子育て情報『「親なきあと」に向けて、子離れ・親離れはいつから?孤立無援の中での「自由」は快適ではないけれどーー精神科医・田中康雄先生』

「親なきあと」に向けて、子離れ・親離れはいつから?孤立無援の中での「自由」は快適ではないけれどーー精神科医・田中康雄先生


親子の関わり

わが子が生まれてから親は、そのそだちのなかで、一所懸命にわが子に付き合い、あるときは涙し、あるときは安堵し、またあるときは心から笑い合ってきた。

最初は、なにもかも手をかけ、どうしてなかなか自分でできないのかを悩みながら、徐々に手をかけることがすくなくなってきたことに、安心と寂しさを抱え、相変わらずできたことを褒めるよりも、できないことに口を挟み、次第にゆっくりと距離を置かれていく。

親だからこそ、わが子の痛みや戸惑いを感知し、親だからこそ、それを未然に防ぎたいと思う。

だからこそ、関係者へのまなざしが厳しくなる。

自分が関われない状況において、それを他者に委ねるとき、われわれは、どれほどの信頼をもって、相手に託せるのだろう。

幻想に近い期待は、現実の中で感謝となることもあれば、失望にも変化する。それがわが子の力不足という理解より、それをなぜ支え励ましてくれなかったのかと、委ねた方に思いが募る。自分が関われないだけに、わが子への思いが大きくなる。
そこには関われない申し訳なさからの自責の念も隠れている。

かといって、常にそばで関わり続けるべきかといえば、それもまったく現実的ではない。わが子への申し訳なさは、ついつい委ねた他者へ感情的になる。そんな微妙な揺れのなかにいる親の気持ちを知ってか知らずか、わが子は、わが子なりに成長していく。

できないことから目が離せない親の言動が、子どもにとっては痛みと重荷になり、徐々に子どもも感情的になり衝突するか、距離を置こうとする。

そこにまた、親は、追い打ちをかける。


発達が気になる親子の関わり

これは、発達が気になる子の親に特徴的なことがらではなく、おそらく大なり小なり、多くの親子の関わり合いとも言えるだろう。

唯一異なることとしたら、最近になって、長くこうした親子関係に付き合い、最近は子どもよりも親への関わりに重心移動してきた僕は、発達が気になる子を育てる親だからこその一所懸命さにある思いがあると感じてきた。


発達が気になるわが子に対して、多くの親は僕は1歳半健診前後にすでに「うちの子、どこか他の子と違う」、「そだちが遅い」などの心配を抱えていることが少なくない、なにかしらの気づきがあると理解している。ただ、心配を抱えるイコール受診相談、そして診断という流れには、なかなかならず、多くの親は、今後のそだちのなかで、あるいは保育教育の場のなかで大きく変化するだろうと思っている、あるいは期待している。

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