子供を産み落として以来、なんでもかんでも感動しちゃう2児の母。 最近は一度切り取った後の豆苗を再収穫しようと日向に置いておいたら、脇芽が まっすぐ伸びるのはなく、明るい陽の方に伸びているのを見て感動。 ちゃんと暖かい所がどこか分かってんですよ豆苗。偉い、偉いぞ豆苗! 情を湧くだけ湧かせた後は、心地よく胃袋に収めます。 ちなみに豆苗は芋と卵で炒める派。 皆さんはどうやって調理する派?(なんの話)
作者→常に考え事をしている妄想の鬼 作者夫→常に何かを忘れている忘却男 作者の子1→4歳。常に電車の話をしている電車オタク 作者の子2→1歳。常に何かを食べているフードファイター この四人が一緒に生活をするとどうなるか?漫画で綴ります。
このお話は、2016年に作者のめいさんが保活をしていた頃のお話です。 ■前回のあらすじ 保育園にも慣れた頃、保護者会が開かれることに。そこで、今まで不安や心配だった気持ちが一変したのです。 そんなこんなで息子を預けて1年が経とうとしていました。当時息子は2歳。 息子が通っている保育園は保育対象年齢が3歳までなので、この園に通えるのはあと1年。あと1年は通えると思うか、あと1年しか通えないと考えるかで私は悩んでいました。 保育園の先生方とは良い関係だし、園の環境にも親子共々慣れてきた。息子も毎日楽しいと言って通っている。できれば通えるだけ通いたい。 でも来年には間違いなく再び保活をすることになる。 うーん…。 散々迷った結果、今年は落ちてもいいぐらいの気軽な気持ちで、6年制の保育園に申し込みをしておいて、落ちてしまったら今の保育園にもう1年お世話になることにしたのです。 転園希望の園は1年前に落ちた第一希望の園。我が家からわずか5分足らずで通える超良好物件。(今の園は徒歩15分ほど) 去年の全落ちの敗因は新規受け入れ人数の少なさだったけれど、それはあくまで1歳児の話。2歳になる年の4月というのは、引っ越しや転園をするご家庭もあるため、新規受け入れ数が上がるらしいと聞き、今回は第一希望の園のみに転園申請をしてみたのです。 さぁどうなるか? とドキドキしながら結果発表の日を迎えると…。 結果は内定!!!! 超人気保育園なだけに「あれー!? 受かった…」と静かに驚く私。 あっけなく受かった嬉しさと、今の園をあと数ヶ月で卒業する寂しさが一気に押し寄せてきました。 翌朝夫が息子を保育園に送っていく際に、転園することを先生方に伝えもらい、私はその日の夕方改めて先生方にお知らせしようとすると、息子の担任の先生の方から切り出してくれました。 「息子くん、転園するとお父様から聞きました」 「そうなんです。この保育園気に入っていたのでとても迷ったんですが、後々のことを考えて6年制の園に移ることになりました」と何だか先生の顔をちゃんと見ることができないまま早口に話す私。 「迷ってくださったんですね。それは止められないなぁ…」と言っている先生の目には涙が。 その涙を見て私も一気に涙腺が崩壊。 「うわーん! 先生ここ6年制にしてください~!!」と無理なことを言いながらのご挨拶となりました。 数ヶ月後、息子は1年お世話になった園を卒業。 登園最後の日にお迎えに行くと、担任の先生をはじめ園長先生、栄養士さん、サポーターの先生みんなが、わんわん泣いて「息子くん~大きくなるんだよ~。1年間楽しかったよ~」と息子を抱きしめている姿を見て、私もわんわん泣き、園の入り口付近を通りかかる人たちに不審な目で見られてしまいました。 卒業して半年くらい経ったある日、息子に保育園での思い出話をすると、急に先生たちに会いたくなったらしく、連日「〇〇先生に会いたい!」とせがむので、保育園に電話をして少しだけ息子と再会する時間をいただけることになりました。 この時期の子どもの成長は著しく、半年見ないだけでかなり外見が変わるようで、成長した息子を見て先生方はまた号泣。 「まだ半年しか経ってないのに懐かしいよ~! 会えて嬉し~!!」ととても喜んでくれました。 息子はまだ2歳。この世に生まれてまだ2年なのに、息子がいることでこの先生方と出会えたことが、不思議だしとても嬉しく思いました。 こんなことを言ったら語弊があるかもしれないけど、初めての保活で希望の園に全落ちしたことは良かったのかも、と思えるぐらい、良い園だったと思います(半年ほどいろいろ疑ってしまいごめんなさい…)。 設備や環境が良いということではなく、 限られた環境下で精一杯子どもの成長をサポートしようとしてくださった先生方の姿勢が素晴らしかった です。 もちろん環境も設備も素晴らしく、先生も文句なしの満点な園も存在すると思います。 我が子を預ける園ならば妥協したくない、良い環境で過ごしてほしい、100点であって欲しいと思うことは当たり前のことだと思います。 ですが、保活においては必ずしも希望の園に入れるわけではなく、満点ではない場合も多いと思います。 そういった時は、自分も保育園をよりよくするメンバーの1人だと意識すると、園の印象が変わってくるかもしれません。私はその意識が薄かったために半年近くも1人でモヤモヤした時間を過ごしてしまいました。 満点でなくても必ずどこかに長所がある、不安や心配ばかりに目を向けるのではなく、自ら参加していくことで不安や心配は解決していける(全てではないですが)、今回の保活でそう感じることができました。 私の経験がどなたかのお役に立てたら嬉しいです。子どもに関する選択は大変ですが、共に頑張りましょう~! 以上、私の保活レポでした! ※本連載で紹介する情報は、2016年時点のものです。 ※詳細は住んでいる自治体の役所にご確認ください。
2021年02月24日このお話は、2016年に作者のめいさんが保活をしていた頃のお話です。 ■前回のあらすじ 慣らし保育がスタートするも、育児初心者のため預けることに不安がつのる。しかし、ようやく親子でがんばろうという覚悟ができ…。 息子を保育園に預けて早3ヶ月。 預け始めの頃はキーキー言っていた私も、この頃には徐々に園に預ける生活に慣れ始めていました。そんなタイミングで、保護者会があったので参加する事に。 息子のクラスメイトは片手で数えられる程少なく、そうなると保護者会もこじんまりとしたものになります。 これまで、クラスメイトはたくさんいた方が息子にとって刺激になるんじゃないかと勝手に思っていた私は「もう少し人数が多くてもいいんじゃないか」なんて思っていたのです。 しかし、そんな考えを変えてくれたのがこの人生初の保護者会でした。 結論から言うと、先生と保護者で爆笑の嵐が巻き起こり、40分予定のはずだったものが2時間まで伸びるほど、とても楽しい時間となりました。 参加人数が少ない分、1人ひとりの話せる時間が多く、その分話す内容が濃くなったのかなと感じました。 先生から息子たちが普段どう過ごしているかを丁寧に聞くこともできて、 「あぁ、人数が少ないからこそ1人ひとり丁寧に保育できるってこともあるよなぁ」とこの時初めて思ったのでした。 また狭いなぁと思っていた園内のことについても先生の方から切り出してくれ、 「園内が狭い分、近所の公園や緑地にたくさん行って、虫や葉っぱやたくさんの自然に触れるようにしています。園内でも定期的に配置を変えて、子どもたちが飽きないような室内作りをしています」と教えていただき、一気にいろいろな心配が抜けていく感覚がしたのでした。 そういう感覚になると、私という人間は勝手なもので、広い園でもコンパクトな園でもそれぞれの魅力があるような気がし始め…。この保護者会をきっかけに、勝手に描いていた理想とのギャップが少しづつ消えていったのでした。 もちろん、不安が拭いきれないこともありますが(園に隣接している大きな道路などなど)、他の不安がなくなったことで、先生方をもっと信頼したいと思えるようになったのです。 たまたまだけど、この時テレビで某芸人の方が言っていた言葉がとても刺さったので紹介します。 