忙しいときにアレがない、コレがないと言うので、イライラしてしまいました。 私も仕事の準備があるので、自分のことはもう少し自分で管理してほしいと思っています。 いつかやると思ったけど…ついに問題発生!うちの夫は、片付けができません。人がやってくれると思うからなのかわかりませんが、私が家に帰るとドロボウが入ったような状態になっていることもしばしば。先日は出がけに財布がないと大騒ぎしました。 大事なものはどこに置いたか把握していると言いますが、財布や携帯電話を無くしたのは一度ではありません。 そのうち大変なことになるのではと思っていた矢先、その通りのことが起こりました。会社の重要な情報が入ったUSBメモリを、夫は失くしてしまったのです。慌てて仕事中の私に連絡してきましたが、心当たりがありません。 この事実がバレると相当困ることになると、夫はパニックになっていました。帰宅後にUSBメモリを探すことになり、「疲れた……」とぼやいたところ、夫は私が悪いと一喝。私の片付けが下手でこんなことになったのだから、私のせいだと責めてきたのです。 堪忍袋の尾が切れた私は…翌日になっても、USBメモリは出てこず……。夫はUSBメモリのことが気になりすぎて、仕事でミスをしたそうで。その怒りを私にぶつけようと、イライラ満載のメッセージをいくつも送ってきました。「お前のせいで仕事でミスしただろ?!」「お前の管理が甘いせいだ!」 「ミスはお前が無能なせいだろ」夫は私の携帯電話からの返信を見て、怒りをさらに増したようです。「誰が無能だこのクソ女……」そして上司にバレたらどうしてくれるんだと、また騒ぎ出しました。もう知っているんですけれど……。なにしろ、今の返信はその上司が私の携帯電話から送ったんですから。それを知った夫は、態度を急変させました。 じつは私、今日は仕事を休んでUSBメモリを探しをしていたんです。執念深く探したことが功を奏したのか、無事発見しました。なんと通勤途中の駅に、忘れ物として届けられていたのです。持ち出し禁止の品を外で発見したということは……、厳しい処分が下りそうです。 じつは今、夫の会社の会議室に夫の上司と一緒にいます。USBメモリを直接届け、この事実を上司に暴露したのでした。夫に理不尽に責め立てられ、我慢の限界に達してしまったので、このくらいしないと気が済まなかったのです。 内密にしてほしいと上司に相談すると…夫はこの件を内密にしてほしいと懇願したようですが、上司は拒否。私が探すことになった経緯から何からすべて、会社の上層部へ報告したそうです。夫に期待して重要情報の管理を任せたのですから、失望も大きかったようです。夫は上司に見放され、大きなショックを受けていました。 私はこれを機に夫との関係を見直し、離婚。別れることになって初めて、夫は私の存在の大きさ、やさしさに気づいたようです。お前がいないと何をすればいいのかわからない、ですって。その後、夫は会社から厳しい処分を受け、働く意欲がなくなって退職したと聞きました。自業自得ですね。 ◇ ◇ ◇ 相手に頼るのであれば、ギブアンドテイクで自分も相手を想って行動することが大切ですよね。一緒に生活する上で、お互いが気持ちよく過ごせる関係でありたいですね。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年01月31日私は、少し前に夫に不倫されました。実は数年前に夫の父も不倫をし、義理の母はとても傷つき、家族全員が嫌な思いをしたことがありました。そんな私のお話です。不倫に走った自分の父親を軽蔑していた夫私の夫は、不倫をした自分の父親のことを「おじいちゃんは死んだ」と、子どもたちに伝えるほどでした。しかし時がたち、今度は自分が父親と同じ不倫に走ったのです。義母からの思いがけない言葉にしかし、義母からは「耐えろ」と言われました。それが女のプライドなのだと……。私にはまったく意味がわかりませんでした。私との価値観の違いを痛感むしろ、不倫しても離婚せずにいてくれる「都合の良い女」と思われるほうが私にとっては耐えがたいからです。義母との考え方の違いに、私はただただ驚きました。まとめ「もしかすると、不倫は遺伝するのでは?」と思うこともありました。わが家には息子がいるので、絶対に不倫をするような子にならないように育てたいと思いました。