こんなに「子どもが、子どもとして存在する」映画はこれまであっただろうか? ひと言でいえば、映画
『泳ぎすぎた夜』は、そんなことを思わせる作品です。
描かれるのは、少年の過ごすたった1日のこと。その日になにか特別なことが起きるわけではありません。ごくごくありふれた日常でしかない。でも、主人公の少年の一挙手一投足から目が離せなくなる。この映画を観ると、「親は
子どもの持つ力をもっと信用しないといけないのでは?」と、問いかけられている気がします。
©2017 MLD Films / NOBO LLC / SHELLAC SUD
世界の映画祭でも“いままでにない、子ども映画”と高い評価を受けた本作の
五十嵐耕平監督と
ダミアン・マニヴェル監督に話をお聞きしました。
ダミアン・マニヴェル監督(左)と五十嵐耕平監督(右)
■大人にコントロールされない本当の子どもの姿とは
『泳ぎすぎた夜』で驚かされるのは、少年のほんの些細で日常的な行動になぜか目を奪われてしまうところ。子どもの世界や子どもの時間そのものが作品に刻まれています。どうやったらこんな子どもの自然な姿をとらえられるのだろうか。
――どうして子どもを主人公にした作品を撮ろうと、思ったのでしょうか?
五十嵐耕平監督(以下、五十嵐):二人の意見で、「雪国での少年の物語」ということになったんですが、僕が「子ども」という題材に取り組みたかった理由は、その
存在の曖昧さというか。ひと言でいうと、子どもって次にどんなことをするのかリアクションが読めないから。
たとえば大人だったら取っ手のある荷物を持つとなったら、迷わずその取っ手をつかんで持ち上げる。その行動はこちらの想像の範囲内で収まります。でも、子どもの場合は、想像に収まらない。
取っ手があってもそれをつかまないで、もちあげようとするかもしれない。そんな
子どもの意外性のある感性が引き出すことができたら、おもしろい作品ができるんじゃないかなという漠然とした考えがありました。
©2017 MLD Films / NOBO LLC / SHELLAC SUD
ダミアン・マニヴェル監督(以下、ダミアン):ただ、子どもを主人公にした映画ではあるんだけれど、通常のアプローチとは違うものにはしたかった。
五十嵐:通常の映画に出てくる子どもは、ほとんど子役です。映画の撮影というのは、基本的にすべてにおいて大人の都合で進んでいく。何時から何時までというスケジュールから、セリフを言うタイミングまで大人の指示。子どもの役を任された子役はその指示どおりに動くわけです。
ふと、「そこに
ほんとうの子どもの姿が存在しているの?」と疑問に思ったんです。
僕たちが撮るのであれば、子どもの本質をとらえたい。大人にコントロールされていない子どもの本来の姿を映画の中に落とし込めないものかと。
ダミアン:コントロールできないということはリスクがあるということ。撮影が滞りなく進むとは限らないし、最悪、映画が完成しない可能性も否定できない。でも、子どもはすごくクリエイティブ。被写体としては最高で、そこに賭けてみようと思ったんだよね。
■「子どものルール」は大人とはまったく異なる?
監督たちは、「いまどきの子どもはシャイでおとなしい」といったイメージを持っていたそうだが、主人公を演じる古川鳳羅(こがわ・たから)くんはそのイメージとまったく違ったと話します。鳳羅くんは、自分の想いを体ごとぶつけてくるエネルギーを持ち、次の瞬間、何を考えてどう動くのかまったく予想できなかったとか。
©2017 MLD Films / NOBO LLC / SHELLAC SUD
――演技経験のない彼を起用して映画作りに取り組まれたわけですが、子ども本来の姿をひきだすため、どんな創作がなされたのでしょうか?
五十嵐:鳳羅くんに出会ったことで、はじめて形になっていたことが多いですね。子どもの純粋な姿を撮りたいと思っていたわけですけど、鳳羅くんに接するようになって、子どもには
「子どものルール」があるということがわかってきました。ただし、大人が考えたルールからは完全にはみだしているんですけど(苦笑)。
時間の使い方、何に目的意識を持つのか、何に興味を持つのか。これらが大人とはまったく違う。同じ風景をみても、大人が考える範囲以外のところを見ていて、
まったくの別世界を感じていたりする。それを映し撮りさえすれば、自然と目指すものになるのではないかと思いました。
ダミアン:僕は鳳羅くんの中に、喜劇王のチャップリンを見いだしていました。
彼ならきっと人とは違う世界を見せてくれる。たぶん彼が次にどんなリアクションをするのか楽しみで目が離せなくなると。
五十嵐:僕ら大人はもう子どものころの感覚って、忘れてしまっている。考えたところで浅はかなアイデアでしかない。だから、そこに頼るよりも、鳳羅くんを信じる。こちらの枠にあてはめないで、彼に自由にやってもらう。そうすれば、なにか彼から子どもならではのことが出てくるだろうと。
たとえば犬を相手にほえ合うシーンがあるのですが、犬にほえられたら、本能的な反射で彼はほえ返す。
それだけなんだけど、もう目がくぎ付けになる。最終的には、僕たちが、鳳羅くんの世界に入っていって、そこで映画を撮る感覚でした。
©2017 MLD Films / NOBO LLC / SHELLAC SUD