日本で唯一「女性市議ゼロ」の垂水市に残る“武家社会”の風習
義母の実家も薬丸自顕流という島津家の剣の指南役だった。そんな家だから、武家の風習を厳しく仕込まれた。お茶を注ぐのもお風呂の順番も義父が最初で、次が長男である私の主人と順番が決まってる。男の人を決して台所に立たせてはいけない。亡くなったうちの主人が私に料理を作ってくれたのは生涯一度きり。長男を産んだとき、よほどうれしかったのか1回だけ魚を煮てくれましたね(笑)」(川崎さん・以下同)
あるとき、川崎さんが近所の女性たちと庭先でかしましく談笑中、義父がたしなめるように、ボソッと言った。
「雌鶏が鳴く家は栄えん」
まるで江戸時代のような考え方が垂水に残るのは、その後の市の発展の仕方に由来すると川崎さんは推測する。
「隣の鹿屋市には自衛隊や体育大学があったり、国分市には京セラの大きな工場もあります。
でも、垂水にはそこまで大きな企業や団体はない。だから人の出入りが少なくて、古い習慣がいまに残る原因になったのではないでしょうか」
そんな垂水市も、川崎さんの目には少しずつ変わりつつあるように見えるという。
「ここ10年ぐらいですけどね、驚いたことに、男の人がゴミ出しするようになったんです。