子育て情報『「非認知能力」という名称の流行が生んでしまった“誤解”と“困った副作用”』

2019年7月12日 11:32

「非認知能力」という名称の流行が生んでしまった“誤解”と“困った副作用”

を排除するか、または時間的に後回しにする解釈へと迷走させています。

「<我慢ができて、友だちと仲良く協力し合い、自分の感情をコントロールする力>は非認知能力であり、これが育ったあとに認知能力を伸ばせばよいのです」と、幼児教育の現場で語られるのを聞きましたが、これは、ふたつの能力を同時に重視するヘックマンの論旨に反します。また、赤ちゃんのときからの「顔や声のパタンを見わける認知能力」がベースにあってこそ、特定の大人への愛着が深まり、観察と模倣の学習も進み、社会情動的能力が発達するのだという、心理学の知見ともかみ合いません。学術的な知見と「つじつま」が合わないまま、「非認知能力」という名称は、一般の人々の「認知」への理解をゆがめているのです。

「非認知能力」という名称の流行が生んでしまった“誤解”と“困った副作用”


幼児期にこそ「認識の枠組み」を与えたい

2011年の東日本大震災のとき、米国の『TIME』誌は、被災者の写真とともに「“Gaman”=ガマン」という言葉を「日本人独特の精神性」を象徴するものとして紹介していました。米国人のヘックマンが想定した「忍耐力や情動の抑制のレベル」をはるかに越えるマグニチュードの「被災者の我慢」に、米国のジャーナリストは驚いたのです。

幼児教育の現場はもちろん、日常の現実やアニメでも「我慢強い子」のモデルを多く目にする日本は、「他者と協働するための社会性」への期待が重過ぎるほどです。ですから「非認知能力」と呼ばれる「社会・情動性」の教育の旗を振らなくても、日本の幼児教育の先生方はすでにそれをたっぷりと教育なさっていると思います。
が、近年の「非認知能力」という流行語の副作用として「認知能力」が狭く解釈され、「文字や数を学ぶ認知能力は、小学校から伸ばす」とみなされ、幼児の幅広い認知能力が論じにくくなったのは問題です。

他方、小学校はといえば、STEAM教育(科学、技術、工学、芸術、数学)を代表するプログラミング教育に加えて、英語の教科化で忙しく、6歳からの知識学習はどんどん増やされています。6歳を境に幼児教育と小学校の教育の内容には、崖のようなギャップがあります。それを不安に思う親は、非認知能力重視をうたう幼稚園に子どもを通わせつつ、さらに国語、算数、英語の「学業の先取り」を助ける塾へも通わせ、ダブルスクールの行き来で親子はヘトヘト。楽しいはずの幼児期がこのような疲労感で終わっては、「意欲」を育むどころではありません。

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