「あなたが言える立場じゃない」パートナーに不満がある人に読んでほしい!
もう耐えられないわ。あっちの部屋で寝て!」
「お腹出すぎ。キモチわるい。どうにかして」
筆者などは妻からこのような小言を何度となく浴びせられてきました。
その都度暗い気持ちにはなるのですが、だからといって反撃したりはしません。
「ママだって、けっこうイビキうるさいよ」
「ママこそ、結婚した頃と比べたらずいぶん成長しちゃったよね」
こんなことを言ったとしてどうなるというのでしょうか。
男女平等の原則からすれば、ママがパパに小言を言うならパパがママに同じような文句を言ってもいいのではないかという気もします。
でも、実際の夫婦生活においてはほとんどの場合においてそれはNGです。
これも、典型的なダブルスタンダードの例になるかと思いますが、これが”悪いこと”だとみなさんは思われますか?
小言を言われても反撃しない旦那さまは素敵ですし、旦那さまが反撃しないのに小言を言いつづける奥さまも可愛らしい と筆者は思います。
夫婦の間にも、ダブルスタンダードだからこそ上手くいくことがあるのです。
●そもそもこの世はダブルスタンダードで溢れている
いかがですか?
こうして考えてみると夫婦や親子の間にあるダブルスタンダードは必ずしも悪いことばかりではない ことがお分かりいただけるかと思います。
20世紀ドイツの経済学者であるマックス・ヴェーバーは、そもそも私たちが生きている資本主義の世の中は、禁欲的なキリスト教の新教徒たちが世俗的な日常生活の中で勤勉実直に働くことが神の意思に沿うことだと考えて懸命に働いた結果、利潤が生まれ資本が蓄積していって形成された、神の意思とは異質な「金銭至上主義」の社会であると指摘しています。
筆者の専門分野ではありませんが司法における「情状酌量」の考え方も、「罪は罪だけれども同情できる点があるので刑罰は軽くする」といった、言いようによってはダブルスタンダードと言えなくもない概念ではないかと思います。
つまり、そもそもこの世はダブルスタンダードで溢れているということです。
その方が現実社会の運用がスムースに運ぶため、私たち自らがダブルスタンダードを有効に活用して、社会システムを回しているのです。世のママのみなさん。
たまに飲んで帰って「二日酔いだろうが何だろうが俺は明日も家族のためにちゃんと働くぞ!」とくだまいている、家族迷惑なダブルスタンダード夫のことをどうぞ許してさしあげてくださいね。