昭和の残像 鉄道懐古写真 (56) 梅雨空の下、蘇る「青ガエル」の記憶
にもおよびました。
いかに人気だったかがうかがえます。
譲渡された旧5000系は、それぞれの路線で車両の近代化を進めることになりました。
東急線内での車両数を減らしていった旧5000系は、1980年3月のさよなら運転をもって、ついに東横線から引退。
その直後の同年4月より、目蒲線転属へ向けた乗務員習熟用の試運転が開始されました。
試運転列車はくしくも初登場時と同じ3両編成に組み替えられ、東横線でさよなら運転の先頭に立ったデハ5025・5026がここでも先頭車に充当されました。
約2~3週間の試運転を経て、目蒲線での営業運転が始まったように記憶しています。
目蒲線での試運転は、朝ラッシュがひと段落ついた午前10時すぎに奥沢検車区を出庫し、目黒~蒲田間を数往復した後、夕方のラッシュ前に戻るというスケジュールでした。
その出庫の様子です。
1980年以降、大井町線(1979年に田園都市線より分離)と目蒲線で活躍した旧5000系も、その後は譲渡と廃車が進み、1986年6月に目蒲線での運用が終了。
7月に行われたさよなら運転を最後に全車引退しました。
東急線上から姿を消した旧5000系ですが、譲渡先の熊本電気鉄道では、両運転台化改造された2両がいまも活躍中です。