子育て情報『発達障害=天才?「凡庸な自分」も「息子の存在そのもの」も肯定する――才能探しに苦しんだ小学時代に出あった言葉と、いま願うこと』

発達障害=天才?「凡庸な自分」も「息子の存在そのもの」も肯定する――才能探しに苦しんだ小学時代に出あった言葉と、いま願うこと


「非凡性」での形勢逆転を狙って苦しむ私の視点を変えた「不可能性の発見」

前述のような考え方に私が強い反発心を抱くのは、かつての私がそうした考えの持ち主で、それによって自分の首を絞めていたからだ。

飛び抜けて勉強ができるわけでもなければ、高い身体能力を持ち合わせてもいない。容姿も十人並み以下で、まともな人間関係を築くのにも困難が生じるほどのコミュニケーション下手。一家庭の構成員としては、そうした事実もほぼ問題にならないのだが、保育園や小学校などで集団生活を送ることになると、能力は相対的に評価され、自分ではどうにもならない容姿さえジャッジの対象となる。

それらによって周囲の扱いは変わり、凡庸かつコミュニケーションに難がある私は、嫌われ者へとまっしぐら、教師による吊るし上げの対象になったことも、一度や二度ではなかった。

この苦しみから脱するには、自分の中にあるかもしれない非凡さを見つけて、それにすがるしかない――幼いながらに私は、もがいた。どうしたら自分の非凡性を見つけ出せるのか分からないまま。

そんな最中の小学4年生のとき、国語の授業で『人生は不可能性の発見』という文章に出会う。
映画監督・大島渚氏による随筆だ。

ざっくり説明すると、組織や集団など、新しい世界に飛び込んで行くとき、どのような心構えを持てば良いのか、どのように自分の魅力や才能を見つけ出せば良いのかについて、大島氏の経験から導き出した意見を述べる内容だった。

魅力を磨くといえば自分の長所を出してゆくことだ、と考えるかもしれないが、じつは組織や集団に入って知ることは、自分がいかにダメな人間かということである。
私の持論で言えば、人生とは自己の可能性の発見ではなく、不可能性の発見なのである。自分は何ができないのかを、まず自覚することによって、自分のできることを探す。それを探り当てることができれば、今度はそれを意識的にやろう、と頑張るから、最終的に魅力が出てくるのだと私はおもう。

「人生は不可能性の発見」『理屈はいい こういう人間が愚かなんだ』収録(大島渚著/青春出版社)P73より

https://www.amazon.co.jp/dp/4413070178
このくだりは衝撃だった。何かを頑張ってもできないのは、自分の努力不足であり、諦めることは悪だと思っている節さえあったのだ。
悪だと思いながらもできないことだらけで苦しんでいた私には、救いのようにさえ思えた。

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