2022年10月18日 06:00
【初公開】美智子さま「どうしたら絶望しないで生きていけるのか」知人に語られていた皇后の苦悩
皇室では、ご両親の手を離れて養育係によって育てられることが古くからの慣例だったため、これは画期的なことだった。
こういった新しい試みも、宮中の一部から美智子さまが冷たい視線を浴びる一因になっていたといわれている。それにもかかわらず実家との関係も控えねばならないことで孤独感は大きかったようだ。
「流産されたときのことをお話しになっていたことがありました」
1963年に美智子さまの“異常妊娠”が宮内庁から発表された。胞状奇胎という症状で、人工流産の処置がとられることとなった。
「精神的に非常に苦しんだ時期だったそうですが、美智子さまはそんなときでもご実家のお母さまにすら頼れなかったようです」
ご流産当時のことは、次のように語られていたという。
《わたくしは皇室に上がったからには自分1人であらゆることを考えなければなりませんでした。また、陛下以外に人には絶対に言ってはならない事実がいくつかありました。
母にさえ、言ってはならないことがあるのです》
「体と気持ちが弱くなっているときに、人に会ったら話すべきでないことまで話してしまう。そういう思いから、ご流産のあとでも、ほとんど誰にも会わない時間を過ごされていたのです」