住む前から持ち家が欲しいけどなかなか理想的な良い物件が見つからなくて~と言ってる人は、きっと一生家は買えないと思う。理想の家っていうのは自分たちで実際住んでみて、住みやすいように工夫していくことで理想になっていくわけだから、住んでみない事にはわからないでしょ この言葉が当時の私と息子の保育園に通ずるものがあり、とても響きました。 と同時に、結局私は無意識のうちに、保育園のサービスをただただ受ける側として立っていたのかもしれないと気づかされました。 自分の子を預けているのだから、自分も保育園を一緒に作っている一員なんだと意識して行動するようにすると、今まで自分の中に留めていた「他の園ではやっているサービスをしない理由はあるのか」というようなモヤモヤを、保育園側に質問できるようになったのです。 そして、納得のいく返答をもらってスッキリするようになったし、回答がイマイチ理解できない場合は、担任の先生とさらに話し合えるようになりました。 そうすることで、先生方との信頼関係も築けるようになり、より息子の保育園を好きになれた気がしています。 この時すでに息子が保育園に通い始めて半年以上が経っていました。 半年経ってようやく園との信頼関係ができはじめたのでした。 つづく! ※本連載で紹介する情報は、2016年時点のものです。 ※詳細は住んでいる自治体の役所にご確認ください。
2021年02月23日このお話は、2016年に作者のめいさんが保活をしていた頃のお話です。 ■前回のあらすじ 希望の園とは違う新設園に内定するも事前情報が何もなく不安がつきまとう。そうこうしているうちに入園式となり…。 入園式の翌日から、さっそく慣らし保育がスタートしました。 産んでからこの方1日も離れたことがない息子と私は、保育園に預けるたびに毎朝2人でメソメソしていました。 なんなら息子の方が先に園に通うことに慣れ、親の私の方がグジグジ言ってる時期が長かったような…。 園から帰ってくる息子が、私の知らない匂いをまとっているのもまた切なくて、なかなか新生活に慣れない自分に頭を抱えていました。子どもと離れるのってこんなにも切ないものだったのか…!! 新設の園内は朝も夕方もバッタバタで、先生方は常に小走り状態。 今の私なら「先生方大変そう…、そりゃそうだよね…、いつもありがたいな」なんて、思えるようになったけれど、当時の私はまだまだ未熟で「こんなに余裕がなくて子どもたちは安全なのかな…?」なんて心の狭いことを考えていました。 今過去の自分を客観視してみると、大変さを知らないから完璧を求めていて、当時の私は厳しいなぁと感じます。 「この育児初心者が!! 理想なんか高めても子どもは保育はできないんだよ!! 」と、あの頃の私を往復ビンタしてやりたいです。それほど、まだ私は育児初心者だったのです。 そんなこんなで慣らし保育は終了し、本格的に始まった保育園生活。 以前お話した通り、息子の園には園庭がありません。そのため、外遊びは基本近所の公園に散歩がてら歩いていく事になります。園の目の前には大きな道路があり、大きな車もビュンビュン走っています。目には見えないけれど、きっと排気ガスも多いはず…。 不安要素がいっぱいで、怖いよぉ…! 改めて言いますが 子どもを預けて仕事ができることが、ありがたいことというのは十分理解しているんです 。 しかし、初めての子どもを保育園に預けるという、私にとって一大決心な出来事にも関わらず、事前情報がゼロで、見学してきた理想の保育園生活とはかけ離れた現実に、とにかく困惑していたのです。 実際お散歩に行こうと準備をしていた時に、一瞬息子が外に出てしまい、気づくのが数秒でも遅ければ門の目の前を通る自転車とぶつかっていたかもしれないという事もありました。 何事もなくて本当に良かったよ…。 今すぐ仕事を辞める選択をしない限り、この悶々とした気持ちは解決しない。 でも今すぐ仕事は辞められない。 そうなると、もう自分の選択と息子の運を信じるしかない。でも信じるのって勇気がいるじゃないですか…! なにこの陳腐なセリフ…! でももうここまで来たら私は仕事に行くしかない。 息子はこの保育園にお願いするしかない。 頑張るしかない!! 頑張れ息子! 頑張れ私! こうして、ようやく覚悟が決まったのでした。 次に続く!! ※本連載で紹介する情報は、2016年時点のものです。 ※詳細は住んでいる自治体の役所にご確認ください。
2021年02月22日このお話は、2016年頃にめいさんが保活をしていた頃のお話です。 ■前回のあらすじ なぜ自分だけが全落ちしたのか、ママ友に聞いてみると理由が判明。相談窓口に行くと2次募集している園を紹介されるが希望の条件とは全く違い…。 思い描いていた園とはまるで違う新設園に申し込みをするしかなくなった私。 「もういっそ仕事をやめて幼稚園まで子どもの側にいようかな」とギリギリまで悩みに悩みましたが、結局無職になる勇気はなく復職。そしてあっさり新設園に内定。事前情報がゼロの保育園に愛しの息子を預けることになりました。 あぁ…私が重視していた園長先生の雰囲気はいずこへ…。 動線の確認はいずこへ…。 仮に息子の上に何人か兄弟がいたなら、こんなにもビクビクしなかったでしょう。初めての子どもを入れる園で、事前情報が何もないというのは、私にとっては本当に怖いものでした…。 悪い癖だと自覚があるものの「もし息子が嫌な思いをする園だったら…」とマイナスな考えが止まらず、不安な点を探してはモヤモヤしてしまう自分にも嫌気がさしていました。 自分に喝を入れ、園に受かっただけ良かったじゃないか! 復職できるありがたみを噛み締めなきゃ! 息子のお昼寝がどんどん短くなって、1歳のくせについには寝なくなって、自分の時間は皆無で、疲れ果ててたんだから「仕事=完全に自分1人の時間」ができてむしろありがたく思うべきだ! …と、プラス思考に考える日もあったけれど、そういう時に限ってやたらと保育園関係の嫌なニュースや怖い情報などが連日報道されたりして。 「あぁぁぁぁぁ! 私の選択が間違っていて息子に何かあったらどうしよう!?」と、自分の選択が子どもの運命を決めてしまう怖さにブルブルしていました。 そんな周りから見たら地味で私から言わせれば壮大な葛藤をしているうちに、あっという間に時は過ぎ、息子の入園式となりました。 ブルブルしていた私は、自分の中で決着がつかず、入園式中もブルブル。 今からお世話になる保育園の入園式で「来年は絶対転園する! 次こそ本命の園に行く!」と失礼極まりないことを考えていたのでした。 今思えば、新設園だからこそ、園長先生も担任の先生方もみんな緊張しているはずで、私が「情報が何もない園怖い~!!!」とアワアワしていたのと同じく、保育する側だって「モンペ(モンスターペアレンツ)いたらやだ~~!!!」と思っていたかもしれず。 なぜか一人アワアワしている気になっていた私は、まだまだテンパっていくのでした。 次に続く ※本連載で紹介する情報は、2016年時点のものです。 ※詳細は住んでいる自治体の役所にご確認ください。
