「寂しくないからね」出産を控えたママが何度も娘に伝えたことは…?
マキノさんは長女が1歳9カ月のとき、めでたく第2子を妊娠。妊娠中でありながらも、平日はほぼワンオペ育児をおこない、毎日がつわりとの闘いでした。娘を育児しながらの生活の妊娠生活は想像以上に大変で、抱っこをせがまれればその都度応じていたマキノさん。それが原因だったのか定かではないものの、一時は不正出血に悩まされていたのですが、医師のアドバイスを忠実に守っていると、いつの間にか解決されていました。そして、日が経つにつれ、おなかが大きくなりすぎてしまい、長女のお世話が難しくなってしまったマキノさんは実母の提案で里帰りの時期を早めることを決断します。
しかし、いざ里帰りをすると、実母との躾の感覚のズレや自分のペースで生活ができないなどといった新たな悩みが発生してしまったのです。悩んだ結果、マキノさんは出産を終えたら、すぐに自宅に帰ることを決断をしたのでした。
正産期までもう少しとなったタイミングで、「出産入院時に長女をどうするか」について話し合いを切り出したマキノさん。
実母と夫と3人で話し合った結果、出産の始まり方と夫の勤務状況でフローチャートを作り、それに従って各自が行動するという結論に至ったのでした。
出産を控えたママは、娘にあることを促して…
コロナ禍の当時、子どもの立ち入りが禁止されていたため、
最低でも5日間の入院中はくぅちゃんと会うことができず……。
そのため、マキノさんは夜寝る前、
くぅちゃんにおなかの赤ちゃんことや、
入院のことについて繰り返しお話をしていました。
(頑張れくぅちゃん。ママも頑張るからね)
そう心の中でつぶやきながら、
娘と2人だけの時間を噛みしめていたのでした。
コロナ禍という状況で子どもの立ち入りが禁止となっていたため、入院してから最低5日間はママに会えない娘の気持ちを考えると、マキノさんもつらかったと思います。ただ、娘が“ママがいなくて驚かないように”と、マキノさんがかみ砕いた説明を繰り返したことで、くぅちゃんも状況をある程度は理解してくれたのではないでしょうか。
監修者・著者:助産師 松田玲子
医療短期大学専攻科(助産学専攻)