それから、娘には男を見る目をしっかり養うように伝えようと心に決めました。(40代/女性)※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。イラスト/Ru著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年01月31日私は30歳の専業主婦です。会社の同僚だった夫と半年前に結婚しました。義母は料理上手で、いつかは料理教室を開きたいと言っているのです。義母が大好きな私は、そのときが来たら手伝いたいと考えています。初めて義母に私の手料を振る舞ったとき、料理上手だと太鼓判をもらったことは今でも忘れません! 幸せそうな私ですが、実は夫のことでモヤモヤしているのです。それは義母の料理が好きすぎて私の作るご飯にダメだしばかりしてくるのです……。 義母の料理が大好きすぎる夫ある日、煮物を作ったのですが「母さんが作る煮物とはちょっと違うんだよな…」と言い、1口2口しか食べていないのに箸を置く夫。料理を作るとこんな感じで文句をつけては、義母と比較してくるのです。数日後、私はリベンジしようと煮物を作りました。今度こそ喜んでくれるはずと思っていたのですが、「まずい!やり直し!」と言いながらならせっかく作った煮物をゴミ箱に捨ててしまったのです。私はさすがにやりすぎだと反論するも、失敗作だろ? と悪びれた様子もなく、平然としているのでした。さらには「ヒマなんだから、母さんの料理見習ったら? 」と言うのです。腹が立った私は、義母に料理を教えて欲しいとお願いしました。 仲の良い義母に相談すると…後日、私は義実家へ向かいました。義母は「お嫁さんに頼られるなんて嬉しい!」と快く受け入れてくれたのです。私は義母にアドバイスをもらうため、夫に失敗作と言われてしまった煮物を持参しました。1口食べた義母は「どうしてこんなにおいしい料理が作れるのに、私に習おうとしたの? 何かあったの? 」と優しく尋ねるのです。私はここに来た理由を正直に話しました。すると義母は、夫より私の味方だと言い夫を懲らしめようと計画を立て始めたのです。しばらく考えていた義母が、私の兄と弟を呼んでパーティーをしようと提案してきました。早速、兄と弟に事情を説明すると2人とも快諾してくれました。 楽しいパーティーが開催!そして数日後のパーティー当日。私と夫が義実家に着くと、義母が出迎えてくれました。 夫は仕事があると言い、1人リビングへ。それからしばらくすると、兄と弟もやってきました。 到着早々、兄が管理するマンションの一角が空くらしく、義母に料理教室を開かないかと持ちかけるのです。話を聞いた義母は夢が叶うと大興奮! そんな話をしながら、パーティーの準備が完了。ちょうど良いタイミングで、仕事を終えた夫も戻ってきました。 ついにパーティーが始まり、並んだ料理を順番に食べ進めていく3人。 そして3人の箸が煮物に! 1口食べると兄と弟が大絶賛し、続けて夫も「どれもこれもうまい!特に大好物の煮ものは絶品だ! さすが、母さんの料理は最高だ! 」と言うのです。するとすかさず、煮物を作ったのは義母ではなく私だと真実を明かすのでした。急に焦り出した夫に対し義母が「話は全部聞いている。一生懸命料理を作っているのに心無い言葉ばかり浴びせ、せっかくの料理をゴミ箱に捨てたってどういう事だ!」と激怒。私も「こんな事が続くなら、あなたとは離婚した方がいいのかもと悩んでいるの」と心のうちを明かしました。すると、夫より私の味方である義母も「その方がいいかもね」と賛同するのでした。 義母の料理大好き夫が改心!みんなの前で吊し上げられた夫は「俺が悪かった! 本当はマズいだなんて思っていなかった」と謝り続けるのでした。 見かねた私は、義母が料理教室を開くかもしれないから、資金援助をすることを条件に今回は許すことにしたのです。 その後、夫は改心し私の料理を食べて美味しいと言ってくれるようになりました。そして、義母は念願だった料理教室をオープンし大忙し! 義母からは「あなたのおかけで夢が実現できて本当に感謝してるのよ。私はあなたを本当の娘だと思ってるわ」と嬉しい言葉を言ってくれました。私と義母、そして夫とも、ますます良い関係を築いていけそうです! 