鉄道トリビア (162) 山手線に大手私鉄の多くの路線が阻まれた事情
現在の東京メトロ銀座線の一部だ。
これは、地下鉄の効果について国も東京市も関心を持たなかったためだ。
しかし、開業すると物珍しさもあって大人気となった。
これが前例となり、地下鉄に関しては民間による建設を認めるという方針になったらしい。
しかし当時、郊外に路線網を持っていた鉄道会社に、膨大に地下鉄建設資金を負担できる会社は少なかった。
当時の東京市の方針と、鉄道会社の資金不足によって、東京都心の私鉄延伸は進まなかったということになる。
唯一、東京高速鉄道が1934(昭和9)年に設立され、1938年(昭和13年)に新橋~渋谷間(現在の東京メトロ銀座線)を開業した。
そんな状況下で、1938年に陸上交通事業調整法が制定される。
戦時体制下で私鉄を統合する目的だった。
このとき、東京市内について「路面電車とバスは東京市が運営」「地下鉄は公的組織(営団)を設立する」と定められた。
この方針の下、地下鉄は帝都高速度交通営団に統合、大手私鉄も地域別に統合されていく。
この営団に大手私鉄も出資した経緯があり、戦後は大手私鉄が地下鉄に乗り入れる、あるいは乗り入れを前提とした地下鉄を建設するという流れになったのだろう。