2022年10月18日 06:00
【初公開】美智子さま「どうしたら絶望しないで生きていけるのか」知人に語られていた皇后の苦悩
この言葉は美智子さまご本人のお耳にも届いており、お心をひどく痛められていました。それから30年以上たっていましたが、美智子さまは、《“粉屋の娘”という言葉を聞くたびに、父はつらいだろうと胸が痛かったです》と、当時を振り返っておっしゃっていました」
ほかにもAさんの印象に残っているという美智子さまのお言葉には、次のようなものもあった。
《わたくしは歴史のなかで皇后が家族を引きずってこなかったという唯一の例です》(Aさんが伺った美智子さまのお言葉、以下同)
「美智子さまは“皇室の歴史はお嫁さんの歴史”だとおっしゃっていました。たとえば平安時代の藤原氏は娘を天皇の妃にすることで権勢を誇っていました。皇后となってもその実家と密接な関係にあった、ということです。
だからこそ美智子さまとご実家の正田家は、“皇后と実家”を切り離さなければならないという意識を強くお持ちだったそうです。
《父も母も、『私たちが唯一やってあげられることは皇室のまわりにいないことだ』と言っていました》
美智子さまはそうおっしゃっていました」
ご成婚の翌年である1960年に天皇陛下を出産された美智子さまは、ご自身の手で子育てをされることに。