2021年02月21日このお話は、2016年に作者のめいさんが保活をしていた頃のお話です。 ■前回のあらすじ 1年間保育園探しに精を出していた私。希望可能な15枠、全部希望を出したにもかかわらず、結果はまさかの全落ち…! 15園も申し込みをしたのに…、正直余裕で受かると思ってたのに…。 結果は全落ち!!!! なんで!? 15園も書いたのに!? っていうかあれか!! みんな同じ事考えるか!! これだけ書けば十分でしょって思ってたけど、みんな15園書くか!! そりゃそうか!! ここでやっと謎の保活ハイから目が覚め焦りだす私。 とりあえず翌日「全落ちしたー!!」と泣きつけば「私もだよーー! えーーーん!」と傷を舐め合える仲間を探しに(ひどい)児童館に向かうも、みんなとても明るい笑顔を振りまいていることに動揺する私…。 おそるおそるママ友に結果を聞くと、私以外全員内定をもらっていた…!!!! 何事!! 周りの同じ年齢の子どもを持つママ友たちは「今年って落ちたって人、聞かないね~」と言いながら、あの園に受かったこの園に受かったと話をしている。 「え??? 全落ちしたのウチだけ???」と思うほど、みんなどこかしらに受かっていたのでした。 なななななんで!? と、これまた保育園に受かったママ友に泣きつくと、 「もしかして新規入園の人数確認せず申し込みをしたのでは?」とのこと。 「しんきにゅうえんのにんずうかくにん???」 しばらく考えた後ハッとした私。 私が希望した園はたまたまではあるのですが、どこも0歳児(生後100日)から受け入れる園ばかり。0歳児クラスも募集した数だけすぐに埋まる人気園ばかりです。 そんな0歳児から入った子たちは翌年1歳児クラスに持ち上がるわけで。仮に受け入れが10人だとして、0歳からいる子たちが8人なら新規で受け入れ可能な人数は2人なわけで…。 うわぁぁぁああ! そういう事!? と慌てて希望を出した園の新規受付人数を確認すると、まさかのドンピシャ…。 「何そのトラップ!!」とその時は思いましたが、他のママさん達はそこもしっかり考慮して申し込みをしていたので、ただただただただ私がアホだったって話なのです。 といっても落ち込んでる暇もなく、すぐさま相談窓口に行き、何か方法はないのか聞きに行くと…。 相談員の方が言うには、2次募集なるものがあるとのこと。 「ただねぇ…」と相談員の方がポツリ。 「え?? なんですか??」と聞くと「あなたが記入した園はもう全部埋まっちゃって2次募集受け付けていないのよね。だからあなたが希望した園以外の紹介になりますね」とのこと。 長い時間をかけて調べつくし厳選に厳選を重ねた園に入れず、他の園になる…ですか…!?(あまりの衝撃に言葉遣いがおかしい)いったいあの努力はなんだったですか…!(おかしい) と思いつつも背に腹は変えられないので、紹介してもらうことに。 「入れる可能性があるとしたらここくらいですね」と渡された資料に書いてある園は新設園。現在建設中につき見学はできず、園庭もないよう。目の前には大きな道路があり、大型トラックがビュンビュン走っています。 ここは「認証保育所」というカテゴリーで、東京都が定めた基準を満たした園ではあるが、園内がコンパクトであり、それゆえ保育人数も少ない。預かれるのは3歳までというルール。延長保育なし。土曜保育なし。 おおおおお…マジなのかぁ…………………。 この土地が気に入っているので保育園が気にいらないから引っ越す、って話にはなりにくいけど、けどマジなのかぁぁぁ…。 都会に住むってこういうことか…!!! と、ここにきて保活の壁をとても高く感じる私なのでした。 ※認証保育所の対象年齢や受け入れ人数は、地域・施設によって異なります。 次に続く ※本連載で紹介する情報は、2016年時点のものです。 ※詳細は住んでいる自治体の役所にご確認ください。
2021年02月20日このお話は、2016年頃にめいさんが保活をしていた頃のお話です。 息子が生まれて早半年。 当時、私は息子のお世話にも少しずつ慣れ、息子の保育園探しに精を出していました。 私の住む地域は待機児童数がとてつもなく多く、保活は早ければ早いほど有利と聞いていたからです。 とはいっても、それはタダの噂で、実際は保活を早く始めてもとくに有利にはなりません。見学したい園に余裕を持って見学ができる、などメリットはもちろんありますが、実際選考される際に早めに保活を始めた人が加点されるような事は全くありません。 私は頭では「加点などはない」と理解していたものの、無意識のうちに「早くやっておいた方が有利!」と決め込んでいた部分があったと、今振り返ってみるとそう感じます。 そんな私は入園予定の約1年前から情報収集をし始め、自宅から通えそうな保育園は全て見学に行きました。園長先生と直接話したり、園の雰囲気を実際に見ることで、息子が通ったらこんなかな~と想像しながら見学をするのはとても楽しかったです。 余談ですが、私が見学するときに一番重要視していたポイントは2つありました。 ・園長先生が仕事を楽しんでいるか ・園内の物の配置が綺麗にされているか どの組織も同じだとは思いますが、トップの人の考え方は社員にも似るというか、トップの人が楽しいことが好きだと自然に楽しいことが好きな人が下につくし、いつも文句を言ってる人の下には、不満ばかり漏らす人がつくというイメージが私の中にはあります。そのため園長先生が仕事を誇りに思ってるか、楽しんで仕事をしているかなどを、会話をしながら直接聞いたり、いろいろ質問などをしていました。 園内の配置については、ただでさえ保育園の日常は慌ただしいので、生活しやすい配置になっているか、というのが大切だと感じていました。動線が考えられていると、きちんと子どものことを考えてくれていると感じ、それは子どもへの接し方にもリンクするだろうなと、という私なりの考えがあったからです。 その2点を重視して見学をしていました。 実際に保育ルームが物で溢れている園がポツポツとありました。また、そういったところに限って園長先生もやる気がない話し方をする印象があり、この激戦区では稀な定員割れだったのです…。 私が住む自治体は、当時希望の園を15園まで記入することが許されていたため、大本命の1園のみ書くもよし、とにかく申し込めるだけ申し込むもよし、というルールだったので、「ここは園長先生の雰囲気も良かったし、動線配置も素晴らしかった」というところを上位に入れつつ、個人的に安心できると思った園を書き込みました。その結果、記載枠を全て埋め尽くすことに…! 記入した園ならどこに入っても安心できそうだし、正直待機児童が多いと言いつつも、「これだけ書いてりゃぁ、どっかしら入れるでしょうよ」と高をくくった私。 内定通知書が届く日、息子を児童館に連れて行くと「今日の夕方に内定通知書届くよね!? あードキドキする!」と話しているママ友を見て「たぶんウチは受かってるけどね~いっぱい書いたしね~」と謎の余裕さえ見せていました。 夕方、内定通知書が届き「第一希望受かってたらどーしよー!」とワクワクしながら封筒を開けると 結果は全落ち。 ええええええええええええーーーー!? 続く!!!! ※本連載で紹介する情報は、2016年時点のものです。 ※詳細は住んでいる自治体の役所にご確認ください。
2021年02月19日促進剤を使ったことで、本格的な痛みが襲ってきました。 夫、助産師さん、担当医の先生、研修生2名、の計5名に応援されつつ、陣痛に耐える私。 第1子(息子)のときとうってかわって「めいさん大丈夫ですよ~! 上手上手! 」「あと数センチ子宮が開けば麻酔が打てますからね~。それまでの辛抱ですよ~」と優しく声を掛けてくれるスタッフの皆さんに、もう本当拝みたくなる気持ちになっていました。 子宮口5cmのタイミングで麻酔科の先生が登場。背中にブスッと麻酔を打ってもらいました。これまたすごい痛いと聞いていたけれど、私は痛くありませんでした。例えるなら歯医者で打たれる麻酔ぐらいの痛みかな? 麻酔を打ってもらうと痛みは一気に減り…、というかもうほぼほぼナシ。「無」なくらい楽になり、再び本を読めるレベルまで楽になりました。 「コミックの続き読んでも大丈夫ですよ~」と言われ、マジなのか!? と思いつつも分娩中に続きを読む私。 あまりの私の楽そうな雰囲気に、横にいた夫も仕事を始めるレベル。 そしてその夫に腹が立たないレベル。 この和痛分娩というものは、完全に麻酔が効いてしまうといきめなくなってしまうらしく、足に力を入れると「あ。入ってるな」と自分で自覚できる位がベストなんだそうです。 このベストな状態だと、陣痛が来てる(お腹が張る)のも痛くはないけど感じることができるので、そのタイミングでいきめるというシステム。 