『フェラーリ』情熱と狂気、そして愛。1957年、“F1の帝王”に何が起きたのか? 【おとなの映画ガイド】
とチームのドライバーたちにどなり、「ジャガーは車を売るために走る、私は走るために売るんだ。」といい放つ。カーレースと車の魅力に取りつかれ、見え隠れする狂気。“死”と常に向き合う恐怖。一方で、妻と愛人の間で悩むひとりの男。それを演じるアダムの姿は。ほぼ同じ時代を舞台にした『ゴッドファーザーPART2』のマイケル・コルレオーネに扮したアル・パチーノを彷彿とさせる。
マイケル・マン監督をして「アダムの中にエンツォがいた」といわしめた憑依ぶりは、すさまじい。
トム・クルーズ主演の『コラテラル』を始め、アクション主体の男の世界を描いてきたマイケル・マン監督だが、本作は構想から30年をかけている。
その間、フェラーリ社とは『マイアミ・バイス』や『フォードvsフェラーリ』(製作総指揮を担当)でコネクションを築いてきた。
レーシング・シーンには、そんな監督のこだわり、というか執念を感じる。
なにしろ舞台は1957年。しかもミッレミリアは公道のレースだ。最大の課題はレースシーンで使うマシーンの調達だったという。オリジナルカーは時に1億ドルもの値がつく、設計図も手に入らない超貴重品。最終的にはフェラーリ社の協力を得て、当時のオリジナルカーのオーナーから何台か車を借り、3Dスキャンして、撮影用のレースカーを作り上げた。