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年01月31日■これまでのあらすじ赤ちゃんがほしいと思いながらも、夫の拓也が前向きでないことに気づき、どうしたらいいのか悩んでいた美咲。しかし、拓也の先輩のアドバイスや、美咲が本音を伝え、夫婦の話し合いがすすんだことで、ふたりは妊活を始めることに。しかしなかなか結果が出ず、1年たったある日、やっと美咲は妊娠するが流産してしまう。それから数年後、赤ちゃんと暮らす美咲だったが、拓也はまったく子育てをしようとしない。そんなある日、トイレに入っていた美咲は、帰宅した拓也に泣いている赤ちゃんの面倒を見てほしいとお願いする。しかし、拓也はまったく関わろうとせず、ついに美咲が怒りを露わにしてしまう。■なぜ無視するの…?■お願い…答えて!泣いている花ちゃんを無視して、自分だけシャワーに入ってしまった拓也に、美咲は失望。前はなんでも向き合ってくれた拓也に対し、ついに「もう少し私たちに関心を持ってよ」「拓也、最近おかしい」と責めてしまうのでした。それを受け、何か拓也の行動の理由が明かされるのだろうと思いきや、拓也から出た言葉は…。「しばらく実家に帰りなよ」。いったい拓也はどうしてしまったのでしょうか…?次回に続く「僕たちは親になりたい」(全64話)は12時更新!
2024年01月30日私と夫は、30代の共働き夫婦です。ある日2歳の娘が熱を出し、保育園を休ませたときのこと。在宅ワークに切り替えた私は、その日休みだった夫に娘の世話を依頼。しかし、ささいなことをきっかけに「母親失格」とまで言われたのです……。 意外な人物の助言が夫を変えた! 私は夫に娘の世話を頼み、在宅で仕事を進めていました。しばらくすると、イヤイヤ期の娘の泣き叫ぶ声とオロオロする夫の声が聞こえてきます。昼12時ごろ、もう少ししたらお昼ごはんを作ると夫に報告すると、「熱がある娘を放置して、母親失格だな」と突然言われました。私は「八つ当たり!?」とカチンと来ましたが、それよりも「母親失格」という言葉に大きなショックを受けます。言い返す気力もなく、モヤモヤしたまま数日が経過……。 そんなある日、義実家へ遊びに行った際、娘が熱を出した先日のことが話題に。義母に看病したのかと聞かれた夫は、仕事がある私に代わってひとりで世話をした、と得意げです。すると義母は私を「仕事と家事・育児を両立するあなたは偉い!」と褒めてくれ、夫には「あんたが面倒みるのは当たり前」とズバリ。言いたいことをすべて代弁してくれた義母に、私は感動しました。 その後、夫は八つ当たりを認め、私に謝ります。今回は義母の言葉によって救われましたが、未解決のままだと夫とはすれ違っていたかもしれません。私はこの出来事をきっかけに、嫌な発言をされたときは自分の気持ちにフタをしないこと、そして夫が困りそうなことは先手を打って対策する必要があるということが大切だと気づいたのでした。 作画/Pappayappa著者:小山 うみ
2024年01月30日彼とよく旅行に出かけていた私。旅行の計画はほとんど私が立てていたのですが、あるときミスをしてしまい、彼の行動に変化が……。 旅行の計画を立てるときに不満が私には大学生のころから長年付き合っている彼氏がいます。お互い旅行が好きなため、都合が合えばよく泊まりがけで出かけていました。しかし、私は旅行の計画を立てる際に、ある不満を感じるように。 それは、旅行の計画を立てているとき私が「このプランはどう?」と相談すると、彼は「任せるよ」と心ここに在らずの返事をし、旅行準備のすべてを私に丸投げしてくることです。 私に任せてくる割りに、彼は「旅館のごはんがおいしくなかった」と言ったり、目的地までのバス停がどこにあるか私が把握していないと不機嫌になったりするのです。 海鮮市場へ旅行にそんなあるとき、私たちは車で3時間かけて、海鮮が有名な市場へ行くことに。市場は早朝がメインなので夜中の3時ごろに出発し、交代交代運転を頑張りました。しかし、到着すると駐車場はなぜかガラガラ……まさかと思い調べてみると市場がお休みの日だったのです! 完全に私のリサーチ不足だったため、彼にひたすら謝罪。そのときの彼は不機嫌というより、ひどくあきれた様子でした……。 「やっちゃったな」と思った私は、後日、失敗談として一連の出来事を友だちに話しました。