鉄道トリビア (163) 銀座線にも相互乗り入れ計画があった
銀座線の相互乗り入れの相手に選ばれた路線は、東急玉川線だ。
路面電車の玉川電気鉄道を東急電鉄が買収して運行していた路線である。
昭和30年代になって自動車が普及し、玉川通り(国道246号線)の渋滞が激しくなった。
さらに東京オリンピックの開催に合わせ、玉川通りの直上に首都高速道路の建設も決まった。
そこで玉川線を廃止し、新たな地下鉄路線を建設する構想が生まれた。
この路線は玉電の地下化として東急が運営する予定で、「新玉川線」として路線免許を取得した。
初期の構想は、ここに銀座線の電車を直通させる計画だったという。
ところが、東急が田園都市線を長津田まで開業させると沿線の人口が急増した。
田園都市線は銀座線よりひと回り大きな車両で4両編成。
銀座線は6両編成で、どちらも混雑が激しかった。
このままでは、二子玉川園(現在の二子玉川)駅での乗換え客が激増し、輸送量の限界を超えてしまう。
銀座線と田園都市線は規格が異なるため、渋谷に直通したい客が二子玉川園駅で乗換えを強いられるのも不便だった。
結果として、新玉川線は東急田園都市線規格の大型車両を運行できる規格とした。