日本語の状態ではこの戯曲は、文字で読んだほうがわかりやすいかもしれない。けれどスペイン語で上演された場合、おそらくは観た方がわかるものになっているんじゃないか、と思うんです」
神里はペルーで生まれたものの、スペイン語のネイティブではない。だから、役者たちの演技に対して細やかな演出をつけることは容易ではない。
「ニュアンスとか間の取り方とか、日本語ならある程度伝えられることも、わからない。それに役者たちも、“こうしてほしい”と言っても彼らが納得しないことはやらないんですよ。だから、コントロールするのではなく、細かいことは役者に委ねているんです」
けれどもその、一見ままならない状況こそが、いま神里自身が目指す演出家としての居方につながっているのだという。
「最近とくに、演出家があまり前に出ない方がいいのかもしれないと思っていて。今までは細かな演出をつけることによって、実際に演じる人間の意見をないがしろにしていたのかもしれないという気持ちがあります。
道は作るし、“こういう方向に向かっていくんですよ”という話はいくらでもするけれど、運転をするのはあくまでも役者。“ここでスピードを緩める”とか“左車線に寄る”とかは彼らに任せるべきだと、今作を通じて思ったんです」