高級な食事より当たり前の団らんを。発達障害の私が幼少期に夢見たもの
物心ついたときから生きづらかった
私は発達障害があると大人になってから診断されました。幼少期は私も家族も、私に発達障害の特性があると気づいていませんでした。
そんな私が幼稚園ぐらいのころのことです。私はなぜか古ぼけてカビ臭い離れの部屋で父方の祖母と寝かされていました。
祖母は私のことを邪険に扱いました。私が母を恋しがって泣くとあからさまに面倒くさそうな反応をしたり、幼児の私にもわかるような狸寝入りをしたりする。いっぽう両親と兄は新しい母屋で川の字になって寝ていたので、私は「自分は悪い子だから両親から嫌われているんだ」と思っていました。
あとから母に聞いたことには、「自分が小さいころおばあちゃんに育てられて幸せだったから」というのが、母が私を祖母(母にとっては義母)に任せた理由でした。
虚弱で神経質な身を押して都心までフルタイムの仕事に出ていた母は、週末になると毎度のように寝込んでいました。子ども二人の世話を十分できるような余裕がなかったのでしょう。また、「祖母に育てられた自分は幸せだったのだから、娘も祖母に育てられたら幸せに違いない」という思い込みもあったのかもしれません。
父は昔でいう典型的な企業戦士で、有能でよく働きますが家族との情緒的な交流というとてんで苦手でした。今から40年近く前、家父長制的な雰囲気のまだ色濃く残っていた家族の中で、娘に十分なケアを施さない妻(私の母)と母親(私の祖母)の代わりに自分が、と思うには至らなかったようです。
友達が行っているようなファミリーレストランに行きたかった
私が小学生になったのはちょうどバブルの時期。家の近所にはカジュアルなファミレスがどんどんできました。クラスメートは皆、「このあいだあそこのファミレスに行ってお子さまセットを食べたんだ」などと自慢しあっていました。
その様子を見た私は「私もみんなみたいにファミレスでお子さまセットを食べたい」と父に頼むのですが、毎度「ああいうレストランにわざわざ出かけて(高級でもない食事を)食うなんて」と一蹴されるのです。
バブルの空気に乗ってあっという間に出世した父。戦後の貧しさを見ながら育ち、自分の努力で今の豊かさを勝ち取ってきたと信じていた彼は、妻子には贅沢なものを与えたいと思っていたのでしょう。
高級レストランでの顔色を読みあう食事
そして、私たちが連れていかれるのは和牛や伊勢海老といった贅沢な食べ放題や、仲居さんのいるような個室の高級料亭、コース料理のレストランなどでした。