忍たま原作者語る連載終了の裏「脳梗塞で線1本描けなくて」
と思ったという。
「右半身がほとんど動かなかったんです。やっちゃったな、と思いましたね。40年近く、床に座って仕事をして、疲れたらそのままゴロンと転がり、タオルケットを1枚かぶって寝るという生活を続けてきたので、60歳を過ぎて、そのツケが爆発しちゃったんでしょう。それでも救急車で運ばれているときは意識もあって話すこともできました。救急隊の問いに姉と同時に答え、『一緒にしゃべらない!』と怒られるぐらい(笑)」
一命をとりとめた尼子さん。2カ月後には急性期病院からリハビリ病院へ。転院直後は後遺症で、利き腕である右腕と右足がまったく動かなかったという。
「リハビリは、鉛筆を握るところから。ただ握れても力が入らず、線1本すら書けなかった。紙をなでるだけなので、色鉛筆を使っても色がつかなくて。連載を続けるのは無理だなと思いました。でも、しばらくすると作業療法士の先生が白い紙を持ってきて、『4月から1年分のカレンダーの絵を描きましょう』とむちゃぶりをしてきたんです。試しに桜の木を描いてみると、案の定、線はヘロヘロ。蜂の姿をしたしんべヱを描くのも1日がかりでしたよ」
それから3カ月。車いすから杖で歩けるようになり、無事退院した尼子さん。