私は幸いなことに、そのベストな状態で麻酔が効いていたので、子宮口が8cmになろうが9cmになろうが、研修生と「何歳ですか?? え!? 若っ!? 」と雑談をしながら漫画を読めるほどでした。 麻酔を入れた後に人工破膜もした為、これまた無痛。(第1子のときのあの激痛は一体なんだったんだ…) こんな和やかすぎる雰囲気のまま、子宮口はいよいよ全開に。 第1子出産のときにいきむのが下手でスタッフから総攻めされた経験がある私は、「よしいきんでみようか~」と先生に言われとき、あるお願いをしてみました。 「先生! 私かくかくしかじかで、いきむのが下手って1人目のときに言われたんです! なので、いきみ方を教えもらって良いですか!! 」 すると「下手なんてこと絶対ないですよ~! ちょっとやってみて」と先生。 恐る恐る自分なりに2回いきんでみると、夫以外のスタッフ全員からべた褒めされ、何度も言いますが、息子を出産したときの雰囲気とは天と地の差を感じました。 「もういきまなくて良いよ~。これ以上いきむとお股裂けちゃうからね。深呼吸を1回だけしてみて~」と言われ、深呼吸をすると、する~っと娘が誕生。 この時、ドラマでよく見る「あ~、会いたかったよ~」というセリフと共に温かい涙が無意識に流れ、自分でもびっくりしました。 息子を出産したとき、疲れすぎて感動の対面どころではなく「もう寝かせて…」と思っていた私。 僅かな痛みのみで、気持ちに余裕を持って生まれて来た娘には、ただただ「可愛い!!!!!」としか思わなかったのが、無痛分娩の最大のメリットだと思いました。 出産後の後処理も全く痛くなく、後陣痛もなし。 同じ日に出産したママさん達が引きずりながら歩く中、私はスタスタと歩けていました。 1人目のときは退院日まで子どもを預かってくれないかな…、と思ってしまうほど体も心もボロボロで、子どもを可愛いと思えるまで10日近くかかったのに比べ、2人目は出産日の翌日から同室でも可愛くて可愛くて仕方がなかったことが本当に嬉しかったです。 あぁ、息子のときもこのぐらい余裕があったらこんな風に思えたのかな。息子に申し訳ないなとすら感じます。 どうしても周りの声が気になって、1人目を自然分娩で産み、出産の痛みを経験すれば何も言われないと思ってしまった私。 そのせいで新生児の息子との貴重な時期を、10日間だけと思われるかもしれないけれど、愛しく大切にできなかった。 結局産むのは私なのだから、私が納得していればいいじゃないかと今なら思うのです。 本当に貴重な期間を、もったいないことをしてしまったと感じます。 そんなこんなで、娘の無痛分娩は無事終わり、結論から言うと「私は無痛分娩を選択して良かったよ」と思いました。 誰がなんと言おうと出産は大仕事です。 そして出産は終わりではなく始まりなんです。 産んでからすぐに小さい我が子を守っていかなくてはいけないのだから、産む痛みを和らげることができる選択肢があるのなら、それを選んでも良いのでは、と私は思います。 もちろんリスクは伴うので、リスクを理解した上で。個人的にはリスクを伴わない医療行為などないと思っているので、正しく心配する事が重要かなと感じています。 リスク以外にも無痛分娩を希望しても麻酔が効かず通常分娩になったり、逆子が直らない場合は無痛分娩はできないなど、厳しいルールもたくさんあります。そういった壁を乗り越えてようやくできる無痛分娩は、簡単なことではないんだなと経験を通して感じました。 たくさんの人の協力と素晴らしい医療とタイミングと、いろいろなものがピッタリ合わさって、私は最高の無痛分娩を経験できたのだと思っています。 唯一感じているデメリットがあるとすれば、思いがけず計画分娩になったことによる「娘の誕生日を親が決めてしまった」ということ。 スピリチュアルを割と信じるタイプの私は、誕生日を使う占いをする度に「誕生日を私の都合で決めてしまった」「娘の本当の誕生日は生まれた日ではなかったはずだから、この占いは当たってるかわからないな…」といちいち考えてしまいます。 このデメリットは私の命が尽きるまで思い続けることになるので、そういう点では厄介かもしれませんね。 これにて私の出産レポおしまいです。 無痛分娩をお悩みの方がいるなら、参考になれば嬉しいです! 以上、分娩に痛みがなく、お金がたっっっくさんあったら何人でも子ども欲しい! と思う、めいからでした~! ありがとうございました~!!!! ※本記事は筆者の体験談です。詳細は医療機関にご相談ください。
2020年12月12日いざ入院日、産院に向かう車の中でまだまだ私は夫に愚痴を吐いていました。 「なんで女ばかり痛い目に合わないといけないのか」やら、 「せめて産んだ後くらい男が全部面倒見てくれよ。あんたらの乳首はなんの為に退化しないんだよ」やら、 「出産は昔から皆やってきた事だから大丈夫とか思ってんでしょ!昔からみんな出産は怖がってたんだよ!当たり前に産むと思うなよ!!」やら。 今この場で言われても、もうどうしようもない事をグズグズ言っていると、夫が「そうだよねぇ。君今から複雑骨折させるけど頑張ってね、一応麻酔はするけど、効くか効かないかは個人差だから。って言われてるもんだよなぁ」と言われ全くその通りだとギャン泣きで産院に向かいました。(情緒が家出中) 産院に到着し、すぐに処置室に呼ばれました。 診察台に乗りバルーンを着けている時ですら、なぜ女ばかりこんなに痛い思いをしなければいけないのか?? 仕事もして家事もして出産の痛みも女がやって…、といろいろなものに腹を立てていたのが良かったのか、バルーン処置は全く痛みを感じませんでした。 その後夜の9時まで夫と一緒に過ごしましたが陣痛が始まることもなく夫は産院を去り、いよいよ一人で過ごさなければいけず不安な夜を過ごしました。 バルーンで子宮を開いてるので、地味にズーンとした痛みが時々あり、「このまま夫不在の中出産が始まるのでは…!?」と、一人ヒヤヒヤした夜でした。 が、結局翌朝まで陣痛は起こらず、夫と8時に再合流。良かった~~~!! 夜中に感じていた痛みは朝にはなくなっていました。そして陣痛室に移動するよう言われ、移動します。 この時バルーンのおかげで子宮口は3cmまで開いていました。 が、痛みは全くなし。1人目の時は3cmでだいぶヒーヒー言ってた記憶があったため「3cmも開いてるのに痛くないってどうゆうこと!? 」と一人で驚いていました。 陣痛室のベッドに横たわると、突然現れた看護師長から研修生を立ち会わせて良いかと聞かれました。 「未来の産科のためにぜひ!」と言われると断ることもできず…。許可すると2人の若い女性が私の出産に立ち会ってくれる事となりました。(最終的のこのお二人がかなり心強くサポートしてくれる事となる) まずは促進剤は使わず、バルーンの効果で自然に陣痛が起きるのを待ちましょうとのことで、足湯が出てきました。足…湯…だと? 足湯をする事で血流が良くなり、陣痛が起きやすくなるそうです。 「入浴剤2種類からお好きなの選べますよ!」と言われ好きな匂いをお湯に入れ足を温めます。 研修生のお二人が足をマッサージしてくれるなど、1人目の出産時に体験した陣痛室の惨状とは全く違った対応に衝撃を受ける私。 陣痛室にいるにも関わらず、夫と離れている間不安に押しつぶされないように爆買いしたコミックも読んで良いよと言われ、分娩台に乗りながらコミックを読みだす私。目の前にはTVもありニュースを見つつ漫画を読む陣痛室。何だここは実家で過ごす正月か!? 足湯をして1時間が経過するも子宮口が3cmから開かないため、お股の間に湯たんぽを入れる事に。それも1時間近く試してみるも、あまり効果はなく「よし、促進剤入れてみようか」と先生。 促進剤を入れて暫くすると、ケラケラと読んでいてコミックはさすがに読めなくなり、出産らしい雰囲気になっていったのでした。(でもコミックは分娩台の上にあった) 次回ついに第二子出産! 続く!