すると友だちから「それおかしいの彼氏でしょ。旅行の予約とか定休日を調べることは2人で確認するものだよ」と言われたのです。 その言葉にハッと目が覚めた私は、彼に「また失敗するといけないから次からあなたが旅行の計画を立てて。そうしたら私が最終確認するから」と伝えました。彼はしぶしぶといった様子でしたが「仕方ないからやるよ」と旅行の計画を立ててくれることに。 すると、彼は想像以上にリサーチ好きで凝り性であることが判明! とことんお得で良い旅行プランを練ってくれるので、もっと早くから頼ればよかったと後悔しました。 彼が計画を立てる側になってから、さらに旅行に行く回数が増えた私たち。たまに、彼が日程を間違えて宿を予約してしまうこともありましたが、私が予約の最終確認をする体制に変えたことで事なきを得ました。それから、当時の彼は夫となり、今でも2人で役割分担をしながら旅行の計画を立てています。 著者/都 うめこ作画/しお ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者・イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター しお
2024年01月30日大学を卒業してから、ある会社で清掃員として働き始めた私。仕事にはやりがいを感じているのですが、実は困っていることがあります。それは、仕事中の私にいつも「邪魔だ!」などと冷たく当たってくる男性社員がいること。彼からは毎日のように嫌味を言われていて……。 社員さんはいい人ばかり。あるひとりを除いて…私が就職したのは国内大手の大企業です。私の担っている清掃業務には、他にも数名ほど社員さんがいます。私はその中で1番年齢が下ですが、先輩方はやさしい方ばかりなので、職場の人間関係はとても良好に思えます。 営業部や経理部など、ほかの部署の社員さんもいい人たちです。私が掃除をしていると「お疲れさま!」と声をかけてくれる人もいます。ただ……私にはひとりだけ苦手な社員さんがいるのです。 その男性は私が会社内の清掃をしていると、いつも嫌がらせをしてきます。例えば「こんなところにカートを置くなよ〜邪魔だよなぁ〜!」と、私に聞こえるように大声で嫌味を言ってくるなど。揉めごとにしたくない私は、いつも反論せず「申し訳ありません」とだけ言って、スルーに徹しています。 そんなある日、私は聞き捨てならない会話を耳にしたのです……。 男子トイレから聞こえてきたのはその日もいつものように清掃をしていると、例の男性社員から「おい!俺が通ろうとしてんのに汚いカートを目の前に置くなよ!」と文句を言われ、「申し訳ありません」とだけ言ってその場を去りました。 そのあと、男子トイレの近くで掃除をしていた私。すると、トイレの中から先ほどの嫌味な男性社員とその後輩たちの会話が聞こえてきたのです。 「お前らも会社のものはうまく使えよ。俺はいつも会社の車で……」 なんと、例の社員さんが仕事中に働いた悪事を、大声で後輩に自慢していたのです! その内容は驚きのものでした。 いつものように嫌味を言われていると…数日後、いつものように社員さんが嫌味を言ってきました。「ったくさ~、もうちょっと人の邪魔にならないように掃除できないのかよ?もっと頭使って働けよな!」と。 するとそのとき、「申し訳ありません……」と私が謝っているところに、ある人物がやってきたのです。 「おや、どうした?」「あ、おじいちゃん!……あっ、ごめんなさい。会社では会長って呼ばなくちゃね!」 そう……現れた人物とはこの会社の会長であり、私のおじいちゃん。実はおじいちゃんも若いころ、清掃員の仕事をしていました。血のにじむような努力をしてこの会社を設立したと聞き、私も清掃員から始めたいとおじいちゃんにお願いし、今に至るわけというわけです。 ついに反撃開始!おじいちゃんにチクってみた私たちが仲よく世間話でもしていると思ったのか、「社員とも仲よくなるなんてさすがじゃな」と私を褒めてくれたおじいちゃん。 「いいえ、この社員さんはいつも私の掃除が下手だって厳しく注意してくれるの」「今もね、邪魔だ!って言われていたところなのよ」と意味深に否定すると、おじいちゃんは「んん……?そうなのか?」と厳しい表情に。 