子育て情報『放たれた夫のセリフに絶望。癇癪、夜泣き、孤独な自閉症育児のSOSは届かず――バラバラだった家族は、いま』

2022年6月13日 06:15

放たれた夫のセリフに絶望。癇癪、夜泣き、孤独な自閉症育児のSOSは届かず――バラバラだった家族は、いま


ほぺろうの癇癪でつらかった時期、家族はバラバラ

放たれた夫のセリフに絶望。癇癪、夜泣き、孤独な自閉症育児のSOSは届かず――バラバラだった家族は、いまの画像

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自閉スペクトラム症と知的障害のあるわが家の息子ほぺろう。正式に診断が下りたのは3歳のときでした。

1歳半ごろから発達の遅れは気になってはいましたが、2歳を過ぎたあたりから手のつけられないレベルで癇癪が激しくなり、いよいよ『ほかの子とは違う』という現実を突きつけられていました。

当時の私は障害について検索するのに必死。改善する方法を検索して必死。障害じゃない可能性を検索して必死。…頭がおかしくなるくらい検索漬けの毎日でした。


しかも「私は母親なんだから子どものことをしっかりやらなくてはならない!」という変な意地を張っていたので、仕事のあるペー太(夫)に支障がないようにほぼ毎日別室で寝ていたし、ほぺろうのことはほぼ全て私がやっていました。

ただでさえ大変なほぺろうに私は24時間つきっきり。ほぺろうが何よりも最優先。ペー太とはすれ違い生活で会話は減り、そのころの夫の記憶がほとんどありません。


限界のとき…妻に放たれた夫のセリフ

3歳でほぺろうの診断名が出た当時の私の気持ちは、わが子の将来が見えなくて不安と絶望。

また「育児は母親が背負うもの」という間違った先入観が邪魔して、「癇癪で大暴れ」や「夜の寝つきが悪い」などなど…ほぺろうと二人っきりの閉鎖的な世界で(他人に会うと迷惑をかけるので)全てを私一人で抱え込んでいました。

毎日の癇癪と寝不足で心身はボロボロ。限界でしたが助けの求め方が分かりません。
というか、もう正しい判断もできなくなっていたので「母親なんだから助けを求めてはいけない」と思っていました。

あるとき、追い詰められていた私はペー太に心配してほしくて「ほぺろうがいなくなっても後悔しないかも…」と心にもない言葉を出してしまいました。でも そんな屈折したSOSを理解する方が難しいでしょう。

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そう言い残し、戸を閉めて行ってしまいました。

そのときは、「夫は私やほぺろうに無関心なんだと」思ったし、寄り添ってもらえないと感じました。
そして、さらに夫に頼るということができなくなりました。


転機!全てのきっかけは私自身にあった

その後もずいぶん一人でもがき苦しんでいました。

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