2020年11月12日■このタイミングで、計画分娩に変更!? 出産を3週間前に控えた検診日。 経産婦が無痛分娩で出産をする場合、計画分娩を勧めていると伝えられます。 自然のタイミングを待ちたいと伝えると、それも可能という事だったので自然のタイミングを待つ事に。 しかし、次の検診時に「自然のタイミングは待たず、計画分娩にしてください。」と言われ「!?」となる私。 なんでも、計画分娩にせず自然に陣痛を待つと、陣痛が起き病院に向かったタイミングで担当医がいなかった場合、待合室で待たされる可能性があるとの事。(えぇ?!) 麻酔を打つタイミングは子宮口が4~5cmになった時に打つらしいのですが、担当医がおらず待つ事になり、その間に子宮口が5cm以上開いてしまった場合には無痛分娩を行う事はできず、自然分娩に切り替えるとの事。 また、麻酔科常駐の病院だったのでこの産院に決めたところがあるが、まさかの平日の昼間しか常駐していないことが発覚。 平日の昼間以外に陣痛が起きた場合、麻酔科の医師ではなく産科の先生が麻酔を打つことになるらしく、もちろん産科の先生でも麻酔は打てるが、せっかく麻酔科の医師がいる病院を選んだのだから、計画分娩にして平日の昼間に出産しようね、と言われる。 こちらの産院、個人病院にしてはとても立派で人気の産院なんです。 日々同じような説明を何回も何回もしてるからでしょうか? 産む3週間前にこんな大事な事を言ってくるなんて!!!!! そういう病院側のルールははじめに言っといてくれよぉ!! なんでもうキャンセルとかできないこの時期に言うんだよぉ!! 自然分娩だろうが無痛分娩だろうが、出産ってやっぱり、産むまでも産んでからも思い通りにいかないとうかドラマチックというか…。 ■計画分娩を調べてみたら…ヤバイ事実が発覚! 結局出産予定日の2日前に計画分娩をする事に決めましたが、もともと計画分娩をする気はなかったので、改めてどうやって陣痛を起こすのかなどを調べてみたら…、一気に怖くなりました。 子宮口をじわじわと開けてくバルーン → 痛いって噂… 陣痛促進剤 → 超痛いって噂… しかも、計画分娩の前日の午後に入院しバルーンを入れ、そのまま翌朝まで待機との事。 付き添いの家族は夫であっても夜の9時には病院から出なくてはならず、翌朝の8時まで面会できないと言うじゃないですか! 夜9時~朝の8時までの一人ぼっちでいる間に陣痛が起こり、あっという間に痛みが頂点に達したらどうしてくれるのか!?!?!? 前回の出産だって夫がいてくれたから頑張れたものを、夫もいなくてどう頑張れというのか…!? 今から産院をキャンセルすることもできないし、入院当日、夫が車で病院まで送ってくれる道中、半泣き状態でひたすらグチを言っていたのでした。 次に続きます。
2020年10月12日■無痛分娩で産むことを決意! 母に報告すると… 和痛分娩なら通常の出産にプラス10万程度で行える事を知った私は、この方法で第2子を産むことに決めました。 第1子を産んだ時の壮絶さを目の前で見ていた夫は「10万であの痛みから逃れられるなら安い位だよ! やりなやりな!」と快諾してくれ、分娩室の前で獣のように叫んでいた私の声を聞いていた私の親も、もちろん賛成しくれ…と言いたいところですが、そうは上手くはいきませんでした。 無痛分娩で出産する事を実母に伝えると、まさかの「反対」の声が返ってきました。 なぜ反対かと聞くと、その時期無痛分娩関連の事故が多く、テレビで沢山報道されていたのを見て怖くなったとのこと。確かにこの時期は無痛分娩関連のニュースが度々流れていました。 痛みを消す代わりに娘と孫が消えちゃ困ると思う母心(婆心でもある)はよく分かる。 でもその次に出てきた「お腹を痛めてこそ愛情が芽生えるってもんだよ」という言葉が引っかかってしまい… んーーーーーな訳ないでしょぉぉぉ?? じゃぁ帝王切開はどうなるんですか? 養子縁組はどうなるんですか?? そもそも私第一子の時疲れ過ぎて生まれてすぐは可愛いと思えなかったんですけど?? お腹はハチャメチャに痛めたけど。 痛め過ぎて可愛く思えなかった人間がここにいますけどーーーーーー!? そんで実母よ、3人の子ども(私は3人兄妹です)を産む時、本当に苦しいお産だったってよく言ってたじゃん!?!?!?!? そんな体験した母がそれ言うーーー!? 言っちゃうーーーー!? 私を産んだ時なんて恥骨がバキバキ鳴ってた(恥骨結合離開)んでしょ!? しまいには「無痛分娩にしたからこそ亡くなる人だっているんだよ」という言葉に、 「自然分娩だって絶対死なない訳じゃないでしょーが! 自然分娩だろうが無痛分娩だろうが、妊娠した時点でみんな命張ってんだよ!!!」と出産の仕方で母と大喧嘩するハメに。 最終的には母が折れましたが、まさか産む方法を変えるだけでこんな喧嘩に発展するとは思いもしませんでした。 さらに問題はこれだけではありませんでした。 続きます。
2020年09月12日■我が家は1人っ子、と思っていたけれど… 息子を産んでから2年、私はある事に悩んでいました。 それは 第2子問題 。 私たち夫婦は年齢が割と離れています。 結婚した時の夫の年齢は、一般的には晩婚にカテゴライズされると思います。 そんな私達は、結婚をした翌年に子どもをもうけました。 詳しい年齢は明記しませんが、言うならば私の母が3人目(末っ子)を産んだ歳より、第一子を産んだ私の歳の方が遅いのです。それでいて夫は私より割と上。 兄弟を作るなら、急ぐに越したことはないのです。 そして、夫は子だくさん希望。私の実家に結婚の挨拶に行った際も、 夫は父に向かって声高々に「子どもはできるだけたくさん欲しいです!」と言いました。 20代前半でそう言うならまだしも、もう良い年齢の夫が言った言葉に、私も両親も冗談かと思っていたのですが、本人はいたって本気。 まぁ個人的には、子どもいらない!って言われるよりかは断然嬉しいお言葉ではあるのですが、それにしてもたくさんって言ったってさ…、年齢考えて…とも思っていました。 ■私に現れた心境の変化 息子がすくすく育ち、2歳児とは思えない体力に翻弄されている日々を考えれば、ここから数人増やすという考えは消え去るだろうと思っていたのですが、夫の子どもへの考えは変わっていませんでした。 正直、妊娠するのも産むのも夜中の授乳対応も全部私がやる訳で、大変なことは私の方が圧倒的に多い。 息子の時の出産の恐怖も忘れた日はない。 さらに産めば産むほど、キャリアにブランクが発生する。 私にとって第2子を作るという事は、消極的になってしまう理由がいくつもあったのでした。 では、なぜ2人目を産む気になったのか? それは… 答えは「夫に恩返しがしたかったから」です。 夫という人は普段はこだわりがほとんどなく、逆にこだわりが強い私があれをやりたい! これをやりたい! ということに対して、ハイハイと全て付き合ってくれていました。 面倒くさがりで何事も忘れっぽい夫からすると、私のように何でもあっという間に決めてこなすタイプは、助かる部分もあったと思いますが、「俺の意見は無視かよ!? 」と思ってきた部分もあると思います。思いますというか、実際絶対あります。はい。 やりたいようにやれて嬉しー! と思う反面、夫にはいろいろ我慢をさせている…、とふとした時に後ろめたさを感じていた私。 そういった私が夫に返してやれる事と言ったら、 「命を張って子どもを産む事だ」と常々思ってはいたのでした。 何度も言うけど息子の時に体験した、出産の怖さを忘れた事はない。 (痛みは忘れるという人はいるけど、私は忘れなかった) だから私は子どもは1人でも十分。でも夫の希望に応えたいという気持ちもある。 そして育てている子どもは予想を遥かに上回る可愛さ。そんな可愛い息子が小さな弟か妹と戯れているところを見てみたい。←(自分にも欲がしっかり出てきた) 息子が1歳になった頃から、ずっと悩み続けたこの問題。 1年間悩んだ末「よし産もう!」と決意しました。 ■「痛くない出産」を調べまくる日々 決意をしたなら、まだ妊娠もしていない段階ですが、次の出産に向けて徹底リサーチを始めました。 まず2人目の出産は「痛くない方法で産む」と心に決めていたので、当然のごとく痛くない出産方法をネットで探しまくります。 【経産婦 出産 痛くない】 で検索すると、出てくる出てくる情報の嵐。 痛みが少なくなる分娩法だの、経産婦は痛くないだの、腹式呼吸だの様々な情報があるけれど、どれもこれもイマイチ説得性にかける…! だって個人差による感じがすごい…! 私は絶対痛くない方法じゃなければ嫌…!! どんなに譲っても子宮口3cmくらいまでの痛み(痛いがまだ話せるレベル)までしかもうイ…ヤ…!! そうなると、 無痛分娩 しかないと料金やリスクなどを調べ始めたのでした。 調べ尽くした結果、無痛分娩も完全に痛くないというわけではなく、あくまで和痛(痛みを和らげる)が一般的なんだそうで、これまた個人差によるとのこと。 無痛分娩を予定していたけど分娩中に先生の判断で自然分娩になったとか、麻酔が効かなくて自然分娩と同じくらい痛かったとか、逆に麻酔が効きすぎてイキめなかったとか、【絶対に痛みを感じず産める】という事は不可能だと知って軽く絶望。 悩みに悩んだ挙句、痛みを和らげる可能性が一番高い 【無痛分娩】 で出産しよう! と思ったタイミングで運良く第2子を妊娠。 よーし! 前回の反省を生かして第2子は軽快に産んでやるぞ~!と 意気揚々とする私なのでした。 続く
2020年08月17日■出産後、ある「不安」が私を襲う 痛みと怒りと疲れに包まれた出産を終え、その日は赤ちゃんとは別室にて過ごしました。静かな部屋で疲れた体を休めようとするも、なかなか寝付けません。 というのも、明日から始まる母子同室が嫌で嫌で仕方がなく、退院までどうにか理由をつけて新生児室で預かってくれないか…、なんてことをずっと考えていました。 体力も気力もヘトヘトで、赤ちゃんのお世話をするなんて冗談じゃない…、1日しか休ませてくれないなんて…と「我が子に会えて幸せ!」なんて言っているドラマや映画に出てくる母親と自分とのギャップになんとも言えない嫌悪感を感じました。 お腹にいた赤ちゃんに会えて嬉しいはずなのに、なんでこんなに気持ちが落ち込むんだろう? こんなに気持ちも体もヘトヘトで明日からお世話なんて無理だ…。 何もかも初めての事なのに、なんで周りは私一人で赤ちゃんを守れると決め込んでるんだろう? もしかして私は【母親】として機能しないんじゃないか? こんな気持ちを抱えている私は、母親なんてできないのでは? と今更後戻りできない不安と、自分は母親に向いていないんじゃないかという疑念で押しつぶされそうな夜に一人涙していました。 結局翌日から赤ちゃんと一緒に過ごす日々となりましたが、なんとなく赤ちゃんと二人きりになるのが嫌…というか怖くて、入院から退院まで付き添いで泊まってくれていた夫やお見舞いに来てくれる家族に、できるだけ赤ちゃんのお世話を頼んで、私はなるべくベッドで横になる事を徹底していました。 今思えば軽い 「産後うつ」 だったのかもしれません。 出産6日目に退院し里帰りをしたことで、そういった気持ちはだんだんと薄れていきましたが、自分にこういう気持ちが存在することを知ってしまった私は、 と思ったのでした。 ■しかし、3年後… 壮絶な出産とプチ産後うつを経験し「もう2度と産まない」「我が家は一人っ子」と心に決めた私ですが、3年後また出産に挑むことになります。 しかし第1子のような痛く怖く惨めな体験は二度とごめんです。 2回目の出産は1回目の反省を生かして、 ・産院は自分で調べて決める。 ・出産方法は可能な限り痛くない方法にする。 (1人目のプチ産後うつの原因は、出産の疲労からなのではと推測。痛くなければ疲労もせず、うつっぽくはならないのではと考えた。) と、出産前に出産方法を徹底的にリサーチ! たくさん調べあげた結果「これならいける」と思える、ある出産方法にたどり着きました。 次回から「第2子無痛分娩」編のスタートです! 8/17(月)12時更新予定!
