小林幸子 圧巻の“ラスボス衣装”のきっかけは「あがり症対策」だった
豪華衣装のツケで「頸椎がダメなんです」と語る小林さん(撮影:加治屋誠)
【前編】小林幸子10歳で歌手デビュー、不遇の15年を経てつかんだダブルミリオンから続く
天才少女と呼ばれた10歳での鮮烈デビュー、見る者すべてを圧倒するド派手な衣装で“大晦日の風物詩”となった時代を経て、近年ではインターネットの世界で新境地を切り拓き、いまや親子3世代から幅広く支持される歌手に。先日、古希を迎え、2024年には歌手活動60周年の節目を控える今もなお、貪欲に新しいスタイルを模索し、ステージで躍動し続ける小林幸子さん。
79年、『おもいで酒』のヒットをきっかけに『NHK紅白歌合戦』初出場をはたすと、以降も『もしかしてPARTII』『雪椿』などヒットを連発。紅白の出場も続いた。
「最初の紅白は、白いドレスでした。『二度と出られないかも』、そう思って歌ったワンコーラス目は落ち着いて歌えたのに『また来年もここで歌いたい』、そう思った瞬間、極度に緊張してしまい、自分でもちゃんと歌えてるのかわからなくなった。元来、あがり症なんです」
’80年はブルーのドレスで『とまり木』を、緊張したまま歌った。’81年は『迷い鳥』。