戦前生まれの父に教わった、アスペルガーとして生きるということ
戦前生まれの父はアスペルガーだった!?
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私の父は戦前生まれです。その激しく頑固で暴君ばりの性格は、まるでアスペルガー症候群そのものでした。
その頃は発達障害やアスペルガーという言葉もなかったような時代。そんな中、不器用ながらも自分を貫き通した父。その人生に感じたこと、私たち母娘に残した言葉を振り返ってみたいと思います。
自分のペースを乱されたくない父。必然的に仕事や人との関わり方も限定され…
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学者だった父は、自分のペースを乱されるのが大嫌いでした。融通も利かないため、向いている職業も学者以外には考えられないような人でした。満員電車を嫌い、朝5時半に家を出て1時間半かけて通勤。
大学についたらまず、着替えてランニング。決まった時間に運動を終えたら、教授室で朝食を摂り、仕事にとりかかります。この習慣は毎回同じ。アスペルガーの特性によくある、ルーティーンです。
また、何でも1番への強いこだわりがあり、自分より先に研究室に学生がいたら「君、泊まったんだよな」と念を押すくらいの負けず嫌い。この問答は卒業生の語り草になっています。
昼からは学生を指導。父の指導は大変厳しく、手書き論文に容赦なく赤ペンをぎっしり入れ、涙する学生さんも多かったそう。
言葉にもこだわりが強く、自分の気に入らない表現は容赦なく直していたようです。そのあまりにも厳しい指導に、自宅に匿名で脅迫電話がかかってきたことも、何度かありました。父はそれを笑っていましたけどね。
そして17時になるとさっさと帰ってしまいます。17時以降に入る会議は大嫌いで、帰ってくると鬼のような形相で、私はいつもおびえていたものです。
振り回される家族。その辛さから母はカサンドラ症候群に
家庭は父を中心に回っていました。何でも1番は父。こたつでゴロゴロするのは許せない!と、こたつも出してもらえず、テレビを見る子どもたちが許せず、テレビは配線を切られました。
こんな暴君のような振る舞いに対し、母は恐らくカサンドラ症候群になっていました。いつも顔色が悪く、父に逆らえずに自分を抑え込む辛さから、寝込むことも多かったです。
母は父に振り回されたストレスが原因で、時々ヒステリーを起こすのですが、それを私にぶつけてくるのが、たまらなく嫌でした。
子どもへの躾も厳格過ぎる程で、食事時はお説教ばかり。お通夜のような食卓で「おいしい、おいしい」と私は必死に家族を盛り上げていたのを覚えています。
私たち子どもは、親に褒められることなく育ちました。
●努力するのは当たり前
●規則正しい生活しか認めない
●勉強もできて当たり前
という考えの父は、私が頑張って目標の大学に合格しても「なんだ、そんなレベルの低い大学か」としか言いませんでした。
父の本心を知ることで、癒されていった子ども時代の辛さ
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大人になった今振り返ると、父は自分の脆さをよくわかっていたように思います。
実家を出て働いている頃、私は精神的に参ってしまい、神経症になって実家に戻ることにしました。
そのとき私を出迎えた父は、「自然に触れて過ごすように。そして生活リズムが崩れると、心のリズムも狂うから気をつけなさい。」と優しく言ってくれました。
そして動揺もせず、壊れた私に辛抱強く付き合ってくれたのです。
父が律儀に繰り返していたあの規則正しい生活も、きっと自分のメンタルを崩さないための、父なりの工夫だったのだとそのとき気付きました。
そして、私自身がアスペルガー症候群とわかり、父も間違いなくそうだっただろうと確信してから、父の厳格さ、暴君ぶりには理由があったのだと理解することができました。だからといって、全てを許せる訳ではありませんが、父の理由がわかったことで、傷付いていた子どもの頃の自分が少し救われたような気がします。
自分を貫いて生きることは大変かもしれないけれど、必ずしも不幸ではない
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また父は、孫である娘のことを、とても愛していました。
あの厳格だった父からは想像もできませんでしたが、不登校で学校に行けなくなった娘を、1度も責めませんでした。
それから間もなくして、父に末期がんが見つかりました。「入院だけは嫌だ」とぎりぎりまで言っていた父。娘にとって最後のお見舞いとなった日のことです。父はひとこと、こう言いました。
「人の中で生きなさい」
その言葉は、今でも娘の心に残り続けています。きっと、父も苦しかったのでしょう。プライドが高く傷付きやすい、色々な特性を抱えながらも、父なりに苦労しながら「人の中で」生き抜いてきたのだと思います。
その後、入院して10日余りで旅立ちました。父は最後まで自分を貫いて生きました。
その姿は、私にも娘にも、いろいろなものを残してくれたと信じています。