くらし情報『袴田巖さん姉・ひで子さん明かす苦難「『巖はもうダメかいね』そう繰り返しながら母は死んだ」』

袴田巖さん姉・ひで子さん明かす苦難「『巖はもうダメかいね』そう繰り返しながら母は死んだ」

「職場に女性が少なかったからか、モテたわね(笑)。私は男とか女とか気にしない性格だから、紅一点の社員旅行でも平気で参加したし、休みの日には役所の独身寮に集まって、男性社員に交じってマージャンするのも楽しみだったの」

21歳で結婚するも、1年で離婚したひで子さん。キャリアを重ねつつ青春も謳歌していた。

■「巖はもうダメかいね」そう繰り返しながら母は亡くなった

順風満帆に見えたひで子さんの人生が暗転したのは1966年6月30日。ひで子さん33歳のとき。巖さんが住み込みで働いていた味噌製造会社の専務宅が全焼。メッタ刺しにされた専務一家4人の遺体が見つかったのだ。

警察は、元プロボクサーだった当時30歳の巖さんを犯人に仕立て上げた。
巖さんの寮の部屋にあったパジャマに、血液かどうかも不明な小さな茶色のシミが付着していたのを理由に犯人と断定。

放火・強盗殺人などの容疑で逮捕に踏み切った。そのうえ、苛烈を極める取調べで自白を強要。巖さんは20日間の取調べの末、たまりかねて自白したのだ。新聞やテレビは、巖さんを“ボクサー崩れ”と揶揄し、犯人と決めつける報道を繰り返した。

「だから、巖が逮捕されてから3年は一切ニュースを見なんだ。

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