“働く”ってナニ? 仕事に疑問を感じ始めた新社会人へ贈る言葉
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『眠れない夜とはお別れだ。もう会社の些事(さじ)を気に病む必要もない、と考えていた私を待っていたのは、自由になった途端に訪れた、一睡もできない夜だった。自由は、ゆっくり眠れる気楽な夜ではなく、一睡もできない苦しい夜を連れてきた』(丸田祥三/50代男性/写真家)
・出典『会社を辞めた私から』2002年4月8日付「朝日新聞」夕刊文化欄掲載
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いかがでしょうか?
丸田さんが言うように、自由を手に入れるということは面倒でも遅刻ぎりぎりでもとにかく出社さえしてしまえば毎月決まった日にきちんとお給料が振り込まれている今の生活とはさよならするということなのです。
●お勤め人の仕事はいちいち“価値”を考えていたらできない。ただ“天職”と思えるか
次に、みなさんが今「こんなつまらない仕事をするためにこの会社に入ったつもりはないんだけどな」と思っている日々の仕事ですが、そのようにあなたがやっている仕事の“価値”について考え始めたら、お勤め人の仕事というのはなかなかやっていられません。
なぜならば、会社組織の一員として働くことは、人間の体でいう手なら手、足なら足といった一つの部位として働くということですので、そうそう“価値を感じられる面白いこと”ではもともとあり得ないのです。
では、どのような心持ちで働くべきなのでしょうか。
答えは、手なら手、足なら足といった自分に与えられた役割を“天職”と思って携わる ということです。
面白いとかつまらないとかではなく、“仕事は天職”なのです。
今、自分がなすべき売り込みなら売り込み、箱詰めなら箱詰め、組み立てなら組み立て、データ入力ならデータ入力、デッサンならデッサン、プログラミングならプログラミング。
それを理屈でなく自分の天職と感じながら働くということです。
そう感じることさえできればいわゆる“五月病”は克服することができますし、逆に与えられた仕事を天職と感じることができないのであれば、今の会社においてはあなたのスキルが飛躍的に向上していくことは期待しにくいかもしれません。
20世紀ドイツの偉大な社会学者であり経済学者でもあるマックス・ウェーバー(1864~1920)は、1917年にミュンヘン大学で行った『職業としての学問』の講演の中で次のように述べています。**********
『いまや学問はかつて見られなかったほど専門化が進んでいる。