2020年07月12日■前回までのあらすじ 看護師さんに4回いきんでと言われてがんばるが、痛すぎて2回しかいきめない私。「3200gなんだから産めないはずはない」と言われるが無理なものは無理! ついには夫がブチ切れ分娩室はカオス状態に…。 ■進まないお産に体力も限界… 分娩台に上がってから早2時間。 陣痛の痛みに加え、硬い分娩台の上に居続けたせいか、腰も悲鳴を上げ始めていました。 子宮口は全開、人口破膜もしているのだから、いつ生まれてもおかしくはない状態なのですが、分娩室から聞こえるのは赤ちゃんの声ではなく獣のような私の叫び声。 分娩室の前で待つ両家の親は、いつまでたっても戻ってこない私を心配し、いてもたってもいられなかったそうです。 疲れ切っていた私は陣痛がない数秒はほぼ意識がなく、気を失ってるのかと思えば痛みで叫ぶ、といったことを繰り返しをしており、近くで見ていた夫は赤ちゃんと私が2人一緒に家に帰れるのか不安になっていたそうです。 夫としてはこの方法を繰り返しても赤ちゃんが出てこないのなら、他の方法を試すことはできないのかとスタッフに聞きますが「まだ様子を見ます」との回答。 いきませたいスタッフといきめない私の、お互いが疲れるだけの時間が過ぎて行きました。 そんな中、ひょこっと院長が登場し夫にこう言いました。 ■院長から提案されたのは… 赤ちゃんの頭を専用の器具で引っ張り上げることで出産の介助をする方法を提案された夫は 「その方法を取ることで何かリスクありますか?」と聞くと 「いえ特には」と答える院長。 後で調べるとしっかりリスクはあったのにも関わらず、何も問題ないとの回答。(おいおい) それなら一刻も早く吸引してくれと夫が院長に伝えると、ふくよかな体型の看護師長が私に馬乗りになり、 「せーのの合図でイキんでください! お腹を押しますよ! 」 と指示して来ました。 と言った看護師長が私のお腹を思いっきり押さえ、院長が吸引することで息子がズルンと誕生。 やっと終わった出産に、夫は安堵の気持ちから泣き、私は疲れで体のどこにも力が入らない状態でした。 赤ちゃんを産んだ感動などどこにもなく「早く静かに休ませてくれ…」とだけ思っていました。 初めて我が子に会えた瞬間に、嬉しくもなく達成感もなく、ただただ自分のことしか考えられなかったことが虚しかったです。 ■いきみにくかった理由が判明! 生まれた息子の体重を計ると最終検診の3200gからプラス600gの3800g。 それを見た看護師長含めスタッフが「こりゃなかなか出てこないはずだわ~!いきみづらいのも理解出来るわ~」と笑いながら話しているのを聞いて「だったらもっと違う応援の仕方あっただろうが!!!!!」と憤る私なのでした。 妊娠中問題もなく、分娩に関しても数日かかったケースやお子さんが入院になったケースなどに比べると、本当にありがたい出産のはずなのですが、当時の私にとってはこの出産は「恐怖」と「痛み」以外のなにものでもなく…、「子どもなんてもう2度と産むか!」と強く心に誓ったのでした。 次に続きます。次回は7/12公開予定!
2020年06月12日■前回までのあらすじ 子宮口が3cmになり即入院。息をするのも精一杯・意識朦朧の痛みの中、塩対応院長が何も言わず人工破膜。あまりの痛さに絶叫する私。怒りがこみ上げる中、子宮口は全開になり…。 ■痛すぎる…! なかなか進まないお産 分娩室に移動し、ハァハァしながら分娩台に登る私。 勝手に眩しい位に明るくリラックスできる部屋を想像していたのですが、分娩室はかなり薄暗く…。「映画やドラマで見た分娩室と全っっ然違う…」と思いながらスタッフからの指示を待っていました。 ちなみに、この部屋に流れていた某アニメのオルゴールバージョンのメドレーがこの出産がきっかけで嫌いになりました。(聞くと陣痛の痛みを思い出してしまう) 私の前に現れたのは、看護師長と看護師の2名のみ。私の陣痛に合わせて「ちょっといきんでみて~」と言ってきました。 「いきむ」という感覚が分からないと言うか、陣痛が来ているときは痛みに耐える事で精一杯、耐えた上さらにいきむって無理じゃないか!? と思う私に対して「ちゃんといきんでみて~!! 」と言葉キツめに指示してくる看護師たち。 「4回連続でいきんで」という指示に対して、痛すぎて2回しかいきめない私にイラついたのか看護師長が私にこう諭して来ました。 「めいさんのお子さんの最終検診の体重ね、3200gだったの! あなただけ産めないってことありえないわよ。お母さんが痛い時は赤ちゃんも苦しいの!」 この言葉を聞いて「そうだ…、赤ちゃんもがんばってるんだ! 私だけが苦しいんじゃないんだ! がんばって産もう!」と思う方もいるでしょう。そう思える方を心から尊敬します。しかし私の場合、そういう気持ちにはまったくならず、むしろ 「痛いもんは痛いんじゃぁぁぁぁ!! 私の痛みがお前らにわかってたまるかーーーー!」ともがき苦しみながら心の中で反発しまくっていました。 その後もなかなかお産は進まず、スタッフに叱られ続ける私。優しく応援してくれるスタッフが圧倒的に少ない中、だんだん産むこと自体が怖くなってきました。 すると… ■ついに夫がブチギレ!! 気力も体力も消耗し、終わりが見えない恐怖に涙を見せる私を見て、ついに夫がブッチブチにキレます。 「がんばれがんばれ言うけど、妻はもうがんばってるんですよ! これ以上どうがんばれって言うんですか! もうちょっと言い方変えるとか、やり方は他にもあるでしょう!? なんでそんな否定的な事ばかり言うんですか!」 と本来団結しあうはずの産む側とサポートする側が対立し、分娩室はカオスな状態に。 そして、その後2時間お産が進むことはありませんでした。 私のいきみが下手だったのは謝る。 妊娠中食べたいだけ食べて体重を増やしすぎた事も謝る。 (体重の事を相談してたところで安定の塩対応で「問題ない」と言われたけど) 1000歩譲って、赤ちゃんのことを第一優先に考えてのサポート側の言動だったにも関わらず、夫がブチギレたのも謝る。 でももうちょっと言い方ってあると思う!!! 次に続きます。次回は6/12(金)12時更新予定!
2020年05月12日▼「トンデモ産院で出産した話」 前回までのお話 先輩からのゴリ押しで決めた産院での初診、初出産に臨むためのカウンセリングがあると思っていた私は、バースプランなどしっかりメモって行くも、そんなものは一切聞かれず、院長の塩対応な診察に先行きが不安になり… ■院長の塩対応な診察が、ますますエスカレート!? 出産予定日まであと数週間をとなり、検診は頻繁になっていきました。 臨月ともなれば足のむくみがひどくなる時期です。 その時の私の足を例えるならばふかっふかの低反発まくら。押すとしばらく痕が残るレベルでむくんでいました。 少し歩くと振動でむくんだ足がしびれるといった、人生最高レベルのむくみっぷり。不安になった私が塩院長にそのことを相談すると、 と一言で終了。 …いやいやいやいやいや少しくらいむくみチェックしてくれても良いでしょ?? 触りもしないの?? 「いやでも割とひどいむくみで」の「む」辺りで私のセリフをぶった切って、 「めいさん、むくみナシです! 次の方入れて下さい~」 と大きな声で看護師に頼む院長。 対応おぉぉぉぉぉぉ!! 結局院長の前にある椅子には一度も座る事なく、出産日を迎えます。えぇ!? 聞けばオススメしてきた先輩も立ちっぱなしだったとか。 なんでーーーー!?本当なんでーーーー!? まさかあの椅子オブジェなの!? ていうか先輩気にならなかったの!?この院長の塩対応っぷり!! 私は気になっちゃうけどなぁぁぁぁぁあ!? 院長の塩診察に不信感を持ちつつ、ついに出産予定日を迎えます。 ■いよいよ産院へ入院 信じられない出来事が! 出産予定日前日、深夜にかすかな違和感を感じ、朝方には「こ、これが陣痛か!」と確信できる程の痛みに。産院に着く頃には子宮口が3cm開いており即入院となりました。 