24歳になった自閉症娘。いま考える「人」と「制度」の両輪で支える障害児支援
良い出会いを求めて奔走
私には発達障害がある24歳の娘がいます。
私たち親子はこれまで多くの人に支えられながら暮らしてきました。今までの子育ての中で私は良い人との出会いこそが要(かなめ)だとつくづく感じています。
もちろん出会った人すべてのが「最高!」というわけではなく、ときには「うーん残念」と思うようケースも少なからずありました。
でも教育の現場も福祉の現場も、複数人(チーム)での関わりが基本なので「この人とは何かウマが合わないなぁ」と思ったら私は周りの関係者に相談をしたりしてきました。
このように、私は長い間良い支援者との出会いを求めて奔走してきました。周りの人はきっと「このお母さん必死だなぁ」と感じていただろうと思います。
今の私たち
綱渡り状態ではありましたが、何とかドロップアウトすることなく成長した娘。
彼女は現在、親元を離れグループホームで生活をしています。
娘はずっと暮らしてきた地域とは違う自治体管轄のグループホームを選んだので、小学生の頃からから築き上げてきた支援者との繋がりは引っ越しと同時になくなってしまいました(引継ぎはしてもらいましたが)。
環境の変化が苦手な娘が、新たな支援者との関係を一からつくるのには時間がかかります。でもさまざまな苦労をしながらも彼女のペースで頑張っているようです。
今の私たち親子は以前に比べ程よい距離感が築けています。
では、“子育て”が終わったのかといえば決してそうではなく、大きな問題が起きたときには本人や支援者の方から連絡が来ます
最初は手探りで娘に接していた支援者の方々も1年、2年と娘と接していくうちに彼女の特性(ツボ)を徐々に理解してくれてきたように感じています。
人と制度の両輪
先にも書きましたように、私は支援の要は『人』だと考えています。それは娘が24歳になった今でも変りません。
でも最近はそれに加え『制度』も大事なのだと感じるようになってきました。
娘が中学生の頃までは放課後等デイサービスの制度はなく、役所などでも障害のある子どもの居場所の情報を集約、統括はしていませんでした。ですので、民間の施設の情報をクチコミやインターネットで集め、一件一件電話をしては子どものことを説明し、自分の足で確認に行くしかありませんでした。良い施設が見つかったとしても全額自費で経済的にかなり厳しかったです。