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昭和の残像 鉄道懐古写真 (54) 玉突き転属で横浜線&青梅線を走った103系

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昭和の残像 鉄道懐古写真 (54) 玉突き転属で横浜線&青梅線を走った103系
103系が首都圏から姿を消して、早いもので6年が過ぎました。

首都圏の通勤路線なら必ずと言っていいほど走っていた103系は、1963年から1984年までの21年間にわたって約3,450両も製造され、国鉄新性能通勤型電車の代名詞でもありました。

1970年代、首都圏の山手線など主要線区に投入された103系には、「新製冷房車投入→玉突き→非冷房初期車転出」という一定のパターンが生まれていました。

それは1972年から新製冷房車の製造が始まり、さらに翌年から高運転台・ATC準備工事車の製造が加わり、集中的に山手線や京浜東北線に投入されたことから始まります。

投入後の玉突きで、両線で活躍していた103系らしいスタイルの非冷房初期車が、ローカル通勤線区の横浜線や青梅線などに転出し、旧型国電の一部を置換えて新性能化を進めていきました。

そこで今回は、玉突き転属によって横浜線や青梅線へ転出され、旧型国電と一緒に走っていた頃の103系初期車を中心に紹介したいと思います。

まずは横浜線から。

横浜線103系は、1972年10月、京浜東北線の予備車4両を利用して初めて運行開始。


2年後の1974年、一挙に約70両の103系非冷房初期車が投入されました。

1978年、横浜線に画期的な出来事が起こりました。

初の冷房車(冷房改造車)が登場し、運行を開始したのです。

その翌年、さらに画期的な出来事が! なんと高運転台・ATC準備車が新製配置され、ピカピカの車体も誇らしげに運行を開始したのです。

直通運転先の根岸線にATC導入が計画されたことによる投入でした(ちなみに根岸線のATC導入は1984年)。

横浜線の103系は1989年2月に引退し、205系に置き換えられました。

続いて青梅線の103系を紹介しましょう。

青梅線へ103系が投入されたのは1976年。


当初、京浜東北線から玉突き転属してきた4連での運行でしたが、翌1977年には増結用の3連が登場し、立川~青梅間の一部列車で7連の運行が始まりました。

奥多摩の山へ分け入る青梅~奥多摩間では、ローカル色の濃い風景の中を103系が走りました。

青梅線での103系の活躍期間は26年におよびました。その間、沿線の人口増加による輸送力増強のため、3連から10連まで(9連を除く)バラエティーに富んだ編成を見ることができました。

特徴的なものとして、付属3連の五日市線内単独運用。

72系+クモハ40の5連を、そのまま置き換えた4M1Tの強力5連。

晩年には、立川~青梅間6連+4連の10連などもありました。

そんな青梅線の103系は2002年に引退。


201系に置き換えられました。

201系もまた、E233系の導入により、すでにJR東日本から撤退しています。

一方、横浜線でも、103系を置き換えた現行の205系の代替として、2年後をめどにE233系が新造されるそうです。

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