すぐにベットに横になるとだんだんと痛みが強くなり…、夫が産院に着く頃には息をするのが精一杯なほど痛みが増していました。側で元気づけてくれる助産師さんや家族の声も聞き取る事だけでいっぱいいっぱいの辛い状態…。 そんな意識が朦朧としている視界の中、私の足元にぼんやりと人影が…。 その影の存在を認識したと同時ぐらいに、突然電流が走ったかのようなとんでもない痛みが私の体中を巡りました。 すでにかなりの痛みがあったのにも関わらず…! あまりの痛さに絶叫する私。 「な、なんですか今の!? !? !? !? !?」と側にいた助産師さんに夫が聞いた時にはすでに影の姿は部屋になく…。 激痛だけ残して無言でいなくなるとかサタンかよ! と思ったら、影の正体はまさかの院長! 院長ぉおおおおおお!!! 助産師さん曰く、 人工破膜 させたらしいのです。 「先生ったら何も言わずに行っちゃうんだから~ごめんなさいね~」と謝る助産師さん。 人工破膜させたのはきっとお産のプロである院長が判断した事であり、そこにどうこう言うつもりはございません。 ございませんがね!「今からちょっと痛いよ」とか「人工的に膜破るね」とか一言あって良いと思うんです。私が妊婦だからとか、初めてのお産だとか、そういう理由でなく人としてーーーーー! 人工破膜の痛みが強すぎて体の至るところに変な力が入り、陣痛中に足と手がひきつるといった二次被害も起こりつつ、私も怒りつつ、お産はいよいよクライマックスへ。 子宮口はついに全開になり分娩室に移動します。 この後さらに過酷な運命が待っていると知らずに「終わりは近い」と自分を奮立たせる私。甘いね! 続くね!(5/12(火)12時公開予定)
2020年04月13日▼「トンデモ産院で出産した話」 前回までのお話 つらい妊活期間経て、待望の妊娠!里帰り出産を希望していた私は高校のときの先輩にアドバイスをもらうことに…。先輩のゴリゴリのおすすめで、同じA産院で産むことを決めた私ですが…。 『トンデモ産院で出産した話 第1話』 ■お気に入りの病院からの卒業 高校の先輩のゴリゴリのおすすめで、同じA産院で産むことを決めた私。 33週までは自宅近くの産婦人科で診療してもらい、翌週以降は里帰りのためA産院での診察となります。 妊娠中は体重増加以外とくにトラブルもなく(十分トラブってる)、とても元気に過ごすことができました。 自宅近くの産婦人科の先生は皆とても親切で、診察に行くたび「順調に育ってますよ~」だとか、「今は身体のこの器官ができあがる時期ですよ~」とお腹のこどもの成長に合わせて話をしてくださいました。 さらには「里帰り先の産院では、 バースプラン をしっかり伝えておくと理想のお産に近づくからね。準備して行ってね」と転院先でのアドバイスまでくれる最高の産婦人科でした。 初めての妊娠でいろいろ不安で質問をしまくる私に、とても丁寧かつ正確に教えてくれる先生がとても好きで、産院に行くことが毎回楽しみになるほどでした。 こちらの産婦人科は分娩はやっていない&里帰り出産の予定だったので泣く泣く33週で卒業。そして周期は34週へ突入し、A産院での初めての診察日が訪れました。 ■いざ! A産院の初診へ 産婦人科の診療といえば、長時間待たされることが多いと思いますが、先輩が言った通り、A産院は受付を済ませるとすぐに診察室に呼ばれました。 「こりゃ楽でいいや!」と上機嫌で診察室に入ると、部屋の奥に座っていた院長先生に「まず内診するから、こちらに来て」と言われました。 「あ、はい」と言われるがまま内診台に上がり、診察をしてもらいながら、宜しくお願いしますの挨拶もなしかぁ…まぁ先生は毎回のことで挨拶もし飽きてるんだろうな…と思う私。 先生は淡々と内診した後、診断結果については何も話さず、考えていたバースプランについても一切聞かれず…また、そのためのカウンセリングもありませんでした。 唯一聞かれたことといえば… ■私をフリーズさせた院長の一言 ん??? 何??? どういうこと?? 大きなお腹して、転院届けも提出して、 さっき受付で予約金(前払金)まで支払ってるけどぉぉ??? ウムケドォォォ??? 逆になんで産まないと思ってるの?? 対応塩~~~~~!! 粗塩~~~~~!! と思いながらも 「もちろん産みます! よろしくお願いしします! 」 と元気に挨拶をした私。 すると…、 院長の前にある患者用であろう丸い椅子に座る事もなく、立ちっぱなしのままで初回の検診が終了。 せめて椅子に座らせろやーーーーーー!!! 産院に良からぬ気配を感じつつ帰宅。 院長の塩対応は検診を追うごとに増し増しになっていきます。なんでだよ! 次回に続く!(4/13(月)12時公開予定)
2020年03月12日ウーマンエキサイトをご覧の皆様、初めまして! この度連載させて頂く事となりました、めいと申します! 普段はInstagramなどで育児イラストを描いており、子どもの観察漫画が4割、残りの6割は私の妄想だったり夫の観察日記だったり、なんだかジャンル付けするにはよく分からない妙な物をうっかり世に発信してしまっています。 こちらではずっと前から描きたかった 出産レポ を描かせていただきたいと思います! 現在私は2人の子どもがいまして、1人目は 自然分娩 、2人目を 無痛分娩 で生んでいます。 私はなぜ自然分娩と無痛分娩を選んだのか? 出産を経て何を感じたのか? 両方を体験して感じたメリットデメリットとは? などなど、めくるめく私の忙しい感情の渦と共にご紹介して行こうと思いますので、ぜひお付き合いいただけると幸いです~!!! ではさっそく、第1子妊娠時のお話から…。 時は5年前に遡ります。 ■なかなか妊娠できず、落ち込む日々 もともと生理不順で極度の冷え性だった私は、自分は妊娠しにくいタイプだろうと思い、結婚する前から漢方や温活など、妊娠しやすい身体作りをがんばっていました。 婚約をした後は、いつ子どもができても良いと思っていたので、早く妊娠したいなと思っていたのですが、そう簡単には上手くいかず…、チャレンジしては生理がきてガッカリする日々が続いていました。 ときには検査薬の終了マークを陽性と勘違いし「妊娠した!」と大喜びしまくり、しばらくの間「妊婦なので…」と生ものやアルコールを控えていた時期もありました。(大バカめ) 勘違いとわかったときには恥ずかしい思いと残念な思いが交差しまくり、なんとも言えない感情になったのを覚えています。 しかしそんな辛い日々を経て、夫と結婚して1年が経とうとしていた冬… 待望の妊娠! 夫と抱き合って大喜びしました。 ■信頼する先輩に、産院選びについて聞いてみたら… 産婦人科に行くと、しっかり胎嚢を確認する事ができ、先生から「おめでとうございます」と言われたのが嬉しくて嬉しくて…。この喜びを家族以外の誰かに伝えようと考えた時に、真っ先に思いつく人がいました。 それは高校でお世話になった部活の先輩。 彼女は第1子を産んだばかりで、里帰り中でした。私も出産は里帰りしようと思っていたので、妊娠の報告のついでに、産院選びのアドバイスをもらおうと思い電話をしてみました。 すると…、 「絶対私が産んだA産院がいいよ!個人病院で小さい産院だけど最高だったよ!」 とA産院を大絶賛。 「妊婦健診の 待ち時間は5分 だし、入院中の ご飯はめちゃくちゃ美味しい 、 全室個室 だし、文句なしだったよ! 次産む時も私はあの産院にする! それに10部屋くらいしかないから 早めに予約しないと取れないよ! 今とっちゃえば? 」 と、もの凄いスピードで産院選びの道筋を作ってもらいました。 正直初めての妊娠でどの産院が良いのか分からなかった私は「先輩が良いと言ったから」という理由だけで、第1子の産院を決めたのでした。 しかし…、 のちにこの選択を後悔することになります。 産院選びって…本当に大事。 待ち時間が5分って言うのはさ…。ちゃんと理由があるんだよって事を当時の私に教えてあげたいですよ…。 次回に続きます。
2020年02月12日