宮城まり子さん支えた美智子さまの電話 受話器握り涙した日も
(皇室担当記者)
ただ、その後も宮城さんはつらい闘病のなか、学園の行事や活動に積極的に関わっていた。’19年10月には、学園の運動会開催を知らせる手紙が本誌編集部にも届いていた。
《私もお医者様には叱られるけれど、毎日演出席で座っています。今年で終わりになるのかなと心の中はグルグルしていますが病名は血液内科で腫瘍つまりガンですとおっしゃいました。すぐ浮かんだのは「シビアなことをおっしゃいますナ」といった、吉行淳之介の言葉でした。でも私は大丈夫(中略)でもつらいです。クヤシイナー》
長年にわたり私生活のパートナーだった作家の故・吉行淳之介さんの言葉や思い出を支えに、闘病を続けていた宮城さん。梅津さんによれば、関係各所に送っていたこの手紙は、上皇ご夫妻には届けていないという。
前出の宮内庁関係者は、
「以前は美智子さまと宮城さんが直接電話でお話になることも多かったようです。御代替わりの前後には、美智子さまも体調を崩されていることがたびたび報道されました。宮城さんもお見舞いの言葉をお伝えになっていたのではないでしょうか」
手紙に綴っていたように、もう子どもたちのために尽くすことができなくなるかもしれない悔しさも、美智子さまへの“お別れの電話”で語っていたのだろうか――。
「女性自身」2020年4月14日号 掲載