私とおじいちゃんの関係を知った社員さんはすっかり青ざめた表情になり、「ちょ、え、わ、ちが……」と、あたふたし始めます。しかし、そんな彼の様子などお構いなしに、私は、先日聞いてしまった彼の悪事自慢をおじいちゃんに暴露しました。 「そういえば、たまたま耳にしたのだけど……彼って仕事中、外回りに出かけると言って社用車で女性とデートをしているらしいわよ」と。 悪事がバレた社員さんの末路「ち、違うんです……!」と必死になって否定する彼。しかし彼自身が発言していたので言い逃れできるはずもなく、おじいちゃんは、社長であるパパと副社長であるお兄ちゃんを呼んで論議することに。 会長と社長は怒りをあらわにして「君の処分は追って伝える」と彼に告げました。その後、他の悪事もボロボロと発覚したらしく、会社にいづらくなった彼は自主退職したそうです。 私はというと、嫌味な社員さん以外はとてもいい人たちばかりで、このたび晴れて経理部に所属することになりました! 清掃員のころから声をかけてくれた社員さんには「まさか会長のお孫さんだったなんて!」と驚かれましたが、やさしく受け入れてくれました。 清掃員として働いたことで、社内の見えない部分を見ることができてとてもいい経験でした。これからは正社員として会社に貢献できるよう頑張ります。 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年01月27日私は27歳の会社員で、婚約したばかりの彼がいました。彼の父は、私の父が経営する会社の重要な取引先の社長です。もともと父親同士は親しかったので、これからもいい関係が築けると思っていたのですが……。結婚のお祝いとして、父が一軒家をプレゼントしてくれることになりました。私は一人っ子で彼は次男。将来的には私の両親と一緒に住むつもりで、彼にもその話は伝えています。もちろん彼の両親も了承済み。 先日、新居で私の両親・彼の両親を呼んで引っ越しパーティーを開催しました。 アポなしで彼の母がやってきてその翌日、彼のお母さんが突然連絡もなく家を訪ねてきました。「昨日、忘れ物をしちゃった」ということだったので、私は何の疑いもなく家に招き入れることに。 すると部屋に入るなりソファに座り、テレビを見始めたのです。そしてしばらくリラックスしてから「あなたを教育してあげる」と、家事のいろはを話し始めました。 結局3時間以上居座り、私は不信感を抱きましたが、彼には言わず一旦我慢することに。しかし彼女はその翌日も翌々日も家にやってきたのです。 つらくなってきた私が毎日来る理由を聞いたところ「今のうちに、いろいろ覚えておいてもらわないと、困るのよ~! 将来は同居して、この家で介護してもらわないといけないんだから」と驚きの発言。 驚くべき計画を知ってしまってこの家は、私の両親と将来同居する時のために与えてくれたものであって、義両親と住むつもりはありません。そのことを伝えても、義母は知らぬふり。 仕事から帰宅した彼に、これまでの出来事を伝えました。しかし彼は、「まぁ、うまくやってくれよ」と言い残して寝室へ行ってしまったのです。 その翌日もいつものように彼女が家にやってきました。顔を合わせたくなかった私は、買い物があるふりをして外出。そして帰って家に入ろうとすると、開いている窓から彼女の声が聞こえてきました。どうやら彼と電話をしている様子。 「うまくいってるわよ! 私たちの思惑通りね。この立派な家はいずれ私たちのものになるし、うちのお父さんの会社も安泰! あなたの演技も完璧よ!」と話していたのです。 なんと2人は私と結婚することで、この家も父の会社も乗っ取り、用済みになったら離婚しようと企んでいたのです。絶対に許せないと思った私は、ある人に連絡をしました。 悪だくみした親子の末路翌日もまた家に来ていた彼のお母さんが帰ろうとしたとき、彼がちょうど仕事から帰ってきました。2人が揃ったところで私は「婚約は破棄させていただきます」と言い、婚約指輪を外しました。 2人の計画は分かっていること、そしてこれらの計画は私の父や彼の父親にも伝えていると告白。2人は瞬く間に青ざめていきました。 そこへ、怒りで震えた彼の父が家にやってきました。そして私に謝罪し、慰謝料を支払うと約束してくれました。その後2人は、会社の信用を失墜させるところだったと激怒した父親から縁を切られ、家も追い出されたそう。 