江戸時代から続く“隅田川の花火”はなぜ今年で40周年なのか
その歴史をひもとこう。
「三代将軍家光のころ、大名たちが隅田川に屋形船を浮かべ、遊女とともに酒を酌み交わしながら、涼をとる船遊びが盛んになりました。そのときに花火を上げて楽しんでいたようです。その後、大飢饉や疫病がはやり、多くの死者が出たことを重く見た八代将軍の吉宗が1733年に、犠牲者の慰霊と悪病退散を祈って、隅田川で水神祭を行いました。そのときに、両国橋付近の料理屋が花火を上げたのです。それから船遊びができる川開きの初日に花火を上げるのが恒例となったといわれています。打ち上げた花火は20発程度だったようですが」
隅田川の花火は、明治時代になって、川開きを楽しむ武士がいなくなり、一度は衰退したという。
「ところが、日露戦争の後に花火ブームが巻き起こり、復活しました。
また、明治時代には、カラフルに光る金属化合物を使った薬剤が、海外からどんどん入ってきました。名人と呼ばれた花火師が次々と登場したのもこのころで、カラフルに、そしてキレイに丸く広がる新しい技術が発達し、多くの名作花火が誕生していきました。その後、第二次世界大戦により、’41〜’48年の間は中断しましたが、隅田川の花火は、長い間、多くの人たちの心に綿々と火をともし続けているのです」