発達障害=天才?「凡庸な自分」も「息子の存在そのもの」も肯定する――才能探しに苦しんだ小学時代に出あった言葉と、いま願うこと
「できないことはできないと認めて、次にできることを探せばいいのか…!」
「人間には無限の可能性がある」だとか、「何事も諦めず、粘り強く続けることが大事」だというような言説が、あらゆる場面で強く唱えられていた昭和60年、件の随筆は学校教育の場にふさわしくないと、担任教師か誰かが判断したのだろう。全員でざっと音読をするのみで、以後授業で触れられることはなかったが、私の心には強く残った。
「できないことはできないと認めてもいい」
この思いが逆に、新しいことに挑戦する際の恐怖心を薄れさせてくれた。できなければ次に行けばいい、可能性探しは消去法でもいいのだ、と。そして、できないことや諦めることが悪ではないのなら、非凡さでの形勢逆転を図ることは、さして必要ないのかもしれない、とも思えてきた。(とはいえ、あっさり手放せたわけではないのだが。詳細は次回に)
何十年も“不可能性の発見”を繰り返し、挫折も散々味わいつつ、「文章を書くこと」が手元に残った。そこからライターが生業になるに至るまでの話は、過日『LITALICO仕事ナビ』に寄稿したのでご覧いただければお分かりになるだろうが、私のトライ&エラーは華々しいものでは全くない。
しかし、「やはり、可能性探しは消去法でも悪くない」という実感があるから、私は今後も“不可能性の発見”を続けていくだろう。
https://snabi.jp/article/182
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育ちゆく息子に、「凡庸な発達障害者」である私が願うこと
ところで、昨年春に復学した小学4年生の息子だが、近頃また登校したり休んだりを繰り返している。学齢や、本人の成長につれて問題となることも変化しており、壁にぶつかるたびに苦心する息子を、学校の先生方やかかりつけ医の協力を得て、どうにかこうにか私なりに支えている。
とはいえ、「できないこと」があったら、まずは方法を変えてみて、それがだめならタイミングを変えてみる。何度試してもだめなら、「できなくても困らない方法」を考える――これらのトライ&エラーのパターンを、私が教えずとも息子が自ら繰り返しており、支えるというよりも「がんばっておるのだな」と眺めている、という表現が正しかろう。彼は自身の経験から、「不可能性の発見」を体得しているのだろう。