2人には大変な目に遭わせられましたが、結婚前に彼と母親の本性を知れてよかったです。父親同士はこれまで通り仲良くしています。結婚を利用して家や仕事を乗っ取ろうなんてひどい話です。悪いことを企んでいると、どこからかボロがでるもの。相手を騙していい思いをしようとするのではなく、誠実に生きていきたいものですね。著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年01月27日私は35歳の専業主婦です。5年前に結婚し、双子の女の子を出産しました。現在は私の実家の離れにある建物を改築して生活しています。実は私に悩みがあって……。それは、夫が家事や育児を手伝ってくれないということ。仕事柄、出張も多くて会社の接待も忙しいので家に帰ってきても子どもと遊ぼうとしません。なので、育児は同じ敷地に暮らしている私の親に手伝ってもらっています。理不尽な発言に唖然私の父と母は、よく子ども達と一緒に出かけたり遊んだりしてくれます。今日も娘2人を連れ公園へと出かけました。子ども達を見送った後、私は急いで家の掃除と洗濯を終わらバタバタとしていると夕方に。夕飯を作ろうとしていると、夫が出張から帰ってきたのですが開口一番「もうちょっと片付けろよ!何度も言うけど、子どものオモチャも目障りだ」と言うのです。掃除したばかりだと伝えると、「掃除とは、チリ1つ落ちてない、物1つ床にない、見える範囲におもちゃが出ていない状態の事を言うんだ!」と無茶なこと言うのです。そして、家にいても休まらないからと言い残しその場から立ち去るのでした。まさかの裏切り行為が発覚家にいて嫌な顔をされるくらいなら、居てもらわない方が良いかも? と楽観的に考えていたある日のこと。子ども達と出かけていた母が帰宅後、夫と見知らぬ女性が歩いてたと衝撃発言をするのです。こっそり撮影したという動画を見ると、白昼堂々、若い女性と手を繋いで歩く夫が写っていました。私はショックを受けるも、もっとしっかりとした証拠を揃えて、とことん追い詰めようと決意しました。 あっけなく離婚へ……その後、私は探偵に依頼して本格的に証拠を集めることに。調査の結果、不倫相手である女性は夫の元カノだったのです。出張と言い元カノの家に入り浸り、さらには夫が生活費を出していると言うのです。私は、役所から離婚届もらい自分の欄は記入しておきました。さらにもう1通、大切な書類も準備。離婚への準備も整ったある日、夫が「離婚したい。俺は子ども中心の生活はうんざりだ。」と言うのです。あまりにも自分勝手な理由に失望した私は「他にも何か言う事あるでしょ?」と煽るように質問しました。すると夫が、元カノとヨリを戻すことにしたから離婚しようとハッキリと言うのでした。呆れた私はここで離婚届ともう1通の書類を出しました。私が浮気調査をしていたなんて知らない夫は、随分準備がいいなと不思議そうに離婚届にサインをしたのでした。そして、一通の書類とは「勝手に敷地内に侵入してきた場合は警察に通報することと、不法侵入者としてそれなりの責任を取ることと」いう内容が書かれた誓約書。夫は離婚届と誓約書にサインをし、夫と元カノの2人分の慰謝料と、娘2人の養育費を一括で支払い私たちはあっさりと離婚をすることになったのでした。 予想通りの展開に!数週間、今にも泣きそうな声で夫から私に連絡が入りました。話を聞くと、不倫相手だった元カノが掃除も家事も全然しない!と嘆くのです。そこに私が「あなた以外にも付き合っている男性がいるのよね?」と聞くと夫が「なんで知っているんだ?」と不思議そうな声で呟きます。私は続けて「ギャンブル好きで、バツ3だよね」というと夫は知らなかったのか無言に。私のところに戻りたいと懇願する元夫に「うちの敷地内に入ってきたら、速攻で警察を呼ぶからね!」と言って私は電話を切りました。 実は私は浮気調査の結果から、元カノの悪行を知っていたのです。絶対に元夫が泣きついてくると確信していたので、家に入れないように誓約書を作っていて良かったです!そして、慰謝料と養育費を貰っておいたのでスッパリと縁が切れてスッキリしました。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年01月27日私が夫と結婚し、まだ子どもを産む前のことです。