「先生がこわい」小3から登校渋り。学校との話し合い、転籍、付き添い…自閉症息子の再登校への道のり
教室にいられない児童を見る余裕なんて誰にもありません。それでも支援の先生は息子のために、精一杯手を尽くしてくださいました。私も、なるべく皆の邪魔にならないように心を配りながら付き添い登校を続けました。学校へ行くと、放課後は毎日のように友達が家に遊びに来てくれました。それが息子にとって、明日の登校への原動力でした。
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付き添い登校の終わりと、新たな始まり
そんな付き添い登校が終わりを迎えたのは4年生の3学期終盤、2月の終わりのことでした。「買い物とか行けていますか?大丈夫ですか?」と支援の先生が付き添い登校を続ける私を気遣ってくださったことがきっかけでした。
確かに当時、家の状況は本当にギリギリでした。家事は最低限、買い物は宅配を利用していましたが、足りないものがあると早朝にコンビニに走り、娘の幼稚園送迎やケアもありました。夜は、前担任の先生のことを「こわい」と言って泣き続ける息子の対応に追われていました。
支援の先生がほかの先生と連携して、少しずつ私と離れる時間をつくってくださいました。「1時間だけ帰って洗濯をする」「歯医者に行く」「PTAの係仕事がある」という理由で、息子から離れることは私にとって救済でもありました。そうしていくうちに、息子はなんとか一人で授業を受けられるようになっていきました。始めはあんなに苦労したのに、離れる時はあっという間。きっとその時はそういう時期だったのだと思います。
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当時の不登校は、支援の先生のお力がなくては再登校に繋がっていなかったと思います。先生には今でも深く感謝しています。
不登校は保護者の力だけではどうすることもできません。多くの大人が子どものほうを向いて何ができるかを考えて……それがうまく作用して、子どもの心や体のタイミングとマッチしたら動けるのかなと思います。このバランスが崩れてしまうと、息子はまた動けなくなってしまいます。
私が息子の様子から感じるのは、不登校は「解決」するのではなく、「落ち着く」けど「繰り返す」。バケツの水があふれてしまうように子どもの思いがあふれてしまったら、もう戻ることはできないということ。
親の私ができることは、そのあふれた水を堰き止めることでも、すくい上げることでもなく、「あふれても大丈夫!!」という環境をつくり上げていくことなのかもしれないと、息子が高校1年生になった今、改めて思います。