子育て情報『「0-100思考」家庭で育ったASDの私と兄。親との断絶、バーンアウト…極端な考え方から解放されるまで』

2024年3月6日 06:15

「0-100思考」家庭で育ったASDの私と兄。親との断絶、バーンアウト…極端な考え方から解放されるまで

のですね。なお、分かりやすく、兄の個人情報にも支障がない象徴的な例としておまんじゅうの話を挙げただけで、兄のこうしたエピソードはたくさんあります。

私は失敗にあたり自責に向かう傾向がありましたが、兄は他責や攻撃性に向かう傾向があったようで、ここが私と兄の大きな違いだったと思います。


私が100を目指さなくてはいけなかった理由

実家にはひきこもりの伯父がいたのですが、その伯父について、父は繰り返し「働かざる者食うべからず」と言っていたし、母は「こちらは一生懸命働いて疲れてるのに、働いてもないこの人と同じ空気を吸わなきゃいけないのが耐えられない」などと言って、伯父が話しかけても無視したりしました。

私が大学受験の時に無理しすぎたせいでバーンアウトして大学に行けなくなり、続いて母も仕事に行けなくなって休職した時は、父は吐き捨てるように「2人も兄ちゃん(伯父のこと)みたいになりやがって!」と言うのでした。

今思い出しても、こうした実家の空気は本当につらいもので、伯父は本当にかわいそうだった、と思うのですが、当時の私は「家族の要求に応えることができない私はだらしがない、ダメな人間だ。伯父のようにならないように命がけで努力しなければ」と、激しい自責をするに至りました。

そして、20代いっぱい、どんどん体調が悪くなり、母の世話も大変になっていく中で、どうにかして働いて自活しようとしては仕事に行けなくなって辞める、ということを繰り返すことに。
体重はどんどん減り、身体は骨と皮ほどになり、顔はニキビだらけ、髪は薄くなる……悲惨な状態でした。


バーンアウト、家族との断絶を経て、数10年かけてたどり着いた今の状況

その後、私は今の夫に助けられて実家を出ることになります。それからASDの診断や複雑性PTSDの治療を経て、最近ようやく、0-100以外の考え方ができるようになってきました。

最終的に私の考えの窮屈さを緩めてくれたのは認知行動療法でした。しかしそれも、それまでに自分のASD傾向を見つめたり、トラウマ治療の中で、自分が家族の価値観を内面化していたことに気づいたりしてきた積み重ねがあってこそだと感じています。

今は、「できないことはできない」「人間なんだから失敗もする」「失敗したからって生きられなくなるわけではない」と、いい塩梅に開き直り、自分の心身の健康をいちばん大事にしようと思えるようになりました。

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