義両親にはすでに、義弟の娘である孫がいました。その孫が来ると、喜んで孫の世話を引き受けていた義両親。しかし、二人は決まって孫の世話を私に押しつけてきて……。 義両親に呼び出された理由は?義両親の初孫は、義弟の娘。義両親はそれはそれは初孫をかわいがり、遊びに来ると孫の世話を買って出て、義弟夫婦を2人で出かけさせていました。しかし問題はここから。孫の世話を引き受けたのは義両親なのに、近くに住む私に「ちょっと用があるから来て」と必ず義父から呼び出しがあるのです。夫は仕事に行っている時間なので私ひとりで義実家へ行くと、そこには義両親と生後半年ほどの赤ちゃん。義母のおしゃべりにつき合っていると、赤ちゃんが泣き出しました。 すると義父は、「ああ、お母さんはやらなくていいから。ほら、将来のための練習だよ」と言って私に世話をさせるのです。最初は訳がわからず「え? そういうものなの……?」と思いながら、勝手がわからないなりに抱っこをしたり、おむつを替えたりしていました。 孫の世話を押しつけられモヤモヤ…それからというもの、義弟夫婦が来るたびに呼び出され、赤ちゃんのお世話を強制されることにだんだんと違和感が。義弟夫婦は義両親のいないところで「お世話してもらってすみません」と言うものの、「あなたたちは口を出さなくていいから!」と強行する義両親に何も言えないでいるようでした。私が行くと義両親は孫の世話をしなくなり、「うんちしたんじゃない?」「ミルクあげて」「それじゃあ違う」と、指示やダメ出しばかり。しかも、夫が一緒に行ったときは、夫には世話を強要せず私にだけ赤ちゃんを任せます。夫に相談しても、夫はむしろ「よかったじゃん」と世話をさせてもらえることにうれしそう。私は義両親の行動に不信感を抱き、次第に適当な理由をつけて断りフェードアウト。コロナ禍を経て、義弟の子どもも大きくなり、世話も不要になっていきました。 最初こそかわいい赤ちゃんに触れられてうれしかったですが、何もしない義両親に押しつけられている感覚が強くなっていきました。そもそもまだ子どもを産むかも決まっていなかった時期。「子育ての練習」と称して、私だけに世話をさせる義両親にイラッとしてしまったのです。その後は義両親の考え方を理解した上で、うまく距離を保って立ち回ろうと決意したのでした。 著者:山口花イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ
2024年01月27日結婚後、義母の強い要請があったこともあり、私は仕事を辞めて専業主婦をしています。夫は勤務時間が特殊な仕事のため、私が職場への送り迎えをしていますが、これは専業主婦だからできることです。すると、次第に夫の要望はエスカレートしていったのです――。 そこまでしなきゃいけないの!?今年から釣りに目覚めた夫。しかし、朝が苦手で運転も嫌いな夫は、仕事だけでなく趣味である釣りの送迎も私に頼んできました。私は釣りに興味がないため、海まで夫を送って行ったあと近くの観光地を探してウロウロと別行動をとり、終わったら迎えに行くということで折り合いをつけることに。 ところが最近、夫が息子の友人のお父さんと釣り友になり、一緒に出かける仲に。すると今度は……。 午前3時や4時に出発して行くのですが「起こして欲しい」と言うのです……。 仕事で4時に出勤というならまだしも、遊びに行くときも私が起こすの?と納得がいかないまま渋々夫を起こしました。 さらに夫は「服出して~」「お茶用意して~」「おにぎり作って~」「見送ってくれへんの?」と、すべて私に頼んでくる始末。おかげで私は完全に目が覚めてしまい、早朝からバタバタしていたためか、一日を終えるころには疲れ切っていました。すると釣りから帰宅した夫が、私に「めっちゃしんどそうやん。どうしたん?」と一言……。これには呆れてしまいました。 夫の釣りブームが早く冷めることを願ってしまう今日この頃です。 ◇◇◇ 大人になって夢中になれる新しい趣味ができるのは、素敵なことですが、さすがにそのために午前3時や4時に起きなくてお手伝いをさせられるとなると、家族にとってはストレスですよね。旦那さんと話し合いの機会をもって、自分のことは自分でやるよう伝えていけるといいですね。 イラスト/きりぷち著者:倉坂ちさ
2024年01月26日