2020年6月16日 09:10
勉強ができることは「勝ち組へのパスポート」 ではなかった――生きづらさから傲慢だった発達障害の私。就活挫折と仕事での苦難から気づいたこと
嫉妬や差別の話は、「勉強ができるタイプの発達障害者はかわいそう」というものではありません。「残念ながら、誰もが思いもよらない属性をきっかけに嫉妬されたり差別されたりしうる」という話です。
私は、嫉妬や差別の根本原因は、誰かが自分と誰かの人生を比較して「この人の人生は自分の人生よりもイージーモードだ」と勝手に断じることにあるのではと思っています。
だから私は、互いを無個性な「敵」と認定して比較しあう価値観から「いちぬけた」しようと思いました。勝ち組とか負け組とか、人を十把一絡げにすることもやめる。見返してやるとか仕返ししてやるとかいった気持ちも手放す。
「勉強ができる」ことは、「勝ち組へのパスポート」などではない。そもそも世の中には、勝ち組も負け組もない。
ただ、それぞれの多種多様な、他者には想像もつかない人生の苦労を抱えた個人がいるだけ。その中で私は常に、自分が自分史上最高に楽で、最高に自分らしくいられる場所を求めていければいい――「勉強のできる」発達障害児であった私は、現在このように考えています。
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