五・七・五・七・七 母になって見えた風景 母であるわたしを詠んだうた
日々、成長していく子どもたち。少しずつ変わっていくのは、子どもだけではありません。母になったことで見えてくる風景、人のあたたかさ、人生の過酷さなど、さまざまな場面と感覚があります。歌人たちは母親になった「わたし」をどのように作品に投影しているのでしょうか。
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■かけがえのないこの一瞬が楽しい
「マスクしたまま面接を受けし子が人は見た目じゃないよと言えり」
俵万智(『短歌研究』2016年3月号)
まだ幼いとばかりおもっていた子が、「人は見た目じゃないよ」と、まるで大人のような受け答えをしました。どう見ても外見は子どもなのに、中身はいったいどうなっているの。自分が知らないところで覚えてきた言葉をすました顔で話す子ども。たのもしく感じる反面、さみしくおもう気持ちの両方がうかがえます。
「温めし牛乳を飲む子の頬ゆ仏陀の微笑(みせう)うかびては消ゆ」
武下奈々子(『樹の女』)
「頬ゆ」は「頬より」という意味です。作者はホットミルクを飲む子を見ながら、お釈迦様をおもいだしています。ういういしい母と子の姿は1枚の絵のようです。
■いとしすぎるから心の奥で痛みを感じることも
「幽門の閉じてしまいし子の身体われはからっぽになり抱いていたりき」
江戸雪(『椿夜』)
歌集『椿夜』によると、作者の子どもは生後1か月で幽門狭窄症の手術を受けたことがわかります。生まれたての子が背負う大きな病を、どのように受けとめたらよいのかわからなくなり、まるで自分の体内が空っぽになったように感じています。痛々しい作品です。
「こわいのよ われに似る子が突然に空の奥処を指すことも」
江戸雪(『椿夜』)
子どもが自分に似ているのがこわい。素直で自然な心境を「空の奥処を指さすことも」という具体的な描写にたくしています。
空の深い部分には、いったい何があるのでしょうか。平易なことばだけで構成されていますが、奥行きがありミステリアスな1首です。